今月の本棚・2006年版

旧・今月の本棚

12月号

○真山青果著『元禄忠臣蔵(上・下)』(岩波文庫,1982,各巻370ペ,約800円)
 テレビ映画でなら時々見たことのある忠臣蔵。一度,原典に当たってみたいと思って読んでみました。
 昭和10年から16年にかけて劇作家の真山青果が書き下ろした台本です。昭和初期の作品なので読みにくいのかなと思いましたが,ルビもうってくれているのですらすらと読めました。
 映画なんかでは,討ち入りまでしかでないので,後半の「泉岳寺」「仙石屋敷」「大石最後の一日」などは,初めて聞くお話でおもしろかったです。
 今,「武士の一分」という映画をやっていますが,本書にも,「一分」という表現が何度か出てきます。1カ所紹介しておきましょう。
▼安兵衛どの。源五どの。かく江戸屋敷より血気の面々が駆け付けて,各々一分の忠義を立てられようとすること,浅野家家中の義勇がいまだ地には落ちざるところと…我らしきまで深く感動いたしまする。(上,148ペ)

○橋本治文・岡田嘉夫絵『仮名手本忠臣蔵』(ポプラ社,54ぺ,2003,1600円)
 同著者による「歌舞伎絵巻シリーズ」の中の1冊です。
 「仮名手本忠臣蔵」というのは,江戸時代のあの浅野内匠頭の刃傷に始まる討ち入りの事件を題材にしながらも,それを室町時代のお話に作り替えて人形浄瑠璃用に書かれた台本です。それがのちに歌舞伎にもなったのです。当然,登場人物の名前も違います。吉良上野介は高師直(こうのもろなお),浅野内匠頭長矩は塩冶判官(えんやはんがん)となります。忠臣蔵のお話が,いくら庶民に人気があったとはいえ,将軍綱吉の決定に反旗を翻したにも等しい討ち入りのことを堂々とネタにすることはできなかったのでしょう。それで,見る人が見れば分かるように考えたんでしょうね。1748年,大坂竹本座が初演だそうです。
 本書の絵はとてもきれいで,コラージュっぽくて,見ていて飽きません。このシリーズ,他のものも欲しくなりました。が,ちょっと高いよなあ。

○養老孟司・森毅著『寄り道して考える』(PHP文庫,261ぺ,2004,552円)
 1928年生まれの数学者の森さんと,『バカの壁』の養老さんとの対談集です。養老さんは森さんの10歳下です。
 戦争をもろに体験した森さんと,物心ついたときに終戦を迎えた養老さんが語る「戦争」や「全共闘」に対する意識はけっこう違います。ただ,あまりにも画一的に,真面目に,はみ出すことを恐れて生きている日本の大人や若者たちへの思いは同じです。
▼結局,森さんがおっしゃるように,「いい加減」さが足りないのだと思います。もうすこし人生や人や自分に,余裕をもつことが必要なのではないでしょうか。軟弱者と言われようが,非国民と言われようが,自分は自分の道を歩くしかないのです。そう考えると,すこし気持ちがラクになります。気持ちがラクになれば,それだけ柔軟に物事を見ることができるようになるのではないでしょうか。(53ぺ)

○長岡清・板倉聖宣著『社会にも法則はあるか』(仮説社,94ペ,2006,1200円)
 仮説の全国大会の最中に他界した長岡さんのプランをまとめた本です。
 誕生日についてまとめたレポートはいつも楽しく読ませてもらっていました。こうして1冊の本になって,使いやすくなりました。
 ミニ授業書「社会の科学入門」は,社会にも法則が存在することを教えてくれるコンパクトなプランです。

○中道風迅洞著『新編どどいつ入門』(三五館,286ぺ,2005,1600円)
 久しぶりに手に入れた都々逸本です。中道風迅洞さんは,NHKラジオで「どどいつ」を担当しているおじいちゃん。私が真っ先に知った「都々逸作家」でもあります。
 この入門書は,前に出ていた『どどいつ入門』(徳間書店)の新編ですが,
旧著に書ききれなかった「創作の手引き」を中心に,二十年前からは多少進歩(?)した経験と,いくらか広がった浅学の知識を以て,後学の参考となればという願いと,八十歳も半ばとなった病骨の一念が込められていた。(まえがき)
とご本人が書いているように,もう次の本はないのではないかと言うくらいに力のこもった作品になっています。都々逸にすこしでも興味のある方は,この本から入門してください。きっとのめり込みますよ。

○外岡秀俊著『情報のさばき方』(朝日新書,245ぺ,2006,720円)
 著者は,朝日新聞編集局長。自分の経験から,たくさんの情報を生かす方法をまとめてくれています。マスコミ関連の仕事に就きたい人はどうぞ。読んでいるときはおもしろかったですが,今ふり返ってみると,ほとんど頭に残っていません。わたしにとってあまり緊急性がなかったということですね。
▼大切なことは,情報を得る人が,全体の文脈のなかで,自分がいま,どのような場所にいるのかを明確に認識しておくことです。これは,自分が得た情報の正確さや意味,客観性を測るうえで,欠かせない情報です。(37ぺ)

★今月のCD・DVD
CD『長岡輝子,宮沢賢治を読む(全8巻)』(草思社,1991,2万2400円)
 宮沢賢治の童話や詩を東北地方出身の長岡輝子さんが朗読をしているCDです。10年以上も前に買ったのですが,今回,やっと全ての作品を聴きました。車の中で,です。自分で本を読むには時間が必要ですが,聴く分には登下校で30分は聴けるので便利です。

CD『広沢虎造・国定忠治伝(全5巻)』『広沢虎造・清水次郎長伝(全5巻)』(ダイソー,各40分,105円)
 100均のCDコーナーには,落語や浪曲,軍歌など,さまざまな作品があります。ここで見つけたのが,浪曲師広沢虎造の作品です。SP盤から音を録っただけのものですので,とてもクリアとは言えない音ですが,車で聴く分には大丈夫です。虎造の浪曲が,100円で40分聴けるのですからありがたいなあ。
 国定忠治は5巻買えたのですが,清水次郎長は2巻しかありませんでした。だれか見つけたら買ってきて!!

DVD『仮名手本忠臣蔵(大序,三段目,四段目)』(NHK,190分,2006,4700円)
 歌舞伎名作撰シリーズの最新版です。12月に出たとこです。
 本作は1977年に歌舞伎座で行われた,六世中村歌右衛門と初世松本白鸚の名演が光る仮名手本忠臣蔵の「大序」「三段目」「四段目」を収録した2枚組です。
 『仮名手本忠臣蔵』は,本DVDの他にも,
『歌舞伎名作撰 假名手本忠臣蔵 (道行・五段目・六段目) 』
『歌舞伎名作撰 假名手本忠臣蔵 (七段目)』
『歌舞伎名作撰 假名手本忠臣蔵 (九段目・大詰)』
が出ているようです。そのうち買いますけど(買いました)。それにしても,歌舞伎まで趣味を広げて一体どうしようというのでしょうかねえ。でも,東京へ行ったら,まずは寄席なんだよなあ(^^

11月号

 先月話題にした宮沢賢治と田中智学,そして石原莞爾。そのすべてに関する本がありそうでなさそうで…。趣味と並行して,いろいろとよんでいます。今読んでいるのは,来月紹介するとして,読み終えたのを紹介します。

○中沢新一著『哲学の東北』(青土社,1995,238ぺ,1800円)
 積んであった本です。というか途中まで読んだ後がありました。買ったとき読んだんだと思います。もう10年前の本です。「夢見る大地の唯物論」って帯に引きつけられて買ったのか,あるいは,『週刊金曜日』にでも出ていて買ったのか…。
 宮沢賢治から,兼治を育んだ東北的文化というか地質というか,そういうことまで話が広がっています。中沢さんが書いた文もあれば,対談もあります。
 第1章の「贈与する人」では,兼治の童話の中の「なめとこ山」の猟師を熊のことを取り上げて,こんなふうに述べています。
 猟師の生存にとって,熊という動物は,森の奥にその実在が感知される,贈与を行う自然の霊の贈り物にほかなりません。自然は,熊の立派な肉体を,人への贈与として与えたのです。ところが,人はその贈与を受け取るためには,まず熊の生命を奪わなければなりません。いっぽう,熊のほうは,自分が森の霊によって人に与えられた贈与物である,という定めにしたがうことなどできません。自分には愛する世界や愛する家族がいて,むざむざと自分を猟師への贈り物に捧げてしまうことなどは,できない相談です。(中略)
 その猟師と熊とが出会う,その瞬間に,そうしたことのすべてがあかるみにでます。贈与は,現世にあっては,深い悲しみを同伴させる,という真実です。宮沢賢治は,詩人として,作家として,農民の友として,また熱心な法華経の信者として,この悲しみをのりこえながら,なおも,現世にあって,純粋な贈与者でありつづけようとした人です。(14ぺ)

 いろんな矛盾を抱える現代にあって,なおの贈与者でありつづけようとした兼治。確かに兼治の童話には,その矛盾を描いたものがたくさんできてきます。「どんぐりと山猫」なんかも,人間と山猫のあまりにも素直な世界にドキッとします。
 でも,どこかちぐはぐで相容れることができない世界ですね。
 国柱会や田中智学に関しては,対談者の高橋世織の質問に対し,中沢は次のように応えています。
 日蓮宗は,日本の仏教の例外だけど,現実を変えようとした。日蓮自身が国家を変えなきゃいけないんだ,自分の教えは国家と一体だと言っています。(中略) 兼治のようにエスペラント語を志向するような普遍性を望んでいる人が,国柱会のようなものに接近したことを捉えて,彼はナショナリスティックな大正から昭和初期に特有の弱点をさらけ出しているというふうに考える人もいるかもしれないけれど,当時の田中智学の思想がもっていた魅力は,そんなナショナリズムの枠を遙かに超えたものだったのです。/田中智学のナショナリズムはバックに,ある種の大アジア主義,あるいはもっと普遍主義が存在している。国家に利用されたのは,国柱会の思想の一部にすぎないと思います。(4次元の修羅:60ペ)
 国柱会というもの,田中智学というものが,単なるナショナリズムの固まりでなかたっとする中沢の意見は,さらに私の興味をそそります。
 中沢は兼治が国柱会に関わったことで,
農業や技術を変えたり,思想が変わったりすることのほうが重大だったという気がする。(同上)
とも言っています。ここらあたりのことは,これだけではわかりづらいです。
 本書には,他の対談で「法華経と国土観念」何度という話題も出てきます。ただ,本全体が哲学していて,納得しながら読んでいると言うよりも,兼治の童話を味わっているような現実離れした気分になりました。
お薦め。

○田中智学著『日本とはいかなる国ぞ』(天業民報社,昭和3年,306ぺ,80銭)
 とにかく田中智学の実際の文章にあたるにかぎるってんで,古本を探して手に入れた本です。1000円くらいだったと思います。
 この本はたいへんなベストセラーだったらしいことが,私のもっている第19版の前書きからも伝わってきます。
本書は,昭和三年明治節の佳辰を以て第一版を出したるに,数日にして盡き,即位御大礼の瑞辰に於て,版を重ねてより,追いかけ追いかけの累刷,これ日も足らず。今また第一九版を出して,江湖の熱求に応ずるに至れり。此書の斯く盛に世に読まるゝことは,即ち国民正気の台頭を示す所以にして,甚だ喜ぶべし。
 紹介しようとして貼った付箋が20カ所余り。とてもすべてを紹介できません。私が一番最初に付箋を貼った部分を引用しましょう。
▼そこで,人間の始末をどうつけるという問題が,真剣に議されて来る時,何よりも先に思い当たるのは,百人百心万人万心のままで置くことが,第1の危険素であるということに心付くであろう。この異体異心を統一する善き方法がないものかと考え出すに相違ない。(中略)無条件で吸いよせられて,喜んで服従し得べき,大公至正にして人工的ならざる,殆ど神秘的に古く神秘的に貴いものによって収束されて行かねばならぬ。こんな風に考え出すにきまって居る。そうなればもーしめたものだ。「人間常住の平和」は目の前だ。三千年も前から支度して待って居る。それは「日本の君臣道」だ,ああ,汝等悔い改めよ,天国は近けりだ!(76~77ぺ)
 昭和初期の本の割にはきれいな本だったのに,読んでいるうちに製本してある釘が折れてぼろぼろになり,結局,すべてのページがバラバラになりました。そおっと閉じてありますがね。
 此の本,すっごくおもしろい本でした。世界中に日本の精神を広めることこそ、唯一の平和のあり方だという此の考え方は,広く国民に受け入れられたのだと思うと,複雑な気持ちがします。もう一カ所紹介して終わります。
▼日本国体は,日本だけのものでなく,世界の公道であって,それを世界に認めさせ,実行させるまでの間,それが日本の仕事となって,国民総がかりで之を負担していくという趣向である。故に日本国民としての精神性命は,いかにして国体を体現し,いかにして国体の光輝を放ち,いかにして早く世界に之を認めさせて,吾れ人と共に願い求めつつある最終安楽絶対平和を人類の世界に打ち建てて,皇祖皇宗建国垂統のはからいを現実にすべきかということに存して居る。箸のあげ下ろしにもこれを念として,何事につけても,国体の意義を顕す様にと行動する,それが「国体主義」というのである。(198ぺ)

○姜尚中著『愛国の作法』(朝日新書,2006,206ぺ,700円)
 愛国心というものが人間の心理としてどこから来るものなのか,それを明らかにしてくれています。創刊された朝日新書の第1冊目です。いい本を出してくれました。
 姜さんの本は,今までにも何冊か紹介しましたが,とても鋭い視点で書かれていていつも刺激を受けます。
▼「国家や自らがそのなかに住む共同体を一定の規範に従わせ,国家や共同体に道徳的な願いを抱く」ような「愛国」は,そのような画一的な同調主義の中では育つことはないのです。(190ペ)
▼とくに,「愛国」の拠り所を美的規準に置くような情緒的な言説が勢いを増しつつある現在,矢内原(忠雄)の掲げた「国家の理想」は,石橋(湛山)の「無武装の平和日本」の理想と同じく,もう一度顧みられるべきです。(194ぺ)
 教育基本法の「改正」をめぐって,世間は騒がしくなっています。
 先日のNHK「クルーズアップ現代」で,愛国心を教えている授業の様子が紹介されました。いくつもの日本の自然の写真を見せながら「四季のある日本はすばらしい」と言わせていました。まさに情緒的なもののみで「愛国」を迫っている姿が,そこにありました。
 私も以前,郷土愛で,祭りを取り上げた後,情緒に訴えるビデオを作成した流したことがあります。本当にああいう取り上げ方でよかったのか,大変気になるところです。情緒は,流される場合があることを肝に銘じておく必要があるようです。

○週刊金曜日編『教育基本法「改正」のここが問題』(週刊金曜日,2006,63ぺ,600円)
 政府案だけではなく,民主党案もめちゃくちゃ問題があることがよく分かります。条文によっては,民主党案の方がひどいものもありました。
 衆院も通過してしまって,どうなることやら。

○茂木健一郎著『「脳」整理法』(ちくま新書,2005,220ぺ,700円)
 「プロフェッショナル・仕事の流儀」ファンの私は,茂木さんのファンにもなりました。これからたびたび彼の本を読むことになると思います。「言い換えで知の固定化を防ぐ」なんて,脳科学者しか言えないねえ。刺激的な1冊。

○鈴木美智子撰『ドドイツ・オン・エア』(たる出版,2003,233ぺ,1200円)
 久しぶりにネットで遊んでいたら,都々逸本が2冊出ていることに気づき,さっそく注文。ラジオに寄せられた素人さん達のエロっぽいドドイツがいっぱいです。
 あの人が 花火師なんだと 気づいた夜は どんと一発 受けた夜

○板倉聖宣他著『仮説実験授業のある人生Ⅱ』(ガリ本図書館,2006,139ぺ,?円)
 これもガリ本ですので,一般の書店では手に入りません。
 板倉さんと犬塚さん,西川さんの以前の論文からあつめられたものです。ほとんどの文章は一度読んだことがありますが,覚えていません。
▼それ以上に科学というもの,科学の法則性というものに目を向けずに十分理解することなしに愛情が一人歩きしてしまったための悲劇なんです。本当の愛情というものは,科学と結びつかなければなりません。だから,ぼくらがいろんな可能性を考えるときには「科学」によって保障されている可能性かどうかが問題になる。(板倉,38ぺ)
▼そういう意味でもぼくはすごく単純で「仮説実験授業はいいですね」-いいですねと言うんなら,「ゴチャゴチャ言っていないで,やればいいじゃないか」と思います。(犬塚,98ぺ)
▼「聞いてよね」と思うときは,聞かせるぞという気持ちがあると思います。でも,聞かせる話術って落語家は何年くらい修行するんですかね。学校の先生はそんな修行をしたことはないのに,いきなりしゃべってしまう。それで,聞いてくれなかったら「聞いてよね」ということをすぐにやってしまう。それぐらい,教師は学校では特権階級なんです。(西川,126ぺ)

○板倉聖宣・中一夫著『学力論の構造』(ガリ本,2006,85ぺ,?円)
 中さんと板倉先生の講演記録です。
▼私のような人間はほとんど意欲で生きております。学力では生きておりません。どんな問題があってもぼくが知りたいと思うことは,ラテン語であろうとギリシャ語であろうと,なんとか語であろうと,辞書を片っ端から調べて入門書を読んで,読もうとする。そうすれば,その言葉の既成の権威よりも,より詳しく訳すことができます。(59ぺ)
と,このように,たいへん勢いのある講演記録でした。

○岡田哲朗著『気持ちよく生きる』(キリン館,2006,164ぺ,?円)
 高知県宿毛市にある本屋さん「キリン館」の25周年を記念して,おんちゃん(岡田さん)のために大黒さんがまとめたガリ本です。岡田さんや岡田さんを囲んでいる人たちの人となりが伝わってきて,心がぽかぽか暖かくなる本です。一般書店では手に入らないのが残念です。
 仮説実験授業と関わることで障害を越え,障害に助けられていきいきと生きてきた岡田さんに勇気をもらいました。

10月号

○小林正観著『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎,2006,222ぺ,1429円)
「最近の親は,子どもに甘くって困るんだよねえ」なんて愚痴を監督さんに語っていたら,
「先生,いい本あるから貸してあげる」
といって貸してくれたのが本書です。
 学生の頃から人間を観察してきたという著者は,これまで何万人もの人々から相談を持ちかけられてきたといいます。
 そんな中で,最近増えてきた不満が「他人を自分の思うようにしたい」という相談だと言います。「うちの息子は,○○だけれども,どうにかなりませんか」とか「最近の親はこうだけど,どうすれば,こうなりますか」など,自分のことを言うよりも他人をどうにかしたいという悩みの方が圧倒的に多いとか。そんなときは,「すべて受け入れること。どうにかしようとするから悩むのであり,受け入れることが一番である」と諭しています。ま,そりゃあそうなのだろうけど,でも,何とかならないかなと思うのも仕方がないのではないか…。
 題名にもなっている<感謝>ですが,「今まで普通にやってこれたことに対して感謝せずに,もっとこうしてほしいと願うなどとは,なんという放漫さ」という意見でした。これについては,私も全面的に同意します。
 今年の夏の結論は「生きているだけで幸せ」でした。
 そんなわけで,みさなん! 不満があっても,とりあえず,今まで自分を育んでくれた世の中に感謝しましょう。すると,今持っている不満も小さなものになるのではないでしょうか。

○太田光・中沢新一著『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書,170ぺ,2006,693円)
 話題の新書です。お笑いの太田が最近,いろいろとテレビでもしゃべっているらしい。ほとんどテレビを見ない私は知らなかったのですが,この新書は,やはり太田が絡んでいるいうことで購入しました。
「平和憲法こそ世界に広めるのだ!」という思いは,いつも私の中にあるのですが,それをどう表現すればいいのか分かりませんでした。「世界はそんなに甘くない」「平和ボケだ」と言われればそうかも知れないと思いました。
 でも,「世界遺産」という風に考えると,その視点がとてもスッキリします。日米合作のこの作品は,ちょっとやそっとでできるものではない。だからこそ,しっかり残す必要があるのではないか。文化が変わったからと言って,パルテノン神殿や姫路城を壊すのはいけないように,少々時代が変わってもこの憲法第九条は人類の理想を形にしたものとして残すべきではないのか。そんな風に考えることができます。
 太田は中沢に「どうして,憲法九条を世界遺産にって考えたのですか」と問われ,
「最初は,ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を読んだときですね。」
と答えています。私も新聞を見てジョン・ダワーの本を手に入れ,この夏,下巻を読み終えたところでした。
 日本国憲法は,太田の言葉を借りれば,本当に僅かな時間の間に奇跡的に「戦争していた日本とアメリカが,戦争が終わったとたん,日米合作であの無垢な理想憲法を作った」のです。

太田 その奇跡の憲法を,自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で,変えたくない。少なくとも僕は,この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。(60ぺ)
太田 宮沢賢治の抱えていた矛盾とは何だろう。彼の作品の中には正義や愛があふれているけれど,正義こそが結果として人を殺す思想にもつながっていく。そこを深く見つめなおさないと,もう一度同じことがおこると思うんです。(27ぺ)

 宮沢賢治が愛を理想として童話を描いていると同時に,田中智学(下に説明しておきます)に傾倒していたことについて,その矛盾をしっかり受け止める必要があるというのです。

中沢 世界遺産に指定された場所の多くは,現代社会の中で,なかなかほかにはあり得ないようなあり方をしています。美しい景色も,そこに残された精神的な価値も,現在の価値観からするとありえない場所です。そのあり得ない場所を持続しようというのが世界遺産の考えでしょう。ほんとのこと言うと白川郷の人だって,サッシはめたり,エアコンを入れたりした方が快適なのに,それをしないでいるやせがまんが,彼らを立派にしている。そういう考え方は悪くないと思います。
 日本国憲法は普通の国の憲法とは違う。とくに九条があることによって,普通になれない。(126ぺ)

田中 智學(たなかちがく)
 1861年-1939年11月17日)は、明治期から昭和初期にかけての宗教家。父は多田玄龍。母は凛子。本名は巴之助。
 多田玄龍・凛子の3男として江戸で生まれ、10歳で日蓮宗の宗門に入り智學と称した。1872年(明治5年)から田中姓を称している。その後、宗学に疑問を持って還俗し、宗門改革を目指して1880年(明治13年)横浜で蓮華会を設立。1884年(明治17年)東京で信者の組織として立正安国会を設立し、1914年(大正3年)には諸団体を統合して国柱会を結成した。日蓮主義運動を展開し、日本国体学を創始して国家主義を推進し、高山樗牛・姉崎正治らの支持を得た。
 明治36年(1903年)、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」を『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」から造語した。大正2年(1923年)3月11日に機関紙の国柱新聞に「神武天皇の建国」でも言及した。

(ウィキペディアより)

田中智学『日本とは如何なる国ぞ』(昭和三年)
『どうも日本という国は、古い国だと聞いたから、これには何か立派な原因があるだろうと思って、これまで訪ねて来た日本の学者や政客等に就いてそれを訊ねても、誰も話してくれない、私の国にはお話し申す様な史実はありませんとばかりで、謙遜ではあろうが、あまりに要領を得ないので、心ひそかに遺憾におもって居たところ、今日うけたまわって始めて宿年の疑いを解いた。
 そんな立派な歴史があればこそ東洋の君子国として、世界に比類のない、皇統連綿萬世一系の一大事蹟が保たれて居るのである、世界の中にどこか一ヶ所ぐらい、爾(そ)ういう国がなくてはならぬ、というわけは、今に世界の将来は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず争いに疲れて、きっと世界的平和を要求する時が来るに相違ない、そういう場合に仮りに世界各国が聚って其方法を議するとして、それには一つの世界的盟主をあげようとなったとする、扨(さ)ていかなる国を推して「世界の盟主」とするかとなると、武力や金力では、足元から争いが伴う、そういう時に一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で一番古い貴い家ということになる、あらゆる国々の歴史に超越した古さと貴さを有(も)ったものが、だれも争い得ない世界的長者ということになる、そういうものが此の世の中に一つなければ世界の紛乱は永久に治めるよすががない、果たして今日本の史実を聞いて、天は人類のためにこういう国を造って置いたものだということを確め得た』

田中智学『天壌無窮』(大正四年)
 「世界の将来には、一度は必ず世界をあげての大戦乱が来り、各国ともに其にこりこりして、真の平和を要求する様になる時が来て幕が開(あ)く、その時こそ、かねがね此平和の為に建てられてある日本は、勢い「最後平和の使命」を以て登場して、世界渇仰の下に、這(この)始末を着けてやらねばならぬ役回りとなる」

http://www.yorozubp.com/0511/051109.htmより

9月号

 今回は,仮説実験授業関係の本から紹介します。すぐにてに入らないものばかりですが,仮説関係の講座などに参加する中で手に入れて下さい。

○板倉聖宣他著『授業科学による教育観の変革』(ガリ本図書館,2006,123ぺ,約千円)
 2006年3月に東京大学で行われた「未来の科学を展望する」というシンポジウムの記録集です。
 この時の様子はDVDも出ているのですが(先に紹介済み),やはりこうして活字になるとより頭に入ってきます。何よりも,講演をした板倉さんと佐藤学さんの違いが大きく浮き彫りになっています。
 この記録集には,お二人の講演記録だけではなく,そのあとの実践報告や質問の一部なども入っています。ここでの板倉さんは,研究家として佐藤さん側の研究者にとても厳しく迫っています。こんなの普通の人なら耐えられないなと思うほどです。そして,「科学的な研究」がまったくできない現在の教育学の世界が明らかにされるのです。
 研究会を設定した斉藤萌木さん自らが,方法論が科学的ではない佐藤さんと板倉さんとの違いが明らかになったと言っています。
 当ガリ本には,3本の資料が収められています。板倉さんの「授業科学と名人芸」では,仮説実験授業と斎藤喜博との決定的な違いが浮き彫りにされるし,武谷光男さんの「哲学はいかにして有効さを取りもどしうるか」も一読の価値ありです。武谷さんのこの文章は,大学時代に読んでいるはずなのですが,新鮮でした。
 仮説実験授業のめざすものとガンバレ努力・おれはできたぞ主義(これまでの教育学,そして今の教育学)との違いが明白に認識できるガリ本です。
 とってもお薦めだよ。

○中一夫著『教育学と仮説実験授業』(ガリ本,2006,130ぺ,約1000円)
 上の研究会にも参加した中一夫さんが,力作を書かれました。中さんは「はじめに」で次のように述べています。
 この本は,「教育学はどうして科学にならないのか?」「教育学者はどうして仮説実験授業を認めないのか?」という疑問を,僕なりに探っていったものです。
 そして,第1部「ハウツーと科学・教育学」,第2部「教育科学研究会」の内容の紹介,第3部「教育学と仮説実験授業」の3部構成となっています。
 タイトルだけで分かりますね。
 これも,本当に必読書ですよ。自分の授業は一体何を目指すのか。自分の満足とはどこにあるのか。子ども中心主義とは何なのか。もう一度ゆっくり考えてみませんか?いろんな教育理論に興味のある人はすすすっと読んでいけると思います。

○斉藤萌木編著『私の卒業論文』(ガリ本図書館,2005,203ぺ,約1000円)
 東大で「教育科学研究会」を企画した斎藤萌木さんの卒業論文「仮説実験授業成立過程の検討」と,その論文の成立過程をまとめたものです。仮説実験授業に魅せられた学生の姿がここにありあす。

○斉藤裕子『I君日記』(つばさ書房,2000,215ペ,1600円)
○斉藤裕子『ちっちゃい花束』(キリン館,2000,254ぺ,1700円)
 うちのサークルでも以前から話題に上っていた『I君日記』,そしてそのI君のその後を描いた『ちっちゃい花束』です。著者の斉藤裕子さんは,先に紹介してる萌木さんのお母さんです。萌木さんは,先の卒論を,このお母さんの『I君日記』から引用して,書き始めています。東京大学に進み,教育学者として研究していこうとまで思わせる母の生き方,子どもへの温かい目,そして仮説から学んだ確かな教師力が随所にちりばめられています。
 学級の子どもがかわいく感じなくなったら,開いてみてください。そして,仮説実験授業をやってあげてください。きっと,目の前の子ども達のいきいきした命が見えてくると思います。

○林泰樹著『5の1とU太とぼく』(たそがれ書房,2006,198ぺ,約1000円)
 これも斉藤さんの本同様に,担任とちょっとしんどい子どもとのふれあいをつづった日記集です。仮説実験授業をしっかりやりながら,子ども中心の姿勢でつきあっていく。そこに様々なドラマが生まれます。喜怒哀楽,子どもを変えようとしてはいけない。子どもは変わっていくものです。少し働きかけながらも,それを待ってあげるのも大切ですね。 

○板倉聖宣他著『たのしく教師』(キリン館,2006,206ぺ,1500円)
 高知県宿毛市にある仮説実験授業研究会員ならだれでもご存じの本屋さん「キリン館」の25周年を記念して,井上さんがまとめた本です。どれもどこかで読んだことのある論文なのだろうけど,こうしてまとめてもらうことで,また,新しい発見があるでしょう。だいたい,読んだことさえ忘れているからね。
▼家を全部建て替えなかったらテレビを置けません,電子レンジを置けません」などといったら,誰も買う人はいませんね。わらぶき屋根の家であっても電子レンジは置けるし,テレビも置けます。そういう形で中身の部品を変えていって,100年後に家を建て替えるときにそれらをもっと使いやすいように工夫をする。ところが今までは,わらぶき屋根の家をアルミサッシの家にかえる,鉄筋コンクリートにかえるというように,外見ばかり考えている。これまでのほとんどすべての教育運動はそうです。私どもは中身だけを考えて,外見はどうでもいいやということを考えています。(本書126ぺ「科学は全能ではない」1990年6月談話)
▼もともと科学というものは,科学以前の自然の統一的な見方の否定の上に,新しい自然の統一的なとらえ方に成功する,という形で生まれ育ったものです。科学は,それ以外では自然を正しく統一的にとらえることができないことを示してきたのです。(70ペ,「すべての認識はカセツジッケン」1969年)

 まだまだたくさん紹介したいのですが,紙面の関係でこれくらいに。
 このほかに,大会でプレゼントされた香川たのしい授業研究会編『研究と原理と若者と』も読みました。

 ガリ本の他に,2ヶ月で読んだ本をあげておきます。時間がないのでタイトルだけで堪忍してね。どれもつまらないものはなかったことだけは確かです。

○安野光雅・藤原正彦著『世にも美しい日本語入門』(ちくまプリマー新書)
○梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)
○高橋哲哉著『国家と犠牲』(NHKブックス)
○ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて・下』(岩波書店)
○ダグラス・スミス著『憲法は政府に対する命令である』(平凡社)
○小熊英二著『日本という国』(理論社)
○ル・グウィン著『ゲド戦記(全6巻』(岩波書店,7350円)
○板倉聖宣著『電磁波を見る』(仮説社)

7月号

 今月は,早朝ワールドカップ観戦で,朝の読書はしていません。そこで,あまり本を読めませんでした。
 夏休みには,たーくさん読むぞ~と(今のところ)決意をしているのですが,いつもどおり,決意だけで終わりそうな感じです。でも,まあ決意をちょっとだけ語っておくと,購入してある『中谷宇吉郎集(全8巻)』(岩波書店)の読破。

○小笠毅・林由紀編著『”数楽力”への挑戦』(新評社,2004,205ペ,1800円)
 大変おもしろい本でした。一気読みしてしまうほどです。編者の小笠毅さんは,遠山真学塾の主宰です。前回のサークルでSさんが紹介していたさんすうの本をアマゾンで探していたら,同時に引っかかってきました。
 数学史の話から,日本の「塵劫記」の紹介。さらには,割り算の教え方から,0の発見,社会の映す鏡としての割合の説明など満載。これだけ多岐にわたる話題を,ようもこんなコンパクトにまとめたものだと感心します。
 なにせわかりやすいし読みやすいのです。下手な学年別教師用参考書を何冊も読むくらいなら,まずは,本書を読んでから,各論を勉強してほしいと思うくらいです。
 夏休みには絶対読んでください。今までの自分の算数の授業をふり返りながら…ついでに,『博士の愛した数式』も読むかDVDで見るかして下さい。
 さいごに,遠山真学塾のことについて,本書の「はじめに」から引用しておきます。
 実は,私たちの遠山真学塾には,学ぶことに困難や障害のある子どもや若者がたくさん通ってくれています。ダウン症や自閉症あるいはLD(学習障害,ADHD(注意欠陥多動性障害)などアルファベットでよばれる子どもたちが,いちばんむずかしいといわれる算数や数学の勉強に挑戦しています。(3ぺ)

○ひろなかたけし著『宇宙船にのらなかったビーグル犬』(新風社,2005,59ペ,1100円)
 腰巻きには「愛する小さな命との再会をこころからねがう人たちへ」と書かれています。ペットの死を通して見えてくるものとは…。子ども向けの物語絵本という感じかな。でも,大人向けかも…。
 わたしは,ビーグルとつく本は全部持っていたい主義なので,単にそれだけで購入したのです。
 が,が,本書の最後,ビーグル犬アルフがなくなる場面で,アルフが次のようなことを心の中でつぶやくのです。
ぼく,宇宙船にはのらない! 空気のアトムになって,ふかい,ふかい空を泳いでいけば,きっと,おうちに帰ることができる。
「神さま,どうか,ぼくを空気のアトムにしてください。ぼくを待っているパパ,ママチビのところに,どうしても帰りたいのです」
アルフはいっしょうけんめい,神さまにおねがいしました。 (57ぺ)
 実は,56ページに,そのものずばり「パパが話してくれたアトムの話」がゴシック体で載っているのです。これにはビックリです。板倉聖宣さんの「死んだらどうなるか」という文章を思い出してしまいました。もしかしたら,作者はこの板倉さんの文章を読んでいるのかもしれません。本書の題名にある「宇宙船」とは,「天国・あの世」行きの乗り物のことです。

柴田佳秀著『わたしのカラス研究』(さ・え・ら書房,2006,79ぺ,1400円)
 カラスの番組を取材したことから興味を持ったディレクターさんが書いた「カラス研究」の本とでも言えばいいでしょうか。
・嫌われ者のカラスは,決して昔から嫌われていたのではない。
・八咫烏は3本足の烏で,日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。3本足は,奇数の中でも神聖なもの。→これは初耳でした。
・カラスの子育てや天才カラスの話
など,どこかで聞いたことがあったなという話題を目で確かめて書いてくれています。
 カラスのことは意外と知られていないのだなと思いました。

6月号


 先月までのその日暮らしとは違い,5月末から生活にもゆとりが出てきました。そこで,本も何冊か読めましたので紹介します。
 おっと,最近,珠洲市の中央図書館からも借りています。特に児童書なんかは購入しても置いておく場所もなくなったし,サッと読んで返すこともできますので。
 最近,本を置く場所が本当になくなってきて,学校に持って行ったり,捨てたりしています。それでも,気になる本やちょっと読んでおきたいお話ってあるのですよね。そこで,図書館の利用。読んでみて欲しくなれば購入すればいいしね。

○土田光子著『わたしを創ったもの』(明治図書,2001,210ペ,2260円)
 珠洲市の同和教育研究会主催の講演会に講師としてこられた土田さんという熱血女教師の書いた本。部落差別や人種差別をそのままうけとめ,「だからどうってんだ!それとぶつかっていかんかい」と正面から子どもたちと取り組んでいく様子が,ありありと,ほんとうにありありと描かれています。
 子どもたちとの班日記。そこに書かれている本音を学級通信に紹介し,そこでまた議論をする。泣きわめき,悔しがり,励まし合う子どもたち。いや,子どもたちだけでなく土田さんもまた,混沌とした人生を一生懸命生きる一人として生徒達と向き合っているのです。
 残念ながら講演は聞き漏らしたのですが,その講演を聞いてきた濱野さんから本書を譲っていただきました。講演の内容が想像できるくらい臨場感のある文章で,1日で一気に読んでしまいました。
 多感な中学生が自分の生い立ちについて(ということは自分ではどうしようもできないことについて)悩み出すというのは,部落や在日に関わらず,少なからずどの子にもあるのではないでしょうか。そこに寄りそっていく教師でありたい。そう思います。教師や社会や親への反発という現象面だけで<生徒>指導・<生活>指導はしてほしくない-本書を読んで強くそう思いました。
 これを読んでわたしが実践していること…子どもの日記とおなじ長さだけ,アカペンを入れる-です。けっこう楽しいですよ~。時間はかかるけどさ。

○上井建治著『少年とストライカーと約束』(双葉社,2006,72ぺ,1050円)
 インターネットから生まれた実話を本にしたもの。ワールドカップのHPをネットサーフィンしていて知りました。腰巻きから紹介します。
 耳の聞こえない少年とデンマーク代表選手とのつながり。日韓ワールドカップで報道されることのなかった物語。
「ボクは小さいころに病気にかかって,口と耳が不自由です。耳は聴こえません,言葉は話せません…」
 その光景を見ていた通訳も記者も言葉がない。文面を読み終えた彼は,顔を上げると少年に向かって微笑み,ゆっくりと両手を動かして語りかけた。
 日韓ワールドカップの時に和歌山県をキャンプ地としたデンマーク選手達のフレンドリーな態度。
 トマソンという中心選手と障害を持ったある少年との関わりは見時間時間だったけど,お互い一生に残るものになったんだろうなと思います。その人に影響を与えるかどうかは,いっしょにいた時間の長さだけではない。その出会いのタイミングと内容がすべてだと思いました。

○明橋大二郎著『子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版,2005,182ぺ,980円)
 先月のサークルで,濱岸さんからお借りしました。装丁がかわいくて,ちょっとレジに持っていくのをためらいます。
 イラスト満載で文章も短くて一気に読めます。文字通り子育てのアドバイスが書かれています。
 ここに書かれていることは,もっともだなと思います。もう少し大人が,大人らしく子どもたちとつき合えば,キレル子どもも少なくなるのに…。
 新聞によると,第2弾も出たとか。本書も子育て本のベストセラーらしいですが,第2弾も売れているようです。

○菅原裕子著『コーチングの技術』(講談社現代新書,2003,203ぺ,700円)
 『ドラゴン桜』関連本。
 最近はやりのコーチングという言葉。新しい言葉ができるときには,何か今までとは違った新たな概念なり方法なりが提出されているはずなのですが,このコーチングという言葉の場合はどうでしょうか?
 本書では,コーチングの必要性を次のように述べています(要約します)。
 社会の変化により,組織の構造や人の働き方に大きな変化が生まれた。今までのような上意下達の組織では成果が上がらない。これからは個人が自分の仕事を管理し創造的に効果を上げるようサポートするのが管理職の務めである。そのためには,指導の場面において,一方的に知識を教え込むのではなく,共に考え相手の可能性を引き出す方法として,コーチングは最高の方法である。
 自己目標による自己管理などという言葉と共に,このコーチングは,これからしばらくの間もてはやされることでしょう。ただ,この中身を見てみると,先に挙げた「子育てアドバイス」と本質的には変わらないように思います。人とのつきあいの中で,自分を安定させ,自分の能力を高める。あるいは人の能力を引き出す方法というのは,そんなにたくさんあるわけではないでしょう。
 コーチングの対象が,あなた自身であれ,子どもであれ,共に働く人であれ,あなたはその人の可能性を心から信じることができるでしょうか。
コーチングは「できることをできるに任せること」です。つまり,相手の可能性を信じ,相手が本来持っている才能を発揮させ,相手の成長を促すことです。(本書194ぺ)
 こんなことは,言われなくったってわかっていますよね。ただ,わかっていることと具体的な場面で実行できることとは別なのです。
 スポーツの世界でも,高記録を出して活躍する本人だけでなく,いやそれ以上にコーチのやり方にスポットが当てられる時代です。それほど,伸ばすもつぶすも指導者によるところが大きいということでしょうか? 日々,数十人の子どもたちとつき合っている私たち教員も,指導の仕方如何では両面があり得ることをしかと心に留めておく必要があると思います。

○西林克彦著『わかったつもり』(光文社新書,2005,212ぺ,700円)
 これも『ドラゴン桜』関連本だったと思います。
 「わかったつもり」は,「もっとくわしくわかった地点」から以前の状態を見たときに「ああ,あのときはわかったつもりだったのだ」と気づくことでしか判断できないと作者は言います。はじめは言葉遊びをしているようで,何を言いたいのかよくわかりませんでしたが,例文などを解いているうちに,自分のわかったつもり状態とよりわかる状態には明らかに違いがあること。「わかったつもり」から「よりわかる」ためには,少しの質問や問いかけがあればできることなどが「わかり」ました。これもわかったつもりくらいの程度ですが…。
 副題には「読解力がつかない本当の原因」とあります。「わかったつもり」の状態から抜け出せなければ,そこには,深くわかる状態にたどり着けません。深くわかるためには,教師や指導者のコーチングが必要なのでしょう。
 こう書いていても,たぶんこの文章を読んでいる人には,あまり伝わっていないんじゃないかなあ。
 とにかく,自分が,文章や絵やグラフから受ける雰囲気で「わかったつもり」になることはいっぱいあるんだよ,素材そのものや自分の経験や直感にだまされていることもあるんだよ,と言うことを知っているだけで,より深くわかろうとすることもできると思います。現状に安心しないってことかな。
 これを読んでわかったつもりにならないで,自分の目を通してみてくださることをお薦めします。

○親野智可等著『親力』(宝島社,2004,222ぺ,1400円)
 これもまた『ドラゴン桜』関連本です。「親力」は「おやりょく」と読みます。
 本書は,ある教師が始めた無料メールマガジンがもとになって編集されました。他にも続編が出ています。いちいちもっともなことが書かれています。親野智可等さんこと杉山佳一氏は,1958年生まれのわたしとおなじ世代。しかも同じように小学校の教師を23年間やってきての意見ですので,似てくるのも当然でしょう。親としてではなく,教師として読んでも得るところはいっぱいあります。ちょっと引用しますね。
▼早期教育は,うまくいけば大きな成果を得られます。ただし,それがうまくいくのは子供が楽しみながら,負担に感じないで,何の弊害もなくやれる場合だけです。(57ぺ)
▼たかか,(と,あえてが言います)物の管理能力や整理整頓の能力のことだけで,その子が自信を失うというようなことがないようにしてください。ものの管理能力や整理整頓より大事なものは,いくらでもあるのですから。(104ぺ)
▼目当ての指導をしないで約束の指導だけしてもあまり効果はないのです。(11ぺ)
▼わたしは「やるべきことはやる,そして,結果については達観する」ことが大切と,はっきり言いたいと思います。(161ぺ)
 親野先生のHPはhttp://www.oyaryoku.jp/ です。

○松岡史朗著『クウとサルが鳴くとき』(地人書館,2000,210ぺ,2200円)→「サルも人も愛した写真家」へ

山崎正勝著『ぼくのつくった温度計』(岩波書店,1979,41ぺ,850円)
 いろいろな温度計の紹介がされています。ボールペンの軸を使った温度計の作り方もでていました。これはつかえそうです。夏休みの自由研究に,いろいろな温度計づくりというのも面白いかも。

国松俊英著『理科室から生まれたノーベル賞・田中耕一ものがたり』(岩崎書店,2004,112ぺ,1200円)
 これも中央図書館からお借りしました。
 本書は,島津製作所勤務のサラリーマン研究者の田中耕一さんの生い立ちが,簡単に紹介されています。小学校中学年から読めるかなと思います。すべての漢字にかなが振られていますから。
 田中さんに影響を与えた人は,八人町小学校時代の4年生の担任・沢柿教誠という先生のようです。この先生は,大学の化学を専攻してきており,小学校理科の教育にも大変強い関心を持っていたらしく,いろいろと実験道具を工夫したりして授業をしていたようです。
 中学校の文集に書き残した「ひとりひとこと」がプロフェッショナルですねえ。
「とにかく,やりたいことは,どんなことがあっても押し通す。田中」

稲沢潤子著『子どものためのバリアフリーブック全11巻』(大月書店,1998,35ペ,1800円)
 障害を持っている子や障害の内容について,とてもわかりやすく解説してあります。絵や図や写真などを十分に使ってあって,理解を助けてくれます。全11巻の内容は以下の通り。
「障害と私たちの生活」「ダウン症の子どもたち」「てんかんのある子どもたち」
「ことばの不自由な子どもたち」「耳の不自由な子どもたち」「目の不自由な子どもたち」
「自閉症の子どもたち」「LD(学習障害)の子どもたち」「知的なおくれのある子どもたち」「からだの不自由な子どもたち」「障害児を支える人々」
 借りてきてから知ったこと…うちのつれ合いが何冊か持っていた…ん~会話がない証拠か…。

○中原しげる・牧衷・板倉聖宣著『人間関係論と仮説実験授業』(上田仮説出版,2004,140ぺ,800円)
 中原しげる氏は,板倉先生の初期の論文や哲学関係の本を題している季節社という出版社の編集者です。牧衷氏は,岩波科学映画の編集者です。二人とも仮説実験授業提唱前から,板倉さんとは深いお付き合いだったようです。
 内容は大変過激で哲学的です。それを求めたかったんだからそれでいいのです。牧さんとは,ナイターで住民運動(珠洲原発反対運動)について少し話をしたことがあります。そんな人もいるところが仮説実験授業研究会の面白いところです。
 仮説実験授業を支えている時代背景や哲学的な基礎などについて興味のある方は,読んでみてください。おもしろいよ~。ただし,これもガリ本です。ふつうの書店では手に入りません。
 ぼくは常日頃,運動発展の原動力は仲間の間に適切な形で対立・矛盾を作りだすことによって得られると,主張しています。昨日お話しした全員加盟制自治会における全員参加型討論というのもこの例の一つです。
 「体重計の問題」は正答を求めるための問題じゃないんです。
 この問題に出会った生徒たちは,自由に<それまでに彼らの頭につまっていたもの>,つまりは彼らがそれまでの生活体験の中で作り上げた「体重観」「体重測定観」に従って考え,結果を予想します。むろん,この予想分布はバラバラになる。生徒はここで自分とは違う考え方をする仲間が大勢いるんだ,ということを知ります(矛盾存在の認識)。理由の発表や討論の過程で,どこで意見が対立するのかがはっきりする(矛盾点の明確化)。討論は「観」と「観」のぶつかり合いだから,言ってみれば,論者のそれまでの人生のかかったものになります。必然,討論は真剣・活発なものになる(運動の盛り上がり)。そしてこの「盛り上がり」が授業進行の,従って認識発展の原動力になる。
 この運動論的構造というのは仮説実験授業の基本理念,基本構造です。
(中略)
 マキ理論でいったら,無矛盾になったら(予想が全員正答に一致したら)運動のポテンシャルは0,運動の推進力は0になっちまうから,そこから先は運動(授業)にならないということになる。(107~108ぺ)

○古川幸+中一夫著『カウンセラーとの対話』(ほのぼの出版,2000,116ぺ,1000円)
 中一夫さんとおなじ中学校でスクールカウンセラーとして来られていた臨床心理士の古川さんとが<学級崩壊>について語り合った対談集です。なかなかこういう関係の本は珍しいと思います。現場教師には現場だからこその悩みがあり,それをカウンセラーの目から見ると「なんでそんなことにこだわるの」と言う部分もある。その両者が,子供第一に考えて話し合っていくときに,学級崩壊しない先生のタイプというのも浮かんできます。それは,次のようなことです。
◆固定観念が少ない
こういうときにはこうすべきだという「すべき」論がない。臨機応変である。わたしもこれに近いものがある。「論」はあるのだが,大変柔軟なつもり。
◆いろんな子どもたちを知っている
過去の経験から,さまざまな子供がいて当たり前だと思っている。万引きも当たり前…煙草も離婚も何もかもOK。だってミーンな人生じゃん。
◆手のかかる問題の子たちのことを嫌いじゃない
ん~,わたしはどちらかというと好きだな。悩ませてくれたありがとうっていうか,すごく関わってしまうので,本人とも保護者とも仲良くなったりするんだよなあ。
◆親とも話ができる
これも,親と話すことが好きだしね。
◆他人の助けを求めることができる
できないことは,「やってよ」って言えますね。
◆忍耐力がある
確かに少々のことでは負けません。原発反対運動も続けたしね。
◆感性が豊かである
たぶん,豊かな方でしょう。チャングムに夢中になるし,今でもレゲエと沖縄音楽が好きだし,落語も聞くし,都々逸も好き。(←この点については,サークルで,それは感性とは言えない,単なる趣味だ! と言われてしまいました。)
◆いろんな関わる方法を知っている
これはどうかな。まだよく知らないような気もするし,他の教師より走っているような気もする。あまり意識して動いていないのでわからない。
◆その子たちにもある程度注目しながら授業を進めることができる
それはそうでしょう。「その子をどう押さえつけるか,ではなく,その子がどんな風に授業に参加してくれるかなと思いながら授業をやってますから。昨年の6年生での飛び入り道徳の時も,端から見ている人は「あの子はなんちゅう意見を言うのだ。尾形先生がかわいそうだ」と思っていたらしいけど,わたしには「まあ,そんなもんだろ」としか思えませんでしたから。たぶん,楽天的なのです。

 以上のタイプにほとんど当てはまりました。これじゃあ,私のクラスは崩壊しませんね,たぶん。自信はないけど…。
 おっと,紹介を忘れました。この本は,ガリ本ですので,ふつうの本屋で手に入れることはできません。一教師が編集したいわゆるガリ本です。

4,5月号

 今月は,まったくといってよいほど読書をしていません。各教科や道徳等の年間指導計画と日々の授業の準備に精一杯という感じでした。これも3年間のブランクのおかげ?か。その分,とても新鮮な気持ちで授業をしています。特に,国語・算数・道徳・学活・総合なんてのは,担任じゃなけりゃできませんからね。

○矢野誠一+草柳俊一著『落語CD&DVD名盤案内』(だいわ文庫,2006,459ぺ,933円)
「全編書き下ろし」と書いてある割には,ちょっと情報が古いような気もするが,ま,いいでしょう。これは題名通りの文庫本です。落語の200もの演目を,見開き2ページで解説し,主な落語家や今でも手に入るCD音源・DVD映像を紹介してあります。
 こういう目録みたいのを自分で作ろうかとも思ったこともあったので,とても重宝しています。まだ,自分のもっているCDの整理もしていませんが,おいおいやっていこうかと思います。落語に興味のある人,しかも,その音源を求めている人は,持っていて損はありませんよ。本書のことは,新聞の書評欄で知りました。
 その他,読み終わった本はありませんので,DVDでも紹介します。

○DVD『枝雀落語大全1巻~10巻』(東芝EMI,2002,約70分,3800円/巻)
 枝雀のVTRも5巻持っていたのですが,ついに,DVDを購入しはじめました。「し始めた…」というのは,ご想像の通り…これからも少しずつ買っていくつもり…ということです。
 この「枝雀落語大全」は,なんと40巻もあるのです。10巻ずつセットで売っていますが[1巻ずつでも買えるけど特典DVDが付かないので(^^ゞ],1セット3万8000円は,結構なお値段です。全部そろえるとノートパソコンが手に入りますからねえ。でも,枝雀の魅力には勝てそうもない…。
 1巻に2演目ずつ入っています。

○DVD『あの時あの声』(NHK,2005,3500円)
 1925年のラジオ放送開始から数年間の素材を集めたアンソロジーです。1925年の「英語講座」ではaとanの違いについて話していました。1935年のエンタツ・アチャコの「早慶戦」。徳川無声の声も聞くことができます。たったの56分ですが,まあ,どっか歴史の授業にでも使えるかも知れません。1925年頃のふつうの教員の給料が25円だったとき,真空管ラジオの値段は100円くらいしたそうです。4ヶ月分といえば,今は100~120万円くらいの買い物というわけです。液晶デジタルテレビに買い換えるどころではありませんねえ。

○速水敏彦著『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書,2006,214ぺ,720円)
 政治的な「いじめ」に対して全く怒らなくなった若者たち。日本だけの問題なのか…。でも,就職問題に関するフランスの学生たちの運動などを見ていると,他の国の若者たちは,まだまだしっかり大人社会に対して自分たちの主張をしているように見えます。
 自分にとって大切な問題なのに,すぐに影響するとは云えないことについては,全くの無関心なのに(あるは,何をやっても無駄と思っているのに),いざ,自分が被害を受けるとわかったとたんに,大変攻撃的になる若者たちは,本当に我が儘なのでしょうか。

○岩淵悦太郎著『語源散策』(毎日新聞社,1975,243ぺ,980円)
 古本屋で購入。こういった本は,別に古いからダメってことはありません。なんせ,「語源」にさかのぼろうという本なのだから。著者は,当時「国立国語研究所長」という肩書きだったらしい。
 著者の岩淵さんは,「語源を知ることはそんなに大切なことではない」-といいながら,それが必要になる場合もあることを「まえがき」で次のように述べています。
その語の用法が社会的に混乱してしまったというような場合には,語源や字源を明らかにしてその後の用法を定めることが必要になって来ることもある。(12ぺ)

○三田紀房著『ドラゴン桜①~⑫』(講談社,2004~06,530円/冊)
 ベストセラー『下流社会』という新書に紹介されていた漫画『ドラゴン桜』を,Hさんからお借りして読んでみました。ドラマになっていたことも知ってはいましたが,元来ドラマなどには全く興味がないので,見たこともありません。一方,マンガにも全く興味がないので,これまた見たこともなかったのです。私が漫画を買ったり借りたりして読むときには,「何か他の本に引用されていた」とか,「講演会で紹介されていた」とかがあるときです。
 さて,この『ドラゴン桜』。結論は…結構おもしろかったです。教育を語るときに,使える言葉もありました。
 そこで,漫画を読みながら,色々な先生の台詞を抜き出してみました。本屋に行くと『ドラゴン桜』から抜き出した言葉を集めた単行本が売っていました。やっぱ似たこと考えるやつがいるんだね。
 ここに書いてあることをマジでやれば,大学受験にも結構良さそう。うちの受験生も真剣に読んでいて,結局3月に出た『第12巻』を買ってしまいましたとさ…。
 そうそう,抜き出した「言葉」は,別のレポート教育の原点が見えてくるドラゴン桜の台詞で紹介しました。

○DVD『板倉聖宣と仮説実験授業』(スタジオ・オズ,2006,約70分,6300円)
「仮説実験授業とは…」を提唱者・板倉聖宣氏が語る!!
 スタジオ・オズが録りためてきた50時間余りのビデオ映像の中から,板倉さんのお話をピックアップして作成されたビデオです。授業の様子も織り交ぜながら,仮説のことが紹介されており,なかなかいいビデオに仕上がっています。本編が43分。授業の映像として,犬塚さんの力と運動,小原さんの「自由電子が見えたなら」,斉藤さんの[光とむしめがね」の授業の一部が,それぞれ9分くらいずつ入っています。

犬塚清和編集『仮説実験授業の勝利宣言』(ガリ本図書館,2005,131ぺ)
 2005年夏の「授業科学研究会」で話された内容をもとに,他にもいくつかたのガリ本などから講演記録などを集めて製本されたガリ本です。私は,その夏の研究会の様子が知りたくて購入しました。
 仮説社の竹内社長が,板倉先生の話を引用してこう言っています。
ケンカというのはね,<勝った,勝った>と言っちゃいけないの。<なんか負けそうだ,負けそうだ>と言ってて,まわりを見たらいつの間にか敵は負けててどこかへいなくなっちゃった。これが最高の勝ち方で,勝利宣言なんて会やっちゃいけないんだよ」と言われたそうです。だから,今夜の会は内緒です。(13ぺ)
 板倉さんらしい切り返しです。「勝利宣言しよう」という会に対して,「そんな会はやっちゃいけないんだよ」とはね。板倉先生は,これに答える形で
「科学」はいつ勝利宣言したでしょうか? 一度も「勝利宣言」をしていないんです。/「科学」というものについての私の考えは,「科学の碑」にも書いたように,「科学は大衆のものとなってはじめて真理となる」ということです。(17ぺ)
 これを読んでいて,珠洲原発問題を思い出しました。あれも,「まだ危ない,まだ安心できない」といいながら粘り強く世論を作っていく中で,時代も変わり,世論も変わり,電力会社も変わり,いつのまにか敵は負けててどこかへいってしまいましたから。
板倉先生の方針というのは,<ちょっとぐらいのいい授業をやったんではダメなんだ。段違いにいいことを示せば,そうとう素人でも「いい」と認めてくれる>ということですよね。(14ぺ)
 このほかにも,「人口を予測する」とか大昔の座談会の記録「現代と科学と教育と」(1972年)とかも入っていて,刺激的な本に仕上がっています。もう一度読んでみたくなる本です。

○西川浩司・犬塚清和共著『仮説実験授業のある人生』(ガリ本図書館,2005,187ぺ)
 井上さんの編集による犬塚さん・西川さん・板倉さんのお話をまとめたガリ本です。
ラインを引いた部分を一部紹介します。
・自分という人間に立ち返って,昔の屈折していたときのことを見れば,「子どもを残してまで一生懸命に教えてわからなかったらますますダメになる」とか,「先生が一生懸命やろうとしても,それをきちんと伝える手立てがなかったらますます落ち込んでしまう」とかいうことはわかるはずなんだけれども,ふり返ることができない。ふり返ることができるようになったのは,やっぱり仮説実験授業をやってゆとりが出てきたからなんです。「ああ,いい教育とはこういうものか」ということがわかってはじめてふり返ることができる。(28ぺ・西川)
・思っていることを校長に見せるんなら,自分の気持ちを素直に書くことが<自信と意欲>につながるので,ごまかして書いてはいけないと思います。ごまかすならコピーして怒られるくらいに徹底的にごまかす。変に自分の気持ちを整理しようとすると,自分をだますことになります。これは,学級経営案だけではなくて,ぼくは,わりといろんなことに対してこんなふうに行動します。(44ぺ,犬塚)
・学級会が大嫌いで,悪い子がいたら罰を決めたり,「いいクラスにするにはどうしましょう?」と話し合ったり,そういうのが本当に腹が立ちました。(47ぺ,犬塚)
・私にとっての「民主主義」とは「奴隷主義」に対する言葉です。それでは「奴隷」とは何か。「奴隷とは自ら欲することに反することをさせられる者」というのが私の定義です。だから,いわゆる奴隷制社会がなくなっても,自ら欲するに反することをさせされていれば,これは奴隷制社会が続いていると理解しているわけです。/そのような奴隷制社会から自分たちを守る。これが私にとっての「基本的人権」です。そして「基本的人権はいついかなる時でもこれを侵すことはできない」というのが私の理解です。(66ぺ,板倉)
・専制国家では支配者が一人か,ほんの一握りの集団です。そういう人たちが私たちを監視することは,なかなかできません。しかし,民主主義の名のもとに多数の人たちが私たちを監視するとしたら,それは恐ろしく私たちを奴隷状態にするでありましょう。「そういう民主主義は,天皇制よりももっとひどい奴隷制である」と私は考えております。/もし,「掃除をすることがどうしての必要だ」と教師が判断するならば,教室は最終的に教師が管理責任を保つところだから,教師の権限でもって子どもたちに掃除をさせるのであって,多数決の権限で掃除をさせてはいけない。(69ぺ,板倉)
・だから私は,たとえ議会で合法的に「戦争をやる」と決まったとしても断固反対します。従いません。「多数決に従う」などと言っていたら,戦争に反対することなど絶対にできません。「戦争反対」が民主主義の出発点だった私たちにとっては,「多数決に従う」などと言うことは承伏できない。(70ぺ,板倉)
 他にも紹介したい言葉がいっぱいです。

3月号

○桂米朝著『桂米朝集成・全4巻』(岩波書店,2004~05,350~400ぺ,3400~3800円)
 人間国宝の桂米朝師匠が語ったり,書いたりした物の中から,今まで埋もれていたものを集めた本です。4巻の内訳は以下の通り。
 第1巻 上方落語1
 第2巻 上方落語2
 第3巻 上方文化
 第4巻 師・友・門人
 まだ,2巻までしか読んでいませんが,知らなかった落語の舞台裏が分かっておもしろいです。「独演会」という形で落語をやるのは,米朝師匠が初めてだったらしく,体長をこわしながらもやり遂げたという話をドキドキしながら読みました。一門会には枝雀さんも出ていらして,見たかったなあと思います。
 落語は好きだし,ずいぶん聞いているのですが,「演題」を聞いてすっと分かるお話が少ないので,もう少し真剣に聞かないと…と反省しました。そうじゃないと,本のおもしろさも半減するんだよなあ。
 腰巻きには「傘寿を記念し,円熟の芸論を集大成」と書かれていました。傘寿といえば80歳だよなあ。うちの親父も同世代。この本を楽しんで読んでいました。

○西江雅之著『「食」の課外授業』(平凡社新書,2005,196ぺ,740円)
 カバーには,「文化人類学の視点から見た,驚きに満ちた人間と食との関係」と書かれています。新聞の書評欄で見つけた本です。食べることを文化の側面から述べてくれていて,おもしろかったです。田舎の地域の「伝統」っていうものが,実は地域興しのために一生懸命作られている物だという指摘や,いったん「伝統」となったからには,食材自身が輸入されようが,かまわないという「伝統」もあるという指摘には,「伝統」づくりそのものについて考えさせられました。

○米原万里著『必笑小咄のテクニック』(集英社新書,2005,205ぺ,680円)
 この本も新聞の書評を見て購入しました。
 小咄の落としどころとはどこにあるのかを,いくつかのパターンに分けて解説をしています。しかし,それがたんなる笑い話・落とし話に限らず,小泉首相やブッシュ大統領の話のもっていき方にも言及しています。詐欺にも似た相手を錯覚させる方法,マクロとミクロを反転させる方法など,「必笑」などと言っていられない論理の矛盾を見つける基礎知識・為政者の論理を見破る基礎知識としての本となっています。でも,題名通り,小咄のおもしろさや構造を解いていることには間違いないので,気軽に読んでみてください。途中練習問題が出ているのですが,解けたのは本の数題でした。まだまだ読みが足りないなあ…。

○ゴーシュ編『懐かしの縁日大図鑑』(河出書房新社,2003,126ぺ,1500円)
 映画「三丁目の夕日」は,昭和のよき時代の映画だからよかったというよりも,いやがおうでも人間のつながりの中で生きていた時代を見せてくれたからよかったと思います。自動販売機などがなかった時代,駄菓子屋に行けばおじさんと話さざるを得ないし,そのおじさんも店によってこわかったり…。近所のことは,積極的に知ろうとしなくても伝わってきました。家の中だけではなく,縁の下まで遊び場でした。
 祭りになると,たくさんの店が並びます。わずかなお金を握りしめて,私たちはその日1日をどう過ごすかを考えます。あれも欲しいこれもほしい…型抜きでは,屋台のおじちゃんと「これは成功だろ!!」と詰め寄ることもありました。おっかないけど,そういう大人と関わっていることが祭りの日であり,お彼岸の中日でした。
 古き良き時代と言ってしまえば,なんとも年寄り臭くなりますが,いつの時代もかわらない縁日の屋台の姿もあるはずだ,と本書を読んで思いました。

○D.H.クラーク/S.P.H.クラーク著『専制君主ニュートン-抑圧された科学的発見』(岩波書店,2002,177ぺ,2700円)
 新聞の書評を読んで,ずいぶん前に購入して積んでおいた本です。ふっと手に取ってみました。
 大科学者ニュートンの知られざる別の顔が出てきます。それは,自分の研究のためにほしい観測結果を相手を騙してでも手に入れようとすることであり,自分の発見以外を軽視する態度でした。
 ニュートンと同世代を生き,ニュートンの策謀に立ち向かった二人の科学者を取り上げて,ニュートンの専制君主ぶりを暴き出しています。その二人の科学者とは,英国王立天文台初代台長-ジョン・フラムスチードと,初めて電気通信実験を行ったスチーブン・グレーです。ちなみに,英国王立天文台というのは,グリニッジ天文台のことで,世界標準時の経線が通っている場所です。ニュートンは,自分の研究を完成させるために,フラムスチードがこの天文台の観測で得た値を無理矢理うばおうとしたのです。
 名誉というか名声というか,そんなものをほしがると,へんな方向に曲がっていくのでしょうか? それとも,このニュートンの物語は,単に,ニュートン個人の話なのでしょうか。

○中沢新一著『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書,2004,186ぺ,700円)→網野善彦氏の著作を読む」へ

○小川洋子著『博士の愛した数式』(新潮文庫,2005,291ぺ,450円)
 ただいま,絶賛上映中。本もベストセラー。第1回本屋さんが選んだ本だったっけ。ほとんど小説を読まない私も,結構気になっていた作品です。文庫のあとがきは,数学者の藤原正彦氏が書いています。小川さんは,藤原さんに取材して,この本を書いたそうです。
 数字を見るたびに,素数などを思いだし,それについて語り出す博士。しかし,この博士の記憶は80分しか持たないのです。だから,忘れて困ることは,背広にぺたぺた貼ってあるといいます。
 それにしても,こんなことを思いつく小説家って,どんな頭をしているのでしょうか。ルートと名付けられる家政婦の息子も,いい味出しています。映画も見てみたいなあ。DVDになった買うか。

○田中克彦著『名前と人間』(岩波新書,1996,204ぺ,650円)
 何で本棚にあるのか,カンペキに忘れてしまっている本って,何冊もあります。その時は読みたいと思って買うのだけれども,他の本を読んでいるあいだに興味が薄れ,仕舞いには買ったことさえも忘れてしまうのです。
 言語学と名前学,固有名詞の語源などについて,言語を見るものさしを教えてくれます。フォルクスエティモロギー(民間語源)という言葉も初めて聞きました。
 固有名詞は,個性的だと思っているだろうけど,一生懸命ユニークな名前を考えたところで,ほとんどの日本人は日本人的名前しかつけません。それは,その民族の文化にふさわしいパターンから外れまいとしているからです。個性的であるはずの固有名詞が,共同体である国や時代からタガを嵌められているのです。
エスニックな固有名詞をまもり,それを正しく読むことは,そのような名前を帯びる人や土地だけでなく,言語そのもの尊ぶ気持ちから生まれることがわかるのである。権力が支配し,無視し,つぶしにかかった小さな名前をいつくしみ,その名前を生んだことばを尊ぶことは、破壊的な巨大国家と巨大文明におしのけられた、文字以前の、つつましやかな人々の生活に思いをはせるエコロジー運動の一つである。(203ぺ)

○佐藤健一編『江戸の寺子屋入門』(研成社,2000,1996ぺ,1545円)
 たまたまネットで見つけた本です。研成社っちゅう出版社も初めて聞いたような気が…。副題に「算術を中心として」とあるように,本書は,江戸時代の寺子屋で使われていた教科書から「読み・書き・そろばん」の「そろばん」の部分だけを取り出して,概要を説明してあります。
 吉田光由『塵劫記』の紹介もあります。
 そろばんや当時教えられていた単位のこと,あるいは問題やその解答も出てきます。また,よく出てくる文字については,その変体仮名の現れ方も示してあるので,昔の本を読むときの手引きとなるかも知れません。それにしても変体仮名って,余りにも崩しすぎて,元の漢字を連想できないのが残念だなあ。
 ところで江戸時代に寺子屋ってどれくらいあったと思いますか? 10件,100件,1000件,それとも1万件以上,いやいやそれ以上か…『日本教育史資料』によると,江戸時代の後半で,15560件だそうです。すごいねえ。江戸だけでも,1000件はあったといいますから…。

2月号

 今月は,なんとなくベストセラーを読んでいた感じですね。最近は,新書版にベストセラーがおおいです。ま,ベストセラーだから読んでいるわけではなくて,日曜日の新聞の書評などを読んで買っているのですがね。

○向山洋一・根本正雄著『向山洋一の学校論ー教育課程論ー』(明治図書,1987,134,296ぺ,2300円)
 ご存じ,法則化(今はtoss)の向山氏の著作の中で「教育課程」に関する本を,何冊か借りて読んでみた。
 本書は,昭和58年(1983年)に向山氏が千葉大学教育学部で講義した「教育課程論」を,のちの法則化体育の中心メンバーとなる根岸正雄氏がテープ起こしをしてまとめた記録である。根本氏は,この講義をリアルタイムで聴いていたようだ。
 この講義は,有田氏との立ち会い授業のまっただ中に行われていたようだ。また,講義には向山氏が教務主任であった調布大塚小学校での研究が主に紹介されており,普通の学校との違いがよく分かる。
 だいたい「学校全体で研究しよう」という雰囲気は,今までの職場でなかなかできるものではない。ましてや研究授業を進んでやるという人もどの学校では少ないだろう。ま,わたしも余り進んではやらないが…言われたらするけど…。「私がやります」というと,変な目で見られる雰囲気もあるんだよなあ。それが,平均的な現場だから仕方がないけど…。サークル仲間との間と,一般の教員仲間とでは,微妙に受け取られ方が違うからなあ。だから,自分の研究したいことをやっていることがいちばん居心地がよかったのだ。今でもそうだけど…。
 が,最近,こうして担任が持てない年が続くと,学校現場に少しは自分の研究したことも活かしたいなと思うようになってきた。それで,昔懐かし本を借りて読んでいるというわけである。
 ただ,やはり,研究授業100回とかプロがどうのとかを前面に出されると現場の教師はついていけないだろうなと思う。ついてこれるヤツだけが,教育を変えるって思っていればいいのだろうけど,それじゃ,やっぱ現場は変わらないよなあ。ゆったりとみんなで研究できる方法もあるような気がする。
 他に,中島芳之・向山洋一編著『研究集団・調布大塚小学校』(明治図書,1986)を読んだ。

○貴戸理恵著『不登校は終わらない』(新曜社,2004,327ぺ,2800円)
 ずいぶんと値段もページ数も多い本ですが,とても読みやすかったです。
 著者は1978年生まれだよ~ええって感じだろ,みなさん。
 不登校問題は「病気だ」いや「選択の問題だ」といろいろと言われてきました。本書は,そういう不登校に対する社会や文科省のとらえ方の変遷をしっかりと追いながら,今まで抜けていたものとして<当事者の意見>を前面に出してきます。そこには,不登校が病気だと言われて動揺した経験のある子もいれば,不登校は選択だと言われて「私はこれしかないと思っただけで選択した覚えはない」とふり返る当事者も出てきます。選択ならば責任はそういう行動を選んだ自分にあることになり,それが余ほど自分を追いつめることにもなりかねません。
 不登校の経験者が語る不登校とそれ以後の人生は様々ですが,それは一枚岩的なものではありません。一言で片付けようとすること自体,無理があったのです。
逆説的なことであるが,<当事者>の一枚岩性を裏切り,その実態の空虚さを示すためにこそ,「<当事者>として語る」ことが,絶対的に重要なのではないだろうか。彼ら・彼女らの主張は,人びとがこぞってそれについての膨大な語りを生産することによって創出された<当事者>という虚構の同一性をうらぎり,「理解」を差し向ける対象としての「<当事者>なるもの」を解体してゆく言説実践としてあると思われるからである。(276ぺ)

○織田道代著『ねこのどどいつあいうえお』(のら書店,2005,95ぺ,1300円)
 本書は,昨年夏,東京から来られた「能登大好き家族」の奥さんから頂きました。「珠洲たの」のHPを見られて,私が都々逸が好きだと知ってのおみやげでした。ありがたいことです。
 いろいろなネコの表情を「7・7・7・5」のリズムで,韻を踏みながら紹介してくれております。いくつか紹介しましょう。
・しなやかなあし しずかにはこび ふりむきもせず しゃれたねこ
・ずずめおいかけ にげられちゃって そしらぬふうの すましねこ
・つめをといでは やみをきりとる こよいのつきを つくるねこ
・ともだちだよね そうおもうのに よんでもこない とんだねこ
・ぬすみじょずな まあるいあしで またもこころを ぬすむねこ
 私は,都々逸そのものより,この絵本の各ページを飾るスズキコージさんの絵というかコラージュが気に入りました。なかなか秀逸ですぞ。

○庄井良信・中嶋博著『フィンランドに学ぶ教育と学力』(明石書房,2005,340ぺ,2800円)
 前著同様,値段もページも気合いの入った本です。
 フィンランドの教育については,PISAの調査で1位になったということで大騒ぎされていますが,本書は,けっこう冷静な本に仕上がっています。フィンランド教育バンザイ,フィンランドの社会バンザイとはなっていません。多方面からの発言が,フィンランドの持つ矛盾もまたしめてくれています。
 フィンランドの教育の長所として
「平等」は,フィンランドにおいて,最も重要な教育目標であり,また,最優先課題とされてきたものである。実際,就学前段階から高等教育段階まで,公立・私立にかかわらず,無償制をしき,教育の機会均等の保障に努めてきた。
フィンランドは,PISAにおける構成成績の背景として,学校内における能力別指導やランキングの否定など,非選別型の教育を行ってきたことを理由の一つとしてあげている。(21ぺ)
その一方で,子どもたちに対し,各段階において一定の学力水準を満たすことを求めるという修得主義的なアプローチを採用している。このような考えのもと,フィンランドの学校は,学習に対する責任を学習者である子ども自身に帰する一方で,すべての子どもたちが課程を修了できるよう努力を払っているのである。(23ぺ)

と述べる一方で,次のような課題も抱えているといいます。
PISAは,各「リテラシー」におけるフィンランドの子どもたちの水準の高さを示したが,一方で,子どもの学校ぎらいの傾向,怠学傾向というフィンランドの教育が抱える課題も明らかにした。(28ぺ)
 また,北海道東海大学の川崎一彦氏は「福祉と経済を両立させる知業時代の教育システム」と題した論文の中で,今後,日本でも必要とされるであろう「内的企業家精神教育」について以下のように述べています。
IT業界ではその変化のスピードを描写するのにドックイヤーという表現が使われたように…(中略)…このような知業社会においては,工業社会とは異なる教育の考え方とシステムが必要であり,即効性はなくて,たとえ時間がかかっても,日本にとっては必要不可欠の政策である。(177ぺ)
知業時代には,知的財産を創り出すためには,何よりも創造性が重要である。また,知業社会の変化に対応するためには,内容よりも方法,判断力,柔軟性,目的指向が必要とされる。さらに,外的環境や条件の目まぐるしい変化に対応するためには,学校を卒業後,職業人になってからも生涯学び続ける必要がある。このような知業社会に必要な教育システムのヒントがフィンランドにある。(178ペ)
 そのフィンランドでは,就学前から自己効力感を育てるべく,起業家精神教育を養おうとしているようです。園児には「園児による大人に対する語り聞かせ(ストリーテリング)」を行うことをやっているそうです。

○三浦展著『下流社会』(光文社新書,2005,284ぺ,780円)
 今,ベストセラーになっています。私が持っているのは,11月20日ですでに8刷です(初版は9月20日)。
 新聞などでもいろいろと書評は出ているでしょうから,わたしが述べるまでもないでしょう。先日,新聞に「日本人の所得は,2極化しているかどうか」というアンケート結果が出ていましたが,半数以上の人が「富める者とそうじゃない者」との2極化を感じているようです。
 本書を読むと,下流層と言われる人たちは,今はそれを甘んじて受け入れているような風が読み取れます。「今のままでいいじゃないか」と。仕事に情熱を燃やす「仕事の流儀」をめざす人もいれば,ダラダラ過ごしている人もいる。自分らしさを目指すことが本当にいいことかどうかという指摘もあります。
 この本には『ドラゴン桜』の話題も出てきます。そこで,その漫画を読みたくなったというわけです。
 ベストセラーだけあって,おもしろい指摘の本でしたよ。

○白石昌則著『生協の白石さん』(講談社,2005,150ぺ,1000円)
 これまた昨年末からのベストセラーです。地元の本屋さんで立ち読みしていたのだけれども,申し訳なくなったので買ってきました。
 こんなに楽しい,心温まる話は久しぶりです。今の世の中でベストセラーになる理由が分かります。本書の腰巻きに「日本中ほっこり!」というコピーがありましたが,たぶん,みんなちょっぴり幸せな気分になれるのではないかなと思います。
 東京農工大学の生協に勤める白石さんが,学生からの生協に対する要望書に一つ一つこたえただけのことが,こんなに日本を席巻するとは。白石さんもビックリしておられました。そりゃあそうですよね。
 それにしても,掲示板を通してのこういう交流を学生が求め,盛り上がっていくことは,もしかしたら,日本社会の歪みのひどさをあらわしているのかも知れませんなあ。

○藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書,2005,191ぺ,680円)
 これも現在ベストセラー更新中という本です。だから,珠洲でも手に入ります。
 なかなか興味深い意見を述べています。「真のエリートが必要。真のエリートは衆愚政治を超える,民主主義の論理を使っても戦争は止められない」と言います。ナチスのことを考えると,決して「ウソだろー」とは言えません。また,日本の小学校に英語教育が導入されることやグローバリズムがアメリカ化されていく状況に対しては,その危険性を次のように述べています。
▼公立小学校で英語など教え始めたら,日本から国際人がいなくなります。英語というのは話すための手段に過ぎません。国際的に通用する人間になるには,まずは国語を徹底的に固めなければダメです。表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。(40ペ)
▼経済的その他の意味で本当に効率的な世界を作りたいのなら,例えば明日生まれてくる赤ちゃんから全員,世界中で英語だけを教えるようにすればいい。-(中略)-そんな世界になったら,人間もろとも地球など爆発してなくなった方がよい。もやは人間が生きるに足る価値のある星ではないからです。-(中略)-各国,各民族,各地方に生まれ美しく花開いた文化や伝統や情緒などは,そんな能率・効率よりも遙かに価値が高いということです。「たかが経済」を,絶対に忘れてはいけません。(138ペ)

○養老孟司著『超バカの壁』(新潮新書,2006,190ペ,680円)
 これもまた,今でもベストテンに入っているでしょう。『バカの壁』『死の壁』につづき第3弾。いろんなところで紹介されているので,私のブックレビューは必要ないでしょう。原点に返っても物事を考えるには適した本です。
 わたしが赤線を引っ張った部分の,小見出しをひらってみます。
「自分に合った仕事」なんかない・ニートに感謝する・オンリーワンよりただの人(以上「若者の問題」より)・大切なのは予防(テロの問題)・政治家の夜(男女の問題)・世論調査はあやしい(戦争責任の問題)・国立宗教の誕生・すっきりしなくていい(靖国の問題)・誤解はあたりまえ・面倒から逃げない・雑用のすすめ(本気の問題)
 それにしても,新しく参入してきた「新書」たちが,このようにしっかり市民権を得ているところがスゴイです。以前のわたしの本棚には,岩波新書か講談社現代新書か中公新書くらいしかなかったのに,少しずつ他の会社のものが増えています。昔からの新書より,字も大きくてあまり学問的ではないところがうけているのかも知れませんね。岩波新書にもそういう関係の本がずいぶん増えてきましたよねえ。

○中一夫著『学力低下の真相』(板倉研究室,2005,185ぺ,1200円)
 中さんの「学力低下」に関する研究が1冊の本になってまとまりました。昨年12月に生で聞いた内容ですが,こうして1冊の本になると,また復習もできていいものです。本書が中さんから送られてきたのはお正月前。サインも入っていて,わたしの大切な宝物です。
 この本を元にして,校内研修会で「学力低下の真相」をやってみました。その結果は,別のレポートでご紹介します(サイトには未掲載)。

○中一夫著『増補改訂版 指揮者のミス・太郎と花子と桃子』(ガリ本,2002,151ぺ,1000円)
 これまた,中さんの本。今回手に入れたのは増補改訂版。太郎と花子チャンに加えて仲間入りした桃子ちゃん。我が子からもしっかり学んでいる中さんの父親の優しい目がほのぼのとしていてとても暖かな雰囲気になれます。
 子育て中は,子どもに時間をとられることがもったいなく思ったりしていたのですが,こうして,予想をもって子どもにふれあいながら子育てをすることで,底でしか学べないことがたくさんあるのことに気付かされました。

1月号

文溪堂サイト

○板倉聖宣・湯沢光男共著『コマの力学』(仮説社,2005,134ぺ,2000円)
 サイエンスシアターシリーズ「力と運動編」の第4巻です。
 このシアターは,体験していないので,読んでいても新鮮でした。特に,このコマの部分は,「回転運動」で「慣性」を説明してある所なんて,へーと納得しました。

○桜井信夫著『燃えるいなむらの火』(文溪堂・てのひら文庫,2004,80ぺ,350円)
 浜口梧陵の「いなむらの火」ことが,尋常小学校国語読本に載っていたのは知っていました。昨年のNHK『その時歴史が動いた』で「百世の安堵をはかれ」というタイトルで浜口梧陵の特集をやっていて,それも見ました。津波による被害が起きる中,この話が見なおされているようです。
 小泉八雲が,アメリカに紹介していたとか,日本海中部沖地震の時に「稲むらの火」を教えておけば,子どもたちは逃げられたかもしれない」と言われていたことなど,いろいろと梧陵についての話題はあるんですねえ。
 子ども向けの本ですが,浜口梧陵の伝記となっていて,けっこう読み応えがありましたよ。

○門脇厚司著『子どもの社会力』(岩波新書,1999,213ぺ,740円)
 数年前に出版されたこの本の帯に05年に新しく「戦後60年,私が薦める岩波新書」として佐藤学さんの推薦文が載っていました。金沢のうつのみやに行ったときに平積みされていたこれらのシリーズの中から,おもしろそうなので購入しました。
 社会力というのは耳慣れない言葉だと思います。著者は,「はじめに」の部分で,通常よく使われている「社会性」というものと「社会力」との違いについて,次のように述べています。
▼いまや,心理学の専門用語になっている感のある「社会性」なる用語が,既にある社会に個人として適応する側面に重きをおいた概念であるのに対し,本書で用いる社会力には,一つの社会を作りその社会を維持し運営していく力という意味を込めている。/このような用語を作り用いようとしたのは,わが国の若い人々に欠けているのは社会への適応力というより,自らの意志で社会を作っていく意欲とその社会を維持し発展させていくのに必要な資質や能力であると考えているからである。(ⅵぺ)
 そして,そういう社会力をつけるために必要なこととは何なのかを本文で解き明かしているのです。
 私は本書を読んで,「子どもが小さいうちから様々な大人と出会い,関わることの大切さ」を再確認しました。再確認というのは,前任校での経験があるからです。前任校では,教室にたくさんのゲストを迎えて授業をするという研究をしたのですが,そういう地域の大人の影響力は,教師を遙かに凌ぐものでした。当時は「ホンモノに出会う」というような表現で研究を進めていたのですが,まさに,子どもたちはそのホンモノの話を目を輝かせて聞き,深く考えてくれたのでした。
▼多様な他者との相互作用が多くなるほど,社会への関心が高まり,あるべき社会を構想し,それの実現に関わろうとする意欲と能力も高くなるということである。(110ペ)
 両親と子一人という3人家族の家庭には,父子,母子,父母という3種類の人間関係しかありませんが,ここに祖父母が加わる(5人家族)だけで,10通りもの人間関係を体験し観察することになります。家庭が社会のミニチュア版も果たすとすれば,この違いは子どもの社会力の成長にとってとても大きなものとなるでしょう。私の家庭の場合は,12年前から7人家族なので,21通りものミニ社会が繰り広げられていることになります。そういう人間関係を見て子どもたちは育っていくのですから,「社会力」がついているはずです。たぶん。
 本書の最後に「冒険遊び場」という大人達の取り組みも出てきます。こんなのが必要になるほど,子どもたちは追いつめられているのだと思うと,悲しくなってきます。

○加藤明著『評価規準づくりの基礎・基本』(明治図書,2003,135ぺ,1760円)
 梶田叡一さんの著書で,「これは参考になりますよ」と紹介されていたので,本屋タウンから注文して読んでみました。「著者紹介」によると,京都ノートルダム女子大学の教授です。
 形成的評価の進め方と,その実際が主に算数と総合を例として書かれています。こういうタイプとしては,わりと読みやすくわかりやすい本でした。しかし,それは,私が他の本を先に読んでいて,すでに形成的評価等についての予備知識があったからかも知れません(ま,なくても,総論で書かれていますので本書だけでも理解できるとは思います)。
 著者は形成的評価を次のように述べています。
▼総括的評価を審判としての評価とするなら,形成的評価はコーチとしての評価と位置づけられる。(10ぺ)
▼困難や失敗から「どこをどのようにがんばればいいか」と考えさせたり,指摘したりして励まし,背伸びをしてがんばることを支え,奨励しながら「できた」「分かった」といった事実を創り出す,これがコーチとしての評価,形成的評価である。(11ぺ)

 また自己学習力については,教科や単元の目標を考えるときにそれらの上位の目標として必要になると指摘して,こう述べています。
▼自己学習力の育成といった目標は,教科や総合的な学習等の目標の実現を通してこそ実現が可能であり,教科や総合的な学習の指導は,その教科や時間の目標の実現だけにとどまらず,自己学習力の実現というもっとも大きな願いとしての目標に支えられていなければならないということである。(20ぺ)
 つまり,将来やる気になる,やろうと思ったら自分でやっていける力を見据えた上で,教科の実践があり,総合の学習があるというのです。至極もっともだと思います。
 しかし,現実はどうでしょうか? 自己学習力を高めるというよりも,明日のテストのためにこれを覚えておけというような指導になっているように思います。自分のことをふり返っても,本当に自己学習力を育てているのかと疑問に思うこともあります。
 が,仮説実験授業だけは,違います。学んでいるときも楽しく,しかもよく理解できて,さらにもっと調べたい,将来もやってみたいという子を着実に増やしています。うれしいことです。
 本書には「授業づくりの方法」として目標を明らかにしての単元の組み方が説明されています。すべての単元でこういう事をやる余裕はありませんが,年に2~3回は,やってみるのも教科書を見なおす意味でいいかも知れません。

○森達也+姜尚中著『戦争の世紀を超えて』(講談社,2005,294ぺ,1800円)
 いやー,おもしろかったです。金沢のブック宮丸で目にとまり,何度もそのあたりを行ったり来たりして,最終的に買った本でした。この夏読もうと思っていた本ですが,時間がなくて読めなくて,冬休みにゆっくり読んでみました。
 本書は,人類が起こした戦争の記憶が残る世界の数カ所をまわり,それにまつわる思いを二人が語るというように話が進んでいます。そして「今」を見つめ直そうというわけです。
 本書を読む中で,森さん制作した『A』『A2』というドキュメンタリー映画のことを知りました。さっそくアマゾンから手に入れて見てみました。結論だけ言います。みんな見て欲しいです。

○森達也著『放送禁止歌』(光文社・知恵の森文庫,2003,256ぺ,650円)
 本書は,森氏がディレクターとして,放送禁止歌を歌ってもらう番組を作ろうという企画の中から生まれたものです。
 あのサザンが歌った「ヨイトマケの唄」も三輪明宏が歌った頃は「放送禁止歌」だったという。その他にも,「竹田の子守歌」「網走番外地」などたくさんの「放送禁止歌」を紹介しながら,禁止というタブーを生み出していたのはだれかを暴き出します。

○マルコム・グラッドウェル著『ティッピング・ポイント』(飛鳥新社,2000,310ぺ,1700円)
 鍵山秀三郎さんの『掃除道』の最後の方に紹介されていた本です。鍵山さんはニューヨークの犯罪を減らすために地下鉄をきれいにすることが役立ったという趣旨で本書を引用されています。
 副題に「いかにして小さな変化が大きな変化を生み出すか」とあるように,本書は,様々な場面でいかにして「流行」や「時代の流れ」というのが出てくるのかを解き明かそうとしたものです。
 残念ながら,大変読みにくいです。それは,翻訳物であり,あちらに関する知識がほとんどないときに,それがどんな意味を持っているのかがなかなか分からないのです。例えば,セサミストリートがなぜ成功したのかという件も,セサミストリートで育っていない私たちにはちょっとわかりにくいと思います。この本の日本版(日本での出来事を,ティッピング・ポイントという考え方で見ていくような本)を誰か考えてくれないかなあ。そういえば,昨年末,惜しみながら終わった「プロジェクトX」の一つ一つなんてのも,考えようによっては「ティッピング・ポイント」をうまくつかんで成功した例なのかも知れないなと思いますが。
 おっと,肝心の「ティッピング・ポイント」という意味を書かなかった。カバーの裏に書いてあるのを書き写しておきます。
TIPPING POINT あるアイディアや流行,もしくは社会的行動が敷居を超えて一気に流れ出し,野火のように広がる劇的瞬間のこと。

○月光天文台監修『世界「暦」めぐり』(国際文化交友会,2005,62ぺ,350円)
 暦に関するブックレットです。サークルで共同購入している『星のカレンダー』を作っている月光天文台が作成したものらしいです。今年のカレンダーを注文するときにいっしょに注文したものを分けてもらいました(珠洲たのメーリングリストsuzutano0972で紹介)。
 これには,各国のカレンダーがたーくさん載っています。太陽暦・太陰暦はもちろんのことネパール歴やエチオピア歴など,見たこともない暦の画像が豊富です。学級通信などで,一つずつ紹介するのもおもしろいかも知れません。数字(文字)だって,その国独自のものもあるし,子どもたちは絶対喜びそう。私なら,学級通信の来年度の前半は「暦シリーズ」だなあ。そしてそのあとで『世界の国旗』をやる。担任できればの話だけどね。

○新垣勉著『ひとつのいのち ささえることば』(マガジンハウス,2004,190ぺ,1300円)
 昨年の石川県教育研究集会の講演(おしゃべりコンサート)に来てくださったのが,この新垣さんです。全盲のテノール歌手として,有名らしいですが,私はそれまえで知りませんでした。研究集会当日も,他の仕事の準備が忙しくて参加できませんでした。そこで,この本もSさんからお借りして読んでみました。
 新垣さんの歩んできた人生は,とても悲惨です。よくこれで立ち直れると思いました。「オンリーワンの人生を生きよう」(腰巻きより)と思ったときに,自分の寄って立つ生き方が決まったのでしょうか。
 珠玉のことばが綴られています。
▼人を受け入れられないということは,自分自身すらも受け入れてはいないということなのです。
▼自分にとって,どんなに生きがたい苦しい人生であったとしても,どんな人生にも無駄はないのです。
▼人というのは加点法で見てあげなければいけません。そうすれば,モチベーションが上がり,その人をやる気にさせるのです。
▼「我以外皆師なり」吉川英治さんのことばです。人間はどんな人からも学ぶことができる。人は皆,どこかしら優れたところがある。それを学ぶべきなのです。
▼教師になりたかったけれど,生徒に点数を付けることができないと思ったので,諦めました。
▼自分の損失と思っていたことが,実は自分の骨格になっていたりするのです。
酔っぱらいと視覚障害者だけは,階段から落ちてもケガをしないといいます。変に抵抗しないからいいらしいのです。

 う~ん,心あらわれるなあ。

○中瀬精一著『百姓覚えた者はない』(北國新聞社,2005,209ぺ,1000円)
 地元,柳田村(現能登町)の農家に生まれた中瀬さんが,「奥能登地方俗諺漫語」を集め,それに関する思いを綴ったエッセイ集です。中瀬さんは,昭和38年村会議員にもなっていて,自民党の役員もしています。そういう思想もあちこちに見られますが,まずは,集められた俗諺(ぞくげん)とそのエッセイ,その中の短歌や俳句,都々逸を楽しみました。
 最初の解説を,珠洲市の西山郷史さんが書かれています。
「雪道と鱈汁は後がよい」「従兄弟と犬の糞は何処にでもある」「塩したものと女に余りものはない」「でかけりゃでかいかぜがふく」-どうです,おもしろそうでしょ。特に,最後のことばなんて,まさに半昔前の正武(コクド)や今のライブドアを言い当てていることばです。
 また,本書には自作の短歌も多数掲載されています。私は短歌のよさは分からないのですが,こうしてエッセイに自分の思いをまとめて短くすっと付け加えられる<もの>を持っておられるっていいですね。
・梅雨晴れの今日の一日を喜べり栗の受粉の風渡なり
・玄関に泥靴地下足袋脱ぎ捨てて恥ずるべきやも吾農なれば
・牛飼いの気付かぬ牛の匂いをば臭いと教へ人の帰りき

以下は、仮説実験授業研究会で手に入る自家製版(ガリ本)

○板倉聖宣他著『仮説実験授業の革命』(ガリ本図書館,2005,187ぺ,1000円)
 前掲書『たのしく教師』の別冊として編集されたものです。編集者は,井上勝さん。板倉さんの20年前の講演記録「科学的教育学の成立」,そして昨年,梶田さんの『教育フォーラム』(金子書房)に寄せた「学力論の構造」を始めとして,仮説の実践家・松木文秀さん,斉藤裕子さん,林泰樹さんの心温まるナイターでの話がまとめられています。

○斉藤裕子編著『仮説実験授業ノート・トルクと重心』(ガリ本図書館,2005,160ペ,1000円)
 私の5年生の定番になっている授業書《トルクと重心》。第1部はうまくいくのですが,第2部がなかなかむずかしい。第3部~第6部は,やったことがありません。今年の5年生には第1部と第2部をしました。しかし,第2部の部分でどうしてもうまくいきません。テスト結果を見ても,第2部の問題は,さんざんでした。そこで,悶々としていたときに,この斉藤さんの授業ノートのことを『研究会ニュース2005年11月号』で知り,取り寄せた次第です。
 西川さんの授業を学んだ林さんからさらに学んだ斉藤さんが作ってくれたこのノートで,計算が苦手な子どもたちともたのしくこの授業書ができそうです。

○板倉聖宣他著『たのしく教師・第6号』(ガリ本図書館,2005,179ペ,800円)
 板倉さんの「楽しさより正しさを主張してはいけない」がおもしろかった。なんでも厳密になりすぎると,押しつけが生まれてくる原因になるのだろう。
▼たのしさより正しさ,ということを主張してはいけない。たのしい授業学派というのは,原理的にたのしい授業派なんだよ。子どもたちが間違えたことをいちいち指摘しない。だから,天真爛漫になるわけだ。(21ペ)
 これ以外にもたのしく刺激的な話が一杯です。今年は,ガリ本をどんどん読んでいきたいなあ。新しいのも,古いのも。

○板倉聖宣他著『授業学から授業科学へ』(ガリ本図書館,2005,148ペ,1000円)
 2005年夏京都で行われた研究会の講演記録集です。この会には大変興味があったのですが,残念ながら出不精のボクは行きませんでした。そこで,記録集を読んで行った気持ちになろうというわけです。しかし,読んでると「行けば良かった」という思いの方が強くなってしまったのですが…。以下,何カ所か紹介します。
▼少なくとも,仮説実験授業研究会の会員の方には,授業書の作り方まで理解していただいたうえで,授業をやっていただきたい。(6ぺ)
▼授業をする人が大量に増えたり,物が大量にできたりすると,その内容は低下します。法則的に低下する,それは,原理ですから仕方ありません。だから,「そういう原理があるんだ」ということを承知の上で,新しい問題に対処していけばいいんです。(8ぺ)
▼仮説実験授業というのは,「学習意欲が低下する」という事実を前にして,「学習意欲が低下しないようにするにはどうしたらよいか」ということの研究から始まったといってもいいのです。(8ぺ)
▼「大衆にはそんな知識はいらないから程度を下げろ」と言う人もいますが,それは違います。大衆にはもっとも高級なことを教える必要があるのです。もっとも一般的なことであって展望がきくことをね。専門家だったら枝葉末節でもいいが,一般国民には枝葉末節なことを教えてはいけないのです。(中略)社会が変われば,教育意欲は変わるのです。今までと同じ教育内容だったら,子どもたちの学習意欲は低下するのに決まっているのです。社会が変わったら教育内容を変えていかなければならない。(中略)それが私たちの仕事であり,私の考える教育の組織論です。(84ぺ)

 これも素敵なガリ本でした。

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