NHK朝ドラ『らんまん』でモデルに取り上げられた植物学者牧野富太郎(2023年度前半)。
名前くらいしか知らなかった富太郎を知りたくて『牧野富太郎自叙伝』(青空文庫)を読んでみた。
そこには,植物学者らしい,あるいは研究家らしい,あるいは権威に動じないタイプらしい…なかなか個性的な歌が出ていた。
勢いづいて,富太郎関連の本を読みあさっていたら,他にもいろいろな「歌」を作っていることが判った。
『牧野富太郎自叙伝』より
まずは『自叙伝』に記載されていた短歌・俳句・川柳・都々逸など(短詩型文学)を抜き書きしてみたので,富太郎の人となりを感じるきっかけにしてほしい。
なお「 」内の言葉は,『自叙伝』に書かれている項目である。
「博士号の由来」
富太郎は,東京帝国大学理科大学の助手や講師を勤めながら,とくに博士号を取得する必要性を感じていなかった。むしろ,そういう権威的なものは不必要として避けてきたところがある。しかし,周りからの強い働きかけで,しぶしぶ英文で論文を書き,博士号を取得したのだ。そのときの歌。
- われを思う友の心にむくいんと 今こそ受けしふみのしるしを
- 何の奇も何の興趣も消え失せて 平凡化せるわれの学問
- 年寄りの冷水の例また一つ 世界に殖えし太平の御代
- とつおいつ受けし祝辞と弔辞の方へ 何と答えてよいのやら
- 今日の今まで通した意地も 捨てにゃならない血の涙
- 早く別れてあの世に在ます 父母におわびのよいみやげ
- 鼻糞と同じ太さの十二円 これが偉勲のしるしなりけり
- 「亡き妻を想う」より,妻の墓碑表面に刻んだ歌
- 家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹
「朝日賞を受く」
- 沈む木の葉も流れの工合 浮かぶその瀬もないじゃない
「私と大学」…大学をやめたときのうた
- ながく住みしかびの古屋をあとにして 気の清む野辺にわれは呼吸せむ
「私の今の心境」
「植物研究の五十年を回顧して詠んだ次の句を以て,この自叙伝の終わりを結びたいと思う」という言葉に続いて…
- 草を褥(しとね)に木の根を枕,花と恋して五十年
「八十五歳のわれは今何をしているか」
- 何時までも生きて仕事にいそしまん また生まれ来ぬこの世なりせば
- 何よりも貴とき宝持つ身には 富も誉れも願わざりけり
- 百歳に尚道遠く雲霞
「花と私ー半生の記-」より…昭和二十八年九月
- 学問は底の知れざる技芸なり
- 憂鬱は花を忘れし病気なり
- わが庭はラボラトリーの名に恥じず
- 綿密に見れば見る程新事実
- 新事実積り積りてわが知識
- 何よりも貴き宝持つ身には 富も誉れも願わざりけり
「わが恋の主」
「以前何時だったか、ある事がヒドク私の胸に衝動を与えた事がありました時、私は「草木の学問さらりと止めて歌でこの世を送りたい」と咏んだ事がありましたが、ヤッパリ好きな道は断念出来ませんので間も無くこれまでの平静な心に還り、それは幻のように消えて仕舞いました。」という解説の後で…
- 赤黄紫さまざま咲いて どれも可愛い恋の主
- 年をとっても浮気は止まぬ 恋し草木のある限り
- 恋の草木を両手に持ちて 劣り優りのないながめ
「植物と心中する男」
- 朝な夕なに草木を友に すればさびしいひまもない
以上,『自叙伝』に載っていた歌をもれなく掲載してみた。これらの歌を見ただけでも,富太郎の学問への姿勢,植物への思いが伝わってくるだろう。
「高知の知人宛の葉書」より
『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』(平凡社)という本の111ページに,富太郎が高知の知人に宛てた葉書(1954年5月1日付)に書かれていた俳句が紹介されていた。いずれも,自分の庭について語った作品である。葉書のもともとの出典は武井近三郎著『牧野富太郎博士からの手紙』(1992年,高知新聞社)からだそうである。
- 我が庭の草木(くさき)を何時も楽しがり
- 我が庭の草木の中に吾れは生き
- 日日に庭の草花看る楽のし
- 庭廣く日々、草を眺め居り
- 庭廣く百花次から次ぎと咲き
- 新緑の四方(よも)の景色の得も言へず
- 蛇の目傘張ってニロギを釣りに出る
- 石灰屋附近の山を化粧させ
- 青柳の橋は宛(あた)かも虹の様
- サバ鮎は高知名物他には無い
- 孕(はら)みの山、山ざくら咲き風致好き
「カキツバタ一家言」(青空文庫)より
この小文は、カキツバタの語源について語ったり,自分の衣服をその花びらで染めてみた経験などを紹介している文章。
私は今この花を見捨てて去るのがものうく、その花辺に低徊しつついるうちにはしなく次の句が浮かんだ。この道にはまったく素人の私だから、無論モノにはなっていないのが当り前だが、ただ当時の記念としてここにその即吟を書き残してみた。(本文より)
- 衣に摺りし昔の里かかきつばた
- ハンケチに摺って見せけりかきつばた
- 白シャツに摺り付けて見るかきつばた
- この里に業平来れば此処も歌
- 見劣りのしぬる光琳屏風かな
- 見るほどに何となつかしかきつばた
- 去いぬは憂し散るを見果てむかきつばた
「俳句,川柳,面白ろ記」より
「俳句,川柳,面白ろ記」(個人蔵)というノートが残っていて,そこには,例えば次のような俳句とも川柳ともつかない「歌」が書かれている。
このノートの写真(右写真)は,上掲の『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』(平凡社)の98-99ページに出ている。
同じような作品がたくさん並んでいて「メモ」として書いたことがわかる。
なお,下記の作品は富太郎の自筆文字をわたしの判断で活字にしたので,合っているかどうか自信は90%くらい。註とあるのはわたしの言葉。

- ウハミズザクラ上は向いた溝何処に在る
- ハシバミの葉には皺ありそれで謂い
- センダンは旃檀(註:栴檀のことか?)なりと勘違がい
- ネズミモチ其の実はコーヒーの代表をし
- ウシコロシ牛を殺さず鼻通ほし
- フサザクラ実が房房と生つて居り
- アシボソは足細からず太といなり
- ネミズノヲ体は細そくネズ(鼠)に似ず
- 庭の草黄蝶白蝶飛び遊び
- 秋の蝶花乏しくて憐はれなり
- 花が無く秋の蝶々恋がれ死に
- 冬近く花無くなりて蝶憐はれ
- 門入れば花橘の番ひかな
- 立木在り異草も在りて庭廣ろし(註:「立」「異」という文字に自信なし)
- 浮間原昔名所の櫻草
- 世が移つり櫻草無き浮間原
- 櫻草在りし昔の浮間原
- 櫻草浮間の原の朝の景
- 都近か昔の春や櫻草
- 櫻草採るなと縁りに囲ひする
- 櫻草江戸の名所も亡びたり
- 櫻草都近かから消え亡せし
- 櫻草名残を留めし浦和の野
- 庭の草なづなやはこべ花が咲き
- 庭のなづなペンペン揆(註:撥・バチ)の実を結び
- フキの薹枯れ葉の間いに首を出し
- ハコベラが庭其処此処に花咲かせ
数え年96歳を迎えた年賀状に(1954年)
- 百歳に尚道遠く雲霞
創作のすすめ…わたしたちも,もっと気楽にうたっていいだろう
この『自叙伝』『面白ろ記』を読んで「自分ももっと気楽にいろんな〈うた〉を詠んでみるのもいいものだ」と思った。俳句,川柳,都々逸,短歌,狂歌など,そのときの気持ちを…作品の出来は気にせずに…残しておく。これが大切だな。うまいかどうかは,後で考えることにしたい。まずは〈うた〉と仲よくすることだな。
コメント
文学的センスもすばらしい!
ですよね。わたしも,そう思ったのでこういうページを作ってみました。しかも,数打ちゃ当たるみたいな作品もあって,ユーモアを感じるんですよね。