珠洲たの通信・2024年10月号

2024年度

今月は,7月例会以来のサークルでした(例年8月はサークルお休み)。
9月21日(土)は9月のサークル例会日でした。しかしこの日は,朝から線状降水帯が能登半島上空で居座り,わたしの家の周りも,あれよあれよという間に水で覆われていきました。珠洲たのメンバーは,メッセンジャーでお互いの情報をやりとりしながらも,さすがに「大雨洪水特別警報」が出た段階で「サークル中止」を決断しました。
メンバーの自宅周りや当日いた場所では,そんなに被害は感じなかったのですが,Newsで見る被害は,場所によっては正月の地震以上のものがあり,とてもビックリしました。
わたしは,翌日,雨が収まってから常日頃お世話になっている「ワンちゃんの美容室」(上戸町)へ行ってみたのですが,店内一面に泥が入ってたいへんな状態でした。そこで,足かけ3日間,泥よけや泥に浸かってしまったモノの後始末などをしたのでした。
そんな久しぶりのサークルでしたが,参加者は2人でした。久しぶりですねえ,2人というのは。

今月の参加者  S.Mi O.M

今月の写真

今月の資料

1.「秋はほど遠いのか・過ぎ去ったのか」 B5 4ぺ  S.Mi
仙台・気仙沼の旅
 父親の故郷であり,Sさんが大学時代を過ごした宮城県まで行ってきたという話題です。
 この地は,震災の影響ばかりではなく親戚の不幸も重なった場所であり,Sさんにとってはいろいろと複雑な気分になる場所のようです。当たり前ですよね。「もしかしたら父親にとり,最後の訪問かも知れない」という気持ちもあったと言いますから,余計にいろんなことを考えていたと思います。
 お父様は,ゆっくりなら歩けるそうなのですが,新幹線等の移動の際には車椅子を利用したそうです。そのときの駅員の対応が,お客に寄り添ってくれ,とてもありがたかったということでした。日本の公共交通のサービスもそこまで来ているのか…と感心しました。
改札口で「車椅子移動」について聞くと,駅員さんが車椅子の移動を全部介助してくれるというのです。金沢駅はもちろん,その後の新幹線の乗り換えをする大宮,そして降車する仙台駅まで連絡がいくので,全て同様の対応をしてくれるというのです。(レポより)
 震災遺構については,「門脇小学校」と「伝承館」にお邪魔したそうです。
 Sさんは,これまで何度も大震災後の東北を訪れているのですが,さすがに今回は,つい先日まで「他人事だったこと」が,いまは,自分事として感じてしまったようです。そりゃそうだ。
落ち着かない教室2つ
 級外としていろんな学年の授業に出ているSさん。気になる学年が2つあるそうです。学校内でも話題にして,担任と連絡を取り合いながら指導しているようですが,なかなかたいへんそうです。いずれのクラスでも,ほんの数人が妨害的・多動的なだけなのですが,クラス全体の授業そのものが成り立たない時もあるようで困ったもんです。
 いちどこうなってしまうと,担任がどれだけ困っていても,すぐに立ち直るような解決策は見つかるはずもなく,行き当たりばったりで対応することが多くなるのが普通です。長い目で見て,校内で役割を決めて,対応していくしかないのですが,さてさて,どうなることやら。
校内研究授業
 校内の全教員がお互いに授業を見せ合う…これは大切なことだと思いますが,いつからか当たり前になってしまった「模擬授業」なるものを開くのが面倒くさいですね。とくに,もう定年を迎えたような人にまでやることはないだろうと思ってしまいます。その「模擬授業」とやらのために,職員にとって大切な放課後の時間を使うことを考えると,なるべく簡単にできないのだろうかと思います。指導案検討会も必要ないし…。
 振り返ってみると,わたしは,一度も校内研究用の指導案検討会をしたことがないし,模擬授業もやらずにきたような気がします。すべて「みんなの時間を奪うから」といって断ってきました。あるいは理科の場合は「みなさんもいっしょに授業を受けてください」と言ってきました。もちろん,外部の訪問者に見せるような公開授業での指導案検討会はちゃんとやってきましたがね。
結局模擬授業はしなかったのですが,職員室である若者と二人きりになった時に「模擬授業がなかったのは,S先生だからですか」と聞かれたので,「必要ないことに時間を使う意味ないでしょう」と答えると「やっぱりな」と答えが返ってきました。(レポより)
 このSさんの対応こそ,授業者が責任を持った教育研究の姿だと,わたしは思います。
 また,学校独自の形式の指導案も持ってきてくれました。なんだかよく分からない形式だったんですが,もう,やめることになったそうです。なんでこんな変わったことをするのでしょうかね。変に「独自性」を出すと,ろくな事がない…ということが現場にはよくあります。
葬儀は残った者のため
 先月の豪雨で亡くなった元同僚(先輩)のお通夜に参列して感じたことを素直に書いてきてくれました。
 参列者には,高齢だった先輩を知っている自分のような者は少なくて,喪主さんの知人・友人が多かったといいます。葬儀というのは大抵そういうものなんですね。だいたい,亡くなった人のためなんて,できるはずがない。だってもう亡くなっているんだから。
 だから多分,葬儀も通夜も,今生きている人のためなのでしょう。普段ノホホンと暮らしている自分だけど「自分に与えられたこの命を精一杯生きていこう」と改めて決意する機会が人様の葬儀だと思います。

2.「被災者と呼ばれて半年」  B5 12ぺ  S.Mi
 本レポートは,今年の仮説実験授業研究会夏の全国合宿研究会唐津大会で発表したものです。
 内容の一部は,震災後,何度かおこなった講演会やZoomの会などで聞いてきた内容でしたが,こうしてまとめてくれるとありがたいです。
 「あの日の自分,そして今の自分,環境だけでなく,考え方も変わったんだと思います,というか変わりました」(レポより)とSさん。
 Sさんのこだわりポントはレポートの題名にもあるように「被災者」ということば,というかカテゴリー。「人様から見ると自分は被災者になるらしい」と自覚させられたときの違和感というか,差別感というか,諦念というか…,そういうのが渦巻くレポートです。Sさんはレポートのおわりに,次のような感想を述べています。
東日本大震災をはじめとした多くの災害に対して抱いてきた「大変だ」「分かります」などと言っていたことが,本当に人ごとでしかなかったと,残念ながら今は言えます。」
 揺れの後,帰省していた娘一家と家から飛び出したとき,自宅玄関のブロックの隙間からは,まさに噴砂中でした。また見える電信柱は全て傾いていて,向かいの家の浄化槽は液状化によって大きく浮き上がっています。それらを見ながら車で逃げたわけですが,そのとき,わたしも「これって,今,自分に起きていることだよな」と思っていたことを思いだしました。わたしもあの能登半島地震以降,「ああ~,これまでは人ごとだったことが自分ごとになったんだな」と思い,「これまで自分がいかに人様に寄り添ったふりをしていたのか」と思い知らされました。
 最近手にした週刊誌『Newsweak・日本版(10.1号)』に次のような一言が載っていました。
「震災は人からあまりに多くのものを奪う。それが本質的になんであるかは,究極的には実際に経験した者にしか分からない。/同時に,もしも震災から得たものがあるとしたらー? それを伝えることができるのも,経験した者でしかないだろう。」(「いつか笑える時がー羽生結弦が被災地の能登に伝えたい思い」18ぺより) 

 …わたしもこれまでプレゼンで話したことを文章にまとめておこうかな…

3.「喃々レポ・2024年10月号」 A5 8ぺ  O.M
 9月号の前書きから紹介しました。9月に入ってからのわたしの生活のようすを紹介したのですが,その1ヶ月間を次のようにまとめています。
たった20日間の中でも,これだけの日程がわたしのスマホに入っている。現役の時より忙しくはないが,現役の時以上にいろんな場所でいろんな人とつながって活動しているのは間違いない。(レポより)
 レポートの内容は,第3次,第4次の避難旅行の話です。
 第3次は,長女宅へ。孫の運動会観戦と文化祭等で忙しい両親の代わりの子守補助のために行ってきたのですが,レポの内容は,安曇野ちひろ美術館で(書かれた文章に)出会った鷲谷いづみさんという方の本の紹介です。鷲谷さんは,生態学の先生です。サークルでは紹介しきれなかった『震災後の自然とどうつきあうか』という本も読んだので,また紹介しますね。このタイトル,まさにこれからの能登の話と重なるでしょ。
 第4次は,四国方面に旅行してきました。次女と三女が同行してくれました。で,レポートの話題は,娘たちと別れた後,帰宅ルートを少しそれて寄ってきた兵庫県豊岡市のことです。豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園を訪問しての感想をまとめてきました。
 珠洲市でも,数年後にトキの放鳥を控えています。震災後にも,床が傾いた粟津地区の生活改善センターで,日本野鳥の会や粟津地区住民,市役所,NPOおらっちゃのメンバーで,今後の放鳥までの活動計画について話し合ったところです。
 コウノトリの人工飼育と放鳥に成功した豊岡市から学ぶことはいっぱいありそうです。佐渡島にも行きたいな。
 付け加え…サークルでは写真だけ紹介しましたが,鳴門海峡のすぐ傍の海岸まで行ってくることができました。その海には川かと思うような流れがありました。迫力満点!

4.「宗教と科学(仮説実験授業)について」 A5 12ぺ  O.M
 今年4月から引き受け(ざるを得なくて仕方なく引き受け)た門徒総代という仕事。門徒である70~80軒の代表として,お寺(浄土真宗本願寺派)の世話をすることになりました。この役も,正月の地震でたくさんの人が地元を離れて避難生活をすることになり,これまでどおりの組織では動きがとれなくなったから,わたしに白羽の矢が立ったのです。
 しかし,わたしは科学の道を歩んできているつもりでいるし,無神論者を自称してきました。なるべく科学で解決できることは,科学的な考え方を使って解決したいと思っています。そんなわたしが,宗教の世話などできるのでしょうか。
 悶々と考えながら4ヶ月ほどたったときに,中一夫さんと話す機会があり,仮説実験授業研究会の会員で宗教家でもあった方々が「仮説実験授業と宗教」について書いた文章を知らないか…訪ねてみました。すると,ありがたいことに,いくつかの資料を送ってくださいました。本レポートは,それらの資料を出発点として,いろいろと宗教と仮説実験授業(科学)について調べたことをまとめてみました。
 このレポートをまとめて,少しは頭の中の整理がついた気がします。
 が,その一方で,〈もともと宗教を信じている人(レポートに取り上げた人たち)〉と〈単に係を引き受けたわたし〉とは,そもそもの立場が違うことが気になり出しました。そのそも「宗教ってなに?」「宗教を信じるというのはどんな状態をいうの」「同じクリスマスを祝っているのに,宗教とそうじゃないってどういうこと」…ってね。
 わたしのこの新しい疑問については,今,何冊かの本を読んだりして,いろいろと考えていますが,来月,なにか結論が出るのかどうかは分かりません。
 最後に…宗教に限定されるわけではありませんが…シスター・ベアトリスさんの話の引用と,それについてのわたしの感想を紹介してみます。
《シスターベアトリスの言葉》
いろんな方と出会うことによって,全く異質な教育の思想,異質な生き方をしている人に出会うことによって私自身が豊かになる,私自身が高められる。そうしてあふれれば,そのおこぼれがみんなにいくわけです。
〈わたしの感想〉
全く異質なもの…キリスト教徒だったシスターや七郎さんにとって,それは仮説実験授業だったのだろう。一方,学生時代に科学入門(+唯物論)をしたわたしにとって,それは浄土真宗本願寺派に関わり始めることなのかもしれない。そこに仮説実験授業と同様の思想を見つけることができるのかもしれない。というか…現段階のわたしの解釈だが…親鸞の教えは,ヒューマニズムという点では,充分に仮説実験授業と重なっている気がする。(レポ6ぺ) 

今月紹介した本

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