仮説実験授業をとりいれた理科授業

七尾市立○○中学校   和泉理恵


このレポートは七尾市奨励研究(平成10年度教職員研究)として書かれたものである。
特にこれから仮説実験授業を始めてみたいという人に読んで欲しい。
授業の雰囲気,生徒実験の有無,なんとなくを認める…など、
仮説実験授業を進める上で気になることを素直に述べている。
仮説実験授業の思想は,今までの常識的な教育観とは違うので
最初は,なかなか受け入れ難い部分が多いのである。(編集部)


0.この報告書をまとめるにあたって

 これから「<仮説実験授業>をとりいれた理科の授業」ということで報告書をまとめていくのだが、今年度、私は自分の授業がとても中途半端であると思っていて、授業にやや行き詰まりを感じている。それで、やや愚痴っぽい面も多分にあると思うがご容赦願いたい。この報告書では、朝日中学校の現1,2年生のこれまでの授業実施状況(2年生は2年間分、1年生は1年間分)実施した<仮説実験授業>の評価の分布と感想文を中心に、<仮説実験授業>を始めるきっかけやその最初の評価や感想、さらに現在感じている悩みやひっかかりなどを述べたいと思っている。今年度1年間の実践記録ではないがこの点もご容赦願いたい。

1.<仮説実験授業>を始めるまで

 私が初めて<仮説実験授業>を授業にかけてみたのは今から8年前の4月である。その時授業を受け持っていた1,2年生の両学年に生物と細胞》という授業書を実施した。私は教師8年目に入っていた。
 それまでの7年間を振り返ってみる。初任の3年間はいわゆる校内暴力が問題になっていた頃で、勤務校も例外ではなかった。私にとってこの3年間は、授業の中味を考えるより授業が成立するかどうかが問題であったし、教科書を初めて教えるわけだから自分自身教科書の中味を消化するのに精一杯であった。4年目以降は教科書を教えるのも各学年2度目となり、少しずつではあるが工夫してみようと考える余裕も出てきた。生徒も落ち着いており初任の頃に比べると恵まれた環境であった。
 しかし、この頃から別の面で悩むようになってきた。先の3年間は「生徒が荒れているから授業がうまくいかないのだ」と思っていたし、その思いに疑いを持つこともなかった。だが、4年目以降は生徒が落ち着いているにも関わらず、1年、2年と持ち上がるうちに授業に興味を示さず教科書を開くことさえ億劫がり、3年生になる頃にはただ机に座っているだけという生徒が増えていく。当然、授業の中味について考えるようになった。生徒実験をできる限り行い、演示実験もなるべく行う。OHPやスライド、ビデオなど視聴覚機器を使う。導入を工夫する。班ごとの発表に力を入れる。教科書の単元を入れ替えてみるなど、その時その時工夫する事柄は違うが、自分なりに努力してきた。にも関らず、私の理科の授業に興味を失う生徒は、増えることはあっても減ることはなかったような気がする。「まだまだ努力不足だ」と自分を叱咤激励しながら、更なる工夫を求めて、書店で興味深い実験などがのっている本を買い求めたりもした。だが、自分なりに努力はしているつもりなのに、授業に自分が望むような変化は全くといっていいほど起こらなかった。生徒は相変わらずつまらなそうな顔で私の話を聞き、ノートを取り、実験のときだけ少し笑顔が見られるという具合である。その実験も私には、実験が楽しいというより、教師の話を聞かなくてもよく、友達と少しおしゃべりできるのが楽しいというように思えてならない。授業そのものはほとんど進歩しないまま経験年数だけは増えていく。教師になって7年目の年は、生徒との人間関係を含め本当に悩み苦しんだ1年であった。その年度が終わろうとする2月に、たまたま読んだ1冊の本『これがフツーの授業かな』(山路敏英著・仮説社)によって初めて<仮説実験授業>を知った。この本の中には授業記録が載っていて、それを読んで「こんな楽しい授業をしてみたい」と思ったのである。その時の私は切羽詰まっていたので、わらをもつかむ心境で「新学期からこれをやってみよう」と思ったのを覚えている。

2.実際に<仮説実験授業>を実施してみて

 <仮説実験授業>を実際に授業実践している教師は石川県にも何人もおり、その内の一人珠洲市の尾形正宏教諭に相談し、春休みに授業の準備を行い、4月の最初から1,2年生に同時に<生物と細胞>という授業書で授業してみた。<仮説実験授業>は授業の最後に評価と感想をとるのが原則で、それ以外にも授業の合間に感想をとったりする。生徒に書いてもらった感想で、私は7年間授業してきて初めてといっても良い手応えを感じた。その感想のいくつかを掲載する。(当時の授業通信より抜粋)

・先生の勉強のやり方はとても良いと思った。私達が授業をやっているとなんか勉強って感じがしないし、でもそんな気持ちでも勉強が身についていていいなあと思った。教科書にもどったらいかにも勉強って感じがするからいやです。(Sさん 1年) 
・細胞の話がこんなに面白いと思ってなかった。自分の体が細胞だと知ったとき、この自分の手足なども?と思ってしまった。(Sさん 1年)
・今までもすごいと思ったり感動したりすることがよくあった。今日の授業でも、細胞だけで生きていけるHela細胞やL細胞があるというので驚きました。… 後略… (Fさん 2年)

この時は理科通信も発行し、夢中で授業を進めていった。授業の最後に生徒に書いてもらった評価は次のようであった。
1992年度T中1年生
 ・5 とても楽しかった   51人
 ・4 楽しかった      16人
 ・3 どちらともいえない   5人
 ・2 つまらなかった     2人
 ・1 とてもつまらなかった  0人  (計73人)
 
1992年度T中2年生
 ・3 楽しかった      49人
 ・2 どちらともいえない  42人
 ・1 つまらなかった     2人  (計93人)

 この結果は私にとってとても嬉しいもので、この時から8年間、1年間を除き必ず<仮説実験授業>を組み入れた授業計画を立て実施している。先の2年生の評価が3段階なのは2年生の方が先に授業が終わったのだが、授業に自信の無かった私はどうしても5段階で評価を聞くことが恐くて勝手に3段階にしてしまったのである。しかし、2人以外が普通以上と評価してくれたことで1年生には5段階で聞くことができた。

3.<仮説実験授業>とは

 さて、ここで<仮説実験授業>について少し紹介したい。この授業は、1963年に当時国立教育研究所に勤めていた板倉聖宣氏によって提唱された科学教育の内容と方法である。氏の著である『仮説実験授業のABC』(仮説社)から引用すると

つまり、仮説実験授業は今申しました「科学上の最も基本的な概念や原理的な法則を教えようとする授業」であり、それを教えるときの子どもたちの認識ということを考えたときには「科学的な認識というのは、対象に対して目的意識的に問いかけるという意味における実験を通してのみ成立する」という考え方をとり、しかもその科学的認識というのは、個々ばらばらの人が自分自身で確かめなければならないというふうに成立するものでなしに、社会的にお互い協力しながら、自分自身が研究しなくても、自分自身が確かめなくても安心して使えるような、そういうような知識の体系として科学というものを考えるこういう3つの、いわばスローガンみたいなものによって仮説実験授業は成り立っているわけでございます。

とまとめられている。
 また、<仮説実験授業>には授業運営法がある。授業は<授業書>を使って行い、次のような流れを繰り返していく。
 一.問題を読み、予想を選ぶ(選択肢のなかから)
 二.予想に手を挙げる(集計をとる)
 三.理由を発表する(できれば討論。その後予想変更)
 四.実験で正解を知る
この一~四の流れを繰り返していくうちに「一般的にこうではないだろうか」という仮説がはっきりしてくるのである。この授業運営法にはまだまだ細かいことがたくさんあるのだが、詳しく述べることはここではしないことにする。

4.私がなるほどと思った最大のこと

 先に書いた『仮説実験授業のABC』は読んでなるほどと思うことがたくさんあった。今まで、考えもしなかったこと、新しいものの見方などが多くて2度ほど繰り返して読んだことを覚えている。その中で私がもっとも感銘を受けたのは次の{授業の成功・失敗の基準}であった。
 授業の成功失敗の基本的条件は、
 一.クラスの過半数の子どもがこの授業をおもしろい、楽しいということ。少なくともつまらない、いやだという子どもが例外的にしかいないこと。
 二.子どもたちの圧倒的多数がこの授業がわかるということ
 三.先生が、またこれをやってみたいと思うほどの楽しさ、おもしろさがあることである。

 私はこれまで<仮説実験授業>を実施したときにはほとんどの場合評価・感想をとり、それを見てその授業が成功であったか失敗であったかを決めてきた。私の場合、<授業書>によっては(5・とてもたのしい)や(4・たのしい)が過半数にならないこともたまにある。だが、(2・つまらない)や(1・とてもつまらない)が少数であれば「授業はまあまあ良かった」というように考えるようにしている。

5.1992年度~1996年度までに実施した授業書・授業学年・評価(省略)

6.1997年度入学生、1998年度入学生のこれまでの授業実施状況

A.1997年度入学生

1年生のときの授業実施状況(《 》は仮説実験授業,以下同じ)

4月  《光と虫めがね》第1部
5月  外に出てみよう
    植物の生活とからだのしくみⅠ
6月  光と音の世界
    《もしも原子がみえたなら》
7月  水溶液と気体
9月  水溶液と気体
    植物の生活とからだのしくみⅡ
10月 植物の生活とからだのしくみ
    《力のおよぼしあい》第1部
11月 《力のおよぼしあい》第2部
    いろいろな力の世界
12月 《三態変化》
1月    〃
    熱と物質の世界
2月    〃
3月    〃 ,地球と太陽系

2年生のときの授業実施状況

4月  《生物と細胞》第1部
     動物の生活
6月    〃   
7月  《燃焼》 
9月  《燃焼》 
    化学変化と原子・分子 
10月     〃
11月  天気の変化
12月    〃
    《自由電子がみえたなら》第1部~第2部
1月  電流
2月  電流

B.1998年度入学生

4月  外に出てみよう
5月  《光と虫めがね》第1部
    水溶液と気体
6月    〃 
7月  植物の生活とからだのしくみⅠ
9月  植物の生活とからだのしくみⅡ
    《もしも原子がみえたなら》
    光と音の世界
10月 光と音の世界
    身近な天体
11月 《力のおよぼしあい》の第1部~第2部
    いろいろな力の世界
12月   〃
    《三態変化》第1部
1月   〃
    熱と物質の世界
2月   〃
    星や太陽の動きと地球

7.この2年間に実施した授業書の評価(省略)

8.7の評価の際の生徒の感想 (数字は評価)

《光と虫めがね》第1部

・全体的に面白かった。自分でつくったカメラで、あんな単なるビニールをはっただけのスクリーンにきれいに写ったことが驚いた。わかったことは、レンズを使い光の方から遠ざけると大きく写り、スクリーンの方から遠ざけると小さく写るということ。(Aくん・5)
・僕は今日の授業とてもおもしろかった。なぜなら、あんなに簡単につくれて人の顔とかもうつせるからです。これからもこういう楽しい実験で進めていってください。とても楽しかったです。 (Mくん・5)
・私はこの勉強をして、自分の考えと現実の結果を確かめて、「自分の考えの理由は反対なんだなあ」って思った。自分では想像しなかった答えがたくさん出てきてとても夢中になりました。レンズの中を通った光はさかさまなのにどうしてメガネは?(Mさん・5)
・黒い紙などとっても燃えて気持ち良かったし焦点がどうやって集まるかとか先生に教わってとてもよく分かりました。目の光や蛍光燈や景色もうつってすごい!(Sさん・5)
・知ってることが多かったけど知らないこともあったから評価は3にした。(Tくん・3)

《もしも原子がみえたなら》

・私達がなにげなく吸っている空気の中にもいろいろなものがあるんだなと思った。5にした理由は今までの理科で一番理解ができて一番楽しかったから。色ぬりは超たのしかったです。(Aさん・5)
・私はこの勉強をしてとても楽しかったです。色ぬりも楽しかったし、2個の酸素と炭素で「二酸化炭素」というのが分かりやすかったし、今までで一番楽しかったし分かりやすかったです。 (Mさん・5)
・授業中いろいろ新しいことを知っていろいろ考えた。評価の理由はいろんなことを知ってためになった。色ぬりは少し大変だった。(Tくん・10)
・地球のものすべてに原子があるとは知りませんでした。もし、原子が目に見えたら水の分子が水の中に入っているのが見えて恐くて飲めないかもしれません。空気の中にも酸素分子や窒素分子があってそれをすっているんだなあとあらためて思いました。ヘリウムやネオンなど初めて聞く名前もあったけど楽しかったです。(Kさん・4)

《力のおよぼしあい》第1、2部

・どんな堅いものでも押したらへこんでその力をはねかえしているなんて不思議です。私達が歩けるのもその力のおかげで何だか不思議です。ビデオを見て予想を立てるのは面白かったです。(匿名・5)
・ビデオをみて予想を立てるのがとてもおもしろくて予想があたったときはすごくうれしくて楽しく授業ができました。 (Sさん・5)
・ビデオを2回見るというのは良かった。1回目は問題や答えのことを考えながら見ているけど2回目は答えも分かっていて整理しながら見れた。3回目はいらんけど。ビデオを使ってやるのは良かった。少し古かったけど映像が全部あるから問題へいくまでの過程がけっこうヒントだった。(Kさん・5)
・最後の問題に自信を持って意見を言ったのでよかった。最後はとてもとてもとても楽しかったです。(Oくん・5)
・丈夫な柱でも押し返す、引き返す力があるなんて初めて知りました。それからバネをただのひもにしてプラスチックの板につけておもりをつけると、バネのときとただのひものときといたの曲がりは同じだったので不思議でした。(匿名・3) 

《三態変化》第1,2部  (1998年度は第1部のみで名前はわかりません)

・みんなの意見で楽しいことを言っていたりするので仮説実験授業が好きになりました。特に今までの中では三態変化が好きです。今まではよく分からなかったけれど少しわかることができました。気体・液体・固体のことがいろいろわかりました。気体が液体や固体になるなんてすごく不思議。(Tさん・5)
・以前にも感想に書いたけど、分かりやすかった。実験もおもしろかったし、今日見たビデオもすごかった。今まで三態変化なんて興味はなかったけど、この授業はけっこう興味があったと思う。  (Hさん・4)
・今回も割と実際に実験してみせる授業が多かったので分かりやすかった。どんなものでも固体・液体・気体になるなんて意外だったけれど、マイナスにも限度があることが分かってさらに意外だった。(Yさん・4)
・実験が一番楽しかった。自分の予想があっていたときは最高だ。 (Tくん・4)
・一番身近な水が三態変化のとき特別なものになるなんてと思った。この三態変化は普通の生活をしていても関係があるので良かったと思う。 (Tくん・4)
・あまり分からなかったがもっと分かりやすく説明してほしい。液体酸素を使いたい。友達がよくあたっていたので良かった。(Tくん・3)
・「とける」という言葉に2つの意味があることや粒はどんなときでも絶えずふるえていることが分かった。 ( 5 )
・問い4でのふつうの石も液体に変化するということに驚きました。あの岩が炎で融けるビデオを見て本当にびっくりしました。科学ってすごいなあと感じました。(4)
・固体・液体・気体をBB弾で表現していたのがおもしろかったです。ナフタリンを使った実験で昇華というものを初めて知りました。  ( 4 )

《生物と細胞》第1部

・私が印象に残っているのはケガをしたときほんの少し流れた血のなかに地球の全人口ほどの細胞があるということ。何か不思議な感じです。今では当たり前のことでも昔は考えつくことができなくてそのときのことを書いてあったのがおもしろかった。(Kさん・5)
・初めてタマネギの細胞を見たとき感動した。細胞といわれると脳ぐらいしか知らなくてタマネギにあるなんて知らなかったからです。人間の体のほとんどの部分に細胞があるなんて調べていくうちに気持ち悪くもなったけど細胞が大事なんだなあとわかった。ぜひまだまだ調べてみたいことがあるからまたしたい。(Mさん・5)
・最初は細胞って何だろうと思っていたが、ビデオを見たりプリントを見たり先生の話を聞いたりしてだんだん分かり、今の僕らは顕微鏡を見れば細胞とすぐ分かるが昔の人、シュライデンやシュワンはこれを細胞だと見つけるためにすごく努力したんだなあとすごく感動した。(Hくん・5)
・人間の体の一部は細胞でできているというのは知っていたけど全部細胞からできているとは思わなかった。 (Sくん・4)
・細胞は人間の体の中にたくさんあって、植物や動物にもあるということがわかった。ビックリしたことはライトスコープで北野くんの頭を見たらすごく不思議だった。(Kくん・3)
・先生の授業はワンパターンで予想して意見を聞いて答えを確かめて先生が説明するというような、複雑さに欠けていてもっとハラハラドキドキ、印象に残るような授業にしてほしい。ファイルの話を読むときはあまりおもしろくないので工夫してほしい。例えば、ライトスコープでいろいろな細胞を実際に見てみるなどした方がいいと思う。(Mくん・1)

《燃焼》

・今日やったプリントの12番の問題。炭素原子と酸素原子をたすと一酸化炭素になると思ったが予想とは違って二酸化炭素だった。予想とは違ってとてもくやしかったが今度同じ問題がでたときは絶対間違えないと思う。とてもおもしろかった。 (Hくん・5)
・実験には興味があっておもしろかった。酸化銅のとき爆発みたい音がしてすごくびっくりした。けど、1つ1つ印象に残っている。ハプニングのおかげで。(Tさん・5)
・ただの砂糖でも拡大して分子で見るとすごいんだなあと思った。どんなものでもいろんな分子とかがあるのでフシギだなと思いました。(Nさん・4)
・銅や鉄を燃やして実験したのがおもしろかった。メチル・エチル分子は初めて聞いた。プロパン・都市ガスにも分子があるのは知らなかった。     (Tくん・4)
・私には酸素がくっついて重くなるとかよく分からなかったんだけど最後のまとめの方になるとなんとなく分かるようになりました。私は授業の中でも実験がおもしろかったです。(Iさん・4)
・分子や原子の名前は覚えることが多くて難しかった。また、いろいろな実験をしたい。(Yさん・3)
・実験はおもしろかったけど、分子と分子がくっついて~の分子ができるとかいうのがよく分からなかった。 (Tさん・4)
・何をいっているのか理解できずとてもつまらなかった。     (Sさん・1)

9.評価や感想文とは私にとって何か?

 前にも書いたように仮説実験授業では授業書の最後に評価と感想を書いてもらう。授業の成功・失敗を決めるわけだから読むときはハラハラドキドキである。この評価や感想は次の授業を考えるめやすでもあるし、次に同じ学年を持ったときの授業計画の参考にもしている。例えば、私は1年生を受け持ったときは《光と虫めがね》の第1部から授業をスタートさせるのをこの4年間の定番にしているが、1995度年の1年生でその授業書からスタートさせたときにとても良い評価をもらったからである。
 1997年度入学生のこの2年間の授業の流れは、1995年度入学生のそれを基に生徒がくれた評価や感想文を見ながら、授業時数と相談しながら計画を立て実際に授業してきた。
 また、感想文はとてもうれしいものであると同時にとても厳しいものでもある。評価は良くても「分からなかった」という言葉の入るものもあるし、《生物と細胞》の感想の欄に掲載した評価が1のMくんのように授業そのものについて書いてくる生徒もいる。だが、Mくんについて言えば、私は彼がそのように思いながら8時間近くも授業を受けていたとは全く知らなかった。それどころか、結構楽しんでいると思っていた。教師の思惑と実際の生徒の気持ちとのずれである。また、「これほど問題でイメージがつかめるように工夫しているんだから分かるだろう」と自信を持って授業したのに「分かりにくい」「よく理解できなかった」という感想が多くあった《燃焼》の授業。まさに、教師の勝手な思い込みである。ほとんどの問題に原子・分子の模型などを使い精一杯説明してきたつもりだが、生徒には伝わっていなかったのである。来年度以降再び《燃焼》をやるかどうかを含めて、もっと何か工夫や努力が必要だと生徒の感想を読んで感じている。それとは逆に、仮説実験授業研究会の会員が出版している<授業ノート>などを読んで少しでもイメージしやすいように工夫したことを「BB弾を使って説明してくれて良く分かった」というふうに感想文に書いてもらうととてもうれしく、「今度やるときもこの方法で」とか「さらに良いものに」という風に意欲が沸いてくる。どちらにしても、感想文は私にとって、大切なものである。

10.<仮説実験授業>を実施しながら悩み、ひっかかっていること

 年度によって多少はあるものの<仮説実験授業>をやり始めて今年度で8年目となる。この過程で私がひっかかりを覚えたり悩んだりしたこと、そして今も悩んでいることを書き出したいと思う。
 まず、そのひとつに授業の雰囲気がある。これは今も気になってしまうことだが、<仮説実験授業>をすると何となく雰囲気がだらしなく授業に集中していないように感じてしまうのである。例えば、問題を配って教師が説明をしているときも目が下をむいたまま説明を聞いていないように見える生徒がいる。例えば、自分の予想を立ててほしいと願っているが隣の友達と相談している生徒がいる。例えば、予想を集計したりその理由を発表したりのときに、プリントに落書きしている生徒がいる。明らかに授業の内容とは関係の無い私語が目立つときもある。長い読み物などが続くとボーとしている生徒もいる。それが自分の体調や気分にもよるがとても気になるときがある。我慢できずに、気になることについて生徒に注意をすることもあるが効果があったと感じることはあまりない。かえって雰囲気が堅くなってしまったということもある。
 次に、<仮説実験授業>は問題が進むにつれて仮説がたってきて、予想があたるようになることが望ましいのだが、最後まで行ってもそうはならない生徒が少なくないことである。先にも書いたようにただ何となく授業を受けてきて問題の積み重ねができていないためなのか?「あてものゲーム」になっているのではないかと指摘を受けたこともあるし、何より自分自身そう思うことが結構ある。
 ただ、この2つのこと、「雰囲気について」と「仮説実験授業はあてものゲームか」ということについてはチャンスがあって2年生のあるクラスで書いてもらったことがある。無記名で「正直な気持ちを聞かせてほしい」とお願いした書いてもらった。雰囲気についてはいろいろな意見があったが全体的に良いと感じている生徒が多く、「あてものゲームか」については二人を除いて全員が違うと書いていた。(生徒数27人)
 いくつかの意見を掲載する。

・2の1は意見がいっぱい出ていいと思った。普通の授業だったら聞いてノートに写すだけだけど仮説実験授業はおもしろいし、選ぶときに考えるからいいと思います。
・確かに少し遊んでいる人もいるけど、その人だってきちんと考えていると思う。考えていなかったら人数とか足りなくなったり、意見だって全然でないと思う。暗い雰囲気じゃ意見もでないしそれこそ理科が嫌になってくると思う。私は仮説実験授業をいつも楽しみにしています。確かにゲーム感覚だけど普通の勉強だったら一人でだってできる。けどこの授業は何か違うような気がする。授業としてのケジメはつけなきゃいけないけど一人一人の意見はすごく大事だし自分自身の意見も大切です。これまでは理科がはっきり言ってキライだったけどこの仮説実験授業で好きになりました。
・「なんとなく」と答える人も考えてみたことをうまく言えないから使うと思う。みんなの意見を聞いて意見を変えたりして、ただノートを書きつづけて授業が終わったときに疲れたと思うより、楽しかったと思う方がいいと思う。それに生徒で実験しても実験する人は班に2~3人でいつも決まっているから、自分の意見を考える仮説実験授業の方がいいと思う。雰囲気についてはみんなと相談すれば少しはにぎやかにもなると思う。
・普段の2の1と変わりないので別に不思議じゃない。仮説実験授業は考えて選ぶのであり、あてものゲームではない。別にわからなかったら「なんとなく」でもいいじゃないか。
・遊んでいる人を見つけて注意した方がいいと思う。仮説実験授業はほとんどの人が適当で答えを待っている人の方が多いような気がする。(この生徒はあてものゲームと考えているようだ)

 肯定的な意見が多かったことは私にとって、その時も、そして今も大きな支えとなっている。ただ、これですべてがスッキリした訳ではない。今でも大いにひっかかりを感じているし悩んでもいる。
 次に、先の意見にも出てきたが「なんとなく」という理由についてである。授業書のはじめの方はそれこそ「なんとなく」選ぶことも多いと思う。いや、最後まで「なんとなく」選ばざるをえない生徒もいると思う。だが、自分の意見を言うことを避け、「なんとなく」で済ます生徒が多い。意見を述べる生徒は限られていて、それも学年が上がるほど、授業書をこなすほど減っていく感じがする。対立する意見が出れば、それだけ考えや理解も深まる。生徒に「いろんな意見が出た方が勉強になるよ」とか「知らないことに予想しているのだから間違えても恥ずかしいことじゃない」と話したりすることもあるが、あまり変化はなく、それゆえ途中からは言わなくなってしまう。私の授業運営法は間違っているのかと思い、四条畷で毎年秋に開かれる仮説実験授業の公開授業などを参観するのだが、小学校と中学校の違いもあるし、何といっても1時間のことであるのでよくわからないのが実状である。
 そして、何といっても悩む最大の事柄は「教科書」である。教科書を効率よく進めて時間を確保しようと思っているが、そうはうまく進まない。正直言って<仮説実験授業>を行っているときでも、時間が気になってつい進度を速めてしまったり、第1部で切り上げたりということが少なくない。特に今年度は第1部だけしかやらずに終わった授業書が多くあり、結局はどっちつかずになってしまったなあと反省している。まだ1年間が終わった訳ではないが、不完全燃焼でモヤモヤした気分である。授業の見通しというかメリハリをつけるということを来年度の課題にしたい。
 これから先は、本当に生意気で見当違いのこともあると思うが私の現在の本音をのべていきたい。私が「教科書」にこだわってしまうのは、まずテストがあり、ひいては入試があるからだ。「教科書」の中味については不遜なことを言えば「なぜ、これを教えるのだろう」と考えてしまう単元や項目がある。生徒にも聞かれることがあるが「入試以外、何の役に立つが」である。<仮説実験授業>の中味も厳密に言えば知らなくてもいいことだと思うが、少なくとも私は、<光と虫めがね>の第1部や<もしも原子がみえたなら>や<三態変化>を体験したとき、「へぇー、知らなかったあ」「おもしろい」「なるほどー」と楽しかったし、この考えは役立つと思ったし、世界が広がった気がした。この体験はとても大切だと思う。だが私は、教科書ではそんな体験は学生のときも教師になってからもしたことがない。だから、そのような体験を一人でも多くの生徒にして欲しいと願うなら私には今のところ<仮説実験授業>しかない。実際、数は少ないけど自分が楽しかった<授業書>は割と自信を持って生徒に授業できる。生徒の評価も悪くない。だが、やっぱりテストはとても気にかかり、大袈裟に言うとテストで点をとるために「教科書」を教えているという気がすることがある。
 さらに、「生徒実験」に対するこだわりもある。一人一人とはいかないまでも班ごとの実験をやった方が科学的な見方や知識が身につくのではないか、生徒が意欲を持つのではないかという思いは絶えずある。生徒が目的意識を持って自然や対象に向かい実験、観察するなら生徒実験は有効であると思う。だが、私の場合、「何のために」実験するのかという意識を持たせて実験することが、いや、そうなるようにすることができなかったのである。そのため、理想的な値の出にくい定量実験の場合に限らず、生徒実験しているのに最後には私が「この実験からはこんな結果がでて、ここからこう考えるんだよ」と解説することが多かった。そんな風に生徒実験について疑問を感じていたにも関らず、仮説実験授業をやればやったで、評価があまり良くなかったときや時数を気にしてペースを上げて教科書を進めているときなど、「やっぱり生徒実験したほうが生徒の力がつくのではないか、興味を持たせられるのではないか」と考えてしまう。このことは、これから先、自分自身が「生徒実験は本当に有効か」という目的意識を持って、<仮説実験授業>と対比させていかなければならない。なぜなら、時数のことがあるから、どちらも完全にこなすことはできないからだ。

11.これからの私の授業研究について

 一番最初にも書いたが、今年私は自分の授業にやや行き詰まりを感じている。<仮説実験授業>を取り入れた授業計画を立ててはいるが、その<仮説実験授業>が半分以上中途半端だったからである。来年度は、これを大いなる反省点として授業しなければと思っている。思い付く点を述べてみる。

Ⅰ.授業書のさらなる理解を

 <仮説実験授業>への批判によくあるのが、「決まった授業書をやるなんておかしい。プロの教師なら自分のクラスの生徒の現状にあった教材を考えたり、同じ仮説実験授業をするのでも配列を変えたりして料理してやるべきだ」ということである。
 だが、私は同じ授業書で授業しても、教師の内容の理解の仕方、それから授業の進め方に対する意識の高低で、全く授業の深度が違ってきて、ひいては生徒からの評価も全く違うと思っている。例えば、私が今、自信を持って授業できる授業書は《光と虫めがね》の第1部と《もしも原子がみえたなら》と 《三態変化》の第1,2部だけである。この3つの授業書については、授業中に感じる手応えも授業後の評価も、あるときを境にグッと高まった。それは、仮説実験授業研究会の人たちが出版している<授業ノート>や<解説書>などで、生徒がイメージしやすいような工夫の仕方を学んだり、授業記録を読んで生徒の思考のプロセスを学んだりしたことが大きいと思う。予め授業記録を読んで生徒の間違え方など知っておくと、実際に自分のクラスの生徒がその通りの理由を言って間違えていくのが分かる。そこで初めて「間違えるにはそれだけの理由があって間違える」のだし、「自分の頭で考えるから間違える」のだということが腑に落ちる。それと共に、多くの授業記録を積み上げた中から作られている<授業書>というものに信頼を感じる。だから今は、3つしかない、自分が自信を持って授業できる授業書を一つでも増やしたいと思う。そのためには私が学んで楽しかったという経験が必要だ。感性を豊かに、好奇心がはたらかせて、<仮説実験授業>の研究会などに参加したいと思う。

Ⅱ.評価についてもっと工夫を

 今年度もいくつかの授業書については授業後、別紙・資料1(省略)のようなテストを実施した。<もしも原子がみえたなら>の授業後のテストでは平均点が80点~90点近くとかなり定着が良かった。来年度からは授業後のテストを必ず実施して、今までのような評価や感想文による情意面の評価だけでなく、認知面の評価も重視したい。これは、私にとっても生徒にとっても良い授業の振り返りになると思う。

Ⅲ.授業通信を定期的に発行したい

 授業通信はこれまで不定期に発行してきた。理由が「なんとなく」で済んでいくことの多い中で、生徒のいろいろな思いや考え方をお互いに知る手段として、授業通信が有効であることは分かっているのだが、授業通信を発行するには自分自身けっこうエネルギーがいる。「生徒が喜んでくれてうれしいから授業通信だしたい」というのでなくては続かない。この2年間で授業通信が2回ほどしかなく、今年度は一度もないということは、それだけ私の感動が薄かった証拠であるが、逆に、授業通信を定期的に出すことで授業が少し活性化した経験もあるので、授業通信の定期的な発行というのも考えてみたい。(授業通信は省略)

Ⅳ.サークルに意欲的に参加したい

 珠洲市に<珠洲たのしい授業の会>というサークルが月に1回開かれている。仮説実験授業の授業レポートをはじめ、様々なことが話題になり意見がでる。私は不定期にではあるが参加させてもらっている。私自身がレポートを持っていくことは今まで2,3回しかないが、その度貴重な意見をもらえる。それ以外にもとても勉強になることが多く、来年度もできる限り参加したいと思っている。(<珠洲たのしい授業の会>のサークル通信については別紙・資料3を参照〔省略〕)

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