このころ,わたしの親父が亡くなった(享年95歳)ため,葬式の後始末をしていたと思います。そこで,サークルにも参加できずに,そのままレポートの紹介もできずにいたのです。
今回,資料の整理をしていたら,ちゃんと出てきましたので,めっちゃ遅ればせながら,紹介しておきます。サークルに誰が来たのかも,わかりませんので,あしからず。
資料の紹介
1.「風向き」B5 7ぺ M.S
話題の一つ目は「数の壁」と題して,アスカ(匿名)さんの数の認識の難しさについて書いてきてくれました。タイルなどを使って丁寧に教えているSさんですが,10の塊という認識さえも時々怪しくなるそうです。その度に気分が落ち込んでしまいます。アスカには数を集合数として捉えるのはとても難しいのかもしれません。
それならば順序数はどうなのか。こちらも,しっかりと身についているわけではなさそうです。アスカさんは,長年の経験から,「数字の列が右に行くに従って大きくなるらしい」という法則を身につけてしまっていて,15,16,17…の次は分かるのですが,44,43,42…の次は分からないといいます。
また,68,69,70,71,72,27と書いて,「72と27とどっちの数が大きい?」と聞くと,迷わずに27を選ぶとか。
順序数は,小さな子がお風呂でも数えています。数の大きさの概念とはちょっと関係ない感じです。ただ,知らず知らずのうちに「0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,0,1…」というリズムは身についているのかもしれません。
数の概念って,本当に難しいですね。わたしたち教師の側こそ,もう一度原点に戻って,1対1対応や量と数値との対応,量の認識のようなことをもう一度,基本から学ぶ必要がありそうです。遠山啓さんの本もお薦めします。
もう一つの話題は,今年,定年退職を迎える金沢高校の四ヶ浦さんの退職の会に参加したときの参加記です。わたしも参加を予定していたのですが,前書きに書いたとおり,親父の葬式でバタバタしていて欠席せざるを得ませんでした。
この退職の会は,うちらのサークルらしく,まずは四ヶ浦さんの高校の授業から始まりました。生徒の話だと,「いつも以上にテンションが高い」ということだったとか。耳元にあの四ヶ浦節が聞こえてきそうです。その後,その教室で小松サークルを開催。Sさんは,珠洲たのサークル以外に参加するのははじめてらしいです。
その後,場所を橋本屋旅館に変えて,夕食とナイター。ここでも,四ヶ浦さんへの話や四ヶ浦さんの話がたくさんあったようです。
レポートに紹介されている四ヶ浦さんの1984年の資料からの引用がよかったです。この当時の教育に対する思いが退職するまで続いていたことが確認できる資料でした。
Sさんのレポートから紹介します。
若かった四ヶ浦さんの思いは,今もまったくぶれていません。当日の授業でも,思い切り自分が楽しんでいたし,生徒もそれを共有しているのが伝わりました。授業の前も後も,何度も言われたことが「自分が楽しいと思ったこと全部,生徒に伝えたくならんか」でした。
2.「MY BOOK 2015年2月号」B5 2ぺ K.H
紹介してくれた本は,次の4冊です。
○筑紫哲也著『旅の途中』(朝日文庫,2013,940円)
○廿里美著『テープ&音声起こしドリル』(エフスタイル,1700円)→下記リンクは第3版
○岡潔著『春宵十話』(角川文庫,2006,520円)
○佐高信著『原発文化人50人斬り』(毎日新聞社,2011,780円)
どれも読んでみたいなと思います。筑紫さんの本は,39人との出会いについて書かれているそうです。また,『テープ起こし』は,仮説実験授業研究会では当たり前になっている授業記録や講演記録を文字化するときの視点が書かれているようです。あとの2冊も,なかなか刺激がありそうです。
いつもいつも,新しい本を教えてくださり,ありがとうございます。
3.講演記録「授業する喜び③」 B5 5ぺ テープ起こし K.H
2009年7月の仮説実験授業研究会岩手大会での小原茂巳さんの講演をテープ起こししたものです。
この頃の小原さんは,大学の授業での学生のようすをよく話してくれました。この講演でも,人前に立つのが苦手な野田さん(引用者匿名)という学生が,小原先生の授業を受け,ついには模擬授業にも挑戦する中で,少しずつ変化していくようすが,よく分かります。
そこで,ここでは,その野田さんの感想文を順に追ってみます。
どうして毎回予想させるのですか? 予想を聞いてもどうして黒板に板書しないのですか? どうして討論の時間を設けているのですか? どうして実験のあとに説明をしないのですか? もし子どもが理由を聞いてきたら説明しないのですか?
仮説実験授業における討論とは何か? 発言したい。こんなにもたのしい討論は初めてだ。理科教育法で仮説実験授業を受け,衝撃を受けた。仮説実験授業の討論はわたしも発言したいと思った。気付かぬうちに発言することは楽しいことだと思った。
仮説実験授業における討論は何故面白いのか。わたしは始めから発言したいと思ったわけじゃない。意見を受け止めるかと不安があった。小学生の頃,担任の先生に意見を聞かれて「なんとなく」と答えたけれど,先生は「なんとなくではいけません。なんでもいいから理由を言いなさい」と言った。それからわたしはみんなが納得する理由を言わなきゃといつもプレッシャーを感じるようになった。しかし「なんとなくでもいいんだよ」と小原先生の言葉でとても気持ちが楽になった。
小原先生は意見に相槌を打ってくれ,友だちは「だよねー」と賛成してくれた。とてもうれしかった。なんだ発言するのも簡単ジャン。発言すると他人の意見も気になってくる。なんで自分と意見が違うのか知りたくて必死に聞いた。
(実験によって自分の予想が)外れた人たちはわたしを含めてガックリと肩を落としながら自分の席に戻っていった。しかし,わたしの心の中に間違えた恥ずかしさは全くなかった。なぜなら,「なんで体積は減るのに重さは変わらないの」という疑問でいっぱいだったからだ。
友だちが次々と模擬授業に挑戦していくのを見て,仮説実験授業がたのしいという気持ちから,わたしもたのしい授業をやりたいという気持ちに変わっていきました。
討論の時,発言する自分に不安がなくなっていることに気づいたのでした。今の自分なら模擬授業ができるかもしれない。そして立候補してみました。
いったいどんな意見が飛び出すのかとても楽しみになりました。
みんなの感想文を読んでみるとうれしことがたくさん書いてありました。
模擬授業を通してわたしは人前で話すことに自信がつきました。
さて,ここまでひとりの学生の授業後の感想文をおってきたわけですが,わたしは「大学生でも変われるんだな」と強く思いました。「わたしは発言が苦手」と決めつけていたような学生が,仮説実験授業を知ることで,しっかりと自分を出していく,新しい自分を発見していく。なんとステキな成長なんだろうと,こころがぽかぽかしてきます。
この点について,3年前から小原さんの講義を受講している現場の中学生教師のSさんは,次のように言っています。
模擬授業になると,みんな明るく,元気になっていますよ。それは授業書があるからじゃないでしょうか。仮説実験授業は伝えたいことと授業の流れがはっきりしています。内容もあるし,授業の進め方の指示もある。野田さんの授業も笑顔いっぱいのたのしい授業でした。
またまた仮説実験授業が持っている力を教えてくれる講演記録でした。
4.「カメラレポート・2015年2月」 B5 2ぺ K.H
今月の一眼レフで撮影した写真は,兼六園の雪釣りの様子です。石川県人と言いながらも,雪吊りのある兼六園に行ったことは,2回くらいしかありません。こうしてじっくり写真を見ると,やっぱりいいものですね。粋です。
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