「基礎・基本」とは?-教材「てこ」を例に

レポート綴

教えると返って混乱する場合もある「作用」という言葉

小学校でしか使わない言葉

実は,「作用点」と言う言葉は,この小学校の「てこ」の単元でしか使いません。しかも,てこを道具として使うときだけ「力点」と「作用点」を区別しているのです(てこ実験器の実験では,そういう違いはありません。どっちがどっちとは言えないからです)。

中学校での混乱

力学的には,力が働いていることを「作用」といい,その場所では必ず反作用の力が働きます。それを「作用・反作用の法則」というのです。
中学校現場で,この「作用・反作用の法則」を教えるときに,子どもたちは力をくわえる場所は「力点」であり,そこに「作用」という言葉を使うのはおかしいと言います。それはそうでしょう。小学校では,「支点・力点・作用点」と3点セットで習ってきたのですから,中学校に入って急に「物体に力が働いていることを作用という」なんて話をしても,「力を入れるところは力点だ!」というに決まっているのです。
その彼らのこだわりは,3点セットを定着させようと頑張った先生に習った子どもたちほど,身についてしまっているのです。そこで中学校では仕方なく,「ここでは作用というんだよ」となんかわけの分かんないことを言ってお茶を濁すというわけです。
このように,今の教科書は,文科省の『学習指導要領』にさえ載っていない言葉を,小学校で教えて子どもたちを混乱させている状況があります。

他の辞典やサイトでは

『理化学辞典』では

わたしの持っている『岩波理化学辞典・第3版』(1978年)には,「作用」「作用点」については,以下のように書かれています。

【作用】
 物理学では物体間に働く力をさすことが多いが,電気的作用,化学的作用などのように,広く物体(または場)相互の間に現れる種々の影響を定性的に示す場合もある。
【作用点】
 物体内の1点に力が作用するとき,この点を作用点または着力点という。

『岩波理化学辞典・第3版』(1978年)

これじゃ,今,小学校で教えている作用点とは全く違いますね。「支点」「力点」については,『理化学辞典』には,その項目さえもありません。支点については,取り立てていう必要がないから載っていないのでしょうか。「力点」は,科学の言葉かどうかもあやしいものです。力をくわえている点は「作用点」というのですから,力点の入り込む場所がない…。

ウィキペディアでは

 困ったときのウィキペディアでは,如何なる説明がなされているでしょうか。「てこ」という項目を見てみましょう。
 そこには,「力点と作用点という名前」と題して以下のような説明がなされていました。

 小学校では支点・力点・作用点の3点セットで教わるが,大学の力学では力点は物理用語としては普通登場しない[2]。
[2]小学校では力を加える点を力点,てこが力を重りに与える点を作用点としているが,作用反作用の法則により力点も作用点も外力を受け,反力を出しているという点でなんら変わりがない。そのため力学では力点・作用点をまとめて作用点(もしくは着力点)と呼ぶ。
 力学では「力」はテンソルとして扱われる。大抵の場合,単純化のため「1階のテンソル」(ベクトル)として扱われ,大きさ・向き・始点を持つ(中学校以上ではこちらの概念で学ぶ)。これを力の三要素と呼び,特にベクトルの始点を作用点(または着力点)と呼ぶ。このため力学で’てこ’を扱う際は,人がてこに加える力と,重りがてこに加える力のそれぞれの作用点があるだけである。例えば英語では,力の作用点を point of application と呼ぶが,てこを説明する際は「人が加える力」の作用点を point of effort,「重りが加える力」の作用点をpoint of load と呼ぶ。この2点を小学校では力点・作用点と呼んでおり,物理学を学んだ者は混乱しないように注意が必要である。
 なぜ2つの力のベクトルの始点を異なる名前で呼ぶ必要があるかといえば,てこの分類に必要であるからである。もし力点・作用点を区別しなければ,「てこの種類」で述べる第2種てこ・第3種てこを分類できない。このような分類をする理由は,てこが「力を増幅させ,あるいは力の向きを変更させる」最も基礎的な装置として古代に開発された道具(単純機械)であり,力を伝達する装置であるからである。力の伝達装置の入力・出力を区別するため,力点・作用点という異なる名前が必要だったのである。

 例えば,天秤においては力点・作用点を区別できない。これは,てことは道具の目的が異なるからである。ある小学校の指導案[4]では,「てんびん」を学習させた後,てんびんの片方のおもりをはずして手で押し,重いおもりを小さい力で持ち上げられるという「てこの原理」を体感させることで「てこ」を学習させる。ここで自分の手があるほうが力点となり,同時に天秤は重い物を持ち上げる道具になっている。
 ちなみに,支点は力学でも重要であり,英語では Fulcrumという固有の単語がある。

下線は引用者

小学校で習う「力点・作用点」は,あくまでも,人が意識的に「てこ」という道具を使ったときに,力を入れる場所を「力点」とよび,それによって物が動かされる場所を「作用点」と呼んでいるだけです。そしてそれは,古くから人類が開発してきたてこという道具を説明するためだけに必要な概念でした。
なお,3点の位置による「てこの種類」については下図のとおりです(ウィキペディアより)。

今一度問う…基礎・基本とは

科学教育において「基礎・基本」というものは,<広く一般的に通用する概念や法則>のことではないでしょうか。そして,広く応用のできる基本的な概念をしっかり捉えさせることこそ科学教育の目的であり,理科教育の目的でもあると思うのです(ある大学の先生によれば,理科教育の目的は科学教育の目的とはちがうらしいですが…)。ある限られたものにしか通用しないようなことは,それこそいつでも興味を持ったときにやればいいことです。小中学校という初等教育の場では,もっともっと適用範囲の広いものを教えるために時間を費やす必要があります。
かといって,わたしはここで「てこなんて教えるな」と言っているわけではありません。てこは便利な道具として教えればいいでしょう。しかし,ことさら,支点以外の場所に名前をつけて「この道具の作用点と力点は…」とやる時間があるのなら,もっとほかのことに時間を割いてほしいと思うのです。
そして,どうしても「作用点」を教えたいのなら上の学校へ行っても困らないように,せめて「作用点」を明治の頃の「重点」と戻して教えませんか。

 基礎…それを前提として事物全体が成り立つような,もとい。
 基本…物事がそれに基づいて成り立つような根本。『広辞苑・第五版』より

てこの単元では,モーメント(トルク)を教えることが大切であり,それこそ基礎・基本だと思うのです。

付録:神戸伊三郎は,どう言っているのか?

神戸伊三郎*1は,大正15年発行の『理科学習原論』「梃子の学習指導案論評」において,梃子の学習について以下のように述べています。

一 要旨及主眼点
 梃子の釣合の関係を理会せしめ,その法則の応用を自在ならしめるのが本科の要旨である。
 少量の力を以て大量の仕事をなすことは,人類の原始生活の時代より行はれたことで,現に児童の生活の中にも存在する。而して少量の力を以て大量の仕事をなすことは,要するに梃子の原理を適用することである。てこの原理原則は程度極めて高く,その理会が困難であるとはいへ,児童の実際生活の中にその原理の存在を発見することは,児童に取ってさまで困難なことではない。かくの如き目に見えず耳に聞こえざるものの中に,物理の存在を知らしめることは梃子学習の第一の主眼点である。
 梃子は単一機械の代表的なもので,種々の機械はすべてその複合より成るものといへる。故にその法則を充分に理会して,日常生活各種の場合に応用することに習熟し,以て力学に対する基礎的訓練をなすことは誰人にも肝要なことである。これ梃子学習の第二の主眼点である。

『理科教育史資料5』p.87より

ここで神戸は,「梃子」の学習についてその意義を二点挙げています。
○目に見えず耳に聞こえないものの中に物理学の法則があることを知らせること。
○世の中のものを梃子の應用として見ることを通して,力学の基礎的訓練をすること。
そして,そのためには以下のような内容を順に取り上げることを提案しています。

一 梃子の事実の発見
二 梃子の法則の発見
 1 二力が支点の両側に働く梃子
 2 二力が支点の同じ側に働く梃子
三 梃子全体の応用(秤もこの中に含む)
四 梃子の法則の発見…滑車・輪軸・斜面等

上掲書より

この中でも,梃子の学習に大切なのは「二力が支点の両側に働く梃子の法則発見」であるといいます。「これは実に物理の法則発見の代表的なもので,初歩の物理学指導中これほど好個の材料はないといってもよい」とまで述べています。
つまり神戸は,<梃子の学習は物理法則の典型的なものであり,その法則を応用した機械も回りにたくさんある。それゆえ,この梃子の学習は「物理学指導中,好個な材料」である>というのです。
まさに,梃子を学ぶことは「人間が考えたさまざまな道具」を理解するための基礎・基本を学ぶことだと言えるのです。そして,今述べたように,梃子の学習が滑車や輪軸や坂道の利用といったものの基礎になっているとわかっていれば,教科書で梃子を教える場合にも少し違った教え方ができることでしょう。
神戸は他にもてこの種類について「梃子を第一種第二種と区別して取り扱ふことがあるが,これは寧ろ区別しないで事実にあたり,最後に3種に分けるやうに導くがよい」(上掲書,p.91~92)とその指導法まで細かく提案しています。

2011/11/19 記
2012/02/28 追記


  1. 神戸伊三郎(かんべいさぶろう,1884-1963)…「わたしより2世代か3世代上の人に堀七蔵と神戸伊三郎という人がいました。この二人はまったく同世代の人で,二人とも1886年=明治20年生れです。堀七蔵という人はすごくたくさんの本を書いています。しかもみんな相当厚い本です。神戸伊三郎さんも,それに負けないぐらいたくさんの本を書いています。この二人は明らかにライバル関係にありました。堀七蔵さんは東京女子高等師範学校の教授で,神戸伊三郎さんは奈良女子高等師範学校の教授でした。堀さんはもともと物理・化学系,神戸さんはもともと博物学系の人ですが,二人とも理科教授法が専門と言っていい人でした。ところが,堀さんは文部省の国定理科書の編纂に関係した人で, 文部省側の人ですが,神戸伊三郎さんは野党的な人でした。そういう対照的な人が,理科教授法の本と子ども向きの本の両方をたくさん書いていたのです。」(板倉聖宣講演「科学読み物を研究するとはどういうことか」『西村寿雄のHP』より転載。http://www.cc-net.or.jp/~ja3aeh/1yomimono/kenkyu/itakura/1-1itakura7.htm↩︎

なお,今回のわたしの調査では,戦後の教科書から「作用点」という言葉が出てきたことは分かりましたが,
・戦前には本当に「作用点」という言葉は使われていなかったのか
・てこの「作用点」という言葉は,いつごろ,だれが,使い始めたのか

については,わかりませんでした。何がご存知の方は,ご指南下さい。

コメント

  1. とてもすばらしい論文ですね。
    教科書の梃子の学習は子どもの興味を失わせるにはぴったりです。

    1点だけ訂正をお願いします。最後のリンク先がまちがっていてつながりません。「 )」が余分じゃないでしょうか。)を外してみたらうまくつながりました。

    • 山岳渓流釣り師さん、いつも珠洲たのサイトを見ていただき、ありがとうございます。今回も、早速のコメント、ありがたいです。以前まとめた資料なんですが、サークル以外にはどこにも発表していないので、今回まとめてみました。リンク先の件、訂正しておきます。

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