今月の本棚・2000年版

12月号

 久しぶりの<本棚>です。新旧とりまぜて読みました。今回も古本屋からの購入が半分を占めています。

●小倉金之助・中村幸四郎著『科学随筆文庫13・数学と人生』(学生社,1977,193ぺ,580円)
 インターネットの古本屋さんで手に入れました。中村幸四郎さんはよく知りませんが,「小倉金之助」で検索して見つけました。というわけで,小倉さんの文章だけ読みました(本書の約3分の2)。中村さんのは,数式がいっぱい出てきてちょっと…。
 この本の編者には,中谷宇吉郎・吉田洋一などが関わっているらしい。カバーを見ると,この科学随筆シリーズは20巻出ているようですが,今も手にはいるのかどうかは分かりません。
 科学随筆といえば寺田寅彦が有名ですが,ボクも寅彦から宇吉郎,そして小倉金之助と集めています。小倉金之助については,板倉聖宣氏や新居信正氏も注目しているので,よけいに今,読もうと思って本を集めています。
 昭和27年に書かれた「われ科学者たるを恥ず」の中で,小倉は,科学者として,科学史研究家として,科学の教師として,戦前の軍国主義に屈したことを大変素直に反省しています。さらに,戦後の日本学術会議の姿勢についても,「今や一歩一歩退却しつつあるかのような現状ではないのか」と嘆いています。さて,翻って,平成の世の中である現代の科学者は,科学を何に生かそうとするのでしょうか?

●武谷三男著『朝日選書・思想を織る』(朝日新聞社,1985,207ぺ,880円)
 これも古本屋から買いました。武谷三男氏の「思想」が作られ,適用され,もまれていく様子が,ミニ自伝のような感じでつづられています。「はじめに」から一部引用します。
 1932年頃から,原子核物理学がまだ混沌とした時代に,これをどのように追求するかの方法論としての,認識の三段階論。
 量子力学の不可解な困難な性格に対して,現象面のコンフリクト(矛盾,葛藤)が立体的な論理によって本質場面で統一されるという論理。
 以上が自然の弁証法の論理,すなわち自然自体の論理的構造を,認識の論理として展開したものです。
 次に,戦時中に技術の論理に進みました。(後略)
 大変読みやすくて,武谷三段階論が,湯川理論に与えた影響もよく分かります。
 板倉聖宣氏を知るより前に,ボクは,武谷三男氏の本を読んでいました。大学時代のことです。あのときより,ちょっとは分かるようになったかなあ。

●堀 和久著『江戸風流女ばなし』(講談社,2000,270ぺ,1800円)
 江戸の古川柳や小話を紹介しながら,江戸の民衆の性の生活を想像するエッセイ集です。この手の読み物が,ここ2年くらいのボクの息抜きの読書のようです。といってもこの本はけっこう気合いのはいった本です。引用文献も多いし,その時代の法律なども出てきます。このような本を1冊書き上げるのでも大変なんだろうなあと思います(参考文献が19冊も紹介されている)。
 堀和久氏の著書は他にもあるようなので,どっかでめっけたらまた読んでみたいと思います。
女房のやくほど亭主もてもせず

●大崎 弟著『山畑の四季』(高知新聞社,1997,226ぺ,2163円)
 名前は「てい」といいます。この本は,仮説実験授業研究会のニュースに紹介されていたので,興味を持って注文したものです。腰巻きには「中年のための畑仕事入門」と銘打ってあります。畑仕事と本の「本」です。この本を読んでいると畑で作物を作ってみたくなります。

●永 六輔著『「無償(ただ)の仕事』(講談社+α文庫,2000,221ペ,680円)
 ボランティアやホスピス,「正しいこと」や「がんばってください」という言葉など,いつものように常識に対し,するどい見方を教えてくれます。
 ボランティアの場合も,ただ何かをすればいいというのではなく,こうした相手のことを気づかった対応,相手を疲れさせない対応が必要ではないでしょうか。
 善意の押しつけでは,その善意は生きてこないと思うのです。(本書113ぺ)

●田中 実著『原子の発見』(筑摩書房,1979,215ペ,1200円)
 これも古本です。300円でした。安い! 本書は「ちくま少年図書館」シリーズの1冊です。著者の田中実氏は,本書の完成を見る前に他界されたそうです。中学校高学年か高校1年生くらいのときに読んでいればなあと思いました。もちろん今読んでみても,大変おもしろくて,中学→高校時代に習った化学の勉強が科学史でつながった感じです。
 まえがきに,あるように,田中氏も小倉金之助さんに影響を受けているようです。
この本は,科学史のすぐれた学者であり,科学教育の正しいあり方を考えていたわたしを導いてくれた故小倉金之助先生の監修によって筑摩書房から出版された「やさしい科学の歴史」のなかの1冊でした。出版されたのは1957年です。こんどこの「ちくま少年図書館」におさめられることになったので,わずかながら書き直したり,書き加えをして,この本ができました。
 この本は,シーサイドの臨時古本店・慶進堂書店から購入しました。この店はまだやっているようです。こういう本が安く手にはいるのでいいです。板倉さんの本も何冊かありましたよ。ボクは,本書の他にも,5冊ほど購入しました。来月にでも紹介できるでしょう。

●五木寛之著『知の休日』(集英社新書,1999,204ぺ,640円)
 これもシーサイドの古本屋さんから購入した1冊。たったの100円でした。100円だったから買って読んでみたとも言えるかな。昨年の集英社新書の創刊10点のうちの1冊です。
 五木寛之と言えば,うちのサークルでは浜岸さんがよく読んでいるようですね。ボクは,学生時代に『青春の門』の箱入り本を大切に読んだ記憶があります。たしか,「しんすけ」と「おりえ」というのが主人公だったような…。九州の話だったよねえ。違うかな。
 最近では,親鸞・蓮如に関することについていろいろと発言している姿の方がボクからは目に付きます。『他力』『大河の一滴』なんてのも文庫になったし,一度読んでみようかなあ。そのうち『歎異抄』まで気になってきたりして…。
 本について書かれたところで,「本は捨てられるか」と五木さんが悩んでいるのがおもしろい。ボクもだいぶん前から「趣味は読書」と答えるようになっています。それほど本漬けの生活なのだが,読んだ本の内容のほとんどは,すぐに忘れ去っているような気がします。そのような本は縁がなかったとあきらめて,すぐにでも古本屋に処分すればいいとも思うのですが,それがなかなかできないのです。一度読んだ本は,どうしてもそばにおいておきたくなるんですよねえ。ん~,困ったもんです。

8月号

 1年間続いていたこのレポートも,5,6,7月とお休みしてしまいました。その間,たいして本を読んでいなかったのは確かです。日々の仕事に追いまくられており,じっくりと本を読む時間が無かったというわけです。まあ,毎月紹介できなくとも,こうして簡単な紹介・感想を残しておくのも,悪いことではありません。そんなわけで,今後とも「今月の本棚」を続けます。

●飯島弘文著『エラーがわかるとWindows98/95に強くなる』(メディア・テック出版,1999,214ぺ,2200円)
 前回紹介した本と同じ著者によるパソコンの本。パソコンには,いろいろなエラーが付き物です。最近は,なれてきちゃってそんなに気にもならないのですが,同じ様なエラーが度々出ると,やはり原因を突き止めたくなります。それでも,素人にはほとんど分かりませんがね…。この本は,エラーを扱っていながらも,結構読みやすい本でした。

●相曽保二著『浜名湖うなぎ今昔物語』(日本図書刊行会,1998,134ぺ,1300円)
 古本屋から400円で買いました。こういう本を読んでみようと思うのも,古本だからです(安い)。もちろん安ければいいというものではありません。金沢の「ブックオフ」なんかでは,「100円コーナー」があって単行本まで1冊100円で売っていますが,興味のない本は買いませんよね。
 さて,この本,文字通り「ウナギ養殖の歴史」が書かれています。作者はウナギ関係の会社の社長さんです。本人も書いているように,「全くのド素人」が書いた本というだけあって,文章は読みにくくて表現も独特です。一文がとても長いので,主語と述語の対応を忘れてしまいそうです(法則化の人たちから見たら,まさに悪文です)。しかし,「ウナギに関する本」がほとんど無い中で書こうと思ったあんたはエライ!とほめたいです。

●辰巳渚著『「捨てる!」技術』(宝島社新書,2000,222ぺ,680円)
 ベストセラーになった新書。新聞等でも紹介されていたので,ご存じの人が多いかと思います。<究極の整理整頓は「捨てること」である>ということが,著者の主張。まあ,ただこれだけのことをいろいろと書いてある本なのです。ものを増やさないためには「買わない」と言う手もありますが,これは人間の欲を我慢する事につながるので精神衛生上よくないようです。
 捨てるに捨てられないものの第1位が,男は「本」,女は「洋服」だというアンケート結果が出ていました。そのとおりだなあと思います。本も洋服もあの世へもっていくことは出来ないことは分かっているのですが,やっぱり捨てられないのですよねえ。ただ,これを読んで,ほとんど(10年以上)見ていない教育関係の本は捨てようと思っています(まだ捨てていない)。
 しかし,本やレコードって思い入れがあって,捨てれませんよねえ。どうですか? みなさんは?

●武田邦彦著『環境にやさしい生活をするために-「リサイクル」してはいけない』(青春出版社,2000,217ぺ,850円)
 なかなか刺激的な題名の本ですが,だからそこ読んでみようという気にもなります。本のカバーの作者紹介から,この本の内容を紹介します。
 ますます悪化する身のまわりの環境。より良くするためにペットボトルや紙の「リサイクル」活動が盛んになっている。
 しかし著者はそれは逆に環境を汚すことになるだけだと指摘する。では本当の環境を守るにはどうすればいいのか。
 本書は,自分の自己満足で終わっていた現状の問題点を鋭く分析。われわれが考えていた今までの「良いこと」と「悪いこと」の価値観が大きく変わる1冊である。
 輪島市が塗り箸の消費拡大をねらって「割り箸追放キャンペーン」をはったこころ,吉野杉の廃材を利用して割り箸を作っている自治体からクレームを付けられるという事件が報道されたことがありました。「リサイクル」についても「リサイクルしているからどんどん作っちゃえ」という風になっている現状を思うと,しっかり考え直さなくてはなりませんね。
 この本,是非読んでみて下さい。

●板倉聖宣著『科学と科学教育の源流』(仮説社,2000,297ペ,2300円)
 『たのしい授業』『理科教室』に書いた科学史の文章を集めたものです。
 板倉さんはあとがきで
もともと私の科学史研究の特色は,「超社会的な研究」といって,「研究の社会的な背景はほとんど問題にしないで,人間の自然認識の仕方を明らかにする」というものでした。
と述べています。そして,その研究から仮説実験授業が生まれたのです。
人間の自然認識の仕方には,社会的な条件を越えた共通性があるのだ」と考えることで仮説実験授業の基盤ができあがったわけです。しかし,この本では,科学教育を扱うことで,社会的な背景に左右せざるを得ません。
 自然認識そのものは,社会的な背景を越えて進めることが有効でも,教育という仕事はそれこそ社会的な仕事です。ですから,社会の問題を無視するわけにはいきません。そこで,私は教育研究を媒介にして社会の科学を研究しなおすことによって,科学の歴史をその社会的な背景の中に描き出すことが可能になったというわけです。
 社会的な背景というと「ピューリタン革命」やら「王政復古」などが出てきたり,貴族の階級の細かな話が出てきたりして,普通ならばとても頭がこんがらがってしまうのですが,そこは市民派の板倉さんの文章です。歴史嫌いだった,ボクにも分かるような社会背景の説明があり,ゆっくり読めば楽しく読むことが出来ました。
 しかし,これだけの本を書くのに,板倉さんはいったい何冊の本に目を通しているのでしょうか。

●板倉聖宣著『科学者伝記小事典』(仮説社,2000,226ペ,1900円)
 上記の本に続いて出た,この本は,とてもコンパクトにまとめられた『科学者事典』です。あいうえお順ではなく,生年順にすることで,「通読もできる事典」となっています(実際,ボクも一気に読んでしまいました)。もちろん,後ろには人名索引も付いてますから,検索にも便利になっています。また,巻末には「世界地図・ヨーロッパ地図」があって,誰がどこで生まれどの年で学んだのかが一望できます。これは,とてもわかりやすかったです。
 はやく『初等科学史研究双書』が出ないかなあ。シアターに関わってから,さらに科学史にも興味が出てきました。

●柳田理科雄著『空想科学読本3』(メディアファクトリー,2000,255ぺ,1200円)
 でましたでました,やっと出ました第3弾。
 理科雄さんは,まだまだ元気です。
 今回の一つ目の話題は「長いブランコに載っているアルプスの少女ハイジは大丈夫なのか」です。もうそれだけで読んでみようかなと言う気になるでしょ(ならないか)。『未来少年コナン』も出てきて,ボクの好きなキャラクタの登場だ~。が,しかし,残念ながら,知らないキャラも出てきて,ちょっと興味半減。やはりこの手の話題は,同時代を生きていてこそたのしめるものなのだなあと,感想。第4弾もやりますと宣言しているけれど,あまりマイナーなキャラだと,受けなくなるよなあ。第3弾は,結構売れてるみたいで良かったです。

●植松黎著『毒草を食べてみた』(文春新書,2000,221ぺ,690円)
 エエ~,こんなにも身近に毒草があるの? これじゃ危険じゃん…というのが読後の感想。キョウチクトウ・スイートピー・ヒガンバナ・スズランなど,珠洲でもおなじみの植物が毒草として紹介されています。文章も大変軽快で,44種の植物の話題がうまくまとめられていて関心。しかし,こういう学問分野もあるだなあとただただ驚きです。
 この本のことは直接には,Sさんに教えてもらいましたが,これはこんかいのサイエンスシアターの「灰汁=悪」に関する話題で紹介された本らしいです。

4月号

「今月紹介した10冊の本のうち,4冊が古本です。それだけ,古本を買うのが簡単になったと言うことです。来月も趣味の世界の古本が主になりそうです」と先月書いてから,1ヶ月以上たちましたが,さて,実際はどうだったかというと…。全く予想とは食い違ってしまいました。それは,3月中旬に,待望のノートパソコンが来てしまったからです。卒業式を前にして,じっくりと出きるはずのこの時期に,新しいパソコンが手に入ったので,もう毎日の自由時間はそれにつきっきりで,本など読んでいる時間などありませんでした。我ながら「興味のおもむくままに生きているんだなあ」と再確認した次第であります。

●『平成サラリーマン川柳傑作選・4番打者』(講談社,1994,222ぺ,1000円)
●『平成サラリーマン川柳傑作選・5ツ星』(講談社,1995,224ぺ,1000円)

 古本屋から手に入れた『サラ川』の4集と5集です。
「遺産分け 母を受け取る 人がない」
なんて,怖いですねえ。ブラックですねえ。

●玉川スミ著『ドドイツ万華鏡』(くまざさ出版社,1999,174ぺ,1500円)
 ドドイツの本は,本当に少ないです。同人誌でもなかなか手に入りません。
 それでこの本を見つけたときには,本当にうれしかったです。著者は,将にドドイツを歌ってきた人です。物心ついたころから都々逸の中で育ち,なんと3歳の時に初舞台を踏んでいます。ただ者ではありません。もうすぐ芸能生活80周年を迎えるそうです。もう,すごいです。この本を読んでいると,三味線にのせた本当の都々逸を聞きたくなってきます。ぜったい,いつかナマで聞いてやるからな。
・急げとばかりタクシー乗れば 時間はかかる高くつく

●菊池聡著『超常現象の心理学』(平凡社新書,1999,190ぺ,660円)
 ボク好みの本が多い平凡社新書の3冊目です。副題が「人はなぜオカルトにひかれるのか」です。
 超常現象を好きな人がなぜか多いのですが,その中でも「血液型性格判断」ほど害悪をまき散らしているのもはありません。これについてはボクも筆者と同感です。「そんなのお遊びだよ」とおっしゃるかも知れませんが,大学生達が初対面にもかかわらず血液型を聞いて,「だからあなたは○○なのね」なんて言葉が交わされているかと思うと,ぞっとします。教師の中にも平気で「血液型」を話題にする人がいますが,せめて大人同士のお遊びにしておいて欲しいです(でも,ボクはそう言う話さえも決して混ざりませんが…)。
 この本は「人々がオカルトや超常現象に騙されるわけ」を心理学者の立場から見て書かれています。それが大変わかりやすく書かれているので読みやすいです。
「先生の授業を受けてから,すっかり素直さを失って,テレビのニュースなども裏読みをするようになってしまいました。友達にはひねくれ者呼ばわりされています。悲しいです。」ある女子学生が寄せたこんな感想こそ私の勲章である。
という著者の感想は,おもしろい。

●飯島弘文著『誰にも教えたくないWindows98/98SE メモリとシステム設定の秘密』(メディア・テック出版,1999,197ペ,1980円)
 本のタイトルがちょっと嫌らしいですね。「誰にも教えたくない…」だなんて。
 新しいノートパソコンVAIOに,「Norton SystemWorks」を入れて使いはじめたところ,すぐに「リソースが足りません」というメッセージが現れました。他にも,「一太郎」や「Word」などもインストールしましたが,それとて今まで使っていたCanbiよりも少ない数です。なのに,どうして「不足」…というのか疑問でした。しかも,このVAIOは,メモリも全部で192Mもあるのです(Canbiは64Mしかない)。
 で,このリソースというのが気になったので,購入もとの生協さんに聞くことと並行して,上記の本を読んでみました。
 それでわかったことは「リソース不足はメモリの大きさに関係なく起きる」と言うことです。常駐ソフトが多いとダメなようなのです。このVAIOには,ソニー独自のプログラムがいろいろと常駐しており,それだけでリソースを使っていたようです。本に書いてあったとおりに常駐ソフトをはずしたら,ちゃんと使いやすくなりました。でも,本当にそんなんでいいのかな。はずさなきゃいけないなんてなんか変ですねえ。

●『ステップ図解・Windows98でネットワーク』(ナツメ社,1999,223ペ,2000円)
 本書はLAN入門の書です。お手軽ネットワークから,ルーターやハブを使った本格ネットワークまで,いろいろな場合について説明されています。
 ボクはVAIOとCanbi(ボクの家のディスクトップ)とをLANでつなごうと思ったのですが,これまたボードの説明書だけではうまくいきませんでした。そこでこの本をかって勉強したと言うわけです。ゆくゆくは家庭内LANなんて組んでも面白いなと思っています。
 これもCanbiがLanボードをなかなか受け付けてくれず,すったもんだのあげくにNECに電話して,解決しました。本当に,新しい事に挑戦するときは,いろいろと苦労します。これを機会に,Canbiの方も,買った状態に戻して,懐かしいプログラムも復活させました。
 そんなわけで,この1ヶ月は。2台のパソコンと苦闘の日々だったのです。
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3月号

 すっかり古書に凝ってしまったボクですが,今度は小倉金之助の本を2冊手に入れました。『数学教育史』『科学的精神と数学教育』です。1冊2500円でしたが,これは高いのか安いのかよく分かりません。ただ,この本を購入した本屋さんとメールでやりとりしたりして,ちょっと楽しい思いもしています。実は,この時に「川柳関係」の本も手に入れましたが,その一部は今回,紹介します。
 今月は,趣味関係の本が多いです。

●川崎勝平著『舞鶴叢書・都々一坊扇歌』(常陸太田市,1989,81ぺ,700円)
 都々逸に凝って早5年?しかし, この方面の本はなかなか見つかりません。インターネットで調べても,古本にもないのです。が,やっと1冊見つけました。
 この本は,都々一坊扇歌の生まれ故郷である常陸太田市が出しています。小さな冊子ですが,なかなかのお値段です。ホームページでこの本のことを知り,注文しました。
 ・恋ぞつもりて さて淵となる 思いつもりて 愚痴となる
 同じ市の出身で,「石川露香」という人もいるらしくて,彼が作った都々逸も幾つか出ています。

●『平成サラリーマン川柳傑作選』(講談社,1991,204ぺ,1000円)
●『平成サラリーマン川柳傑作選・3杯目』(講談社,1993,214ぺ,1000円)

「古川柳からはみ出さないでおこう」と思っていたのですが,以前,『サラ川・2匹目』を購入してからというもの現代の川柳というものも楽しくなってきました。
まだ自分で作るまでは行きませんが,鑑賞するだけでも面白いです。
 この前,古本屋で『サラ川』の1,3,4,5を購入しました(1冊500円だった)。
 ・猫にだけ 優しい声の 妻の朝
 ・一戸建 手が出る土地は 熊も出る
 ・石の上 三年立てば 次の石

 う~ん,すごいでしょ,このウイット。しゃれ。開き直り。

●田辺聖子著『川柳でんでん太鼓』(講談社,1985,344ぺ,1200円)
 古川柳に関する本を初めて読んだのは田辺さんの『古川柳おちぼひろい』でした。ここから,「古川柳は面白い」「古川柳は江戸文化の縮図だ」なんて思って,のめり込んでいったのでした。
 今回,紹介するこの本は,古川柳ではなく,近代・現代川柳作家の作品です。田辺さんもボクと同じように川柳を作る人ではなく,読んで味わう人だそうです。
 この本を読むと,大正から昭和にかけての面白い現代川柳を知ることができます。この中で,一番の収穫は,石川県出身のプロレタリア川柳作家-鶴彬の存在を知ったことです。鶴彬に関する本で,ここに紹介されている本は,手に入れていませんが,最近出た本はクロネコで手に入れたので,下に紹介します。
 それにしても田辺さんの本って,どうしてこんなに読んだことのない言葉が多いのでしょうか。意味は何となく分かりますが…。例えば,懇篤・野卑・蠱惑的・菲才・柔媚・吐瀉などなど。国語辞典を横に置いての読書です。
 ・かしこい事を すぐに言いたくなる 阿呆(亀山恭太)
 この句についての田辺聖子さんのコメントがおかしい。
「実際,この句,私のことを言われている感じがして,まいりました。言いたくなるんですよね,阿呆はムツカシコトを。私なんかの場合だと,書きたくなるんですよ,ムツカシイ漢字や学問を,右から左に書き写して人を驚かせたくなる。この句,紙に書いて目の前に貼っておかねばならない。」
 こう言った後にも,田辺さんは,胆斗(たんと)・点綴(たんてい)・暢達(ちょうたつ)・片言隻語(へんげんせきご)などと,すごい言葉が文章の中に散りばめられているのであります。

●岡田一杜・山田文子著『川柳人・鬼才「鶴彬」の生涯』(情報紙出版,1997,208ぺ,1300円)
●深井一郎著『反戦川柳作家 鶴彬』(情報紙出版,1998,224ぺ,1300円)

 2冊とも,石川県高松町出身の「鶴彬」という人の伝記です。
 鶴彬については,上の田辺さんの本を読むまで知りませんでした。反戦川柳,プロレタリア川柳という言葉も,あることさえ知りませんでした。
 鶴彬は,1938年,留置所にいた時の扱いが悪く病気になり29歳の若さでこの世を去ります。北国新聞の投書から始まって,自由律な川柳の世界に遊ぶまで,短いながらもすごく濃い生き方をしたんだなあと思われます。
 読みやすさから言うと,『反戦…』の方ですが,でも,それはもしかしたら岡田さんのを先に読んだからかもしれません。年表の詳しいのは『反戦…』の方です。載っている川柳は余り変わりませんが,写真や資料などはあまり重複していません。
 郷土が生んだ作家・鶴彬について,ちょっと読んでみませんか。
 ・万歳とあげて行った手を大陸において来た
 ・手と足をもいだ丸太にしてかへし
 ・胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき

 すごいでしょ,この句。1937(昭和12)年の作品です。

●渡辺信一郎著『江戸のおしゃべり-川柳に見る男と女』(平凡社新書,2000,244ペ,680円)
 川柳が江戸の文化を語ってくれると前に書きましたが,まさに本書もそれです。
 この本に収められている古川柳は,すべて「会話文」が出てくるものばかりです。素人にも取っつきやすいように,会話文の部分は「」を付けてくれています。有り難いことです。
 古川柳を直接読むには,ちょっとだけお金を出せば,文庫本で簡単に揃うのですが,ボクみたいなのが読んでも,何を言いたいのか分からないのが殆どです。だから,こうして解説文を読むことで,川柳の内側の意味が理解できて面白いのです。まるで謎解きみたいです。
 ・「仕合は嫁だ」と石屋朱を潰す
なんて,どんな意味なのか自分で考えたって分かりっこないでしょ。
 それにしても,ボク好みの本を出す平凡社新書です。まだ5冊ほど読みたい本がありますのでね。

●吉田洋一著『数学の影絵』(角川選書,1969,283ペ,当時480円)
 金沢の加能屋書店で仕入れた古本です。
 数学者である吉田洋一氏の随筆集です。昔から読書が好きだったようで,随筆もたのしく読めました。
 高校生に「数学の魅力」を語っている文章なんかもおもしろかったです。岩波文庫版ポアンカレの『科学と方法』の翻訳者でもあります。岩波新書の『零の発見』の作者でもあります。
 この本は,今でも手にはいるかどうか分からないので,進めにくいのですが,いいエッセイでした。遠山啓さんや森毅さん以前にも,こういう数学者がいたんですね。

●初等科学史研究会編集『初等科学史研究MEMO2』(楽知ん研究所,2000,126ぺ,1200円)
『初等科学史講座』全6巻の内容が出ています。早く読みたいなあと思ってしまいます。板倉さんの「科学史の本の経済学」はおもしろかったです。売れる本とはどういうものか。売れる条件とは?など,出版の裏話も含めての内容なので興味深く読むことができました。
 この本も2冊目ですが,これを読み出してから,科学者の伝記物を読みたくなっています。マーガレット・エピナース『ロバート・フック』の翻訳が出ているそうなので,手に入れて読んでみたいです。

●歴史の謎を探る会編『あの人物は「その後」どうなった?』(河出書房新社,1999,218ぺ)
 文庫本です。確かコンビニで買いました。
「歴史上の人物が,有名な事件のあと,いったいどうなったのか」という点について,編集者の分かる範囲で書かれています。暇つぶしに読む本(というボクの感じ)だけあって,一貫してその人の人生を追っているという風ではなく,ある人は老後まで,ある人は死に方まで。日本人有り外語国人あり,科学者有り武将有りの100人以上もの人が出てきます。
 ボクがこの本を読んだのは,まさに暇つぶしの場所。スキー合宿に行く往復のバスの中です。

 今月紹介した10冊の本のうち,4冊が古本です。それだけ,古本を買うのが簡単になったと言うことです。来月も趣味の世界の古本が主になりそうです。
 では,また。

2月号

 お元気ですか?
 さて,ボクは昨年からインターネットで古書を購入する趣味が生まれてきました。先日も,インターネットで注文したことのある古書店から送られてきた目録を見て,ついつい20冊ほど注文してしまいました。しかし,在庫の関係で送られてきたのは11冊-割引もあって,しめて3900円ほどでした。定価の合計が9000円弱なので,そんなに安くないと思われるかも知れませんが,終戦後数年という科学ものもあるので(ガウスの本),なかなかいい買い物です。一方,先月から紹介している『算術教科書』も手に入れました。これは明治の教科書ですが,上下2冊で3000円でした。こういう本を読むのも面白いです。

●クライン孝子著『あまやかされすぎるこどもたち』(ポプラ社,1999,173ぺ,1200円)
 表紙カバーより引用します。
「自分の将来は自分で決めて責任を持ち,精神的にも経済的にも 自立した人間をめざすというのはいかがでしょうか」
 著者は,ドイツのフランクフルト在住のノンフィクション作家です。日本の子育てとドイツのそれとを比較する中で,今の日本の子供たちの我慢のなさがどこから来るのかを述べています。浜岸さんから借りて読みました。
 しかし,まあ,甘やかされてしまっている子供達がすでにいるのですから,それとどう付き合っていくかも大切なことになります。

●中西弘樹著『漂流物学入門』(平凡社新書,1999,211ぺ,680円)
 海岸に流れ着いたものについて書かれています。
 僕の住んでいる珠洲でも,海岸にハングル文字のプラスチック製品がよく流れ着いています。ゴミだけでなく,生物の死体なども流れ着くこともあります。
 そこで書店に並んでいたこの本を手にとって読んでみたのですが,入門というだけあって,わかりやすく書かれていました。
「漂流物はたとえ人工物であっても空間と時間を旅して,海岸に流れ着いたものであり,ゴミ捨て場のゴミとは異なるものである」
という著者の指摘に,なるほどと頷きます。海岸を歩き漂流物を集める趣味を,欧米ではビーチコーミングというそうです。さてこの著者の職業は何だと思いますか? 奥付けには「植物生態学専攻」とあり,海岸の植物の生態を調査する中から,他の漂流物にも興味を持ったようです。

●板倉聖宣・清水龍朗講演集『仮説実験授業と民主主義』(ガリ本,1997,103ペ)
 1997年1月19日に埼玉県で開かれた<97新春「たのしい授業」講演と実験in浦和>での講演記録です。清水講演「私のアマチュア研究の歴史」より印象に残った部分を抜き書きします(板倉さんのは今回は省略)。
・このテーマを決めることと,テーマを説くことのどちらが難しいかというと,それは圧倒的にテーマを見つける力です。
・私が思うに,今まで日本が知育偏重であったことはないと思うのです。一生懸命ものを子供に覚えさせたことはあったと思いますが,知育偏重だったためしはないと思います。
・科学というのは解ける問題を解くのです。あるいは解けるテーマを発見するのがいいテーマの研究なのです。
・そういう意味では,科学には必ず先行研究というものがあって,だから勉強しなければいけないわけで,そしてそれを引き継いでいくわけです。

●立川志の輔監修『古典落語100席』(PHP文庫,1997,250ぺ,500円)
 見開き2ページで一つの古典落語のあらすじと聞き所が書かれています。ここにでているものを全て聞くのは,まあ,無理な話でしょうね。

●桂米朝著『落語と私』(文春文庫,1986,222ペ,390円)
 お正月に元落ち研のY先生の家におじゃまして,落語を一席やっていただき,帰りの際に借りてきた本がこれです。今,NHK教育で桂文珍が「落語」の講座を開いていますが,それを見ながらこの本をあわせ読むと,落語というものの発祥や話芸としての特徴など,よく理解できるようになる気がします。
 何冊か落語に関する本を読みましたが,すっと前に書かれたこの米朝さんの本が一番わかりやすかったように思います。
 とりあえず,この本で落語の本は一応終わりにして,あとはいろいろと聞いてみたいと思います。

●今泉みね子著『ドイツを変えた10人の環境パイオニア』(白水社,1997,216ペ,1800円)
 この本を手に入れてすぐ読み始めたのですが,途中で中断していました。今回,授業で<ゴミと環境>をはじめようと思ったので,これをきっかけにもう一度最初から読んでみることにしました。
 ドイツは環境政策の先進国として有名です。それが実現できたのは,ドイツ政府が優秀だったからではなく,市民のなかに環境について真剣に考え実践した人たちがたくさんいたからだということが,この本から分かります。
 本で紹介されている「普通」の人は,「エコ建築家」「税務局員」「市役所員」「自治体職員」「夫婦」「小学校長」「化学者」「NGOリーダー」など様々です。もちろんドイツには,ここに取り上げられた10人しかいないのではなく,10人のような人たちが,他にもたくさんいるのです。

●国友隆一著『セブン-イレブン流心理学』(三笠書房,1999,226ペ,1300円)
 今年に入って本屋で3回も目に付いたので,もう仕方なく3回目に見たときに購入しました(輪島の本屋でした)。
 「セブン-イレブンが繁盛するわけ」を外野から見て書かれた内容の本です。 セブン-イレブンと言えば,鈴木敏文さんです(イトーヨーカ堂社長・セブン-イレブン.ジャパン会長)。以前,サークルで『鈴木敏文語録-まず「仮説」と「検証」』(祥伝社)という本の紹介をしたと思いますが,それの続編と言ったところでしょうか? もちろん今回の本は鈴木語録ではなく,「なぜ人はセブン-イレブンへ行くのか」を著者が消費者心理学の面から探っています。
 ただ,この著者の問題意識は
「経済学でものは売れない! これからは心理学だ」
との鈴木会長の言葉からきており,その見方はセブン-イレブンの戦略に照らしてみても,そんなに的外れなものではないように思いました。
 今の教育界と関連するような部分を一部紹介してみましょう。面白いほど似ているよ。
「消費者は,商品に対する表現力がない。現在の商品に不満を持っていたり,こういう商品があればいいのにと考えていても漠然としている。仮にそれを説明できるくらい頭が整理されていても,具体的に新しい商品として結実させる力がない。だから,消費者は表現力がないといえるのだ。それを代弁してくれるのが商品もの供給者だ。/その際,消費者自身さえ意識していなかったような不満や欲求を鋭く的確にすくい上げればすくい上げるほど,その商品は歓迎されて,その分,売れることになる。」(70ぺ)
 小学生に,教材を選ぶ力はありません。「○○を教えてくれ」という力もありません。しかし,つまらない授業はいらないというのは,肌で分かります。さて,そこで教師は,「子供達に学びがいのある授業」を与えることになります。もし,それが子供達の追い求めていたものとぴったり合ったなら,その授業は子供達に歓迎されることでしょう。そして,その分,学ぶことが好きになっていくに違いないのです。ボクたち教師にとって,そういう子供達が喜んで切れる教材,学んでよかったと思うような内容のものを探して(開発して)与えることが第1なわけです。
「そのため,ただ使えればいい,必要なものなら文句なく買うという時代から,信頼がおける品質かどうか,欲しい商品を置いている店かどうか,といった点も考慮するようになった。選択できる条件が揃ってきたのである。/つまり欠乏を補う目的とは別な選択基準で購入する部分が増えてきた。別な言い方をすれば,心理がそこに介在し,心理的な理由で何をどれくらい買うか,何をどの店で買うか,どの店をどれくらい使うか決めるようになった。」(79ぺ)
 学べるならそれだけで満足できる時代から,学びがいのあるものを求める時代へと変わっているのです。では,今月の最後は「総合的な学習」です。
「現在,「総合」というコンセプトはお客の支持を受けにくい。特に小売りの場合がそうだ。どんなに広くしても売り場面積に限りがある以上,品揃えが中途半端にならざるを得ない。/総合というから一見,格好よく見えるが,要するに,総合とはよろずやである。よろずをどれくらい徹底できるのか。また,商品知識や接客も,扱うものが多すぎて守備範囲におさまりきれずレベルダウンしかねない。/それよりむしろ,間口を狭め,コンセプトを明確にし,旗幟を鮮明にして個性をハッキリさせた方がよい。間口を狭めることによってかえって個性は広がるものなのだ。」(212ペ)
 どうです。その通りでしょ。ボクはこれを読んだとき,これから始まる「総合的な学習」が破綻していく様子が既に見えるような気がしました。
 一人の教師ができることって限られています。深くいろいろなことを知っている教師が8割以上を占めているというのなら分かりますが,そんな器用な教師をボクは寡聞にして知りません。まあ,残念ながら僕ら普通の教師が与えられるものは広く浅い知識でしかないでしょう。そんな広く浅くの知識って,却って役に立たないものではないでしょうか。多様化の時代だからこそ,基礎・基本をしっかり教えていく。そして,できるところから教材を作り上げていくことが大切です。やれ英語だ,やれ福祉だ,やれ環境だといって,それで何がしたいのですか?
 「個性ある子供に」をめざすのなら,万屋教師ではなく,個性派教師になろうではありませんか。一転突破から拡げることこそ,科学的な態度というものです。
 今回はちょっと力が入りすぎたかな。では,また。

1月号

 あけましておめでとうございます。
 今年も,「今月の本棚」を書いていきたいと思いますので,よろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。そしてよろしければ,皆さんからも,読んでおもろかった本の紹介もしていただければいいなあと思います。
 世に「読書会」なるサークルもあります。どういうことをやっているのか知りませんが,本で楽しめるというのはいいことです。同じ本を読んで交流できればさらに深まるとは思いますが,みんな興味も違うし,そう簡単にはいきません。
 さて,今月はお正月もあったりして,じっくり本を読めるかなあと思っていたのですが,そうでもなかったです。落語に興味が移っちゃって,そればかり聞いていました。そいじゃあってんで,落語を聞きながら本を読んでみたのですが,音楽のようなわけにはいかなくて,「ながら読書」は断念しました。
 今月の格言-二兎を追う者は一兎も得ず

●仮説実験授業研究会編『1999夏の帯広大会記録集』(ガリ本,1999,300ぺ,500円)
 ボクは昨年の夏の全国大会には参加しませんでした。チェコとスイス行きがすぐに控えていて,とてもじゃないけど「お金」がかかるから止めたのです。何せ大会の会場が北海道の帯広ですから。そんなわけで,行けなかった夏の大会の雰囲気を知るためにも,こういう本はとてもいいです。
 特に注目したい話題は,新しい授業書案<本当の数とウソの数>と<ものとその重さ>の第2部の問題配列の問題です。
 で,後者の方ですが,簡単に言うと,第2部の最後の問題-「人間が食物を取る場合」というを,第2部の一番最初に持ってきてはどうか,というものです。授業運営論分科会だけではなくてナイターも開いて検討したそうです。<ものとその重さ>というのは,大変メジャーな授業書ですが,その改訂をこんなに大胆に打ち出したのを聞いたことはありませんでした。しかし,今は,デジタル体重計などがあって,しっかり実験もできるという時代でもあります。一般から特殊へという問題配列の方が仮説実験授業らしいと言えば言えるので(と言っても実験で決まることですが)この試みも面白そうです。

●福島昭雄著『たのしい校内研究への道』(ガリ本,1999,167ぺ,500円)
 これも仮説のガリ本です。内容は授業の報告ではありません。学校の校内研究を改革しようと思い実践した記録です。校内研究にも分科会方式を取り入れ,それぞれがやりたい研究を主体的にやるという方向は素晴らしいです。しかし,管理職とのトラブルなどがあり,それがまた尋常ではなく(授業をずっと見に来られる),それに対する対策や福島さんの思いなども書いてあります。
 ボクなんか読むと「そんなに突っ張ると大変だよなあ」と思ってしまいますが,実際,管理職の対応が居丈高だと,こっちもそういう方向に行くのかも知れないなあとも思います。
 みんなで一緒になって研究しようという普通に現場で行われていることに,何の意味もないことはボクも知っています。研究とはもっと主体的なもの。やりたいことをやり,その成果を誰でもがまねできるような形で残していく。これこそが研究です。苦労したけどよく分からないというのはどうもねえ。「総合学習の内容」を創造するより,「算数の分数のよりいい教え方を文献から学ぶ」方が,実は大切なのではないでしょうか? 教師は,すぐに「創造したがり」「自分の個性を出したがり」ます。でも,子供たちが望んでいるのは,「よく分かるように,しかも楽しく教えて欲しい」ということです。そんな当たり前なことを改めて考えさせられた,本当にすごい記録でした。
 それにしてもこの校長は,管理職失格ですね。話にならん。珠洲にはこういう人は今はいません。よかったよかった。

●宮地祐司著『生物と細胞』(仮説社,1999,237ペ,2300円)
 仮説実験授業の授業書《生物と細胞》の授業書全文と解説,そしてこの授業書ができあがるまでの研究物語です。大変読み応えのある本となっています。
 この授業書については,ボクも<案>からのおつきあいでして,授業記録なども宮地さんに送っていました。だから,こうして研究成果がまとめられて1册の本になるのは,とてもうれしいです。
 授業書は『仮説実験授業研究第1集』に載っているものよりも図や写真も豊富になり,字も大きく見やすくなりました。
 研究の視点というのも一つのテーマになっています。この授業をするしないにかかわらず,読んで欲しい本です。

●奥本大三郎著『博物学の巨人 アンリ・ファーブル』(集英社新書,1999,238ぺ,680円)
 1999年はあたらしい新書が出た年でした。新書と言えば,岩波新書とか講談社現代新書,中公新書,それに講談社のブルーバックスなどが主でしたが,今じゃ,新書コーナーには何種類かの新書が並んでいます。
 この本も,ボクが買った最初の集英社新書です。創刊の10册のうちの1册です。カバーの紹介文をうつしておきます。
「昆虫の詩人」-ファーブルは従来,最大の敬意をこめてこう呼ばれてきた。しかし,彼は繊細な詩人である以上に,百科全書的な博物学の巨人なのである。さらに,“死んだ”標本の研究から“生きた”昆虫を研究することへと方向を転換し,自分の目で見て確かめたことだけを書いたファーブルの自然理解こそは,自然を単純化し,遺伝子をもてあそぶかのような今日の生物学の対極にあるものである。スカベラの生態など代表的研究を紹介しつつ,その91年におよぶ人生をたどる。第一人者による新たなファーブル像に迫る本格評伝。

●佐々木マキ著『とりどりのとり』(クレヨンハウス,1994,24ペ,1165円)
 『たのしい授業』(仮説社)で紹介されていた絵本です。「絵を見て,○○○とりを当てる」という言葉遊びの授業に使えそうです。例えば,枝にとまった鳥が「そういうことだったのか」と言っているこのトリは「さとり」という具合です。以下,「あまやどり」「よりどり」「ぽとり」「しりとり」と続きます。
 ちなみに『逆引き広辞苑』で最後に「とり・どり」が付いている言葉を探したら4ページもありました。CD-ROM『広辞苑:逆引き広辞苑』でもあればここに幾つか紹介したいのですが,持ってないので,自分で調べて下さい。
 でも,まあ少し書いておきますか。相撲取り,蠅取り,踊り,見劣り,気取り,閑古鳥,隠し撮り,足取り,下取り,太り,ほとり,コマドリ,緑…etc。

●小山観翁著『落語鑑賞学入門』(弘文出版,1990,140ペ,1800円)
 落語入門とありますが,確かにボクが読んでも理解できました。
 これで,落語に関する本を3冊読んだことになりますが,やっぱ落語は本を読むよりCDを聞いたりビデオを見るに限りますね。ある程度内容を知った上でないと分からないこともあります。もう3册ほどクロネコに注文したので,それを読んだ後は,まずはCDやビデオを堪能してから,もう一度本に戻りたいと思います。
 この正月に,落語ばかりを聞いていたので,うちの連れ合いは「また,違う趣味が始まった」とあきれておりました。う~んこれはいつまで続くのであろうか?

●筑紫哲也著『筑紫哲也のこの「くに」のゆくえ』(日本経済新聞社,1995,276ペ,1500円)
 おもに「ニュース23」の「多事争論」をまとめたものです。前著『メディアと権力』(新潮社)の続編という感じ。『メディア』の方には,珠洲の原発問題を扱った「賛否平等」というのが載っています。
 一つ一つにうなずきながら読んでいました。ここ2,3年,日本を駄目にした元凶として「戦後民主主義」がやり玉に挙げられていますが,筑紫さんは「戦後民主主義に少しでも望みを持ちたいと思う」といいます。同感です。

●小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集第1巻』(岩波文庫,1947,300ペ,570円)
 全5巻あるこの随筆集を購入したのはずいぶん前なのですが,やっと1冊読み終えました(こういう本はいつも1册だけ持ち歩いている。で,何も読む本がないときに開いて読むのだ。たいてい,今,自分が興味を持って読んでいる本も持ち歩いているので,そちらの方を読むのである)。
 寺田寅彦(1878~1935)の随筆は,科学者が書いているというだけではない味わいがあります。
・その時に一つ困った事は,私がたとえばある器物か絵かに特別の興味を感じて,それをもう少し詳しくゆっくり見たいと思っても,案内者はすべての品物に平等な時間を割り当てて進行して行くのだから,うっかりしているとその間にずんずんさきへ行ってしまって,その間に私はたくさんの見るべきものを見のがしてしまわなければならない事になる。(中略)学校教育やいわゆる参考書によって授けられる知識は,いろいろの点で旅行案内記や,名所の案内者から得る知識に似たところがある。
・案内記が系統的に完備しているという事と,それが読む人の感興をひくという事とは全然別な事で,むしろ往々相容れないような傾向がある。いわゆる案内記の無味乾燥なのに反してすぐれた文学者の自由な紀行文やあるいは鋭い科学者のまとまらない観察記は,それがいかに狭い範囲の題材に限られていても,その中に躍動している生きた体験から流露するあるものは,直接に読者の胸にしみ込む,そしてたとえそれが間違っている場合でさえも,書いた人の真を求める魂だけは力強く読者に訴え,読者自身の胸裏にある同じようなものに火をつける。
(上掲書「案内者」より)

●ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫,1991,200ペ,400円)
 イエスズ会の宣教師ルイス・フロイスが,安土桃山時代?の日本に35年間滞在し布教に勤め,1597年,長崎で生涯を終えたそうです。この本は,1585年にまとめられたものだそうですが,当時の日本の生活や習慣を知る上で,とても面白い本となっています。例えばこんな調子です。
・われわれの間では女性が素足で歩いたならば,狂人か恥知らずと考えられるであろう。日本の女性は貴賤を問わず,1年の大半,いつも素足で歩く。
・ヨーロッパでは甘い味を人々が好むのと同程度に,日本人は塩辛い味をよろこぶ。

 一つ一つに文にはちゃんと訳者の解説があり,当時の生活の説明もあるので,歴史について詳しくなくても読めるようにできています。しかし,面白い本が残っているものですねえ。

●鈴木孝夫著『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書,1999,216ペ,660円)
 表題にひかれて買いました。面白い本です。英語教育の常識が覆ります。
 主張だけをあげると「英語は義務教育からはずす」「国際理解はやめる」「英語の教材は日本の文化を扱ったものだけにする」などです。どうしてこのような主張が出るかというのは本文を読んで下さい。
 鈴木さんは,「発信型の国際英語」を身につけるという方向でこれからの英語教育を持って行かねばならないと言います。
 明治以来,外国語を学ぶことは「他国の優れた文化・技術を取り得れるため」には必要なことでした。だから,義務教育も大学教育もそういう目的を達成するための仕組みになっています。しかし,すでにトップに立ってしまった今,そのままの教育制度や内容のままでいいはずがありません。
私はこれからの日本の外国語教育の姿勢,とくに英独仏の三言語の場合は,従来のような外国から情報を輸入し,もっぱらそれを消化吸収して自分を向上させる自己改革中心の受信型から,逆に日本からの言語情報を外に出し,積極的に日本の実情を知らせると同時に,広く世界に影響を与える発信型へと転換すべきと考えるのです。(41ぺ)
 そのためには,日本人は日本のことをよく知っているだけではなく,そのことに自信と愛情を持っていなければならないとも言います。
 これも,とてもいい本でした。鈴木さんは他に何冊か本を書いているそうなので,それも読んでみようと思います。

●原子力資料情報室編『恐怖の臨界事故』(岩波ブックレット,1999,62ペ,440円)
●核事故緊急取材班+岸本康著『検証ドキュメント・臨界19時間の教訓』(小学館文庫,2000,250ぺ,495円)

 2冊とも,9月30日に起きた「東海村JCOでの臨界事故」に関する本です。
 2冊ともに通じて言えることは,今回の事故はJCOの社員がどうしたとか,裏マニュアルがどうしたとかいうことは全く問題ではなくて,こういう工場が今まで何の問題もなく動いてきたことを認めている科技庁や国の姿勢が問題なのだと言うことです。『検証ドキュメント…』で引用されている次の東海村村長の言葉に,ボクはじーんときてしまいました。沖縄の太田元知事を思いだしていしまいました。
「これまで東海村は原子力発祥の地として,原子力の発展のため先導的な役割を果たしてきました。私自身も村長になったときにそういう認識を持ちました。
 しかし,この事故を契機として,私は,東海村に原子力の旗振りは荷が重いと考えるようになっています。もう,並の村でいいと,今までのような原子力発展のための旗振り役には,もう疲れました。
 これまでの村の基本姿勢は,原子力とともに発展するというものでした。でも,これからは,福祉や教育,文化に力を入れていきたい。東海村の未来をともに語り合うときでもあると思うのです。
 今,東海村は人口3万人の住民で,150億円近い予算を持っています。これは,もちろん,原子力施設があってこその数字です。しかし,それが本当に必要でしょうか。たとえば,これを減らして100億円規模であったとしても,それでいいと思います。他の自治体では,もっと少ない予算で,素晴らしい行政を展開しているところが全国にたくさん存在しています。(『検証』187ぺ)」

 ここ数年,何度か事故があり,ついに死亡者まで出すことになった日本の原子力政策を支えてきた村-東海村。その村長が,いま,人間として大切なことは何なのかと,村民やボクたちに問いかけています。

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