今月の本棚・2010年版

12月号

『実際的教育学』

●沢柳政太郎著『実際的教育学』(明治図書,1962,241p,600円)
 6月に紹介したコメニウスと同じシリーズです。6月には,このように書きました。
 この本は「世界教育学選集」シリーズの1冊(2冊だけど)です。実はこのシリーズのことは学生時代から知っていました。その頃,ルソーの理想的な教育に興味があったのでこのシリーズの『エミール』を買って読んでいます。今でも本棚にあります。私は理科系の学生だったのに,不思議です。
 今回,この本を含めて10冊くらい古本屋から購入しました。いずれも500円くらいだったので,とっても安く手に入れたことになります。
 沢柳さんは,大正自由教育の頃の文部省の官僚であり,学長であり,研究家です。成城小学校の初代校長です。
 最初は,公教育をしっかり立て直して日本の教育をどうにかしようと思っていたようですが,最後には,私立校である成城を作って,そこで新しい教育をはじめます。
 本書には,「公教育よ,がんばれ!」と言っていた頃に書いた「実際的教育学」(1906)とそのころの教育論文や講演記録が収められています。
 沢柳は,教育を科学的な研究にするように働きかけていました。
▼されば学校教師のためにする教育学書に於いては実際と何等関係のない教科論を詳細に講述することを省略すべきである。学問は必ずしも直接に実際の利益を目的とするものではない。併ながら教育学はこれを一種の科学と云ふけれども,唯だ真理のために研究すると云ふものではなく,実際と最も密なる関係のあるべきものである。20p
▼少くも教育の学は教育の実際を説明して,学問的の基礎を教育に供するものでなければならぬ。医学と医術ほどの関係はなくとも農学と農業との関係はあるやうにならなければならぬ。要するに従来の教育学は実際と幾んど無関係であると云はざるを得ない。22p
▼競うて新説を出すことの如きは,実際上に於いては害があつて益がない場合が多いと信ずるのである。25p
▼ここに於いて再び繰返して云へば,教科論は実際の教科に就て研究する必要があるのである。一種の主義,若しくは理想より論ずるも空論に陥つて,何等の影響を教育の実際に及ぼさない。88p
 「実際教育学」の「実際」とは「教育の事実から出発して,現場の実践に役立つようなものを積み上げないと意味がない」というようなことだと私は感じました。
 早期からの修身教育にも反対していたり,そこでめざす児童像についても革新的な意見が多く散見されます。大正自由教育をひっぱっていった論客として,なによりも実践家として,もう少し詳しく調べてみたいと思わせる人でした。

●細井勝著『加賀屋の流儀-極上のおもてなしとは』(PHP研究所,2006,251p,1680円)
 サークルで「加賀屋の方がある全国規模の会で講演に来たときの話」になりました。そのとき,サークルをやっている宝立公民館図書室にも,加賀屋に関する本があったはず…と思って探して借りてきた本です。
 いやー,おもしろかったです。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で30年連続1位をとり続けている加賀屋の「流儀」について,加賀屋のある石川県生まれのルポプライターが書いたものです。
 著者は,本書の「あとがき」で,次のように述べています
▼取材を通して禁じえなかったのは,さまざまな持ち場で働く加賀屋の人々が,それぞれ自分の言葉で「加賀屋の接客とは何か,そのために自分たちは何をすべきか」を,明確に言い切ったことへの驚きであった。248p
 一見「日本旅館のマニュアル本」とも取れる本書を読んでも,決して「上っ面のマネだけでは第2の加賀屋ができるものではない」ことを示してる言葉だと思います。従業員を大切にして,一人一人の従業員の自尊感情がしっかり保てているからこそ,こういうサービスができるのでしょう。上意下達ではない共同労働現場の力を見せつけてくれた本でした。気持ちよかった! 自分でも買おうかなあ。
 本書には同じ著者による続編もあります。『加賀屋のこころ』です。能登半島地震後のことについて書かれているそうです。まだ読んでいません。

●P.F.ドラッガー著『マネジメント〈エッセンシャル版〉』(ダイヤモンド社,2001,302p,2100円)
 今年,流行に流行った岩崎さんの『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の元になった本が,これです。
 上の「加賀屋」の本と絡めて読んだ部分があります。
▼意思決定は,可能なかぎり低いレベル,行動に近いところで行う必要がある。これが第1の原則である。同時に意思決定は,それによって影響を受ける活動全体を見通せるだけの高いレベルで行う必要がある。これが第2の原則である。(192p)
 加賀屋の仲居さんたちは,客と直接接する一番低いレベルですが,その仲居さんの瞬時の判断で「陰膳」などのサービスがなされます。そしてそのことが,加賀屋の高いレベルに繋がっている…まさにドラッガーの云うとおりですね。
▼あらゆる種類の活動,製品,工程,市場について,「もし今日これを行っていなかったとしても,改めて行おうとするか」を問わなければならない。答えが否であるならば,「それではいかにして一日も早く止めるか」を問わなければならない。さらに,「何を,いつ行うか」を問わなければならない。(戦略計画,39p)
 学校現場では,「例年通り」「去年もあったから」「今までやっていたから…」というものがた~くさんあります。その時,私は「他の学校へ行ってもそれをやりたいのか」「どれだけ成果が上げられると思っているの?」と問い直すことにしています。すると,たいていのものは単なる惰性でやっていることに気付いて,改革するか,なるべく時間を使わないようにするかを考えることになるのです。

●森達也著『A3』(集英社,2010,531p,2000円)
 著者の森達也氏については,このサイトでも何度か紹介してきたのでご存じの方も多いでしょう。今じゃ数少なくなった良心的なドキュメンタリー作家です。
 この本に先立つ『A』『A2』という映画も見ました(DVDを購入)。いずれもオウム真理教のあの地下鉄サリン事件をきっかけにして,そのオウムの側から日本の現代社会を映した映像です。人権を無視する一般的な日本人の姿に唖然としました。本書もまた,同じような編集姿勢で書かれています。
 オウム以後,私たちの社会はどうなってしまったのでしょうか。それは私たちが望んでいた変化の方向なのでしょうか。それとも大きく方向を間違えてしまったのではないでしょうか? 
 「オウムがわるかった」「あいつらだけ人殺し集団だ」と判断して,そこで停止している日本人のなんと多いことでしょう。でもあの事件をそれで終わりにすることで,私たちは,今まで以上にやばい世の中を作っているのかも知れません。
 新聞の年末の新聞の書評欄を読んで知った本です。こういう本が,もっともっとたくさんよまれることを願います。
 本書の大部分は,2005年~2007年にかけて『月刊・プレイボーイ』に連載された記事を元にしてあります。麻原彰晃たちの裁判が現在進行形で進んでいる中で書かれていった連載記事は,すごく臨場感のある作品に仕上がっています。分厚い本でしたが,一気に読んでしまいました。
予測などできないし,したくもない。でも知ってほしい。立ち止まって振り返ってほしい。ここまでの足跡を確認してほしい。さまざまな上書きが大量になされているけれど,目を凝らせばきっと見えてくるはずだ。耳を澄ませば聞こえてくるはずだ。そして思い出してほしい。考えてほしい。あの事件はなぜ,どのように起きたのか。彼と事件によって,この社会はどのように変わったのか。現在はどのように変わりつつあるのか。(プロローグ,11p)

11月号

●五木寛之監修『五木寛之の百寺巡礼・ガイド版(全10巻)』(講談社,2003~2005,200p,1575円)
 テレビ朝日系で放映されていた『五木寛之の百寺巡礼』のカラーガイド版です。全部で10冊ありますが,とりあえず,京都2冊,奈良,北陸を手に入れて読んでみました。
 10月末に京都へ行く用事があったので,ついでに清水寺や高台寺にも寄ってきました。本書片手に…。

●五木寛之著『百寺巡礼(全10巻)』(講談社文庫,2008,270p,590円)
 上に紹介した写真集の元本がこれです。この本にはほとんど写真がありません。その代わり,五木さんの感性がしっかりと伝わってきます。このシリーズも10冊あります。上の写真集は,この本の内容と対応しているわけです。
 これもまだ京都編の2冊しか読んでいませんが,そのうち全部読むだろうなという予感が…。
 最近,仏像から寺にも興味が移ってきて…さてさてどうしたものやら。

●的川泰宣著『小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡 挑戦と復活の2592日』(PHP研究所,2010,151p,1000円)
 今年,小惑星イトカワの一部を地球に持って帰ってきた「はやぶさ」について,その計画段階から帰ってくるまでの顛末がコンパクトにまとめられている本です。「はやぶさ」については何冊か出ていますが,本書を書いたのは,JAXA名誉教授で,ど真ん中にいた人らしいです。新聞紙上で紹介されていたのでこの本を選んでみました。
 傷だらけの奇跡の生還(本体は燃えたのだから死還?)をした「はやぶさ」についてはテレビで何度も放映されたのですが,その「奇跡」は決して奇跡などではなく,日本の技術者の周到な準備と的確な判断があったからこそだということが分かります。

●佐藤淑子著『日本の子どもと自尊心』(中公新書,2009,179p,780円)
 日本の子どもの自尊心に関する新書を2冊読んでみました。
 本書が「日本の子ども」と特定しているのは,大方の予想通り,「日本の子どもたちの自尊感情が他国に比べて低いと言われている」ことに関連して述べているからです。
 佐藤さんはまえがきで
親や教師の子どもへの発達期待は社会や文化の価値を媒介する。 日本人の発達期待は,「セルフ・エスティーム」の重要な側面である,ものごとをできるだけ高い水準で成し遂げようとする達成動機と,自己の存在を他者よりも低いものとみなす謙虚さという,本質的には相容れない二つの価値を合わせもつところが特徴的である。(本書vページ)
と述べています。この一見相矛盾する「期待」を達成するために,如何なる子育てが必要なのか,また可能なのか?ともすると,「日本人が西洋人のようになることがベストなのだ」という意見も聞こえてきそうですが,著者はそんなことは言っていません。
 子育てについては,例えば,何気ない母親のこんな会話の違いが紹介されています。
▼まして母子の場合はその傾向がより強まる。「いいお子さんですね」とほめられると,大慌てで「とんでもない」と否定するくらいに。/イギリスで子どもを育てた日本人研究者は,イギリス人の子どもをほめると母親が「ええ,彼は一生懸命やりました。とても誇りに思うわ」と答えると記している。(30p)
 そして,こう結論します。
▼日本の母親は子どもの社会的適応を高める「謙虚」を育むためにも,その自己評価を甘くさせないお目付け役でもあるのではいか。
 母親がこういう態度をとるのは日本の社会がそういう態度をとるように要求しているからです。そんな中で育った子どもたちは,自分の成功についても低く見がちになるのかも知れません。
 特に,第6章「日本人の子どものセルフ・エスティーム」がおもしろかったです。
 著者が修士課程で学んだときの心理学者ロバート・キーガンの「自己変革の発達段階」という捉え方を教えてくれました。その「ステージ3」と「ステージ4」の段階との違いが,日本人の場合には当てはまらないのではないかという話。日本人は,『「達成動機」と「親和動機」との間に正の相関関係が見られる』ということです。これだけ書いても何の子とか分かりませんね。私の感想が舌っ足らずになってしまいましたが,何凝っちゃと思う方は手にとって読んでみてください。
 私は本書を読んで,日頃の子どもへの対応の仕方や,今,職場で流行っている「自己管理目標」のことも考えてみました。

●古荘純一著『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(光文社新書,2009,268p,840円)
 さて,「セルフ・エスティーム」とはなんでしょう。本書によると次のようになります。
▼セルフ・エスティームとは,質問紙法による自尊感情の測定を考案したローゼンバーグによれば,「自己イメージの中枢的な概念で,一つの特別な対象,すなわち自己に対する肯定的または否定的な態度」と定義されています(1965,30p)
▼セルフ・エスティームという概念は「自信を持ちゆったりと構えること」や,「自重する」という,いわゆるポジティブな思考を指すだけでなく,ネガティブな側面も包括した概念に近いと思われます。(31p)
 「自尊感情」というのは,「セルフ・エスティーム」の訳語の一つです。他にも「自尊心」「自負心」「自己肯定感」などという訳語もあります。でも,著者は,「自尊感情」以外のこれらの訳語は,ローゼンバーグのいうある一面しか表していないので,セルフ・エスティームの訳語にはふさわしくないとも言っています。
 本書では,その子どもの自尊感情について「QOL尺度」というものを使って調査し,比較/判断をしています。この「QOL」というのは「Quality of Life」の略で,医療・福祉の臨床現場でしばしば用いられる概念だそうです。そのQOLを判断するための質問紙を作って調査をして分析しているわけです。
 一部引用します。
▼いじめや虐待を受けている子どもは,その子自身の低下した自身感情を回復するために,より弱い者にその抑圧された気持ちを向けることがあります。ですから,いじめの解決のためには,いじめを行っている子自身の自信感情にも目を向ける必要があるのです。(165p)
▼国際的に通用する意欲の高い青少年の育成は重要な課題です。しかしわが国の現状では,大多数の子どもたちは,小学校在学中すでに,自分の限界を悟っているように思います。(193p)
▼競争原理が求められる社会環境の中で,子育てと教育は,競争原理では成り立たない分野です。(251p)

10月号

●松井賢一著『エネルギー問題!』(NTT出版,2010,406p,2400円)
 著者の松井さんは龍谷大学名誉教授。いろいろな役もやっているらしいです。
 石油以前に遡ってエネルギー問題を見つめ直すことで,現代のエネルギー問題の課題の在処がどこなのかを暴き出しています。
 単に「温暖化だ」「石油がなくなる」と騒ぎ立てるのではなく,それに変わるエネルギーがちゃんと出てくるものだ…と言っています。
 火薬が発明され,石炭が見つかり,石油になって,今は原子力。それぞれその時代の歴史に大きな足跡を残しました。それは戦争の世紀でもあったのですが,一方では確実に私達の生活を豊かにしてくれたのです。
 著者は,原子力発電はまだまだ始まったばかりだと言っています。「若者に原子力の夢を」とも言っています。廃棄物処理にしても今よりももっともっと技術は進むし,大丈夫なはずだと期待しています。
 本書の内容にはほとんど同意できるのですが,この点だけは私とは違います。火薬や石炭,石油というのは化学変化の話ですが,原子核をあやつるのとはちょっと違うと思うのです。技術が途上であるならば,失敗することもありえるわけです。その時,その失敗が取り返しのつかないものになることだってあるわけです。
 ま,エネルギー問題について興味を持っている方は,ご一読下さい。目先ではない歴史的な位置づけからエネルギー問題を見ることができます。

●毛利衛著『宇宙実験レポート』(講談社,1992,261p,1300円)
 ご存じ宇宙飛行士毛利衛さんが書いた日記風エッセイ集です。スペースシャトルで計画していた実験とその実験結果も書かれていて,おもしろいです。
 1992年9月16日,エンデバーから生中継で行われた「毛利衛さん宇宙からの授業」(NHK総合テレビ)の内容も収録されています。
 本書は,かなり前にブックオフで購入してあったのですが,今回,仮説実験授業《たべものとうんこ》をするにあたり,宇宙関連で読んでみました。

●米田一彦著『クマは眠れない』(東京新聞出版局,2008,238p,13000円)
 以前,学校に来る本屋さんから購入してあった本です。
 今年もまた,クマが人を襲うという事件が何件も発生しています。クマは増えたのでしょうか? それとも里山がなくなったからでしょうか? あるいはクマの食べ物が減っているからなのでしょうか?
 そんな疑問に少しは答えてくれるでしょう。
 クマって,年間に,どれくらい殺されているのでしょう。その数は減っているのでしょうか?
 そもそもつかまえられたクマはゆくえは…
 クマがヒトと共存していくためにはどうすればいいのでしょうか?
 本書を読んだことをきっけけに,短いレポートもまとめてみました。機会があれば,HP上にも紹介したいと思います。年末になるかな…。

●レスリー・ダンディ+メル・ボーリング共著『自分の体で実験したい』(紀伊國屋書店,2007,223p,2000円)
 科学者の知的好奇心は尋常ではありません。自分の予想が正しいのかどうか…それを決めるのは実験しかない。もしその実験に人体が必要だとしたら…。
 そんな状況に置かれた科学者が,回りの意見も聞かず,あるときは堂々と,またあるときは弟子さえもだまして自分を実験台にしていきます。その科学者魂に,鬼気迫るものを感じました。中には失敗して亡くなってしまう人もいます。
 危険を冒してまでも真実を突き止めたいという飽くなき追求心。すごいです。
 『たのしい授業』の推薦図書にあったので手に入れた読んでみました。
 科学が好きな人もゴシップ記事が好きな人も,是非読んでみてください。一気に読んでしまうと思いますよ。


●池谷裕一著『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社,350p,168.0円)
 著者がこれまでにいくつかの雑誌に掲載した「脳に関するエッセイ」をまとめたものです。といってもそのエッセイだけを収録したのではなくて,その短いエッセイに関するちょっとした話題をさらに突っ込んで説明してありますので,とても読みやすくて,脳のことがよくわかります。途中にはさまれている絵も沢野ひとしみたいでわたし好みでかわいい。
 脳は自分の思い通りになっていないんですが,脳は脳で勝手に動いているのでもない。自分の脳を操られそうで,やはり別の生き物のようで…。
 脳には不思議なことがたくさんあります。ただ,はっきりしていることは,「意識できること」よりも「無意識のまま脳が実行していること」のほうがはるかに多いということです。
と「まえがき」に述べているように,日常の何気ない無意識の行動を取り上げて説明してくれています。もう1回読みたくなる本です。

●岩﨑夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社,2009,272p,1680円)
 昨年来,ベストセラーを続けている本ですね。ベストセラーだからといって読むという行動は全くないのですが,『マネジメント』自身をいつかは読んでみたいと思っていたので,ついでに一緒に購入しました。そして,『マネジメント』よりも前に読みました。
 いやーおもしろかったです。小説はあまり読まないのですが,物語なので,どんな展開になるのだろうと,ついつい一気に読んでしまいました。
 著者はどんな人かなと思ったら,秋元康氏に師事をしたという作家なんです。
 表紙が表紙なので,朝読書の時にあるクラスの教室で読んでいたら,終わった後,ある子が寄ってきて「先生,そんなの読んでいるの?」と言ってきたので,バっと本書を開けて見せたら,半分納得していた…。で,タイトルを見て「それ知っている」って子もいたのはビックリ。小学校5年生だよ。

●『沖縄音楽ディスクガイド』(TOKYO FM出版,2003,206p,1575円)
 半分が「歌い手別の解説つきガイド」。後の半分が「ディスコガイドで」す。民謡からロックまでいろんなジャンルが取り上げられています。わたしの全く知らない分野もありました。キロロも沖縄だったんだなあ。SP盤復元による沖縄民謡の精髄」なんてCDもあるらしい。聞いてみたいようなみたくないような…。

9月号

●板倉聖宣著『科学と方法』(季節社,1969,302p,800円)
 夏の大会が能登で行われたことをきっかけに仮説実験授業の原点に戻ってみたくて読んだ本です。
 私はこの本を2冊持っています。1冊は8月に紹介した『科学と仮説』とともに学生時代に京都の駸々堂で購入した本で,1978年第9刷発行となっています。もう1冊は,うちの近くのスーパーでたまたま古本市があって,そこを覗いているときに見つけたやつで,1970年第3刷発行です。今回は,あとで買った方を読みました。
 で,いつもどおり赤鉛筆片手に読んで行きました。
 2冊の本で,その赤ペンを引いた部分を比べるとなかなかおもしろいです。
 学生時代に読んだ方は,それこそたくさんのアンダーラインがありますが,もちろん引いていない部分もあります。当時のアンダーラインの部分を読むと,そのときどう言う部分に注目していたのかが分かって,昔の自分の新しい発見をした気分になります。
 「予想論」「誤謬論」など,私がとても影響を受けた文章がたくさん入っているこの本は,これからも大切にしていきたいし,何度も戻って読みたいです。
 我々が誤謬におちいるのは,それが一面もっともらしさをもっていることによってのみなのである。

●喜納昌吉著『沖縄の自己決定権』(未来社,2010,227p,1470円)
 この夏,沖縄に行ってきました。
 1日目の那覇での夜は喜納昌吉のライブハウス「もーあしびーチャクラ」へ行って,昌吉のライブを聴いてきました。いやー彼は健在でした。今年の参議院選には破れたものの,彼の音楽は本物です。心に響きます。おもわず一緒に歌って,踊って…。ツーショットの写真も撮らしてもらいました(ここんところはブログに書きました)。
 そこで手に入れた本です。サインもしてもらいました。ミーハーです。
 本書は,参議院選前に出版されています。内容は,インタービューをもとにしたもので,自分の生い立ちから「なぜ選挙にまで関わるようになったのか」というような話まで多岐にわたっています。
 民主党政権になっても,なにも変わらない沖縄の基地問題。「すべての武器を楽器に」「少女の涙に虹がかかるまで」など,分かりやすい言葉で平和の世界の到来を願う昌吉の生き方…マネはできないけど,こんなミュージシャンがいて,そのミュージシャンとともに歩んできた自分というものを見つめ直すことができました。

●テオ・グレイ著『Mad Science』(オライリージャパン,2010,239p,2940円)
 全編カラーの『実験本』です。著者のテオ・グレイさんは,あの「世界一美しい周期表」を作った人です(ご存じない方は画像検索してみて下さい)。あの周期表を日本で広げたのが高橋信夫さん。この本の訳者です。
 「炎と煙と轟音の科学実験54」という副題の通り,過激な実験がきれいな写真とともにたくさん取り上げられています。
 「白りんの太陽」なんて思わず拝みたくなるし,「ニッケルの木」を見ると昔の50円玉を鉢植えに植えたくなります。
 彼のサイトは http://www.graysci.com/ です。一度ご覧あれ。

●東昭著『ハチは宇宙船の中でどう飛んだか』(日経サイエンス社,1993,210p,1600円)
 なんでこの本が私の本棚に載っていたのかは分からないのです。私はその時の新聞や雑誌などの解説を読んですぐにネットで注文するクセがあるのですが,これもその1冊なのかも知れないです。でも,他の本を読んでいる間に興味がうつったりするともう読みません。
 今回は,上の本のサイエンス続きで手に取ってみたわけです。
 内容的にはちょっと難しい話があって,全部を理解するわけにはいきませんでした。流体力学などは元物理学科出身とは言え,もう過去なわけで…。
 それでも,「翼面積」の話や「翼幅」「翼面荷重」など,その物差しを利用するといろんな生き物だけでなく実際の飛行機などの飛行体までにも応用できて,おもしろく読むことができました。植物のタネの話も出てきます。
 琵琶湖でやっていた「鳥人間コンテスト」の話もあって,これまた興味深く読みました。
 動画があればもっとわかりやすんだろうなと思いながら読みました。

8月号

●『仏像がもっとわかる本』(双葉社,2010,145p,1680円)
 末娘が京都の大学に進学した関係で,この春から,ちょいちょい京都方面に行くことが多くなった。そこで必然,お寺さんなどに寄ることが多くなる。
 ところが,今までにも何度か行ったことのある場所も多いが,そういう場所でも歳をとってから行くのと,学生時代の気分とはちょっとちがっている。
 で,お寺さんが中心になるのだが…。
 この夏,ちょっと足を伸ばして,奈良の法隆寺と唐招提寺,それに平城宮跡を見てきた。法隆寺は初めてだったので,その仏像の美しさにうっとりしてしまった。唐招提寺は平成の大修理を終えたばかりで,これまた素晴らしい仏像が鎮座していた。
 ま,そんなわけで,仏像に関してちょっと調べてみたくなってきたというわけである。
 本書は,ビジュアルな本なので読みやすい。仏像を,如来・菩薩・明王・天・羅漢というグループに分けて,それぞれ特徴などを説明してある。

●『奈良の美仏と出会う』(宝島社,2010,95p,1260円)
 これもまたビジュアルな本である。奈良の仏像に絞っている。パラパラめくると,まだ本物を見たことのない仏像もたくさんある。
 本書もまた,如来の章,菩薩の章…と,仏像を分類別に分けて紹介しており,知らないうちのそのカテゴリーの特徴が分かるようになっている。
 本物を見るまえに読んで行くも良し,持って行くもよし,復習するもよし…。
 BSで「仏像大好。」という番組をやっていたのがDVDになって登場したらしい。
 番組の再放送がなければ…買ってしまいそうだ。

●仮説実験授業50年史編纂室編『板倉聖宣1960年代書簡集』(ガリ本図書館,2010,415p,ガリ本)→「ガリ本」という世界
 すごい本が出ました。
 仮説実験授業が誕生したころの情報が満載されています。
 仮説実験授業が広まっていくときに,板倉先生がとても心配されていたことは
「あなたがいいと思ったらやりなさい」
「上からは押しつけないで下さい」
「変な研究としてやらないでください」
「ちゃんと授業運営にしたがって下さい」
というようなことだったのがよく分かります。
 今まで,有名作家の全集本などに「書簡集・日記集」なんてものがあっても「そんなん読んで何になるんだろう」「研究者だけのものかな」と思っていたのですが,本書を読んでみて,「書簡集というのは,その時のことをリアルに知ることの出来る大切なモノだ」ということがよく分かりました。
 1964年~1969年に渡る300通以上の手紙が収められています。
 仮説実験授業の基本的な考え方,研究会として目指すモノの原点が詰まっているガリ本です。
 仮説実験授業研究会員の方はぜひ目を通して下さい。
・仮説実験授業では「まとめ」をしないことが建前なのではなく,前の討論・実験では確認できないようなことを「まとめ」と称しておしつけない,というのがその精神なのです。(1967年2月)

●板倉聖宣著『科学と仮説』(季節社,1971,421p,2000円)
 私が学生時代に仮説実験授業を知った本の1冊です。
 これを読んで,それまで漠然と「教師にでもなるか」と思っていた自分の中に,「教師になって仮説実験授業をしたい」という思いが強くなったことを感じたのでした。
 今回,全国大会を能登で開くことができ,それで私の中でも一つの節目の意味で,もう一度,本書に目を通しました。
 最近の教育界の状勢を見るにつけ,「何にも変わっていないなあ」とガッカリするのです。
・私は生徒に科学の知識を与える必要があるというよりもさきに,生徒に納得のいかないことは教えてはならない,という原理的前提の方がまず置かれなくてはならないように思われるのです。(62p)
・理科の内容でどうしてもこれだけは知っておかなければならない,というような知識などはないので,ただ何が出てきても勉強をすれば自分にもわかるというそういう自信を与えるために,さまざまな分野にわたって系統的で実証的な納得のいく理科の教育が必要なのではないでしょうか。(63p)
 「基礎学力調査」ということで,毎年学力テストが実施され,到達度が何%だったとかやっていますが,あの調査に出ている「問題」は本当に理科の「基礎知識」なのでしょうか? 教科書に出ていることを覚えているかどうか…という問題もたくさんあるような気がします。
 子どもたちが学んで良かったと思うこと,もっと勉強してみたいと思うことをじっくりと教えて上げたいものです。
 今回,再読してみて,「評価論」についてはほとんど覚えていないことに気付かされました。
 「教育目標と教育方法」という論文は,『書簡集』のコラムにも引用されていますが,なかなか分かりやすい評価論となっています。

●中西準子著『食のリスク学』(日本評論社,2010,250p,2100円)
 新聞の書評を読んで手に入れた本です。たぶん。
 本書については,目からウロコのような部分がありました。特に,環境問題や食問題を取り上げて授業している教師には,こういう議論をシッカリ知った上で授業を組んでほしいと思います。そこで教研の「環境問題と教育」分科会で本書を紹介する文章を書きましたので,興味のある方は,そちらをご覧下さい。ここです(PDFファイル)。

●小林眞理子著『煮干しの解剖教室』(仮説社,2010,35p,1575円)
 遂に出ました。『煮干しの解剖教室』
 にぼしの解剖自身は,ずっと前から「たのしい授業学派」周辺ではやられていました。うちのサークルでも随分前にやってみましたし,昨年5月に小林さんに来ていただいて実際に煮干しの解剖を体験する会を持ちました。
 だから,こうして本になるってのは,自分のことのように嬉しいです。
 本書は能登大会で購入しました。もちろん小林さんにサインを書いてもらいました。
「すばらしい能登大会に感謝!! これからもよろしくです。」
と書いていただきました。満足!!

7月号

 今年の5月号に書いたように,講座を引き受けたことをきっかけとして,私の中に再び「韓国ブーム」が起きています。それで次のような本も手に入れて読んでみました。

●『韓国ドラマで学ぶ朝鮮王朝の歴史』(キネマ旬報社,111p,2009,1470円)
 チャングムから韓国歴史ドラマが好きになった私は,ここ1ケ月ほど,同僚から別の韓国歴史ドラマを借りて見ていました。それは,チャングム役をしたイ・ヨンエが主演している『宮廷女官キム尚官』です。
 このキム尚官は実在の人物だったらしいです。幼名をケトンといいますが,彼女は光海君(クァンヘグン)を王にするために奔走した女性で,ドラマでは悪役っぽく描かれています。
 光海君は李氏朝鮮の第15代の王です。在位は1608年~1623年。
 そうこうしている間に,NHKで『イ・サン』という番組をやっていることを発見。これまた,おもしろそうなドラマです。この監督がチャングムを作ったイ・ビョンフンです。しかも登場人物を見るとチャングムに出てきた顔がたくさん。これはおもしろそうです。そんなわけで,見るようになりました。
 『イ・サン』が取り上げる時代は,第22代国王・正祖(チョンジョ)の幼少から王になってからの時代。第21代の王である祖父の英祖(ヨンジョ)の時代から始まる。英祖の後妻である貞純王妃(チョンスンワンピ)がくせ者で,本当におもしろいです。本書によると,彼女は,わずか14歳で51歳年上の英祖に嫁いだそうである。何と無謀な…。この人もチャングムに出てきたよ~。
 ちなみに私の好きなチャングムは,第11代国王・中宗(チュンジョン)の時代。在位は1506年~1544年。なんと38年間もの間,王の座にあったらしい。
 うーん,これは便利な本だ。

●柳家花緑著『落語家はなぜ噺を忘れないのか』(角川SSC新書,2008,191p,840円)
 本屋で見て,もしかして記憶力を高める方法が書いてあるかも…と思って読んでみたけど,そんなんじゃなかった。
 ただ,記憶というのはいろいろな関係性の中でしっかりとしてくるという話は本当だろうと思う。
 落語に興味のない人は読んでも仕方のない本です。

●伊藤信夫著『成り立ちで知る漢字のおもしろ世界・人体編』(スリーエネットワーク,170p,2007,1365円)
 白川漢字学を使って読みものにした本です。
 あんなに大きな字典『字統』『字通』はちょっと持っていられないけれども,子どもたちにちょっとした漢字の成り立ちについて教えて上げたい…と言う方には持っていていい本でしょう。
 また『字通』などを持っていても,こうやってテーマ別にまとめて教えてもらうと,頭に入りやすいのも事実。
 このシリーズは他にも何冊か出ています。興味のある分野から手に入れて読んでみてください。私は枕元において置いて,寝る前に読んでいました。

●羽仁説子著『私の受けた家庭教育』(婦人之友社,1963,216p,400円)
 古本屋で手に入れました。なにげなく廻っていて…です。だから本当に偶然に手に入れた本というわけです。会議と会議の間に時間が空いたときなどにふらっと金沢の古本屋に立ち寄ることがあって,そんなときに手に入れたりします。
 羽仁説子さんというのは,羽仁五郞さんの奥さんです。教育評論家として名前を聞いたことがあったので,その生い立ちはどんなんだったんだろうととても興味があったのです。
 説子さんのお母さんは,もと子さん。羽仁もと子は,日本で最初の女性新聞記者であり,「婦人之友」の前身である「家庭之友」という雑誌の創刊にも関わっている人です。
 説子さんの家庭は,こんな進歩的な女性が母親なのでとても民主的でほったらかし的です。今でもこんな家庭はなかなか見られないのではないかと思うほどです。
 説子・五郞夫婦の息子に,羽仁進がいます。
 これは血筋ではなく,家庭環境だと思います。家庭環境が子どもを育てるのだなあとつくづく思いました。

●斉藤裕子・萌木著『今日もどこかで・2』(ガリ本図書館,2010,207p,ガリ本)
 本書は,仮説実験授業研究会内部でしか手に入らないガリ本です。
 1と同様に,裕子さんのクラスとその授業を萌木さんが1年間観察したことが書かれています。
 7月に,萌木さん以外の研究者(CoREF)の方々も授業参観に参加しています。その新しい目で見た感想も載せられています。
▼話ながら「何だっけ?」となってしまうこともある。そかしそれでも発言するのは,しっかりとした考えにいたっていない「理解過程」にあったとしても,「言葉にしてOK」という雰囲気ができているのだろう。(62p)
 確かに私が授業をしていても,説明の途中で「あれっ」といって坐ってしまう子や,いつの間にか人の意見に荷担してしまっている子などが出てきます。それは,「言葉にしてOK」という雰囲気のある授業を展開できている証拠といえるのでしょうね。
 萌木さんの研究者としての姿勢の次の言葉に大きくうなづいた私でした。
▼教育という人間の関わり合いを研究するんだから,人と人との気持ちよい関わりを基礎にしたい。そう思うのです。(120p)
 そうなっていない教育研究が多すぎないか…それはすでに研究の名に値しないのでしょうね。

6月号

●久富善之・佐藤博著『新採教師はなぜ追いつめられたのか』(高文研,2010,185p,1470円)
 以前の『教育』で特集していた記事の一部を収め,さらにその後の展開をまとめてあります。
 新採教師を自殺に追いこんだものは何なのか。その死について,公務災害と認められないのは何故なのか。それを認めない行政の中にこそ,死に追いつめる一つの力が働いているのではないか…そんなことを思います。
 現場は,私が教師になったときと比べても本当に忙しくなっています。それも教材研究などへの忙しさではなく,子どもの笑顔につながらない部分での忙しさなので,自分自身の心の有り様をしっかりもっていないと,平気で鬱になったりしそうです。
 ここに手記を寄せた人たちは現場教師のきわめて一般的な姿であることを考えると人ごとではありません。
 行政側は,「多忙化解消に努めたい」などと言ってくれていますが,その具体策がまったくでないまま,病休で休む人が増えています。はやくどうにかしてくれーといいたいですね。

●遠山啓著『水源をめざして』(太郎次郎社,1977,254p,1200円)
 数教協を立ち上げた遠山先生の「自伝的エッセー集」です。本書が出版された頃は,私はまだ務めていません。
 私の本棚には『遠山啓著作集』がどどどーんと置いてあります。すべてを読んだわけではありませんが,遠山さんの考え方にとても影響を受けて教師をしてきたことは確かです。
 今回,退職された先生から,たくさんの本を頂いたのですが,その1冊がこの本でした。色んなところに書かれたエッセーを集めたものですが,遠山さんの教育への熱い思いが伝わってきました。
 本書の中に「宣長の机」という話があります。「鈴の屋」をたずねたところ本居宣長の机があって,その机というのが「引き出しも何もないみすぼらしい机」であったことに感動したという話です。「学問は机ではないな」と思ったそうです。
 これを読んで,私は自分の子どもの頃を思い出しました。そのころ,家には木の座机しかありませんでした。友だちの家へ行くといわゆる学習机がありました。たぶん,私が何か言ったのでしょう。ある日,学校から帰ると,私の部屋の座机のしたに木枠が組まれ,椅子もあって,友だちの「学習机」のような雰囲気が出ていました。父におれいを言ったおぼえもないのですが,私はいつもこの机で勉強をしていたことを覚えています。
 私は今でも学問をしているというほどでもありませんが,今使っている机は,その手作りの机の次に購入したものです。

●コメニウス著『大教授学(上・下)』(明治図書,1971,計526p,各600円)
 珍しい本を読みました。教職課程をとると必ず勉強させられる教育史や教育原理。その中でこれまた必ず出てくるのがこの「コメニウス」とその著書『大教授学』です。
 今更この本を読もうと思ったのは,先に紹介した遠山さんが同著で「おもしろいよ」と紹介していたからです。
 この本は「世界教育学選集」シリーズの1冊(2冊だけど)です。実はこのシリーズのことは学生時代から知っていました。その頃,ルソーの理想的な教育に興味があったのでこのシリーズの『エミール』を買って読んでいます。今でも本棚にあります。私は理科系の学生だったのに,不思議です。
 教育にとって大切なことがいろいろな比喩を使って分かりやすく書かれています。楽しんで読みました。現代から見ると「当たり前」のことが書いてあったりして,当時はこんなことも言わないと分からなかったのか…とビックリします。公教育の必要性を訴えているのですから無理もありません。
 例えば…
28 それはまた,青少年に善をうまく注ぎ込むことのできる教師がほとんどいない,ということでもあります。かりにそのような教師が出てきましても,これは誰か有力者に連れて行かれてその一家だけの教育を命じられるにすぎません。折角の能力も広く世の中のものにならないのです。
 用語索引はとても便利で,調べものをするときにはいいのですが,訳注がすべて「下巻」にあるのはちょっと困りました。だって,いつも両方持っていないと注釈が読めないんですからね。どうしてこんなふうな編集をしたんだろうなあ。
 キリスト教のにおいがぷんぷんしますけれども,それをのぞけばちょっとは原典(原点)にかえれる本書は,本を読む時間のある夏にピッタリです。

●武光誠著『知っておきたい日本の神様』(角川ソフィア文庫,2005,218p,500円)
 文字通り,日本にある主な神社のご神体の説明書です。全国各地にある神社名もあれば,個人を祀るという不思議な神社の紹介もあります。
 観光地へ行くと,お寺や神社をまわることがよくあります。一応説明用の看板になにやらいわれが書かれていますが,その内容を理解するのはなかなか困難です。こうして1冊の本を読んでおけば,少しは予備知識になるかなと思います。が,残念ながら,中身はほとんど覚えていない…。
 能登町宇出津のあばれ祭りの時に,ご神体の「あばれ御輿」が宮入する神社が「八坂神社」というんです。
 そんで,八坂神社に関する神は素戔嗚尊。あの八岐大蛇を退治した乱暴者です。それが祇園信仰と合体して今の八坂神社があるらしい。祇園信仰とは「牛頭(ごず)天王」に対する信仰で,疫病をしずめることで有名らしい。どうりで,あばれ祭りの話とつながるわけだ。京都の八坂神社が本家本元らしい。本著によると日本には約2900社もの八坂神社があるらしい。すごいなあ。
 付録として「あばれ祭りのいわれ」を書き写しておきます。

 約330年前に悪病が流行したので京都の祇園社から牛頭天王の分霊を移して鎮祭し盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救ったことで,地元の人がキリコをかついで八坂神社へもうでたのが,あばれ祭の始まりとされています。祇園系のあばれ祭りに能登のキリコと火祭りが融合して発展したそうです。

(http://kimassi.net/notomaturi/abare.html)

●板倉聖宣著『数量的な見方・考え方』(仮説社,2010,208p,1785円)
 板倉さんが自分の本の中でこれは読んでほしいと薦める本が出ました。
 子どものころからいろいろな教科が嫌いだったという板倉さんが,唯一,楽しく勉強していたのが「算数・数学」でした。しかし,それは学校の算数・数学の勉強が好きだったというよりも,「数学的な考え方」が好きだったからだといえるでしょう。その板倉さんの数学的な考え方を十分に伝えてくれるのが,この本です。
 これは一般の数学書とはちがいます。「数学に苦手な人にこそ読んでもらいたい」「おれは文系だから数学に関係ないと思ってきた人にこそ読んでもらいたい」と板倉さんは言っています。
▼普通の数学では,与えられた数は<正しい数>であることを前提に計算などします。ところが,「現実の社会の数量というのは,天から降ってくるわけではなく,人間が測定して求めるものですから,必ず<誤差がつきもの>と考えなければならない」ということを充分に教えておかないと,<概数=だいたいの数>でもって実際の問題を解くことができなくなるのです。(20p)
▼なぜ<おおよその数>が大事なのかというと,それは「再現性の問題」と関係があります。たいていの法則は大なり小なり誤差があります。しかし,問題意識があり実践的関心があれば,かなりの誤差があっても「すばらしい法則だ」と感動できます。(21p)

●板倉聖宣『新総合読本5 身近な発明の話』(仮説社,2010,143p,1470円)
 新総合読本の5冊目です。いずれの文章も『たのしい授業』誌上に掲載済みです。それでも10年も前の文章もあり,なつかしく読みました。
 潜水ベルなんておもしろいことを真剣に考えた人がいたなんてたのしいです。

●姜在彦著『歴史物語 朝鮮半島』(朝日新聞出版,2006,277p,1365円)
 朝鮮半島の歴史を概観したくて読んでみました。
 前提となる知識がほとんどなくて,ちょっとたいへんかなと思いましたが,わりとすんなり読めました。
 朝鮮半島には,いわゆる李氏朝鮮になるまでにもいろいろな王朝があって,そのときそのときで日本との関わりもありました。理科系の私はそのあたりの日本史の知識でさえほとんどないので,もう少し日本のことも知っていれば,それと比べて読めるのでよかったかも。
 ただ,これを読みながら,オレの興味のある歴史は「李氏朝鮮」の部分なんだ…ということが分かりました。

5月号→「ハングル」を学ぶ」へ

4月号

●ハックスリー著『すばらしい新世界』(講談社文庫,1974,315p,619円)
 文庫本であるのに,2008年までで27刷にもなっています。SFのベストセラーの1冊です。
 「条件反射的教育で管理される階級社会」に生きる人間の姿。機械文明が行き着いた素晴らしい世界とはなんと残酷なのでしょう。
 少々都合が悪くても,偶然,不幸な目にあっても,それこそ楽しい人生の一部だと思って生活した方がどれだけ刺激的で,幸せなことかと思います。
 「諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説」とカバーのうらに書かれています。
 自分たちの身の安全を追求するあまり,監視カメラだらけで,消毒液だかけのこの現代は,もしかすると限りなくハックスリーの「すばらしい世界」に近づいているのかも知れません。

●坂本幸四郎著『井上劍花坊・鶴彬』(リブロポート,1990,310p,1545円)
 ネットで鶴彬に関する本を探していてぶち当たった本です。
 このリブロポートの本は「シリーズ民間日本学者」の一環として出版された本です。以前,『一戸直蔵』という本の紹介をしたときに,一度,このシリーズについてもお話ししたかと思います。
 でもそのときは,板倉さんが書くはずだった『藤森良三』が出版される前にこのシリーズ物が終わってしまったという話をしただけでした。で,井上劍花坊のこともあまりよく知らなかったので,その人の下に書かれている鶴彬にも目がいきませんでした。
 昨年,鶴彬に関する映画が上映されました。その映画の中には,この井上劍花坊や妻の井上信子が大変重要な人物として描かれています。
 自分と主義主張が違っても,大きな懐に包んでくれた井上劍花坊。そんな姿勢は鶴彬も同様だったようです。
 鶴彬の川柳仲間たちも,鶴にとって論敵であっても,とても大切な人であり,お互いに影響し合うし,深い交流もあったようです。
 マルクス主義に染まっていった鶴彬ですが,常に,庶民の感覚を失わずに,国家に対決していった姿は,本当に感動的です。

●二澤雅喜他著『新装版 洗脳体験』(宝島文庫,2009,285p,480円)
 2月に紹介した本と同じ時に手に入れました。
 著者の二澤さんは,なんと自らが「自己開発セミナー」に参加して,このルポを書き上げました。その参加の仕方は,潜入だとかいうものではなくて,将に本気で参加しているのです。
 感情の高ぶり方も,ふつうの参加者と同じような感じです。大げさに抱き合ってしまったり,大声で泣いてしまったりする自分にビックリするくらいです。
 本書を出版してからと言うもの,いくつもの問い合わせがあったといいますが,そのなかにはたくさんの「私も参加したいのですがどうすればいいですか」という問い合わせがあったそうです。それくらい,このルポは断固,「自己開発セミナーを糾弾する!!」という立場で書かれているのではないということです。
 でも,わたしはやはり怖かったです。自分の生き方を見つめ直したいという素朴な思いにつけ込んで,ここまでやるのはどうかと思います。
 最近,学校現場ではやりの「エンカウンター」もちょっとにたところがあるのではと思っていたのですが,同じようなことを本書でも書かれていたのでわが意を得たりとうれしくなりました。
 だいたい初めての人と話しましょうなんて,ふつうはバカらしくてやっていられません。それが「今まで,あなたが積極的に生きてこなかったのです!」なんてやられたんじゃたまりませんね。
 これまた最近「自分探し」なんて言葉が流行っていて,なんとなく気持ち悪い気もします。
 「自己開発セミナー」すれすれのことをやっている教師もいるのでは…と思います。
 もっとふつうに教育をしていきたいし,自分を追い詰めないで生きていきたいです。
「あなたは,今までずるい生き方をしてきたのではありませんか」
といわれても,
「仕方ないジャン,人間ってそんなもんでしょ」
なんて言っていたいですなあ。
 なかなか面白い本でした。
 統一協会,幸福の科学,オウム真理教などをうさんくさいと思っている人,いない人,どうぞ読んでみてください。

3月号

●名取弘文著『ナトセンの脱学校 びっくり授業』(国土社,1995,190p,1800円)
 この2月。ひょんなことからナトセン本人にお会いする機会がありました。
 ナトセンの本は本棚に数冊並んでいます。
 そこで,お会いする前に,もう一度読んでみました。
 教科書の枠にはまらないどころか,教科の枠にさえもはまらないナトセンの授業は,子どもたちにとってもとても魅力的です。
 「教師という権威」がないと生徒指導なんてできないと思っている人たちに読んで欲しいなと思います。
 お会いした晩,本書を持って行き,サインをしてもらいました。ちょっとミーハー気分です。
 「○○様 風のようにさわやかに。2010 2 24」
と書いて下さいました。

●名取弘文編『おもしろ学校チャンネル』(有斐閣,1987,230p,1300円)
 値段は当時のものです。先の本もそうです。あしからず。
 本書はナトセンと各分野の個性的なメンバーとの対談集です。
 対談相手に誰が出てくるのかというと…。
・桂枝雀→私のいちばん好きな落語家です
・干刈あがた→知らなかった人
・貝原浩→なんともすごい絵を描く人。
・斉藤たま→知らなかった人
・高田勝→本を読んで初めて知った人。なかなかおもしろそう。
・朝倉喬司→犯罪研究家だったらしい。ミュージックマガジンで何度か目にしたような…。
 「犯罪人が増えるのは国家が何かをしようという時でしてね」…って不気味なことを言っていた。
・本橋成一→写真家ですが,一冊も持っていません。
・池田浩士→本書ではじめて出会った人。アンダーラインを一番引いていました。
・石川さゆり→ご存じ,歌手です。今じゃ,大御所に近くなってきた。
 以上,実に多彩・多芸な方々とのおしゃべりは,教育界への辛口有り,生き方のヒント有りでおもしろかったです。これこそ「生き方を学べる学校」ですね。こんな魅力的な教師ばかりなり,いろいろな子が救われるのに…と思いました。

●名取弘文著『子ども百面相』(バロル舎,1996,231p,1442円)
 ナトセンが朝日新聞などに書いたコラムを編集し再録したものです。見開き2ページで一つのお話になっています。
 子どもたちが見せる「日常の何気ない景色」を切り取って,ナトセン流に解釈し私たちに見せてくれます。するとどの子も輝き出すのです。このセンス,教師っぽい教師になると見えなくなるのかも知れません。
 99のお話のあとで,100番目が両ページとも白くなっています。これは印刷ミスではありません。100番目には
「新たに出会う子どもたちに」
と書かれているのです。
 粋だねえ。
 本書は,お会いした晩に1冊プレゼントということでいただきました。
「花のようにきれいに生きようね」
と書かれています。
 花のように生きている人って,あんまりいないよなあ。

●小谷野敦共著『禁煙ファシズムと戦う』(ベスト新書,2005,303p,850円)
 最近の禁煙権を主張する風潮は,ちょっといきすぎではないかと思っていたところ,面白い本に出会いました。ブック・オフに行ったときにはいつも105円のコーナーしか見ません。おもしろそうならすぐに買ってもたかが105円だからです。
 で,手に入れたこの本。
 私の問題意識にぴったりの本でした。
 時間を決めて禁煙。禁煙車があります。
くらいなら,私もまあそんなもんだろう,と思っていましたが,ここのところ,様子が違ってきました。
  全席禁煙の飛行機は勿論,電車のホームも全日禁煙。学校の校舎の中も禁煙。挙げ句の果てには校地内も禁煙などと言い始めています。冗談に,直径30センチだけ土地を買ってそこに立って吸えばいいなんて話まで出る始末。これって絶対に行き過ぎです。
 副流煙なるものが,とても健康に悪い。これを吸えばみんなガンになる…とも言わんばかりの話にうんざりしていたところです。そんな話,どこまで科学的なんだろうって思ってもいました。
 だいたい政策としてどんどん突き進んでいくこのやり方が,正常なはずがありません。
 私は煙草を吸わないけれども,この本の題名通りファシズムってこんな風に民間の中に入り込み,こんな風に広がって少数派を差別していくのかも知れない…と思います。
 もし副流煙に,少しながら科学的な根拠があるとしても,それは車の排気ガスとどれくらい危険度が違うのか? そんなこともあまり明らかにされていません。
 他人に害を与えるという理由のもとに,喫煙者を「汚い」ものと認定し,差別しようとしているのである。これは,かつての肺結核患者やハンセン病患者が受けた差別と,ほぼ同質のものだ。
 二言目には「喫煙者のマナーが悪い,国や自治体が規制してほしい」と言い出し,分煙さえ認めず,全面禁止を主張する禁煙運動家は,再び全体主義を招来する,恐るべき国家依存症にかかっているのだ。(カバーより)
 著者の言うとおりです。
 「防犯カメラ」という名の「監視カメラ」の存在。あれは国家に自分たちの生活を守ってもらおうということで始まったのでしょうが,実は,吾々の権利さえも奪われているのです。でも,それに気づいてももう遅いのでしょう。私たちは,既にたくさんの監視カメラにのぞかれながら生活しているのです。もうプライバシーなど,ほとんどなくなっているのと同じことです。
 自動車事故による死亡者の方が,副流煙による死亡者よりも多いはずです。比べものにならないくらい…。それなのに「自動車の運転をやめろ」といわないのは何故なのでしょう。
 こんな簡単なことがわからないで,喫煙者を責めるのはやめましょう。単なる「私は煙草の煙が嫌い」という問題を政策にまで反映させてはいけないのです。好き嫌いは誰にでもありますから。
 健康増進法という気持ちの悪い法律も,禁煙運動に拍車をかけているようです。食育基本法といい,私たちの生活にまで干渉する法律はろくなことがありません。
 私たちには病気になる権利もあるのです。
 この本,ぜひ読んでみてください。お薦めです。

●河野博子著『アメリカの原理主義』(集英社新書,2006,222p,680円)
 イスラム原理主義を攻撃し,排斥し,抹殺しようとまでしているアメリカのブッシュ。もう時代はオバマになっていますが,そのブッシュの時代に書かれた本です。
 特派員としてアメリカ生活が長い著者が,右傾化するアメリカ社会を見て,現代のアメリカにはアメリカ原理主義とも呼ぶべき「建国の精神」が底流にあることに気づき,指摘しています。
 世界の警察を自認するアメリカ合衆国ですが,もし著者のいうとおり原理主義的な発想が政策に生きてくるならば,それは原理主義同士の闘いとなり,いつまでも血が流されることになります。
▼クラーク氏は,米国史を通じてみられる「アメリカ例外論」という考え方が一般の米国人の心理に色濃く影を落としている,と指摘した。例外論とは,「アメリカは特別な国で,神の使命を帯びてその力を使い,世界中のほかの地域,幸少ない人々に,アメリカシステムによる繁栄と便益をもたらす責任がある」(クラーク氏)という考え方だ。(174p)
 この考え方は,戦前の日本の石原完爾などが唱えた「八紘一宇」と軌を一にします。
 闘いは常に善意から…ですね。

2月号

●とり・みき著『オジギビト』(筑摩書房,2007,171p,1470円)
 いやー,バカらしい本でした。これだけバカらしいことにこだわると立派な学問になることが分かりました。道路で時々みかける「工事中の看板」。そこに印刷されている「お辞儀しているおじさん達」を集めて分類し,それにコメントをつけた本です。
 しかし,この本を読んでからというもの,今まで以上に,こういう関係の看板に目がいくようになりました。車で走っていても、停まって写真を撮ろうかという気にもなりますから、本の威力は偉大です。どうしよう…。
 本書のことは、『たのしい授業1月号』の特集記事で知りました。
 『オジギビト』を集めたHP「オジギビト集会所」もあります。

●江本勝著『水は語る』(成星出版,2000,173p,1680円)
 ま,世には不思議なものが流行るものです。
 この手の情報に対して私はまったく相手にしていなかったのに,なんとあの法則化の「道徳の授業」として教室で取り上げられるようになったんですからね。わたしゃビックリしましたよ。
 そんなわけでこんな本の著者に印税なんてこれっぽっちもあげたくないので立ち読みしかしませんでしたが,先日ブック・オフで105円だったので,じっくり読むために購入しました。あの有名な『水からの伝言』も安くならないかなあ。写真集としてはきれいですよ。否定しません。
 それにしても商売のために…なあ。「科学的に考える」ってことに対して,まだまだほど遠い日本人だよなあ。教師からしてこれにやられるんだから…。
 本書には「読者から手紙」がたくさん紹介されています。

○感動しました。とくに人の名前による違いは,水が世界中の出来事を記憶しているという推測ができ,たいへん驚きました。また半信半疑であった祈祷による水の浄化というものが,本当に起こるのだと納得させられました(女性,26歳,パート) 86p
○素晴らしい成果による本を見て読んで感激しました。そしてさまざなまことを深く考えさせられた本でもあります。[意識」が重要,というより「意識」が万物の根源なのでしょうか。(男性,17歳,高校生)93p

 もう,何も言えない。これがニッポンの現状。
 「オウム真理教」のようなものが流行るのにもちゃんと理由があるのです。日本の理科教育をはやくちゃんとした科学教育にしないと,こういうのがずっと続いていくんだろうなあ。でも○○制(検閲に引っかかるため自主規制)が存在しているうちは仕方ないのかなあ。どうも「神国ニッポン」のこと,みんな好きだもんなあ。
 そんなことまで考えさせてくれた本です。
 もちろん,買う必要はありません。

●立花隆著『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫,1999,375p,520円)
 1995年,文藝春秋社から単行本として発行されたものの文庫本です。
 立花隆は,田中角栄から脳死まで幅広くルポルタージュを書いている作家で,昔から結構注目している人です。ただ,あの分厚い本たちを読んだことはありません。読み終える自信がないし…あれを本棚に置いておくといつまでも私を脅迫しそうな気がするのだ(^^ゞ
 さて,本書は,立花隆の書斎の紹介や知的好奇心の話などおもしろい内容です。
 半分くらいが「私の読書日記」ということで,手当たり次第にいろんな本が出てきます。私も本が好きなので,おもしろく読ませてもらいました。
 あるテーマに興味を持って独学しようとしたときの心構えの話…
▼本はいちどきに購入してしまったほうがよい。独学で一番難しいのは,志を持続させることだが,そのためには,前もって相当のお金を使ってしまった方がよい。たいていの人はケチだから,先にお金をかけてしまうと,元手をかけた分ぐらいは取り返そうと勉強するものだ。(67p)
なんて,私の本の買い方と似ているなあ…なんて思います。

●スティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版,1993,410p,1500円)
 立花さんの著書に影響されて何冊か本を購入しました。そのうちの1冊。
 マインド・コントロールには昔から興味があって「なんでみんなすぐにだまされるのかなあ」って思ってきました,その答えがこの本には詰まっています。
 著者のハッサンは,学生だったときに統一教会に入会してけっこうすごい幹部にまでなります。文鮮明とも何度も直接会っているくらいです。彼は,運良く?交通事故に遭い,しばらく入院せざるをえなくなったときに数人の元メンバーから脱洗脳を受けて,統一教会から脱会するのです。
 そんな自分のことを振り返りながら書いているのでとても説得力があります。
 「洗脳」と「マインド・コントロール」は普通同一視して使いますが「それは質的にまったく違う」とハッサンは言います。
▼洗脳とは,強制的なものの典型である。本人は,はじめは自分が敵の手の中にあることを知っている。洗脳はまず,だれが囚人で誰が看守人か,それぞれの役目をはっきり分けることから始まる。囚人側は,絶対最小限の選択の自由しか経験できない。通常,ひどい虐待がともなう。拷問さえ行われる。(108p)
▼マインド・コントロール-「思想改造」ともよばれるが-は,もっと巧妙で洗練されている。実際は加害者なのに,本人はその人たちを友だちまたは仲間と思っているので,洗脳の場合よりもずっと防衛的ではない。彼は知らず知らずに加害者たちに協力して自分から参加し,プライベートな情報まで提供してしまうのだが,その情報があとで自分に対して使われるのだとは気づかない。新しい信念の体系が身につき,新しい人格構造ができあがる。(109p)
 これでいうと,オウム真理教は「洗脳」ではなく「マインド・コントロール」ですね。「私たちは洗脳されたのではない」というオウム信者たちの話は本当なわけです。自ら選んで入信しているのですからね。
 本書には「マインド・コントロールからの救出方法」まで書かれており,肉親をカルトに奪われた人たちにとって,ワラにもすがる思いにつながる1冊になっているのでしょうか。
 訳は浅見定雄さん。浅見さんも統一教会と闘っている一人です(浅見さんは「統一協会」と書いています。)

●内村鑑三著『代表的日本人』(岩波文庫,1995,208p,590円)
 古本屋で100円。一度よんでみたいと思っていたので購入。明治の人が過去の日本人を海外にどのように紹介していたのか,そんな視点がとても新鮮でした。
 内村が「代表的な日本人」として本書で取り上げているのは,西郷隆盛,上杉鷹山,二宮尊徳,中江藤樹,日蓮聖人の5名です。
 なんだ,この人たちは昔から「有名人」な人たちなんですねえ。上杉鷹山なんてのは,ちょっとした日本史の授業をしたくらいでは知らないという人が多いと思いますが,なぜか本屋さんには関連本が並んでいます。それは,現代の著者が発見したというより内村鑑三のころからちゃんと注目されていた人だったんですね。じゃあ,なぜ中学校の教科書なんかに出てこないのか,余計に気になります。
 読んでしばらくたったのだけど,何を書いてあったのかほとんど覚えていない。
 この記憶力の悪さに,最近,自分でも「お前大丈夫か!」と思ってしまいます(^^ゞ

●宮瀬睦夫著『野口英世とその母』(野口英世記念館,1959,180p,400円)
 以前(10年以上前)に猪苗代湖湖畔にある「野口英世記念館」へ行った時に手に入れた本を紹介しましょう。
 本書は,野口英世の母・おしかに焦点を当ててまとめた物語(ノンフィクション)です。
 それだけで興味深いとは思いませんか? 
 人は,育ててくれた親や家族,地域の環境によってとても影響されるはずです。ましてや,母ともなると,その影響は大でしょう。英世の父は,飲んだくれでどうにもならない人だったようです。その一方,母は小さい頃からとても働き者で信心深い人でした。幼い頃からあまり恵まれずに貧乏しながら暮らしてきて,最後の最後に15年ぶりに帰国した英世と一緒に日本全国を旅したのが唯一の幸せでもありました。
 その母おしかが海外の英世に当てた手紙が残っています(ここに掲載しておきました)。
 その手紙はひらがなばかりで,しかも一度読んだだけではなんのことか分からないくらいの文章です。でも,その手紙を貰った英世は,さぞかし故郷の母を思い,涙したことでしょう。
 序文によると
「本書は昭和15年に執筆出版された宮瀬睦夫著『野口英世の母』をもとにして,宮瀬氏自から加筆補正せられたもので,現存される野口博士関係者からも内容に関して助言を戴き母堂に関しては最も充実したもの」
だそうです。
「子どもは親の背中を見て育つ」-そんなことを再確認した本でした。
 それにしても,医者になった英世が,新しい発見を焦るあまりに時々誤謬に陥ることがあったのは,皮肉です。
 しかし,
「この上は石に囓りついても成功してよろこんできます。」(122p)
「さらば日本よ! 再び相見ゆる時,勝利はわが手にあらん。」(126p)
と意志を固めて渡米した英世が功を求めすぎたのは仕方のないことかも知れません。
 小さい頃から,自分がいじめに遭いくやしい思いをしたことや,たいへんな思いをして自分を育ててくれた母への思いに報いたいという気持ちが強すぎたのも一因だったのではないでしょうか。
 このあたりの話題については,1月に紹介した安斉郁郎著『だます心 だまされる心』(89~94p)で読むことができます。
「志を得ざれば,再び此の地を踏まず」
これは英世が生家の柱に刻みつけた決意の言葉です。

●『まんが・野口英世(全2巻)』(野口英世記念館,1996年,各1000円)
 野口英世に関わってついでに漫画本も読んでみました。この本も以前野口英世記念館へいったときに購入したものです。学級文庫にも置いておいたので,だいぶ疲れた姿になっています。
 2冊のうち,『少年・野口英世』は村野守美によるシナリオ・漫画です。続編の『世界の医学者・野口英世』は菊池英一によるものです。
 貧乏な家庭に生まれた英世は,自らの努力とひたむきさで能力を伸ばし,その能力に惚れ込んだ先生や医者たちが,英世のためにお金を工面して,もっと上の勉強をさせようとしてくれます。しかし英世は,そのような「学問をするため」にいただいた金を一夜にして酒や遊びで使い切ってしまうこともたびたびでした。このあたりは,父親の遺伝だったのかも知れません(^^)。
 この漫画にも,そういう英世の姿が何度も出てきます。子ども向けの伝記には,そういう道徳的にマイナスの面は出てくるのでしょうかね。今度,図書室にある本でも読んでみようかなあ。

●斉藤環著『社会的ひきこもり』(PHP新書,1998,222p,690円)
 この本もたまたま寄った古本屋で見つけて購入。探していたわけではなくて,タイトルを見て(著者も見て)買ったんです。斉藤さんの本はこれが2冊目かな。精神科のお医者さんです。
 本書は「理論編」と「実践編」の2部構成になっています。
 私は単に自分の興味からこういう本を読んでいるだけですが,自分の家族や友人を「ひきこもり」から助け出すための方法を知るために読んでいる方も多いのだろうなあと想像します。
 学校時代の不登校から大人になって「ひきこもり」につながっている事例が多いことを指摘して,斉藤さんは次のような危惧を述べています。
▼「不登校」自体はすでに現実として,もはや誰もが身近に経験していることです。不登校児の中にも,大検などをどんどん受けて進路を選択できる子もいれば,そのままひきこもってしまう子もいます。つまり不登校児を賛美しすぎることは,ことなったかたちの差別化につながってしまうのではないでしょうか。私はそれをおそれます。見事に自立し,社会参加を果たした不登校児の「エリート」たちのかげには,焦りを感じつつも社会に踏み出すことのできない,膨大な数のもと不登校児たちがいるような気がします。(37p)
 これまでにも,進歩派の大人から「不登校は子どもが自ら選ぶ選択肢の一つ…」という意見が言われたこともあります。確かにそういえる子もいるかも知れませんが,彼らの人生がどのようにつながっていくのかを考えたときに,「本人任せ」にしていてはいけないこともたくさんあると思います。子どもにとっては,嫌なこともあるかも知れないけれども,学校で,友だちや大人との付き合い我慢したりケンカしたりしながら人間関係を学んでいくことが大切なんだと思います。そのためには,やはり不登校にならないことが大切でしょう。
 少々のことで挫けない子どもになって欲しいし,「明日も行きたいな」と思える学校にしていきたいものです。

●宮地祐司編『みんなでフランクリンになろう!』(楽知ん研究所,2008,91p,1050円)
 ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)を知っていますか?
 『「この冊子をフランクリンのことなんて,まったく知らない」という方にこそ,ぜひ,よんでいただけたらと思います。』と編集者の宮地さんは書いています。
 フランクリンは本当に魅力的な人です。私は板倉聖宣著『フランクリン』(仮説社)という本を読んで,その魅力を知りました。
 本書は,「みんなが使える図書館の発明」「300歳のフランクリンから何を学ぶか?」「<私益>と<公益>」の3つの主な論文で構成されています。途中にはさまれているコラムもなかなか読み応えがあります。
 「フランクリンから何を学ぶか?」で,宮地氏は以下の4つをあげています。
・フランクリンは創造的模倣者だった。
・フランクリンは仮説実験する人だった。
・フランクリンは「授業書」作成者だった。
・フランクリンは<他人の笑顔>をつくる達人だった。
 どうですか,どうしてそう言えるのか,フランクリンのやったことを知りたくなってきたでしょ。
 本書は「楽知ん研究所」のHPから手に入れることができます。

●宮地祐司著『<水はどっちから出る?>』(楽知ん研究所,2008,102p,1575円)
 沖縄の教訓茶わんからサイホンの原理まで,「自分で上にあがって勝手に出てくる水?」の姿について楽しく学ぶための「授業書」とその解説です。
 サイホンの原理というと「大気圧」がその原因として説明されてきたように思いますが,このプランはそうではありません。水の分子のつながりを鎖モデルで考え,それをサイホンの原理にあてはめています。
 授業書の内容をここに書くことは出来ないので,興味のある方はぜひ手に入れて読んでみてください。できれば何人かと実験しながら読み進めることをお薦めします。
 大気圧説への疑問については,金山廣吉著『理科実験の盲点研究』(東洋館出版社)ですでに述べられているそうです。

●(株)らくたび編『幕末・龍馬の京都案内』(コトコト,2009,127p,700円)
 う~ん,やはり龍馬には興味があります。
 今年の大河ドラマは「龍馬伝」。ふだんは見なくなったのだけれども,今年はいやが上にも,龍馬に関する興味が沸いてきてしまいます。
 そんで,娘が京都へ行くことになり,これから4年間は,よく京都に通うことになると思うので,京都での龍馬の動きもチェックしたい部分ではあります。
 私自身京都に住んでいたのですが,そのころは名跡をめぐるという趣味もあまりなく,遊びまくっていただけですからねえ。
 本書は,ポケット文庫本。龍馬ゆかりの京都の名跡が紹介されています。この本を片手に,これから少しずつ龍馬めぐりをしていきたいと思います。
 らくたび文庫シリーズには,42冊もの文庫が出版されています。これ全部京都の旅どすえ。

1月号

まず『たのしい授業2010年1月号』(仮説社)に紹介されていた130冊あまりの本の中から何冊か取り寄せて読んでみました。

●中野純著『図解「月夜」の楽しみかた』(講談社+α文庫,2008,268p,840円)
 本書は,お月さんをめいいっぱい楽しもうじゃないか,月夜をめいいっぱい楽しもうじゃないか…という趣旨で書かれた本です。
 夜,懐中電灯も持たずに月の光だけでムーンライトウォークを楽しもうという発想であちこちに出かけています。
 森の中から時々垣間見える月との出会いや滝壺に近づいて「月虹」を見ようと奮闘する姿などなかなかマネ出来ない,でもマネしてみたい話でいっぱいです。中には,露天温泉ですぐにでもマネできるものもありますよ。
 月を楽しむことを追求するあまり,最後には「見えない月を感じる」という章まで設けて「見えなくても月夜を楽しめるのです」と迫ってくるのですから月への執着心が分かろうというものです。
 しかし著者はもともとは「星空」に興味があったらしく,星の観察には月は大敵です。
▼しかし,真冬の湯河原の山で,月夜の本来の青さ,本来の明るさを思い知って,心を入れ替えた。月夜と闇夜がこれほどまでにギャップがあるものだとは思わなかった(本書264p)
といいます。文字通り「月夜の楽しみかた」をたくさん教えてくれる本でした。

●下村昇著『文字に強い子どもはことばに強くなる』(自由国民社,2003,205p,1365円)
 漢字の学びかたについての解説書です。
 下村さんの「口唱法」というやり方で漢字を覚えさせる方法がおもしろいです。この「口唱法」でまとめた字典(『唱えて覚える漢字の本』発行部数400万部)もあるそうなので,それを手に入れて指導に使うのがいいかと思います。
 漢字の指導については,一人一人の教師で色々ちがいがあるのではないかと思います。私がたどってきた新出漢字の指導法をちょっと紹介します。
<前期>
 漢字1文字に1ページが割り当てられている「漢字ノート」を元にして,徹底的に部首や短文を作らせる。授業で取り上げる時間は限られているので,短文づくりなどは当然宿題になる。その宿題の出し方も「○○日までに終えるように」というものであり,やらずに貯めた子たちは大変なことになる。この方法は,最初に小学校にいた4年間やった気がする。
<中期>
 以上のやり方は教師も子どもも負担が大きいと分かった。中学校に行っている間に『たのしい授業』などで国語の実践が多数紹介されるようになった。おそらくこの頃,市販の「漢字ドリル」や法則化の開発した「漢字うつし丸くん」を元にした指導をしたと思う。その後の練習が指導がしにくいこともあって「漢字うつし丸くん」からは1,2年で退却。
 部首については早くから子どもたちに知って欲しいし,「漢字の音読み」が漢字の各部品によることがあることも知って欲しいので,前期でやってきたものもどうにか取り入れられないか考えてきた。
<後期>
 最近は,主に市販の「漢字ドリル」を用いた指導をしている。2ヶ月くらいは私が新出漢字の紹介をしてドリルを埋めていくというふうにやるが,そのあとは,1文字1人割り当てて,子どもたちが前に出て指導をする方法をとっている。「漢字ドリル」を元にした「漢字マッキーノ」や「漢字の宿題」をしているのである。要するに,新出漢字の指導から練習,そして宿題まで一貫した指導をするようになったのだ。
 今後は,漢字を書くときに「下村口唱法」を全面的に取り入れてやってみたいと思います。そうすることで,漢字の「部分」への注目も高まり新しい漢字を見ても「これはこれとこれの組み合わせ」と感じることが出来るようになるのではないかと期待しているのですが。

●曽野綾子・田名部昭著『ギリシアの神々』(講談社文庫,1988,200p,400円)
 ギリシア神話に出てくるいろんな神様について,その神様が神話の中で何をやったことになっているのかということについて,それぞれ短い文章で紹介されています。
 一読しただけでは,その内容はまったく覚えていませんが,「神様のくせに人間より残酷じゃないか」「それはどう考えても道徳に反するだろう」ということをやっている神様ばかりで驚きました。
 そもそもこんなにわがまま勝手な神様ばかり出てくる神話って,何のために作られたのでしょうか? こんな神様ばかりだとあまり崇めたくないけど…。
 そういえば「イカロス」の話も出てきたけど,なんであの歌が小学校の教科書にあるのでしょうかね。

●鈴木光太郎著『オオカミ少女はいなかった』(新曜社,2008,255p,2730円)
 本書は,副題に「心理学の神話をめぐる冒険」とあるように,心理学上における迷信や誤信の例を挙げてそれが何故なかなかなくならないのかを「人間の心理」をもとにして考えています。
 「帯」の文章をを紹介しましょう。
否定されているのに事実として何度もよみがえり,テキストにさえ載る心理学の数々の迷信や誤信-それらがいかに生み出され,流布されていくのか。「人間の営み」としての心理学のドラマを読み解く!
 誤謬や迷信に興味がある私にとって,本書は期待通りの内容の本でした。
 取り上げられている内容は「アマラとカマラのオオカミ少女」「サブリミナル効果」「言語・文化相対仮説」「双子の話」「赤ちゃんを左手で抱くのは」「りこうな馬ハンス」などです。
 サブリミナル効果の話って鈍なことだったのか正確には知らなかったので,顛末を知っておもしろかったです。どう考えてもあり得ないことが,一人歩きするなんて,人間の心理ってある意味とっても情けないものですね。サブリミナル効果なんて,未だに信じている日本人も多いんじゃないかなあ。
 さて,その「アマラとカマラ」の話。概略は知っているけど,もう一度読んでみたいなあ,と思っていたら,たまたま寄った金沢の古本屋に売ってました。

●J.A.L.シング著『野生児の記録1 狼に育てられた子』(福村出版,1977,197p,1200円)
 私の本棚には『アヴェロンの野生児』はあるけど「アマラとカマラの話」はないのでシング著『狼に育てられた子』(福村出版)も買って読んでみました。
 この本は年末に金沢駅に行ったとき古本展をやっていて,そこで見つけたのです。
 実際の記録を読むことで,その真実味がどこから感じられるのかがよく分かります。
 この『狼に育てられた子』はシング牧師の日記を再整理して編集されています。もともとが日記なので,それが全部本当のことのように感じるのです(しかも牧師はウソをつかない…と何故か信じている人が多い)。
 また写真もまるで本物のように掲載されています。
 さらには「まえがき」や「はじめに」で「この話は本当である」なんてことわりを2人の第3者?に書いてもらっていたりします。
 本書は古本なので,1993年発行で38刷でした。今じゃどれくらいなのでしょうか。未だに「これが真実の記録だ」ということで読まれているのでしょうかね。
 騙されると言えば,次のような本も同じ古本屋で一緒に買いました。

●安斉郁郎著『だます心 だまされる心』(岩波新書,2005,194p,735円)
 自らも手品を趣味とするオカルト批判の博士の本です。とても読みやすい文章を書く人なので,お薦めの本です。以前(2001年)に,別の本を紹介したこともありました。
 内容には,命を守るため,あるいはエサを手に入れるための「動物の擬態」などの話も出てきますが,主に実生活での「だまされる危険性」について書かれています。
 3章「霊とカリスマの世界」では,「こっくりさん」やオウムの「空中浮揚」など霊や超能力について解説してあるし,4章「科学者もだまされる」では,「脚気の話」「りこうな馬ハンス」「スプーン曲げ」という仮説実験授業関係者にとってはおなじみの話題に加え,野口英世の錯誤やミステリーサークルの顛末などについてもふれていて,いやー,おもしろいです。
 戦争になると決まって「むごい姿」が映し出されて民衆を煽ります。湾岸戦争でも,この間のイラク戦争でも,嘘やデマがまかり通ってしまいました。
 本当に人間ってだまされやすいんだなあと思います。気をつけましょう。自分は大丈夫という思いこそ「だまされやすい」証拠だそうですよ。

●ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(新潮社,1993,296p,2000円)
 自閉症の女性が,自分の過去を振り返って綴った文章をそのまま本にしたものです。自閉症ということも分からずに生きてきた本人が,大人になり少しずつ自分を理解していきながら,過去を振り返っています。こんな本は始めて読みました。
 サークルで「こんな本を読んだよ~」と紹介したら,2人のメンバーが本書の存在も内容もを知っていました。その道の人にしてみれば,有名な本らしいです。
 本書原題が「Nobody Nowhere」というのに,なんで「自閉症だったわたしへ」なんでしょうかね。邦題だけみると「自閉症は治るの?」って思ってしまいます。
 それにしても,こんなに昔のことを良く覚えているものだなあと感心します。自閉症の人たちの中には,メチャクチャ記憶力のいい子がいるようです。そういえばダスティン・ホフマン主演の『レインマン』にもそういうタイプの人物が描かれていましたっけ。
▼わたしとしては言われたことを無視したわけでも,ふざけているわけでもない。わたしとしては,言われたこととまったく同じことはしていないつもりなのだ。
▼わたしのは彼らのルールを尊重していないわけではなく,その場ごとに無数にある彼らのルールすべてに,ついていくことができないのだ。物事を分類することはできるが,この手の一般化や応用は,わたしにとってはとても難しいことなのである。(101p)
 そういう態度をとるのにはそれなりの理由があるのです。こちら側の「ものさし」だけを振りかざしてつきあうことが内容にしていきたいと思います。

●牧野直也著『レゲエ入門』(音楽之友社,2005,239p,924円)
 レゲエが好きになって,かれこれ30年。ずいぶんと時間がたった。
 そのわりには,レゲエを生み出したジャマイカについての本を読んだこともなければ,レゲエのリズムがどのようにして生まれてきたのかを調べたこともない。
 いつも「んちゃんちゃ」の気分のいいリズムを体に感じていただけだったんだよなあ。
 本書を手に入れたのは,この発行の時でしたが,いつものように「買っただけ」「いつか読みたくなったら読もう」という姿勢でいるために,今まで放っておきました。この正月に「読みたくなった」から読んだというわけ。
 それにしても,わたしが始めて市販のビデオソフトを買ったのは1983年のこと(そのとき,ビデオデッキもそのとき始めて買ったんだ。SONYのベータだったっけ。今じゃ跡形もない)。働き始めた頃で,自分の自由になるお金ができたのだった。今から25年以上もも前に購入したそのビデオは,ボブ・マーリーとブラック・ウフルーのライブ映像だった。それぞれ1万円以上したはずだ。それくらい学生時代からレゲエを聴いていたし,当然,ボブマーリーの死も知っている。
 今,日本の歌謡曲を聴いていても,結構,ラップのようなものがある。それらはレゲエという音楽が基礎にあることは間違いない。
 いつかはジャマイカに行きたいなと思ったりもしている。
 ブルーマウンテンコーヒーの国ジャマイカ。その国の音楽が日本の田舎の青年に大きな影響をあたえてきたなんて,本当に不思議なことだなあ。
 ほとんど本の紹介にはなっていないけど,レゲエについて知りたいなあと思った人にはとてもいい入門書になっています。でも入門と言うには難しいくらい,レゲエ以外の知識が必要かも知れません。そんなときは,本書に紹介されている古い音源を手に入れて聴きながら読むのが一番だと思います。でも今時CDが手に入るのかなあ。そのうちおいおい探してみるとするか。

●杉浦一機著『みどりの窓口を支える「マルス」の謎』(草思社)
 「マルス」に関する本は,昨年の『たのしい授業』で藻出さんが紹介されていたので手に入れました。これを読んでから「みどりの窓口」へ行くと,思わず合掌したくなります。
 「マルス」とは旧国鉄が整備した「座席予約システム」のことです。
 私たちは,ふだん何気なく窓口で予約切符を買ったりしていますが,考えてみれば,あの窓口である電車の指定券を買うってことは,ものすごくたくさんの情報を一度にやり取りしていることになります。わたしが乗る電車に,今,同時に予約をしようとしている人もたくさんいるかも知れません。それなのに,重複せずにちゃんと短時間で券を発行できるという仕組みを作っているんですから,なんともすごい話です。
 最近は,携帯やパソコンからの予約もできたり,ドンドン便利になってきています。でもそれは,システムの方の進歩があって始めて可能となっているのです。
 こんな当たり前のことに,改めて気づかせてくれたのが本書です。
 「マルス」というシステムを創り上げた技術者にただただ感謝し,脱帽するだけです。
 今後は,改札を通った時に予約席が成立するというようなものも考えられているようです。そうすれば指定席をとった電車に乗らなくては…と思わなくてもよくなります。
 ドンドン進化する予約システム。技術開発にかかわる人間達のドラマがここにあります。
 NHKのプロジェクトXに「100万座席への苦闘~みどりの窓口・世界初 鉄道システム」というものもあったようです。確か録画してあるので見てみま~す。

●犬塚さんの授業を学ぶ会編『自分の直感を信じて』(ガリ本,2003,178ぺ)
 今は,退職され,ルネサンス高校の校長先生をされている犬塚さんに関する本です。
 本書は,犬塚さんが現場を退職される頃に「犬塚さんの授業を学ぼう」という会を研究会で立ち上げ,その呼びかけに賛同した人などの講演記録をもとに編集されています。「犬塚さんの授業を学ぶ会/会報4号」です。
 犬塚さんの授業は,「犬塚さんでしかできないのではないか」という意見もあるようです。
 でも,その授業が仮説実験授業である以上,マネの出来る部分はあるのです。ただ,犬塚さんに学ぼうという人たちは,仮説実験授業の授業運営を学ぶというよりも,犬塚さんの子どもとの接し方や職員との接し方,世間との付き合い方などを学びたい人が多いようです。
 ここまで来るとたいへん哲学的になってきて,学ぶに値することは分かっても,そもそも学べるのか…という部分の話にもなります。

●正高信男著『ケータイを持ったサル』(中公新書,2003,187p,735円)
 ずいぶん前に買ってありました。タイトルが気になって手に入れてあった本です。娘達が先に読んでいて,娘の部屋の本棚におかれていたのでした。
 どこにいてもケータイをかける。電車の中でも平気で化粧をする。ズックのかかとをつぶして履く…これらは,今の若者たちが「<内と外>を区別できないために起きてきた現象ではないか」と著者はいいます。確かに自分の家では,ケータイをかけようが化粧しようがスリッパを履こうがだれも文句を言いません。
 これは若者たちが,いつまでも「世間に出たくない」という甘えの表れではないのか。世間に出るときにマナーを知りたくないし,そんなよそ行きの自分に自信が持てないからこそ,いつまでも内にいるときと同じ生活をしているのでしょう。
 このマナーのない若者は引きこもりの若者と同じではないかともいいます。
▼ルーズソックスをはいたり,靴のかかとを踏みつぶしたり,地べたに平気で坐ったり,歩きながら飲食をする者すべて,本質的には自分の部屋に鍵をかけて閉じこもる暮らしと変わらないように,私には映る。両者に共通しているのは,「家のなか」すなわち私的空間から公共の場に出ることの拒絶 である。(14p)
▼個々人は公的世界へ出て他者との交渉のなかではじめて自己実現を遂げるのである以上,空間上の近接性と時間上の持続性を欠いたコミュニケーションというものには,おのずと限界が生じてくるのである。(121p)
 ケータイメールでつながっているハズだったのに…というのは,本当に脆いものなのです。ケータイなら本音を言えるというのは,本音でもないし,自己を鍛えることにもならないでしょう。

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