今月の本棚・2004年版

旧・今月の本棚

11・12月号

 11月は私の誕生月。四捨五入すると…という歳にもなり,一日一日の時間を味わうヒマもなく,流されるままの毎日。それでも,なんとかして「生きている証」を求めてさまよっています。「あなたでなければできなかった」と言われることをするのは難しいけど,「あたながいてくれたから,ここまでできた」と言ってもらえることなら私でもできそうです。その一つとして,この「今月の本棚」を書いています。いい本を紹介したいなと思います。

●酒井邦秀著『快読100万語!ペーパーバックへの道』(ちくま学芸文庫,2002,309ぺ,1000)
 英語に関する本なのに,一気に300ページ読んでしまいました。もしかしたら,これが求めていた勉強法かも…と気づきました。
 さて,本書のことは,『たのしい授業・2004年10月号』の記事で知りました。その記事は,短いレポートでしたが,新しい英語学習法が紹介されており,いっぺんに私を引きつけたのです。その英語学習法とは,簡単な(使用語数の少ない)英語で書かれた本を,たくさん読むことで,いつのまにか英語が身に付く-というものです。ただただ読めばいいだけのです。
 そのとき注意すべきことは,次のとおり。
・辞書を引かない。分からない言葉があってもとばして読む。
・日本語に直さない。まして,後ろから訳して…などという受験英語を断ち切る。
・前から順に理解する。
 中学1年生の英語力があればはじめられるというこの方法は,とても魅力的です。自分のレベルにあった本を見つけるのが一番大変なのですが,この著者のホームページ上では,その本の見つけ方だけでなく,それぞれのレベルにあった本をセット販売もしています。こんな丁寧なことはありません。そこで,さっそく最初のレベルの本のセットを注文しましたなんと注文した次の日に届きました)。20数冊で,1万3000円くらいでした。今までに6冊読みました。1冊10分~15分ほどで読めるので,今は寝る前に読んでいます。
 この方法,「訳さなくていい」といわれても,ついつい日本語に訳している自分がいます。訳せないくせに,です。文の最後から戻って訳しているときもあって,学校英語が身に付いているのだなあと思います。しかも,分からない単語は,どうしても辞典を繰りたくなります。それも我慢ですが,どうしても我慢できないときは,読み終わってから,予想を立てて辞典を繰っています。自分の単語知識のなさに愕然とします。
 少しずつ気楽な感じで読めるようになったかなとも思います。いつまで続くでしょうか? 2年間くらいで,少しは,自分で原書にあたってみようと思うかなあ。英語のHPくらいは,少し分かるようになれたらいいなと思っています。

●野田正彰著『させられる教育』(岩波書店,2002,211ぺ,1700円)
 最近の教育界は,全くどうにかしています。東京の教育界の現状は,日本でも最先端をいっていますが,本当にこのような強制だけで,真っ当な人間を育てることができると思っているのか疑いたくなります。まったく,このまま行くとお先真っ暗です。
 いろんな場面で,「させられる教育」がはびこると,教師の自主性も危うくなります。
・教育行政が決めたカリキュラムで,決めた言葉で,生徒たちに向かって語りかけさせられる。そのうえ,させられる教育を自発的に,創造的に,活き活きとおこなえ,と命じられる。(201ぺ)
・「民間企業はもっと酷いといわれている。どこに行っても同じだろう」と妥協する。しかし,彼らが民間企業をよく知るわけでもない。学校より健康な職場は多々ある。/こうして「させられる教育」を現実でないものとして意識の外に排除した教師は,何を教えるかは抜きにして,教えることのプロになろうとする。(202ぺ)
 「何を」というもっとも大切なことを抜きにして,教え込む技術だけに自分の生き甲斐を見つけようとする教師がふえている現状も,「させられる教育」の成果なのでしょうか。
・命じられ,叱られ,「従います」と答えるしか許されない関係が間断なく続けば,人は判断を停止して自分を完全に閉ざすか,幼児期へ退行し「命令自動」に陥ってどんなんい反社会的なことでもおこなうしかなくなる。(51ぺ)

 また,自分が妥協できないことについて「なんであんたは,そんなことにこだわるのか」と仲間内から非難を受けることもあります。しかし,それは,非難する人の人権感覚がすでに鈍感になっている証拠=「させられる教育にからめとられてしまっている」のです。
・自分が妥協できるからといって,精神の自由の領域を犯され,「させられる体験」に嵌められる者のすさまじい葛藤を想像できないのは,感情鈍麻である。(37ぺ)
 ここまで来ると,加害者にさえなってしまいます。
 本来の教育を求めて生きる道はあるのでしょうか。国民が気づかないと,このままどこまでもいってしまいそうです。
 野田さんは,最後にこう述べています。
・教育は生徒の可能性を信じることに始まり,可能性に驚くことに尽きる,と私は思う。同じように教師を信じなければならない。教師が自らの人間観,社会観にもとづいて生徒に語りかけるとき,生徒はその対話のなかから,この社会へ参加するの喜びを育てる。それぞれの教師に片寄りがあっても,欺瞞なく「したい教育」に打ちこめば,相互に調和してよき市民社会が造られる。(203ぺ)
 「させられる教育」がはびこったとき,私たちはどこへ連れて行かれるのでしょう。

●日本教育法学会編『講座現代教育法1 教育法学の展開と21世紀の展望』(三省堂,2001,310ぺ,4000円)
 以前,『講座2」を紹介しました。
 教育基本法,日本国憲法の改悪が叫ばれる中,法律家が見た『教育法』の「簡単な」説明書となっています。
 第1部 憲法・教育基本法の現在
 第2部 教育法学の展開
 第3部 教育法学の展望
に分かれており,全部で17章になっています。
 本書を読んで,さらに興味のわいた部分について参考図書にあたってみるといいと思います。本書は,専門的な話が出てきて簡単とは言えませんが,教育法入門としては,いい本です。こんなのを読むと,学生時代に読んでいた教育法の参考書って,なんか中身がないなって思います。

●茂木貞純著『日本語と神道』(講談社,2003,230ぺ,1400円)
 著者の茂木さんは,執筆時,神社本庁参事・総務部長。神道宗教学会理事。
 日本語の中に潜んでいる神道の影響を教えてくれる本です。
 めっちゃくちゃ「神道バンザイ」の本でして,「みなさん,日本人というのはこれだけ神道から影響を受けているのですよ。だから,神道は,日本人の血となり肉となっているのですよ」と呼びかけてきます。それが大変心地よくない。
 やはり,語源なら語源で,説明してほしい。それが神道と関わっていてもいいけれども,自然崇拝のようなものまで「日本古来の神道」に含めてしまうのは,いかがなものか。まあ,それでも,この本を選んだのは,そういう視点の本を読みたかったから。語源の説明のためにいろいろな辞典・字典を引用していて,興味深く読めるのは確かです。

●皆越ようせい写真・文『ミミズのふしぎ』(ポプラ社,2004,35ぺ,1200円)
 子ども向けの写真絵本です。「たの授」メーリングリストで話題に上っていたので購入してみました。授業書《たべものとうんこ》には,ミミズのウンコの話が出てきます。で,ミミズの本を探していたところだったのでグッドタイミング。ミミズのセックスの場面もあるし,産卵や孵化の瞬間もバッチシです。とてもきれいな写真なので,ミミズが苦手な人も見ることができるかも知れません。ミミズは「ふしぎいっぱい写真絵本3」ですが,「写真絵本1」は『ダンゴムシみつけたよ』です。これもおもしろそうです。

●斎藤貴男著『安心のファシズム』(岩波新書,2004,232ぺ,700円)
 この人の本は,とても刺激的で,現実分析が確実で,最近よく読んでいます。
 腰巻きに出ている文章(「あとがき」の一部分)が,本書の主張のすべてを物語っています。
・独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性ゆえに,それは命脈を保のだ。不安や怯え,恐怖,贖罪意識その他諸々-大部分は巧みに誘導された結果だが-が,より強力な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配される安心を欲し,これ以上ファシズムを招けば,私たちはやがて,確実に裏切られよう。
 自分たちの安全を守ってもらうために監視カメラを受け入れる国民。それを「防犯カメラ」と呼ぶことで,自分が監視されていることにあまり関心がなくなり,「犯罪者」を監視して犯罪の減少に役立っていると言われると,それをそのまま信じ込む国民。そのうちに国家から管理されていることが当たり前となり,強制を強制とは感じない世界が待っているのではないか。
「激しい摩擦が生じてもおかしくない重大な事態が進行しているのに,またそれによって大きな被害を受ける危険性が高いか,実際に受けているのにもかかわらず,当事者の内面で葛藤が感じられなくなった状態を「コンフリクト・フリー」と呼ぶのだそう(97ぺ)ですが,今,そういう状況が日本のあちこちにあるのではないかと思います。

●高橋哲也・斎藤貴男共著『平和と平等をあきらめない』(晶文社,2004,294ぺ,1400円)
 教育基本法改悪に反対する二人の論者の対談集です。今,私が追っかけている著者同士の対談なので,なかなかおもしろかったです。まあ,意見はお互い一致しているわけで,螺旋階段のような盛り上がりはありませんが,活躍している畑は違うので,その視点の違いが興味深いと思います。
 内容は次の7章に分かれています。
第1章 「強い国家」を支える人間観について
第2章 戦後,そして思春期に見た夢は
第3章 差別と戦争
第4章 走り出してしまったバスのゆくえ-大学・司法改革
第5章 マスメディアとぼくたちの同時代史
第6章 あしのジョーを泣かせるな
第7章 憲法零年
 お二人に共通するのは,社会を見る目だけでなく,戦後十数年後に生まれたということです。高橋さんは1956年生まれ,斎藤さんは1958年生まれです。私は,1959年生まれですから,まさに同世代の論客ということになります。
 二人は「自分たちは,学生運動も経験していないし,決して左翼的な思想を持っていたわけではなかった。それは,今も同じだと思っているが,社会の方が大きく右カーブを切ったために,いつの間にか左にいるように見えるようになった」-と言います。みんな本当に気がついていないのでしょうか。そこが心配です。
 それでも,私たちは,本書の表題にあるように「平和と平等をあきらめない」で進んで生きていきたい。そう思います。

●高橋哲哉著『教育と国家』(講談社現代新書,2004,211ぺ,720円)
 久しぶりに講談社現代新書を買ったら,装丁が変わっていたのでビックリしました。ちょっとまだなれない感じです。
 「第1章 戦後教育悪玉論」では,「少年犯罪が増えたといいながら,それを戦後教育のせいにする」ことについて反論をしています。
 また,「第6章 戦後教育のアポリア」では,ヒトラーの例を挙げながら,「民主主義が,民主主義の論理の中で,全体主義に転化することはいくらでもありうること」(176ぺ)と述べているように,民主主義それ自体をも完璧だとはいえないとし,法律ができても,その運用をしっかりしなければ,権力の都合のいいように利用されることもありえるし,実際そうなっている部分も感じます。「憲法」も「教育基本法」も今のままで十分だとは言えません。国民主権の「国民」をどうとらえるかということを考えても,問題を多く含んでいるでしょう。
 最近の教育界や日本の社会がなんかおかしいと感じている人は,本書で,その「もやもやの謎」がとけることでしょう。『安心のファシズム』とならんで,なかなか刺激的な社会解説書です。おすすめ。

●入江曜子著『教科書が危ない-『心のノート』と公民・歴史-』(岩波新書,2004,224ぺ,740円)
 あたらしい歴史教科書をつくる会の『新しい公民教科書』『新しい歴史教科書』,そして文部科学省が全国の児童生徒に一斉に配布した『心のノート』を取り上げ,「これからの3冊が共有しながら明確に語ろうとしないキーワードの含む意味(はじめに)」を明らかにしようとした本です。入江曜子氏は,同じ岩波新書の『日本が「神の国」だった時代』の著者でもあります。
 終章の「<愛国心>の意味」では,1966年10月中教審最終答申の別記として公表された「期待される人間像」をとりあげ,今進められている「教育基本法」改悪の動きは,この「人間像」をめざすものであることを暴いています。
「本書は,教育の専門家ではない私が,これらの教科書の中心的役割を担った人々と同じ世代に属する一人として,言葉による表現の細部に光をあてながら,その思想というよりは情念を読み解こうとした試みである(あとがき)」と著者自身が述べているように,「つくる会」の情念・怨念といったものがちりばめられた教科書を手に取る生徒は,どんな日本人となるのでしょうか。

●三浦綾子著『光あるうちに』(新潮文庫,1982,254ぺ,476円)
 なんでこんな本を読んでるの~,と,読んでる自分も思います。何かの本を読んでいて,引用されていたので購入したと思うのですが,その本が何だったのか忘れました。これだからなあ。
 巻末の解説(水谷昭夫・関西学院大学教授)によると,本書は「昭和46年1月号から同年12月号まで,雑誌「主婦の友」に,加山又造氏の豪華な絵をそえて連載され,雑誌掲載中からすでに反響が大き」かったらしいです。また,本書は「『道ありき』『この土の器をも』につづく自伝的作品3部作の第3作である」ということです。
 病床でキリスト教に目覚め,洗礼を受けた三浦さんの社会を見る目は,実に的確です。
・ここには,瞬間のスリルを求めるだけで,なんの内容もない。そこには感覚しかないのだ。友人たちと,ワアワア騒ぎながら車を飛ばす若者たちは,決して青春を楽しんでいるのではない。生きていることに退屈しているのだ。そのことに気づかないだけなのだ。(119ぺ)

●伊藤恵著『授業書の中のお話の授業の実際』(よりたの出版,2004,129ぺ,ガリ本)
 久しぶりに仮説実験授業研究会から,ガリ本を注文しました。メグちゃんの「お話」の進め方の本ということで,楽しみにして読みました。
 内容は思った通り,よかったです。仮説実験授業の中のお話は,とても大事な意味があるのは知っているつもりでしたが,改めて授業の実際を生かした講演記録を読むと,「お話」の大切さがよく分かります。
・「どうしても信じられない」ということについては,「今の科学ではこうなっているんですよ」「多くの科学者が実験しても,やっぱりこうなったんです」っていう,その原理や法則の社会的意味付けを明らかにしていくしかありません。(15ぺ)
・《生物と細胞》では「仮説・実験」したシュワンが結局細胞を発見したことが書いてあります。せっかく仮説実験授業を教えているんだから,そういう態度も教えたい。授業書には「知識を得る」という側面と,「科学的態度をまなぶ」という側面と両方ありますからね。だから,「<仮説・実験>的に考えると真理が見えてくる」ということも教える。(80ぺ)

 最後に,授業書の「お話」とはかんけーありませんが,本書に出ていたメグちゃんの授業運営テクニックを一つ紹介。
・平たく言えば,受ける冗談だけ取り上げるみたいなもんですね。受けない冗談までいちいち取り上げてみんなで反応していると,何でも言えばいいと思ってよけいさわがしくなりますから。単にうるさいのは無視。すると,そういう発言は淘汰されてなくなっていきます。(47ぺ)
 本書は,これからもたびたび開けてみるだろうなと思わせる内容でした。

10月号

 教育対話集会の開催を前にして,その中身や方法について,いろいろと情報を集めています。
 そんな中で読んだ今月の本は,教基法関係のものもありますが,なぜか,佐藤学氏の学校づくり・学級づくりの理論を追いかけていました。

○こんのひとみ作/いもとようこ絵『くまのこうちょうせんせい』(金の星社,2004,32ぺ,1200円)
 となりの先生から「アマゾンで注文して」と頼まれた絵本を探している途中で,いくつかの本に出会いました。その中で,アンテナに引っかかって注文してみたのが,本書です。本書のカバーより…。
「おはようー!」おおきなこえのくまこうちょうせんせい。
「おはようございます」 ちいさなこえの ひつじくん。
 あるひ,こうちょうせんせいはちいさなこえしかだせなくなってしまいました。でもそれで,わかったことがあったのです。

 作者のこんのさんの「あとがき」を読んで,この絵本の元になった校長先生のことを初めて知りました。神奈川県茅ヶ崎市立浜之郷小学校の初代校長・大瀬敏昭さんという方です。大瀬校長先生は,お医者さんから「あと3ケ月の命です」と言われたあとも学校にかよい『命の授業』を続けた-とも説明されていました。
 「大きな声であいさつをしろ!」「いつも元気でいろよ。明るくいてよ」と言ってしまいがちな自分をふりかえり,いろんなものを背負って学校にやってくる子どもたちの痛みも分かち合えるようになることが必要だと反省しました。ただ,これはすごく難しいことですので,授業でその痛みを少しでも取ってやることしかないのかなと思います。
 ひつじくんが大きな声を出す場面を読んだとき,NHKの「ちゅらさん」で,対人恐怖症になっていたえりーの息子が,大好きなお母さんを救おうとして民家に駆け込んでいく場面を思い出しました。

○大瀬敏昭著『輝け!いのちの授業』(小学館,2004,190ぺ,1700円)
 で,次に手に入れて読んでみたのが,その「命の授業」をやったという校長先生の本です。先に書いたように,この著者については,絵本を読むまで全く知りませんでした。お隣の先生は(あるいは本校では),結構話題に上っていた人らしいです。1998年に新しくできた茅ヶ崎市立浜之郷小学校の初代校長でもあった大瀬さんは,ガンを患い,2003年正月に亡くなりました。その校長が,自分がガンであることを語りながら,同僚の教師たちと教材研究をし,児童たちと行った授業をまとめたものが本書なのです。
 限られた時間を最後まで同僚と子どもたちの中で生きた姿に,教師魂を感じました。
 ただ感動した-だけだと,本の紹介にならないので,少し心に残った部分を紹介します。
 まず,6時間に及んだ手術の後,麻酔から覚めて集中治療室で初めて耳に聞こえた来た曲が,自分の好きなサザンの『バラッド』であったといいます。そして入院中に気づいたことを以下のように述べています。
「援助を必要としている人へのかかわり」ということにおいて,医学と教育は,同じような構造をもつと考えてよいのではないか。医師の治療という行為に対応するのが「共に学ぶ」という教師の行為である。それに対して,看護・ケア・癒しというナースの役割を担うのも学校では教師である。したがって,学校における教師は,そのための「技」が必要なのである。そして,このような実践的行為は「身体」「言葉」がたいへん重要なテーマとなってくる。
 こう述べて,「これからの学校の校内研修は<看護教育>に学ぶことが多いのではないか」と言います。
 また,「命」のとらえ方について,「個体としての命」「種としての命」「心としての命」の3層のとらえ方があるのではないかと指摘し,そのとらえの3層として「個体としての限りある命」から,親から子へそして子から孫へ「連続する命」,さらに人の心に残る「永遠の命」があるといいます。子どもたちには,命について浅い理解から真相へと踏み込んで欲しい,そのための教材であり,授業である-そんな授業を子どもたちと作り上げたのです。
 本書の巻末に,大瀬校長が授業に利用した絵本の紹介がありました。『わすれなれないおくりもの』『100万回生きたねこ』は見たことがあるので,それ以外の絵本を数冊手に入れて読んでみました。次に紹介します。

○カールソン文/ビョークマン絵『きみのかわりはどこにもいない』(いのちのことば社,2000,36ぺ,1400円) 
 100匹のひつじと共に家に帰る羊飼い。やっと家に着き,100匹を確認すると…あらら,1匹いない。羊飼いは,その1匹を一晩中探し続ける。どの子も大切だよというメッセージ。

○ジョンセン文/スンガク絵『こいぬのうんち』(平凡社,2000,32ぺ,1500円)
 絵本の帯から。
『こいぬのうんち』は,1969年,韓国の第1回キリスト教児童文学賞を受賞した童話で,1996年に子どものための絵本として新しく書き直されました。目立たないもの,弱いものに対するやさしさが込められた名作として,多くの大人や子どもたちに愛されています。
 わたしは,これを,<たべものとウンコ>の繋がりとして読みました。こいぬのうんちがタンポポの体の中に入っていくシーンは,とってもきれいな絵になっていて,この世に無駄なものなどないのだ-ということを改めて感じさせてくれます。

○柳澤恵美著/久保田明子絵『ポケットのなかのプレゼント』(ラ・テール出版局,1998,32ぺ,1500円)
 うさぎの国の森では,お誕生日になると,お母さんが子どもに新しいポケットをジャケットに縫いつけ,そこにプレゼントを入れてあげます。おかあさんは,1歳,2歳…と,その年にふさわしいプレゼントをあげます。だんだんと社会が広がり,興味関心が広がっていく様子がよく分かります。そして,20歳になり…
 本書は,9歳と7歳の男の子を遺して,36歳の若さでガンで亡くなったナースが病床に綴った子どもへのメッセージです。遺された二人の男の子たちは,誕生日の度にこの絵本をめくることで,母親からのプレゼントをもらうことが出来るんだろうなあと思います。

○大瀬敏昭・他著『学校を創る』(小学館,2000,238ぺ,1700円)
 前掲書『いのちの授業』で興味を持ったわたしは,その茅ヶ崎市の浜之郷小学校の様子を知りたくなりました。研究本として何冊か出ているようですが,副題に「茅ヶ崎市浜之郷小学校の誕生と実践」とある初期の3年間の活動をまとめたものを購入しました。
 まず,この学校の理論的な部分となったのが佐藤学先生だということでした。佐藤氏の本は読んだことがなかったので,どんなことを主張しているのか知りませんでした。
 初代校長である大瀬氏は,新しい学校のあり方を模索していた(まだ教委にいた)ときにこの佐藤理論と出会い,佐藤氏に「月に1度,今度新設する学校に来て研究を引っ張っていって欲しい」とお願いします(そのあと,なんと自分が新設校である浜之郷小に校長として赴任することになる)。そして,全校あげての新しい形の校内研修を中心とした学校づくりが始まったのです。
 会議は極力少なく(朝・夕の打ち合わせもない),日課表を弾力的にし,校務分掌では一役一人制を取り入れるなど,いろいろと公立学校の常識を変えた実践を行います。その中で,何よりわたしの目をひいたのは「校内研究の全体テーマはきめない」という部分です。各個人が,それぞれ個人の研究テーマをもち,お互いの良さを認め合って進んでいくという姿が「堂々と」語られていることに驚きました。形式から入り,指導案作成の度に「うちの学校のテーマって何だったっけ」といっているような世界とおさらばし,<実質>を大切にした研究をすすめていること,それが今まで以上に,子どもたちの<学びの姿勢>に影響を与えていることを教えてくれます。もっとも,年間100回もの授業研究をしているというのは,なかなか真似のできることではありませんがね。
 で,次に,手に入れたのが,浜之郷小学校の理論的な支柱となっているらしい佐藤学さんの著書です。

○佐藤学著『教師たちの挑戦』(小学館,2003,247ぺ,1400円)
 本書の奥付けから,藤学氏のことを少し紹介します。
 佐藤氏は1951年生まれ。現在,東京大学大学院教育学研究科教授です。「行動する研究者」として,全国各地の学校を訪問し,教師と協同して教室と学校を内側から改革する挑戦を行ってきたそうです。
 教室で…「活動的で協同的で反省的な学び」の実現
 校内で…教師同士が育ち合う「同僚性」の構築
 地域との連携においては…保護者が授業の創造に参加する「学習参加」の実践
を推進し,「学びの共同体」という学校の未来像を提起して学校改革を推進している人です。
 佐藤氏の言う<学び>とは,「テキスト(対象世界)との出会いと対話であり,教室の仲間との出会いと対話であり,自己との出会いと対話である」(本書13ぺ)と定義され,「学びは,対象世界との対話と仲間との対話と自己との対話の三つの対話的実践によって構成されているのであり(学びの三位一体論),『活動』と『協同』と『反省』の三つで構成される『活動的で協同的で反省的な学び』として遂行されている」(同書13ペ)という視点に立っています。
 本書では,主に,佐藤氏が上記の視点で協同で研究してきた学校の授業や研究の様子がいくつか紹介されています。
・黒板と教卓を中心に多数の子どもが一人ひとり一方向に並べられた机で学ぶ教室,教科書を中心に所与の知識や技能を習得させテストで評価する授業は,日本を含む東アジアの国々を除けば,すでに博物館に入っていると言っても過言ではない。(7ぺ)
 これでいうと,わたしたちが行っているほとんどの授業は,もう博物館に入っているのですね。ごみすて場じゃなくてよかったけど…。
・子どもを「主人公」にする授業は多いが,教師が「主人公」として生きていない限り,子どもを「主人公」とする授業はヤラセでしかない。-中略- 私たちは,子どもたちの学びをいつも「将来のために」限定したり,あるいは「発達のために」限定してしまっているのではないだろうか。今の学びを充実させ,今を幸せに生きることなしに将来の学びも幸せもない。(本書122ぺ)
 そのとおりですね。これには賛成です。将来のためにだけ学ぶわけではないですよね。今,その時が大切なのだと思います。仮説実験授業をしている時には,こういうスタンスでいれるのですが,いざ,他の教科となると,「教科書にあるから勉強せい」「将来の為じゃ」と思ってしまうんですよねえ。
 学習参加の例として,新潟県の小千谷市の小千谷小学校の実践が取り上げられています。丁度,震災があった市です。そこでは,ゲストティーチャーについて,次のように述べられています。
・とかく教師は,学習参加の準備として親との事前の打ち合わせに時間をとられがちだが,その結果,参加できる親が限定されては本末転倒である。一部の親の参加に限定されるゲスト・ティーチャーの方式も慎重でなければならない。一人でも多くの親が,対等に気持ちよく協力し参加できるように配慮することが何よりも大切である。(本書151ぺ)
 前任校では,道徳の研究をきっかけとしてGTの導入に踏み切り,日常的に地域の方が学校に来て下さる態勢ができました。しかし,特に保護者にお願いするときには,「だれにお願いするのか」というような部分で,いろいろと悩んでいました。その悩みを発展的に解決するのが,この「学習参加」という視点かも知れないと思いました。今度,前任校の学校長に,そういう話もしてみたいなと思います。今の自分の勤務校には,そういう素地はまだなさそうですから。

○矢玉四郎著『心のきれはし』(ポプラ社,2000,189ぺ,1200円)
 佐藤さんの本を探していたときに,近くに並んでいた本で,「矢玉四郎」という名前を見て,すぐに本棚から取り出しました。
 矢玉四郎さんと言えば,『はれときどきぶた』で有名です。この絵本が,初期の『たのしい授業』に紹介され,それを読んだ私は,さっそく絵本を手に入れて,当時,小学3年生の子どもたちと読みました。子どもたちは大受けして,ウソの日記を書くようになり,そのウソの中に,実は子どもたちの本音が見えたりすることも発見し,それからは小説家の時間というのが,わたしの大切な国語の一部となりました。懐かしいです。
 さて本書は,矢玉さんも書いているように,「初めて一般向けに書いた本」です。子どもたちを全面的に信頼し,大人たちこそ姿勢を正せと叫びます。戦後一貫して「学校でウンチができないとは何事か!」といいます。ウンチをしてからかわれる構図が確かにあります。これが正常な学校のあり方かと。
「心を捨てるな,教育を捨てろ」という刺激的な題から始まる本書は,「子供」を「子ども」と呼び変えて「子ども中心主義の人間でありんす」という顔をしている大人に対して,痛烈な批判書となっています。
 教育基本法の問題を考えたときに,「教師になったときの<心>を捨てて,このまま教師を続けられるのか」と自分をふりかえらざるを得ません。

○香山リカ+福田和也著『「愛国」問答』(中公新書ラクレ,2004,218ぺ,720円)
 先月も紹介した香山リカの対談集です。対談している相手は,文芸評論家で保守派の社会評論家としても知られている福田和也氏。思想的には,一致していない者同士の対談は,それだけで刺激があります。話の中に,個人名やら歴史やらが出て来て,すんなり読めるとは言えませんが,巻末には,注釈が146項目もあるので,そこに指を1本入れながら読み進めば,なんとかなるでしょう。
 上からのナショナリズムと下からのナショナリズムで,日本の行き先が真っ暗に思える今,希望を失ってはいけないと,香山さんは呼びかけます。
・しかし,それでも私はもう一度,言いたい。現実はそうだとしても,私たちは現実には現実をもってしか対処することができないのだろうか。現実に対して,多少,自分たちの利益を損ねることがあっても,理念や理想で未来を開く道は,私たちにはもう残されていないのだろうか。
 そして,イラク戦争に参加しなかったドイツの姿勢を誇っているドイツの作家の言葉を紹介しながら,
・現実が,それほど大切か。世界には人生には,現実よりももっと大切なものがあるのではないか。そして,それがなければいくら豊かになっても強くなっても,私たちの胸には一抹の「虚しさ」が残るのではないだろうか。(本書20ぺ)
と続けています。右傾化する日本の現実。それに反対できないような巨大な流れ。今までの上からのナショナリズムに加え,若者をはじめ国民レベルでも「ナショナル化」が進んでいる現状。憲法も「改正」されそうなこの世の中にあって,わたしたちのできることは,まだあるはず,と思います。

○西原博史著『学校が「愛国心」を教えるとき』(日本評論社,2003,260ぺ,1800円)
 副題に「基本的人権からみた国旗・国歌と教育基本法改正」とあります。
 「はじめに」の冒頭を紹介しましょう。
 はじめに 心どろぼう
 あなたの心は,あなたのものですか? 誰かがこっそりと盗み出して,別のものをあなたの胸の奥にそっと置いていたりしませんか?
 この本を手にしているあなたは,だいじょうぶでしょう。でも,1年後のあなたは? あなたの大切な人は?
                     ☆
 心を盗み出すことなんか,難しいことではありません。盗まれてしまった人もいっぱいいます。人類救済のためと信じて,地下鉄の中で毒ガスの入ったビニル袋を平気で破ってしまう人。政治の内容を問うことなく国の指導者を「偉大なる将軍様」と讃えてしまう人々。

 著者の西原博史氏は,現在早稲田大学社会科学部教授です。
・問題が出てくるのは,一つの集団が自分たちの道徳を他の人々に受け入れさせる際に,国家を頼り,国家権力による強制を道具として使おうとする場合である。すべての道徳意識は,個人に強制されるとき,にせものになってしまうだろう。時に,<公共性渇望論>が思い描いている人間の姿は,強制とは相容れない。(52ぺ)
・価値の源となる共同体を,国家と定義する必然性はない。自分の存在している<場>がどういったものだと考えるのか,どういった共同体に忠誠を抱くのかは,アイデンティティーに関わる問題として,個人がそれぞれ選択しているはずである。それにもかかわらず,国旗・国歌の強制を推進する側は,国家だけを唯一の価値の厳選であるとする。(53ぺ)

 専攻が憲法ということもあり,随所に法律論が展開されています。それで,今まで紹介した教育基本法関連書とはちょっと違った雰囲気の本となっています。

○高橋哲哉著『「心」と戦争』(岩波書店,2003,230ぺ,1400円)
 著者は哲学者です。
 このままでは「戦前にもどる」と言うと,「そんなことはない,現代はあの時代とは違う。個人の意見もちゃんと言えるし,いざとなれば大丈夫」という答えが返ってきます。そのとおり,「戦前にもどる」わけではありません。個人を国家に絡め取るやり方や形が「新しく,現代に合った形」で忍び寄っているのです。その部分をしっかりついているのが,本書です。「子供たちに心のプレゼント」「グローバル化時代の『修身』」など,小見出しを見ただけでも,新しいナショナリズムのあり方が示唆されています。
 本書を読む中で,新しい本を知りました。それは,戦時中に書かれた日記をまとめたものです。まだ,全部を読んだわけではありませんが,先にここに紹介しておきます。『暗黒日記』(岩波文庫)です。筑摩書房からも出ているようですので,一度ご覧下さい。戦時中の日記と言うことで,一般市民が戦時中と言われている時に,何を考えていたのかが分かってきます。
『靖国』の問題に関しては,「A級戦犯だけはずせばよい」とか「宗教色をなくした政府の施設を創ればよい」などという意見がありますが,そんな簡単なわけにはいかないことも指摘しています。

リンクは文庫本

○パオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』(イースト・プレス,2004,305ぺ,1500円)
 最近,子どもたちの犯罪が低年齢化・凶悪化しており,大変心配だ。日本人は世界で一番勤勉だ。若者は自立していない。親元から早く離れて暮らすべき。フリーターは日本の現象であり,定職に就かないのはいかん-など,一般に言われている常識を統計や各国の状況を調べる中で比較し,それに反論を展開しているという本です。
 わたしは,HPで,この本の存在を知りました。HPにも,本の内容の一部(だけど,たっぷりと)が紹介されていますので,一度ご覧下さい。
 「少年犯罪」について教育基本法「改悪」の理由の一つに上げられていることもあり,その学習のためには,大変役に立つ本となっています。
「努力するのは宝くじを買うのと同じです。買わなきゃ永久に当たらないし,買っても当たる保証はありません。もしかしたら…と買い続けることが楽しいのです。人生もそんなもんですよ」(305ぺ)と最後に言われ,「その通りです」と本を閉じました。

○魚住昭著『野中広務 差別と権力』(講談社,2004,360ぺ,1800円)
 今月の最後は,珍しく自民党議員を描いたノン・フィクションです。こんな本は読んだことがありません。「田中角栄」なんかも気になったことはあるのだけれど,そんな本を読むくらいなら,他の本を読んでいる方がいいと思う方なので…。
 野中広務が自民党の権力者になり,小泉と袂を分かって下野するまでのことが,精力的な取材に基づいて書かれています。野中氏が,被差別部落出身だということで,そういう社会的な問題について少なからず考えてきたことのあるわたしのアンテナに引っかかったというわけです。
 読み進めながら,「野中さんって,やっぱり政治家だったんだなあ」と思います。どんな意味でって聞かれても困りますが,ただなんとなく…。
 読後,なぜか,彼の生き方が悲しくなりました。野中さんや後藤田さんなどが,まともにトップになれない保守系の社会という者の病理についても考えてしまいました。

 よく「Oさんは,いつ,本を読んでいるの」と言われますが,時間のあるときにはいつも読んでいます。特に,今年はそれが仕事ですから…。何のために学ぶのか。それは「楽しいから」というだけではありません。やはり,為政者や世論や自然の現象に騙されない人間になる-そのためには,社会を見る目・自然を見る目を鍛えておく-そのためには,自分で選んだ本を読んでいくのが一番でしょう。テレビから垂れ流されてくるニュースは,大衆受けするものでしかなく,現実を切り取ったほんの一部分でしかないのですから。西原氏がいうように「心を盗み出すことなんか難しいことではないのです」から。

8,9月号

 先月のサークル以来,夏休みがあり,ずいぶんと読書をすることが出来ました。以前のように,他の場所へ行ってくるということがなかなかできなくなり,全国大会へも行っていません。ついでに家族で行動するというのもあまりありません。一番近い親戚も今年は来ませんでした。2日間ほど,次に近い親戚と能登で遊んだ程度。その他の時間は,ゆったりとしていて,読書三昧でした。「目標は高く」と「斎藤喜博全集読破」と決めましたが,それはどだい無理な話でした。やはり,目標は,手が届く範囲がいいですね。

斉藤喜博全集→「日本の古本屋」へ

○斎藤喜博著『斎藤喜博全集1,2,3,4』(国土社,1970,各1000円)
 上にも書きましたが,今年の夏休みには教育の原点に戻ってみようと思い,以前,古本屋から買っておいた国土社からでていた全18巻の『斎藤喜博全集』を読み始めました。結局,読めたのは4巻まで。目標の5分の1でした。あーあ。あとは冬休み中に読もうかな。
<第1巻>…『教室愛』(昭和16年),『教室記』(昭和18年)
 いずれも戦前に書かれたものです。しかも喜博がまだ30代前半のころです。内容は,それ以前に書いてあったのをまとめたものですから,19歳で教師になった喜博が20代で感じたこと行ったことをまとめてあります。
 時に具体的に,時に抽象的に書かれています。特に『教室愛』は,喜博の決意表明のような部分も感じられます。わたしは,この2編を読んで,喜博がとても身近に感じました。
▼子どもの成績や行状が悪いと言って憤慨している親や教師をみると不思議でならない。子どもの成績や行状が悪いのは,親や教師の責任である。親や教師の責任であり,親や教師の恥辱であると,考えなくてはならないことである。(189ぺ)
<第2巻>…『「ゆずの花」とその背景』(昭和17年),『童子抄』(昭和21年),『続童子抄』(昭和25年)
 『ゆずの花』は,第1巻の2つの本の間に発行された子どもたちの作品集です。戦時中の限定300部の発行だったそうです。
 『続童子抄』は,当時の群馬県教組文化部長となった時に書かれたものです。昔の組合は校長も一緒に参加しており,むしろ,校長が率先して教育の反動化に抗していたとも言えます。『続童子抄』には,組合機関誌向けに書いた文章も載っています。
▼私たちは自分のない百科事典式の教育者であってはならないと思います。(中略)私たちは小さくとも自己を持ち,自分の教育実践を持って,わきめもふらず教育者としての道を突き進んでいきたいと思います。(『続童子抄』348ぺ)
▼組合運動においては「職場の民主化」ということをいつもスローガンにかかげている。(中略,それが進まない理由の)その一つは,組合員が自分の周囲のささいな問題の一つ一つを大切にし重視して,それを勇気を持って改善していこうという熱意がないことと,さらにそれ以前の,そういう事実の見つけ方と,それに対する批判力の欠如ということがあるのではないかと思う。(『続童子抄』388ぺ)

<第3巻>…『授業以前』(昭和36年),『心の窓をひらいて』(昭和35年)
 『授業以前』は昭和26年~30年までの5年間に発表した原稿をまとめたもの。昭和27年まで組合の文化部長を務め,その後,例の島小学校の校長として赴任します。この本の内容に対して喜博はあとがきで「私が,そういう時代の中で,またそういう仕事の中で,そのときどきの社会現象に対して,一人の市民として,一人の社会人として,そのときどきの気持を,自分の証として。そのときどきに公に表明しておいたものである」と述べています。教師が一人の人間として自立することの大切さを訴えている論文集です。組合員に対しても,厳しい態度を求めています。
 1954(昭和29)年の文部委員会公聴会に呼ばれた喜博が,当時の「教育二法案」に反対する立場から意見を述べている様子も収録されています。教育の自由を守ろうとする斎藤校長の姿に実践家としての自信が感じられます。今はこんな校長いないよなあ。残念!
 『心の窓をひらいて』は,同時代に発表したものから島小学校に関係しているものを集めたものです。
<第4巻>…『授業入門』『未来誕生』(昭和35年)
 第4巻の解説者・稲垣忠彦氏の言葉を引用しよう。この2冊は「相互に補いあったものとして,この時点での斎藤さんの授業観と島小で追及され構築されていた授業の世界を中核に,教育の本質,そのような教育・授業を保障する学校・教師の条件をのべたものといえるだろう。この二書はまた,斎藤さんの教師生活30年目の著作,文章であった。」
 この本も,赤線をいっぱい引きましたが,今回はこれくらいにしておきます。

○子どもと教科書全国ネット編『ちょっと待ったあ! 教育基本法「改正」』(学習の友社,2003,160ぺ,1300円)
 教育基本法「改正」を巡る問題は,予断を許さないものになっています。戦後の教育を支えてきた基礎が大きく付け替えされてしまうと,その上に立っている子どもたちも違う家に住むことになります。その家は,どんな家なのか。過去を学ぶことで,未来が見える。それが歴史をはじめとする学問を学習する意味でもあります。そういう本を,今回も何冊か読みました。
 本書は,以下のような章立てになっています。
 第1章 教育・子育て最前線と教育基本法              斎藤晴雄
 第2章 教育基本法「改正」をめぐる,中教審「中間報告」「答申」批判 小森陽一
 第3章 教育基本法とはどんな法律か                古野博明
 第4章 教育基本法改悪の背景とねらい               俵 義文
 第5章 教育基本法をめぐる危機とは何か?             三宅晶子
 終 章 教育の未来への展望のために                三宅晶子
 本文の下段に,簡単な注記が入っており,結構読みやすくなっています。話題は教育基本法そのものだけではなく,昨今の「ゆとり教育」や『心のノート』を巡る動きなども入っています。

○伊藤哲司著『「心のノート」逆活用法』(高文研,2004,126ぺ,1400円)
 今,学校現場では『心のノート』の使用が強制されようとしています。しかし,まあ,このとおりに教える人も少ないでしょう。私も少し使いましたが,それで子どもがどうのということはなさそうです。しかし,この本をしっかり教え出すと話は変わります。心理学者が集まって作っただけあって,下手をすると,子ども達自身も知らないうちにある一定の方向を歩まされているということにもなりかねません。従順で反抗しない子どもたちは,思春期を奪われたも同じこと。「学校や社会の問題かも知れないことを,子どもたちの心に押し込めてはいけません(本書66ぺ)。」
 そうならないために,この『心のノート』を逆活用していきましょうというのが本書の目的です。これで数時間授業すれば「時々使っている」とアンケートに答えられますね。

○りぼん・ぷろじぇくと著『戦争のつくりかた』(マガジンハウス,2004,47ぺ,600円)
 隠れたベストセラーだと思います。是非読んでほしいです。文章だけですが全組合員に配布しました。インターネットでも読めます。
 右傾化してきた日本の状況を「これくらいいいさ」「これくらいなんとかなる」「まさかおれまで戦争に行くことはない」とタカをくくっていると大変なことになりますよ-という警鐘を鳴らしてくれます。以前紹介した『茶色い朝』と共に,生徒達に読んでもらいたいものです。(上記リンクは,新版に飛びます)

○橋本治著『思考論理学』(マドラ出版,1992,100ぺ,980円)
 先月も橋本治を紹介したけれど,今月ももう1冊ご紹介。この本は,ブックオフで2冊100円コーナーで見つけて買ってきたものです。新刊書の書店に並んでいたら決して買わない本ですね。テレビ東京で深夜に放映した30分番組から4本の「夜中の学校」の講義内容が掲載されています。
 で,特にどうってことはないんだけど,一般的な常識を疑うことに棹さすことが出来ているかどうかは,読んでみてください。私はまったく赤線を引きませんでした。あははは。

楽知ん研究所へ

○斎藤貴男著『機会不平等』(文藝春秋,2000年,295ぺ,1700円)
○斎藤貴男著『教育改革と新自由主義』(寺子屋新書,2004,206ぺ,800円)

 著者は,1958年生まれのジャーナリスト。忘れていたけど,オーム真理教問題の時に読んだ『カルト資本主義』という本の著者でした。この前,東京の教育基本法改悪阻止の集会に行ったとき,その集会の鼎談者の一人として参加されていました。
 『機会不平等』には,三浦宗門前教育課程審議会会長,江崎玲於奈教育改革国民会議座長の「あの」お言葉も紹介されています。「結果の平等を重視した戦後の社会政策が日本の衰退を招いた」という主張のもと,90年代に行われたルール変更。その結果,私たちは「機会の平等」すら失いつつあるのではないかと著者は主張します。
『機会不平等』は文庫本も出ているそうなので,そちらの方が安いです。
『教育改革と新自由主義』のあとがきで斎藤氏はこう書いています。
▼こんな時代だからなおさら,子どもたちは自分自身の頭でものごとを深く鋭く考えることができなくてはなりません。できなければ,いったいどんな運命をしいられてしまうのか,わかったものではないのです。(本書206ぺ)

○パーシバル・ローエル著『能登』(パブリケーション四季,1979,2200円)
 アマゾンのレビューを紹介します。私は金沢の古本屋から手に入れました。今はたぶん絶版です(その後,新版が出ました)。
 冥王星の存在を予知するなど著名な天文学者ローエルが、日本の研究家であったことは、あまり知られていない。4回の来日をなし、4冊の著作をニューヨークで出版した。このNOTOは、能登半島の形に魅せられ上野から往復旅行をした時の紀行文である。明治中期、日本の地方の人びとの考え方や暮らしぶりが、ローエルの真摯かつ洒脱な視点で甦る。
と書かれています。さらに,新版では写真も入って3568円となっており,その説明には,
 この度、紀行文にローエルが撮影した日本の人びとや風景の写真ガラス版が、アメリカのローエル天文台で発見されたのを機に、これらの貴重な32葉をグラビアとして加え、新装にて刊行。文学・写真愛好家のみならず、近代日本史、民俗学の研究者も必携の書。第17回日本翻訳文化賞受賞。
 この新版もアマゾンでは今も品切れとなっていますが,もしかしたらどっかの本屋さんにおいてあるかも知れません。
 ローエルの記念碑が,穴水町にあります。まだ行ったことがないのですが,今度,穴水に出向くときがあったら行ってみようと思っています。
穴水町のHPより
【ローエル記念碑】
 明治初期に穴水町を訪れたパーシバル・ローエルの足跡を偲んで、昭和56年、由比ガ丘にローエル顕影記念碑が建てられました。毎年5月上旬にはローエル祭が開催されます。


 ボラ待ち櫓に興味を持ち,遂にはしごを登って上に上がるあたり,まるで子どものようです。何にでも興味を持っていたのかなあって思いました。好奇心はいつまでも持っていたいものですね。
 ここまでは,2004年に書いたのですが,2022年現在,Amazonにも商品は載っています(但し古本)。上記リンクは,1991年に発行された新版(十月社刊)です。

○香山リカ著『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ,2004,181ぺ,680円)
 1960年生まれの精神科医。リカちゃん人形からペンネームをとったという彼女の若者文化を見る視点はおもしろいです。
▼しかし今後,進学や就職の機会や所得の格差が広がり,もはや「中間」とも呼べないほどの地盤沈下が自分たちの生活に起こってからはじめて,斎藤が言うように「真っ当な不満」を抱くかも知れないのだ。「同じように『日の丸』を振っていたはずなのに,実は私たちはあなた達に利用され,搾取されていただけだったのか」と。(134ぺ)
 ここで斎藤というのは先に紹介した斎藤貴男さんのことです。また,よさこいブームに関しては次のように述べています。
▼それは,彼らがニッポンにあることに本当に誇りを感じているから,というよりは,むしろ社会に適応してそこで自分の居場所やアイデンティティを確立する道からややはずれ気味の彼らが,最後のよりどころとするのが「とりあえず自分はニッポン人だし」ということだからなのではないだろうか。というより,それさえ薄く意識していさえすれば,あとは糸が切れたタコになる不安からも解放されて,思う存分,文字通り“暴走”できるわけだ。(149ぺ)
 そして香山は,この本を書こうと思ったきっかけをあとがきで次のように述べています。
▼それぞれの「個」が日本人としての誇りを持ち,生まれた国・ニッポンを愛して何が悪い,といういまのぷちナショナリズム的な言説や,それを認める知識人たちにも,私は強烈な違和感を覚えます。「個」であること,「個の意思」について発言したり選択したりすることは,一般に考えているよりずっとむずかしいのです。「私は,私のことばで語っている」と思い込んでいても,だれかにそう語らされているだけだった-。そういう事態を避けるためにも,私たちはもっと「自己決定」「個の時代」ということばを慎重に扱わなければならない。(中略)「決めるのはあなたまかせ」としないで指摘しなければならない。そう考えて,この本を書くことにしました。

○秋田総一郎著『楽知ん絵本 フラッグス・る?』(楽知ん研究所,2004,124ぺ,1200円)
 トランプゲーム「フラッグス」のやり方にとどまらず,広く世界を見つめるための資料が盛りだくさんの本です。
 このゲームをやったことがないので,その楽しさは想像するしかないのですが,本を読むことから入門してもいいでしょう。しかし,まあ,第2部の「フラッグスで世界を見渡す!」の表紙に「ここから先はフラッグスを十分に楽しんでから読んでくださいね」と書かれていますが,無視しちゃいました。

○樫田準一郎著『先生にでもなれと言われて』(自家版,2004,214ぺ)
 地元の元校長先生,樫田先生の自伝です。こういうタイプの本を読むと,「よくもまあしっかりと記録をとってあったものだ」と感心してしまいます。今までのわたしの記録を書こうとしても,学級通信くらいしか見あたらないんじゃないかなあ。
 夏休みに樫田先生から頂き,一気に読もう思って居間に置いていたら,学校へ行っている間におふくろが先に読んでしまっていました。
 樫田先生が教頭になられた年,一年間の補欠の担当時間が「校長12時間,教頭(樫田先生)が84時間,他の先生方あわせて28時間」だったという話にはビックリ。こういう教頭もいたのかと感心するばかりでした。

○野間秀樹著『暮らしの単語帳 韓国語』(ナツメ社,2004,416ぺ,1000円)
 まあ,これは辞典ですから読んだわけではありません。この本は《ハングルを読もう》の授業のあとにいかがですかというものです。
 《ハングルを読もう》の授業を受けると,ある程度のハングルが読めるようになります。その中には,その読みから,日本語の言葉が連想できるものがあります。それで,もう少しそんな言葉を教えてあげればおもしろいかなあと思って,そんな言葉が出ている本を探しました。手頃な値段で見つけたのがこの本です。
 もっといい本があるかも知れないので,もし見つけたら教えてください。授業するまでにいろいろとそろえたいと思います。

7月号

 学期末,いつものように単元の計画を立てるのですが,今年はスムーズに行かず,中途半端な感じで1学期を終えてしまいました。いろいろな行事があることを頭になかなか入れられないということからくるものですが,これも,新しい学校に来たためのに起こったことです。まだまだ新しい職場に慣れない私です。

○板倉聖宣著『哲学的とはどういうことか』(つばさ書房,2004,173ぺ,1500円)
 ひさしぶりに板倉さんのガリ本を読みました。ガリ本といっても,本書はちゃんと文庫本になっており,本棚に並べると,一般の書店の本と遜色ない装丁となっています。
 「編集後記」によると,本書は「1990年12月に三河ハイツで開かれた「年末・板倉式発想法の会」の記録集『新哲学入門』(1991年2月刊,ガリ本図書館)をもとに編集したもの」だそうです。ボクはそのガリ本を持っているので,本書の内容を読むのははじめてではありません。
 10年ぶりに読む「新哲学入門」は,とってもおもしろくて,すとんと心に入ってきます。この10年間は,自分にとってもいろいろなことがありました。その10年の成長が感じられる気もしました。いつもは「自分ってなかなか成長しないなあ」としか思わないのですが,今回本書を読んでみて,10年前より頭が刺激されるってことは,やはり以前より哲学的に考える癖がついているのだなあと思います。
 本書は,仮説実験授業研究会の会員に配布されたものです。書店で手に入れられるのかどうか知りませんが…
▼自由に発想するためには,確かな事実から出発せずに確かな原理から出発しろ(96ぺ)
▼「考える」ということは,<原理原則に基づいて考える>ということです。「自由に考える」という人がいますが,人間は自由になんか考えられません。「考える」ということは不自由になることです。しかも多くの人の場合,考えるときには,原理原則よりも確かな事実の方に力点がかかってしまいます。(101ぺ)
▼変革するには,どうしたって「現在の状態」を認めてそこから出発するわけですから,今の状態を悲観したってはじまらないのです。だから,ぼくはいつも明るいです。明るくなかったら運動できないんです。(92ぺ)

 反原発運動に深く関わってきた自分の20数年間。板倉さんのいろいろな発想で,ボクは悲観的にならずに,楽しく運動を続けてこれました。

○齋藤孝著『座右のゲーテ』(光文社新書,2004,218ぺ,700円)
 本書は,書店で見て購入しました。ゲーテのことばがちりばめられており,それについての著者の考えが書かれています。『ゲーテとの対話』という本に書かれている言葉を軸に「発想の技法」といった観点から編んだそうです(まえがき)。
 線を引いたところを3カ所あげておきますか。
▼表現する対象は,狭くても深ければ問題はないが,吸収の対象までを狭めてしまうのは愚かなことだ。そうしたことは,活動,表現面と吸収面を区別していないために起こる。(23ぺ)
▼癖とはそもそも人間の過剰な部分である。それを愛せないということになると,皆がある種の同じ行動をとらないといけなくなってしまう。これはたいへんつまらないことだ。なぜなら,癖の強さは個性の強さだからである。(123ぺ)
▼区切るというのは,ある種の諦念だとも言える。あきらめることで,開ける道もある。ゲーテの合理性が,この言葉にはよく表れている。(211ぺ)

 ボクの座右の書には,上の『哲学的とはどういうことか』も加わりました。『ゲーテとの対話』という本も読んでみたくなりました。岩波文庫で3冊もあるそうなので…夏休みかな。ところで齋藤さんが金沢で講演をします。7月26日です。『「確かな学力」の向上をめざして』という県教委主催の研修会の一環として来られます。

○南郷継正著『武道講義入門 弁証法・認識論への道』(三一書房,1994,237ぺ,1800円)
 以前に,金沢の古書店・加能屋書店から購入してあり,積んでおいた本です。本自体は新品同様でした。今回,これを読もうと思ったのは,上に上げた『哲学的とはどういうことか』で弁証法についてひさしぶりにいろいろと考えていたので,その延長で,手に取ってみる気になりました。
 南郷継正の本は,少し難解なので,気合いを入れないと読めませんが,これは読みやすい方でした。「高校生にも読めるように書いた」ということと「何度も同じ話題が出てきても気にしないようにした」ということが,ボクのようなものにも最後まで読めた原因かも知れません。
 南郷さんは三浦つとむの『弁証法とはどういう科学か』という本を大変推薦しており,それこそ座右の書としているようです。ボクもこの本は弁証法についてとてもわかりやすく書かれていると思っていたので,同感でした。ただし,この「科学か」という部分については,板倉さん同様,「弁証法的に考えたからそれが真理である」とは言えない点に注意をしないと,新たな誤謬に陥ります。南郷さんもそのあたりのことをわかっているのかなあ。
 本書もまた,あとで読み返すことがありそうな本です。
▼人間の認識=像は問いかけの認識であり,単純な反映の認識ではないのです。その人にとっては問いかけた関わり内において認識(反映)されるのであり,みたいものしか反映しないのです。(147ぺ)
▼大人の個性は幅が広いから大丈夫ですが,子どもの個性は非常に狭いものです。同じ大人でも,東大生のは狭いが日大生は幅が広いものです。小さいころからの個性的育ちはないほうがいよいのです。それでも,個性はあるにはあるのです。だから個性は育てるものではなく放っておけばよいのです。(148ぺ)

○板倉聖宣著『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』(仮説社,2004,253ぺ,1800円)
○板倉聖宣著『原子論の歴史-復活・確立-』(仮説社,2004,205ぺ,1800円)

 万を持して出版された板倉原子論の本です。だいたいこういうタイプの本は専門的になりすぎて,難しいのがつきものですが,そこは板倉さんです。シロウトでもしっかり読めるように,いろいろな配慮がされています。その当時の社会的な部分とか政治的な関係などもちゃんと書かれているので,本書だけで,原子論の歴史をたどることができます。
 今までの板倉さんの研究の成果が詰まっています。いや,それだけではなく,今回新しく取り上げられたことがたくさんあります。シェークスピアと原子論ってつながりますか? しかし,板倉メガネで見ると,全く関係のなさそうなこの二つがつながってきます。ここがおもしろいところです。
 本書を読めば読むほど,仮説実験授業って,本当に科学の基礎・基本をやっているんだなあと思うことができます。そして,また,正しいことを続けることで,いつかは万人が認めざるを得ないものになっていくのだろうなあという期待も持てました。
 題名からちょっと取っつきにくいというかたは,25ページにもわたるあとがきの「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」だけでも読んでみてください。本書は,板倉さんが書くべくして書いた本だということが分かるでしょう。

○橋本治『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書,2004,221ぺ,660円)
 まあ,こういう本は時間つぶしに,笑いながら「そうだ,そうだ」と言いながら,読めばいいのでしょう。いくつかの新聞の書評がおもしろかったので,書店で買ってみました。で,読んでみたらおもしろかったです。おそらく著者も思いつくまま文章をつづっているようで,話題はあちこち飛びますが,それが読んでいる方には結構心地よいのです。
 上司を非難する本でもないし,今の会社を非難する本でもありません。日本というもの会社というものはそういう風になっているんです。だから,アナタはどうしますか?ってな本です。だから,笑って読むしかないでしょ。

○ビートたけし著『顔面麻痺』(太田出版,1994,213ぺ,1300円)
 古本屋で購入しておいたものです。いつ買ったんだったか覚えていませんが…。
 ビートたけしは,バイクに乗って事故を起こし,死寸前までいきました。このときのことはマスコミにも騒がれたのでよく覚えています。で,ビートたけしが,退院後,こういう本を書いたと言うことも知っていました。でも,タレントの本などバカにしてあまり読むことはなかったので,この本も手に取ることなく,すぎていました。
 今回は,古本屋に注文する本があったので,これもついでに購入したわけです。送料がかかる注文は,ついつい「ちょっとほしいもの」も買ってしまいます。
 ま,そういうわけで読んだのですが,おもしろかったです。たけしが,事故にあってからのたけし軍団の話や芸能界に復帰する時の話など,興味深く読めました。生死の境をくぐってきた人は,少しだけみんなとちがう生きたかをしていくのかも知れないと思いました。

鎌田慧・野田正彰他著『教育破壊NO!』(コンパス21刊行委員会,2004,93ぺ,600円)
 組合からいただいた本です。ここ数年,全国の教育現場で,平和教育や男女平等教育への攻撃が行われていますが,その中からいくつかの証言を集めた本です。なかなか過激な感じに仕上がっています。読めば読むほど,「今の教育現場はここまで来ているのか」と信じられない気持ちになります。石川県の夏休み帳を排除する動きも,どこかで大騒ぎした方がいいかもしれませんね。本書の内容を列挙しておきます。
・「教育改革」は子どもたちの未来を破壊する
・「民間人校長はなぜ自殺したか
・子どもに希望を与える教育を(広島)
・「戦争をする国」のための教育介入(広島)
・石原都政の教育破壊(東京)
・道理のない力関係のもとで(大阪)
・本当に「開かれた学校」とは(北海道)
・教育への権利を奪う教育民営化(鳥取)
・戦争反対の主体づくりを(奈良)
・戦争賛美の教科書を認めない!(愛媛)
 以上です。

○高橋哲也他著『教育基本法「改正」に抗して』(岩波ブックレット,2004,63ぺ,500円)
 本書もまた,各地での平和を揺るがす権力の現実やそれに抗しての運動が紹介されています。
 もともとは,2003年12月23日に日比谷公会堂で行われた「教育基本法改悪反対!全国集会」での発言をもとにその後の状況も含めて加筆を行いまとめたものです。昨年のこの集会では,2200の座席はまもなく埋まってしまい,結局4000人もの人々が全国から集まってきました。しかし,教基法改悪の反対の流れがもっと大きくならないと,今の情勢では,改悪されそうでとても心配です。
 教育基本法って,読んでみると「現実はこうなっていないなあ」と思います。教師になってからも,「理想と現実が違うのは仕方ないなあ」と思っていたのですが,こうして改悪されそうになってみると,やはりあの法律の中に書いてあることを教育現場で実現していくことこそ大切なことなのだと思います。子どもの人権をしっかり守ること,これができなければ教師なんてやってられないなあ。そのためには自分の人権感覚も敏感にしておく必要があります。

○堀尾輝久著『いま,教育基本法を読む』(岩波書店,2002,227ぺ,1700円)
 本書は,「第1部 教育改革と教育基本法」「第2部 教育基本法とはどんな法律か」に分かれています。
 第1部では,戦後の「教育基本法」成立時の文献をひもときながら,この基本法に込められていた<当時の願い>をとらえ直し,さらに,戦後,幾たびかくり返された教育基本法「改正」の動きと,昨今の新自由主義思想のもとでの「改正」の動きの類似性と特殊性を暴き出しています。決して子どもたちのための「改正」ではないことは,火を見るよりも明らかなのですが,それが一定程度市民権を得そうになる現状は,教育現場でたびたび起きる凶悪事件のせいなのでしょう。しかし法律をいじったところで,こういう深い傷がスグに癒えるはずもなく,法律のせいにすることで返って現状をほったらかしにしてしまいそうです。
 第2部は,教育基本法の学習資料です。ここでも教育基本法成立当時の意見や憲法の条文とも絡みながら説明されており,大変読みやすかったです。教員採用試験以来,法律の条文の解説を真剣に読んだことはありませんでした。みなさんも是非一度読んでみてください。
・教育基本法が審議される過程で,教育刷新委員会で最初に提示されたその「参考草案」のなかには現在の成文と違うこところがいくつかあります。その一つは,前文で現在ある教育基本法の前文よりもっと長く,その書き出しのところに戦前に対する反省が書かれていたのです。
「教育は真理の解明と人格の完成とを期して行わなければならない。従来我が国の教育はややもすればこの自覚と反省にかけるところがあり,特に真の科学的精神と宗教的情操とが軽んぜられ,徳育が形式に流れ,教育は自主性を失ない,ついに軍国主義的,国家主義的傾向を取り入れた。この誤りを是正するためには,教育を根本的に刷新しなければならない。」
 こういう文章がついていました。そして,現在の基本法の前文につながっていたのです。(57ぺ)

○藤村靖之著『エコライフ&スローライフを実現する愉しい非電化』(洋泉社MOOK,2004,127ぺ,1300円)
 こんなんウソだろーと思うような発明品がずらり。電気を使わない冷蔵庫や掃除機などが登場します。先日,北国新聞に,冷蔵庫が冷えるしくみと共にこの人のことが紹介されていました。
 たとえば,まじめに仕事量を計算し,電気掃除機がいかに非効率的かを説明します。確かにゴミをふっと吹いて飛ばすのは簡単ですが,吸って移動させるのは大変です。しかも吸われたゴミはカーペットの上から2mもの間移動させられ,ゴミ袋の中に入っていくことになります。そんなんなら,はじめっから,ほうきでやればいいやん。でも発明家藤原氏は,しっかり電気掃除機形式の非電化掃除機を開発しています。しかしまだ商品化されていないそうです。それは白木屋傳兵衛の箒の方がいいような気がするからだそうです。
 世の中いろいろ考えるヒトはいるものです。

6月号

 卑近な表現で申し訳ないけど,珠洲市長選は今までと違う選挙運動の戦い方(闘わない方?)でおもしろかったですね。珠洲市民もビックリしたと思います。「やる気あるのか!」などというおしかりもあったでしょうけれども,ああいうことを見せてあげないと,市民の旧態依然とした感覚は変わらないのです。まあ,あれを見て変わった人も少ないだろうけど,少なくとも若者は,今までのボクたちとは違う何かを感じたと思いたいです。

●大江健三郎著『「自分の木」の下で』(朝日新聞出版社,2001,193ぺ,1200円)
 先月紹介した『「新しい人」の方へ』の続編じゃなく,こっちの方が前編です。2000年~2001年にかけて『週刊朝日』に掲載されたエッセイを集めたものです。
 16編のエッセイの内,最後の「ある時間,待ってみてください」の書き出しを紹介します。
▼子供に取り返しのつかないことはない。自分から取り返しのつかないことをしてはいけない,それが「原則」だ,と私は書きました。それでは,どうしても苦しく辛く,取り返しのつかないことをしそうになった時,子供がそれをしないで踏みとどまるためには,どうすればいいでしょうか。
/私はそれについて子供のころから考えてきたので,ひとつの答えを持っています。単純ですが,有効だとも経験によって知っています。「ある時間,待ってみる力』を持て,ということです。(182~183ぺ)

 「ある時間,待ってみる」ためには勇気が必要だとも言います。そしてそのためには日頃から,待ってみるという訓練も大切だと言っています。その力は,子どもたちの中にあるのだとも…。
 はやくはやくと急かされる生活だけでは,こういう子供は育たないでしょう。待ってみることができる子供にするためには,大人が待ってみることを見せるべきではないでしょうか。昨今の「取り返しのつかない」とことをしてしまう子供の事件を聞くにつけ,「待ってみる」ことの大切さを感じます。1週間待つだけでも違うだろうし,ましてや1,2年待てば状況は物凄く変化してしまっているでしょう。

●長谷川眞理子著『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書,2002,221ぺ,740円)
 だいぶん前に,新聞の書評で見て購入して置いた本です。支部定期大会も終わり,ちょっと科学っぽい本をつまんでみたくなったので本棚から出してきて読んでみました。
 ホタルはなんのために光るのか。オスとメスはなぜあるのか。角や牙はどうのように進化してきたのか。生物の不思議な特徴について,オランダの動物行動学者ニコ・ティンバーゲンは,<4つの「なぜ」>に答えなければならないと考えました。その4つの「なぜ」とは,
 ①至近要因…その行動が引き起こされている直接の要因は何だろうか
 ②究極要因…その行動は,どんな機能があるから進化したのだろうか
 ③発達要因…その行動は,動物の個体の一生の間に,どのような発達をたどって完成されるのだろうか
 ④系統進化要因…その行動は,動物の進化の過程で,その祖先型からどのような道筋をたどって出現してきたのだろうか
を指します。こんな風に箇条書きされてもピンと来ないと思いますが,これらの視点に立って,具体的な例を挙げ,説明しています。具体例には「雌雄の別」「鳥のさえずり」「鳥の渡り」「親による子の世話」「生物発光」「角や牙」「ヒトの道徳」があげられています。
 動物行動学の入門書です。

●穂高順也文・荒井良二絵『さるのせんせいとへびのかんごふさん』(ビリケン出版,1999,32ぺ,1600円)
 「たの授メーリングリスト」で情報が交わされていた絵本です。気になったので『本やタウン」で手に入れました。
 さるのお医者さんとへびの看護婦さんが出て来ます。森のいろいろな動物たちが病気になってさるのお医者さんのところに来るのですが,それをお医者さんがへびの看護婦さんに指示していろいろな方法で治療をしてくれます。その方法が,秀逸というかへびらしいというか…,予想をしながら読むと,低学年には絶対受けます。
 今度低学年の補欠の時にでも読んでみたいと思います。どんな反応をするだろうか。

●杉山亮選・解説『「少年倶楽部」の笑い話』(講談社,2004,270ぺ,1400円)
 今月のイチオシの本です。
 大正3年~昭和37年まで発行されていた講談社の子ども月刊誌『少年倶楽部』(戦後は『少年クラブ』)の中から,杉山さんが選んだ珠玉の「笑い話」を集めた本です。これらの「笑い話」はすべて投稿です。戦前の子どもたちの笑い話には,現代にも十分通用するものもあれば,こんなんで笑っていたなんて…と時代背景を感じるものもあります。
 ついつい学級通信などに紹介したくなります。昔も今も子どもたちの頭は柔軟で楽しいことが大好きなんだなあと思います。
 2つ紹介しましょうか。
▼「成程」(昭和8年8月号)
  太郎 線路はなぜ遠くへ行くほど小さくなるのだろう?
  次郎 そりゃ汽車が小さくなるからさ。
▼「長生」(昭和16年9月号)
  政雄 たばこを吸わないと,長生きするそうだよ。
  安吉 でも,ぼくのおぢいさんは,たばこを吸うけど,70までも生きてるぜ。
  政雄 たばこを吸わなかったら,きっともう90ぐらいになっているよ。

 暇つぶしにはサイコーの本です。うちの娘達も,ときどき開いてよく読んでいました。サービスにもう一つ。
▼「メートル法」(昭和35年10月号)
  おきゃく 肉を100もんめください。
  肉屋   いまは,メートル法ですよ。
  おきゃく それなら,1メートルください

●西尾漠他著『止めよう!再処理 やめよう!プルトニウム利用』(原子力資料情報室・原水爆禁止日本国民会議,2004,48ぺ,300円)
 脱原発の流れに逆らうのが日本の核燃料サイクル構想です。今の原発以上の廃棄物を生み出し,しかも危険性も極めて高くなるこの「核燃サイクル」は,なんとしてもストップさせなければなりません。
 電力会社各社は,原発のバックエンドにかかる費用を電力料金に上乗せしたいという意向を示したと言います。「原発は安い」という話が10年前の折り込みチラシにありましたが,それは既に真っ赤なウソだと言うことがばれています。
 私たちは,いろいろな情報に騙されないようにしなければなりません。しかし,世の中には目出度い人がいて,「えらい人が言うから」「東大教授だから…」などと言うことだけで,「まちがいないだろう」という判断をしています。ボクには不思議でなりません。なぜ疑ってみないのだろうと思うのですが,それが道徳教育の結果なのかも知れません。しかし,自分の思考を停止してまで人にあわせる必要はない。自分の思考を停止することを推奨することが「道徳」ならば,気をつけなければなりません。
 政府の宣伝は,新聞テレビで見られます。ですから,自分から進んで別の方向からのこういう本もしっかり勉強したいものです。こういう人たちの言っていることの方が正しかった-というのが,なぜか多いのです。

●講談社編『世界がよくわかる国旗図鑑』(講談社,2003,80ぺ,1600円)
 はみだしたのにでも紹介されていたのだったっけ。何で買ったのかよく覚えていないなあ。とにかく国旗の図鑑です。
 内容は,研究編と資料編に分かれていて,研究編には,似たもの同士の国旗を集めて説明がしてあります。『世界の国旗』(仮説社)と同じような分類もあれば,違う視点でまとめたものもあります。研究編のタイトルを見てみましょう。
 ・丸と赤と太陽の関係 ・青,白,赤は「スラブの色」
 ・三日月はイスラムのシンボル ・赤,白,黒,緑は「アラブの色」
 ・十字架はキリストのシンボル ・緑,黄,赤は「アフリカの色」
 ・星は夜の道しるべ ・国旗のなかの四角形
 ・オールスターゲーム ・国旗のなかの三角形
 ・国旗のなかの動物たち ・わけあって似たものどうし
 ・国旗のなかの植物たち ・ニックネームで呼ばれる国旗
 ・紋章が入っている国旗 ・オモテとウラの関係
 ・国旗の色のいろいろな意味 ・タテとヨコの関係
 ふりがなもついていて,中学年からなら読めると思います。今年はオリンピックの年。是非,夏休み前に仮説実験授業《世界の国旗》をやってあげたいものですね。

 では,今月の最後に,体の本を2冊。これは読むと言うよりも見る,調べるための本なので,すべて読んだわけではありません。実物を見ないと何とも表現できない本です。

●鴨下重彦他著『こどもの病気の地図帳』(講談社,2002,180ぺ,4000円)
 高い本ですがビジュアルな絵がいいです。6年生の保健の授業をしようと「保健室」へ行って資料を見せてもらっているときに「これはいい」と思って早速購入しました。うちのかみさんは「何を今更…」という冷たい視線でした。

●『図録・人体の不思議展』(日本アナトミー研究所,2004,170ぺ,2500円)
 以前,サークルでも話題になった「人体の不思議展」の図録です。本物の人体を特殊処理(プラストミック)して飾ってあるというこの展覧会は,各地でとても反響を呼んでいるようです。しかし,本物の人体を切り刻んで展示するというこの展示会は,下手をすると興味本位,あるいは逆に目をつむりたいというふうになるのではないかと危惧されます。そのあたりのことについて,展覧会の委員長森亘氏の「ごあいさつ」には,以下のように書かれています。
▼人間の身体について,実物を,かくもありのままに大衆の前に晒すことについては,心の底に,何か抵抗を禁じ得ない陰のようなものを感じる。主催者側に問うたところ,自ら献体を申し出た方々由来するものと知った。本来は医科大学における教育のためのものであろうが,社会人を対象とした,広い意味の医学教育に用いることがあっても,その点はお許しいただけるであろう。(4ぺ)

追記:上記リンクの本は,その後,一般向けに発行された物のようです。ページ数も同じなので,概ね内容は同じなのではないかと思います。

5月号

 またたくまの2ヶ月でした。新しい学校って,なかなかなれませんね。前の学校には6年もいたので,よけいにその変化について行けないのだろうと思います。今の学校のいいところよりも,前の学校のいいところの方が思い出になってたりするので,困るのです。しかも,勤務時間後は1分たりとも学校にはいないで,もう一つのお役目の仕事。なかなか新しい学校になじめません。ま,そのうち,少しずつ「オラが学校」っていうふうになるんでしょうがね。

●日本教育法学会編『講座・現代教育法2 子ども・学校と教育法』(三省堂,2001,306ぺ,4200円)
 この講座は3冊あります。3冊とも購入しましたが,そのうちの2です。最近は,こんな堅い本はあまり読まなかったのですが(昨年の上田薫著『知られざる教育』以来か!?),今年,組合の仕事を引き受けた関係上,今話題になっている教育問題について,その法規的な部分を概観しておくのも大切なことではないかと思って,『教育』の本の宣伝でタイトルだけ見て「本屋タウン」で注文しました。
 第3章を読んでいて,なんか他の文章と違って読みやすいなあと思っていたら,「たのしい授業」「仮説実験授業」という言葉が…。前にもどって著者を見ると内沢達とあります。そういえばこの方『たのしい授業』でも文章を寄せていたような気がします。第3章のタイトルは「子どもの不登校と教育を受ける権利」です。

西原博史著『教育基本法「改正」』(岩波ブックレット,2004,71ぺ,500円)
 以下に紹介する2冊と共に,4月に金沢の「うつのみや」で手に入れました。最近,大きな本屋で本を選ぶということをしていませんでしたが,なんとなく岩波コーナーに行って,最近気になっている話題について書かれている本を買ってきました。
 本書は,教育基本法改悪の流れが加速する中で書かれたものです。
 一 教育基本法を変えることがもつ意味
 二 教育基本法を変えたい人々
 三 家庭環境による子どもの分断と「公教育」の危機
 四 愛国心の強制と「日本人としての自覚」
 五 教育の将来を構想する
の5章からなっています。
・教育基本法にできるのは,「あってはならない教育」を防ぐことだけです。教育を形造っていくうえで絶対に踏み込んではならない,「あってはならない教育」を見極め,そこに通じる道に柵を立てること,これが,1947年に制定されて以来,教育基本法が引き受けてきた役割です。」
・教育基本法そのものを変えようとすることは,これまで「あってはならない教育」として排除してきたものの中に,今の世の中で必要なものがあると認め,それが実行できるように柵を作り直す,という選択を意味することになります。」(3ぺ)

 国・政府がめざす教基法改悪の目的を簡潔に突いていて,なかなか納得する文章です。

●苅谷剛彦他著『調査報告「学力低下」の実態』(岩波ブックレット,2002,71ぺ,500円)
 教育内容の3割削減以来,なぜか「学力低下」が叫ばれ,今や,基礎学力定着ブームです。なんで教育界は,このように流行に弱いのでしょうか。やれ問題解決学習だ,やれ系統だ,やれ基礎・基本,やれ想像力…。
 本当に困っているのは,「基礎・基本が何か」を定義もせずに教えられている子どもたちでしょう。「学力」でさえも,「何か」と問われて,しっかり親に説明できる教師は何人いるのでしょうか。ボクは,どの親にも「こういうものを学力といいます」と説明する自信はありません。だからこそ,ゆっくり,本当に子どもたちが喜ぶものにはどんなものがあるのかを見つけて行こうと思うのです。
 さて,本書は,「学力低下」の実態として,単に学校の子どもたちの平均だけでなく,その子どもたちが置かれている社会的状況などにも注目し,統計的な処理をしています。子どもたちは,学校だけで勉強しているわけではありません。家庭での宿題もあるし,塾に通っている子も少なくはありません。なんとなく勉強するのが当たり前の家庭もあるし,子どものことにそんなにかまっていられない家庭もあります。そういう状況を加味して考えたときに,「学力低下」の現状が,別の意味で浮かび上がってきます。そして,今の<義務教育の中に競争を取り入れよう>とする状況が,さらに子どもたちの学力間格差を広げるものになっていくのかも見えてきます。あわせて総合的な学習で身につけさせたい学力も基礎基本なしでは十分に身につくものでないことも確認しておきたいと思います。

●大津由紀雄・鳥飼玖美子著『小学校でなぜ英語?』(岩波ブックレット,2002,70ぺ,500円)
 
英語英語とはしゃぐじゃないよ,みんな茶髪の世界でも…(詠み人知らず)
 世の中,「話せる英語」「遊べる英語」「小さいうちから英語」と大合唱です。これまた,先ほどと同じ事を言わなければなりません。なんで,こんなに流行が好きなの??と。
 確かに,日本の英語教育は6年間+4年間も英語を受けているのに,話せる人はわずかです。しかし,それがどうしたというのでしょう。ボクの教え子にも海外に平気で一人旅やら短期間の在住やらをする子がいますが,別にその子たちが幼少の頃から特別に英語が得意だったわけではありません。それでも,必要に迫られれば何とかなります。
 珠洲市でも,今年度から小学校から英語を取り入れようとしています。年間20時間の英語の時間を設けて,楽しみながら英語を学ぶそうです。人ごとではありません。ボクも指導しなければならないのです。しかし,違う言語を学ぶとき,専門的な知識は必要ないのでしょうか。英語の先生の免許もないボクたちが,20時間も「英語との新しい出会い」に携わっていいのでしょうか。それくらいのカリキュラムになっているのなら,うれしいのですが…。
 小学校段階から英語を教えることに反対する人はいっぱいいます。日本語さえもきちんとしていなくて何が英語か。もっと他の言語も教えて,国際理解教育につなげるべきである,等々。
 あれもこれもすべて小学校で…といっても,小学校での授業時間は限られています。土曜日まであって,教科書も厚かった時代と今と比べると,一体,小学校でどんなことを教えたらいいのか…本当に,こんな英語なんてやってていいのだろうかと思います。一方では,「基礎・基本!」といいながら,もう一方では「英語で遊ぼう!」さらには,「自分で課題を見つけての総合学習が理想です」だって…。はっきり言って,「そういうことができる大人を児童数と同じだけ連れてきてください」と毒づきたくもなります。

●日教組インクルーシヴ教育推進検討委員会『どうする特別支援教育』(アドバンテージサーバー,2004,286ぺ,2100円)
 
インクルーシヴ教育は,これからの教育の一つのスタンスになるだろうと思います。各クラスで一人ひとりの「特別な教育ニーズ」に答えて対応することは,すぐに実現できる簡単なことではないでしょう。
 違って当たり前の子どもたち。それぞれには,それぞれの「ニーズ」があります。しかし,30人30通りのニーズに,一人の担任が応えることは本当に可能なのでしょうか。理想はそうでしょうが,とても無理だと思います。それでは,どのような手だてをすれば,違うもの同士がお互いに刺激しあって生きていけるのでしょう。習熟度別に分けて指導することが「ニーズに応える」ことだとも思えませんしねえ。仮説実験授業のように,いろんな子がいてこそ成り立つ授業というものも,現実にはなかなかありませんからねえ。
 サラマンカ宣言から10年。日本でも「特別支援教育」と銘打って,今までの障害児学級のとらえ形とは違う感じの教育をすすめようとしています。しかし,それが,単に,普通学級からLD・ADHDといわれる対象者を見つけ出し,別に集めて教育するというだけのものに成り下がる感じもします。
 今後の障害児教育のあり方,学校教育のあり方を考え直すためにも,本書をお読みください。

●森口朗著『授業の復権』(新潮新書,2004,183ぺ,680円)
 『たのしい授業』の「はみだしたの」で紹介されていたので,手に入れて読んでみました。本書で紹介されているのは,「仮説実験授業」「水道方式」「鍛える国語(野口芳宏)」「法則化」「百マス計算」「よのなか科」などです。
 学校再生の切り札として,これらの実践が取り上げられていますが,ちょっと的はずれなところもなきにしもあらず…。
 ボクとしては,終章の「教育論争の忘れ物」が著者の意見がもろに出ていておもしろかったです。あまり考えたことのない視点から,日の丸・君が代問題なんかのことを取り上げていました。教職員組合が頑張っている頃は,教育研究にも熱心だったという話には,なるほどそのとおりかもと思いました。
 ま,いろいろ異論はあるかと思いますが,それなりにおもしろく読めました。森口氏の著書には他に『早期教育は父親が仕切れ』『偏差値は子どもを救う』などがあるそうです。どうです,なかなかおもしろい視点でしょ。そこまで読んでみる気はないけど。

●大江健三郎著『「新しい人」の方へ』(朝日新聞社,2003,181ぺ,1200円)
 
『週刊朝日』に連載していた大江さんのエッセイを集めた本です。新聞の書評を読んで注文しました。
 大江さんの文章は,20年以上も前に文庫本で小説を読んだっきり,読んだことはありませんでした。ノーベル文学賞をとってからも,読もうとは思いませんでした。光君の方に興味があったような気がします。ボクの好きな作家の一人・本田勝一さんが,中途半端な大江さんの姿勢を批判していたことも,大江さんとボクの距離を離していたのだと思います。
 今回は,若者たちに向けて書いているということで,大江さんはどんなメッセージを発信しているのかなと思って読んでみました。
 本書を見て,まず,挿絵の柔らかさに目がいきました。妻のゆかりさんが長い時間をかけて描いたものだそうです。絵の教室に通ったわけでもないということですが,とっても暖かくなる絵で,気に入りました。
 15編のエッセイが収められています。
「頭をぶつける」…親のありがたさと,失敗の大切さがわかります。
「数十尾のウグイ」…不思議な体験です。
「賞をもらわない九十九人」…理科系と文化系という壁を越えた,知識の大切さが伝わってきます。
「本をゆっくり読む法」…何で速読なんてするの。本はじっくり読めばいいじゃないですかという呼びかけ。
などが,頭に残っています。これには続編があります…というか,本書の方が続編です。本書がわりとおもしろかったので,この前編も手に入れました。まだ読んでないので,読んだら紹介します。

●小沢昭一著『川柳うきよ鏡』(新潮新書,2004,189ぺ,680円)
 
堅い本ばかり読んでいると,息抜きにこういう本も読みたくなります。著者は,あの小沢昭一的心の小沢さんです。小沢さんには,「日本の放浪芸」収集という仕事があって,寅さんの好きなボクは,滅び行く日本の放浪芸のCD10枚組やDVDも持っています。実は持っているだけで,全部聞いたわけではありませんけどね。
 さて,本書は,『小説新潮』誌上に投句・掲載された9年間分の川柳を3句/月,収めたものです。川柳はおもしろいに決まっていますので,この本もおもしろいです。
・女房の尻を輪ゴムの的にする
・リモコンを炬燵の妻の背に向ける

 一つめの句は,お笑いで終わりますが,2つめの句は,なかなか意味深です。リモコンを使うのはどんなときかを考えると…。
 エスプリを感じたい人,お薦めです。 

 今年1年は,教育問題関係の本を多く読むのじゃないかなって思います。昨年・一昨年は道徳の本ばかり読んでいたような気がします。自分の置かれた状況で,いろいろ変わるのも,おもしろいです。趣味的な部分はいつも同じで,川柳やら都々逸やらと理科的な読み物はトータルに読んでいますが,仕事的な部分で読めるのもいいものです。こういう関係の本を読むのが負担にならないのが,ボクの得な性格の一つかも知れません。最近は,今までほとんど読んだことのなかった『教育評論』のバックナンバーなども,必要にあわせて読んでいます。

4月号

 あわただしく始まった新年度。本なんて読んでいる時間がありませんでした。今年は,どれくらい読書に時間が取れるのか不明です。

○中谷彰宏著『1日に24時間もあるじゃないか』(PHP文庫,2004,190ぺ,500円)
 この文庫本は,1999年にダイヤモンド社から刊行されたものだそうです。時間活用術の話題の本は,何冊か読みましたが,本書も,それなりにおもしろかったです。本書を読んで「時間が無駄になった」とは思いませんでしたので…。
 時間がない,忙しい,1日の時間がもっとあったらと思っている「自称・いそがしい人」に対して,「24時間もあるじゃないか」という発想の転換がボクを引きつけました。
 自分の時間の使い方だけでなく,他人(ひと)の時間のことまでも書かれています。約束の時間に5分遅れることは,1時間遅れるよりも罪は重い,とか,気の利く人は人の時間を生み出してあげているなど,時間を軸として自分の仕事や生活を見直すきっかけとなりました。
 本書でもやはり,朝型人間を薦めていることに変わりはありません。
 今,読み終わってすぐに感想を書いているのですが,これも,「すぐにやると時間が短くて済む」ということを実践しているというわけです。

○齋藤孝著『会議革命』(PHP文庫,2004,207ぺ,560円)
 最近,Hさんがよく紹介して下さる齋藤さんの本です。2002年にPHP研究所から刊行されたものの文庫本です。
 会議というと,だらだらと時間がかかり,しゃべりたい人がしゃべり,なかなか決まらず,だんだん飽きてきて,時間通りに始まらず…と,あまりいい印象がありません。
 今年,執行部を引き受けることになり,いろいろな会議を活性化できないかと考えていたときに,「王様の本屋」さんで本書が目にとまりした。上の本と並んでいました。
 報告事項を先にやることが多いけど,やはり「決めなければならないことを先にやるべきでは」という話は使えそうなので,執行委員会で提案したところ「それはいい」ということになり,第1回の支部委員会ではそのようにしてみました。それでも伸びたけど…。終了時間も(よほど議論の必要な大切な議件ではないかぎり)宣言しておくといいだろうなと思って,それも実行してみました。だらだらとした会議は,だんだん人もいなくなるし,しまりもなくなりますのでね。
 ただ,本書の内容は,そういう伝達会議のことよりも,新しいことを生み出す会議を想定して書かれています。特に,マッピング・コミュニケーションという発想はなかなか使えそうです。
 昨年,地域コーディネーターの会議に行ってきたときに,やらされたあの方法は,もしかしてここからきているのかなあなんて思いました。確かに,一方的に聞かされる会議よりは動けてしゃべれて楽しかったです。

○佐藤学著『習熟度別指導の何が問題か』(岩波ブックレット№612,2004,70ぺ,480円)
 巷に流行る習熟度別指導。教師が加配され,学力向上フロンティアの研究校もあり,まさにまわり中に習熟度別ありきの様相を呈しています。
 さて,この習熟度別学習。本当に子どもたちにとってプラスなのでしょうか? これから研究するのなら,やってみなくちゃわからないし,各校の研究成果に待つべきものですが,他の実験結果があるのなら,それを参考にして見るのも大切でしょう。
 本書は,各国でおこなわれていた習熟度別指導が,けっしてこどもたちのプラスにはならず,かえって複式の指導を進めてきたフィンランド等の国の方が,学習の力がついていると述べています。
 フロンティア研究校のみなさん。選考実践をしっかり学んでから,研究に当たってください。それが研究のあるべき姿ですね。
 習熟度別クラスを子どもの判断に任せて分けることについては,
▼「自己選択」を求めることによって「能力差別」の現実を曖昧にし,子どもと親の「自己責任」に帰着させる教師の責任逃れの意識が作用しているからとは言えないでしょうか。
と言っています。
 いろんなプリントを用意して時間を競わせるのは,本当に学校の仕事なのでしょうか? 計算力と漢字力を高めるのが,学校医教育として,まずいちばん大切なことなのでしょうか。
 ボクは,学校という短い授業時間で,学問の楽しさを味わわせること。多様な意見があっていろいろとノーミソが動かされることを知ることこそ,授業の意味があると思うのです。学校は塾ではありませんし,塾と同じ土俵で勝負する必要はないのです。そして,そう言い切れるだけの授業を,これからも仮説実験授業を通してやっていきたいと改めて思いました。
▼学力向上のポイントは学力向上を直接的な目的にしないということです。学力向上を目的的に追求することは,土地も耕さず生育も促さずに収穫だけを算定し追求する愚かさに似ています。授業の改革において追求すべきは学びの経験を豊かにし高めることであって,学力の向上は,その結果としてもたらされるものです。逆ではありません。(64ぺ)

○辰濃和男・村瀬誠著『雨を活かす-ためることから始める』(岩波アクティブ新書,2004,174ぺ,740円)
 太陽光発電の次は,雨水の利用を考えてみようと思い,この本を買いました。岩波アクティブ新書というシリーズのことは初めて知りました。
 太陽光発電は,雨や曇りの日には力を発揮しません。そこで,風力発電や雨水の利用が頭に浮かびました。風力は,まだまだ結構高くて場所もとるので買えそうにもありません。しかし雨水の方は貯めるだけなので結構楽にできそうです。飲み水にするのは無理だけど,お風呂やトイレなんかにも使えるようにできないのかなあと思って読んでみました。
 たしかに貯めるだけなら,大きなバケツでも用意すればどうにかなりそうです。しかし,それをトイレに取り入れたり,さらには,ゴミなどを取り除くようにしたりするためには,いろいろな準備が必要です。工事費も含めると,水道代として元をとるのにまだ20年はかかるようです。これじゃ,太陽光発電と同じです。まだ自治体が雨水利用の補助をするまでにはいっていないので,もっと補助金を出してくれれば,雨水利用もどんどん進むのではないかと言います。そんな中でも墨田区は自治体をあげて雨水利用を呼びかけているらしく,利用者も増えているとか。
 スグには利用できませんが,まあ,庭の鉢植えの水くらいは,ためたバケツから汲むようにできるでしょう。これじゃ,焼け石に水かな。

3月号

 古い本から新しい本まで,いろいろと紹介します。

○新渡戸稲造著『武士道』(三笠書房,1997,223ぺ,1100円)
 ご存じ(と書くと知らない人は差別された気になるのであまりよくない),新渡戸稲造の『武士道』です。数年前に宮本武蔵の『五輪書』といっしょに手に入れていたのですが,いつもの移り気で読まずに積んでありました。『五輪書』の方もまだ読んでいないけど。
 『武士道』を読んでみようと思ったのは,映画『ラスト・サムライ』を見たからです。実は『武士道』という本は,英語で書かれています。要するに日本向けと言うより,海外向けに書かれベストセラーになったのです。ですから,いくつかの訳本が出ています。一番有名なのが岩波文庫版(矢内原忠雄訳)です。今回紹介している本は,奈良本辰也訳・解説です(最近のベストセラーはこの本です)。日本武士の腹切りの話から,西洋の文化に押され,武士道精神がなくなっていくのも時代の流れか…と嘆いているあたり,なかなか微妙なものがあります。なんでもかんでも「腹切り」というわけではありませんが,ややもすると腹切りを美化する雰囲気もあるのは仕方がないのかもしれません。ただ,現在の日本が失ったものが,この本の中にたくさんあるとは思います。それを復活しろとは思いませんが,どんな風に現代に生かせるかというのが,これからのわたしたちの課題です。
 武士道を語るのに,中国や西洋の名作などを引き合いに出しており,とても教養の深い方だったのだなあと思います。また,<注>もふんだんについているので,そういう部分で読みにくいという感じはしませんでした。
 「武士道」の中に「西洋で失われたもの」を感じた軍人を主人公にした『ラスト・サムライ』を楽しく見るためにも,一読をおすすめします。

追記:上記リンクは,2013年発行の新版です。

○桑野幸徳著『新・太陽電池を使いこなす』(ブルーバックス,2000,259ぺ,940円)
 我が家に太陽光発電を設置して,半年が過ぎました。雪の日(雪が積もっている日)以外は,曇りの日も雨の日もいくらか発電をしています。うちの西の方は,山が迫っていて,日没までが早いのですが,それでも一日一日,設置に使った金を少しずつ取り戻しています。お金儲けしようなどと思って設置したわけではないのですが,毎日の発電量を見るのが楽しみでもあります。
 著者は日本で初めて自宅に太陽電池をつけた方です。この本にもありましたが,太陽光発電をつけると,なぜか節電に気を遣うようになります。実際うちの使用電力量もしっかり下がっていますし,電気代も安くなっています。さらに売電した分の金額が入ってくるのですから,その影響は大きなものがあります。設置後1年間たったところで発電量のグラフをご紹介したいと思いますので,お楽しみに。
 太陽光発電に興味のある方は,本書をお読み下さい。

○フランク・パブロフ物語『茶色の朝』(大月書店,2003,47ぺ,1000円)
 いつのまにかファシズムのかげが忍び寄る。
 市民達は「おかしいな」と感じながらも,これくらいなら仕方ないか‥オレだけ言ってても目立つだけだし‥という態度で過ごしている。そして,「コレハ絶対おかしいのだ」と気づいたときには,時すでに遅し。当たり前のことを口に出していうこともできない社会になっているのです。
 小さな絵本です。ページ数もわずかです。フランスの作品を日本でも翻訳してくれました。この本のことはいつだったかの北陸中日新聞に特集をしていて,そのときに知りました。そのあとも,同新聞の1面のコラム(中日春秋)にも取り上げられていました。
 今の日本は,いつの間にかやばい状況になっていないのでしょうか。ぼくが学生のころ,栗栖の「有事法案」があるとかないとかで,大問題になっていましたが,20年たった今,有事のことは堂々と考えられています。まったく,戦争をするための国家作りが進められています。冷戦時代よりも今の方が「攻められる危険性」があると,なぜ言えるのか,ぼくにはわかりません。国際社会に対して米国のような覇権を持ちたいという姿勢が日本政府にあるからこそ,いろいろな場所で軋轢を起こし,それが,いろいろ問題を大きくしているような気がします。

○尾木直樹著『競争より「共創」の教育改革を』(学陽書房,2003,238ぺ,1500円)
 尾木さんといえば,以前,珠洲の教育研究集会の講師として緑丘中で講演をされましたので,ご存じの方もおいでるでしょう。そのときは,教育評論家として,主にいじめられる弱者やいじめる弱者,不登校等について現場の悩みを共有し教師や親の姿勢について話してくれました。ボクは,その後援会を前後して2冊ほど尾木さんの本を読んだし,そのあとよくテレビにも出たりしていたので,「いっぱしの教育評論家なんだなあ」と思っていただけでした。
 しかし,本書は違います。もちろん,弱い者の味方をしているところは何も変わっていないのですが,こういった本を書くこと自体が彼の変化なのです。彼はこういっています。
・私自身,教育評論会に転じてこの10年来,原則的には市民の運動体には直接参加しないで,自由な立場からの独自の発言を続けてきました。しかし,今回の教育基本法問題では,初めてその禁を破りました。「教育と文化を正解に開く会」の立ち上げに加わり,教育基本法「改悪」反対運動に参加したのです。(92ぺ)
 ことほどさように,お店へ行くというのは,それなりの勉強が出来ます。

○向山洋一編『徹底検証:百マス計算はできない子を救えるか』(明治図書,2004,352ぺ,1780円)
 雑誌『教育』の表紙の裏にこの本の広告があり,「百マス計算」なんて一度もしたことのない私は,「百マス計算」が私の思い通りの弊害があるのかどうか興味があって,インターネットで手に入れました。送られてきた本を見ると,なんと130もの「失敗した実践例」が取り上げられており,352ぺという大部の本となっています。これなら,ブックレットくらいにして500円ほどで売ってほしいなあと思います(インターネットで,明治図書から直接手に入れたので,どんな本なのか知らずに注文したのです)。同じことが何回も出てきて,もうわかったよ~といいたくなります。一斉に100マス計算をいじめている感さえしてあまり気持ちの良い本ではありません。
 ひとつの流行に流されるのは,法則化も同じでしょう。法則化のみなさんがコレニ飛びついてやってみたことの自分の姿勢については,どうなんでしょうかね。空き時間を作らないとか九九表を与えることという,ボクにとっては当たり前のことまで向山型の一部のように書いてありますが,そうなんですか?この増刊号を読む限りは,なんかそれも向山型算数の一部のようですが…。すみません,向山型算数の教え方を読んだことがないので,知っている人教えて!!

○久保田裕道著『目からウロコの日本の神様』(PHP,2002,236ぺ,1350円)
 以前に紹介した『目からウロコ』シリーズの中の1冊です。神道や仏教に興味が出るのは,年をとったせいでしょうか。20年ほど前の私なら,宗教なんて百害あって一利なしという態度をとっており,それ関係の本さえも読まなかったような気がします。宗教そのものに興味が出てきたのは,べつに信心深くなったわけではなく,人間の知恵として残ってきたものの中に何があるのかを知りたくなったからです。それにしても,なんの知識もない世界なので,入門本も見つかりません。本書も,頭がすっきりしたというより,こんなにたくさんの??があるのかと思った次第。
 神様といっても古事記に現れたものから土着の思想,中国から渡ってきた思想やそれが日本化したものなど,「原点」を知るのは無理なのだろうなあと思ってしまいました。やはり,まずは『古事記』を読むべきか。これも2冊ほど持っているのだけど,読んでいないのだ。

○三浦つとむ著『指導者とは何か』(三一書房,1957,238ぺ,170円)
 古本屋で手に入れました。学生運動や労働運動の指導者としてどんな指導者がいいのかということが書かれています。原理原則を押し通すことが決して最良の方法ではないことも,毛沢東の言葉等を引用しながら述べています。
 三浦つとむ氏は,弁証法という考え方を広く私たちに分かりやすく教えてくれる本をたくさん書いています(わかりやすくってがいいのです)。板倉先生にも影響を与えたというその哲学に私が触れようと思うのも当然でしょう。三浦さんの本をいろいろと集めていますが,読んだ本は少ないです。やや専門的になると,マルクスも読んでいないのに理解できるかなあって言う感じです。本当に時間があるときに,ゆっくりと読むことが出来ればいいなあ。
 本書は新書版でもあり,大変読みやすく分かりやすく書かれています。いい指導者,悪い指導者とはなにか,それはどうして生まれるかがよく分かります。
▼物質的な報酬を約束されていなくても,よろこんで積極的に組織の仕事をひきうける。これはけっして無報酬ではない。そこには目に見えない報酬がある。自分のささやかな奉仕が社会のために貢献したというよろこび,自分の努力が有意義な成果をもらたしたという満足感を,報酬としてうけとるのである。(34ぺ)
▼君は出席者の発言からいろいろのことを学べるはずである。たとえまちがった発言を聞いても,なぜまちがった発言をしたかを学ばなければならない。君が自分の意見に自信を持つのはいい。だが欠陥があるかも知れないし出席者がそれを教えてくれるかも知れないということを忘れて頑固派になってはならない。(82ぺ)
▼基礎をかためる仕事を充分にやらないで家を建てたところであとから傾いてくるように,基礎的な地道な仕事を着実にやらないで人目をひく華々しい仕事を急ぐ誤謬も起こりやすいことを考えなければならない。(117ぺ)
▼君が集まりへいって話をするにしても,論文をかくにしても,わからずやの方を向いてするのではなく,大衆の方を向いてするのです。(228ぺ)

○中道風迅洞著『どどいつ集・風塵抄』(私家版,2002,138ぺ,3500円)
 肉質の挿画入りの豪華な風迅洞のどどいつ本です。肉質挿画は,もちろん一冊一冊違っています。わたしの師匠である四国の新居先生に産経新聞に出ていたことを教えてもらって,すぐに本人宛に注文しました。ボクが予約したときにも,風迅洞さん自ら電話にでていただき,「1冊1冊挿画を描いているので,半年ほど待って欲しい」といわれ,さらに性別や年齢等も聞かれて,それにあった画を描きたいとおっしゃっておられました。
 首を長くして待っているあいだに,徳島の新居先生から電話があり「ワシの所には届いたけど,お前の所はどうじゃ」と聞かれました。ボクの所には,遅れること1ヶ月くらいで本書が着きました。さっそく新居先生にハガキを書きました。
 「珠洲たの」のHPに流れている都々逸はこのどどいつ集からもとっています(旧サイトではトップページに都々逸を流していました)。

2月号

 御存知ですか? 2月から3月にかけて,BS2で過去の「アカデミー賞受賞作品」を70本も放送しています。それで,あまり映画に興味のないボクも,ほとんどタダで見れるのならと,その一部をパソコンのハードディスクに録画して一枚一枚DVD化しているのですが,その作業がわりとたいへんで,Sonyのハードディスクデコーダー「スゴ録」が欲しいなあなんて思っています。ま,そんなわけで,パソコン処理する毎日でして,本なんてなかなか読めません。

○莫邦富著『中国「新語」最前線-インターネットから性風俗まで』(新潮選書,2002,269ぺ,1200円)
 6年生「国語」の単元に「外来語」を取り扱ったものがあります。国語辞典を開きながら,「どこから来た外来語か」をたくさん調べると言う授業は,子どもたちも楽しんでやってくれます。フランス語やイタリア語。ドイツ語にはそれぞれ特徴的な分野があることも分かってきます。
 ボクの方の興味は,他の国で外来語になっている日本語のことなどです。そう思っていると,ちゃんとおもしろい本に出会います。1冊は『外来語になった日本語の辞典』。もう1冊が『中国「新語」最前線』です。2冊とも,買ったのは1年前ですが,ズルズルと時間をかけて読んでいます。今回は,そのうち『中国-』の方を紹介します。
 本書は,現代中国の「外来語」を扱ったものです。といっても中国ではすべて「漢字」になおします。たとえば「一線通」「猫」「伊妹児」なんて,どんな意味だか分かりますか? どれも情報に関する新語です。正解は,…本書をお読み下さい。
 また,外来語以外の「新語」も掲載されています。自由化の波が中国経済のしくみを変えてしまいました。そこで中国になかった「もの」や「約束」などができ,それでいろいろ漢字を組み合わせた「新語」が作られています。日々生まれ,すぐに使われなくなる「新語」もあるそうです。
 現代中国を「新語」から読み解く本書は,なかなかおもしろかったです。

○長田浩昭他編著『いのちを奪う原発』(東本願寺,2002,122ぺ,500円)
 東本願寺が発行していると言うだけで,おもしろいでしょ。まあ,真宗大谷派のお寺さんが能登にはたくさんあり,その何人かの住職・坊守の方とは浅くないおつきあいをしていますので,こういう本も手に入ります。書店でも買えるとは思いますが。
 珠洲原発に関しては,長田浩昭さんと塚本真如さんが書いておられます。
▼「他化自在天」とは「他の所化を奪って自らの物になす」と表現されているように,他の物が作り育ててきた物を奪い自らのものとなし,奪われた側に眼も向けず,自らが得たことだけを喜び,さらに「有頂天」に浸る。まさに,物質的な「豊かさ」にあふれた,私たちの生きる現代社会を言い当てた言葉ではなかろうか。
▼さらに浄土は,去来現(こらいげん,過去-未来-現在)という時間概念の中で,仏と仏が念じあう世界として表されている。つまり現在は過去と未来によって限定されていると説かれているのである。
(長田浩昭「豊かさのいけにえ-原発を認めてきた時代と私たち-」)より
▼やっぱり国策ということがあるんや。推進の人にとってはいろんな気持ちをね,その「国策」という一言によって,吹っ切らすものがあると思うんやわ。そうするとね,そういうことに関して今まで思ったこともないのに,「国民の電気をどうしたらいいんだろうか」と言ってみたり,「石油がなくなって,どうしたらいいんだ」なんて言うよ。いつ,この人たちは国のことを心配していたのかなと思うけれども。
塚本真如「能登半島の小さな町で起こっていること(インタビュー)」より

 珠洲原発問題がなくなった今,冷静にこの28年はなんだったのか,国策とはなんだったのかを考えてみる必要があると思います。

○いかりや長介著『だめだこりゃ』(新潮文庫,2003,257ぺ,438円)
 御存知,ドリフターズのキャプテン・いかりや長介の自伝です。荒井注さんが逝ってしまったあとで,「そろそろ俺も人生のまとめをする時期だよな…」という気になり,この自伝をひきうけたといいます。
 バンド生活からお笑いバンドへ,そして「初期ドリフターズ」の結成,荒井注の脱退,そのあとお着き人だった「志村けん」の登場と続き,最近は俳優としても活躍していて,それについても書かれています。
 この前,『8時だヨ!全員集合』のDVDが発売されました。3枚組で9000円近くするので,ボクは,まだ買っていません。この番組は,反教育的な番組としてPTAや教育ママ(懐かしい言葉)から反感をかいながらも,高視聴率を保ち続けていました。ボクたち40代~30代のほとんど全員が,この番組に何らかの影響を受けているはずです。少なくともボクの頭の中には,あの加藤茶のおとぼけがしっかり根付き,授業の間にも現れているのではないかと思うほどです。その「爆笑ネタ」を毎週作っていたのがいかりやさんです。並大抵の力ではないよなあ。すべて生放送で行われており,それもまたハプニングの伝説も生んでいるようです。

○居作昌果著『8時だヨ!全員集合伝説』(双葉文庫,2001,277ぺ,524円)
 上の本と一緒に購入しました。DVDの代わりに読みたくなった…とでもいえばいいでしょうか…。
 著者は,オバケ高視聴率番組「8時だヨ!全員集合」のプロデューサーです。「クイズダービー」「飛べ!孫悟空」などのヒット番組も作っています。
 「全員集合」は生放送ですが,あの「8時だよ!」といかりや長介がいう30分前から,その会場では番組が始まっていたそうです。単なる拍手の練習とか,声を合わせるとかいうのではなく,会場にいる人たちがテレビ番組の収録を見ているというのを忘れるくらい,舞台と一体となるように工夫したという話には,一度でもその場にいたかったなと思いました。
 裏番組ではコント55号が圧倒的な力を見せており,その向こうをはっての「全員集合」の開始でした。当初は視聴率も15%くらいと,その前の番組に比べるとよくなったものの,コント55号には勝てませんでした。しかし,当時の「柔道一直線」「サインはV」の本物の役者をゲストに迎えてコントを一緒にやるあたりから視聴率は伸び,30%は普通になったようです。「あの2枚目役者がそこまでやるの?」という場面に何度も出くわしましたが,それもプロデューサーの企みでもあったのです。
 後半の「全員集合」はほとんど見ていませんが,番組が開始された1969年10月といえば,ボクは小学校4年生の秋です。まさに,「全員集合」の草創期~黄金期とともにあったわけです。
 DVDには,荒井注の時代が出ていないといううわさなので,買おうかどうか迷っているのです。

○田中耕一著『生涯最高の失敗』(朝日新聞社,2003,228ぺ,1200円)
 1959年,富山県生まれのノーベル賞受賞エンジニア。なんとボクと同じ年。複雑な気分というより,素直に嬉しいです。こういう一介の研究家にまで「め」を向けているノーベル賞ってすごいなあと思いました。
 3部構成になっています。1部は「エンジニアとして生きる」と題し,簡単な自伝と発明に至までの話。2部の「生体巨大分子を量る」はノーベル賞受賞記念講演をもとにして,発見に至までの経緯とそれがどんな役に立とうとしているのか,また質量分析とはどんなものかについて書かれています。3部は山根一真氏との対談を収めた「挑戦と失敗と発見と」で,山根さんの秀逸な比喩の使い方で,難解な質量分析の話が分かりやすく解きほぐされていきます。第2部で落ちこぼれた人も,第3部ではちゃんと救われますので安心してお読み下さい。
▼日本の社会や組織にゆきわたった,「製品にはいっさい欠陥・欠点を含んではいけない」という考え方を実践するためには,「減点主義」が有効だったと思います。しかし,新しいことに挑戦する場合,失敗がつきものです。そのようなときに,失敗を重ねても,つぎにまた挑戦しつづけるためには,誉めて育てる「加点主義」を採用する必要があると思います。「今回は,結果自体は失敗に終わったけれども,きみの研究に対する取り組み方はよかったよ」と励ますのです。 (68ぺ)
▼こういった現場でのさまざまな直接の反応を通して,私の手がけてきた技術や製品が役に立っていることを実感できることが,なににも増して,私には貴重なのです。(77ぺ)
▼ある方から,私が,高分子の質量スペクトルを測定していて,イオン化の信号を見つけられたのは,「見えないものを見る努力をしていたからだ」と言われました。たしかに,見る(see)ことと認識(recognize)することは大きくちがいます。私は見えないかも知れない現象を,意識的に見る努力をしていたといえます。なにか新しいことを発見したい,なんとか発見して,役立つ技術を開発したいと一心に思っていたのでしょう。(78ぺ)

 以上,教育関係者にも役に立つ部分を一部抜き出してみました。子どもの対する自分の構えを反省するとともに,まだまだ未来は明るいよと教えてくれたようで,とても元気の出る本でした。
「だれでも いつでも 独創性は発揮できます」

○山本進編著『落語ハンドブック・改訂版』(三省堂,2001,272ぺ,1650円)
 先日,東京へ行く機会があり,末広亭にも寄って来ました。トリを勤めた三遊亭歌武蔵の「らくだ」は迫力があって,おもしろかったです。
 さて,数年前からこっている落語ですが,新しい本を買いました。落語の歴史,演目,系統図など,一通りのことを知りたい人は,この1冊が力を発揮するでしょう。最後に「参考文献」もたくさん紹介されており,つっこんで調べたい人にはブック案内の役目もしています。
追記:上記リンクは,2007年発行の新版です。

1月号

 年末年始は,時間があるようで,ありませんな。年末は,まるまる2日間は大掃除。自分だけがおこたにあたって読書三昧できるほど,家庭は甘くありません。一方,お正月も,初詣や年始詣りで,そして福袋?で,2日間はなくなります。まあ,これが日本のお正月なんですから,仕方ありません。で,せっかくですから,お正月や民族にちなんだものを何冊か読んでみました。

○小関智弘著『働くことは生きること』(講談社現代新書,2002,232ぺ,700円)
 著者が,とある旋盤工場(マスコミによって3Kと蔑まれるようになってしまった)で,ある若者に尋ねる。
「現場で汚れて働くのは嫌いだけれど,金を稼ぎたいからそれは我慢する。そのかわりに,その金であとの時間を楽しめれば人生それでいいんだって,割り切って働いている若者が多いよね」
すると,その若者は,こう答えたそうだ。
「どうせ同じ1日,同じ8時間働くんなら,ふてくされてやっているより,楽しく働いたほうがいいにきまっているじゃん」
 著者の小関さん自身,旋盤工として65歳になるまで働いてきた人である。働きながら作家活動をし,直木賞や芥川賞の候補に挙がったこともある。最近は,ノンフィクションというかルポルタージュをよく書いているらしい。文章のあちこちに,職人気質の親方たちや工員たちの姿から多くの影響を受けていることが分かる。町工場という中小工場は,確実に減ってきているが,しかしその一方で,確実に,いまの先端技術を支えているとも言える。
▼どんなに立派な考えを口することができても,仕事で信頼されなかったら通じない。それを肝に銘じておくことだ,とわたしは悟った(69ぺ)。
▼鋼を削るという仕事の,なんと奥深いことか。挑んでも挑んでも限りがなかった。鋼を削る仕事の,なんと楽しいことか。その楽しさは,あらかじめそこに存在するというものではなかった。こちらが鋼に向かって語りかけるときに,はじめて鋼のほうが姿を見せてくれるというものだった。/鋼が見えたら,人も見えた。(133ぺ)
▼書きたいと思っていること,これを書けばきっといい作品になるぞ,いつかはこれを書こうなんて頭に思い描いているものは,全部書いてしまいなさい。書いて書いて書きまくりなさい。そうすればあとは手が考えてくれるようになる。(146ぺ)

 著者が40歳の時に書いた「粋な旋盤工」というエッセイには,次のような主張をしたという。
▼商品化されたレジャーの遊びは,ほんらいの遊びではなく,あれは“怠け”ではないか。そういう疑問を提しつつ,わたしは,仕事と遊びとには人間の欲望を満たす共通の志向が存在するのだと書いた。仕事の中にある遊び,と言ってもいい“粋”を取り戻そうと主張した。(140ぺ) 
 仕事は“苦”でしかなく,のちの遊びのために仕事をしていると思っている人のなんと多いことか。仕事の中に遊びを見つけることこそ,粋な暮らし方なのだと,学んだ。
 数ヶ月前の新聞の書評を見て手に入れた本だが,小関さんのほかの著書も読みたいと思う。

○新谷尚紀監修『日本人の禁忌(タブー)』(青春出版社,2003,185ぺ,700円)
 副題「忌み言葉,鬼門,縁起かつぎ…人は何を恐れたのか」
 伝統的な「禁忌」から現代版の「禁忌」まで,「なぜそれをしてはいけないのか」「なぜそれをしてはいけないと決める必要があったのか」という話題のオンパレードです。「アダムとイブ」や「イザナミとイザナギの神話」から「井の頭公園でデートをしたら別れてしまう」という話まで盛りだくさん。「禁忌」に関する民俗学の入門書として,楽しく読めるのではないでしょうか。もし,本書を読んで興味がわいたら,参考文献にあたるといいでしょう。各章の最後に,10冊あまりの文献が載っているので,発展していくことはできそうです。

○小松和彦著『異界と日本人-絵物語の想像力』(角川選書,2003,196ぺ,1500円)
 裏表紙の解説を書いてみます。古来,日本人は未知のものに対する恐れを,異界の物語に託してきた。日常の向こう側に広がる異界では,陰陽師が悪霊と戦い,狐が美女に姿を変え,時間の流れが歪む。酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説,浦嶋伝説,七夕伝説,義経の「虎の巻」など,あまたあらゆる異界の物語を絵巻から読み解き,日本人の隠された精神生活にせまる。妖怪研究第一人者が贈る画期的異界論。 「異界」は,もちろん人の想像力が作り上げたものです。そして,その異界と現世とを橋渡しする役目のような人(超能力者,占い師,陰陽師などなど)たちの存在は,現世を生きるわたしたちに少なからず影響を与えてきたのでしょう。
 著者は,酒呑童子伝説から浮かび上がってくるものとして,陰陽師について,次のように述べています。
▼彼らは現実の世界において,病気その他や災厄をもたらすものを「鬼」と表現し,その害を未然に防ぐために定期的に祓いの儀式をしたり,あるいはまた病気などのすでに具体的な形として発言している災厄を,「鬼」と表現して祓い落としたりすることを仕事の一つとしていた。(37ぺ)
 「鬼」というものについて,少し調べようかと思って手に入れて本ですが,それ以外の話もなかなか面白かったです。例えば,排除するものと排除されるものとの両義性の説明の部分です。
▼狐を退治する宗教者が,狐を操り狐から生まれた者(その子孫)とされ,天狗を退治する宗教者が,天狗を操り天狗の仲間とされ,鬼を退治する宗教者が,鬼を操り鬼の仲間とされる。異界と宗教者は,そうした両面性をかかえもっていたのである。(143ぺ)
 ん~なかなか奥が深い。

○橋本裕之編著『目からウロコの民俗学』(PHP,2002,330ぺ,1500円)
 民俗学の雑学本です。年中行事やいろいろな言い伝え,しきたりの意味を原典(原点)に返って探ってくれています。本書の章立ては以下のようになっています。
 第1章 身近な冠婚葬祭の不思議(15話)
 第2章 年中行事っておもしろい(15話)
 第3章 妖怪と民俗学のカンケイ(16話)
 第4章 神様がいっぱい!(15話)
 第5章 お祭り大好き!(15話)
 第6章 おもちゃだって民俗学!(14話)
 第7章 むかしむかしの話の中に…(16話)
 それぞれの話題は,2ページから6ページにまとめられており,大変読みやすくなっています。
 また,「付録 民俗学べんり帳」には,民俗学を勉強したい人のための解説が書かれています。ホームページの紹介や参考文献もしっかりあげられており,入門書として,ちゃんと形になっています。
 この『目からウロコ』はシリーズになっているようです。

○白鳥敬著『おもしろくてためになる 単位と記号雑学事典』(日本実業出版社,2001,206ぺ,1300円)
 単位と聞けば,買わずにおれないのがボクのアンテナです。今回も,内容を見て(要するに本屋で)買いました。主な単位そのものの発明発見については,ほとんど本を持っていて読んでもいるので,そんなに買わなくても…と思うのですが,ついつい買ってしまうのです。
 今回は「記号」という部分が面白かったです。天気図記号,航空地図記号なんて,知っているようで知らなかったし,「対空目視信号」なんて,その存在さえ,全く知りませんでした。「ビルや鉄塔に灯る光の意味は?」(114ぺ)とても気になっていたことだったので,知ってよかった。
 最後に,以前「gにこだわって」というようなレポートを出したと思いますが,それに関する解説を見つけたので,ここに紹介しておきますね。
 ところで,重さを表すSIの基本単位は,グラム(g)ではなく,キログラム(kg)です。kは,1000倍の量を表す接頭語ですが,なぜ,長さの単位のメートル(m)と違って重さの基本単位には,接頭語k(キロ)がついているのでしょう。/それは,メートル法を定めるとき,グラム(g)を基本にして,その1000倍のキログラム(kg)げ「原器」を作ったからです。確かに,1グラムの原器では,たよりないですね。(27ぺ) おお~,やっとひとつの謎が解けた。1g原器は,どっかにいっちゃうのである。やはり,人間の感覚で扱いやすい「もの」の大きさとして,キログラムを基準にしたんですね。

○桂米朝・筒井康隆共著『対談 笑いの世界』(朝日出版社,2003,233ぺ,1200円)
 忘年会の時にもお話ししましたが,学生時代,本を集めて読んだ著者の一人が「筒井康隆」です。数年前から「古典落語」にも興味をもち,落語も追いかけているのですが,その上方の二人が,一緒になって「笑い」について対談しているとあれば,読みたくなるのも無理はありません。
 対談では,エンタツ・アチャコ,エノケンから,歌舞伎まで飛び出し,もともとあまりその方面の知識がない者にとっては辛い部分もありますが,ちゃんと,欄外に「くわしい解説」がついていて,初めての人でも読めるようになっています。
 話は飛びますが,NHKのDVD『古典落語名作選』には「一部現在で不適切と思われる表現については音声処理をしております」と書かれています。筒井が以前,「断筆宣言」をしたときのように,その言葉だけを「名人」から抜くことに,そんなに意味があるのでしょうか。そんなことも思いながら,本物の「笑い」と「嘲笑」との違いを考えてしまいました。DVDの出たついでに…エンタツ・アチャコの動いている映像を手に入れました。なんと美空ひばりが12歳の時に,一緒に映画に出ています。『ラッキー百万円娘』というタイトルです。アマゾンで購入しました。
 来月からは,エノケンのDVDを集めるつもりです。これで,また,笑えます。チャップリンも,しっかり見ておこうかなあ。だいたい,有名なものは見たつもりだけど…。

○藤井聡著『犬がどんどん飼い主を好きになる本』(青春出版社,2004,204ぺ,1200円)
 アマゾンのHPにログインすると,以前ボクが購入したデーターから「ほしくなりそうな新刊を目に付くようにお知らせする」ようになっているらしくて,しっかり引っかかります。この本も,なぜか,「買ってよ」と言っていたので,クリックしてしまいました。以前,同じ著者の『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』というのを買っていましたが,ま,その続編ですね。ただ,視点が「飼い主を好きになる」てところがあたらしくて…。 べつにボクがポッキーに嫌われているわけではないけど…。
 飼い主が「犬のため」と思ってやっていることが,実は犬のストレスを増していることが沢山あるということは知っておいていいでしょう。これは人間の子どもにも当てはまるんじゃないの? 子どものため,子どものため,ってね。そういう意味では,本書もしっかりとした教育書です。

○養老孟司・宮崎駿共著『対談 虫眼とアニ眼』(徳間書店,2002,189ぺ,1400円)
 現在,日本人の知名度ナンバーワンのお二人の対談集です。2002年の7月に出版されていることを知らなかったので,ちょっと残念。どうしてアンテナに引っかからなかったのかなあ。
 1997年の『もののけ姫』のころと,1998年,そして2001年の『千と千尋の神隠し』のころの3本の対談が収められています。
 ボクが好きな二人なので,面白くないわけがありません。ちょっとだけど,網野善彦さんのことも話題にのぼりますよ。
 子育てについて,養老さんが「結局は子どもがどうなるなんてわかるわけないんです。それを忘れちゃって,さも一定の手続きを踏めば,こういう子どもになるみたいなことばかり言われすぎている」と言うと,宮崎さんも「本当にその通りですね。先はどうなるかわからない。それこそが生きているってことですね」「これまでだって,先なんか見えた試しがない」と応じます。インタビューアーが「なんだが希望が湧いてくるような,捨て鉢なような,面白い結論になってきましたね」というと,養老さんが最後に,こう締めくくります。
「どうしてどうして,「お先真っ暗」でいいじゃないですか。だからこの世は面白いんですよ。」

 3学期は瞬く間に過ぎ去ります。本なんて読んでいる場合ではない。しっかり,まとめをしましょう。では,また。

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