〈量〉を意識した指導の大切さ

レポート綴

以下の資料(未完)は「1993年度珠洲教育研究集会(算数・数学分科会)」(1993年10月7日)「量の体系に位置付いた指導を」と題して提出した資料である。この年,6年間勤めた中学校(理科専科)現場から小学校に戻ってきたわたしは,はじめて「算数・数学部会」に所属して,分科会に資料を持っていったのだった。 小泊小(当時) 尾形正宏


数学を実在とつなぐもっとも太い帯の一つは量である。これがわれわれの原則であったし,その原則はいまなお変更の必要はないだろう。しかし,原則だけではじゅうぶんではない。原則から具体的な指導法,とくに小学校段階において量の体系を創りだすことがつぎの課題となる。(遠山啓著「数学教育と量」『量とはなにか-Ⅰ内包量・外延量』8ぺより)

0.はじめに

 まず,はじめに10年間教師を続けてきての算数に関わる感想を述べよう。小学校から中学校,そしてまた小学校へと幸い?にも幾つかの学校を経験してきた僕の意見も,あながちそう的外れとはならないと思うがいかがだろうか。
 まず,中学校の理科の教師をしていて思ったことは,「小学校段階における算数の授業がいかに大切か」ということである。それは,小数×小数の計算が間違いなくできるとか,分数の計算がだいたいできるとかということももちろんであるが,もっと基本的な掛算の意味とか小数・分数の意味なんかをしっかりと納得していて欲しいということである。単位当たり量や割合で比べることなども半分くらいはよく分かっていない。
 しかも,概数の上手な使い方などは,ほとんどの子供ができていない。これには,はっきり言ってまいってしまう。概数を使って大体のところを予想すればいいものを,1桁間違えても知らん顔している中学3年生の何と多いことか。これらは,量に裏付けされない計算主義=形式主義が算数教育の中にしっかりと根付いているからだろうと思うのだがどうだろうか。

1.数と量との関係があやしい

 「問題」を読んだら「式」を立て,「式」を立てたら即「計算」。これが,教科書を普通に使った指導順序であろう(僕もそういう授業を受けてきた)。そして,このような指導を受けた子どもたちは,練習問題になると「式が立たないとほとんどお手上げ」という状態でいるようである。「式ガダメナラ絵ガアルサ」と,〈図で求めたり,絵で求めたり〉ということを,高学年になるほどしなくなる(できなくなる)のは,どこに原因があるのだろうか。
 あるいはまた,先に述べたように,計算をした結果が,うっかりミスかなんかで1桁も違っていてもその間違いに気がつかないのは,どうしてなのだろうか。
 平均の値が(計算のミスで)各値のどれよりも大きくなっているのに,その値が間違いだと気がつかないのは,何が原因なのだろうか。とにかく出て来る数字をいくつでも掛けたりするのはどうしてだろうか。
 僕は〈量を無視した立式〉主義,〈式を立てたら即計算〉主義と〈概数を上手に使えない〉ということが,これらの原因の重要なひとつだと思っている。別の言い方をすれば〈抽象化された数〉と〈現実の量〉との橋渡しがうまくできていないとも言えるのではないだろうか。
 子どもたちは〈数〉はあくまで計算で出てきたものであり,それが現実の量の反映だとはまったく思っていないのである。〈数〉と〈数〉の演算によって出てきた,いわゆる〈答え〉を,もう一度問題に戻って量的に考え直すこともできないのだ。

2.見当をつける

 実際の場面で考えてみよう。
 僕が今担任している5年生の例である。

① 小数×小数の授業で

小数×小数の計算規則発見のための授業の真っ只中での問題である。そのときの学級通信の一部を紹介すると・・・

 今,算数では「小数のかけ算」という単元の学習をしています。
 ここでは,すぐに「小数のかけ算」に入らないで,まずは,次のようなことを学習し,復習しました。
①かけ算のしくみ
 1当たり量×いくつ分=いくら当たり量(全体量)
②1当たり量をみつけることが,かけ算の文章題を解くカギであること。
③「1さらにりんご5こずつ」という日本語を数式に翻訳すると
 5こ/さら(「5こパーさら」と読む)
と表すことができること。
④小数のしくみをタイルで表すこと。
⑤計算する前に「もんだいのいみ」「量のしくみ」をよく考えること。

そして,問題。

【質問1】
 3.2㎡のかべにペンキをぬりたいと思います。1㎡あたり2.1dℓのペンキをぬるとすると,3.2㎡では何dℓのペンキがいることになるでしょう。

 まず,図式(カンヅメ図式)と数式に翻訳。ここまでは,全員クリアー。なんせ今までたっぷり練習しているから簡単簡単。

《図式》

《数式》  2.1dℓ/㎡×3.2㎡=χdℓ

 そして,とりあえず計算できる人には計算してもらった。すると11人全員が同じ答えであった。計算方法は右のようであった。
 見事に全員が同じ答えである。しかも自信満々。
 なぜ,このように計算したのか(小数点をうったのか)という理由を聞くと,これまた全員が「小数の足し算の時も小数点をそろえて計算して,その小数点を下におろしたから」という。

 ここまでは,僕の予想どおりに授業が進んだ。普段は問題を見て〈答えの見当を付ける〉のだが,ここでは,引っかけるためにわざとそれを省略したので,67.2と出ても,子どもたちは気がつかないで当たり前なのである(答えの見当を付けることは,僕が担任してから,今の子どもたちに対しては,この時点で一度もやっていない)。
 しかし,この計算結果があっているかどうかを吟味するときになって,僕はちょっと焦った。少なくともクラスの何人かは,「約2×約3=約6くらいだから,67.2という数ではいくらなんでもおかしい」と気付いてくれるだろうと思っていた。しかし,この僕の予想は大幅に外れた。待てども待てども期待する考えは出て来ない。「2.1は約2やろ,3.2は約3やねえ」と必死にヒントをいってみても,子どもたちは知らん顔。〈計算の規則どおり――自分でかってに作ったきそくなのだが――やったのだからこれでよいと自信満々〉という態度を一歩も崩さないのだから。

② 量と切り放された数

 この例を聞かれて,小学校の先生方は「そりゃ無理もないよ5年生だもの」と思われるであろうか。それとも「5年生にもなって答えの見当も付けられないなんて」と思われるであろうか。
 僕は「5年生だもの」とは思えないのだ。「5年生だから」と言う人に聞きたい。「なん年生なら,見当がつけれるようになるの」と。
 問題を読んで答えの見当を付けることは,中学生になっても(なったから?)ほとんどできないのが現状なのだ。計算規則に従って数をいじくりまわした結果をそのまま書いて,1桁違おうが2桁違おうが一向に気にしないのが,私が出会ってきた今の受験生の姿である。
 どうです。中学校の先生,違いますか。
 問題を読んだら
 すぐに――掛算か割算かを大変気にかけて――式を立て,
 式が立ったら,なるべく早く計算をし,
 それができたら,すぐ次の問題に移る。
 こんなことばかりを繰り返していると,答えの見当を付けてから式を立てたり,出てきた答えをもう一度問題文の中に返して量の大きさとしてとらえ直したりできなくなるのは当たり前である。

③ 量と数の行き来を

 だから,小学生のあいだから,こんな指導をして欲しいと思う。

・問題を見たら,まずどんな量が関係しているのかを考える。
・そして,もしその数が分数や小数なら適当な概数を取って計算をする。
・このとき,場合によっては何算かわかんないけど,答えの見当がつくことだってあるだろう。
・あるいは,数式が浮かばなくったって,図にしたり絵にしたりできるのである。

 例えば,次のような教科書の問題で考えてみよう。

【問題】
 1mの重さが20gのはり金があります。このはり金1.8mの重さは何gですか。また,0.8mの重さは何gですか。
  ☆式を書いて,答えも求めましょう。 (東京書籍5年27ぺ)

 この問題を解くの場合のノーミソの流れを見てみよう。
 まずは,式など書かずに量の関係をよく吟味する。
 1.8mというのいうのだから1mより長い。だから重さも20gより重くなるはずだ。しかも約2mだから,20×2=40gくらいだろう(これが掛算ということは,わりあいわかりやすいだろう)。
 次に0.8mの重さだ。
 これは1mより短いから重さも20gより軽いだろう。答えが小さくなるから割算かな?
 (ここで,間違えて,割算で計算したとしよう)
 20g/m÷0.8m=25g 
 あっ,25gになっちゃった。20gより大きくなったぞ。
 どっかおかしいなあ。そうか,〈掛算をして小さくなること〉もあるんだったけ。これは,掛算だ。図式を書くとよく分かる。やっぱりたまには図式も書かないとな。

 以上のようにはならないだろうか。
 掛算の授業をしているからこの問題は掛算,割算の授業をしているからこれは割算,と考えている子どもの何と多いことか。
 すぐに式を立てるより,「量の関係をよく見て」ということが分かっていただけただろうか。

 しかし,この指導法はむちゃくちゃ面倒で,時間のかかることであることも確かである。算数が得意な子は,面倒くさがるに違いない。
 算数・数学の醍醐味は,量を剃り落とした数の世界にあるのだと僕も思う。5mも5こも5㎏も5円も〈5〉という数で表されるというのだから,便利である。無個性としての〈数〉。数学の得意な人は,こういう数の世界で遊ぶのが好きなのであろう。それはそれでよいと思う。
 しかし,我々教育者は,

小学校の算数教育も,それにひきつづく中学校以上の数学教育も数学者をつくるために行われるのではない。数学者にならない子どもは落伍者となっていいわけのものではない。算数と数学は子どもたちが,将来,自然科学や社会科学を学んでいくためのたいせつな基盤をつくってやるために教えるのである。とくに自然や社会を量的にとらえられる能力を身につけさせるという任務をもっている。(遠山啓著「数学教育における量の問題」『同上』31ぺ)

のである。だからこそ,量感を大切にした導入をし,式の意味を常に量に即して考えていく授業を組まなければならないと思う。これは,だれよりも自分に言い聞かせているのであるが…。

3.単位当たり量の前に

 今,5年生と「単位当たり量」の授業をしている。今回のレポートには間に合わないので,その触りだけ紹介する。授業では,渡辺慶二編「単位当たりの量」(ガリ本)を軸にし,教科書の問題も使っている。
 渡辺氏の「単位当たりの量」は,まず,次のような【質問】から始まる。

【質問1】
 Aさんの身長は135㎝,Bさんの身長は142㎝です。
 AさんとBさんの身長を比べましょう。
(想像図や略図やマンガや図式に翻訳して,クラスのだれにでもわかるようにみんなの考えを出し合いましょう)

 これは,おもしろい。僕は,この導入がいっぺんに好きになった。こんな簡単で楽しい問題を子どもたちが喜ばないはずはないと直感したからだ。今まで出会った問題は「AさんとBさんの差は何㎝ですか」なんて書いてあって,「比べ方」まで丁寧に与えられていただろうから,ただ「比べましょう」なんて,楽しいに違いないのだ。
 子どもたちは,僕の予想どおり,最初は面食らっていたが,そのうち喜んで絵を書いたり引算をしたりしてAさんとBさんを比べていた。

比べた結果 Bさんの方が7㎝高い(でかい)

同様の問題をもう1問やった後の第3問目

【質問3】
 Aさんは1ヵ月にミルクを6ℓ飲みます。Bさんは5.5ℓ,Cさんは4ℓ飲みます。Aさん,Bさん,Cさんの1ヵ月に飲むミルク(液量)を比べてみましょう。

 今度は3つを比べるという問題。これまたおもしろい。ただ比べろと言われたって…というところがいい。量と仲よくなれるチャンスである。どんなものがでてきたか,あげてみよう(ネットでは省略)。
 なかなかいろいろと考えつくもんだ。
 そして,第4問。これがまたすごい。

【質問4】
 Aさんはジュースを3本,Bさんは500gのねん土,Cさんはテープ8mを持っています。それぞれ3人が持っている物の量を比べましょう。
 みんなの考えを出し合いましょう。

 どうです。すごいでしょう。しかもちゃんと回答欄までついているんですよ-。「くらべた結果」――なんてね。
 「なにー」「むずかしい」「せんせー,このジュース350ccなの?」などと声が飛ぶのだが,正解は出て来ない。しかし,僕はここぞとばかり机間巡視しながら「おー,さすがわかっとるやん」と言ってまわるのだ。
 あと授業終了まで1分ほど前になったら,いよいよ“落ち”の時間である。
「ちょっとこれ,難しかったね。もう時間が来るから,僕が答えを言います。回答欄の「くらべた結果」の所に書いて下さい。準備はいい?」
 少し間をおいて・・・。
「比べられない」
 ・・・・・・←唖然とする子どもたち

「なんじゃーそりゃー」「いんちきだー」「だましたなー」
という罵声のもと,
「算数の勉強を終わります」
と言って,教師は颯爽と教室を後にするのであった。めでたしめでたし。

P.S
「差で比べる」問題の後で,やっと5年生の学習である「単位当たり量で比べる」問題を配置する。
また,単位当たり量の特徴(モノの『強さ』を表す量,足し算・ひき算ができない量)をとらえさせるお話も大切である。


量と数の橋渡し(シェーマ)としての〈タイルとかけわり図〉の有効性については,以下のページで少しだけ触れているので,興味のある方はご覧頂きたい。

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