珠洲たの通信・2003年2月号

資料の紹介

1.『「学力(発達)保障と共生」について』 B5  5ぺ   M.S
 大学生の頃から,障害児教育に関わっていたというSさん。
 その子なりの学力を保障するのが先なのか,あるいはみんなと一緒にクラスで共生するのがいいのか。
 漢字を書けるようになることを喜ぶ子どもの姿に教師としての満足感があるかも知れない。また一方では,障害を持った子がふつうの子どもたちと一緒に運動をする姿は,何物にも変えがたいものだろう。
 しかしその一方で,いやがる子に無理矢理算数を教える自分の姿にいやになったり,クラスに戻った時にたんなるお客さんでしかない児童の姿に「これって共生!?」と悩む自分もいる。
 確かに難しい問題です。障害児教育に真剣に取り組んだことのない者にとっては,残念ながら想像もつかない部分でもあります。
 しかし,シロウト考えであることを承知で言わせてもらえば,これは決して二者択一の問題ではないのだろうと思います。Sさんも書いているように「発達保障(学力)と共生がまさに,車の両輪のように相互に働きあっている」姿が,どこかにあるはずだと思います。それは,人は「人の間に入って始めて人間となる」ことの証左ともなるのではないでしょうか。健常児が一人で読書をしたり,勉強の為にお残りしたりする時間があるのと同じように,障害を持った子が,ある時間,その子にあった学習をすることは「分断」とはいえないと思うのですが…どうでしょうか。

2.「授業記録を採ってみて」 A4  1ぺ   K.H
 一念発起,MDを購入して授業を取り,それを聞いてみて自分の授業を振り返ったという感想です。
 人様に授業を見せることはあっても,自分の授業を見ることは簡単にできません。わざわざビデオをとってもらったり,テープで聞いたしなければなかなかできません。Hさんは,今回,自分の授業をMDに録って聞いてみることで,幾つも発見があったようです。
・教師の説明が長く,生徒に矢継ぎ早に質問をしている。生徒に考える時間を取るべき。
・「分かる?」という確認の言葉が多すぎ。

などです。
 仮説実験授業研究会の仲間内では「授業記録をとるのも大きな研究の一つ」と考えています。それにはいろいろな意味がありますが,授業記録をとることで,自分の授業をもう一度振り返ることができるのが,もっとも大きなことだと思います。授業がうまくなるため,というよりは,より子どもたちにとってわかりやすく楽しい授業をするために,時々こうして自分の授業を聞いてみるといいと思います。

3.学級通信『飛行船・第40号,第41号,第43号』 B4  8ぺ  M.O
 第40号は「ほうりゅう」でアクロスティックなど。
 第41号は道徳の授業のこと。町おこしグループを取り上げた自作資料「『幻の滝』を子どもたちへ」を使い,GTにも来ていただいての授業の感想です。この資料は,とても急いで作ったのですが,授業にかける前に,メールを通してサークルのメンバーにもたくさん意見を伺うことができ,とても助かりました。自分で授業をつくるって楽しいなあと,つくづく思います。このときも,何人かの方に話を聞いたり,自分で調べたり,OHPを用意したりして,当日も授業を楽しむことができました。子どもたちもずっと興味を持って授業を受けてくれたようです。
 第43号も道徳の授業。「足,太いね」という資料を使った授業です。「プラス思考で生きよう」というのが私の呼びかけ。「ユーモア」も授業のテーマでした。このネタ,どこにあったのか忘れてしまいました。明治図書の本かネット上のTOSSLANDかです。あたってみてください。

4.「冬休み明けの児童の様子」 B5  10ぺ  H.H
 冬休み明けの子どもたちの動きが重い-ことについて,自分なりの感想を一気にまとめたものです。自分でも「いつものことだが」と断っていますが,子どもたちの動きが2学期までとは違って重いのが気になるというのです。
 2学期まであんなに頑張ってきたことはなんだったのか。学級の子どもたちが,自分の思うように動いてくれるようになったと判断できたあの<とき>は,どこへ行ったのか。そんなことを考えると,「なかなか動かない子どもたち」「冬休みに落ち込んでいる子どもたち」の話が,自分自身が「落ち込んでいく」ことにもなっていくようです。
 「子供がおもしろいと思う心を失う何かが,私にあるのだろうか。もっと遊び心が必要なのだろうな」と本人は語っています。
 最後に「冬休みの落ち込み8」(10ページめ)に書いてあることについて,編集子の感想を書きます。
 Hさんは,自分が3学期になると決まって少し落ち込んだ気持ちになるのは,「感性的なものを含んでいるから,人にはどうしようもないのではないか」と言い「蛇と聞いただけで悪寒がはしるような人に,蛇の持ち方つかみ方を教えてもムダである」という例を挙げて「感性的なものは人にアドバイスできないこともある」と言っています。しかし,そういうアドバイスはできなくても,その人に自分が楽しそうに蛇をつかむ姿を見せることならできます。いや,見るのもイヤだという人には,小さな蛇から,それでもイヤだという人には,蛇の模型を用意して,あるいは蛇が主人公のアニメから入っていくことだってできるかも知れません。アドバイスはできなくても,少し自分の持つ感性に近づけてあげることならできるのではないか。そういう可能性を持つことは大切ではないかな。

5.「生活指導研究会レポート」 B5  4ぺ  H.H
 タイトル通り,市郡の生活指導研究会用に持って行ったレポートです。
 大きな学校に赴任して約1年。小規模な学級との違いをあげながら,ある気にかかる子について話が進んでいきます。その子に関して抱えている学級の問題を考える中で「人間は,そう簡単には変わらない。特に汚いとか,不潔とかいう感覚は理屈ではないのだから克服することは難しい。特に高学年の女子になると,そのあたりはかなり難しいような気がする。1回や2回話し合ってもすぐに嫌いだという感覚がなくなるわけはないし,積んではくずし,積んではくずしの子供との根競べのような気がする」という感想を書いています。
 確かに,一朝一夕でカタの付く問題ではありませんね。でも,教師としてすべての子どもたちを同じように大切にしていくためには,この部分は避けて通れないところです。少しでも「克服」できるように,授業を組んでいきたいものですね。 
 具体的には,内容がむちゃくちゃプライバシーなので,ここでは,これくらいにしておきます。すみません,読んでいない人にはちょっとわかりにくいかな。

6.「今月の本棚・2003年2月号」 B5  3ぺ   M.O
 4冊紹介します。
○アーネ・リンドクウィスト,ヤン・ウェステル共著『あなた自身の社会』(新評論,1997)
○梅原猛著『梅原猛の授業 道徳』(朝日新聞社,2003)
○J.ウィルソン監修『世界の道徳教育』(玉川大学出版部,2002)
○松本人志著『プレイ坊主』(集英社,2002)
 『世界の道徳教育』という本は,なかなかおもしろかったです。読みやすくはないのですが…。『プレイ坊主』は,若者文化について研究しようと思わない限り,ま,読んでもおもしろくありません。
 ほかのメンバーからは,
○野口悠紀雄著『「超」文章法』(中公新書)
○西岡常一著『木に学べ』(小学館)
の紹介がありました。私は,その後,この西岡さんの本を読み,さらに西岡氏に刺激されて,その弟子たちの本まで読んでしまいました。

7.「たからmikke通信・№13~15」 B5  6ぺ  M.O
 私が校内で発行している研究通信(主に道徳)の,№13~№15です。
 №13は「プライム128」について(その1)。宝立町の地域おこしグループについては,道徳に取り入れるかどうかに関係なく知っておいて欲しいという私の思いを書きました。宝立公民館で調べた新聞記事の切り抜きなども紹介してみました。最後に「できれば,以上の資料を用いて道徳用の資料を造ってくださる人はいませんか」と書きましたが,結局,私が6年生用に作ることになりました。それが「幻の滝を子どもたちに」です。
 №14は「『心のノート』の活用について」。ある学校のホームページの内容を紹介しました。この『心のノート』の賛否両論については,先に取り上げてあります。
 №15は「子どもたちを見守ってきた紅梅」です。以前,本校で作成された道徳の資料「紅梅」(Oが少し改訂しました)を紹介し,授業で取り扱ってみるようにお願いしたものです。ついでに,町おこしグループについての新聞記事を抜粋したものも附けておきました。
 こういう資料をみんなに紹介しようと,「少しでも授業のネタにできるものがないか」とあちこち探すのが,研究の推進役を担っている私の仕事となっています。

 その他,選択算数でやった「数学パズルに挑戦!」のプリント(H)などもありました。

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