今月の本棚・2009年版

12月号

●晴山陽一著『英語はすぐ喋れる』(青春新書,2006,197p,750円)
 常々,ALTと気楽に英会話を楽しみたいなあと思っています。でも,単語も文法もほとんど頭に残っていない状態では,片言の英単語とジャスチャーしか出来ません。それでも日常的なことは伝わります。ま,あっちの方の日本語力がいいからだけど…。
 そんなわけで,気楽に読める本を探してみました。
 著書の題名を正確に書くと「ネイティブの子供を手本にすると英語はすぐ喋れる」というものです。
「ネイティブの子供が英語を話せるようになる順番で学ぶとどうなるか」を実践してみたのがこの新書です。 
 そこは語学の話なので,一読して理解できるようになるわけではありません。使えるようになるには何度も声に出して言わないとねえ。でもこれがなかなか…。
 10歳の子供が使っている単語はすでに7000語もあるのだそうです。こりゃ子供から学んでも先はとおい。

●戸張郁子著『子どもに英語でこたえなさい』(情報センター出版局,2002,160p,1800円)
 上の本を読んでみたついでに,以前買ってあったけど読んでいなかったものを本棚からとりだして読んでみました。本書は『子どもは英語でしつけなさい』の姉妹書です。日常会話の中で使うのが一番大切(ネイティブはそうやって覚えるのだ)なのだから,日本人が英語にふれるのも家庭でドンドン使うのが一番いいのではないかという発想で書かれています。『しつけなさい』の方は持っていないので,なんとも言えませんが,たぶん,そう考えて間違いはないでしょう。
 野球かなんかの試合があって,試合に負けちゃった子どもが帰宅して
 I lost the game. 「試合に負けちゃった~」
と言ったとき,母親は
 Too bad. 「残念だったね」
とか
 Better luck next time. 「次は勝つわよ」
なんて答えようってわけです。
 ま,こうやって英会話を覚えるのはおもしろいけれども,本当に家庭でこんなことを実践するのは賛成できません。「試合に負けちゃった」と落ち込んでいる子に対して,その子によく分からない英語を使って言葉を返すなんてわたしゃできないよ。
 本書にはCDも付いているので,何度も繰り返し聞くことができていいです。

●A.R.ホックシールド著『管理される心-感情が商品になるとき』(世界思想社,2000,323p,3000円)
 1冊3000円以上もする本は,年に数冊しか買いません。本書は,確か新聞の書評欄を読んで買ったんだと思います。訳者は,石川准・室伏亜希の両氏。翻訳物は読みにくいのですが,本書は結構読みやすかったです。
 副題がすべてを物語っています。
 現代は,感情さえも商品になる時代。自分の感情を抑えることで,あるいは,さらに笑顔を売ることで成り立つ職業。例えば,乗客にほほえむ客室乗務員,債務者の恐怖を煽る集金人などを取り上げています。
 わがままな乗客に対して微笑みながら対応する客室乗務員には,それなりのストレスもたまるはずです。自分の感情を押し殺すために,イヤミな乗客に対して「この人はかわいそうな人生を歩んできたのだ」と思ってみたり,初対面の乗客に対してすぐに親しい笑顔を振りまくために「この機体の中は,私の家族なのだ」と思ってみたり。訳者はあとがきで,本書を以下のように紹介しています。
▼本書は,「感情社会学」の事実上の宣言書であり,その後の社会学における感情研究を大きく方向づけてきた作品である。ホックシールドは,一九世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが,対人サービス労働に従事する今日の労働者は「心」を酷使されている,という印象的な対比から本書を書き始める。現代とは感情が商品化された時代であり,労働者,特にサービス・セクターや対人的職業の労働者は,客に何ほどか「心」を売らなければならず,したがって感情管理はより深いレベル,つまり感情自体の管理,深層演技に踏みこまざるをえない。それは人の自我を蝕み,傷つける。(296p)
 さて,学校に目をやってみましょう。
 子どもたちのいる教室は「管理されている心」から自由なのでしょうか?
 子どもたちは本当の自分の感情を出して自己を思いっきり表現しているのでしょうか? 
 身近な友だちにさえも自分を作っている子どもたちはいませんか?
 それを助長しているのが教師じゃないことをいのるだけだ。
 本音を言い合うことだけで社会は渡っていけないことも確かなことだけれども,そんな社会の仕組みを教える前に,自分たちの本音が言い合える教室空間を作りたいと思います。

●ダン・ガードナー著『リスクにあなたは騙される』(早川書房,2009,478p,1890円) 
 いやーこれは面白い本でした。
 常日頃,監視カメラや学校の不審者対策などに行き過ぎを感じているのですが,その違和感がどこから来ているのかが,よーく分かりました。
 私たちは,よく,戦前の世論が何故戦争へと進んでいったのか,彼らは簡単にデマに惑わされたのではないか,現代はそんなことはないだろう,私たちは情報もたくさんあるし,自分のあまたで考えることが出来るから…などと悠長なことを考えていますが,果たしてそれは本当にそうなのでしょうか?
 9.11のあのテロの日以来,しばらく飛行機に乗らなくなったアメリカ人は,それによってテロに遭うことはありませんでした(乗っていたとしてもテロには遭わなかっただろう)が,その分の移動手段に車を使うことによって,交通事故が増え,結果的に多くの人が亡くなっているようです。
 実際,飛行機のテロでなくなる人よりも交通事故に巻き込まれてなくなる人の数の方が圧倒的に多いのです。こんな簡単なことが何故分からなくなるのでしょうか。
 必ずしも世論を操作しようとしている人がいるわけでもありません。それでも私たちは,ときどき常識的な判断が出来なくなるくらいの世論に囲まれることがあるのです。ま,中にはリスクを強調して,自社の製品を売ろうとする会社もありますがね。
 われわれ人間が,リスクに対してヒステリックに対応してしまう「最も根本的な要因は,人間が話を扱うのは得意だが,数学を扱うのは不得意だという単純な事実」だとガードナーは言っています。
 たった一件の特徴的な小児誘拐殺害事件を何度も何度もマスコミが報道することで,吾々の脳は「この現代社会には,殺人者になる予備軍がたくさんいる」と判断してしまい,それが如何に珍しい出来事であるのかを忘れるのです。そして,その対策として政府が道徳教育の強化を打ち出したり,不審者対策をしたりして,ますます子どもたちを疑心暗鬼・人間不信にしていることに気がつかないのでしょう。
 教育現場でも冷静さを欠いた対応があります。不審者対策をするよりも,もっともっと地域に開かれた学校にするべきだと思います。が,これは少数意見かな。
 訳者は田淵健太氏

●石原千秋著『国語教科書の中の「日本」』(ちくま新書,2009,253p,798円)
 私たちは,国語の教科書で「古き良き日本」「日本語の素晴らしさ」「日本の原風景の素晴らしさ」を教えてしまっているのではないか…気分としてイメージとして,結果的にそうなっているのではないか…著者はそういいます。それは確かな読み取りによるものではなく,ある時は繰り返し出てくることで,またある時にはイメージに訴えかけるというような感じでいつのまにか日本人の共通認識としてすり込んでいるのではないかと危惧するのです。
 小中学校の国語の検定教科書を丹念に読み,その中にはびこる編集者さえも気がつかないかも知れない「ニッポンバンザイイデオロギー」をえぐり出してくれます。
 国語研究者じゃなくてもおもしろく読める本だと思います。
 本書に先立って『国語教科書の思想』(同新書)も出版されているらしいです。これは主に光村の教科書を分析して道徳教育との関連で述べてあるようです。まだ手に入れていませんが,読んでみたいと思っています。

●杉みき子著『白いやねから歌がきこえる』(大日本図書,1982,102p,?円)
 県立図書館からお借りした杉みき子シリーズの1冊です。
 国語の教科書に載っている杉みき子さんの「わらぐつの中の神様」という話は結構好きな話で,授業するのも好きです。子どもたちも,雪国のこの話が好きです。どんでん返しがあったり,ちょっぴり恋愛話があったりで,高学年には受けがいいみたい。
 同じ作家の本を読んで,比べてみたりすることが最近の国語科で,はやりです。今回,5年生がそういう授業を組みたいと言ったので,取り寄せたというわけです。
 本書は,やはり雪国の話。一人で屋根に登って雪下ろしをしていると不思議な体験をすることがあったという話を聞いた主人公のリカが,自分自身でそれをためそうとしてみるというお話です。 文章構成も登場人物もとても「わらぐつの中の神様」と似ていました。

11月号

●「理科の授業づくり入門」編集委員会編著『理科の授業づくり入門-玉田泰太郎の研究・実践の成果に学ぶ』(日本標準,2008,583p,4800円)
 科学教育協議会(科教協)の中でも1つの授業方式となっている「到達目標・学習課題方式」を形作ってきたのが玉田氏です。科教協編集の『理科教室』にもよくこの方式に則った授業記録が紹介されています。
 私は,科教協よりも先に仮説実験授業研究会を知ったので,ついついそちらから見ています。
 そんであまりこういう本は手に入れて読もうとは思わなかったのですが,玉田氏と仮説実験授業とのちがいなんかも知りたくて読んでみることにしました。
 玉田氏は,理科の授業でよく書かせます。予想の理由を書き,友だちの意見を聞いて書き,まとめで思ったことを書くのです。「書く」という行為がほとんどない仮説実験授業との一番大きなちがいはここです。良く練り上げられた「授業プラン」を見ると,仮説実験授業の授業書とよく似ているものもあるようです。
理科の授業の目標は自然科学の基礎的な事実,法則を児童生徒の肉体的,精神的能力の発達段階にふさわしい内容と順序において正確に理解させること(8p)
というのですからね。
 おそらく子どもたちの「書く力」は,仮説実験授業よりつくと思います。しかし,書くことが多くなる分,討論などを含む「授業の楽しさ」は仮説実験授業に負けるでしょう。これは,玉田氏自らが紹介している『授業づくりネットワーク』誌上での藤岡信勝氏の意見と同じです。
 教師のねらいが「遊ぶように授業をする」ことにあるのなら,書くことで思考を止めるよりも,どんどん思ったことを言わせた方がいいでしょう。書く力を育てるのは,ほかの教育の場面でも出来るのではないかと思うからです。
 今後,もう少し,理科における「書く」について考えてみたいと思います。

●鶴見俊輔・高橋幸子編著『教育で想像力を殺すな』(明治図書,1991,207p,1550円)
 この夏のキミ子方式の会のとき,キミコさんの売り場にあったので手に入れました。こういう本が出版されていることも知りませんでした。
 キミ子さんの文章は,鶴見俊輔氏との対談という形で載っています。
 キミ子さんと編著者の他にも,森毅氏他8名も書いています。久しぶりに読んだ森毅氏の文章はやっぱりおもしろいし分かりやすいです。

●フランク・ゴーブル著『マズローの心理学』(産能大学出版部,1972,300p,2500円)
 小口忠彦監訳。
 ずいぶん前の本ですが,手に入れたのはつい最近。古本です。
 マズロー(1908-1996)の心理学については,最近,別々な場所で聞いたんです。1つは養護教諭の先生から,もう一つは,県教研の藤田英典氏の講演で,です。
 本原著のメインタイトルは『第3勢力(THE THIRD FORCE)』と言うそうです。これは「第3の心理学」と言う意味です。じゃあ第1と第2は何かというと,「フロイト主義」と「行動主義ということになります。マズローの心理学は「人間性の心理学」ともよばれていて,経営理論に関しての引用されたりもしているようです。
 本著は,マズローの著書ではありません。概説書です。著者のゴーブルは次のように述べています。
▼この本は,米国で最も著名な心理学者の一人であるアブラハム・マズロー博士の思想を要約したものである。博士の五冊の著書,百を超える報告・随筆・雑誌論文・講演をもとにして,マズロー博士の思想を,素人にも分かりやすく解説してある。学生や多忙な専門家にとっては,この本が,博士の独創的な論述をさらに詳細に研究していくための出発点として,有益だと感じる。この本は人間と人間の行動に関心を寄せるあらゆる人のために書かれたものである。(著者序文)
 この本でマズローの考え方に興味を持ったら,マズロー自身の著者にあたるのもいいかもしれません。
 一般的にマズローの基本的欲求の階層図は,三角形の図式で示されることが多いのですが,どうもそれは誤解を与える図のようです。マズローは,「下の階層の欲求が十分満足されなければ上の階層の欲求にいかないのだ」とは全く言っていません。むしろ,いろんな階層の欲求が並行して出てくることがあることに注意が必要です。
 板倉聖宣氏の「衣食足りれば他人の笑顔」というのがマズローの心理学ととても重なって見えます。
 マズローに興味のある人,人間性の心理学に興味のある人への入門書としてピッタリです。

●室生犀星著『幼年時代』(旺文社,1997,302p,1000円)
 たまたま図書館に行った時に目に付いたので借りてきました。
 室生犀星は石川県金沢市出身の作家です。名前は知っていたけど,あの有名な詩以外,まったく読んだことはありませんでした。
 この間,鶴彬の特別展を見るために県の「近代文学館」に行ったこともあって,なんとなくちょっと読んでみようって思ったのです。
 本書には,表題である「幼年時代」,そして「性に眼覚める頃」「或る少女の死まで」の3篇の短編小説が収められています。これらはいずれも大正8年(1919年)の『中央公論』に連続して掲載されたもので,犀星の自伝的小説ともなっています(ただし,中身はだいぶん脚色されているらしいです)。
 学校へも持っていって,ちょっとした時間に一気に読んでしまいました。
 平生はこういう小説を読まないので,あまり感想ってものもありません。ただ,私なら「何でもない景色や経験だろうなあ」と思うようなことを,巧みに表現しているところが「やはり凡人と詩人は違うのだろうか」と思ったくらいです。
 郷土の人がどんな作品を書いているのかぐらいは,県民として知っていていいのかな。

●座間仮説の会編『教育の常識と非常識』(座間仮説の会,2009,131p,ガリ本)
 「2008年仮説実験授業セミナーin横浜みなとみらい」の記録集です。都会はいろんな会があっていいなあって思います。うちらは自分たちが主催者にならないとなかなか参加できないです(-.-)
 収められている講演記録は,西川浩司,斉藤萌木,犬塚清和という人たちのものです。また,斎藤裕子・平林浩・犬塚清和の3氏によるパネルディスカッションのようなものも収録されています。
 久しぶりに読んだ西川氏の講演記録には,たくさん赤線を引きました。
・子どもたちが頭に浮かんだものを好きなようにふっと言ってくれるようにすることが大事なんです。
・「図のような実験道具があります」と言ったら,ここにあることが大事なんですね。
・先生が持って回って一人一人のところに行くと,先生にとってはめんどくさそうだけど一人一人の脳をちゃんと刺激してくれたら,たのしいということがふえていきます。すると信号が通る勢いが早(ママ)くなる。

10月号

●縮刷覆刻・神戸伊三郎著『学習本位 理科の新指導法』(初教出版,1985,287p,2000円)
 大正11年(1922年)に出版された神戸伊三郎氏の本の復刻版です。
 神戸伊三郎については,『増補・日本理科教育史』板倉聖宣氏が次のように述べています。

▼神戸伊三郎(1884~1963)は,疑いなく国定『小学理科書』時代の最も独創的な理科教育研究の指導者であった。かれは児童用図書を含めて数多くの著書を著し,その時代の理科教師や子どもたちに多くの影響をあたえたが,彼の数多くの仕事の中で最も著しい業績は,彼のいわゆる「新学習過程」論にあるということができる。これこそは日本で最初の独創的な理科教育の実践的理論というべきものだからである。/かれが,この「新学習過程」をはじめて公にしたのは,1922年10月25日に刊行された彼の『(学習本位)理科の新指導法』の1節においてである。(323p)

板倉聖宣著『増補・日本理科教育史』

 ここに紹介されている本がこの覆刻版というわけです。
 たくさんの付箋を貼りました。
▼近来児童の発する問題を尊重するのあまり,順序も秩序もなく問題の出づるに任せて解決して行く授業をよく見る。私は1つの題目に就いての問題は左様に無秩序に取扱はるべきものでないと信ずる。(137p)
 子どもに課題を考えさせる学習について,すでにばっさり切っているのですが…未だに,こういう授業をやろうとしている人もいます。それが児童中心の授業だと思っているのでしょう。
 神戸氏は,自由と束縛,学習と教授についての矛盾についても述べています。
▼右の様な一定の順序を立てて児童に臨むことは,児童の自由を尊重することと矛盾したやり方に思はれるが決してさうではない。児童の心理の上に立って排列したものである。吾々は児童の自由学習を尊重するとはいへ,幼年の児童が感興する儘を秩序も次第もなく,児童の勝手に材料を選択するに任せてよかろうか。(264p)
 仮説実験授業的な考え方が随所に見られます。大正時代にこんなにいいことを言っていたんですねえ。
 まだ手に入るのかどうかは分かりません。理科の教師ならぜひ読んでみてください。お薦めです。

●志水宏吉著『全国学力テスト-その功罪を問う』(岩波ブックレット,2009,71p,480円)
 民主党政権になったので,悉皆テストではなくなりそうです「全国学力テスト」(文科省はこう呼んではいない)。
 まずは,以下の文章を読んでみてください。
「学力の実態を,『全国的な規模において』把握するということは,一定の教育目標に対して,現在の学力がどの程度まで到達しているかという実態を全国の縮図としての姿でとらえようとすることを意味している。したがって,児童・生徒個人の評価・診断や,学級・学校等の評価等は,ここでは意図していない。」
 これは何に書いてある文章だと思いますか? 実は,『全国学力調査報告書 国語・数学 昭和31年度』という本の一節なのです。このときはまだ現在の様に悉皆調査ではありませんでした。なのに,ちゃんと「序列を付けるんじゃないよ」と心配していたのです。
 さて,現在行われている「学力テスト」はどうでしょう。点数を気にしすぎるほど気にしていますね。
 志水さんは,教育評価という視点からは全国で抽出してテストを行うことには賛成をしています。しかし,イギリスの例を見るまでもなく,結局は教育界を競争主義の視点が跋扈してしまい,大変な状態になってしまうのだとも言っています。結局,こういう全国規模のテストは,なじまないのです。残念ながら,教育界は競争主義が好きなようです。
 現場は1点でも上げろ!というようになっちゃうんです。それは授業そのものの改善につながるものならばいいのですが,そうならないところに教育界の根深さがあるのだと思います。

●野中広務・辛淑玉著『差別と日本人』(角川書店,2009,210p,724円)
 元自民党衆議院議員の野中広務氏と,人材育成コンサルタントの辛淑玉(在日)という2人の対談集です。これだけで読んでみたくなるはずです。ちょっとでも政治に興味があれば…。
 いろんな人がいろんな解説を書いているだろうと思うので,そちらを読んでみてください。
 ただひとつだけ。
 ハンセン病患者の救済をめぐる対談の中で,野中氏が「あの首相の決断には自分も裏でかかわった」と言った時,「植民地時代のことは入っていませんでしたよね」と辛氏に言われて,野中氏は「あ,そうそれはしらなんだ。自分で解決したと考えていても大きく欠落している部分があるんだね,恥ずかしい思いがする」って素直に謝罪の言葉を述べています。こんなことが言える自民党の代議士もめずらしい。

●柴田義松編著『教科の本質と授業-民間教育研究運動のあゆみと実践』(日本標準,2009,207p,2400円)
 『教科の本質がわかる授業』シリーズの総論編です。このシリーズは民間教育運動の成果と今後の課題について書かれているらしいです。私はこの総論編しか読んでいないので知りませんが…。
 本書には第1章「民間教育研究運動とは何か」を柴田氏が述べた後,国語,社会,算数,理科,音楽,美術,家庭科,体育という各教科についての総論が述べられています。
 なぜか,仮説実験授業やキミ子方式についてはまったくふれられていません。これらは他の民間教育研究運動と一線を画しているとはいえ,まったくふれないのはどうしてかなあと思います。
 戦後の民間教育研究運動についてのだいたいの流れを学習し,今の自分の立っている場所を確認するためにはとても手軽な本だと思います。

●板倉聖宣著『智の50・抄録「板倉式発想法講座」2』(ザウルス出版,2009,100p,ガリ本)
 今年の夏の大会でいただいた板倉聖宣氏の「語り」を再編集したガリ本です。1995年~1999年に行われた板倉式発想法講座から抜粋してあります。1つの話題が,見開き2ページに収められており,大変読みやすく編集されています。
 すべての文章は以前読んだことがあると思うのですが,こうして改めて読んでみると,また刺激的な文言が見つかります。うちの学校の研究は「活用力の向上」です。これに関して1つだけ引用しておきましょうかねえ。
▼「○○力をつける」と言うときには,ほとんど「瞬間力」というのを考えているみたいだね。それで「○○力をつける」と言う場合,普通は<「瞬間力」を大きくする努力>をイメージして言うんですが,考えてみれば,継続時間を延ばす方が楽なんですよね。じゃあ,継続時間を大きくするにはどうしたらいいか。これは楽しけりゃしいんです。力を加えるのが楽しければ持続しちゃう。(47p)

●堀江晴美・伊藤恵著『音読・読み取りの授業1』(つばさ書房,2009,151p,ガリ本)
 メグちゃんこと伊藤恵さんは,低学年に対して哲学的に仮説実験授業をすることで有名なセンセーです。彼女の授業(とその記録)のファンはたくさんいます。私もその中の一人だと思っています。
 そんな彼女が,どんな風に国語の授業をしているのか…それを堀江晴美さんがまとめてくれました。
 そのきっかけは,もともと中学校の美術と社会科の教師だった堀江さんが,小学校に採用されることになり,困ったあげくに泣きついたのがメグちゃんだったと言うわけです。メグちゃんのアドバイスどおりやると,ちゃんと楽しい授業になったと言います。
▼メグちゃんがいいといった作品はメグちゃんの解説つきで聞くと,生き物のようにうごめいて迫ってくる。何度私は「おもしろーい」と叫んだことでしょう。(はじめに)
 私も国語は苦手。だって何を勉強させればいいのか良くわかんないし,だいたい楽しくないんだよなあ。

8,9月号

●はやみねかおる著『ぼくらの先生!』(講談社,200p,2008,1300円)
 著者のはやみねさんは,元小学校の先生。その時の経験をもとにフィクションを作りはじめたそうです。5つの短編が収められています。
 小学校を定年退職した元教師とその妻が,昔の教え子が繰り広げた出来事を思い出して話し始めることから,短編は始まります。
 今までに読んだことのないお話。小学校での思いではほのぼのしているのですが,その内容にはある意味「ミステリ」の要素が入ってきます。そのナゾをとくのが,当の元教師ではなく,妻の方なのです。この妻の鋭さは,夫の様子をしっかり見てきたところから来ているようです。
 仕事一筋だった元教師が,思い出を語るたびに妻に対して「何もやってあげれなかった」ことに対して後ろめたさを感じることもたびたび。
 本書は,去年担任していた子ども(6年生)から借りていたものです。

●高木仁志著『高木的偏向板倉聖宣論』(ガリ本,2009,130p,500円)
 仮説実験授業研究会で販売されていたガリ本です。
 高木さんとはとても深い付き合いがあって,北陸サイエンスシアターの時に,なんと家まで来てもらって,「音」に関する研究などをしていました。高木さんの家は瀬戸市なので,能登まで来るってすごいことなんです。
 全国大会をご無沙汰していた私は,今年久しぶりに高木さんとお会いしました。そして1日目は,ずっと,その高木さんたちと話していたのです。
 そんなわけで,彼から頂いたレポートがとてもおもしろかったので,その以前の分を収録したという本書を手に入れたのでした。
 高木さんは,この一連のレポートで自分のプライバシーを赤裸々に語りながら,宗教・哲学・科学について自分なりの論理を展開しています。プライバシーの部分がたくさんあるので,ここでは多くを紹介できませんが,学生時代から現代までの生き方の一部が私ととてもよく似ているような気がしてなりません。

●喜友名一著『原子論者の人生論』(仮説の会,2009,250p,ガリ本)
 本書は,仮説実験授業研究会のメンバーが,板倉先生に何度もインタビューして手に入れた「板倉式人生論」をまとめたものです。付録に,喜友名氏が学校で発行している週報の「コラム」も載せてあります。これもまたおもしろいです。
 さて,このガリ本,内容はすごく読み応えがあります。板倉さんに深くつっこんでインタビューをしているからでしょう。目次を見ただけで,それが分かります。
「お葬式と結婚式」「宗教の呪縛の強さについて」「宗教をきっぱり否定する科学者」「宗教からはなれられない人たちも救わなきゃならない」「戦闘的になるとき」「真理を広める権利と義務」「明治期に<迷信>を駆逐しようとした実験」「原子論を広める」…まだまだ続きます。
 仮説実験授業にどっぷりつかっている方には,ぜひ手に入れて読んでもらいたいものです。大切なことが「会話」で語られているので,その場に一緒にいるような感じで読むことができますよ。

●板倉聖宣著『(増補)日本理科教育史』(仮説社,2009,580p,6300円)
 ながらく手に入らなくなっていた『日本理科教育史』を,増補して仮説社から出版してくれました。
 私は,旧著(第一法規)も持っていて(確か教師に成り立ての頃に買った),ちょっとは読んだように思います。でもそのころは,あまり前提となる知識もなくて,途中で投げ出したままでした。
 今回,増補版が出たということで,夏休みにじっくりと読むことができました。
 何か論文を書くときには,戻って読むことになるであろう本です。これを読まないで理科教育は語れないでしょう(読んでも語れないほど,残っていない…けど)。

●斉藤貴男著『強いられる死』(角川学芸出版,2009,260p,1500円)
 硬派ジャーナリスト斉藤氏の「自殺者30000人超の実相」に関する渾身の著書です。
 斉藤貴男さんの著書は私の本棚にも何冊か並んでいます。ここでも紹介してきたところです。
 「自殺」に追いこまれていく日本人が10年連続で3万人を超えている現状。今年(09年)はそれを上回る勢いだと先日の新聞でも読みました。。それは日本社会が「不健全社会」になっていることの証拠です。
 今回の衆議院選での民主党の勝利は,ここまできて初めて,「自民党政権にまかせておけない」という人達が増えたのではないかと思うこともできるでしょう。
 自分の足で調べたドキュメントは,それだけで説得力を持ちます。
 第5章の題名が「閉ざされた世界-学校と自衛隊」というものです。「学校」と「自衛隊」をペアにして自殺を語ることができるという「学校と自衛隊」の同一性に,どきりとするのは私だけではないでしょう。
 巻末には,「自殺防止に取り組む団体」や「過労死110番」の住所や電話番号が紹介されています。その紙面を見ても,本書の真剣が伝わってきます。

●濱口恵俊・公文俊平編『日本的集団主義-その真価を問う』(有斐閣選書,1982,230p,1648円)
 ずいぶん前の本です。古本で手に入れました。まだ発行しているのか知りません。
 何かの本を読んでいて,その参考図書にあったので,読んでみたくなったのです。
 「日本的集団主義」という言葉は,なかなか変な言葉です。著者たちには,「集団主義」というのは「個人主義」に対する言葉ですが,日本でいう「集団主義」というのは少し違うのではないか…という問題意識があるわけです。
 「日本の社会は個人を犠牲にして,会社という集団のために働いて,世界トップに上り詰めたのだ」
「日本人は組織のためには自己を犠牲にする民族だ」
と,当時,一般的に思われていた考え方にたいして,「本当にそうなのか」を社会学的に解明しようとした本だと言えるでしょう。
 濱口氏は,日本人の集団に対する姿勢について,「間人(かんじん)」という概念をあたらに作り出して説明しています。それは,
誰しもが管理者であるような気持ちで,職場の業務の全体に気を配り,同僚や関係者との調整をはかり,協働の実をあげるようと努めるのである。この点を考えるのなら,日本人には「集団」レベルでの行動主体性がある,と言って差し支えない。このような形態での主体性を,「連帯的自律性」と呼ぶことにしたい。(21p)
と述べ,そういうタイプの人間を「間人」と名づけていて,そういうタイプがあつまって動いている「集団」を「間人主義」と呼ぼうと提案しているのです。
 以上のような日本の特殊な状況を考えると,外国のある国が「日本が成功したからわれわれもそれを取り入れよう」と思っても,無理があるのではないかという結論も出てきます。まずは,日本の会社のような組織がありえるのだということを認めてもらわないといけないわけです。
 「外国で取り入れる,そんなことが可能なのか…」と問題提起したところで本書は終わっていますています。
 さて,本書が発行されてから25年以上もたった今の日本社会の現状はどうでしょうか?
 年功序列,生涯勤務制度は過去のものとなり,いつの間にか,あちら由来の「成果主義」が導入されてきました。これって「日本的集団主義」にはあわない制度です。この「成果主義」の導入は,もしかすると日本に追い越された西洋の陰謀だったのではないか…とも勘ぐりたくなるくらい,日本の社会は疲弊してしまっています。どこへ行くのでしょう,日本の社会は。

●山中恒著『反日という呪縛』(勁草書房,2008,414p,3150円)
 山中さんと言えば,子どもにも人気の作品で映画にもなった『おれがあいつであいつがおれで』の作者として知っていました。年頃の男の子と女の子の体がしばらく入れ替わってしまうという,なんとも楽しいお話を作っています。私も好きな物語の一つです。
 その山中さんは,子ども時代に戦争を経験しています。
 そして,その戦時体験の中から,反戦の気持ちを伝えるためにたくさんの本を書いています。それは少国民文庫などというシリーズになって同じ勁草書房から出版されています。
 この本は,最近の日本政府の動きや日本人の考え方などについて,危機感を抱いた著者が,渾身の力をこめて書き下ろした,日本と中国・韓国との戦争史です。理科系畑の私は,これだけくわしく描かれた日中韓についての闘争史を読んだことがありませんでした。小中の教科書では出てこない「闘争」や「事変」や「運動」がたくさんあったんですね。
 なぜ,中韓の人達は反日感情を持つのか。それを理解することなしに,教科書問題があると「内政干渉だ」,靖国問題でも「内政干渉だ」と言っているだけでは,何も解決しないのだと言うことがよく分かりました。
 ホントに知らないことがいっぱいで恥ずかしいです。
 今年中国へ行ってきたんだけど,いろんな人がいろんな目で私のことを見ていたのだろうなと思います。

●川柳川柳著『天下御免の極落語』(彩流社,2004,251p,1800円)
 この夏,新宿末廣亭に行ったとき,午前中のトリが川柳川柳でした。やってたことは,前にも見た「自分が少国民だった頃の軍歌」などです。高座が終わった後で(というか未だ終わっていない)最後にはソンブレロをかぶり,ギターを持って再登場。派手な出で立ちで会場を沸かせておりました。1931年生まれというのですから,今は78歳。元気なもんです。
 その川柳が「買ってね」って言ってたから記念にそこで買ってきました。
 ま,落語会の暴露本ですね。川柳さんの自伝にもなっています。圓生に入門してからの涙と笑いの人生が詰まっています。
 師匠はいつまでたっても師匠なんだなあって思いました。
 今後,落語はどこへ行くのでしょうか?
 個人的には,新作よりも古典落語の方が安心して聞いていられるので好きなんですけれどもね。

●大谷藤郞著『ハンセン病資料館・小笠原登』(藤風協会,1993,100p,非売品)
 これまた今年の夏の東京のこと。
 一度行きたいと思っていた「国立ハンセン病資料館」へ行ったときに頂いてきたパンフレットです。
 著者の大谷さんは,医師としてハンセン病の患者とつきあってきた人です。今の資料館の前身である「高松宮ハンセン病資料館」の建設のために尽力された方でもあります。そして,資料館の館長でもありました。本書は,その資料館のオープンを記念して出版されたようです。
 本書には,ハンセン病(の治療や隔離政策)に関わってきた人物も紹介されています。中でも,本のタイトルにもなっている小笠原登という医師は,昭和初期から「ハンセン病は不治の病ではなく,強制隔離に反対」してきた人で,当時は邪説としてバカにされていました。大谷さんは,そんな小笠原さんを尊敬しているのです。
 私がハンセン病の歴史にこだわるのは次の1点です。
▼この百何十年の我が国では,一人ひとりはそんな加害者のつもりではなかったと思うのです。だけれども結果としてそういうことが起こったわけです。だからやっぱり私たちは,この資料館を見て,そこに深く考えなければいけないのではないかと思うのです。(本書,39p)
 第二,第三のハンセン病が生まれないとは限らないからこそ,私達はこの歴史から目を背けてはいけないのです。

●岩手仮説の会編『東北の風にのせて』(ガリ本,2009,111p,非売品)
 今年の仮説実験授業夏の全国合宿研究会鶯宿大会で全員に配布された「ガリ本」です。研究会の板倉聖宣さん,西川さん,犬塚さん,斎藤さんのステキな講演記録が収められています。
 いずれも,昨年・今年と,東北で開かれた時の「講演記録」が原稿の元になっています。
 仮説関係の講演や記録を読むと,いつもいつも心が温まります。これは私が仮説に惚れているからでもありますが,やはり,仮説実験授業によって子どもたちの生き生きした姿が見られるからなのだと思います。
 押しつけかどうかということに関して板倉さんは次のように述べています。これが分かりやすい。
▼<饅頭怖い>という落語があるけれど,饅頭が怖いと言って饅頭が食べられれば幸せです。饅頭を与えることが押しつけになるかならないか?というのは本人が決める。(31p)
 さらに,仮説実験授業の授業書と教師の関係については…。
▼逆に,やることが決まっているから,個性が出てしまうんです。普通の教科書で個性を出すなんてなかなかできませんよね。そっちの方が難しいと思うんですよ。教科書で授業をしているときは,個性を出す余裕もないです。(42p)
 そのとおりですね。仮説実験授業をやっている人達が,同じ授業書を決まったとおりやっているのにとても個性的なのは,個性が発揮できるほど授業に余裕があるからなのでしょう。個性的な教師は,個性のある子どもたちと安心してつきあっていけるのでしょうね。

7月号

●池上彰著『伝える力』(PHPビジネス新書,2007,205p,800円)
 著者は「週刊こどもニュース」のお父さん役としてよく知っている人。最近,NHKを退職してフリージャーナリストとして,現代社会や歴史などについて分かりやすい解説本を書いています。
 その分かりやすさのコツ,伝えるための技術はどこになるのかなと気になって読んでみました。
 ちょっと抜き出しながら,そのコツというものを書いてみます。
▼「伝える」ために大事なこと。それは自分自身がしっかり理解することです。自分がわかっていないと,相手に伝わるわけがないからです。(18p)
 ま,これは当たり前ですね。
▼何かを調べるときには,「学ぼう」「知ろう」という姿勢にとどまらずに,まったく知らない人に説明するにはどうしたらよいかということまで意識すると,理解が格段に深まります。理解が深まると,人にわかりやすく,正確に話すことができるようになります。(22p)
▼では,理解を深めるにはどうしたらよいのか。そのためには,まずはその前段階として「自分がいかに物事を知らないか」を知ることからスタートするしかありません。そして,事実に対する畏れを持つことも大切です。(29p)

 「わかったつもり」云々という本もありましたね。
 相手に説明しようとするとうまく説明できないことがよくあります。それは聞いてくれるその相手に前提条件としての知識がないのではなくて,説明しようとしている自分に「十分な知識」が不足しているためだと考えるべきなのでしょう。授業なども,そういう考え方で組んでいかないと,「お前らがアホだから授業が成り立たない」という嫌らしい教師になってしまいます。どっかの高校の先生たちみたいです。
▼「伝える力」に自信があってもなくても,最も大事なことは「聞く耳を持つ」ことです。そして,他者の意見に「謙虚であること」です。イチロー選手は研究することをやめましたか?「爆笑問題」は学びの手を緩めていますか?いずれも「否」でしょう。(35p)
 学び続ける大切さも,学んでいきたいものですね。
 前半のみ紹介しましたが,第4章の「ビジネス文書を書く」からも,一部紹介しておきましょう。
▼では,下調べをして仮説を立てることは無駄なのでしょうか?/いいえ,仮説を立てたことは決して無駄にはなりません。むしろ非常に有効に働きます。土台があるからです。/ 何もない白紙の状態から調査をして,文書をまとめるのは,文字通りゼロから積み上げるわけですが,大変な手間と時間がかかります。/しかし,仮説を立てて現場に臨めば,たとえ仮説とは状況が大きく異なっていたとしても,土台があるので,軌道修正をすれば,対応は比較的容易にできるのです。(115p)
 まさに,仮説実験です。私の調べものも,いつの間にか「こうではないだろうか」という予想を元に調べています。仮説実験授業を学習している私達にとってはこれは当たり前のことなのですね。

●足立力也著『平和ってなんだろう』(岩波ジュニア新書,2009,186p,740円)
 著者は,まえがきで本書を執筆した目的をこう述べている。
それ(本書のねらい)は,平和問題や環境問題などに対するコスタリカの国家政策や社会システムを評価することではなく,それらのシステムの土台となっているコスタリカ人の「頭の中身」をつまびらかにすることである。
 1973年生まれでドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』のアシスタント・プロデューサーとして関わった若き実践家・啓蒙家といえるかな。
 日本では,「平和」というと「戦争」との反意語としてしか捉えられていない現状
があるようです。が,著者は,そんな消極的な意味での「平和」は大変脆弱であるといいます。確かに「平和を守るための戦争」なんて言葉もあるくらいで,何が何だかわかんなくなりますよね。
 「平和という概念が本質的に持つ<肯定すること>という性質」を大切にしていくことが,これからの教育にも大切になるし,それを実践しているのがコスタリカなのでしょう。
 『軍隊をすてた国』,見てみたいなあ。

●松井孝典・南伸坊著『「科学的」って何だ!』(ちくま新書,2007,174p,760円)
 科学者である松井さんとイラストレーターの南さんのおもしろいコンビの対談集です。肉親の死をどう理解するかなど,興味深い内容がたくさんあります。お薦めです。

●米本昌平他著『優生学と人間社会』(講談社現代新書,2000,278p,720円)
 ハンセン病関連図書として手に入れていたものです。今回,「ハンセン病資料館」へ行く機会があったので,機中や車中で読もうと持って出かけました。
 「優生学」というと,ナチスがユダヤの子孫を残さないでおこうとしたことで有名だと思っていましたが,本書を読んで,その考えがどこから来ていたのかがわかりました。
 ナチスだけがとんでもないことを発想したわけではないのです。
 あの北欧でも「優生的な政策」があったのです。それは「福祉国家だからこそ強制的不妊手術等の優生政策は(かつて)説得力をもちえたと考えるべき点が多々ある」とも言えるのです。
 本書を読んでいくと,「優生学」を糾弾するというよりも,人間はどうして優生学を考えざるを得なかったか-ということを一人の人間として考えさせられます。障害を持った子供を生まないために-という点を突き詰めていくと,それはかつての「優生学」に通じてしまうのです。
 ハンセン病の撲滅という「善意」も,「不良」遺伝子の撲滅という「善意」も,一般市民にとって納得しやすいからこそ「優生学」は生まれ,生きてきたと言えます。
 分子生物学,ヒトゲノムの解析などの科学の発達で,ますます胎児の段階からいろんなことができるようになっています。今後,しっかりしたヒューマニズムがないと,またぞろ「新優生学」が出てくる可能性もあります。

●斉藤裕子・萌木著『今日もどこかで』(ガリ本図書館,2009,300p,ガリ本)
 仮説実験授業の実践者・斉藤さんの授業を,娘である萌木さんが記録し,感想もつけながらまとめた「授業実践記録」です。萌木さんは,東京大学大学院で教育学の勉強を続けており,授業を見る視点も的確で,読んでいてはらはらドキドキします。
 萌木さんは,本書について,次のように述べています。
 この本は「授業書で遊ぶ子どもたちの記録」です。そして,子どもたちを支える先生の記録でもあります。さらには授業書で遊ぶ子どもと先生に学ぶ私の記録でもあります。(まえがき)
 上・下2巻のこの本。久しぶりに興奮して読んだ仮説実験授業のガリ本でした。
追記:斎藤裕子さんを能登に呼びます。11月の講座です。いい話が聞けると思いますので,みなさん来てください。

5,6月号

●吹浦忠正著『国旗についての12章』(日本YMCA同盟出版部,1984,230p,1600円)
 本文180p,巻末には付録で国旗の写真と説明がカラー入りで50p分ついています。
 本書奥付けによると著者の吹浦氏は,
日本赤十字,日本ユネスコ協会連盟などで国旗の調査をしたあと,63年春から(財)オリンピック東京大会組織委員会に国旗の専門家として迎えられる。
とあります。
 そんなわけで,国旗に関するさまざまな話題が収録されていて,読みものとしても大変おもしろいものになっています。
 例えば,英国の国旗にユニオンジャック。これって上下があるのをご存じでしたか?今まで私はあまり気にせずに掲げてきましたが,上下があるようです。点対称ではないんです。そこで,「さかさまに掲揚する」というミスが起きることがあります。そんな話も出てきます。
 他にも仮説実験授業世界の国旗》を学習した人にとってはとても興味深い話がいっぱいです。
 今は古本しか手に入らないかも知れませんが,見つけたらぜひ読んでみてください。私も古本で買いました。

●立川武蔵著『ヒンドゥー教巡礼』(集英社新書,2005,206p,660円)
 《世界の国旗》の授業をしていると,必ず宗教が出てきます。キリスト教,イスラム教,仏教なども,その意味するところはよく分かっていないのですが,もっとも知らないのがこのヒンドゥー教です。ネパール王国の国教だということなのですが,それがどれほど国の政治に影響していくのか,これもよく分かりません(もっとも,今では,ネパールは共和国となり,ヒンドゥー教も国教ではなくなりました)。
 世界最大の多神教であるヒンドゥー教。誰が作ったわけでもなく,日本の神道に近いような感じもします。ヒンドゥー教を掲げて他国に攻め入ったりはしない宗教なのですが,最近では,イスラム教や共産主義との軋轢も出てきているとか…。

●武光誠著『知っておきたい世界7大宗教』(角川ソフィア文庫,2009,255p,552円)
 これも宗教の簡単な解説書。7大宗教というと何を思い浮かべますか?
 キリスト教,イスラム教,仏教,ユダヤ教,ヒンドゥー教…ん~,あとは…。
 本書では,あと,神道と道教を取り上げています。
 私の回りでの宗教は,お墓参りと初もうでとお葬式くらいしかつきあいません。だから,よく分からないのです。ある教書?戒律?を生きていくための指針としてもち,それにしたがってよりよく生きようとするという発想も理解できないのです。
 ただ,何かにすがりたいことはあるのだと思うし,何よりも,生まれたところ(家族,地域,国)が,その人の宗教観に大きく影響するのでしょう。
 自分の宗教をもちながらも,他の宗教に寛大に接することってできないのでしょうか。宗教よりも上位に「ヒューマニズム」を持ってくることができれば,今より争いは減るのでしょうが,それにいたるまでには人類は未だいくつもの関門を通らないといけないのでしょうねえ。

●ネル・ノディングス著『学校におけるケアの挑戦』(ゆみる出版,2007,350p,2800円)
 サークルで紹介されていたので手に入れて読んでみることにしました。訳者は,東大の佐藤学氏です。佐藤氏といえば「学びからの逃走」とか「学び合いの授業」などの言葉で有名です。最近の研究発表会でも,佐藤氏の「学び合い」をキーワードにした実践が結構あるようです。
 原著は1992年に発行されています。
 「学校教育の目的と内容と方法を一新する提言を行っている」(佐藤氏)という本書は,文字通り「ケアリング」というキーワードで教育のあらゆる世界を切り取って話をしています。
 私も大枠この発想に賛成です。教育がそうなってくれたらと思います。
 「ケアリング」を大切にしたカリキュラム…それは「仮説実験授業」です。
 子どもたちが,自らの好奇心をくすぐられ,「論敵は恩人」という発想で討論を楽しみ,いつのまにが学級の子どもたちが仲良くなっていく。こんな授業が広がれば,お互いのよさに気づき,その授業書を作ってくれた人へのケアだけでなく,こんな言葉も飛び出すのです。
「先生,来年も,この授業をしてあげてください」
まさに,他者へのケアリングではありませんか。

4月号

●神谷厚昭著『琉球列島ものがたり』(ボーダーインク,2007,190ぺ,2000円)
 沖縄列島の地質について書かれた本です。副題には「地層と化石が語る二億年史」とあります。
 私は,沖縄の授業の時にお世話になった出版社やさとうきびのお店と何度かメールのやり取りをしました。
 沖縄のことを調べている間に,「琉球石灰岩」という言葉があることを知りました。この「琉球石灰岩」が,沖縄の生活にとってとても深い意味があるらしいことに気づいたのでくわしく出ている本はないかと探していたら,本書のぶち当たったのです。
 本書のことは,沖縄のメール相手の出版社の方に教えていただきました。ありがたいことです。
 わたしの予想どおり,琉球石灰岩をはじめとする沖縄の地質についてくわしく出ています。写真も豊富だし,専門用語もあまりないので,何とか理解することができました。
 ただ,沖縄の地名などに全くふりがながついていないので,なんとなく読みにくかったのも確かです。私は,他にも沖縄の本を読んだことがあるので,まだよかったですが,初めて読む人はけっこう引っかかると思います。ま,地名なんて音読みで読んじゃえばいいのですが,気になる人は気になるので。せめて次の版ではふりがなをつけてもらえばうれしいなあ。
「ビーチロック」という岩を説明するときに,石川県の珠洲市という言葉が出てきたのにはビックリしました。沖縄にあるような岩が珠洲市にあるんだそうです。どこのことなのかまだ調べていませんが,沖縄の本を読んでいて珠洲市の地名が出てくるなんてすごい偶然ですねえ。
 琉球石灰岩については,別にイメージマップでまとめてみるつもりです。

●ユージン・リンデン著『動物たちの不思議な事件簿』(紀伊国屋書店,2001,258ぺ,2100円)
 ずっと前に,購入して,そしてずっと前から読んでいてやっと読み終えました。これをいつ読んでいたかというと学校の「朝の読書」の時間です。
 途中,もっと読みたい本を読んでいたりしていたので,足かけ6年くらいで読んだことになります。
 動物園の動物たちが,実に頭のいい行動をとるのです。それを事細かに観察した飼育係や獣医たちの話を集めてあります。脱走することをトクイとするオランウータンの話などを読んでいると,動物の隠れた才能にビックリします。というか,動物たちが人間より劣っていると考えていること自体が間違いなのでしょう。

●吉橋通夫著『小説 鶴彬-暁を抱いて』(新日本出版社,2009,206ぺ,1800円)
 今年3月,映画にもなった反戦川柳作家・鶴彬の小説版です。
 昨年(2008年),「蟹工船」がブームになったりしましたが,戦前のこういう話は,現代の人間が失いつつある大切な「何か」を私達に語りかけてくれます。
 鶴彬はわたしが大好きな作家ですが,こうして小説にしてくれると読みやすかったです。初めて鶴彬に触れる人は,この本から読んでみてはいかがでしょうか。もう少しくわしく書かれているといいなと思いましたが,それはファンの願いであって,この程度がふつうの量なのかもしれません。
 小説だからフィクションもありますが,大きな時代の流れに翻弄されながらも,確固とした思想を持った川柳人として活動した生き様が伝わり,脱帽します。
 先日,これまたわたしの大好きな忌野清志郎が亡くなりました。
 鶴彬と清志郎って,何か,共通点があるような気がします。
・放射能はいらねえ 牛乳が飲みてえ(清志郎)
・屍のいないニュース映画で勇ましい(鶴彬)

 年をとると人は保守的になります。それは自分の生きてきた時代を肯定したいからかもしれません。でも,いつまでも,基礎・基本は変わらずに持っていたい。そう思うのです。

3月号

●トニー・ブザン監修『できる子はノートがちがう!』(小学館,2008,95ぺ,1000円)
 ご存じ(サークル内では…)トニーブザンの「マインドマップ」。それをどのように子ども達に降ろしていくのか…その具体例が書かれているのかと思って購入しました。本屋じゃなくでアマゾンで…です。
 「連想ゲームからマインドマップへ」では,まさに,少しずつマインドマップへと連れて行く方法が書かれていました。
 マインドマップは,他のイメージマップと違い,絵や色なども大切にします。だから,頭に残りやすいとも言えますが,その分,マップを仕上げるのに時間がかかります。
 マインドマップを書いていると,とても楽しくなります。それは子ども達も同じかも知れません。
 今年の子ども達には,イメージマップのようなものは書かせましたが,マインドマップのようなものまではやりませんでした。
 中心イメージ→ブランチ→色つき→系統立て→自由に書く
というポイントを生かして,教育の中にドンドン使っていけたらいいなと思うものの一つです。
 本書は,小学生の子供を持った親向けに書かれているので,子どもと一緒にこれを読んでやってみられればいかがですか。

●矢吹紀人著『あの水俣病とたたかった人びと』(あけび書房,1999,247ぺ,1600円)
 ブックオフで105円。最近,ブックオフへ行ったら100円コーナーしか行きません。すると,私が興味あるのに他の人が興味ないから安い本-が見つけやすいんです。売れ筋の本は,やはり高いです。こういう本が100円で手にはいるってうれしいねえ。
 5年生の社会科では,以前より内容が乏しくなったとはいえ,まだちゃんと公害問題についての学習内容もあります。しかし,バブルが崩壊してからと言うもの,公害問題もどっかへいったというか,既に解決済みような雰囲気があります。
 昔の小学生とはちがい,マスコミなどでもあまり騒がれませんので,水俣病なんて言葉自体,初めて聞くことです。
 今回,自分自身の水俣病のその後を知るために読んでみました。
 主に裁判闘争から和解に至までのことについてまとめられています。
「あの許しがたい事実を過去のこととして葬り去ってはならない-心底から突き上げるそのような思いで本書を刊行しました。」
とあとがきで編集委員代表の青木輝光氏が書いています。
 二度と繰り返さないためにも,何があったのかをしっかり伝えていきたいです。ヘイセイになっても裁判闘争をやっていたことに改めてビックリしました。私の中でも水俣病はずっと前に終わったものだと思っていたのです!
 奇しくも本書を読んでいるのと前後して,NHK「その時歴史は動いた」で水俣病発生時にチッソの付属病院の院長であった細川一(ほそかわはじめ)に焦点を当てた番組が放映されました。
 番組のHPはこちらです。これもまたあまりしらなかったことなのでビックリしました。そしてなんとすごい人がいたものだと感心しました。ぜひご覧下さい。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2009_01.html#04

●宮城喜久子著『ひめゆりの少女』(高文研,1995,221ぺ,1400円)
 1月のサークルで話題となった宮城喜久子氏の著書です。
 宮城さんは,ひめゆりの学徒隊として陸軍病院に配属され,次々と仲間たちが目の前でころされていく中,生き延びてこられました。そして今は,ひめゆり平和祈念資料館で,証言者として若い子ども達に戦争の悲惨さやむごさを語り続けておられます。
 本書を読んで,「こんな本名をあげてむごい死に方をしている場面を書いていいの?」と思うくらい赤裸々に当時の状況が綴られています。
 収容所に入れられてから書いたという当時の日記をもとにまとめられた本だそうです。
 こんなことが実際にあったんなんて,信じられません。しかし,これは人間が起こす戦争というものの本当の姿なのです。

●苅谷剛彦他著『格差社会と教育改革』(岩波ブックレット,2008,71ぺ,500円)
 どちらかというと教育学者の苅谷剛彦氏とどちらかというと政治学者の山口二郎氏が2人で作ったブックレットです。
 本書は3部構成でできています。 
 第1部は,苅谷氏の講演記録です。
 第2部と第3部は,2人の対談記録です。「戦後教育の達成をどう見るか」「教育政策のゆくえ」という2点について語っています。
 私は,本書の中で,山口氏が提唱している「市民社会民主主義」という理念にちょっと興味を持ちました。
 山口氏たちのグループは,失敗が明らかになってきた「新自由主義」に変わる対抗軸として,どんな理念の下でどんな政策を示していくのかと考えたときに,この「市民社会民主主義」という理想を掲げることにしたようです。
 彼らの研究会のサイトがネットにありますので,興味のある方はそちらの方を読んでみてください。
「市民社会民主主義の理念と政策に関する総合的考察」
 研究の成果がまとめられています。全てを読んだわけではありません。

山口二郎氏個人のサイト
 山口氏のブログ・Twitterがあります。時々日記が更新されています。内容は,政治学的なものですので,現状の問題を考える上のヒントになることがいっぱいあります。1週間に1度くらいのぞいてみてください。

●フロレンス・ナイチンゲール著『看護覚え書』(現代社,2000,299ぺ,1700円)
 ご存じ看護の母・ナイチンゲールの著書です。これもまたブックオフで105円でした。ちょっと立ち読みしてみたら気に入りました。
 看護婦の心構えについて書かれているわけですが,教室や学校における教師の心構えとして読んでもおもしろいのです。うちの奥さんも,私が付箋をつけた部分だけ拾い読みしていました。
 一部,引用します。
▼しかし,この婦長たちこそ,本当の天職としての看護婦であったのだ,と私は言いたい。すなわち彼女たちは,まず患者のために何をなすべきかを第1に考え,その次に自分の「役目」は何かをひたすら考えている。一方,現に病人が被害を受けているというのに,これをしてくれる女中を待ち,あれをしてくれる雑役婦をあてにしているような女性は,自分のなかに看護婦としての<素質>を欠いている。(40ぺ)
 私も子ども達が帰ったあとの教室を掃除することがよくあります。それは朝,子ども達が気持ちよく教室に入ってほしいからです。いつの間にか,子どもがいるときには気にならないゴミも子どもがいなくなると気になるのはなぜなのでしょうかねえ。
▼病気や氏を観察すべき立場にあるひとたちは,病気の再発や発作あるいは死などが起こるに先立ってどのような様子が見られたかを思い起こし,それを自分の観察体験として心に銘記しておくようにしてもらいたい。そして,何にも徴候はなかったとか,<確かなものじは>まったく見られなかった,などと断言しないようにしてもらいたい。(202ぺ)
 教室の子ども達の変化に気づきたい。敏感でありたいと思います。「そんな様子は見られませんでした」とは言いたくない。「そんな様子」をしらばくほっておくかどうかは別として,「そんな様子」を見とれるような教師になりたいと思います。
 本書からの抜粋とそれに関する私の感想は,ここで読んでください。

●澤上篤人著『お先に失礼!』(楽知ん文庫,2005,98ぺ,1000円)
 仮説実験授業研究会の宮地さんたちを中心として結成されていた「楽知ん研究所」がNPO法人として認可を受けました。それを記念して「さわがみ投信」社長の澤上篤人氏が講演した,その講演記録が本書です。
 なぜ,仮説の会のメンバーの研究所が「投信」の話を聞くのか…は,主催社代表の挨拶を読んでいただければ分かります。私は,本書を読んで「長期投資」の世界を勉強したくなって,今,澤上氏の著書を3冊手に入れました。おいおい読んでいきます。
 私も,澤上氏が指摘するとおりの「投資に手を出すなんて最低の人間のすることだ」「汗水たらして手に入れた金こそ尊いのだ」と思っていた教師のひとりです。しかし,次のようなあとがきの言葉に目が開かれた思いがしました。
▼あなたが長期投資の世界に足を踏み入れることは,あなた個人の損得の問題だけではなくて,社会の大きなお金の流れに関わることなんだ,ひいては社会を変えていくことなんだ…そういうことが,この講演記録によって少しでも広く伝わればいいなと思います。(96ぺ)
 これで私が長期投資を始めるわけではないけれども,ちょっとは勉強しようかなという気になったのは確かです。貯蓄と投資。この資本主義の中での世直しなどともからんでなかなかおもしろい話になってきました。

●澤上篤人著『あなたも「長期投資家」になろう』(実業之日本社,2001,253ぺ,1400円)
 そんなわけでさっそく長期投資に関する本を読んでみました。
 専門用語がバンバン出てきて,全てを理解できたわけではありませんが,「長期投資」は,私が今まで「株で儲ける」とイメージしていた「投資」とはちょっと性格が違うなということは分かりました。「ハイテクなんかに手を出すな」とかもおもしろい。「重厚長大こそ日本の力」なんてことも,そういえばそうだよなあなんて目を開かせてくれました。
 自分が投資をスルしないにかかわらず,経済を見る確かな目というのは必要ですからね。だって,みんなその経済の中で動いていくのですから。
 それにしても,今まで手に取ることもなかった関係の本まで本棚に並ぶことになって,この先どうなることやら…。

●赤木かん子他著『しらべる力,そだてる授業!』(ポプラ社,2007,159ぺ,1500円)
 いやー,これはしっかりした本でした。おすすめです。
 社会科や総合的な学習でやらなければならない学習に「調べもの学習」「まとめ学習」というものがあります。しかし,そのためのノウハウはなかなか現場に伝わってはいません。現場では行き当たりばったりで,適当に子ども達に調べさせているのではないでしょうか。
 調べるときには,「目次」や「索引」や「百科事典」の使い方が大切だということは分かります。インターネットで調べるときは「アンド検索」」や「オア検索」を教えてはいます。また,資料をもとにまとめるときには「参考文献」もちゃんと書いてほしいし,「丸写しじゃダメだ」とも言います。
 だがしかし,それらのことが十分に子ども達に教えられていないため(身に付いていないため)に,いつも同じようなところでつっかえて,時間ばかりがすぎ,せっかくできたものも,なんか本やサイトの丸写しで,本人たちにもあまり満足感がなく…という繰り返しの「調べ学習」が多すぎます。
 本書は,そんな現状を打破するための指導法がしっかりと書かれています。
 本書のどこまでを自分の学級で取り入れるのかは,自分の学級の到達目標点で決まります。そのとき,今までのような「教えておいた方がいいから教える」というのではなく「子ども達が喜ぶから教える」という「索引」や「奥付」の教え方があるようなのです。
 本書と姉妹図書である赤木かん子著『調べ学習の基礎の基礎 赤木かん子の魔法の図書館学』(ポプラ社,2006)には子ども向けのワークもついているそうです。
 共著者の教師・塩谷京子氏は自分のクラスに赤木さんを招き二人三脚で研究してきました。だから現場からの声もちゃんと出てきます。

●板倉聖宣・湯沢光男著『光のスペクトルと原子』(仮説社,2008,138ぺ,2000円)
 サイエンスシアターシリーズの中の『電磁波をさぐる』編の最終巻です。
 付録にホログラムシート(回折格子)がついていて,しかも簡易分光器の作り方もでているので,自分でスペクトルの実験をしながら読み進めることができます。
 私は,サイエンスシアターで知っているわけですが,こうして書籍としてまとめてくれると,また実験をしやすくなります。
 太陽光,白熱電球の光のスペクトルから始まって,蛍光灯のスペクトル,そして食塩などのスペクトルなどが出てきます。そして太陽のスペクトルに黒線があることから,太陽の原子の組成にまで話が進んでいきます。
 高校時代,難しくて分かりにくかった分光器と輝線スペクトルと原子の構造との関連が,ようやく腑に落ちた感じがします。
 サイエンスシアターシリーズは,小学校の教室ではなかなかできませんが,どこかでみんなとやってみたいなと思います。

2月号

●たくきよしみつ著『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社現代新書,2008,190ぺ,940円)
 以前から使っていたデジカメの調子が半年ほど前から悪くなり,この正月にしかたなく3台目となるデジカメを買いました。今まで持っていたデジカメは300万画素でした。でもわたしは200万画素に設定して撮影していました。写真1枚のデータがあまりにも大きいとパソコンで処理するのもとても重いし,扱いにくいからです。どうせ印刷するよりもHPにアップしたり,レポートにつけるだけですから。
 今回,あたらしいデジカメを手に入れたのですが,それは1010万画素です。こんなに大きな画素数はA3判より大きい紙に印刷しないかぎりいらないのです。でも巷で売っているやつは,そんなのしかありませんよね。私は,画素数よりも連写やズーム機能の方を重視して選んだのですけれどもね。
 さて,本書の内容は,タイトルどおりの本です。本書を読むと,単にデーターが大きいとあつかいにくいだけではなく,画素数が上がるとそれだけ画像に無理がかかることもよく分かります。CCDの大きさが画像の良さにものをいうのですから。CCDが変わらないのなら画素数の少ない方がいいのだそうです。
 ま,今時300万画素で,光学ズームが10倍で…などというものを発売してくれればうれしいのですが,デジカメにはなかなかそういう個性がありません。

●東清和・小倉千加子著『性役割の心理』(大日本図書,1984,198ぺ,800円)
 何の本だったかに参考図書・引用文献としてあげられていた本です。このほかにもその関係の本を3冊購入済み(いずれも古書)。
 カバーの扉の言葉を引用します。
男の役目と女の役目について固定観念を抱いている人がなんと多いことか。しかも,ひとたび男のすること,女のすることと規定してしまうと,なかなか変更することはできない。柔軟に見直してみようとするつもりもないし,柔軟に発想することさえもできない。固定してしまっている。なぜ,こんなことになるのか。その心理的メカニズムを一人ひとりの個人心理のレベルに立ちもどって検討してみたい。
 男女の役目については,知らず知らずのうちに体に身に付いていきます。それは学校教育の力と言うよりも子ども達が育った環境によるのではないでしょうか。
 本書が発刊されたのは今から20年以上までです。あのころと今とは,また違った「役割」があるのだろうと思います。しかし,その役割を固定して考えてしまう部分は同じではないでしょうか。自分自身の生活を振り返っても,これは妻,これはオレ…という考え方で固まっているなと思います。 
 本書が述べているような「女性の結婚願望」が今は薄くなってきたというのは,女性の役割についての考え方が変わってきたことの表れとも言えるでしょう。女性の役割に対する考え方が変わった以上,男性の考え方も変わらなければいけないんだろうなと思います。
 人間は性役割を拒否しながらも性役割を受け入れてしまったりするのはなぜか。そのあたりを知りたい人は,どうぞお読み下さい。

■吉田貴文著『世論調査と政治』(講談社α文庫,2008,234ぺ,895円)
 私の大好きな分野の本です。
 最近のテレビ・新聞は,月に一度くらい内閣支持率等の世論調査をしています。そのたびに「○○内閣の支持率は半分を切った」「ヒトケタ代になると2ヶ月持たない」などといっています。また,内閣支持率以外にもそのときどきの「政治課題」についての調査もしているようです。そして,その調査の結果を見て,一喜一憂する政治家もいるようです。あまり気にしない政治家もいるようですが,全く無視するまでにはいかないほど,「世論調査結果」が力を持ってきているように思います。
 しかし世論調査というものは,それほど政治に力を持ってもいいものなのでしょうか? 国の進む道をゆだねられるほど確かなものなのでしょうか? 私は,世論を顧みない政治家も嫌いでしたが,最近のように,なんでもかんでも世論調査を受けて○○という方向もなにか危険なものを感じていました。
 それが本書を読むきっかけでした。
 世論調査の作成に関わってきた著者は「世論調査リテラシー」を身につけてほしいといっています。それは,世論調査が欠陥を持つと分かっていても「民主主義の基本である世論を把握するために,今のところ世論調査以上に適当なツールがないというのも,また事実」(本書13ぺ)だからです。
 著者は小泉首相の靖国参拝に関する世論調査の結果を次のように示し,政治家が世論を動かすこともできることを述べています。
 参拝する1ヶ月前の朝日新聞の世論調査
  参拝しない方がよい 57%
  参拝した方がよい  29%
 参拝した直後の世論調査
  参拝したことはよかった 49%
  参拝しない方がよかった 37%
 しかし…,です。この世論調査の逆転は靖国神社への参拝云々と言うよりも国民の「よくぞやった」「他国に遠慮しなかった日本人」への共感ともとれるのです。それをそのまま「首相の靖国神社参拝は国民の合意を得た」などとやられたのでは,たまったものではないでしょう。
 著者も次のように述べて,衆愚政治に陥る危険性を指摘しています。
▼知識や情報に裏打ちされた直感と,そうしたものがない単なる直感とでは,天と地ほどの開きがある。根っこのない直感型世論調査が政治を動かすとすれば,それは怖いことである。(221ぺ)
 本書は,新の民主主義を求める人達にぜひとも読んでいただきたい本です。おすすめですよ。

今月の本の最後は,岩波新書の沖縄関連本を3冊。

■大田昌秀著『沖縄 平和の礎』(岩波新書,1996,230ぺ,650円)
 沖縄の授業のバックボーンを学ぶために購入した新書です。
 『平和の礎』の著者は,革新系の沖縄県知事として活躍した大田氏。自らが手がけた「平和の礎」の建設に向けた話というよりも,ご自身が「どうしてこのような立場をとるようになったのか」という話が主です。
 知事として米軍基地の代理署名拒否をして沖縄の基地問題を日本の問題としてあぶり出したあとで,次の代理署名は拒否をせずに引き受けたり…と,県民からも納得と批判が錯綜していた時代。その胸中を余すところなく語っています。講演集なのでとても読みやすかったです。
 最近のクローズアップ現代(09年2月25日放送)で,「沖縄基地の軍用地(借地)」の売買という投資の話がありました。確実にお金が入ってくるものとして「軍用地」が利用されているのです。沖縄の2重の悲しみを感じました(以下は,クローズアップ現代のHPより引用)。
 基地の土地が売買される~沖縄で何が~
100年に一度とも言われる大不況の中で今、ある金融商品が投資家の間で密かに注目を集めている。その商品とは、沖縄のアメリカ軍基地や自衛隊基地内の土地、”軍用地”だ。投資家たちが注目するのはその安定性だ。地主には日本政府から毎年、軍用地料が支払われる。しかもその額は毎年確実に上がり続けているのだ。インターネット上では軍用地に関する情報が飛び交い、沖縄の不動産業者には本土から問い合わせが殺到している。本来、軍用地料はアメリカ軍に土地を奪われた住民たちへの補償としてかつての地主へ支払われてきたものだ。しかし、相続税を支払えないなどの理由で手放す人が増え、軍用地が市場に出回り始めているのだ。番組では軍用地が投資対象になっているというおかしな実態を検証し、日米安保を支える軍用地料という制度が抱える問題点を描く。(NO.2704)

■高良勉著『沖縄生活誌』(岩波新書,2005,211p,700円)
 『生活誌』は,沖縄の一年をその地理的・歴史的・文化的背景からまとめた1冊。沖縄の民俗学の本と言っていいでしょう。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)をはじめとして,宮本民俗学を愛読してきたという著者は,県立高校の教師を経て今は沖縄史料編集室に勤務とか。島尾ミホ著『海辺の生と死』(中公文庫)にも影響を受けたと言います。
▼学生運動をやっていた頃の私は,この血縁共同体や祖先崇拝から脱出することばかりを考えていました。自分の思想や行動の自由が,血縁共同体の枠内に束縛されていくのが大嫌いでした(57ぺ)
という部分は,学生時代の私と重なります。
▼しかし,私が観察したところでは,資本主義や商品経済,消費社会の力の方が,圧倒的に血縁共同体や祖先崇拝信仰を破壊していました。私の思想,行動と血縁共同体とのぶつかりあいは続きますが,社会の変革は自分自身の手で行う一方,この祖先崇拝信仰も大切にしていきたいと今では思っています。(同上)
という部分にも納得です。
 私も,古いものの良さと,科学的に考え行動する姿勢を両立させていきたいといつも思っています。

■新崎盛暉著『新版・沖縄現代史』(岩波新書,2005,231p,780円)
 著者は,沖縄の戦後を以下のように6期に分けています。
第1期 対日平和条約とセットになった旧安保条約の成立(1952年4月)以前
第2期 52年4月から1960年の安保改定まで
第3期 60年安保改定から,1972年の沖縄返還まで
第4期 沖縄返還から1978年の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)策定や「思いやり予算」のはじまりのころまで
第5期 70年代末から1995年夏まで
第6期 日米安保再定義という上からの安保見直しと,下からの安保見直し要求が激突する1995年以降
 第1期~第3期については,日本でありながら日本ではなかった時代であり,今沖縄に基地がある原因ともなっている時期です。これについては別に『沖縄戦後史』という著書で書いたそうです(まだ読んでいません)。本書では,主に第4期からについて書かれています。
 当時の大田知事の姿勢を別の方向から読みとることもできるので,『平和の礎』と合わせて読むとそのあたりの沖縄の置かれている状況がよく分かるでしょう。

●白潟敏朗著『仕事の5力』(中経出版,2008,218p,1300円)
 こういう方面の本は,もう買わないって何度宣言したことか…。でもだれかが話を出したら読んでみたくなるんです。今回は,芦屋市立山手小学校の研究発表会での記念講演で甲斐睦朗教授が本書についてちょっとだけど言及したので,さっそく手に入れたというわけです。
 ここでいう5力とは,聴く力,考える力,話す力,書く力,時間力のこと。この力は,大人でなくとも大切ですよね。時間力は,まあ,いいとして,他の力は子ども達にも身につけてほしい力であることは確かです。
 本書は,中身を読まなくても,裏表紙だけで内容が分かります。
○聴く力…聴く姿勢をとる,相槌を打つ,言葉を繰り返す
○考える力…なぜならばと書いていく,多くの中からしぼっていく,メリットとデメリットを考える
○話す力…話の内容は7%,あとはボディと話し方,具体的に数字を入れて,結論は一言で
○書く力…書く前に考える,タイトル・目的・結論・理由の順に,プリントアウトして推敲する,一文は50文字以内で,文章には主語を忘れるな
○時間力…紙に書き出して優先順位をつける,すき間時間の有効活用,自分だけの仕事も手帳に記入,毎日・ときどき・多分で捨てる技術を身に付ける

●我部政美著『ニライカナイから届いた言葉』(講談社,2009,269p,1400円)
 久しぶりに沖縄関連の本に興味を持った私は,本屋さんで本書を見つけました。時々,こんな本との出会いがあるから,本屋さんに行くのが好きなんですよね。アマゾンでは味わえない気分です。
 帯には,私の好きなNHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」のおばあ役だった平良とみさんの推薦文が載っていました-「沖縄の心がしみこんんだ“黄金言葉(くがにくとぅば)”がいっぱい詰まっていますよ」とね。
 昔からのウチナーグチもあれば,最近の高校生が使うようなウチナーヤマトグチもあります。そんな<沖縄らしい言葉>に紹介しながら,沖縄の文化・風習について楽しく教えてくれるエッセイ集になっています。
 しかし,第5章「心にしみるウチナーグチ」では一転,著者の厳しい生き方に触れることになります。それは沖縄戦と基地に囲まれた戦後の沖縄を語っているからです。
 著者は1979年,沖縄の離島・伊平屋島生まれ。

1月号

●小原茂巳他著『中学教師,おもしろい』(ガリ本,1993,178ぺ,1500円)
 仮説実験授業研究会のメンバーが発行しているガリ本です。小原さん,中さんの記事が中心ですが,とくに本書のタイトルにもなっている「中学教師,おもしろい」という座談会が本当におもしろかったです。
 本書より,気に入った文章の一部を<抜きタイプ>しておきます。
▼はじめから誰からも縛られたのではないのに,自分で縛られたつもりになっていることも少なくない。教師というものは「入試や制度に縛られている」と訴える格好をしながら,自分で勝手に決めた教育内容に縛られていることがあまりにも多いのではないだろうか。(板倉,本書8ペ)
▼生徒たちだってそう。僕が<たのしい授業>を提供するから,生徒は僕たち教師を好きになってくれるんだよ。(小原,19ぺ)
▼「授業の前に基本的生活習慣の確立を」っていうのがよく言われるけど,<基本的生活習慣>っていう言葉も,<確立>っていう言葉もほとんどスローガンで,ぜんぜん達成したという基準がないのね。目標として成り立ってないんだよ。だから「基本的生活習慣の確立」を目指すと,永遠に授業の方に入れないんじゃないかと心配になってくるね。(中,33ぺ)
▼ある意味では,先生の方がたのしみ方を知らないと言えるよね。苦しみ方は知っているんだけど(小原,同上)

 みんなにもっともっと楽に教師をしてほしいと思います。現状に追いまくられて,<やらなければならないこと>をこなすことに時間を使うのではなく,<やりたいこと>に時間を使えるような教師たちが増えれば,子ども達ももっともっといきいきできるのにね。

●藤田雅矢著『捨てるな,うまいタネ』(WAVE出版,2003,230p,1300円)
 本書は,仮説実験授業の授業書≪タネと発芽≫の参考図書として紹介されていたので,その授業の前後に手に入れて読んできたものです。
 子どもたちと一緒に朝読書の時間に読んできました。
 ≪タネと発芽≫の授業が終わってからも,給食に出たキウイのタネを植えたり,イチゴなども育てたりしています(このあたりのことは時々ブログの方で途中経過を書いています)。
 フルーツや野菜のタネは捨てないで一度は植えてみましょう!! 発芽しなくてもともと,もし発芽すれば,成長が楽しみになります。

●藤田英典編『だれのための「教育再生」か』(岩波新書,2007,212p,735円)
 もじどおり,今の教育改革の流れは,いったいだれのためなのか…を問題意識として教育の専門家が書いた本です。
 著者は,編者の藤田氏以外に,東大教授・佐藤学,教育評論家・尾木直樹,弁護士・中川明,早大教授・西原博史,同じく早大教授・喜多明人の各氏です。中川氏と喜多氏の文章を読むのは多分初めてなので,どんなことを研究している人かなと思いながら読ませてもらいました。
 ただ,喜多さんは,昨年の秋に県教育研究集会の記念講演の講師として講演されており,私もその場にいましたので,話は聞いたことがあります。
 佐藤学氏は,教育現場の点数主義を通り越した数値絶対主義に対して,次のように警鐘を鳴らします。
▼数値によって競争的な環境を生き抜き,数値によって外部からの信頼と承認を受けることが目的になっています。言い換えれば,人々はもはや「数値」しか信頼しなくなったのです。そこには人と人の関係における信頼の崩壊という深刻な問題が横たわっています。(71p)
 しかし,こう憂える佐藤氏が指導している小中学校では,「学びの共同体」づくりに成功して,子どもたちが生き生きしている学校もあるようです。まだまだ捨てたものではありません。「数値」を相対化する教育実践がわたしたち教師に求められているようです。
 また,喜多氏は,学校安全という面から,子どもへの厳罰化について書いています。
▼ゼロ・トレランスの基本的な問題の一つは,安全と人絹とを対立軸に置き,安全のためには人権を制約できるという考えを前提にしていることです。しかし,本来,安全や安心自体が市民,子どもにとって欠かせない人権であったはずです。安全で,安心できる生活の確保と学校内での生徒の人権,学習権の保障は両立を目指すべきものであり,仮に両立できない現実があるとしたら,それぞれに人権としての本質を損なわない方法で相互の調整を行うのが本筋であったはずです。(96p)
「ゼロ・トレランス」とは「寛容なし」という意味の言葉です。もともとは産業界の言葉で,少しでも不良品をださないという品質管理の言葉でした。それが今,「あれる子どもは学校に来させるな」的な論調で広がっているとしたら,その不良品とされた子どもたちはどうすればいいのでしょうか。
▼いまの子どもたちの多くは現象的にはわがままに見えても,実は「我がまま」「自己中心」から「問題行動」に走るのではなく,「我がまま」の我を見失い,中心となるべき「自己」を見いだせないストレスがそうさせているのです。(108p)
 喜多氏のような目で子どもたちを捉えてあげることがますます必要になってきています。
 本書の最後に,「提言・わたしたちが求める教育改革とは」という章が設けられています。
 それを引用して,紹介を終わります。

<ただちに中止すべき施策>
 全国一斉学力テスト/教員免許法更新制/教師の階層化/寛容なき厳罰主義/国家による教育統制の強化
<見直すべき法律や施策>
 06年教育基本法/教育の市場化/学校選択制
 対案もしっかり書かれています。
 そして,その対案が実現しつつある学校では,地域・子ども・学校がしっかりと連携して,子どもたちを育てているのです。

●富山太佳夫著『「ガリヴァー旅行記」を読む』(岩波書店,2000,232p,2400円)
 子ども向けにも物語があるので,おそらく日本人のだれもが知っていると思われる「ガリヴァー旅行記」ですが,本書を読んで,「実は私はその内容をほとんど知らなかったのだ」ということをはじめて知りました。
 わたしたちが知っているガリヴァー旅行記は「こびとの国に流れ着いたガリバーが体を縛れていて,色々苦労するが,その国を力の強いガリバーが助けて,めでたしめでたし」というような内容です。しかし,この物語には続きがあって,ガリバーはその後「大きな人間の国」に行ったり,「馬の国」に行ったりするのです。これにはビックリです。
 本書は,スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を書いた18世紀のアイルランドの政治・宗教・文化の状況に触れながら,この作品が当時の社会的なものと切っても切れない関係にあるのではないかと仮説を立てています。
 最後は気が狂ってしまったらしいスウィフトのこの作品。読みたくなってしまいますよね。
 新聞の書評欄を見ておもしろそうだと思って手に入れていたのですが,ずいぶん積ん読になっていました。今回,正月休みを利用して読んでみたというわけです。

●スウィフト著『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫,1980,460p,800円)
 そんなわけで,岩波文庫を手に入れて読んでみました。
 イヤーおもしろかったです。
 わたしたちが知っているこびとの世界は「リリパット国渡航記」という章ですが,100pで終わっています。ですから,本書の4分の1もないのです。ガリバーはこのあと,もっともっといろんな旅をして思索を重ね,最後に馬が支配している国である「フウイヌム」というところに長期滞在し,ついには「フウイヌム」の方が人間が支配している国よりもいいという結論に達するのです。
 今年のお正月は,この本を読んで過ごしました。
 いいお正月でした。
 みなさん,お薦めですよ。おもしろかったです。

●細野真宏著『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考」が飛躍的に身に付く本』(小学館,2008,303p,1200円)
 いやーこれは面白い本でした。しかもとても分かりやすいです。
 私は別に数学嫌いではないし,どちらかというと好きな方ですが,本書は,数学云々ということよりも,<「数学的な考え方」はものを覚えたり,ある事柄を判断したりするときに必要だよ>と教えてくれています。
 そのためには,常日頃から頭を使う訓練をしておくことが大切で,そのためのテクニックというか,頭を使う視点を教えてくれるのです。
 数学が苦手で赤点をとっていたような著者が,今では数学的思考力を人びとに教える立場になっていることにビックリするとともに,的を射た学習法さえ身に付ければ,一般に言われている学力なんてどれだけでものびるんだと思います。
「知識を関連づけて考える」ということは私もやっているし,「わかったつもり」にならないようにということもいつも肝に銘じているつもりです。
 本書と同じような内容の本は,今までにも読んできましたが,これだけ分かりやすくまとめられているのも珍しいです。
 今年1番目のお薦めの本です。

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