佐高信著『不敵のジャーナリスト 筑紫哲也の流儀と思想』を読む

尾形正宏
2015/03/15

 著者の佐高信は,歯に衣着せぬ表現者で,権力在る者を滅多切りにするジャーナリストである。一方,筑紫は,どちらかというと,物腰柔らかく,それでも言いたいことは言わしてもらうけんね,というようなタイプ。この2人が,『週刊金曜日』の編集委員だったということは,よく知っている。また,わたしは2人の文章もよく読んできた。
 さて,本書では,佐高が,筑紫の文章を引用しながら,その人となりを語っていく。しかしその内容は,単なる佐高からの筑紫へのラブコールではない。佐高は,随所に,自分と筑紫との違いを浮き彫りにしながら,「筑紫の甘さ」にも切り込んでいく。これが,けっこうスリルがあって,おもしろいのだ。「筑紫の甘さ」は,彼の限界でもあり,彼の幅の広さでもあり,それこそ,筑紫哲也自身なのだということが,とってもよく分かる。いい本だ。

 足なみの合わぬ人を咎めるな。彼は,あなたが聞いているとは別の,もっと見事なリズムの太鼓に足なみを合わせているかもしれないのだ。(p.121)

 この言葉は,ソローの言葉である。これは,筑紫のスタンスがとても幅広いことを説明するために,佐高が引用した一節だ。なかなか含みのある言葉である。
 私たち仮説実験授業をやっているメンバーは,他の職員から見ると「足並みを揃えていない」ように見えるかもしれない。しかし,わたしの行動の大元には,「もっと見事で正当(正統)なリズム」があるのである。また,わたしたちが,「足並みを合わせない」からと,ほかの人を非難する前に,そんな人達とじっくり語ってみる必要があるのではないかとも思うのだ。

 正しいことを訴えようとする人は,一様に禁欲的になる。もっと楽しく訴えなくちゃダメだ,というのが筑紫の姿勢なのである。(p.150)

 原発反対運動も楽しく,教育研究運動も楽しく…と言ってきたのは,私のスタンスでもある。それは,「楽しい未来に向けて運動することが,楽しくないはずはない」という,板倉先生や牧さんから学んだことだ。「自由や平等を獲得するため」と言いながら,眉間にしわを寄せ,悲壮な顔つきで運動をやっているようでは,だれも近寄ってきてくれない。結果,そんな社会は,かえって実現しないことになる。

 要するに筑紫は,風圧の向こうを見ていた。/風圧を受けていちいちへこんでいる暇があったら,こちらの思いをどう理解してもらうかを考える。そうやって逆に,風圧に対する耐性を高めていったように思う。(p.140)

 自分の信念を言えば言うほど,反対意見も多くなる。それが,時には,バッシングにもなったこともあるだろう。そんなときにも,筑紫は慌てない。じっくり構えて,ゆったりと低い声で,自分の意見を述べるのである。筑紫は,風圧がくることを当たり前として予期している。そして,そんな風圧に力で抵抗するのではなく,それを起こしている本家本元にまで,自分の思いを届ける方法を考えていたのだろう。ムショ暮らし○○年という右翼のメンバーとも親しかったという筑紫の幅の広さを,ここでも感じるのである。
 さすがの佐高も,その点を認めざるを得なかったようだ。

 しかしいまは「ちょっと待てよ」と思う。筑紫が受けた風圧の強さを考えると,厳しいことばかりも言っていられなかったような気もする。さまざまな考え方をする多くの人たちに自分の言いたいことを伝えるためには,筑紫が言うように「ある種丸くなるみたいな,あるいは『甘い』と言われる部分は出てくる」だろう。(p.145)

 上の文章は,以前,筑紫本人に向かって「あなたはなまぬるい」と言ったことのある佐高の,本書での弁である。
 筑紫は,管理職への道を求めなかった人でもある。それは,なぜなのか,筑紫の言葉を孫引きしてみる。

 …僕はやっぱりいろんな意味で若い人の才能が好きで,今番組続けているのも,簡単にいえばスタッフが若いからですよ。管理職を順番に出世していくとね,もう現場が全然ないんですよ。大学やTV局で,無名の若い連中とワーワーやってるほうがよっぽど楽しい。だから,そういう意味では,同世代人にとっては裏切り者ですよ,僕は。(p.192)

 これにたして,佐高は,次のようにまとめている。

 注目されればされるほど,あるいは偉くなればなるほど,人は若者に対して高圧的に,“上から目線”でものを言うものだ。しかし筑紫には,そんなところが微塵も感じられない。若者に対しても,“横から目線”のようなものを心がけていたのだろう。

 学校現場はどうだろうか。
 わたしはどうだろうか。
 今,現場には,若者がたくさん入ってきているが,管理職の若者への対応を見ていて「それは言いすぎだろう」と思うことがよくある。初任研って,そんなに偉そうなものなのか。自分達だって,若いときにはよく分からないことがいっぱいあったはずだ。でも,子ども達から学び,先輩達から学びながら,今の自分があるのだろう。
 わたしは,若者から学ぶべきものを探す方が楽しい。それは,同僚性の第一歩なのだから。上意下達から生まれるものには,何がある?? むしろ,教育的には失うものの方が多いような気がする。

コメント

タイトルとURLをコピーしました