珠洲たの通信・2023年2月号

2022年度

 3月も半ばになり,中学校ではすでに卒業式も終わっている頃ですね。小学校でも,あと1週間ほどで子どもたちともお別れ。この1年間,楽しかったことばかりじゃなかったと思いますが,いろんなことがありながらもこうして締めくくりを迎えられたのは,やっぱり楽しいことが基本にあったからだとも言えます。子どもたちとの最後の授業,なにをしますか? 
 今日(2023/03/13),買い物にどんたくへ行ったら懐かしい先輩(元教員)にお会いしました。コロナになってからは一度もお会いしたことがありませんでした。この先輩たちからは,わたしの退職時(コロナでバタバタで退職の会もしなかった)に桜の盆栽なども戴いたりしたのですが,十分な御礼もできずにいたのでした。ちょっと足をくじいた…といって杖を持っておられましたが,元気な姿を拝見できてよかったです。
 そろそろコロナも終息宣言っぽいですが,これからも何が起こるか分かりません。新型コロナのおかげ?でいろんなことが変化しました。それが元に戻るのか,それともこのままZOOMなどが流行っていくのか。いずれにせよ,日本は経済中心で動いていくのに違いありません。12年前の原発事故では「もう脱原発しかないだろう」という雰囲気だった日本は,今,原発推進に舵を切り始めたくらいですから。最近,「持続可能な社会」の意味するものが,だんだん明らかになってきた気がします。それは「大企業」が持続可能な「社会」でしかないようです。東京一極集中も地球温暖化も,経済的に儲かるのなら考えるのでしょうけれどもね。

例会の参加者(4名)  N.T  W.T  S.Mi  O.M  +2娘

今月の写真と話題になった本

手作り卒業カレンダー
「こころMoji」(浦上秀樹)
仮説社へ飛びます
2020年12月号
リンクなし

今月の資料

1.「サークル資料」 B5 4p  S.Mi
話題1「日めくりカレンダー」
 教室の窓枠に手作りの「日めくり卒業カレンダー」を貼っているそうです。実物を見せてもらいましたが,なかなかステキです。「1日が終わると当番が一枚破って,その日思ったことを書いてもらいます。その1枚ずつを窓枠に並べて」いくのだそうです。カレンダーはだんだん減っていきますが,子どもたちが書いた「思い」の用紙は増えていくという仕組み。いいですね。
話題2「生類憐みの令」
 担任の子どもたちとやった仮説実験授業《生類憐みの令》は,Sさんの好きな授業書。「そろそろお別れする子どもたちと楽しみたいな」と思って授業をしてきたそうです。しかし,授業後の感想では自分が思っていたほどの評価が貰えなかったようです。確かに評価2が15人中4人だというのは,ショックですね。授業書運営法に問題があったのか,それとも授業書に欠陥があるのか。授業を受けた子の感想から読みとるしかありません。
話題3「漢字マッキーノ」
 1年間,新出漢字をマッキーノで行ってきたのですが,その子どもたちの感想です。こちらの方は,なかなかいい感想をもらったようです。いくつか紹介します。
・私はマッキーノをして漢字を多くおぼえられるようになりました。楽しかったです。
・マッキーノをしてから,前より漢字をおぼえるのが早くなりました。あと,マッキーノが楽しみで,国語の授業が楽しくなりました。
 毎日決まったメーニューの中に漢字マッキーノが位置付いている。そのおかげで,国語という教科そのものも楽しみになる。大変な威力ですね。
 が,しかし,勤務校では,全校挙げて「漢字コンテスト」なるものがあって,そこでは,なんと「全員百点目指す」という目標があるそうです。今の時代,「全員百点」という目標自体にどんな意味があるのか分かりませんが,提唱者は,根性論で押してくるとか…。そんな職員には,「あなたは教育原理・教育心理学的な部分を大学で学んできたんでしょ」っていいたくなります。競争社会を生き抜くためになんて,ふつうは,恥ずかしくて言えないですね。それが教育の専門家のいうことか!わたしは,この全員百点という話題が一番残念でした。
 Sさんは,レポートのあとがきで「期待しないと思っていても,同じことを繰り返されると,イラッときて,聖人君主になれない自分です」と書いています。とくに6年生の担任は,この季節になると,「もうちょっと成長してくれてもよかったのに…」なんて思ったりするんですよね。わたしもよくあるのでその気持ち分かります。しかし,子どもの方は,そんな教師の気持ちを知ってか知らずか,なぜかこれまでよりも幼い行動が増えてきます。いきなり,みんなでかくれんぼをはじめたり…。
 子どもたちの方は,これまで学校の中心として働くことを支持されて期待されてきたのに,3学期に入ると,学校の中心から送られる方(ゲスト)へと立場が変わるんです。5年生にバトンタッチとか言ってね。すると,急に6年生が幼い行動にでる…わたしが担当した子どもたちの卒業前の光景でした。

2.第5学年理科指導案「人の誕生」 A4 1ぺ  N.T
 今度,学校の職員に公開する理科の授業の指導案(本時のみ)です。これをたたき台として,いろいろと授業を組むときのポイントなどを話し合いました。
 人の誕生については,授業プラン〈あかちゃんのなぞ〉というものもあります。これを元に,本時では,子宮の中のようすについて考えてもらうプランとなっています。
 胎児がいる子宮の中には,何があるのか。空っぽなのか,水が入っているのか,それとも他の液体か…。それはなんのために役立っているのか。そんなことが,楽しく学べる時間になるといいですね。
 サークルでは一つ目の問題の「胎児は肺呼吸をしているか,していないか」ということを問うこと自体,難しいのではないかという話がでました。動物は呼吸しなければ生きていけないし,かといって,まだ外呼吸・内呼吸なんて概念も持っていない子どもたちにとっては,当てずっぽうでしかなくなるのではないか。むしろ最初から「子宮の中には何が入っているのか。あるいは何もないのか」を聞くことで,子どもたちの方から勝手に「液体なんかあると呼吸できない」「いや,酸素はへその緒から貰えるから,呼吸はしなくていい(この場合は外呼吸だけれども,先述したように5年生はその概念を知らない)」という意見が出てくるのではないかということでした。実際,どのように授業をし,その結果,どうなったのか,授業実験結果を知りたいので,次回,よろしくです。

3.喃々レポ「随時随所無不楽」2023年2月号 A5 8ぺ  O.M
 今月は,自然と人間の思想史の続編として,2つの話題をまとめてきました。1つは,「マルクス主義と自然と人間」,もう一つが「仏教と自然と人間」です。
 まずは,マルクス主義。前回,マルクス・エンゲルスの「自然と人間」に関する考えかたは,それまでの西洋哲学の考え方を克服できておらず,人間中心主義(産業が進めば自然環境問題・資源問題も解決していくだろう)ということでしかなかった,というような話をしました。これは『緑の文化史』からの引用でした。
 しかし,その後,斎藤幸平氏の著作と出会い,晩年のマルクスの研究(斉藤氏たち研究者はこの研究をMEGAと呼んでいる)を知ったことで,「マルクスは,しっかり地球環境の問題について触れている」ことが分かったので,そのことをまとめてきたというわけです。ここで紹介した本というのは,以下の2冊です。
○斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書,2020年)
○齋藤幸平著『ゼロからの「資本論」』(NHK出版新書,2023年)

 詳しいことはレポートにあたって頂くとして,一カ所だけ,斎藤氏の言葉を引用しておきます。
▼晩年のマルクスは,来るべきポスト資本主義社会の姿を,地球環境の持続可能性の問題とからめて構想しようとしていました。これを近年では,「環境社会主義(ecosocialism)」と呼びます。単に人々の経済的平等だけではなく,自然との物質代謝の合理的な管理を目指すのが環境社会主義です。(『ゼロからの』146ぺ)
 仏教と自然と人間について調べようと,家にあった本(亡オヤジの本棚)を読んでみました。
○中村元著『原始仏教』(NHKブックス,1970年)
には,次のような文章がありました。「原始ジャイナ教」(仏教と同時期にインドで発達した宗教)の教えの部分です。
▼ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守し,実行している。戒律を破るよりはむしろ死を選んだほどである。不殺生戒は特に重視され,一切の生き物に対して慈悲を及ぼさねばならぬと考えた。一切の生きものは生命を愛しているのであるから,生命を傷つけることは最大の罪悪であるという。(28ぺ)
 他にも,高森顕徹監修『歎異抄ってなんだろう』(1万年堂出版,2021),佐久協著『高校生が感動した「論語」』(祥伝社新書,2006)という本も読んでみましたが,残念ながら「自然と人間」に関わるような表現を見つけることはできませんでした。亡父の本棚にはあと数冊,仏教関係の本があるので,機会があったら開いてみたいと思います。

 二つめの話題は,分業の授業のことです。昨秋,「タローラ」という模擬車製作を通して考える授業を紹介しましたが,その後の授業の在り方もちゃんと指摘しておかないといけないなと思い立って書いてきました。つまり,「分業と人の仕事のやりがいとは両立するのか」という部分について,しっかり話し合わせておきたいし,事実,歴史上,どんなことが問題になってきたのかも教えておいておきたいと思うのです。
 この秋,サークルで話題にしたことを敢えてもう一度まとめておこうと思ったのは,斎藤幸平さんの本を読んだからでした。例えば,こんな一節です。
▼興味深いことに,右の一節(註:『資本論』の文章)では,機械によって作業がラクになることさえ,労働者にとっては責め苦になると指摘しています。なぜなら,機械が労働者を「労働」から解放するのではなく,労働の「内容」から解放するーつまり,無内容な単純労働を強いるからです。内容がないということは,自らの手で何かを生み出す喜びも,やりがいや達成感,充実感もない,要するに疎外されているということです。そして,無内容なので,いつでも,誰とでも置き換え可能となり,労働者の力はますます弱められたのでした。(『ゼロからの』111ぺ)
 そして,わたしは,この一節が,もうけ主義に走らざるを得ない大企業のことだけではなく,今の教育界にも当てはまっているような気にしてきたのでした。そして,わたしは,次のようにまとめてみました。
さまざまな場面で「スタンダード」といわれるものが準備された結果,教師が工夫する(構想する)場面は大幅に減りました。自分の指導案で考えるのは,「指導内容も方法もほとんど決められている(機械化されている)その一時間をどのようケガをせずに乗り越えるか」ということでしかありません。そこには達成感や充実感もないでしょう。スタンダートのおかげでラクになっただろう。自分で一からやらなくてもいいんだから…という言葉も聞こえてきそうですが,実は,それはまさしくマルクスのいう「機械は労働者を労働から解放するのではなく,労働を内容から解放」した結果でしかないのです。(レポートより)
 でも,考えてみると,仮説実験授業こそ,授業書(教科書+ノート+指導書)があり,授業運営法に則って授業するだけのスタンダードなものではないか…とも思えます。確かにそのとおりです。「熱心な教師ならある程度の授業成果(授業が楽しい,授業内容が理解できる)が上がるようにできている」のが仮説実験授業だからです。では,なぜ,仮説実験授業を選んでいる教師たちは,あんなに活き活きしていられるのか。指導方法まで決められているのに…。
 わたしは,それは,たったひとつのこと…「この授業をやろう!と決めたのは教師自身であるからだ」と思います。この自己決定権の行使があるからこそ,ほかの教師とは違う生き方ができているのだろうと思います。教科書にあるから,スタンダートにあるから…で行う授業とは,そこが違うのです。そしてその違いは,教師が成長する上でも,とても大きな違いとなって現れてくると思っています。

4.『仮説実験授業とたのしい授業の発明』を読んで A5 2ぺ  O.M
 仮説実験授業研究会の中一夫氏がまとめた本の感想をまとめてきました。「読んでいて何度も何度も涙が出た」とわたしは書きました。革命的な教育理論を作り挙げていくときの現場の緊張感がありありと感じられる素晴らしい本になっています。著作の内容のほとんどが,板倉先生とほかの実践者たちとの手紙の中身から採られていることで,その臨場感が一段と浮かび上がってくるのです。わたしの感想は,ブクログに書いたので,ご興味のある方は,こちらからご覧ください。

 その他,「こころMoji」(浦上秀樹)のハガキの紹介(S.Mi)黒田貴子著「能登の里山里海に新たな価値を見出す」『歴史地理教育2020年12月号』の紹介(O.M),読書感想文お手紙「兼子美奈子様」(O.M),山本正次著『国語科よみかた指導案集1~4』の紹介(詳しくは「珠洲たの通信・2023年1月号」を見よ,O.M)もありました。 

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