『奥能登国際芸術祭2017』見学記

さいはての街・珠洲

2017年,この奥能登の最先端珠洲市を会場に,「奥能登国際芸術祭」が開催されました。芸術にはあまり縁がないわたしも,地元開催とあっては,少々触手が動きます。
ほとんどの作品(止まっているやつ)は,見てきました。自分だけで見た作品,娘たちの帰省にあわせてみた作品,学校の児童と見た作品など,いろいろです。複数回見た作品もあります。

当時は見学する毎に自分のFacebookに作品の写真などを紹介してきましたが,改めて本サイトに印象に残った作品を紹介してみたいと思います。
以下の枠内の各タイトルには「わたしのお気に入り順位 作品番号 作品名 作者」の順に書いておきます。
なお,わたしの感想と共に書いてある「作品解説」は,主に芸術祭記録集『奥能登国際芸術祭2017 SUZU 2017:Oku-Noto Triennale』(右の本)からの引用です。


小学6年生の作品鑑賞文〈一部抜粋〉を掲載しました(2023/07/08追記)

芸術祭当時,わたしの勤務校の小学6年生が,国語科教育の一環として左写真のような作品鑑賞文集「この作品,私たちはこう見る」を制作しました。このような「子どもの目から見た最新の芸術作品」というのもなかなか貴重な記録だと思います。 
そこで,今回,本ページを作成するにあたり,当時の担任教師に冊子を貸していただき,鑑賞文の一部を掲載しました。ありがとうございます。
子どもたちの鑑賞文は,各作品の最後にあるこの形式の枠(引用符)内の文章です。なお,引用するにあたり,句読点を変更した箇所もあります。 


第1位 01.時を運ぶ船  塩田千春

 赤い糸が船から天井から部屋全体へ延びていて,部屋中が血管に埋め尽くされているように感じる,とても印象的な作品でした。まるで,その部屋全体が生きものの内部のように感じられました。
 塩田(しおた)さんのお名前は,珠洲で古くから生業として続いてきた「塩田(えんでん)」とおんなじ漢字表記です。そこにインスピレーションを受けた塩田さんは,伝統と人の記憶をテーマとして,作品を作ったそうです。

「砂取り船から無数の赤い糸を空間いっぱいに張り巡らせ,日本で唯一今でも残っている揚げ浜式塩田を守り続ける人びとの記憶と歴史を紡いだ作品」(上掲書024ペ)

 下左写真のお母さんは,地元の方。手に持っているのが作品に使われた赤い糸です。芸術祭開催中に切れたりすることもあるので,その修正用です。
 また,となりの部屋には,のぞき穴がある大きな箱があり,その穴からこっそり覗くと,作品の制作工程の動画が流れていました。

 この会場は,旧清水保育所だったところです。奥の部屋に行くと,ロッカーに何やら知っている名前のシールが…。この年,わたしの勤務している学校にやってきた講師さんのお名前でした。歴史を感じます。
 なお本作品は,常設展示されています。

 真っ赤な糸。赤一色の糸。この作品を見た時,おどろいた。真っ赤な糸が天井までつながっていた。部屋が赤くそまっているぐらい糸をつなげている。いろんな色が混ざっているのではなく,赤一色だけにしているのがすごい。…(中略)…
 この糸をからませるのに毛糸を千個も使ったそうだ。千個の毛糸をからませるのに,地域の人もいっしょに作品を作った。この作品から地域の人のつながりも感じられる。…(中略)…
 私は,糸と糸がからみ合っているのは人々の生活と歴史,人の心と記憶を赤い糸で結んでいると思う。そして船にもからませ,その思いを知らない人に伝えようとしたと思った。

B.S

第2位 30.うつしみ  ラックス・メディア・コレクティブ

 本作品は,松波から珠洲へ抜ける国道249号を走っていると田んぼを挟んで見えてきます。夜になるとライトアップされて,田んぼの上にぼんやり浮かんで見えるのです。
 作品は,廃線になってしまったのと鉄道の駅の上に乗っているので,その幽体離脱っぽい姿がとっても幻想的なんです。よくこんなことを考えますなあ。
 こんな作品なので,当然,夜の見学に向いています。
 本作品も常設展示となっています。

「それは駅舎の亡霊なのか,残された抜け殻なのか,あるいは未来の映像なのか。場所や物がもつ記憶,非物質的なものの存在を問いかける作品」(071ぺ)

第3位 25.シアターシュメール  南条嘉毅

 本来なら,この動く作品がわたしの一番の〈押し〉なのですが,残念ながら,館の中は撮影禁止だったので,ここで写真を紹介することはできません。そこで,第3位としておきました。
 ここでは,40年前に閉館された映画館「飯田スメル館」を舞台に,動きのある作品を見ることができます。
 右の写真は,会場玄関前の様子。奥の左には,切符売り場があります。また帰省した娘も写っています。
 この映画館へは,子どもの時に数回行ったことがあります。また,高校生のころはバンド演奏発表の会場でもありました。懐かしい場所です。

「上映開始のブザーとともに,真っ暗な空間の中スポットライトによって次々と照らし出される,映画館の記憶につらなるものたち。その上には能登半島で長い歳月をかけて形成されたこの土地ならではの珪藻土の粒子が降り積もる。」(065ぺ)

 辺りは真っ暗。一体何が始まるのか。
 ぱっと灯りがつく。それと同時にチラッと物が見えた。一体あれは何だったのか。考えているうちに消えてしまう。その消え方は,まるで町の勢いがなくなっていき,町がすたれて,人々が悲しんでいるようだ。また灯りがついた。見えたものは昭和時代のもの。…(中略)…この作品は昭和時代がなるか昔(シュメール)のようになっているということを見事に語りかけている。
 突然,珪藻土が落ちてきた。これは何だろう。ぼくは,珪藻土の砂時計で時が流れていることを表しているのだと思う。珪藻土を砂時計にするとは,実に素晴らしい。
 ぼくは昭和を知らない。そんなぼくでも,切なく,そしてぐっとくる作品だった。

U.I

第4位 36.上黒丸北山鯨組2017  坂巻正美

 これも不思議な作品でした。
 上黒丸といえば,珠洲でも山の奥に入った場よです。その北山はさらに奥。そんな里山の田んぼに突然現れた〈ボラ待ち櫓〉と〈伝馬船〉。田んぼの上空には大漁旗が,万国旗のようにはためいています。
 近くの小屋には,これまた船が一台。その船の上には鯨と見られる頭骨と米俵が置かれています。
 里山と里海が合体したようなこの作品。珠洲の大自然とその恵みを表しているようで,とても頭に残る作品でした。
「このアクションは,海と山の幸を集落間で物々交換する古来の風習について,新たな意味を探り再生することである。」(081ぺ)

第5位① 09.最涯(さいはて)の漂着神  小山真穂

 きれいな砂浜に,破船の一部と大きなクジラの背骨+肋骨ようなものが合体している。その船の中から海草のような物が延びていて…。
 珠洲に漂着神伝説ってあるのかどうか知らないけれど,見附島を見つけたのは弘法大師・空海といわれている。また北朝鮮による拉致もあったらしい地域である。今でも,珠洲の海岸にはハングル文字や簡体字・繁体字,あるいはロシア文字のゴミが寄ってくる。
 海からは「幸」も来れば「災」も来る。

「海藻でできた長い髪の女神を破船の船内に祀り,流木を一つひとつ削ってつくった鯨の肋骨や背骨を砂浜にダイナミックに展開。」(038ぺ)

第5位② 03.神話の続き  深澤孝史

 漂着神関連で同着5位というか,合わせ技で1本! 周りを海に囲まれている珠洲は昔から「海からやってくる」という発想とは切っても切れない仲なんでしょう。わたしも,子どもの頃は,よく海で遊んだし,砂浜に上がった生きものでも遊びました。
 海に向かって立つ鳥居は,漂着ゴミでできています。漂着するモノの違い(神か,ゴミか)を鳥居で象徴することで,海との深いつながりを感じさせてくれる作品でした。
 本作品は,高学年の子どもたちと一緒に鑑賞しました。

「水平線の向こうを本殿に見立て,最多の漂着物からなる巨大な白い鳥居と祠をもつ「環波神社」を波打ち際に建立し,現代の新たな漂着神話を創造した。」(026ぺ)

 青くすきとおった海のそばに,鳥居がぽつんと立っている。不自然だ。でもよくみるとゴミでできている。そのすべては,日本の物ではない。外国から流れついたゴミもある。
 この世に,もう二つとない,白色のゴミで出来た鳥居。ゴミで出来ているとは思えないほど,すばらしい。…(中略)… その本殿は海の向こうにあるらしい。こんな海の上にうかぶ神社があったら,ぼくはかっこいいと思う。
 この作品の作者は,この作品でゴミを海に流しても漂流神(寄神)によって陸地に必ず着いて「人の目に見える」ようになることを言いたかったのかもしれない。…(後略)

H.S

第6位① 31.混浴宇宙宝湯  石川直樹 

 わたしの住む宝立地区では,3つの作品が公開されました。なので地元の作品をすべて第6位ということにしておきます(^^;)
 そのうちのひとつが,橋元酒店さんが運営している銭湯「宝湯」を舞台にした作品です。
 このお風呂には,子どもの頃,親父と何回か行ったことがあるような気がします(すでに記憶が定かではない(^^;)。また,2Fの大広間には入ったことがあります(ここの息子さんがわたしの娘と同級生なので…なにやら親同士が集まったことがある)。
 しかし,迷路のようにいろいろな部屋が繋がっていることとか,以前,この館がどのように利用されていたのかなどについては,まったく知りませんでした。今回,それを知ってビックリしました。

「宝湯に浸かり,橋元さんからこの建物の歴史を聞いていくうちに,奥能登をどんどん身近に感じられるようになっていった。涯ての遠い観光地としてではなく,住む人の視点から土地を感じられるようになるとき,旅の位相がほんの少しだけ変化する。」(石川直樹「宝湯というカオス。」,075ぺ)

第6位② 32.まーも-なく  アデル・アブデスメッド

 旧のと鉄道鵜飼駅のプラットホームに,久しぶりにのと鉄道の列車が鎮座していて懐かしい。その止まっている電車には,窓の外にまで延びる大きな蛍光灯が刺さっていて不気味に光っている。なんだこれは!「人も車両も通るはずのない踏切の警報器が定期的に鳴り響き,「まーもーなく」という赤いランプの文字が点灯する。この場所の止まった時間が動き出し,「まもなく」何かが起こることを暗示する。」(076ぺ)

第6位③ 33.漂移する風景  リュウ・ジャンファ

 地元宝立のシンボル,いや,珠洲のシンボル,いや能登のシンボルの見附島をバックにした作品です。場所がステキなので,ロケーションは申し分ありません。
 作品自体は,白っぽい陶器の欠片を並べただけのとてもシンプルなものですが,いろんな角度から写真を撮ると「絵」になりました。
 この作品は,芸術祭後,珠洲焼資料館の横に常設展示されることになりましたが,やっぱり,見附島(もしくは,珠洲のどっかの海岸)にあった方が,大陸との繋がりを感じられていいと思います。

 ザーザー。きれいな海の波の音。その海に流れついた陶器。…(中略)…わざと陶器をわることで,ここに流れついてきた陶器であることを表している。…(中略)…
 作者が生まれた中国の景徳鎮という陶器と,珠洲で有名は珠洲焼を置いている。このことから,外国と日本は仲よくしあい,外国とのかんけいをつないでいこうという意味をリュウ・ジャンファさんは表したいのだと思う。そして海にも近いので「海でもつながっているよ」というのを伝えたいのだろうか。
 最初は,「ゴミをすてないで」などということを伝えたいと思っていた。でも,作者のこととつなげえると,「私たちはつながっているんだよ」と,心強く,伝えたいのだろう。

I.N

ちょっと休憩①

奥能登国際芸術祭2017のようすを小中学生も見学

珠洲市で初めて開催された国際芸術祭。小中学校の子どもたちも,授業時間を使って地元の作品を見てきました。まさに珠洲市をあげての芸術祭でした。
わたしが勤務していた小学校では,5,6年生がバスを使って外浦の作品(一部)も見学してきました。子どもと参加するのもなかなかたのしいものです。


第7位 14.なにか他にできる  トビアス・レーベルガー

 右の写真だとよく分かりませんね。上記の「作品30うつしみ」と同じ夜に撮った写真です。夜は夜でかっこいいです。昼の写真は下に…。
 この作品は,この金属製の枠だけではありません。ここに据え付けてある双眼鏡を覗くと,廃線になったのと鉄道の終着駅・蛸島駅の近くにある看板が見えます。その看板には「something ELSE is POSSIBLE」と書かれています。

 昔はこんな風景もー。緑でいっぱいののどかな風景の中にある作品。そこからは,今はもう使われなくなったのと鉄道が走っていた線路と蛸島駅の風景が見渡せる。
 緑色に黄色,オレンジ色や赤色,それに形は同じ物が多いけど,大きさは一つずつさまざまだ。色もあざやかでとても印象深い。
 作品の中に入っていってみると,最初は小さな棒が立っている。奥の方へ行くにつれて棒が高くなっていき,だんだん四角の形に近づいてくる。作品をよく見てみよう。どうだい,すいこまれそうになってきただろう。実際に行ってみると,もっとそう感じられるようになる。入っていくと自分が少しずつ周りにかこまれて,そこから昔の風景が見えることが,タイムスリップするように感じた。…(後略)

D.M

13.ドライフラワーのしおり  エコ・ヌグロホ

 上記14番同様,のと鉄道の終着駅だった蛸島駅(2005年4月1日廃線)を使った作品です。

「人の手が入らずに風化していく駅舎に,作家は駅の記憶として壁画を描き,故郷インドネシアにおいて第二次世界大戦中に,石炭を運ぶため日本軍が敷設し,戦後廃線となった鉄道をめぐるドキュメント映像を流した。」(045ぺ)

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