今月の本棚・2007年版

12月号

○石井光太箸『神の棄てた裸体』(新潮社.2007,310ぺ,1500円)
 久しぶりになんともすごいノンフィクションを読みました。イスラームの世界の辺境を探訪する体験的ノンフィクションとでも言えばいいでしょうか。
 ある時は敬虔な宗教家,あるときは原理主義者としての闘う兵士。夫の前以外ではけっして素顔を見せないという女性。そんなステレオタイプなイスラム情報に浸っている私に対して,<どの世界にも底辺で生きる人間はいるし,それを利用したりするのは紛れもないイスラム教徒だったりもすること>を教えてくれます。
 この著者は,自分が取材したい売春宿に実際にアルバイトをしたり,話を聞きたい浮浪児たちと一緒に生活したりする中で得た情報を,私小説っぼく語ってくれます。
 その部分が,大変刺激的でもあり,過激でもあり,「本当にここまでやるの」と思ってしまうのです。
 たとえば,本書の最終章「幼い乳」で,地元の老人に進められるままにマリワナを吸ってしまう場面があります。この部分に対し,著者は,本人のHPで次のように語っています。

しかし、海外取材をするとき、しかも社会の最底辺を取材する時は、そんなことにかまっていられません。
状況にあわせて、ありとあらゆることをしなければ、生活に分け入ることなんてできませんし、逆に危険な目にあうだけなのです。そもそも、「取材」というのはそういう汚いところがあるものなのです。
僕はそうした事実も含めて「ノンフィクション」だと思っています。
作者だけが「きれい」なポジションにいたって、面白くないですよね。登場人物とともに作者も汚れるところにこそ、真実が現れるのではないか。そう思っています。
だから、『物乞う仏陀』の時は取材のために麻薬を吸うシーンを入れましたし、『神の棄てた裸体』の時は現実逃避のために吸うシーンを入れたのです。

コウタイズムHPより

 こんなことを知らされても,わたし達にはどうすることもできない-こんな世界があって,そこで一生懸命生きている人たちがいて,でも私たちとはあまりにもちがう生活。それを知らされただけ…。それは著者も「どれだけ歩き,どれだけ出会っても,自分の小ささ,弱さ,情けなさ,醜さ,そんなものしか見えてこなかった」と言います。
 ただ最後に,
▼むろん,考えたからといって,どうにかなるものではないかもしれない。しかし,考えなければ何もはじまらない。/それだけは,確信をもっていえる。(310ぺ)
というように,本書に登場してきた人間を知ることにより,私の中の何かが少しずつ変わったことは確かです。
 石井氏は,取材をするときの心構えとして,次のようなことをHP上で述べています。

僕は取材をする時は、かならず自分が調べていたことを打ち消す発想をします。
たとえば、ヴィシナーを取材する前は、リンが登場する地雷障害者の取材をしていました。この時、町には地雷障害者の物乞いしかいませんでした。そこで、僕は「それなら、地雷障害者以外の物乞いに注目しよう」と考えたのです。
タイの時もそうでした。地元の新聞を読みあさっていたら「マフィアは物乞いをあやつり人形にしている。かわいそうだ」というような論調で書いていました。そこで僕は「逆にマフィアを歓迎している人を探してみよう」と思ったのです。
個人的に、こういう発想は必要なことだと思います。
まず、ひとつのことを調べてみる。そして次に、それを覆すようなことを調ぺてみる。
実は、そうしたところに、思いがけない真実があったりするものなのです。
だから、僕は新聞を読むときも、テレビを見るときも、本を読むときもそうしています。つまり、そこに書かれていることを引っくりかえしたら何が見えてくるのだろうかと考えるのです。そして、何かが見えてきたら、その可能性を信じて、実際に取材をしてみるのです。
ここにこそ、「自分なりの視点」があるんですよね。たぶん、何の仕事でも同じことだと思いますけど。

同上HPより

○佐藤誠朗著『幕末維新の民衆世界』(岩波新書.1994,242ぺ,620円)
 民衆の目から見た「幕末・明治維新」がまとめられています。
 登場する記録者は,近江商人・小杉元蔵(私はこの人のものがいちばんおもしろく読めました。本書の中心もこの人の日記です),江戸町名主・斎藤月岑,生麦村名主・関口東右衛門,京都近在の頭百姓・若山要助,宮大工・藤井此蔵,地下医・古谷道庵などです。
「庶民が書き残した膨大な日記群を縦横に駆使しつつ描き出される異色の幕末維新史」
とカバーに説明があるように,一人一人の日記を紹介すると言うよりも,あるテーマや時代に添って,その時々の話題を取り上げた日記を紹介してくれているので,読みやすくなっています。ただ,文章は昔風ですし,旧漢字などにも慣れていないのでそういう意味ではちょっと読みにくい部分もあります。
 庶民がこのような日記を残せるというのは,当時の庶民が読み書きができた証拠でもあります。このことについて,佐藤氏も
「庶民の読み書き能力は.ペリーや開国後訪日したイギリス公使オールコック,そして1865年に横浜・江戸・八王子などを見聞したドイツ人シュリーマンらが目をみはるほどだった。」
と紹介しています。村人達が高札などを読むためにも,読み書きの能力は必要だったはずですよね。
▼庶民は庶民なりに.情報を交換し.暮らしや生業への影響を察知し,時代認織を深めていったのである。庶民は決して幕末維新期の受動的な脇役などではなかった。(中略)領主世界とは異なる自立した庶民世界の広がりがみえてくる(2ぺ)
という内容です。

○M・V・プラント著『ドイツ公使の見た明治維新』(新人物往来社.1987,274ぺ,2000円)
 以前,仮説の研究会仲間から「父親の蔵書だけど,誰かいりませんか」とメーリングリストで呼びかけがあり,図々しくも手を挙げてただで分けて頂いた13冊の内の1冊です。今,授業が明治にさしかかったので,読んでみたくなりました。
 このプラントという人は,初代駐日ドイツ全権大使です。1860年に来日し,1875年シナ公使として転任するまで日本にいました。これは,丁度,明治維新まっただ中と言えるでしょう。本書は,『東アジアにおける33年間-あるドイツ外交官の思い出』(1902年発行)のうち,日本に関する部分を抜き出して訳したものです。
 この頃のドイツは,イギリスやフランス,アメリカなどとはちがい,まだ本当の列強の仲間入りを果たしていませんでした。ですから,なかなかおもしろい目で,列強や日本,そして自国の利益について見ています。
 生麦事件や,堺事件などの外国人襲撃事件の顛末なども始めて聞く話がいっぱいです。
 外国人を襲撃した日本人を裁くべく,大君(将軍)や,帝に要請し,何度も処刑が行われます。しかし,その死体が葬られたお寺のお墓の前に,「日本をのっとろうとする野蛮人を討った英雄」として訪れる人が絶えないという詰も締介しています。だからこそ,処刑は武士の威厳を現すことできる「切腹」ではなく,単なる死刑とすべきというような論も,この頃の外国人公使たちには出てくるのです。
 また,政治や外交的な話だけでなく,蝦夷地への旅行で見た,アイヌの人々と日本人の関係や,富士山に登ったときの話などもなかなかおもしろいです。
 例えば,蝦夷地のアイヌについては,
▼アイヌは.かつては少なくとも本土の北半分全体を占めていたが,次第に日本人のために遠方へ押しのけられ.最後には津軽海峡を越えた遠方へ撃退されていった。(172ぺ)
▼ここでまた私は,理論と実践とは別のことであるという古来の格言の正しいことを確借したのである。日本人は国力の面でおのれに勝る外国人に商業上利用されることに反抗する一方で,自分たちより弱い民族に対しては,ほとんど奴隷同然にこれをこき使って経済的搾取を行なうのである。(189ペ)
などと,日本人の少数民族への侵略と差別意識を指摘しながらも,西欧人としては
▼私は蝦夷を旅行する聞に,この土地はヨーロッパ人の植民地として格別に適していると確信することができた。気候は少なくとも島の南部において北欧のそれと合致し,地味は肥え,灌漑の便が非常に良く,石炭の埋蔵量も多い。魚類の豊富なことも特記に値し,また.海藻や硫黄,その他の品目は直ちに有利な輸出貿易の基礎となる。土着のアイヌと本土からの移民は数が少ないので,ヨーロッパ人の入植に障害となりうるものではないし,また,島に置くべき守傭兵や駐留地のことは問題とするに足りなかった。(195ぺ)
と述べ,侵略者としての一面も見せています(当時,これは列強にとっては常識的なことだったのだろうが…)。
 プラントの回想録は,昭和17年に『黎明日本』として既に訳出されているそうです。しかし,時代が時代のため,天皇批判やアイヌへの搾取等については省略されているといいます。
 本書は,原潔・永岡敦両氏による共訳ですが,けっこう読みやすくして下さったようです。特に,幕府の布告や帝の勅令のようなものは,原文を掲載しないで,ドイツ語から訳した者になっているので,現代の私たちにも読みやすくなっています。
 あとまだ読んでいない「外国人から見た明治維新」関連本があります。これから順を追って読んでみたいと思います。

○田中彰著『岩倉使節団-明治維新のなかの米欧』(講談社現代新書,1977,206ぺ)
 これもまた,先に紹介した本の中の1冊です。岩倉使節団については,全くと言っていいほど知識がなかったので,おもしろく読めました。
 欧米で見た外国人に対しての思いがとてもおもしろいです。
 この使節団の記録は,久米邦武編『特命全権大使 米欧回覧実記(全5巻)』(岩波文庫)という本で読むことができます。漢字とカタカナの文章でたいへん読みにくいのですが,けっきょく手に入れてしまいました(もちろん古本です)。いつかまた読んでみます。
 この『回覧実記』には,現代語訳も出ているのですが,たいへん高価な本です。検索してみたら県立図書館にはあるようですので。l冊ずつ借りようかなあ。でも飯田まで行くのが面倒くさい…。

○中山茂著『一戸直蔵-野におりた志の人』(リブロポート,1989,256ぺ,1400円)
 これは興味深い本でした。一戸直蔵(いちのへなおぞう)というのは,1878年(明治11年)生まれの天文科学者です。その彼の伝記です。この本は,昨年の仮説の全国大会のおり,キリン館かどこかのお店で「おもしろいですよ」と勧められて購入したものです。
 彼は,なかなかおもしろい人生を歩んでいます。
 明治から大正にかけての日本の科学の勃興期に,本物の学問を追求したがために上司や先輩と仲違いし,下野にくだらなければならなかった直蔵は,それでも「現代之科学」という科学啓蒙雑誌を発行し続けることに全力を候けます。採算の合わない雑誌の発行の危機を何度も迎えながらも,直蔵の志に共感し,損を覚悟で引き受けるある編集者。
 人間のまっすぐな生き方が,心に響きます。
 これは,シリーズ物になるはずでした(別紙参照)。
 この「民間日本学者」について,何冊ぐらい発行されたのか,発行されなかったのかとても知りたくなったので,ネットで調べてみました。
 知る人は少ないかもしれないが、今はなき出版社リブロポートから「シリーズ民間日本学者」というシリーズ物が刊行されていた。関根弘の『花田清輝』や鶴見俊輔の『夢野久作』、山下恒夫の『石井研堂』といった魅力的なラインナップが並ぶ。その内の一冊として津野(海太郎-引用者)さんの『坪内逍遥』も予定されていたのだ。それが版元を変えて再開されたわけだ。嬉しい(けれど中薗英助の『岸田吟香』や高瀬善夫の『江原素六』や阿奈井文彦の『梅原北明』といった作品は幻に終わってしまったのだろうか)。
(坪内祐三「本を分解する」『半歩遅れの読書術Ⅰ』日本経済新聞社所収,P.99-100)
とあり,途中まで発行されたものの,それは完結されなかったことが分かります。
 古本屋などのサイトを検索すると,どうも42冊出たようです。いずれも今では絶版
です。
 そうなるとかえってほしくなるのですが,我慢我慢…できるかなあ。
 40冊セットで6万円(ということは原価と同じくらい)というのも見たのだが‥・。

○三好京三他者『写真・絵画集成 ジュニア文学館・宮沢賢治全3巻』(日本国書センター,1996年,各巻190ペ,全巻柵36000円)
 宮沢賢治の「やまなし」が国語の教科書に出てきます。この季節になると,どうも宮沢賢治が気になって仕方がない。今年もまた,いろいろと見つけて読んでいるところです。
 宇出津の図書館へ賢治の絵本を借りに行ったところ,そこの係の人が「先生,こんな本もありますよ」と紹介してくれたのが,この本です。
 値段を見てびっくり。1冊12000円という代物です。
 第1巻が「宮沢賢治の生涯」,第2巻「宮沢賢治の童話」,第3巻「宮沢賢治の詩」というテーマになっています。
 第1巻では,賢治の生涯を豊富な写真で紹介してくれています。編者の三好京三氏の「宮沢賢治と私・イーハトープのきらめく星」という文章は,三好氏と賢治との何度かの出会いが書かれていて,楽しんで読めました。
 第2巻では,童話が何本か。そして,第3巻には詩集「春と修羅」の一部が納められています。
 『春と修羅』の中には,初めて読んだ詩もあったけど,残念ながら,何を言いたいのか分からないのが多いんだよなあ。これじやあ,世間になかなか認められないよなあ。発行当初ほとんど売れなかったという初版本が,今では数万円でも手に入らないそうです。
 今読んでいる,宮沢賢治と国柱会,日蓮宗との関連図書は,1月に紹介したいと思います。これは昨年来の課題ですからね。

11月号

○中田哲也著『フード・マイレージ』(日本評論社,2007,226p,1800円)
「本書は,日本が世界最大の食糧輸入国であるという事実を知らずに,あるいは知っていても何の疑問も感じていない多くの消費者を主な対象としている」と「はじめに」に書かれています。ま,それから言うと,私は該当しないのかも知れません。
 先月紹介した授業プラン「コンビニから見える世界」を作るにあたって,その理論的基礎となる本なので購入しました。
 この本の主題である「フード・マイレージ」については,すでに紹介済なので省略します。
 本書には,一般的な「フード・マイレージ」の数値が巻末に資料としてついていますし,前回紹介した大地を守る会のサイトの紹介もあります。「もしも給食を地産地消にできたら」という試算が興味深かったです。こういういくつかの具体例を入れることで,先に作った授業プランがもう少し肉のあるものになりそうです。
 次回までには,もう少しふくらませたいなあ。

○アジア太平洋資料センター編『徹底解剖 100円ショップ』(コモンズ,2004,204p,1600円)
 100均の商品は,なぜ100均なのか。
 どうしてそれが可能なのか。
 製品はどこで作られているのか,その労働現場は…。
 100均の店員さんで正規採用はどれくらいいるのだろうか?
など,いろいろと教えてくれる本でした。
 100均に一度でも疑問を持ったあなた。読んでみて下さい。
 きっと,「やっぱりわたしの予想どおり」という部分もあれば,「そうだったのか~」と思うこともあるはずです。
 使いすてられるかも知れない「現地の企業」の部分に一番衝撃をうけたわたしでした。

○小野俊太郎著『モスラの精神史』(講談社現代新書,2007,275p,760円)→「網野善彦氏の著作を読む」へ

○守屋慶子・高橋通子著『先生ってなにする人?』(金子書房,2007,326p,2800円)
 ここに出てくるW先生というのは,仮説実験授業研究会の当初からの会員である,W先生のことです。
 今から30年前の先生のクラスの子どもたちがどのように成長したのか。1年生から6年生までクラス変えなしの持ち上がりで,どんな子どもになるのか(なったのか)。また,現在,その時代を振り返って,当事者達は,その当時のことをどう思っているのか。今の自分が当時の教育から受けている影響はなんだと思うかなど,30年前の資料と,30年後のインタビューとで構成された,すごい本です。こんな本は,どこをさがしてもないでしょう。
 仮説実験授業を柱としながらも,学級通信を通じて親と子どもと教師がつながり合う姿や日記・自由勉強帳のようなものを通しての実践。朝の会でのお話など,W学級の姿とそこで生き生きと活動する子どもたちが浮かび上がってきます。
 仮説に興味のある人だけでなく,すべての教師に読んでほしいなあと思います。ちょっと高いけど,それだけの価値はあるでしょう。

10月号

○桑原史成著『イムジンガン-垣間見た北朝鮮』(草の根出版会,2003,143ぺ,1800円)
 本書は,ある本屋さんからDVDを買った時に「いつもありがとうございます」といって頂いたものです。だから,自分から求めた本ではありません。
 著者の桑原さんは写真家でもあります。「水俣病」「韓国」「ベトナム」などの個展を開いてきたという経歴からも想像できるように,本書の内容も一部マスコミの「北朝鮮バッシング」とは一線を画しています。
 豊富な白黒写真(一部カラー)と,肩肘張らない文章で,「日本の敗戦処理の拙さと冷戦の出現に朝鮮半島の人びとは翻弄されてきている」(あとがき)ようすが伝わってきます。それは,私たちも戦後世代も背負わなければならい,負の遺産なのです。

○ルドルフ・ヘス著『アウシュビッツ収容所』(講談社学術文庫,1999,460ぺ,1450円)
 先月のサークルでSさんから話題提供のあった「アウシュビッツ」。
 あのとき,「確かオレもそれ関係の本を買ってあったはず」と思って本棚を探したらありました。我ながらいい記憶です。まだまだぼけておらんわいのう。
 さて,本書は,
「アウシュビッツ強制収容所所長であったルドルフ・ヘス本人が,抑留者大量虐殺に至ったその全貌を淡々とした筆致で記述した驚くべき告白遺録」(文庫裏表紙)
です。第二次世界大戦後,生き残り,アウシュビッツで行われてきたことを知る当事者としてのこの証言集は,それだけでも貴重な資料です。
 この証言集から私が感じたことは「人はなぜこうも冷徹に命令を貫徹できるのか」です。家に帰れば農園を開き,妻や子どもたちとたのしい休日を過ごそう,そういう生活を大切にしてきたヘス。しかし,ひとたびヒムラーからの命令が下ると,その人間性は影を潜め,彼は命令実行マシンと化します。毒ガスによる殺人方法が確立された時,「それは便利だ。苦しまないで死ぬことができる」という感想をもったことも素直に書かれています。収容所での看守による収容者へのいじめや虐待には毅然とした態度で臨んでいたことも分かります。
「あのときに,ヒムラーの命令に背くことは考えられなかった」というヘス。妄信は猛進を生み,妄信が確信となった時,悲劇はより大きくなるのでしょう。
 分厚い本ですが,一気に読めると思います。まずは,編者の「序文」(30ページ)だけでも読んでみて下さい。その概略はつかめると思います。
 訳者は片岡啓治さん。普通,翻訳物はとても読みにくものが多いのですが,本書は大変読みやすくなっています。訳者の力を感じます。

○福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書,2007,285ぺ,740円)
 今年の5月に刊行されて,新書のベストセラーになっています。
 この「生物と無生物のあいだ」という微妙な領域の題名に興味を持って読んでみました。
 自分で分裂できないウィルスは生物なのでしょうか? DNAの発見を巡る争いとは…。ノックアウトマウスとは何?など,いろいろなことに分かりやすく答えてくれます。ホントに分かりやすいんですよ。だからベストセラーなんだろうけど。
 新しい生物学者エッセイストを知ったという感じです。
 寺田寅彦・中谷宇吉郎・湯川秀樹・朝永振一郎など,科学者でありながらも随筆の上手な人がいます。私も彼等の読者のつもりです。この福岡さんももしかしたら,私にとって生物学から随筆家のひとりになるのかも知れません(今までに読んでいたのは日高敏隆さんくらいだった)。
 私たち生命体は,たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも,それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり,常に分子を外部から与えないと,出ていく分子との収支が合わなくなる。(本書163ペ)
 ノックアウトマウスの話を読んで,「ほほ~そんなのがあるのか」と思っていたところ,今年のノーベル賞には,そのノックアウトマウス関連のものもあると新聞で読みました。最先端なんですねえ。
【10月9日 AFP】(一部修正)2007年のノーベル医学生理学賞は、特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス(knockout mice)」を作ることに成功したマリオ・カペッキ、オリバー・スミシーズ(米国)、マーチン・エバンス(英国)の3氏に贈られることが決定した。3氏はそれぞれ、マウスの胚性幹細胞の遺伝子を操作して人間の病気を複製した実験用マウスを作成する方法を発見した功績が認めらた。(AFPBBニュースHPより)
 先月,斎藤喜博の言葉として紹介した「教師としての3条件」のうち,第3の「芸術とか科学とか,それぞれの専門的な分野で,それぞれ現在到達している研究成果を教師がはっきりと持っていることである」ことの一つとして,本書をお読み下さい。

○板倉聖宣著『世宗大王の生涯』(仮説社,2007,128ペ,1800円)→「ハングルを学ぶ」へ

○村田稔著『車イスから見た街』(岩波ジュニア新書,1994,176ぺ,640円)
 ブックオフで100円。100円コーナーでは,ちょっとでも興味があったら5冊ほど購入しておくという買い物をします。これもその1冊。
 うちの学校には毎朝,<朝読>があります。そのときに読んでいたのが本書です。著者は,車イスの弁護士として活躍しているそうです。
▼私の約50年の人生は,いつも小便をがまんしながらの人生でした。あなたが小便をがまんしなくてもよいは,あなたの足が動くからではありません。街のなかのいたるところに,あなたの使えるトイレがあるからです。車イスの私が小便をがまんしなければならないのは,私の足が動かないからではありません。街のなかに,車イスで使えるトイレがほとんどないからです。173ペ)

9月号

○新澪ハルカ著『捨て犬トッティ(上・下)』(けやき出版,2006,370ぺ,1600円)
 まえがきで著者の新澪さんは「ペットショップに足を運ぶその前に,捨てられていく無数の生き物たちの声なき声に,どうか耳を傾けてあげてください」と呼びかけています。
 物語の主人公は,なぜか捨てられてしまったビーグル犬のトッティ。いつも夢に出てくる小さな女の子を求めてさまよい歩きます。その間,200匹の捨て犬が住む「ポンコツ山」にいたり,町へ出て,いろんな捨てられた動物に出会ったり,はたまた飼われているけれども幸せそうに見えない犬にあったりします。
 終末は書きませんね。
 本書は,ビーグル犬が出ているから買いました。私が読む前に,うちの娘たちが学校の朝読の時間に読んでいました。私は,4月から7月の朝読の時間に読んでいました。この本に目を通している間に,うちのビーグル犬が亡くなったのです。

○板倉聖宣・松田勤著『電子レンジと電磁波』(仮説社,2006,138ぺ,2000円)
○板倉聖宣・田中良明著『偏光板であそぼう』(仮説社,2007,130ぺ,2000円) 
 サイエンスシアターシリーズ「電磁波を探る」の中の第2巻と3巻です。
 第2巻は同名の授業書《電子レンジと電磁波》が元になってできています。この授業書の内容を全く知らないで,体験講座を受けたことがあり,とてもおもしろかったことを覚えています。家に帰るとすぐに実験用の電子レンジを購入しました。とても家庭にあるのを使う許可が出ないと思ったので。でも,まだ1回も使っていません。ん~1万数千円がもったいない。
 第3巻は,偏光板で光の波を感じましょうってなつくりです。偏光板が無いとおもしろくないのですが,ちゃんと偏光板が付録についています。この本も,仮説実験授業の授業書《偏光板の世界》が元になってできています。
 いずれも自分で実験できるようになっていますので,なかなかおもしろいですよ。このシリーズから発展して,いろいろな実験を工夫してみるのもおもしろいかも知れません。

○藤岡信勝編著『教科書が教えない歴史』(産経新聞社,1996,253ぺ,1400円)
 まあ,一世を風靡したシリーズの第1冊目かな。よく知らない人もいるでしょ。
 こういうのは新しい本で買うのはもったいないので,ブックオフで105円で買いました。
 別にいいんだけどね,いろいろな話題があるのは。歴史もきらいな方ではないし。でも,たくさんある事実の中からなんか枝葉末節な話題を取り上げながら,いままでの歴史観(彼等がいう自虐史観=一般的にいままでの歴史の教科書がだれも自虐だとは思っていないんですがね)をひっくり返そうとする意志が見え見えで,興ざめしますよ。
 たとえば,もしも「原爆落とすな!」と言ったアメリカ兵がたくさんいたからといって,原爆を落としたことが免罪されるわけではないんだけどなあ。
 どの事実を取り上げて教えるかで,作られるイメージは変わってしまいます。だからこそ,予想を立てて目的意識的に働きかけながら調べていかないと,党派制に支配されたままの歴史観しか形作れないのです。
 それは,左も右も同じですけれど…。

○『DVDBOOK・NHK世界遺産100(全5巻)』(小学館,2005,60ぺ,各2940円)
 5,6年前から世界遺産のまとまった映像と本が欲しいと思っていたのですが,やっと手頃なものがでました。映像はNHKで放映されている約5分/件くらいのものです。それが各巻に20件分(95分)入っています。本の方は,オールカラーですが,そんなに詳しいものではありませんが,おおざっぱに知るには十分です。詳しく調べたかったら,今じゃネットがありますからね。

○藤野紘著『日本人の美しい和のふるまい』(夢新書,2007,204ぺ,720円)
 日本ブームだからつくられたのだろうなあという本。自家用車の中で待つときの暇つぶしに買ったんですけど,そのとおりの本でした。まあ,雑学本ですね。
 日本のしきたりについて,これはこうこうこういう過去があるのだというところまではいいのですが,「なんでそういえるの?」という根拠や出典などについては何も書かれていません。
 巻末には,参考文献がまとめて40以上も紹介されているので,それなりに根拠はあるのだと思いますが…。
 まあ,こういう民俗学っぽいことに,あまり根拠の正当性を求めなくてもいいのかな。でも,「○○だから日本人らしい」と言い方には,ちょっと眉唾です。

7月号のデーターがどっかへ行ってしまった…。スキャナで読み取り中ってことで

4,5,6月号

 新しい学校に来て,本を読むことよりも,学級の仕事をしている方が楽しくて,ついついそちらの方に時間を取っています。だから,ちょっといつもより少ない紹介になりました。

○杉山亮編著『朝の連続小説2』(仮説社,2007,222ぺ,2000円)
 続編が出ました。今回は「おすすめガイドブック」と共に,朝連に取り組んできた人たちの感想やレポートが寄せられていて,これから取り組んでみようという人の背中を押してくれる内容となっています。
 私も,久しぶりに担任した昨年は,ずっと朝連をしてきました。
 読んだ本は,
『青い目のバンチョウ』『はれときどきぶた』『青空晴之助』『おれがあいつであいつがおれで』『窓際のトットちゃん』
です。『トットちゃん』の途中で学年末となりました。
 毎朝の5分間,子どもたちは楽しみにしてくれました。
 朝読と朝連の違いは,「同じ空気の共有」の有無にありそうです。
 今の学校でも朝読をしています。職朝をなくしてまでやっています。確かに,とても静かに本を読んではいるのですが…。朝連を始めるかどうかは。まだ決めていません。

○千葉保監修『コンビニ弁当16万キロの旅』(太郎次郎社エディタス,2005,110ぺ,2000円)
 これはおもしろい本でした。いわゆる食に関わる環境問題を扱っているのですが,最初がおもしろいです。
 コンビニの店長になったつもりで,弁当の注文をし,天候によってはこれだけの在庫が残って損をしますよ-なんてゲームのようなものも載っていて,いつの間にやらこの本の世界に入っていました。というわけで一気に読んでしまいました。
 「バーチャル・ウォーター」「フード・マイレージ」などという食の輸入や環境・水問題についてのキーワードも初めて知りました。
 7月に入ったら授業プラン化をして,10月の教研に持っていこうかなあと思っています。ま,思っているだけですが…。
追伸:ちゃんと授業プラン化をして県教研の環境部会で紹介してきました。そのプランのネットでの公表は出版社からOKがでなかったので,ここでは紹介できません。興味のある方は,個別に連絡を下さい。

○板倉聖宣著『子どもの学力 教師の学力』(仮説社,2007,195ぺ,1800円)
 板倉さんの論文集の最新版です。納められている論文は,8本。そのうち,月刊『たのしい授業』からは,4本収録されています。あとの論文は,『教育フォーラム』『月刊社会教育』『悠』『私の評価論(再録)』より転載・加筆したものです。
 いずれも,今の教育界を席捲している「学力低下」という問題に対し,原点に返った論議をしていますので,いつものように大変刺激的です。
「虹は7色か?」という問題を調べた板倉さんは,そういう知識が日本で一般化してしまったということに絡め,次のように述べています。
▼この事件は「たくさんの知識を詰め込むと,自分自身の感覚を大切にして創造的に考える能力をだめにしてしまう」ということを示している。(40ぺ)
 また,最近の学力低下を巡る教育界の一喜一憂状態に対しては,
▼国際学力調査の点数に一喜一憂していると,効果を発揮できない「学力」ばかりを養成することになる。そんなことにとらわれずに,子どもたちが本当に喜ぶ授業を開発して日本の子どもたちの創造性を育てることが大切なのだ。(42ぺ) 
と述べ,目先の「学力」に振り回されることなくじっくりと教育研究を積み重ねることの必要性を訴えています。
▼教えられないことを宝物のようにするから,善意があればあるほど傷ついちゃうんですね。そんなことだったら,いいかげんに扱ってくれたほうがずっとましだと私は思うんです。(78ぺ)
 だから,その教材や知識が,「教科書にあるから教える」,「楽しくないけど<学力>をつけなければならない教える」のならば,教師は,いいかげんに扱ったほうがいいのかもしれないというわけです。無理して定着させるために子どもたちを追い詰めないことです。そんな知識は役に立たないのですから。みんな自分の小中学生時代を振り返ってみれば分かるのではないでしょうか。無理矢理身につけた知識は,どれくらい役立っているのでしょうか? 教師としての仕事から離れた時に,どれくらい自分から学ぼうと思っているでしょう。そちらの意欲のほうが心配です。
▼1時間でも2時間でもいい,学びがいがあること,「あー,オレは学んでよかったなあ」という時間を増やしていくということではないか。そう思います。それが,彼らの生きていく意欲につながり,ほんとうの意味の学力になるんじゃないか。今や,ほんとうの能力とか学力とかその前に,意欲というものが基本にありますね。意欲がなければすべてだめですね。(79ぺ)
 こんな風にも述べる板倉さんです。
     「教育効果=学力×意欲」(本サイトのタイトルにもある)
 この式をもう一度かみしめたいものです。意欲がなければ,教育効果はゼロなのです。いや,もしかすると,マイナスと言うこともあり得ます。「2度と理科(算数・社会などなど)なんか勉強するものか」といって,自分世界から理科(算数・社会などなど)を追い出すことにもなりかねないのですから。

○数学教育協議会編『算数・数学なぜなぜ事典』(日本評論社,1993,344ぺ,2900円)
 数学教育協議会(数教協)の研究成果がいっぱい詰まった「算数・数学事典」です。各項目が4ページにコンパクトにまとめられており,100項目,どこから読んでも読めるようになっています。ま,でも,普通の事典と言うよりは,最初からじっくり読んで数学の世界に遊ぶことのできる本となっています。
 本書には『算数数学なっとく事典』(同上,1994)という続編も出ていて,同じく100項目について書かれています。
 両書とも,数教協の創立40周年記念の一つとして編集されたということです。数教協関連の本が,なかなか店頭に並ばなくて困っているのですが,本書は,中学・高校の数学教育の内容の一部も網羅している事典となっているので,なかなか便利かもしれません(小学校の先生は,普通そんな関係の本を読まないものね)。
 ただ,それぞれに索引がないので,目次を見て,読みたいものを判断するしかありません。それが残念!

○小谷敏編『子ども論を読む』(世界思想社,2003,271ぺ,2000円)
 戦後の『山びこ学校』から,アダルト・チルドレン,そして子どもに死を教える「命の授業」の取り組みなど,子どもの教育・養育をめぐる言説を,時代を追って紹介し,その時代の子供観を明らかにしています。
 本書を読むと,教育って本当にはやりの世界だなと思ってしまいます。子ども自身,そんなに変わったわけではないのに,社会の要請が子どもの教育に与える影響が大きいなと思いました。ブックオフで100円だよ,これが。  

3月号

 最近,あんまり本を読んでいません(読書の時間は,1日30分ぐらいかなあ)。休みの日には,娘の転居で遠くへ行ってきたり,家にいるときには録画しておいた「NHKハングル講座」を見たりして過ごしています。17日も家族は金沢へお買い物に行きましたが,私はサークルに参加するために,家に残っているというわけです。

○松岡正剛著『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社,2006,363ぺ,1700円)
 新聞の紹介欄で見つけました。「編集」という言葉をキーワードにして,世界の歴史と文化を日本のものとつなげるという壮大な内容でした。17歳では難しいと思います。むしろ,一通り歴史や文化を勉強してきた大人が読むと,その関連性がよく分かっておもしろいと思います。大学での「人間と文化」の講義を元に編集したものだそうです。

○板倉聖宣著『勝海舟と明治維新』(仮説社,2006,275ぺ,2000円)
 やっと出ました。『たの授』で連載していたときから,はやく1冊の本にならないかなあと思っていました。
 明治維新は,日本史の中でも私の好きな時代です。それは,高校時代に大村益次郎(村田蔵六)が主人公の『花神』を読んでからです。学生時代にも,明治維新について書かれている岩波新書なんかをよく読みました。在籍は,物理学科だったけど,社会科学系統の本ばかり読んでましたから…。
 その中で,勝海舟って人の位置が,もう一つよく分かりませんでした。幕府側でありながら,明治政府へも発言力があるような感じがピンとこないのです。
 本書を読んで,勝海舟は蘭学を学んでいたお陰で,日本の進むべき道を予想することができたんだなあと思いました。
 板倉さんは勝海舟を取り上げた理由を次のように述べています。
▼多くの国の人びとは,外国から侵略されそうになるという「国難」を目の前にすると,その意見が大きく分裂して,国難に対処するよりさきに,仲間喧嘩をはじめます。その結果,収拾がつかなくなって,当の外国に味方を頼んだりして,その挙げ句にほんとうに植民地化されてしまったりしてきました。そういうときに「自ら負けることによって国を救った」という生き方を示した勝海舟のような人を,私はほかに知りません。「勝海舟の仕事は世界の人びとに紹介するのに値するのではないか」と考えるようになったのです。(266ぺ)

○山路さん他著『教育という仕事を考える』(のほ☆ほん屋,2005,252ぺ,ガリ本)
 仮説実験授業研究会の山路さん,二階堂さん,中さんの3名が,夏の全国大会のプレ企画「教育という仕事を考える」で話した内容の記録集です。
 パネルディスカッションでの二階堂さんのお話から,成果主義などについて語っている部分を紹介します。
▼他にも色々なことがやられていますよね。例えば2学期制。昨日の話だと,足立区はやっているみたいですけど,我が笠岡市はやっていません。我が笠岡市の小学校長会は,「二学期制反対」って声明を出したんです。結局バラバラなんですよ。それが今の日本です。そして,これを私達は「いい時代」と呼んでいるんです。私達は何が何だか分からない時には「仮説を立てて,実験しなければ分からないんだ」ということを知っているのです。「いろんなことがおこるに決まっている」「何がいいのかは,実験的にみていこう」という考えを持っているのが私達なんです。(206ぺ)
 二階堂さんは,つづけて「歴史の実験というのはすごく重みがあるし,犠牲もはらいます。自分だけは犠牲者になりたくない」といって会場を笑わせています。「だからそんな実験は,どこかよその県でやってくれないかなあ」と思うんですよね。
 金沢で始まった二学期制や英語特区。石川県全体で行われている成果主義も大きな歴史の実験です。私は失敗すると思っていますが,さて10年後にはどうなっているのでしょうか。皆さんも予想を立ててみましょう。

○小西豊治著『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書,2006,205ぺ,700円)
 著者は,珠洲市正院町の出身だということで,いろは書店に置いてありました。内容よりも,そのことだけで購入して読むことにしたんです。
 内容もおもしろかったです。自民党や右派がいう「日本国憲法が米国の押しつけである」という論理を,歴史的事実をあげながら,否定しています。特に,象徴天皇制を取り上げるに至った経緯について,明治憲法時代にまでさかのぼりながら述べています。今まで読んだことのなかった内容でした。
 新憲法案を作ったという憲法研究会の中心人物の鈴木安蔵(すずきやすぞう)という人。なかなかおもしろそうな人です。ネットでも,鈴木さんにふれている記事をいくつか見つけました。

○白川静監修『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(共同通信社,2006,190ぺ,1000円)
 昨年10月になくなった白川さんの「漢字学」から,素人でもわかって楽しそうなものを選んで小山鉄郎という人がまとめた1冊の本です。
 白川さんのまとめた字典では『字通』(平凡社,約2万円)と常用漢字を抜粋して載せているコンパクトな『常用字解』(平凡社,約3000円)がわたしの本棚にあります。そして『常用字解』の方は,いつも教室の教卓に置いてあります。
 本書のことは,NHKのBSのブックトーク番組で知りました。この間,本屋へ行ったら平積みされていたので,売れているのだと思います。
 漢字の成り立ちはとてもおもしろいのですが,一度読んでも,すぐに忘れてしまうんですよねえ。困ったもんだ(上のリンクは文庫本です)。

○『<新哲学を学ぶ会>記録集』(キツネ書房,2005,343ぺ,ガリ本)
 2005年1月に2泊3日で行われた「新哲学を学ぶ会」の記録集です。大変詳しくまとめられています。ナイターのことも載っていて,すごくおもしろい本です
 民主主義と多数決に関して,板倉さんは次のように述べています。
▼まあしぶしぶでもなんでもいろんな妥協のしかたがあるわけで。ただその状態は自分としては奴隷的状態だと自覚していればいいんですよ。「民主主義だからいいんだとは思わないよ」と。そういうことはちゃんとしないとルソーなんかが言った基本的人権という言葉の意味がわからないですよ。基本的人権というのは,法律があろうとなかろうとおれはおれなんだということなんだから。だからある意味では,ルソーの方が民主主義社会より上になっちゃう。(87ぺ)
▼だから民主主義っていうのは,下手をすると免罪符みたいになってるんだね。『組織の一員としては,自分の意志に反したことなんだけど仕方がないことだ」と。しかし,裁判はそんな甘ったれたことは認めてくれない。ぼくは「そのくらいのことはちゃんと知っててくれよ」ということなの。(88ペ)

 社会生活を営む以上,妥協せざるを得ないことは沢山あります。そのときに,「今,オレは奴隷的状態にいるのだ」と意識していることが大切なのですね。そうしないと,いつの間にか自分の生き方さえもへんな方向に進んでいきそうです。できるならば妥協なしで生きたいものですが,そうとばかりは言えませんから。
 最近の北朝鮮バッシングについては,「認識の党派性」という事に関わって次のように述べていらっしゃいます。
▼「認識の党派性」というのは,最近言われなくなって,若い人は知らない。「認識の党派性」のことを若い人がちが知らないことはちょっと心配です。あることが世の中でたくさん言われるようになったというときには,それは真理であるから言われることもありますが,真理でないから言われることもあります。真理でないからというか,真理でないにもかかわらず,党派的な理論で振り回されている。そういうことが少なくない。そういう時にごまかされてしまうんです。(130ペ)
▼数量というものは,元来無価値なものですけど,何か他の量と比べて,多いか少ないか,そこで意味がつくんです。(131ペ)

 他にも刺激的な言葉がいっぱいつまっている本です。板倉哲学は,元気よく生きるエネルギーを与えてくれます。
▼学ぶことなしに学問はないのです。みんな誰だって考えられると思ったら大間違いです。学ばなかったらどんな学問もないのです。そのことを発見しなきゃ困るんです。哲学の本を読もうとか,誰かの論文を読もうとかしないで,「俺だって頭があるんだ」「俺だって考えられるんだ」と,そういう傲慢な考え方じゃダメなんです。(219ぺ)
 こんなことを分かっている大人はどれくらいいるのだろうかと心配になります。やっぱり学問することって大切です。小泉さんの靖国問題への対処は,本当に学問を知らない幼稚な行動でしたものね。あれで一国の総理なんだからなあ。それをきゃーきゃー言って選ぶ国民も国民ですね。

2月号

 今月は,いろんな人から紹介のあった本を手にとって読んでみました。

○三田紀房著『個性を捨てろ! 型にはまれ!』(大和書房,2006,190ぺ,1200円)
 Hさんが紹介していました。『ドラゴン桜』の著者が書いた本です。いちいちごもっともでした。ドラゴン桜を読んでいる私とっては,内容がストンと入っていきました。その中でも以下の箇所に赤線を引きました。
▼我々が仕事でミスをするとき,それは9割以上が「普通のことができなかった」結果なのだ。それ以上の難しいことを期待されることなんてほとんどないし,仮にそこで失敗したとしてもミスとは思われない。(31ぺ)
 どの仕事にも大切なことは同じかもしれません。顧客(子ども)の気持ちを考える。ある程度準備をして望む。なにかあったらすぐに対応する。こういうことがうまくできないと,教師としても…になるのではないか。「難しいことを失敗してもミスとは思われない」とは言い得て妙ですねえ。そのとおりです。
▼新しい『型』を身につけることとは,これまでの『型』を壊すことなのである。だから,どうしても『型』が身につかないという人は,ほとんどの場合がこの「いまの『型』をこわすことに失敗している。着ぐるみの上から別の着ぐるみを着ようとしているのである。(82ぺ)
 仮説実験授業の運営法が身につかない人は,今までの着ぐるみをうまく脱げないのでしょうね。今までの服の上からもう一枚「仮説服」を着ようとするからうまくフィットしないのです。今までの着ぐるみを脱ぎ捨てないと「子ども中心主義」の着ぐるみは着れません。私たち教師は,知らないうちに教育界の常識という「分厚い着ぐるみ」をきてしまっている可能性もあるのですから。
▼僕は,この「誰かの役に立つ」あるいは「誰かに求められる」ということこそ,最大の個性だと思っている。意味もなく目立ったり,変わり者になったりするのが個性ではない。(185ぺ)
 「個性」といえば「隣の子とは,めちゃくちゃ変わった部分」みたいなイメージがありますよね。だから,この三田さんの言葉には「ハッ」とさせられました。「人から頼りにされるということが,そのまま個性だといえる」と考えれば,みんな個性があるじゃないですか。「オンリー・ワン」の歌を歌うまでもないのです。「そのままの君でいいのだ」って言ってやりたいですね。

ドラゴン桜から気に入った言葉を抜き出して,学級通信で紹介してきました。その台詞を集めてみました。→「教育の原点が見えてくる『ドラゴン桜』の台詞

○広中平祐著『可変思考』(光文社文庫,2006,276ぺ,514円)
 発行が2006年となっていますが,元版は,1982年発行の『「可変思考」で創造しよう』という本です。ですから今から20年以上も前の本です。
 内容については,先月,Hさんがじっくりと紹介してくれました。私も赤線を引いた場所がたくさんあります。一部紹介します。
▼日常ビッシリした「執着」=緊張の中にいてこそ「フリー」の意味も大きいわけで,いつでもフリーの状態にいては,ろくなアイディアが生まれてくるはずもない。(34ぺ)
▼つまり,可変とは,執着と自由の両方を含めたものを言うので,執着をもたない人間には,可変のありようがない。楷書体の字を書けないものがいきなり草書体を書いてもうまくいくわけがないのと同様に。(35ぺ)

 「執着がないと自由もない」という弁証法的な考え方が,とても気に入りました。いつも自由だというのはあり得ません。束縛されているからこそ,自由になったときには違う頭がはたらくのでしょう。
▼知恵という言葉をもう少しくだいて説明すると,広さ(知識)と深さ(思考力)と強さ(決断力)等々を総合した多面体である。(43ぺ)
 「知恵」というものを,こんなに簡潔に述べてくれた人も珍しい。大変分かりやすいとは思いませんか。この「決断力」も含めたあたりが大切なように思います。知識は性的なものかもしれませんが,知恵となると動的な部分も大切になりますよね。そういえば,斉藤さんの本に『決断力』ってのがありましたね。読んでないけど…。
▼「情報には情が入っている」と言うと,いかにも語呂合わせじみるが,真面目な話で,情報とはデーターを基につくられたイメージ,またはストーリーである。(206ぺ)
 これについては,中さんの学力低下やいじめなどの研究で証明されています。新聞のイメージがある方向への世論操作であることも知っていないと,判断を誤ることになります。今回,私がもってきた「選択制夫婦別姓」についてのレポートも,新聞とは違うイメージを作ってみたわけです。どちらを重視するのかは,各自の判断となるのでしょうし,もっといいのは,自分でそのデーターを解釈してみればいいのです。

○東野圭吾著『サンタのおばさん』(文藝春秋,2001,70ぺ,1330円)
 組合の両性と自立の学習会で紹介されていた本を2冊購入し読んでみました。
 このサンタさんの話はおもしろかったです。
 アメリカのサンタが連れてきたのは「サンタ希望の女性」だったのである。各国のサンタは「女性のサンタ」について,いろいろと意見を述べ合います。なぜ,女性がサンタになろうとしたのかは本文を読んでください。
 幼い頃からの生活で,わたしたちの中に知らず知らずの間に染みついてしまっている「ステレオタイプ」なものの見方に一石を投ずる絵本です。

○中山千夏著『へんなの』(自由国民社,2004,30ぺ,1470円)
 これも「両性学習会」の時に教えてもらった絵本。作者は中山千夏さん。昔から女性解放運動や市民運動に参加しています。議員にもなったっけ。最近は,教育基本法改悪反対の集会でもお話ししているようです。
 さて,本書には,いろいろな海の生物が出てきます。「生まれたときにはみんなオスのクマノミ」「オスが口の中で子どもを育てるネンブツダイ」「タツノオトシゴ」「メスのミツクリエナガチョウチンアンコウの脇腹にくっついているちっちゃなオスの姿」どを紹介しながら,男と女の役目という固定観念をひっくり返す内容になっています。ただ,最後の1ページがちょっと道徳っぽくて好きにはなれません。私が読むなら,最後の3行「おとこなのにへんなの なんてぼくはもう ぜんぜん おもわなかったよ!!」はけずっちゃうだろうな。
 これらの生き物のホンモノの写真も見たくなるお話です。高学年に読んでやるときには,写真を準備してあげると「知識」も増えていいかもね。

○マージェリー・ウィリアムズ著『ビロードのうさぎ』(童話館出版,2002,44ぺ,1400円)
 本書のことは,1988年のシスター・ベアトリスの講演で知りました。シスター・ベアトリスは,当時,ノートルダム女学院小学部?の校長先生でした。早くから仮説実験授業を実践してきた方で,私が初めて講演をお聞きしたのは,このとき,尼崎での「仮説実験授業提唱25周年記念フェスティバル」でのことです。
 今回,このときのテープをCD化していて改めて聞いていたところ,本書の紹介があったので手に入れてみました。
 ビロードでできたうさぎが,子どもの愛で「ほんものになる」という物語です。ピノキオのお話もそうでしたね。妖精も出てくるし…。
 訳者は,いしいももこさんです。ベアトリスが紹介していたのは別訳の本かもしれません。

○香山リカ・佐高信著『チルドレンな日本』(七つ森書館,2006,183ぺ,1400円)
 香山リカさんも佐高信さんも,ときどき紹介してきましたが,今回の本は,そのお二人の対談集です。七つ森書館の中里社長さんとは反連協を通してのおつきあいで,懇意にしていただいているので,ときどきこうして新刊本を購入しています。本書も,その中里社長の呼びかけで実現した対談だそうです。
▼私も佐高さんの書かれているものなどを拝見していて,佐高さんは思想的に偏ったりしていることもありませんし,世間のいろいろな人の立場になって当たり前のことを発言されていると思ったんです。媚びを売ったり,周りの顔色を窺うということもなく。で,私も佐高さんに倣ってではありませんが,精神科医という立場もあって病の人とか弱い立場の人,弱い立場に追い込まれてしまっている人の側に立ってものを考えたり発言したりしていて,べつに思想や政治的なスタンスがあるわけでもなく,自然にしている感じだったんです。ところが,気がついてみると世の中が変わっていて,少数者というか弱い立場の人の側に立って発言するというよりは,強い者の立場で発言するというのが普通になっていたんです。(177ペ)
 自分は変化していないのに周りが保守化しているのでしょう。国に守ってもらう安全とはどんなものなのかを考えずに,「安全」ばかり追求していると大変なことになりますよという警告の書です。

○落合恵子他著『戦争で得たものは憲法だけだ』(七つ森書館,2006,166ぺ,1200円)
 共著者には,落合さんの他に,香山リカ,姜尚中,斎藤貴男,佐高信,城山三郎,辛淑玉,高橋哲哉,高良鉄美,土井たか子,三木睦子,森永卓郎の各氏です。
 以上の蒼々たるメンバーが,「日本国憲法」のことや「最近の保守化する国民の様子」「自ら監視国家を選んでいくのはなぜか」など,多方面から掘り下げて議論をしています。ほとんどが「憲法行脚の会」の呼びかけ人達で,本書も,その行動の一環として作られました。
 このメンバーの中の三木睦美というのは,三木武夫元首相の奥さんです。三木さんも保守派の中では結構リベラルな方でしたが,奥さんはそれに負けないくらいリベラル派です。
 とても読みやすい本でした。
▼上辺にチャラチャラ走らなくても,骨があるんだから茶封筒でいいじゃないかという考え方もあると思いますが,私はいまは違うんじゃないかと思っています。もっとオシャレでカワイイ,形から入る平和,護憲というのがあってもいいんじゃないかなと思っていますので,私はそっちの方面でやれることがあればと思っています。(香山,48ぺ) 
 さすがに香山さんはわかい感覚で平和を訴えようとしています。「そういえば,反連協の案内文って全部茶封筒だったなあ」とこの部分を読んでいて笑っちゃいました。
▼憲法というのは何かと極端に言えば,人権の立場から特権を規制する,人権によって特権を規制するというのが憲法なのです。(佐高,74ぺ)
 武谷三男氏の編著書に『特権と人権』(勁草書房)というそのものズバリのタイトルの本もあります。もう一度読んでみようかな。

1月号

○勝部真長監修『忠臣蔵大全』(主婦と生活社,1998,400ペ,1800円)
 昨年末,忠臣蔵に凝っていたこともあり手に入れた本です。古本ですがね。
 忠臣蔵のお話は,どこまでが史実でどこがフィクションなのかよく知りませんでした。歴史物を見るとき(読むとき)は,フィクションが沢山含まれていることを承知していないと,まちがった歴史観を形成させられる危険性もあります。
 「まえがき」で監修者の勝部氏は,次のように述べています。
(本書で)追求しているのはもっぱら史実のほうである。いや,史実だからこそ1冊の本にまとめたといったほうが誤解を招かないかもしれない。というのも,『忠臣蔵』-正確には「赤穂事件」は,史実のほうがはるかに面白い要素が含まれているからである。事実は小説よりも奇なり,という。『忠臣蔵』こそ,まさに,その典型といってよいだろう。
 本書は4章にわかれています。第1章から第3章までは,いわゆる『忠臣蔵』の内容と史実との比較を順をおって述べています。
 第4章『「赤穂義士伝説」誕生の背景』では,この物語が庶民や当世の学者達にどのように受け入れられていたのかについて取り上げています。福沢諭吉が『学問のすすめ』で否定的な意見を言っているようです。そこで,岩波文庫でその該当部分を探してみました。「学問のすゝめ・六編 国法の貴きを論ず」(福沢諭吉著『学問のすゝめ』,岩波文庫,1942)にありましたよ。
▼昔徳川の時代に,浅野家の家来,主人の敵討とて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大いなる間違いならずや。このとき日本の政府は徳川なり,浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来も皆日本の国民にて,政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。(57~58ぺ)
 この部分には,赤線がひいてありました。いつ読んだのだったか忘れたけど(私の持っている本は1979年版,だからたぶん学生時代です),世間一般の判断とは違う意見なので,気になったのだと思います。さらに,少し進んだところには,「ホント?」という記述のある部分もありました。
▼四十七士の面々申し合わせて,各々その筋に由り法に従って政府に訴え出でなば,固(もと)より暴政府のことゆえ最初はその訴訟を取上げず,或いはその人を捕らえてこれを殺すこともあるべしと雖ども,仮令(たと)い一人は殺さるるもこれを恐れず,また代りて訴え出で,随って殺され随って訴え,四十七人の家来理を訴えて命を失い尽すに至らば,如何なる悪政府にても遂には必ずその理に伏し,上野介へも刑を加えて裁判を正しうすることあるべし。かくありてこそ始めて真の義士とも称すべき筈なるに,この理を知らず,身は国民の地位に居ながら国法の重きを顧みずして妄(みだり)に上野介を殺したるは,国民の職分を誤り政府の権を犯して私に人の罪を裁決したるものと言うべし。 (『学問のすゝめ』 58ぺ)
 国家や法というものに対して,全くの信頼を置くこの意見は,当時の私には違和感があったのでしょう。本当に47名が訴え出れば(そしてその死があれば)政府は変わるのだろうか-ということが気になったのでしょう。「国家の一員であるからには法に則ってやるべきだ」という福沢の意見に対し,私は「国民は悪法にも随うべきなのか」ということを考えていたように思います。
 第4部には,人形浄瑠璃や歌舞伎の演目にもなった『仮名手本忠臣蔵』の成立や各場面の内容についても説明があります。

○稲垣久和著『靖国神社「解放」論』(光文社,2006,297ぺ,1000円)→「靖国神社関連図書・ビデオ」へ

○シュリーマン著『古代への情熱』(新潮文庫,1977,181ぺ,370円)
 空想上の物語だと思われていた『ホメーロス』を史実だと信じていた少年時代。大人になってからは,あらゆる語学をマスターし,商売にも成功して巨額の財産を得ます。そしてその資金を基にして,子どもの頃からの夢を実現しようと,トロイアの発掘を始めます。本書は,そんな夢のある人生を生きた,ドイツ人ハインリヒ・シュリーマン(1822~1890)の自伝です。
 なんでこの本を手に入れたのかというと,単に『たのしい授業ML』で話題になっていたから…。ま,でも,子どもからの夢って大切だなと思いました。そういえば,私たちはどんな夢を持っていたんだろう。全然ないなあ…。
 世界遺産にもなっている遺跡群をじっくり見てみたいものですねえ。

○花輪莞爾著『石原莞爾独走す』(新潮社,2000,770ぺ,3800円)
 これまた昨年から気になっている人物の一人-石原莞爾(1889~1949)について書かれた歴史書です。もちろん,石原莞爾について書かれているのですが,莞爾が生きた時代背景(満州国,関東軍,当時の軍部や天皇のことなど)も大変詳しく書かれており,大部な本となっています。
 著者の名前も莞爾ですが,これは偶然の一致ではなく,石原莞爾も花輪さんの父親も山形県生まれで,父が石原莞爾を尊敬していたから自分の息子に同じ「莞爾」という名前をつけたらしいです。
 この本,4000円近くするんですが,古本で1300円でした。便利だねえ古本屋は。
 石原莞爾については,ネットでもいろいろと読むことが出来ます。

○安部司著『食品の裏側』(東洋経済新報社,2005,244ぺ,1470円)
 私の持っているのは,発行から10ヶ月後の2006年9月版。なんと20刷です。これはベストセラーですね。ご存じですか?
 本書のことは,時兼氏に教えてもらいました。この本のことは,たまたま『たのしい授業ML』でも話題に上っていました。そこに書き込んだものを転載しておきます。

Yさん,みなさんへ
あけましておめでとうございます。
石川のOです。
私も,昨年の秋に環境教育に関心を持っている友達から紹介されて
安部司著『食品の裏側』(東洋経済新報社,1400円)
を読んでみました。
食品添加物の怖さというのは,今までも繰り返し述べられてきて
「でも,使わない生活はむずかしいなあ」
「批判や批難だけで終わってもなあ」
と思っていましたが,この本はすこしニュアンスが違います。
「みなさん,もっと知ってください。ちゃんと知ってから選んでください」
って言っています。
元食品添加物のトップセールスマンが書いたというからすごいです。
それも,単なる暴露本ではなく,「ある日,我が子もそれを食している」ということに気づいて会社を辞めてしまったというのですから,ホンモノですね。
今までに添加物関連の本を読んだことのある方にも,お薦めの本ですよ。
今まで以上に,食品パッケージの裏をしっかりみるようになります。

○高橋哲哉・斎藤貴男編著『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』(日本評論社,2006,220ぺ,1470円)
 戦後,日本国憲法が果たしてきた役割を分かりやすく述べています。編者の二人は,教育基本法「改正」をめぐる動きにも警鐘を鳴らしてきており,今までにも何冊か紹介しました。この二人の他にも,木下智史(憲法学者)井筒和幸(映画監督)山田朗(歴史学者)森永卓郎(経済アナリスト)豊秀一(朝日新聞社社会部記者)が文章を寄せています。
▼もちろん,かつて東條英機が国民をだまそうと意図したとか,あるいは天皇が意図したとか,そんな風にして事が起こったわけではない。諸悪の根源が一人どこかにいて,すべてその人の陰謀だったということではなかったわけです。現在だって同じで,小泉首相がすべてを見通して全部やっているわけではない。ですから「だまされた」といっても,誰か特定のだます人が入るとは必ずしも限らないのです。マスメディアやインターネットが現在では大きな意味を持っています。しかしそういうものも含む現在の状況に対して,しっかりとしたリテラシーを持つ必要があります,批判性を持って検討し,評価するということです。(高橋哲哉「戦争する心と愛国心」,141ぺ)
▼私の今の憲法は,押し付け憲法だと思います。しかし戦後60年を経て,アメリカにとっては邪魔になった。ということはわれわれのものとして獲得することができたのです。今改憲したら,改めてアメリカに負けたわけでもないのに,積極的かつ自発的にアメリカに服従するための憲法になってしまいます。(斎藤貴男「戦争への3点セットー監視・格差・個性の否定ー」,183ぺ)

 憲法が変わったら戦争になると思っている人でも,<戦争にならないと思っている人への説得の方法>として本書をお読み下さることをお薦めします。

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