「ハンセン病問題」を学ぶために

研究するなら本を読め

 この1月から,とりつかれたようにハンセン病の本を読みまくっています(2008年のこと)。
 ハンセン病については,何も知らなかったわけではありません。というか,もともと社会問題に興味がある方なので,けっこう知っていました。では,なぜ突然。
 それは,まず,郡学教研での講演会があります。どっかの先生が来てハンセン病の話をしていきました。そこでは,私の知らなかったハンセン病の話題もありました。たとえば,『小島の春』という映画やその原作のこと。また,療養所に出向いて学んでいる学生達の姿を見て,「これはちょっと勉強しないといけないかも」と思っていました。
 そこで,まず手に入れた本が,証言集です。これが11月末。
 ちなみに「らい予防法」が廃止されたのが1996年。
 熊本地裁で原告が勝訴し,国が控訴を断念し,責任を認めたのが2001年です。

●村上絢子著『証言・ハンセン病 もう,うつむかない』(筑摩書房,2004,300p,1600円)
 まずは,ハンセン病の大まかな流れをつかむために,証言集を読みました。歴史を少しずつたどっていってもよいのですが,それでは中身が分かりません。年表を横に見ながら読んでいきました。この本,アマゾンで36円。ほとんど新品でした。証言集なら何でもよかったので…。
 第1部「らい予防法とハンセン病国賠裁判」に,らい病の歴史と裁判に至る過程がかかれているので,ハンセン病についての知識がないと自負する人は,この本から読んでもらっても構いません。
 こういうまとまった証言を読むのは初めてでしたので,衝撃だらけ…というか,こんな人生を歩ませてしまった国というのは何なのかと憤りだけがわき起こりました。
 石川県出身の浅井あいさんを始めとして,24名の方の証言が載せられています。
 何があったのかをまず知る必要があります。
 その後,6年社会科の教科書を見ると,憲法の導入部分に「ハンセン病国賠訴訟」のことが載っているではありませんか。これは知らなかった(今まで知らないことがおかしいけど,ま,教科書はあまり見ないので…)。ハンセン病の歴史は,国のまちがいが続いた歴史でもあります。国でもまちがいを起こすことがあることの例としてハンセン病が取り上げられているのです。

●熊本日日新聞社編『検証 ハンセン病史』(河出書房新社,2004,338p,2000円)
 次に手に入れたのが,ハンセン病の歴史の本。
 ハンセン病国賠裁判を起こしたのは,熊本地裁が最初です。本書は,その熊本の地元の新聞社が,その裁判の前後に連載した記事を3章に分けて採録したものです。
 こういうときの新聞の連載というのは,歴史的な事実をしっかり調べて読者に教えることと,各方面からインタビューをとり,それをまとめることとを同時にやってくれ,縦と横からひとつのできごとを見つめるような特集を組むものです。だから,おそらくまとまったものを読むと分かりやすいだろうなあと判断。購入したのです。アマゾンで1200円。
 本書の内容は予想どおりでした。縦軸に歴史があり,横軸には熊本県にある国立療養所菊池恵楓園を中心に,いろいろな人間模様・社会的な事件が取り上げられています。
 ここでは,初めて「黒髪校事件」という差別事件やそれを題材にした『あつい壁』という映画があることを知りました。
 この連載記事は,「平成15年度日本新聞協会賞,日本ジャーナリスト会議賞」を受賞したそうです。

●武田徹著『「隔離」という病い―近代日本の医療空間』(中公文庫,2005,277p,850円)
 アマゾンで60円で購入。それにしても安い。
 本書は1997年7月に講談社選書として刊行されたものの文庫版です。だから,発行された当時,「らい予防法」はすでに廃止されていますが,国はまだ過ちを認めていません。そういう微妙な時期に書かれています。
 著者の武田氏には,満州国に関する著書もあります。この著者にとって,二つはつながっているのです。
 本書は,単なる告発本・同情本ではありません。
 「序章」で著者は次のように言います。
まず僕は感染力が弱いのに強制収容され,治療法があるのに終身隔離されたひとが「かわいそうだ」という論理を採用したくない。その論理の裏側には感染力が強く,治療法がない病気の患者は強制収容,終身隔離されてもしかたないという論理が貼りついているからだ。ひとを隔離施設に収容するにいたる条件は,感染力の多寡,治療法の有無といった尺度だけでつきるものではなく,もっと慎重な議論が必要なはずだ。(9p)
そして,本書では,以下のように論理を展開していきます。
第1章ではこのハンセン病を巡って近代日本がどのような対応をしたのかをたどる。
第2章では隔離政策を支えてきた価値観の枠組みの分析,
第3章以降では隔離という方法をいかに人権思想と共存させるかを考察する。(18p)

 著者自らがこう述べているように,本書は,日本社会が生み出した隔離政策が,今でも形を変えて日本の社会に現れるかも知れないーその病巣とは何かを探っていきます。
 また神谷美恵子の「生きがい論」と梅棹忠夫のそれとを比較しながら,神谷の捉え方の危険性についてこう述べています。
□(元)病者は自分の人生を意味あるものとするために様々な活動を行っていると目的論的な構図の中では解釈される。しかし,そうした構図が孕んでいる暴力性について考えておくべきなのだ。(186p)
□病者のいなくなった日本を理想のユートピアとみなす視点がまずあり,療養所の開設と運営はそうしたユートピアを実現する手段として位置づけられている。しかし同時にまた療養所そのものもユートピアとみなされてもいる。たとえば病者が集まって相思相愛で生きる空間だとして-。この二重性においても光田たちは療養所に患者を送り込むことに一切の躊躇をなくす。隔離は「良きこと」なのだ。(186p)
 ハンセン病隔離政策が示した日本社会の膿を,もう一度しっかり見つめてみなくてはなるまい。いつかまた再読するべき本です。内容は,濃い!

●全国ハンセン病療養所入所者協議会編『復権への日月―ハンセン病患者の闘いの記録』 (光陽出版社,2001,409p,3000円)
 珠洲の図書館にあったハンセン病関連本の内,最近の本を2冊借りました(2冊しかない[2001年現在])。
 まず1冊目。本書の解説は「アマゾン」から引用しましょう。
全国ハンセン病療養所入所者協議会全国ハンセン病療養所入所者協議会による「らい予防法」廃止に向けての闘い、隔離からの解放、隔離政策に対する国賠訴訟への支持など、運動と闘いの記録をまとめる。日本社会の人権問題を考える具体的なテキストともなる一冊。
 付録の年表は,1977年から2001年まで。当事者たちが語る闘いの記録です。まあ珠洲原発反対運動の歴史をまとめた『反連協の歴史』みたいなものですね。
 編者の協議会は,時代によって次のようにその団体名を変更しています。
 1951年(昭和26年)全国癩療養所患者協議会(全癩患協)
 1952年(昭和27年)全国国立療養所ハンゼン氏病患者協議会(全患協)
 1983年(昭和58年)全国ハンセン病患者協議会(全患協)

●徳永進著『隔離』(岩波現代文庫,2001,306p,1000円)
 副題「故郷を追われたハンセン病者たち」。
 本書のカバー裏の言葉を紹介しましょう。
故郷の人々、最も親しい家族にも拒絶されるという悲しみを背負い、病苦と闘うハンセン病者たち。医学生の頃から彼らに深い共感を抱き続けた著者が、長島愛生園など五カ所の療養所を訪ね、同郷の元患者一人ひとりの話を聞く。「故郷が同じならなつかしい…」と半世紀の沈黙を破り語られた、「終生強制隔離」の隠された真実。
 本書が初めて出版されたのが1982年のこと。だから,まだ「らい予防法」は廃止されていないし,もちろん国賠訴訟も始まっていない。その後,1991年に岩波同時代ライブラリーの1冊として装いを新たに刊行され,今回で3度目の衣装替えである(その後さらに増補されている)。
 国家戦略としての無らい運動。故郷と隔離され,家族と隔離され,今までの自分の人生と隔離された生活。ここで著者に自分の人生を語るハンセン病者たちは,すでに,あきらめの中におり,ときにはおもしろおかしくも話してくれる。
 嘘ではないのかと思うことを,彼らは語った。どれも事実だった。怖いほどの事実だった。極端な悲しさに慣れてしまって,らい者の感情はすでに風化し,鈍麻してきたといわれる。そして収容から半世紀も経って,今や彼らは多くのことを忘れてしまっているのかもしれない。しかし,感情の鈍麻のために,たとえ形容を欠落させていたとしても,彼らが語った事実そのものが,常識を越えていた。常識を越えたむごさであったし,常識を越えた悲しさであった。
それを彼らは,ときには笑いながら話した。(「聞き書きを終えて」,285p)

 人が,ある環境で生きていくためには,その環境の中にいることのあきらめや同化が必要なのでしょう。だって,いつもいつも悲しみにくれているのでは,生きていけないから。
 だから,入所者の「鈍麻した」感覚そのものが,ハンセン病者のむごたらしい一生をより鮮明に浮かび上がらせます。
 「終生強制隔離」という,信じられない状態。その中で訥々と語られた「事実」の重さ。国賠訴訟が勝訴に終わり「隔離」が忘れ去られようとしている今,もう一度,国家が犯した過ちを見つめ直していきたいと思います。
 長島愛生園で,開園の昭和5年から昭和28年頃まで式典があるたびにハンセン病者たちに歌われていた歌があります。
一 天つおおみはは 恵の御手に
  わが黎明の 鐘なりわたる
  あけ行く瀬戸の 緑の島は
  これぞわれらが 愛生の園
二 おそれまいどし 昨日は夢か
  今日はかがやく 自由の園に
  なやみよろこび ともにわかちつ
  我らが営む 一大家族
三 感謝の涙 あふふる今ぞ
  やみにくるしむ はらからよぼう
  あめよりひびく 恵の鐘に
  あわせ歌わん 愛生の歌
 園に収容されたことを恵みと思い,天に感謝し,さらに,まだ収容されていない「患者」を園に呼ぼうと歌っているのだ。こんな悲しいことが,実際にあったのです。

上記の本は、2019年発行の増補版です。わたしは、まだ読んでいません。

●梅野正信他著『実践ハンセン病の授業』(エイデル出版,2002、173p,2000円)
 いよいよ授業プランづくりに取りかかろうと,その方面の本を探していたところ,ちゃんと先行実践がありました。
 本書は,副題に「判決文を徹底活用」とあるように,熊本地裁判決そのものを教材として活用していこうという趣旨のもとで行われた,小学4年から高校までの実践記録をまとめたものです。といっても,授業記録がそんなにくわしく出ているわけではありませんし,教材としては,抜粋した判決文以外には,当時新聞記事や使用したビデオの紹介もなくて,どうも物足りない。
 本書を見た人が同じようにやってみようと思っても,ハンセン病のニュース映像ビデオもないし,新聞記事もないのでは,どうにもなりません。どうすれば手にはいるのかということさえ載っていませんでした。これでは授業実践報告になりませんね。
 私にとっては,第2部の授業編よりも,第1部の理論編の方がよかったです。この歴史的に確定された判決文で授業をするという発想がかっこよくて,なんか「本格的に法律の勉強をしている」という気になります。時間があれば,総合学習で組んでみてもいいなと思いました。この本はアマゾンで1000円でした。

●桜井哲夫著『詩集 タイの蝶々』(土曜美術社出版,2000,86p,2000円)
 その桜井さんの詩集。番組の中でも,彼の詩がいくつか紹介されていました。

 おじぎ草    桜井哲夫

 夏空を震わせて
 白樺に鳴く蝉に
 おじぎ草がおじぎする
 
 包帯を巻いた指で
 おじぎ草に触れると
 おじぎ草がおじぎする
 
 指を奪った「らい」に
 指のない手を合わせ
 おじぎ草のように
 おじぎした。

 本書もアマゾンで購入。484円で手に入れました。なんといまは3700円になっている。アマゾンでも新品がないということか?
 深い悲しみから生まれているはずの詩なのに,その詩の中に生きる勇気と希望を強く感じるのはなんなのでしょうか。

金正美著『しがまっこ溶けた』(NHK出版,2002,277p,1600円)
 行動の不自由な元ハンセン病患者であり詩人である桜井哲夫さんに魅せられた一人の在日3世(韓国籍)の女性キム・チョンミ。彼女が,ハンセン病と出会い,桜井さんと出会い,その桜井さんとの交流の中で自分の出生についても思いを綴った本です。
 この二人の関係は本当に変です。こんな付き合いが世の中にあることが不思議でもあり,もしかしたらそれが必然でもあるのかも。
 国立療養所・栗生楽泉園で桜井さんと初めてあった時,帰り際,桜井さんがキムさんを呼び止めます。
「あんた,金(キム)って言ったよね。日本人じゃないんでしょう? あんた朝鮮人でしょう? あんたはこれから日本の社会で生きていくのに大変だろうね。社会で生きるには俺よりあんたの方が大変だよ。俺は社会から差別を受けているけど,この中で生きている限りにおいては,直接冷たい風に当たらないで済むの。でも,あんたはこれから,いろんな問題や壁が,直接あんた自身に降りかかってくるんだから。俺はそのとき,何もしてやることはできないんだけど,つらくなったらいつでも遊びにおいでね」(49p)
 こう励まされた金さんは,「私はいったい何をしているんだろう。もっとしっかりと生きなくちゃ」と思ったと言います。それ以来の付き合いというわけです。
 桜井さんの所に通い,挙げ句の果てに「ハラボジ(祖父)」の約束をし,韓国へいっしょに行き…とNHKに取り上げられた故郷帰りまでにもたくさんの出来事があったようです。NHKの人間ドキュメント(本書では第4章の部分です)と併せて読んでもらえると,よく分かると思います。
 これもアマゾンで400円で購入。もう古本三昧ですなあ。

■NHK制作『にんげんドキュメント・津軽・故郷の光の中へ』(2002.2.14放映,約45分)
 そういえば,この年末,Mさんに見せてもらった「画集」に元ハンセン病詩人の桜井哲夫さんがいたっけ…とおぼろげながら思い出して,Mさんに電話したところ,その絵は単なるチラシに出ていただけでした。ただ,Mさんが学校で話をしてくれたのか,桜井さんに関わる映像を持っているという職員(教頭先生です)がいて,その先生からビデオを貸してもらいました。
 その内容が,これまた心を打つものでした。元ハンセン病者の桜井さんがいい味を出しているのはもちろんなのですが,彼に付き添っている金(きむ)という女性がなんともいい人なのです。これについては,後ほど紹介します。
「このビデオを子ども達に見せるだけでも授業ができる」
と思いました。いいものを教えてもらいました。持つべきものは研究仲間です。Mさんは,ついでに,桜井さんを題材にした画のプリントしたものも見つけてきてくれました。ありがたいありがたい。

小説・映画など

●ドリアン助川著『あん』
 ある中年男がお店を任されているどら焼店に,指の関節の曲がった老婆がやってくる。その老婆が作るあんは,とてもおいしくて,お店は繁盛し始める…が…その老婆は,かつてある病気を患っていたことが,うわさとして流れ…。
 以下はネタバレです。
 本書は,元ハンセン病患者を扱っていて,それだけで興味深いのだが,この小説の舞台は,患者が隔離されていた昔ではなく,現代である。らい予防法が廃止されてて久しいのだが,世の中の目は,けっして元ハンセン業患者にはやさしくはない。そんな中で,生きる喜びを見いだしていった老婆の姿に,中年男は,勇気づけられるのだった。そして老婆もまた,前歴者である中年男と関わったことで,生きる喜びを見いだしていく。
 脇役の中学生の女の子も,いい味出している。
 読後にはさわやかな風が…とまではいかない。なにせ扱っているテーマが重いから。それでも,人間,みんな生きていていいんだよって気持ちになることはまちがいない。

■河瀬直美監督『あん』
 原作を読んでいたけど,邪魔にはなりませんでした。
 元ハンセン病患者,前科者,居場所のない女子中学生,そして鳥かごの中のカナリア。これらが,互いに絡み合って,自由であることの大切さを,じっくり伝えてくれます。そして,その自由とは,自分の夢に向かうことのできる状態でなんだと分かります。夢は叶わなくてもいい,その夢に向かうことができるかどうかが大切なんです。
ハンセン病については,国策による隔離政策というとんでもない歴史があり,その時に培われた差別感が根強く残っています。
そんなテーマを取りあげた監督はさすがです。そして,なんといっても樹木希林の演技は,すごいです。
 何度でも見たくなる映画は,久しぶりです。

■『小島の春』(VHS)
 なんと,1940年キネマ旬報日本映画第1位の作品です。監督は,『夫婦善哉』『恍惚の人』などの作品で有名な豊田四郎氏。小川正子の同名手記を映画化した作品です。その原作は,下記の通り。

 かつては、らい菌に侵された多くの人々が、治療を受けることなく放置されていた。遺伝病と信じられていたゆえ、患者たちは家族によって隠され、あるいは追放されて浮浪を強いられた。そんな中、長島愛生園の女医であった著者はみずからの足で各地を回り、ハンセン病は伝染病であり感染のおそれがあると説いては収容を推進した。本書はそんな隔離政策黎明期の貴重な記録であり、後に映画化されて評判を呼んだ。療養所の関係者がいかにひたむきな「善意」をもって事に当たったかを知るには貴重な一冊だ。(こちらは,本の紹介です。Global Campaign for Leprosy Eliminationより引用。下線は引用者)

youtubeで映画を見ることができます。これって,著作権は大丈夫なのでしょうか? 一応リンクしておきますが,だめなのなら,すぐに消去します。

■野村芳太郎監督『砂の器』
 4度目かな。これを見るのは。
 1度目は,テレビか映画館で。2度目は,組合の映画祭で,3度目は,このビデオで。そして,今回が4回目。
 以下からは,ネタバレです。
 らい病が伝染病だと間違って認識されていたころの話から始まるのですが,でも,それは,この映画の最後の最後まで,ふせられています。「自分の息子が見つかったよ」と元巡査に言われた父の嗚咽は,見るものを引きつけて放しません。ここになるといつも,何とも言えない理不尽な気持ちになります。
 この映画の後,何度か,「砂の器」が映画化されたようですが,いずれも,ハンセン病という扱いではないようです。

■中山節夫監督『あつい壁』
 本作品は,昭和28年に熊本で起きた「黒髪小学校事件」を骨子にしています。実際にあったことです。「一市民一家の悲劇を通して、ハンセン病への偏見と差別を告発した作品」(映画.com)です。わたしは,このサイトの記事を通して知り合った上越教育大学の先生に教えてもらって見ました。
 あらすじの最初だけ「映画.com」から転載。
昭和二十八年の夏。岡本初江が勤めている熊本のある小学校。彼女の担任の五年生に太田信次という陽気で、快活な少年がいたが、彼の父親がある日意外にもハンセン病の診断をくだされ、ライ療養所「恵楓園」に収容されたために、信次の家庭は音をたてて、崩壊しはじめた。やがて、兄の信夫は、町のパン工場で働きながら、夜は定時制高校に、通うことになり、弟の信次は吉田寮の分教場で、老教師上条先生らと共にみじめな環境にもめげず、活路を見出して行く。やがて年が明け、その分教場の三人の新しい一年生が本校の西町小学校に入学できるようになったことから、PTAでは、これらハンセン病患者の子“未感染児童”の入学問題をめぐって、賛成派と反対派に真ッ二つに…

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