珠洲たの通信・2023年11月号

2023年度

 ようやく冬の寒さを感じるようになりました。愛犬との朝夕の散歩には,部屋で一枚,外に出る時にももう一枚重ね着して出かけています。
 個人的には,出かけてばかりの11月でした。予定表を振り返ってみると何も書いていない日は8日間。11月1日の珠洲市社会福祉大会から始まって,NPO主催の釣り大会やアメリカザリガニ調査,民児協の学校訪問と老人宅へのティッシュ配り,お寺の雪囲い,3泊4日の山陰旅行,富山美術館のジブリ展見学,夜は夜で,ろばた焼あさ井での大平まさよしディナーショーなど,出かけっぱなしでした。そうそう芸術祭の受付や後片付けもありました。天気のいい日には,畑仕事もやりましたしね。充実しています。
 さすがに12月は,もっとゆったりできるかと思います。読みたい本もたまっているし,このサークル通信も過去のものをまとめておきたいし(これは1年ほど頓挫していますm(_ _)m)。昨年度までは大学のバイトもあったのですが,今は,ありませんので,外仕事ができない季節にまとめたいと思います。

例会の参加者   N.T  W.T  S.Mi  O.M  

今月の写真

今月の資料

1 「カード大作戦!」 B5 4ぺ  S.Mi
 膝の手術をしたSさん。退院してからも膝に負担をかける運動はダメですよ,と言われていたにも関わらず,歩き回っていたとか。じっとしていることが苦手のSさんです(「いやいや,動かざるを得なかったんです」とSさんは言うかもしれないけれどもね)。
話題1 消えろ!の言葉通りにやってみた
 どうしても周りから浮いてしまうサトシ。今回は,担任であるSさんに向かって「おまえなんか消えろ!」と怒鳴ってしまいました。
 さて,「どうするSさん!」
 Sさんは「消えろっていうなら,消えてあげるね」と,職員室に戻りました。次の授業の準備をしようと教室に戻ると,サトシはいつもの「自前クールダウン場所」であるトイレで鍵をかけて籠もっていたそうです。トイレのドア越しに「さとしからだけ消えるのは無理なので,みんなとは授業するからね。自分で出ておいで」と声をかけて教室に戻るSさん。その後,もう一度トイレに行ってみると,サトシはトイレから出てきて,今度は廊下の隅に膝を抱えて座っています。Sさんは「悪いけど,サトシだけの先生じゃないから,他のみんなと授業をするね」「自分のすることが分かったら,教室に帰っておいで」と声をかけ,あとは支援員さんにお任せして,授業を始めました。ほどなくして,教室に戻ってきたサトシ。前の時間にやるはずだった課題を,支援員さんと一緒にやっていたそうです。
 その後,何事もなかったかのように給食の時間に。給食後の休み時間には,これまでやってこなかった課題を自分から全てやったサトシ。
 このような子どもとの対応は,教師をやっているとよく起きることです。教師は,何か起きる度に,諭してみたり,怒ってみたり,無視してみたり…。しかし,その時々の対応が,それでよかったのかどうかは,なかなか分かりません。あっちも人間,こっちも人間。そのときの状況は微妙に(あるいはかなり)違うので,そこに法則性を見つけるのは簡単なことではないでしょう。だから,年の功でなんとなく臨機応変に対応していることもたくさんあります。
 でも,現在のサトシとの付き合い方(Sさんの方針=「未遂は無視だけど,実行したことは許さない」という教師の姿勢)を堅持することで見えてきたものはあると思います。今のところ,この教師の姿勢でサトシにマイナスに働くことはないようです。
 ただ,ここで注意をしたいのは,教師がブレないことが大切なのではなく,その子に合っていた(成長する糧となっていた)かどうかが大切なんですよね。もし「返って問題がもっと大きくなりそう」と思ったら,教師は予想変更して自分の姿勢を問い直す必要があります。しかし,だからこそ,まずは「このやり方でやってみよう」という姿勢(予想)を持ってあたっていくことが大切なんじゃないかな。そんなことを感じたお話でした。
話題2 九九修行カード
 2年生の算数と言えば「九九」ですね。全部言えなくてもいい,半分言えれば計算はできるなんて話もありますが,それは,最終手段ということで…。みんなで暗記するのもたのしくやれるのならドンドンやってもらえばいい。それがたのしい授業学派のドリル論でもあります。
 今回,2年生のために用意したのが,九九カードと修行カード。この2枚は両面印刷になっていて,しかも,名刺大の大きさで紙もよさげなものです(上写真1枚目と2枚目)。
☆九九修行の方法☆
クラスメイト全員+支援員+担任に,それぞれの段の九九を聞いてもらい,合格したらサインを書いてもらう。全部埋まったらキラニコシールをGet。友だちに九九を聞いてもらう時には,九九(○の段)の面(写真一枚目)を友だちの方に向ける。 
 この方法は,とてもいいと思いました。
 まず,九九を聞いてもらう人を子ども同士にしたことです。わたしが現役の頃には,職員室の先生に九九を聞いてもらって合格サインをもらう…というのがよくありました。これって〈学校みんなで子どもたちを育てている〉という雰囲気があっていい効果もあるとは思いますが,子どもたちが次々と職員室に入ってきて…という状態は,学校職員にとってもけっこう負担ですよね。でも「わたしの所には来ないで…」なんて言いにくいですしね。その点,子ども同士ならば,大丈夫。しかも,このカードには裏面に「○段の九九」が書かれているので,ちゃんと言えているかどうかは,そのカードを見て判断できるんです。そしてそのチェックする行為が,そのまま,九九を聞いている子の学習にもなっているんですよね。まさに,一石二鳥の方法です。
 1枚目の写真には,2種類の試作品カードが写っています。サークルでは,タイルが書かれた方がいいという意見でした。わたしは「かけ算は長方形のイメージで捉えておく」というのは,今度の算数・数学の学習にとっても,とても大切だと思っているんです。

2 道徳プラン「ジョイス」の授業  A4 2ぺ  W.T
 今月の例会では,この道徳プラン「ジョイス」を体験しました。本資料は,Wさんが学級でやってみたときの子どもたちの感想や担任の感想をまとめたものです。Wさんは,自分でこのプランを体験し「これはぜひ子どもたちにも伝えてあげたい」と思って授業にかけたそうです。
 本プランについては,ページ下記の「体験コーナー」で取り上げますので,ここでは,子どもたちとWさんの感想だけ紹介します。
 子どもたちの感想には,「ガララーガのみたいな心の広いひとになりたいな」「ジョイスが大事な判定をまちがえたのに,それでもガララーガは許すなんて優しいな」というガララーガの優しさに注目する子が多かったです。一方で「ジョイスもちゃんと自分がしたことをあやまれて」「ジョイスは自分の失敗を認めていたし,ちゃんとあやまっていてえらい」という感想もあり,ジョイスの誠実な態度にも共感していたようです。授業評価も,たのしさ度80%で,よかったと思います。
文字おこしすること
 Wさんの感想には,録音した自分の声を聞いてみたことも書かれていました。
授業をボイスレコーダーにとって文字おこしすることはすごく久しぶりで,やっぱり,だいじだなあと思いました。改めてオレ喋りすぎじゃないとか分かったりするので(笑)
 自分の授業を聞いて文字に起こすって,とっても大切な行為だと思います。自分の授業を振り返る。別に,誰かに言われたわけではなく,自分のためにやる。自分が授業中に発している言葉に落ち込むこともあれば,ある子のつぶやきに気付かないで過ぎていたことに愕然とすることもある。そういうのをそのまま授業通信なんかで子どもたちに返してあげると,そこでまた新しい学びもできます。
 仮説実験授業の大先輩である故犬塚清和さんは「授業記録は生きているわたし」というガリ本のシリーズを発行していました。わたしも,そのガリ本に授業記録を寄せたことがあります。自分と子ども以外,誰も読まなくても,授業記録を書くことは「わたしが生きている証」なのだ…そう思って,夜遅くまで自分の声を聞いていました。
 今は,なかなかそんな時間はないかも知れませんが,こんな時代だからこそ,ゆっくり授業記録を書いて欲しいな。その時間だけは,他のいやなことは忘れることができますからね。
教材の積み上げ(精選ではない)
 Wさんは,このプランを始めとして子どもたちと楽しめる道徳プランが増えていると言います。
これまでに〈夏休みの宿題〉〈モンジ〉〈真夜中のいたずら〉〈自分がやさしくいるために〉〈上松君のランドセル〉をしています。これらのプランはすべて楽しさ度は80%越え。中には全員「5とても楽しかった」をつけたものもありました。
 こうして,確かな手応えのある教材を積み重ねていくことで,豊かな教員生活が待っているんじゃないかと思います。『たのしい授業・2023年9月号』(仮説社)は,「とっておきの教材」特集でした。そこでは「信頼できる教材を積み上げる」という小川洋さんの文章もありました。小川さんは「板倉聖宣アーカイブス70」で「教材の〈精選〉か〈積み上げ〉か」という板倉さんの文章も紹介していました。この板倉さんの指摘は,今でも,わたしたちが教材研究するときのとても大切な視点だと思いますので,長くなりますが引用します。

「教材の精選」というスローガンは,もともと「教えるべきこと」「教えたいこと」 がたくさんあるということを前提としてなりたっています。そして,現在ある教材は多すぎるからうまく教えられないので,このたくさんある教材の中からすぐれた数少ない教材を精選すればうまく教えられるようになる」ということを前提としています。ところが,私はその前提そのものがまちがっているのではないか,と思うのです。
 みなさん。みなさんは現在,「これを教えたい」「これならたのしくうまく教えられる」という教材をどれだけおもちでしょうか。そういう教材が多すぎてお困りでしょうか。おそらくそんなことはないと思います。たいていの人は, 「これならたのしくうまく教えることができる自信がある」という教材をほとんど一つももっていないというのが実情ではないかと思うのです。これでは「教材の精選」ということなぞ問題になりっこないではありませんか。

ある事柄は,それをうまく教えることがわかってはじめて,教材の名に値するようになるのではないでしょうか。それまでの「これはうまく教えられるかどうかわからないが,ためしに教えてみよう」というような事柄は,「実験教材」とよぶことができても,まだ正真正銘の教材というわけにはいかないでしょう。

板倉聖宣「教材の『精選』か『積み上げ』か」『たのしい授業・2023年9月号』64ぺ~67ぺ

3 現状 A4 2ぺ  N.T
 書き出しが「久々のレポート」とあるように,久々のレポートです。毎月,いろいろな話題は提供してくれていたんですが,レポートをまとめるためには,それなりに気合いが必要ですからね。今月は,その気合いが出てきたということでしょう。
 ただし,現状が改善したわけでもなく,昨年にも増して意欲をそがれるような指導を受けているようです。毎日のように出していた「学級通信」も出さなくなったとか。やる気のある教師の意欲を削ぐ指導って,なんなんでしょう。管理職たちは,一体なんのために指導をしているのか,わたしには訳が分かりません。
 今回は,理科の研究授業について,まとめてきてくれました。
 例によって,指導案の段階からみんなが集まって,わいわいガヤガヤと〈自分の思い〉を言い合う会がもたれたようです。そこでは,授業者の思いを聞くよりも,今はやりの言葉が飛び交うだけ。最近は,「自己決定」「個別最適化」などという言葉がはやっているそうです。一昔前なら違う言葉だったんでしょうがね。なぜ,日本の教育界は,こうも新しい言葉に飛びつくのかねえ。もっと地に足がついた,子どもの方を見た研究をしてほしいものだと,つくづく思います。こんなことをやっているから,教材の積み上げなんてできないんです。
 でもそこは,現役教師。なにがあってもやらなくてはならないので,自分の居場所を見つけながら公開授業に臨んだそうです。学習指導要領が求める「条件制御」にも充分な予備実験をして,当日は丁寧な授業を行いました。
 結果的には,教科書を扱った授業としては自分でも満足できる授業になったそうです。まあ,よかったよかった。
 何よりもよかったのは,地学専門の酒寄先生からのお話だそうです。以下,引用しておきます。
・地学は自然との対比であり,現実と実験を行き来して確かめる。
・実験は自然の一部を切り取って行っていて,完璧な再現は難しいが条件はできる限り同じにすることが望ましい。
・今回の実験で自然により近くするのであれば,水の流れるところは土がなくてもよい。実験では,底面の方が深く削られていたが,実際の河川では,底面よりも側面の方がよく削られる。また,流れ行く先も海のため,海では堆積が起こる。
・現実では,流れる水が泥水の方が侵食が大きい。

などです。酒寄先生,さすがですねえ。このような言葉が出てくる研究会こそ「理科授業の整理会」と言えます。課題がどうのとか,まとめがどうのとか,後片付けがどうのとか,そういうのは枝葉末節なことなんですよね。以前,わたしは「〈言語活動〉栄えて,理科滅ぶ」(2012年)という文章をまとめたことがありますが,今回のような指導案検討会や授業整理会の話(酒寄先生の言葉を除く(^^;))を聞きと,いつも,この言葉を思い出します。
 今回の例でいうと「〈個別最適化〉栄えて,理科滅ぶ」「〈自己決定〉栄えて,理科滅ぶ」ですね。

4 「喃々レポ2023年11月号」 A5 4ぺ  O.M
話題1 奥能登国際芸術祭2023終了
 芸術祭を終えてのわたしの感想をまとめてきました。今回の芸術祭が前2回と違うのが,自分も作品作りや運営などに関わったということです。そんなに深くは関わっていません(というか関わらないようにしました)が,今までのように単に作品を見に行くだけというのとは違う,芸術祭と通した人の関わりがありました。これまで話したことのない人との出会いもあり,それが,今回の芸術祭の一番の収穫かなと思います。
話題2 山陰の旅
 11月上旬,山陰海岸を巡る旅に行ってきました。レポートでは,行き先だけしか書きませんでしたが,なかなか楽しく刺激的な旅でした。わたしは,玄武洞も鳥取砂丘も京都で大学生だったころに行ったことがあります。そのときの記憶も戻ってきたりして、感慨深かったです。この度の詳しい旅行記は,わたしのブログ「世の中まとめて好奇心」にまとめましたので興味のある方,行ってみたい方はぜひご覧下さい。上記メニュー「管理人の部屋>おがちゃんのblog」です。

 他にも,「理科学習指導案」(Nさん)や,水木ロードのお土産「絵ハガキ」(O,右の写真)などもありました。

体験コーナー

道徳プラン〈ジョイス〉 紹介 W.T

 今夏,開催された仮説実験授業研究会鹿児島大会で出会った道徳プラン〈ジョイス〉を体験しました。わたしはどっかで聞いたことがあった(資料のCDも持っていた)のですが,じっくり体験するのははじめてでした。
 大リーグで本当にあった話なのですが,その関係する選手・役員たちの行動が,素敵なお話です。

 あらすじは,こうです。完全試合を目前にした名投手ガララーガ。最後の打者を打ち取ったかに見えたのですが,ファーストの塁審ジョイスはセーフの判定。明らかにアウトのタイミングだったために,スタントの観客は騒然とし,もちろん監督もジョイスに詰め寄ります。しかし審判の判定は覆りません。試合終了後,ジョイスはその時の映像を見て,自分の誤審に気付きます。その後,ジョイスは,ガララーガは…(省略)。そして,次の日も同じカードの試合が待っていました。その試合でもジョイスは審判をすることになっていましたが…ジョイスは審判を…。そしてガララーガは…。そして観客たちは…。

 最後の「問題」に「えっ?」と驚いたのは,子どもたちと同じですね。こういう解決の仕方があるのか…と,監督の粋なはからいに感心しました。
 一方,このプランを受けたわたしたち大人は,子どもたちが「ガララーガは優しい」と感想を述べていることに対して,ちょっとだけ違和感を持ちました。このガララーガのとった態度は「優しい」という一言では表せないのではないか。もう少し,何かが欲しい。うまく言えないのだけれども,優しいからこういう話ができたわけではないはず…と,なんだか,もんもんとしていたのでした。
 帰宅後,それぞれのメンバーはいろいろと考えたみたいですが,さて,まとまったかな。また,12月の例会にでも話してみますかね。
 このプランで取り上げた物語は,中学校道徳の副読本?(たとえば,廣済堂あかつき「中学生の道徳」)にも載っているようです。ネットで,普通の授業指導案も読めます。また,このときの試合の映像も残っていて,YouTubeで見ることができます。下にリンクを張っておきますので,興味のある方はご覧下さい。

YouTubeの動画(2本) 

MLB史上最悪の大誤審ガララーガ幻の完全試合事件

Galarraga and Joyce meet at home plate

参加者の感想

○ジョイスおもしろかったです。人間誰しもミスをする。それを認めたり許したりできるか。我が身を振り返って考えさせられました。ただ、明らかな誤りとわかっていても立場上認められない人もいるのかなと思いました。それを認めちゃうのもなあという感じで,今の職場の息苦しさを思いました。(Nさん)
○ガララーガは優しいんじゃなくて,フェアプレイ精神というか,子どもの言葉で言えばスポーツマン精神?にのっとった行動を取ったという言葉が出ればいいなぁと思いました。心の中は分からないけど,プロとして行動したんですよね。その気持ちが伝わったから,ジョイスもきちんと謝ったということですよね。いいプランだと思います。(Sさん)
○ガララーガの態度について,子どもたちが「優しい」といっているだけなのが気になる…という部分ですが,確かに,あの態度は,優しさだけじゃないですね。いくら何でも,セーフにされた時ぐらいは,普通,抗議なり意見なりするんじゃないですか? なぜ,抗議しなかったのか。わたしにはまだ分かりません。優しさだけではない,スポーツマンとしての確固としたものがあるんでしょうね。小学生では,「優しい」が多くなるのは仕方ないと思います。(O)

コメント

タイトルとURLをコピーしました