靖国神社関連図書・ビデオ

研究は読書から

 2005年夏,戦後60周年ということなのか,あるいは,小泉首相の行動や憲法「改正」の動きがあるからなのか,はたまた「新しい歴史教科書」の問題が大きいからなのか知りませんが,テレビ番組や出版物で,戦争の話がずいぶんと取り上げられていました。
 そんな中で,8月末のサマー・セミナーで「靖国神社」の講座を受け持つことにした私は,本屋やインターネットで「靖国神社」や「靖国神社問題」に関する本を集めて読んでみました。
右の本は,講座のテキストに使った仮説実験授業のミニ授業書≪靖国神社≫です。

ミニ授業書『靖国神社-そこに祀られている人びと』(仮説社)


山中恒著『すっきりわかる靖国神社問題』(小学館,2003年,287ぺ,1470円)

 作者の山中恒さんについては,少国民シリーズでご存じの方もおいでるでしょう。映画『転校生』の原作者でもあります。
 アマゾンのCMに『日本の近・現代史の中で靖国神社がはたした役割とは? 国論を二分する「靖国神社」問題を少国民研究の山中恒が目からウロコの大解明』とありました。
 著者は,「あとがき」で「少国民体験に関する講演をする中で「靖国神社問題」についての質問を受けることが多くなり,いっそ自分で解説書を書いてみようとまとめたのだ」と書いています。
 山中氏は19問の質問に答える形で「靖国神社問題」について解説をしています。

靖国神社はなぜ戦災死者を祀らないのですか?/靖国神社はいつ頃できたのですか?/靖国神社の神と八百万の神はどう違うのですか?/過激な国家神道とは?/復古神道と靖国神社の関係は?/教派神道と国家神道の違いは?/靖国神社は宗教ですか?/靖国神社は軍事施設ですか?/靖国神社と徴兵制度の関係は?/なぜ西郷隆盛は靖国神社に祀られないのですか?/韓国と靖国神社の関係は?/日清戦争と靖国神社の関係は?/日清戦争で靖国の神は変わりましたか?/靖国神社の例大祭とはどういうことですか?/なぜA級戦犯が靖国神社に合祀されたのですか?/中国と靖国神社の関係は?/靖国神社の祭神はなぜ増えたのですか?/戦後の靖国神社と公式参拝問題の関係は?/なぜ靖国神社に祀り続けたのか?

 歴史が苦手な人にも分かるようにその背景から書かれていますし,ふりがなも多いので大変読みやすくなっています。

田中伸尚著『靖国の戦後史』(岩波新書,2002年,256ぺ,819円)

 カバー内側のPR文…「GHQの神道指令から小泉参拝にいたる半世紀,国家の靖国関与や了承なき合祀の動きが様々にくり返されるなかで,それに異議の声をあげ,裁判や言論の場で闘ってきた人びとがいた。数々の事件を取材しながら,戦後日本が政教分離や戦争責任の問題にどう向き合ったのかを振り返り,国家が死者を追悼することの意味を問う。」
 本書は戦後を「甦った靖国神社 1945年~1951年」「靖国問題のはじまり 1952年~1958年」「政治化された死者の記憶 1959年~1968年」「克服されざる過去の中で 1969年~1974年」…など,7期に分けて,靖国問題の現れ方を解説しています。そこには,「国家護持運動」や「公式参拝」,そして「違憲訴訟」などを通して,国家と宗教との関わりにこだわりながら論を進める著者の姿が浮かんできます。
 著者は「あとがき」で次のように述べています。
▼私は「靖国問題」を考えるに際して,靖国か国立かではない,もっと違った未来を想像できる視座を持って欲しいと思う。そのためには,国家が戦死者を抱え込むことを当然としてきた「常識(ふつうのナショナリズム)」に,それで良いのだろうか?と立ち止まる選択肢を是非用意したい。個人の生命を粗末にし,生き方に介入してきたこれまでの国家のあり方への問いである。
 第1章でいきなり「敗戦直後,石橋湛山が靖国神社廃止論を繰り広げた」と教えられてビックリしました。

大江志乃夫著『靖国神社』(岩波新書,1984年,202ぺ,430円[当時])

 カバー内側のPR…「かつて靖国神社は,国民を「天皇の軍隊」に結びつけるきづなの役割を果たしてきた。今日では一宗教法人となっているが,近年,現職首相の参拝が慣行化し,また国家護持を求める動きも執拗にくり返されている。本書は,靖国信仰がどのようにつくられ,戦争への国民動員にいかに利用されたかをたどって,今日の靖国問題の意味を明らかにする。」
 もう20年前の本ですが,久しぶりに本棚から取り出して読んでみました。明治維新がなぜ天皇を必要としたのか,そのご天皇制が国家神道となり,靖国神社は,その国家神道=天皇制と軍国主義を結びつけるはたらきをしてきたことがよく分かります。主に明治から戦前までの靖国についてくわしく知りたい人にお薦めです。
 目次をあげておきます。
1 なぜいま靖国問題か 
  靖国神社の祭神たち/敗戦後の政教分離/敗戦前の「祭政一致」
2 天子・大元帥・天皇
  近代天皇制を生み出したもの/国家神道の成立/政治制度としての国家神道
3 靖国神社信仰
  特異な性格の靖国神社/人霊から神霊へ/教育と軍事における靖国
4 村の靖国・忠魂碑
  靖国神社・護国神社・忠魂碑/忠魂碑と招魂祭

高橋哲也著『靖国問題』(ちくま新書,2005年,238ぺ,756円)

 今年の夏のベストセラーの仲間入りをしている新書です。哲学者である著者が,論点を整理して,靖国問題とはどんな問題なのかを掘り下げて解説してくれています。本書の章立ては以下のようになっています。
 第1章 感情の問題-追悼と顕彰のあいだ
 第2章 歴史認識の問題-戦争責任の向こうへ
 第3章 宗教の問題-神社非宗教の陥穽
 第4章 文化の問題-死者と生者のポリティスク
 第5章 国立追悼施設の問題-問われるべきは何か
 カバー裏のPR文を引用しておきます。
21世紀の今もなお,「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については,いまも多くの意見が対立し,その議論は,多くの激しい「思い」を引き起こす。だが,その「思い」に共感するだけでは,あるいは「政治的決着」を図るだけでは,何の解決にもならないだろう。本書では,靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら,それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし,犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。
 例えば,第3章「宗教の問題」では,こんな風な文章が書かれています。
天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり,遺族の意志にかかわりなく行われたのである」という池田権宮司の発言によくよく注意しなければならない。もしそうであるとするなら,無視されているのは合祀絶止を求める遺族の意志・感情だけではない。戦死した家族の合祀を求める遺族の意志・感情も,いわばたまたま「天皇の意志」に合致しているにすぎないのである。本質的には,無視されていることに変わりはないのだ。(102ぺ)
 靖国に合祀されることに反対する人の気持ちを無視するだけでなく,実は,合祀賛成派さえも無視しているのが靖国の姿なのです。この「遺族の意見を無視する」という点に置いて,靖国に手を合わせる遺族も,裁判に訴える遺族も,本質的に同じ立場に立たされていることに気づくでしょう。
 最近,与党や政府内でも話が出ている「国立追悼施設」については,その本質を見事に暴いています。本文の最後の部分を紹介します。
「平和の礎」のような施設についてさえ,決定的なことは施設そのものではなく施設を利用する政治であることにほかならない。戦争遂行の主体にはなりえない非国家的集団の追悼施設であっても,国家の政治(ナショナル・ポリティクス)に取り込まれ,「靖国化」することがつねにありうることを忘れてはならないのである。(226ぺ)
 そして著者は,戦後間もない頃の石橋湛山の意見を紹介しながら,非武装中立こそが「第2の靖国」を作らない国家になるための条件であることを示してくれています。
 社民党・共産党も力がなくなり,「非武装中立なんて不可能だ,もうこんな言葉は,絵空事だろう」と思っていたところに,堂々と非武装中立を掲げる本が出て,しかも20万部以上も売れている(小林よしのり著『靖国論』,11ペ,後掲)ということは,この日本もまだまだ捨てたものではないと思います。

稲垣久和著『靖国神社「解放」論』(光文社,2006,297ぺ,1000円)

 著者は東京基督教大学教授(宗教哲学専攻)です。小泉首相の靖国参拝を批判しながら,「追悼のあるべき姿」として,「公共哲学」というものを提案しています。ここでいう「公共」というのは,「国家・国」とは別のものです。「私」と「国」との間にあるものを「公共」としてとらえらえています。また,他国民同士のつながりも「公共」といっているようです。要するに市民同士のつながりとでも言いましょうか。
 戦争による「死」を悼む気持ちは大変自然なものであり,それはそれで否定できないものでしょう。しかし,その気持ちを「国」が代表してまとめることの危険さは,歴史が証明しているのです。
▼これらの人々と戦争の記憶を共有して,戦争の犠牲になった人々を覚えて追悼の場を設け,将来の不戦を願うことは,新たな友愛を育んでいくきっかけになるという意味でも,たいそう大事なことではないでしょうか。すなわち,異質な他者と,スピリチュアルな次元で記憶を共有する「公共圏」の発想が必要とされる,ということです。[注:スピリチュアル=根源的な霊性](180ぺ)
 著者は「靖国神社反対派は,戦争の記憶をどう残すのかということに応えていない」といいます。

小林よしのり著『新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論』(幻冬舎,2005年,204ぺ,1260円)

 小林よしのり氏の本を買ったのは,数年ぶり。純粋まっすぐ君を批判していた小林が,いつの間にか,ナショナリズムに対して純粋まっすぐ君になってしまっている,その姿が,本書でも示されています。書き下ろしの漫画・文章は少なくて,殆どが今まで雑誌や単行本ですでに紹介されたものらしいです。もっとも私はすべて初見でしたが…。
 小泉純一郎の態度さえも中途半端だと切り捨てています。高橋氏の本にしても次のような批判を繰り広げています。
『靖国問題』(高橋哲哉著・ちくま新書)などは,侵略戦争どころか,自衛戦争の戦死者を追悼することにまで異を唱え,真の追悼施設を造るには,新たな戦争を絶対起こさない国を作る方が先だと言い出す。とどのつまりが「戦争に備える軍事力を実質的に破棄すること」と,非武装の丸はだか国家を作ろうなんて,今どき社民党でも大っぴらには言えないような極左のカルト的主張を力説してしまうのだ。(12ぺ)
 そしてごーまんをかまします。
 「本書をしっかりと読み,最低限の知識を持って靖国問題を論じよ!」
と。傲慢とは「高ぶって人をあなどり見くだす態度であること」(岩波国語辞典)。自分からそういっているので,批判はしにくいのですが,本書を読んでみても「靖国問題の最低限の知識」だとは思いませんでした。
 靖国神社発行の「英霊の遺書」や靖国神社の歴史観をもとに展開された本書が,これまた,たくさん売れるというのも,今の日本の一つの姿でもあるのです。
 ネット上で本のレビューを見てみると,とても多くの意見が寄せられています。それだけ,ネットを利用する層と本書を購入する層が,似ているのだと思います。

坪内祐三著『靖国』(新潮社,1999年,294ペ,1785円)

 靖国神社について書かれているのですが,靖国神社の政治的・宗教的意味というよりも,「靖国」という空間を庶民がどう活用してきたのか,どう見てきたのかという視点で書かれた本です。
 アマゾンにも『それはかつては,「文明開化」の東京に出現した,超モダンでハイカラな空間だった―。興味深いエピソードを積み重ねつつ,いつの間にかそこに付加された「曖昧な象徴性」を痛快かつクールに解体し,明治から平成に至るそれぞれの時代の東京の雰囲気を鮮やかに伝える,待望の書下ろし。』と紹介されています。
 そんな本書の内容は次のようになっています。
プロローグ 招魂斎庭が駐車場に変わる時
第1章 「英霊」たちを祀る空間
第2章 大村益次郎はなぜその場所を選んだのか
第3章 嘉仁親王は靖国神社がお好き
第4章 招魂社から靖国神社へ,そして大鳥居
第5章 河竹黙阿弥『島鵆月白浪』の「招魂社鳥居前の場」
靖国(文庫本)第6章 遊就館と勧工場
第7章 日露戦争という巨大な見世物
第8章 九段坂を上る二人の男
第9章 軍人会館と野々宮アパート
第10章 力道山の奉納プロレス
第11章 柳田国男の文化講座と靖国神社アミューズメントパーク化計画
エピローグ 「SUKIYAKI」と「YASUKUNI」
 小さい頃,お寺の縁の下に入ってかくれんぼをしたり,お宮へ行って遊んだりしたことがあります。そこには,信仰などというものとはほど遠いものがありますが,それでいて(それだからこそ)お寺や神社が大変身近に感じられていました。本書は,そういう靖国もあるよということを教えてくれます。
 だから,靖国神社の奉納相撲のトリに小錦が出たからといって,靖国神社を「アメリカ人も認めているのだ」となるわけではないのです。
 本書は,今では文庫本にもなっています。新潮文庫です。

靖国神社・やすくにの祈り編集委員会編『やすくにの祈り―目で見る明治・大正・昭和・平成』(産経新聞社,平成11年,270ぺ,4800円)

 靖国神社創立130周年を記念して作成した写真集。出版社はあの産経新聞社。
 今まで靖国神社が発行してきたたくさんの資料と記録写真をもとに,靖国神社と日本の近現代のあゆみを語っています。
 アマゾンのレビューに<青ち>という人が「靖国神社に惹かれる人々,そこに集う人々が,何を考え,どこに思い入れを抱くか。この本は余すところなく伝えている。靖国に関心を持っている人ならば,手許に置いておいて損はない。値段は高いがコストパフォーマンスも高い本である」と書いていましたが,私もその通りだと思います。
 靖国神社の「思想」が詰まった本です。ちなみに巻頭言は今は亡き保守派の論客江藤淳氏です。写真を見るほどに,天皇家とつながっている靖国の姿が見えてきます。地名や人名でさえもふりがながないので,ちょっと読みにくいですが…。

所功編著『ようこそ靖国神社へ』(近代出版社,2000年127ぺ,1575円)

 靖国神社のガイドブックです。
 PRにも「初の公式ガイドブック誕生!」とあります。「境内の歩き方から,年間行事と四季のお祭り,歴史的背景,神社周辺の散歩スポット,靖国神社おもしろ事典まで,靖国神社のすべてを紹介する。ホテル・粋な老舗・交通などの情報も掲載。(アマゾンの紹介文より)」とあるとおり,このガイドブックをもってあるくと,最寄りの駅から,靖国神社へ行き,「遊就館」という展示館のことまで,おおよそのことはわかります。
 私は,靖国神社に行ったことはありませんが,もし行くことがあったら,この本を持って行こうと思います(その後,しっかりと見学してきました)。
 本書には,文学や音楽に現れた靖国神社のことも出ていてます。私は音楽にも興味があるので,本当のモノを聞きたいと思っていたところ,サークル仲間のSさんが,『靖国神社の歌』というCDを持っていたのでそれを借りて聞くことが出来ました。このCDは,靖国神社社務所制作で,靖国神社の行事等に演奏される曲だけでなく,戦中・後の歌謡曲も収録されています。
 特に,昭和15年に発行された中村メイ子さん初のレコード「メイ子チャンと社頭の対面」は,かわいい声のメイ子ちゃんが,靖国神社へ参拝し,「社頭の対面」を知るという設定で作成された児童劇で,なんとも言えない当時を語っています。児童劇の作者は父・中村政常だそうです。

大原康男著『靖国神社遊就館の世界―近代日本の歴史探訪ガイド』(産経新聞社,2003年,127ぺ,1500円)

 靖国神社の第2鳥居を過ぎて神門をくぐったところを右方向にまがると,「遊就館」という軍事博物館があります。零戦や人間魚雷など,信じられないモノが飾ってあるようです。「英霊」たちの遺書も多数紹介されています。本書は,その遊就館の解説本です。遊就館の売店でも扱っているというのですから,ま,そういう本です。
 出版社からの紹介文。
「現在の私たちの生活は先人達の築いた礎のうえにある靖国神社遊就館が新装オープンして一年が経とうとしています。近代日本の礎となられた英霊の遺品や祖国や家族への思い,遺族の思いなどが,訪れた者を感動させずにはおきません。本書は,初めて訪れる若い人にはもちろん,何度も足を運んだ人にも,靖国神社と遊就館の全体像が的確に把握できる内容となっています。
遊就館との出会い/時代のヒーローたちに出会う/遊就館完全ガイド/遊就館館内の全体図/展示室への招待/靖国神社を訪ねる/靖国神社全体MAP/靖国神社と遊就館のデータ
 こういう博物館を見て,若い子たちが反町のように「妻子を守る為には戦場へ行く」というようになるのかと思うと,ちょっと怖くなります。

靖国神社編『遊就館・図録』(靖国神社,2003年,112ぺ,2000円)

 靖国神社遊就館の図録です。これは一般には販売されていません(今では,Amazonの古本から手に入ります)。遊就館で販売しています。私は,前掲のCDと一緒にSさんから貸りて読みました。
 全ページカラーで,見やすいです。各戦争の流れも書いてあります。が,そこは靖国史観。たとえば,タイトルからして「大東亜戦争 避けられぬ戦い」となっていますのでね。

英霊にこたえる会企画制作『君にめぐりあいたい』(53分,非売品[オク1980円])

 その遊就館に上映されている(されていた?)ビデオです。非売品だそうですが,私はオークションで手に入れました。出品者の方がどうして手に入れたのかわかりませんが,遊就館の売店には売っていないようです(HPで見る限りは)。
 英霊にこたえる会のHPのPR文を紹介します。
「今,時代に語りかける戦没者英霊今,その真実をあなたに伝えたい。戦後,誤った風潮による大東亜戦争批判が日本人の心の中に埋め込まれ,戦争を知らない若い世代にまで浸透し,祖国に汚名が着せられたままです。本作品によって英霊を想い,その真実の姿を若い世代に伝えたい。」
 まあ,すごい内容でした。同じ出来事をどう解釈するかで,その歴史から何を学ぶのかがちがってきてしまいます。やはり,解釈ではない歴史学が必要だと思いました
 その他,以下のように,ちょっとマニアックな本もあります。いずれもネットの古本屋(やオークション)で手に入れたものです。

政治経済研究会編『靖国-慰霊と鎮魂』(1996年,404ペ,38000円)

靖国顕彰会編『靖国神社百年祭記念出版・靖国』(昭和41年,248ぺ,古本2000円)

靖国神社編『靖国神社臨時大祭記念写真帳』(昭和17年,約280ペ,古本1700円) 

ここからはAmazonに飛べません。古本屋かオークションなどで探してみてください。

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