複眼でものを見る

たのしい道徳

 小学校5年生の4月最初の授業参観(道徳)で「複眼でものを見る」というテーマで授業を組んでみました。
 金子みすゞ作「大漁」(NHK「のほんごであそぼ」)を資料にした授業です。
 この実践は,金森俊朗氏の授業の追試です。金森氏の飛び入り授業を見たことから学んだことです。雑誌や著書に紹介されているかどうか,わたしは知りません。なお金森俊朗氏については,本ページの最後にもう一度紹介します。

導入 だまし絵(錯視絵)を見て,感じたことを出しあう

右の「だまし絵」を1枚ずつ見せながら,何に見えるかを問う。「婦人と老婆」の絵を見たことのある子もいた。
これで,結構盛り上がるので,ゆったりと資料へと入っていく。

婦人と老婆
ルビンの壺

金子みすゞの「大漁」という詩を読んで,詩の内容を吟味する

詩の一部を紹介して,その先に書いてある内容を予想する

「大漁」の詩の第1連第2連の一部だけ紹介して,少し解説をする。
・みんなで読んでみる…「朝焼小焼」の部分もつっかえる子がいるが,クラス全体でどうにか2行目までは読んでいける。
・大羽鰮は「おおばいわし」と読むことを教える。イワシの写真も用意していいだろう。
・「浜は祭りのようだけど」の次を予想して話し合う。

詩を最後まで紹介するが,「とむらい」は伏せておく

第2連も紹介する。まだ「とむらい」だけ伏せておく。
□の中に入る言葉を予想するのだが,子どもたちからは「葬式」「かなしみ」は出てくることがあるが「とむらい」という言葉を知っている子はいなかった。
異見を出しあっているうちに,第1連と第2連の対比に気づくことができる。
ここでは言葉を当てるというよりも第1連との対比が見えてくるだけで良い。

大漁の全部

「大漁」(NHKにほんごであそぼ)を見る

当時(2008年),NHKEテレで放映されていた「にほんごであそぼ」という番組に,この金子みすゞの詩「大漁」もやっていたので録画してあった。映像では,〈陸上〉と〈海中〉の様子が対比されて,子どもたちにも分かりやすくなっていた。DVDにでも収録されているのかは分からない。ただ,この絵像がなくても,授業はじゅうぶん成り立つ。
「とむらい」という意味の言葉を教える。言葉は知らなくても「弔」という漢字を見たことがあるという子はいる。

「複眼」という言葉を教え,いくつかの場合で考えてみる

この詩のように,「イワシが大漁である」というひとつの出来事を,人間側から見たり,イワシ側から見たりすることを,「複眼で見る」といいます。人の目は2つありますが2つの目で見るのは1つ(人間の目)です。でも,ノーミソの目で見ると,イワシの目でもで見ることができます。
などといいながら,「複眼でものを見る」と板書する。

練習してみる

右のプリントを配布し,「ゴミを捨てる」「熱帯雨林の破壊」という事象について,複眼で見る練習をする(そのときのクラスで話題に上っているような事象でよい)。
感想を書いてもらう。

子どもたちの感想(一部)

・見方によって,絵が違う絵に見えたりするのは,おもしろいと思いました。(M)
・ツボが男の人と女の人の顔に見える目がすごい。ねえちゃんがおばあちゃんになっていた。「何萬の」が読めるからすごい。(S)
・いろんなものに見える絵を書く人は,すごいなあと思いました。(T)
・生きているのは人だけじゃないので,相手のことも考えなければならない。(H)
・「ふくがんでみる」は,とてもふしぎだと思いました。じゅぎょうはとてもおもしろかったです。(T)
・「複眼ってすごいなあ」と思いました。複眼って最初,「あれ,なんか聞いたことあるな」と思っていました。(H)
・「とむらい」のことは意味がわからなかったのに,この勉強で意味がわかりました。(K)
・金子みすゞさんは,2つの視点で考えて,この詩を作ったのかなあと思いました。(F)
・あまり手を挙げられなかったけど,今日の授業はおもしろかったです。「大漁」という詩は元々知っていたけど,反対にして考えてみたら,いわしはかわいそうだなあと思いました。(M)
・片方では便利な世の中になるけど,片方では自然を破壊し地球温暖化になっていく…。(K)
・人間にしてはうれしいけれど,魚にしたらかわいそう。(Y)

学級の掲示物として

クラスでは「複眼でものを見る」ということをノーミソを使うときの<大切な視点>にしたいと思い,教室の前には,この「大漁」を大きく印刷して1年を通して掲示しておいた。

教室掲示
教室掲示のようす[写真左から,大漁の詩とだまし絵,逆さ日本地図,集合写真と「いつも笑顔で元気です」の文字]

番外編:Fくんの日記

その後,子どもたちに書いてもらっている日記に次のような内容の文章がありました。話題にしているのは「探偵小説」のことなんですが…

 ぼくは,今日,ついに第1位の発表をします。
(内容は,カギかっこ内からの引用です)
 第1位 「少年名探偵虹北恭助の冒険」より p47(講談社ノベルズ)
「(前略)じゃあ,なんのために空けたのか? そう考えたら答えが見つからなかった。で,どうして空いてしまったのかって考えを変えたんだ。すると,答えが見つかった。鋭い牙を持った者がくわえたときに,穴が空くってね。」
 これは,1つのものを1つの見方をしないで,違う視点から見ているので,「あぁ,これはいいなぁ」と思いました。道徳の石井さんみたいだなぁと思います。

学級通信に紹介した時の「担任の一言」
Fくんは,日記に「自分のお気に入りの本の表現・ベスト3」を順番に書いてきてくれていました。今回が,その第1位の紹介だったというわけです。引用されている文章には,確かに道徳で取り上げた,「複眼でものを見る」「マイナスをプラスにならないかと考える」などという見方・考え方が使われているように思います。こういう表現を授業でならったことと関連づけて考えられるって大したものです。まさに知識を活用していますね。 

応用問題(^^;)

これは複眼で見ているのでしょうか? 
それとも,ひとつの目でしょうか? 
あなたはどう思いますか? 
みんなで話し合ってみましょう。

トラック荷台の言葉

金森俊朗氏の思い

金森俊朗氏が授業で「大漁」を取り上げる思いの一端が分かる文章を見つけたので紹介する。

子どもはむろん、教師・教育にとっても強く指摘されている問題(課題)に、想像力の弱さ、傍観者的評論家的見方、当事者性の欠落、視野の狭さなどがあります。「学力向上」の志向が強くなり、人間的感性の豊かさを育む教育や自分を語る、ありのままに語る(綴る)表現の教育や自主・自治の活動の弱まりなど、あるいは教師・子どもの多忙化などの反映でしょう。
例えば、筆者は小学 3 年生の国語で、金子みすゞ・詩「わたしと小鳥とすずと」(教科書に掲載)の学習時に必ず、みすゞ・詩「大漁」を学習します。
朝やけ小やけだ / 大漁だ / 大ばいわしの / 大漁だ。
はまは祭りの / ようだけど / 海のなかでは / 何万の / いわしのとむらい / するだろう。
「複眼でものを見る力」や「見えないものを見、聞こえないものを聞く力」を育む教育をもっともっと重視したいからです。(谷川俊太郎・詩「みみをすます」や長谷川義史・絵本『ぼくがラーメンたべてるとき』などを使って、他学年でも。)

金森先生のコラム「友達からの SOS!あなたは何を伝える?」(NHKのサイトより)

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