珠洲たの通信・2019年11月号

 今年の漢字が「令」だというのには少々がっかり。予想していたとは言え,あまりおもしろくない結果だなあ。もっとユニークな漢字が好き。「今年の漢字」は結局,応募者の多数決で決めるので,こんな風になるんだろうな。こんなんくり返していると,だんだん興味がなくなりそう。今年,わたしが考えた〈世相を反映していたと考えた漢字〉は「最」。平成最後の,令和最初の,最大限の命を守る行動を,安倍政権最長などなど…で考えたんだけど。
 その一方で,アメリカでの「今年のワード」のニュースが興味深かった。これはどこでだれが選んでいるのかは知らないけれど,今年のワードに「they」が選ばれたという。theyなんて言葉は,「彼ら」「彼女ら」を表す三人称複数の主語だと習ったのだけれども,最近は「she,he」の代わりに,性別を不問にしたものとして「they」を使うことが増えているらしいのだ。要するに三人称単数で使用しているという。この辺りのことをALTのエイデンに聞いたら,そういう使い方は昔からあるらしい。これもまた,時代の反映なんでしょうな。
 さて,積雪はまったくなしの12月の上旬。雪が降るだけで,仕事が一つ増えるわたしたちとしては,雪がないだけでなんとなくうれしくなる。自由時間が増えた感じ。

■11月の例会の参加者(4名)
 K.H  , M.O , T.N , M.K 

資料の紹介

1 「Crescent Moon」 B5  1ぺ    T.N
 台本『科学劇 もしも原子が見えたなら』(A5,10ぺ)も合わせて持ってきてくれました。
 学習発表会で『もしも原子が見えたなら』に取り組んで発表した4年生。少人数で,発表時間も短い中で,とてもステキな劇を発表してくれました。4年生がこういう劇をやると高学年がひがみそうなのですが,T小では4年~6年まで,みんな《もしも原子が見えたなら》を授業済みなので,ちょうどよかったと思います。
 保護者の方から「おもしろかった」「合体がとてもかわいかった」「水分子の曲が耳に残った」「水分子のダンスがお気に入り」「こんな授業だったら分子が好きになったかも」などたくさんの反響がありました。
 子どもたちが楽しんでできるのはもちろんのこと,見る方も楽しめる劇ができてよかったですね。
 これで,珠洲市・能登町の小学校でこの劇をやるのは4度目かな。今回初めて取り入れたのが,バックにもし原のシミュレーションを流したことです。これで,飛びまわっている様子がある程度観客にも伝わります。同じ劇でも,いろんな工夫ができることがわかって得した気分でした

2 珠洲たのレポート・2019年11月号」 B5  1ぺ    K.H
○齊藤孝著『バカになれ 50歳から人生に勢いを取り戻す』(朝日新書)
 Hさんは『「無我夢中」の時間を1分でも多く持つ。それが後半生を支える本物の教養となる。』という齊藤さんの言葉を紹介してくれていますが,確かにそうだと思いますね。
 この歳になって「無我夢中」ってなかなかないのですが,「いつの間にか時間がたっている=無我夢中」ということならば,ある本を読んでいるとき,草むしりをしているとき…などがそうかな。以前の方がいろんなことに「無我夢中」の時間を過ごせていたような気がします。むしろ最近の方が「無我夢中」になれていない。時間がある分,ゆったり生きているような…。
 「退職してから…」と思っていたのではいかんなあと,今頃になって思います。
 人生後半はもっともっと,自分のために生きていい。仕事も自分のためにしよう。好きなものに対するプリミティブ(原初的)な情熱を取り戻し,心と体から湧く勢いに忠実に生きよう…それを「バカ」というなら,バカこそ最高だ。(本書より孫引)
 ん? 人生後半は,だって? これまでも,わたしはなるべくこうしようと思って生きてきたし,ある程度はそのような感じでやれてきたんじゃないかなと思います。でも,想い出として語るとそうなってしまうってことなのかも知れません。その当時はけっこうガマンしながら仕事をこなしていたこともあったはずだから。
 わたしにとって「自分のために生きる」というのは,「だれかの笑顔を見るのが好きな自分のために生きる」ことなので,そのための学校や組合や市民運動の仕事はとても楽しいものでした。だから,退職後は,もしかしたら,だれの笑顔にもつながれない寂しさが沸いてくるかもしれません。わたしにとっての「自分のために生きる」って,これから何をすることだろう。なんてちょっとセンチになっちゃいます。

3 仮説実験授業からまなんだこと(とりあえず完成版)」 B5  8ぺ 尾形正宏
 わたしのレポートの前に,まずは,これを書く前のお話から。
 今年の市学教研発足会の時,理科教育部会から「T小学校で講座を持ってほしい」とお願いされていました。部会には,わたしとNさんがいること,わたしが今年最後であることなどを理由にそういう話になったのでした。
 その際,わたしは「もしわたしたちが引き受けるとすると,教科書に囚われない授業をすることになるだろう」「授業をするかどうかも含めて,T小メンバーで相談する」との約束を取り付け,とりあえず10月30日の水曜日に,その会を持ちました。
 当日,結果的には,
 ①N先生による仮説実験授業《温度と沸とう》
 ②授業整理会と仮説実験授業の話(尾形)
という2本立てでいくことになりました。
 N先生と4年生の仮説実験授業《温度と沸とう》の授業は,まさに仮説実験授業らしい授業となりました。前時までで学んだことを使って予想を立てる子どもたち。でもでも,常識的な判断に迷わされる子どもたちの姿を見ることができました。極端に考えて説明する子もいたし,予想変更をする子もいました。なお,公開した授業は授業書第2部[問題3]。「にえたっている少量の湯と大量の湯の温度は違うか」です。
 授業整理会でも,参観した先生からは絶賛の声ばかりでした。
 敢えて授業者への質問を問うと「書かせる場面はなかったけど,いつもはどうしていますか」とか「時間の確保はどのようにしていますか」など。「書かせる場面」なんて言葉は,以前の授業整理会では出てきませんでした。若い教師から出てきたこの言葉を聞いて,いまの教育界のゆがんだ姿が見えてくるようでした。だって,理科なんて書かせるのは二の次でいいでしょう。もっと上の学年になってからはじめたってまったく遅くはない。「時間の確保」については,おそらく教科書にしばられているうちは絶体にできません。「何を教えたいのか?」をはっきり持って,とりあえず楽しそうな授業をやってみることが大切ですね。逆に言えば「何を教えたいのか」がない人には仮説実験授業など必要ないと思います。そもそも「選ぶ」という行為は「何を教えたいのか」につながるのですから。この一歩を踏み出せるかどうかが,仮説実験授業に取り組めるかどうかの分かれ道ですね。いいと分かっても取り組めない…そんな雰囲気を感じながら,わたしの話に移りました。
 わたしは,「仮説実験授業から学んだこと」というレポートを元に話をしました。レポートには「仮説実験授業の紹介」と「仮説実験授業からわたしが学んだこと」をまとめました。仮説から学んだことについては,次の5点を上げてみました。
その1 押しつけの排除
その2 「易から難へ」は本当か?…教育の常識を疑う
その3 研究は民主的な社会でのみ進む
その4 マネこそ創造性
その5 子どもに聞く

 これらのテーマは,自分の仮説実験授業の実践をふり返りじっくり吟味して選んだというよりも,その時にたまたまわたしの頭にうかんだテーマを取り上げただけです。だから違うときに書けば,またちがう柱がうかぶかも知れません。いずれにせよ,仮説実験授業からうけた影響の中で教師をやってきたようなものなので,どこを切っても仮説実験授業から学んだことが出てきそうです。ただ,それでも自分の勘や勢いで常識的な行動をとってしまうこともあって,そういうときは反省しています。
 また,当日まで迷っていた「実験」ですが,今回は,時間がなさそうだったので取り上げませんでした。でも準備はしてあったので,会が終わってから,帰り際の部員に対して簡単に予想を立ててもらいながら実験を見せました。演示したのは〈もしも原子が歌ったら〉です。参加者に感想を書いてもらう時間もなくて残念でした。先の研究授業も含めて,今回の講座の感想を書いてもらえばよかったと反省しています。
 理科部員には,ほかにもいくつかの資料を配付しました。
・陰山英男「主体的な教育の道しるべに」(『信濃毎日新聞』の記事)
・尾形正宏「地震大国だからこそ小学生から教えたい」(『理科教室』2008.12)
・尾形正宏「能登の珪藻土」(仮説実験授業全国大会〈能登大会〉で参加者に配付)
・その他,珠洲の地層についての資料
 退職を前に,少しの時間でしたが仮説実験授業について話す機会があってよかったです。そしてなによりも〈Nさんが仮説実験授業をやっている姿〉を見せることができてよかったです。若者たちに「これならオレにもできるカモ」と少しでも思ってくれればサイコーです。Nさん,ありがとうございました。

4 大地のつくり~地震の授業 M.O
 能登町から珠洲に帰ってきて6年。この間に調べてきた珠洲の地質の教材化につて,今年の授業をまとめてみました。今回のレポートも含め,今後,「珠洲たの」のHPに実践記録をアップできないかと思っています。来年度からのわたしの仕事ですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました