珠洲たの通信・2011年9月号

2011年度

現在は2023年12月8日,もう12年以上も前になるサークル通信を書いています。毎月,ちゃんと出そうと思っていたのですが,現役の時には,いろいろな仕事もあり,予期せぬ出来事が重なったりして,発行が滞ってしまうこともよくあるんですよね。この頃何があったのかなんて,まったく覚えていませんが。

今月の写真

今月の資料

1 「お気軽だより・2011年9月号」 B5 4ぺ  M.S
 夏休み中に,高校3年生の甥と一緒に広島を訪問してきたそうです。8月5日と6日,広島市内の原爆関係の施設を回りました。前回の広島訪問では,入れなかった「中部軍管区司令部壕址」も見ることができて,いろいろと「歴史のもし」を考えたそうです。
話題1 悪循環と好循環
 悪循環はというのは,こういうこと。校外に向けての研究発表会があるために,校内の研究授業が増える。研究授業が増えると子どもたちの自習時間が増える(しかも授業も遅れる)。その自習時間に子どもたちは遊び出す。ちゃんと自習できなかったことを知った担任はクラスの子を叱責する。子どもたちは,なんだか楽しくない。しかし,また校内研究授業があり,その度にちゃんと自習できない子どもたちを叱ることになる…校内研究授業は,研究発表会までに一人2回。結局,10時間もの授業時間がなくなって(自習となる)です。なんですかねえ,これは。
 一方,良循環もあります。1学期続けてきた週1時間の作文の授業。そのため国語の教科書の進度が遅れぎみになったので,2学期は作文はやめて教科書通りに進めようと思っていたところ…
木曜日の帰りの会で「あ,明日作文の授業ある。やった~」という声を子どもたちがあげたため,私の計画はうれしい頓挫をしたわけです。(レポ,3ぺ)
話題2 本当のキャリア教育?
 大人になった教え子と街であったSさん,あれこれと会話をしているうちに,「先生,なんで働かにゃならんが」と質問されたそうです。大人にもなって,いまごろ先生に質問でもないだろう…とも思いますが,そこは元教え子。さて,あなたなら何と答えますか? Sさんの資料には,書かれていなかったので,わたしもちょっと考えてみることにしました。
 「日本国憲法に〈国民の三大義務〉として〈勤労の義務〉があるから」 これではちょっと冷たいですね。
 「お金を儲けるためには働くことが必要だから」 これは大切なことですが,お金があったら働かなくてもいいのかと言われると…。
 かっこいいことを言えば「自己実現のため」かな。でもみんな思っていた職業に就けるわけではないしなあ。実際,いやいや労働している人もいるだろうし。
 やはり「人はお互いに支えながら生きているから」ということになるかもしれないですね。今自分の身の回りにあるすべてのものを自分で作り出すことはできません。だれかが(働いて)作ってくれた洋服を,だれかが(働いて)運んできてくれて,だれかが(働いて)お店に売ってくれるから,わたしは洋服を着ることができます。結局,わたしたちの身の回りにあるのは,みんなだれかの労働力で成り立っているんです。そして,わたしも,誰かのためになる「労働」をすることになる。

2 「軟弱ボランティアだけど…」 B5 8ぺ  M.S
 この9月に南三陸町へ行ってボランティアをしてきたそうです。なんと,往復1600キロを一人で運転して,3.5泊(車中泊1.5日)の強行軍でした。なんという行動力。
□1日目:木工作業のお手伝い
 なにせ,強行軍で走ってきたのですから,炎天下の力仕事なんてできません。ボランティの受付をして,選んだ仕事が「木工作業のお手伝い」でした。「地元の方と話ができます」というのもその仕事を希望した理由だったのですが,やってみると,ひたすら置物の台座の木にサンドペーパーを書けるという仕事だったそうです。その「東北復興のいう小さな旗とオクトとパス(台座付)」の人形は,わたしもサークルの時に分けてもらいました。今(2023年12月)でも玄関に飾ってあります(写真上)。
□2日目:飲み物無料のカフェ「あつま~れ」の台所
 今後は外作業でも…と思って出かけたそうですが,とても蒸し暑くなりそうな日だったので,やっぱり中の仕事を選びました。場所は,日本自治医大の心療科が主催?する無料カフェ。ボランティアは,飲み物の準備をするだけで,地域の人との話し相手は理学療法士さんだったそうです。そこでの一コマ。
途中,小さな男の子がむずかったので,思わずあやしに出たら,「ボランティアさんは,子どもと接しないでください。心にどんな傷を負っているかもしれないから,間違った対応をしてしまいます。」って言われてしまいました。(レポ,3ぺ)
 これじゃあ,「被災者と話ができるのは専門家だけだ」と言っているようなもんですね。でも,まったく反論できなですね。むなしいね。
□3日目:やっと外の仕事は「片付けた場所の片付け」
 この日は半日。ようやく軟弱ボランティアの外での作業を引き受けました。やった作業内容は,重機で片付けたあとの土地から,細かいガラスや金属・瓦のかけらなどを拾って分類することです。ずっと地を這うような作業だったそうです。
 このような3日間のボランティアを通して,ボランティアに参加したからこそ思った矛盾というか,モヤモヤ感もあったようです。そういう自分の中の感情ともちゃんと付き合っているSさん。大学時代には,ボランティアサークルに入って,友だちといろいろと議論してきたといいます。そのときよりも,今のほうが,ボランティアに対して柔らかく(いろいろあっていいじゃんってことかな)考えられるようになったそうです。
 番外編に書かれていた石巻での被災者との会話。胸に迫るものがありました。このような出来事をかかえて生きていかなければならない人が,何万人もいるのかと思うと,胸が痛みます。黙祷。

3 「韓国ミニ知識」 A5 20ぺ  M.O
 今年の本校の職員旅行がなんと韓国。あいにくわたしは行かなったのですが,その韓国職員旅行用に「韓国を知るための問題集」を作り,職員に配布しました。内容は,国旗,世宗(セジョン),ハングル文字,国勢,気候,紙幣で見る有名人,記念日…などです。これを編集している間,わたしも韓国旅行へいったような気分になってたのしんでいました。 
 実は,この同じ年,わたしは神さんと二人で韓国へ行ってきました。「チャングムの誓い」に影響されて…です。こちらの旅行計画が先だったので,職員旅行はパスをしたのでした。
 この旅行については,まったくまとめていませんが,何せ,個人旅行だったので,電車に乗ったりバスに乗ったりと,刺激的な旅だったことだけは確かです。ドキドキのしっぱなしでした。
 なお,この「問題集」は,本サイトにも掲載しておきました。興味のある方はご覧下さい。

4 「予想を立てて現実を観る」 B5 20ぺ  M.O
 この資料は,夏期休業中に開催された教育研究集会環境部会に提出するためにまとめたものです。
 2011年3月11日に起きた東日本大震災,そのとき,福島原子力発電所も大変な事故を引き起こしました。わたしは,原発事故の報道を見ながら(そして別の情報もないのかネットで調べながら),自分のブログに,リアルタイムでいろいろと自分の意見を書いていました。最初,政府やTVマスコミからは「大丈夫」という情報しか出ていませんでしたが,原子力資料情報室のサイトでは,専門家の意見を紹介しながら,早期の避難を呼びかけていました。結果として,原子力資料情報室が言っていたような結果となってしまいました。この資料が20ページもあるのは,3.11からの原発事故関連のブログの記事を集めたからです。
 わたしは,3月11日のブログに,以下のようなことを書いています。

 今日は,雷鳥のラストランの日なので,「家に帰ったらテレビを付けて地方ニュースを見よう」っと思っていました。それから「イ・サン」の最終回マイナス3と2を見る…そういう予定でした。
 ところが,午後2時45分に発生した巨大地震で大津波が発生し,いったい何がどうなっているのか分からないまま夜に突入してしまいました。
 わたしは原発が心配です。
 退避命令が出たということは,炉心に何かいけないことがおきている証拠です。
 テレビでは「自分で判断しないで…」といっていますが,私なら,すぐに遠くに逃げます。
 大事に至らなければいいが…と思っています。明日の朝,どうなっているのでしょうか…。

 自分で判断しないで…ということを信じていると,とんでもないことになります。自分で判断できる人にならないといけないと思いました。この資料のタイトル「予想を立てて現実を観る」というのは,そういう意味も込めています。

 このほかにも,いろいろなおもちゃ「ぼんてん分子模型セット」「世界一無駄な機械」の紹介(O)などもありました(写真上右)。

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