珠洲たの通信・2024年4月号

2024年度

 やっとやっと少しだけ日常が戻ってきました。というか,新しい日常を作ろうという気分になりはじめました。そこで,やっとやっとサークルを再開しました。
 本年元旦に起きた能登半島地震では,これまでに経験したことのない揺れと,それによる甚大な被害,そして津波によって,能登半島に住むわたしたちのこれまでの生活は,一瞬に消え去りました。
 地震発生時から自宅が通水する(5月中旬)までのわたしの身の回りに起きた出来事やわたしの思いは,随時,ブログ「世の中まとめて好奇心」に詳しく書いてきたので,興味のある方はそちらをお読みください。
 とにかく,地震以来開催できなかったサークルの例会を,4月には,なんと2度も開きました。それほど,みなさんが集まって話したいことがいっぱいあったと言うことです。
 サークルの場所も時刻も,これまでとは違います。
 ずっと使っていた宝立公民館図書室は,まだ使えませんので,しばらくは,新しい場所と時刻で行います。

場所 松波公民館(能登町)  
日時 第3土曜日 午後1時30分~4時30分

今月の参加者 4月6日(W.T N.T S.M O.M),4月20日(W.T N.T S.M S.M K.M O.M + 子ども2人) 

今月の写真

今月の資料(4月6日編)

1 4月例会資料 A4 2ぺ   W.T
 地震後,これまでとは一変してしまった学校現場。とくにWさんが勤めている輪島市の小学校は,輪島高校の校舎を借りて授業を行っていました。また,市外に2次避難してしまった子どもたちも多く,これまでの学校とは全く違う環境での勤務でした。当然ながら一日一日が手探り状態だったようです。壮絶な3学期だったんだと思います。
 そんな中にあっても,今までの子どもたち+新しい子どもたちと,何か楽しいことはできないかと工夫するWさん。彼の実践用ネタ箱には,これまで追試してきた「たのしい授業のネタ」がいっぱいありますからね。
 この間の詳しい話は,中さん主催のZOOMの会「私たちのいま,そしてこれから」PERT2ー「震災体験を語り・聞き,前に進むZOOM」(3月20日)でお聞きしたので,サークルの時にはあまり触れられませんでした。
 Wさんは,地震後の2回の会(2月の小松の会,3月のZOOM)でつながりができた中一夫(東京)さんに誘われる形で,「東日本たのしい授業フェスティバル」に参加してきたそうです。そして,中さんの道徳の講座にも参加して,お手伝いもしてきたそうです。やはり,こういう持ち前の行動力は,自分の経験を増やすし,知り合いも増やすし,度胸もつくことでしょう。さすがですね。
 講座後の夕食には「仮説学年会」のメンバーと一緒に行ったそうです。Wさんは,そこで尋ねられたことつについて,今,レポートでまとめているそうです(これは,4月20日の例会で発表されました)。
①「災害時の支援~これは助かった・これは困った~」
②「なぜたのしい授業を実際にするようになったのか。S(珠洲たのメンバー)さんはどんな風に誘ったのか」

 この2点については,参加しているメンバーも話題を出し合いました。
①については
「市外から教員の配置があったのだが,日々交代することも多く,打合せだけでかえって時間がかかった」「授業に入るというよりも,気づいたことをしてくれる(掃除なども含めて)ような人ならよかった」「やたらと文房具などが学校にどさっと送られてきたけれども,それを分配して渡すのも一苦労。しかもそんなにたくさんいらない」
②については
「Sさんが生き生きして教師業を営んでいた姿に憧れたのだろう」「自分がもっと子どもたちと楽しい授業をしたいと思っていたから」「子どもが集中できないのを子どものせいにしているのでは,こういう会に参加しようとは思わないのではないか」「授業は自分で作るものという発想が強い人もいる」「そのくせ,赤本を頼りにしたり」
 結局,サークルの中でも,あまりまとまらない話となりました。
 さて,これを読んでいるあなた。この「珠洲たのサイト」にも「たのしい授業」へのお誘いがいっぱいあるのですが,どれか一つでも自分でやってみようと思われましたか? それとも,教師用の赤本があるから,それで十分だと思いますか? 
 「あなたは授業を通して何を目指すのか?」という教師の姿勢こそ,「たのしい授業」を求めるかどうかにかかっているのだろうと思います。
 wさん曰く。
「いいな」→「やってみようかな」→「やる」のそれぞれの間に大きなハードルがある気がします。ぼくにはこのハードルはなかったのか,もしくはハードルをどうこえていったのか,自分の中でも答えが出ればいいと思います。
4月からのこと
 新学期から,これまでとは違った形で学級編成されたそうです。しかも,2学期に仮設校舎ができたら,今,2次避難している子どもたちも帰ってくるとか…。3月までと同様,複数校寄せ集めの学級であることは変わらないので,なかなか大変です。
 これらについても,追々,いろいろな話が聞けるものと思います。
 まさに,戻ってきた日常ではなく,新しい日常づくりの始まりです。

2 あらたな日常に向けて A5 8ぺ  尾形正宏
 わたしがまとめてきたのは,第2回ZOOM(3月20日,前掲)の際に話した内容とその後の自分の変化です。ZOOMではプレゼン画像だけ用意して,特に発表用原稿は作りませんでした。それでも1時間半ほど話しっぱなしだったようです。よく話すことがあったなあと自分でも感心します。
 今月のレポートは,ノートパソコンのWordで編集したために文章のレイアウトも慣れていません。やはりこれまで使い慣れている一太郎がいいです。ディスクトップパソコンを修理に出している間はWordしか使えませんでした。ノートに一太郎をインストールすることも考えたのですが,ただでさえ反応の遅い(文字の入力に変換がついていかない)昔のノートパソコンなのに,新しいアプリなんて入れるともっと大変になりそうだったからやめました。
 今,この通信を打っているパソコンは,新しいディスクトップパソコン(DELL製)です。結局,以前のパソコンは復活しませんでした(^^;)  2週間ほどかけて,やっと新パソコン内の環境が以前の状態に近づいたのですが,残念ながら,ATOKの辞書は引き継げませんでした。現役の時には,学級を持つたびに「名字を入力→名前に変換」というための辞書を入れていたので,それが全部消え去って,却ってすっきりしたということでもあります。
 さて,話題はレポートの内容に戻します。
 このレポートそのものは,「わたしの震災体験」として本サイトに紹介しておきますので,ここではごく簡単に。
 要するに,「以前の日常」を取り戻そうとしても,もう崩れてしまったもの,なくなってしまったものは取り戻せない。だからこれからは「新しい日常」を作っていくしかない。そのとき,どう前向きな気持ちで,現状と向き合っていけばいいのか。ZOOMで話をすることをきっかけに,悶々と考えた末の,とりあえずのわたしの結論をまとめてみました。がしかし,この結論はすぐに揺らぐかもしれません。あしからず(^^;)
 実は,わたしの前向きな気持ちは,ZOOMで話す内容を考えたり,ZOOMで多くの参加者にわたしの話を聞いてもらうことによって,どんどん出てきました。自分でも驚いているのですが,本当にこの日をきっかけとして,わたしの以前の生活リズムまで戻ってきたんです。自分を客観的に見つめるって大切なのでしょうかね。文章を考えたり人前で話すことは,心のカウンセリング効果があるようです。

3 学級通信(というか学級ミニ通信?) A4 1ぺ   N.T
 A5版の小さな学級通信です。1号には「自己紹介クイズ」が,2号には「みんなが楽しくすごすために」が掲載されています。また,学級開きには「穴から覗くとハートやスマイルマークが見える名刺」も渡したようです。詳しくは,『たのしい授業・2024年4月号』(仮設社)の付録を見てください。

今月の資料(4月20日編)

1 「なぜ自分はたのしい授業に?~文さんとの会話より~」 A4 3ぺ   W.T
 まずは,うれしいニュースから。
 Wさんはこのサークルに通い始めて3周年になるそうです。そこで「3年たって考えが変わらなければ本当なんだろう」というマイルールに則って,仮説実験授業研究会に入会したそうです。
 改めて…ようこそ,たのしい授業学派の世界へ。たのしい授業を確立させるためのものの見方・考え方は,授業だけではなく,自己の生き方も含めて役立つものがいっぱいあります。その証拠に,仮説実験授業研究会には現職教員はもちろんのこと,退職した人も,学校現場でまったく働いていない人も会員になっています。たのしい人生の指針も教えてくれることでしょう(というか,誰も教えてくれない…自分でつかむ必要があるけど…ヒントはいっぱいあるはずです)。
 さて,本レポートは,4月6日の例会の折に紹介した中村文さんからの話題「どうしてたのしい授業や仮説実験授業をやってみようと思ったのか」についてまとめたものです。まだ未完だそうです。
 Wさんが逡巡してたどり着いた一応の結論を書いておきます。
・それまで自分のやり方ではうまくいかずモヤモヤしていたから
・教えてもらった教材が魅力的だったから
・教えてくれたSさんが信用できるメンターのような立場としていてくれたから

 〈自分が必要としているもの〉がそばにあるときに,人は〈そのもの〉に飛びつくのでしょう。Wさんは「たのしい授業」「自分らしさを生かす授業」「子どもたちとの笑顔の関係」「自然な形の生徒指導」などを必要としていたのだと思います。だから,SさんのやっていることやSさんが紹介してくれた授業に飛びついたのではないかと思います。
 しかし,その一方で,今の一般的な若い教員には〈何か必要としているもの〉があるのでしょうか? 現場は研修漬けで,上から与えられるものが手に余るくらいあるのに,逆に自由にものをじっくり考える時間はない。だから,若者教員たちの今必要としているものの第1位は〈自分の自由時間〉なのかもしれません。「たのしい授業をしたい」「子どもたちと笑顔の関係をもちたい」なんて,そんなに必要としていないのかもしれません。確かに,現状でまあまあできていれば,必要感も生まれないでしょう。

2 「○年担任でも教室が…近況は?」 A4 1ぺ   W.T
 変則的に始まった新学期。またまた人様の学校で,しかも教室も中途半端な場所しかなく,なかなか大変そうです。それでも前に進むしかない。
 授業中のおしゃべりが気になったりもするそうです。いくつかの学校が集まってできている学級なので,その主導権争いのようなものもあるのでしょうか。「学級の雰囲気はオレたちが作る」って思われちゃたまらないですね。
 そんな中でも,Wさんが子どもたちに与えることができる〈もの〉を少しずつ出しているようです。「担任クイズ」に始まって「漢字マッキーノ」「世界の言葉でさようなら」授業プラン〈見れども見れず〉〈おり染め〉〈名前デザイン〉と…いずれも子どもたちからは好評だったそうです。
 第3回ZOOM(5月11日,本ページ下「あとがき」を見よ→)では,その後の学級の話もあって,今は,いろいろと悩んでいるようです。悩むときがチャンスとも考えられます。あれもこれもと無理することなく,一歩一歩,手探り(予想→実験)でやっていくしかないですね。
 もともと寄せ集めの大変な状況の学校・学級なんだから,今までのような学級を作ろうというのがどだい無理のある話。中一夫さんが言われたように,目標を下げて,自分に無理がかからないようにするのが一番です。

3 「なんとかスタート」 B5 4ぺ   S.M
 急用ができて4月6日の例会に参加できなかったSさん。4月2度目の例会は,まさに,Sさんと次に紹介するKさんのために開いたようなものです(でも,結局,みんな自分のことをたくさん話しましたが)。
 「激動の4ヶ月」(Sさん曰く)を熱く語ってもらいました。
 Sさんは,この3月で一応の教師としての区切りをつけました。そのため,昨年度と同じ学校で勤務校ですが,はじめて級外になったそうです。それがどうもリズムに合わないようです。
 級外になると,「自分の学級=自分の居場所(物質的な教室も含めて)」がない寂しさとともに,学校全体に目がいくようになります。そして,この学校全体(というかほかの先生)の指導方法などが気になるんです。Sさんは,今,まさにそういう状態のようです。「子どもへの接し方」「教員同士の接し方」など言いたいことが山ほど出てくる。それを押さえていること自体がストレスになるんです。そのストレスを発散する自分の学級がないのですから,これは大変です。
 そんなときは,理科室とか図工室を自分のテリトリーにできればいいのですが,残念ながら他校で間借りしながら授業している状態なので,ますます居場所なんて見つけられない。
 そういうわけで,今年はますます,このサークルの存在意義が高まることでしょう。
級外のシメタをさがす
 担当する教科は3学年分の「図工」,2学年分の「社会」「家庭」,そして1学年分の「音楽」などです。図工と社会と家庭の先生なんだね~。
 すでにいろいろな教材をしかけるSさん。PTA総会では,ある保護者から「先生の図工,楽しいって言っていました」と間接的に喜びの感想をもらったなんて,いい出だしですね。
 レポートの最後の文章を紹介します。
人と比べない。自分の現状を受け入れる。多くを望まない。1日が過ぎればそれでいい。いろいろなことを学んだけれど,これを続けると,生きていることに何も見いだせない気もしてきます。だからやっぱり時々「地震のバカヤロウ~」って叫ぶくらいは必要だと思うのです。
 そうだね。たった1分間で日常を変えてしまった地震に,それを防げなかった仏や神に,「バカヤロウ~」って叫ぼう! それで心が少し楽になるのなら。

4 ひさしぶりのレポート240420 A5 4ぺ   K.M
 およそ1年ぶりの参加のKさん。2年続けて組合役員を引き受けていたこともあり,忙しい毎日だったんだと察します。お疲れ様でした。 って,まだ続いているような話もあるけど…。
 レポートは「攻めた特別支援教育」「組合」に2本立て。
攻めた特別支援教育 個別最適化
 最近の教育用語はよく知らないのですが,この「個別最適化」というのは,読んで字のごとく,「児童生徒一人一人にあった教育プラン」のことをいうらしいです。こういうと「そんなの当たり前だろう」と思うのですが,これって実際実現しようとすると難しいことですね。
 だいたい特別支援じゃなくても,「一人一人にあった教育をすれば,その子が一番伸びるはず」と思うのは常識的な考え方です。その行き着く先がスキナーなどが提唱した「プログラム学習」にいくのではないでしょうか。確かに,ある一つの到達目標(例えば「繰り上がりのある足し算」など)へ近づくためなら,それも有効なのはわかります。
 ただ,この「一人一人にあった教育」というものを,だれがどうやって判断するのかが,むずかしいです。それは,ある先生が,あるいは両親が,自分の子を見て「あっていると思っている教育」でしかないのではないか。漢字を習得するために,スムーズに文書を読むために,この順番に,なるべく個別に学習させればよい…というわけではないでしょう。あるときには,一人で学習することも大切,あるときにはみんなで刺激し合うことも大切。とくに,このみんな(「自分」とは違う個体が集まった場)で学ぶことでどのような影響(良くも悪くも)が起きるのか,それは,おそらくあまり予想できないことではないかと思います。しかしながら,この他者との関係性で学ぶことは決して小さくないと,わたしは思います。
 特別支援教育の近辺にいる子どもたちは,確かに他者との関係性を築きにくいのだろうと思います。だから,「必ず集団の中で,みんなといっしょに育てよう」なんてスローガンには与しませんが,似たもの同士を集めた場所のみで生活するのもなんだなかあ…と思うのです。
 以前,ピアジェと同時期のワロンの著作を紹介したことがありますが,ワロンが言うように他者との関係を軽く見てはいけないのではないか…なんてことも思ったりしています。
組合
 これは,もう瀕死の状態のようです。これまで重要な役をしてきた人たち自身が,組合の存在意義を分かっていないのですから。今の状態は,いわゆるポイント制などという訳のわからないものを導入したために起きている事態ですね。だれも役をやりたくない組織は,その役をなくするか,組織自体をなくするかしかない。それでも組合の存続に意義を見いだしている人は,直接,県教組の一員として行動すればいい。役をすることが貧乏くじを引いたことと同じように感じる組織は,あなたのいる組織ではありませんね。さようなら。
 珠洲支部には,珠洲原発反対運動という大きな闘いがあって,これは市民運動とも連携した運動でした。原発反対のデモや平和行進をすると,家の中から住民が出てきて手を振ってくれました。こういう経験がある組合員と,上から言われた運動をやるだけの組合員とは自ずから組合に対する意識が違ってくると思います。
 結局,何事も主体的に関わってきたかどうかが分かれ道ですね。これは授業でも同じことでしょう。教科書にあるからやる,言われるからやるのか,それとも,少々の軋轢があっても,仕事内容が増えても,オレがやりたいからやるのか。
 生き生きと清々しく生きていけるのはどちらなのか。これは考えるまでもないことでしょう。

5 喃々レポ「随時随所無不楽」 A5 8ぺ   O.M
 今回は,3つの話題をもってきました。
地震の被害と地質
 珠洲市宝立町はとても大きな被害を受けました。特に,鵜飼~春日野地区は地震の揺れによる家屋の倒壊に加えて,高さ3m近くの津波にも襲われました。そして何人もの知り合いが亡くなりました。
 しかし,わたしの住んでいる鵜島地区(特に旧国道249号線沿)では,舟橋川という2級河川を境にして,ほとんどの住宅が倒壊している地区とちゃんと建っている地区に分かれています(もっとも,罹災証明では,建っている家でも「全壊~半壊判定」が多くあります)。
 一本の川を挟んで,なぜ,こんなにも住宅倒壊の景色が違うのか,それが気になって調べたことをまとめてきました。
 わたしの予想は,地質です。ブログにわたしの予想を書いていたところ,中一夫さんが反応してくれて,いろいろと資料を紹介してくれました。そこにはわたしが思ったとおりのことが書かれていました。資料のこの部分については,本サイトにも掲載してありますので,興味のある方はそちらをご覧ください。
エイデンからの連絡
 3月末に,エイデンから連絡がありました。エイデンは,珠洲市内の小学校で6年間,ALTをしてくれた若者です。
 彼とわたしとはとても波長が合って,一緒に外国語の授業をすることはもちろんのこと,学習発表会に出たり,運動会にも出番を作ったりして楽しみました。帰国する際には,お寿司屋さんでお別れ会もしました。
 そんな彼から「今度,アメリカの学校に就職するので〈推薦書〉を書いてほしい」というお願いが来たのです。
 彼の第2の人生?のために,一肌脱ぐか…ということで日本語で文章を作りました。
 エイデンは無事,地元の小中学校(5年生~8年生)の音楽の先生になりましたとさ。おめでとう,エイデン! 

 もう一つの話題は,3月20日のZOOMに参加した方から頂いた感想(特に中さんのもの)の話題でした。中さんからのお手紙(メール)にはとても勇気づけられたし,「これからもオレは前を向いて進めるだろう」と思わせてくれました。持つべきものは研究仲間です。

あとがき
 5月11日(土),第3回目の「能登のいま」を語る会がZOOMで開催されました。今回も,珠洲たのメンバーが話題提供をしました。
 ここで語られた学校現場の「いま」は,本当に大変そうで,そこで試行錯誤しているみなさんに頭が下がります。
 わたしからは,通水までの市からの情報提供のあり方や,近所の被害の状況・今後の見通しなどについて話をしました。
 公費解体も始まりました。これから,月日がたつにつれて,わたしの知っている街には空き地が広がってくるのだろうと思います。そのとき,わたしの中でどんな気持ちが起きるのか…怖いなあ。

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