「地震のメカニズム」をめぐる・ふしぎ探検ナビ

レポート綴

宇出津小学校 尾形正宏
2012年4月20日

 以下のレポートは,明治図書の『社会科教育』という月刊誌の編集部から要請があってまとめた「地震と歴史」に関する文章です。「夏休み宿題“社会のふしぎ探検”テーマ63」という特集のうち「?どうなってるんだろう? ナゾ解きテーマをナビ」(8編)の中の一つとして書きました。
 今考えても,なんでわたしの所に原稿の要請が来たのか不明です。が,頑張って2ページ分なんとか仕上げました。

■張衡の「候風地動儀」
 左の写真は一九五三年に中国で発行された切手です。絵柄には、奇妙な機械が描かれています。
 大きなつぼのようなものの側面に、玉をくわえた八匹の龍が逆さに付いています。その龍の下には大きく口を開けた八匹のカエルが置かれています。
 これは張衡(78~139)という人が考案した「候風地動儀」と呼ばれている世界で初めての地震計です。真ん中のつぼが地震の揺れの方向に揺れると、その方向にある龍の口から玉が飛び出し下のカエルの口に入り、大きな音を立てるという仕組みです。
 中国でも、昔から地震への対策を考えていたんですね。

■過去の地震を知る
┌─────────────┐
│ 石川県白山市にある弥生時│
│代後期(約千八百年前)の部│
│入道遺跡群で、震度6クラス│
│の地震による液状化現象の痕│
│跡が見つかっていた。   │
└─────────────┘
という記事が『北陸中日新聞』に掲載されました(三月二十二日)。
 液状化現象とは「軟弱な砂地盤が地震の振動により液状化する現象」のことです。そのとき地上に地下の砂や水が噴き出すことがあり、それを噴砂と呼んでいます。
 日本各地の遺跡を発掘していると、この噴砂の跡が見つかることがあります。一緒に発見された土器や地層などを調べることで、その土地で、いつ、どんな規模の地震があったのかが推定できるのです。(寒川旭『地震考古学』)
 香川県高松市松林遺跡(弥生時代)では、当時の地面から約一mの深さの砂層から噴砂した跡が見られました。そして地面にできた砂と小石の高まりには、当時の壺と甕が一個ずつ、口を下にして置いてありました。
 弥生人にとって、大地がいきなり揺れだし、地面の下から砂が吹き出してくることは驚きであり、恐れでもあったでしょう。この奇妙な現象に対して「早く収まるように…」と、壺をかぶせて神にお祈りしたのかもしれません。
鯰絵
■地震は龍や鯰が起こす?
 平氏が滅亡した一一八五年、京都を大きな地震が襲いました。『愚管抄』には「世間では、平清盛が龍になって地震を起こしたという」と書かれているそうです。
 それから四百年、秀吉は琵琶湖岸の坂本城で天正地震を体験します(一五八六年)。その後、秀吉は伏見城建設に際し「ふしみのふしん、なまず大事にて候まま…」と述べています。「伏見城の築城工事は地震に備えることが大切だ」という意味です。この言葉が「鯰=地震」を連想させる最古の文だそうです。鯰と地震の関係は意外と新しいのです(寒川旭『地震の日本史』)。しかしその伏見城も十年後の一五九六年九月の伏見地震で崩壊しました。
 安政二(一八五五)年一〇月二日、江戸を大地震が襲いました(安政江戸地震)。その当時、江戸には、「鯰絵」と呼ばれる浮世絵が大量に出回りました。左の鯰絵では、鹿島大明神が大鯰を押さえつけています。地震からの復興への願いが感じられます。
■地震はプレートが起こす
 お互いにぶつかり合ったプレートが、そのゆがみを一気に解決しようとするのが地震です。また、そのゆがみによって地層に深い傷ができたりします(活断層)。
 日本付近ではプレート同士がぶつかり合うところ(主に海底)でプレート型巨大地震が起き、活断層では直下型地震が起きます。そしてそれは、同じ場所で、繰り返し起きるのです。
 あなたの近くに地震の痕跡がわかる遺跡や碑はありますか?
 過去の地震を知ることは、将来の地震に備えるためにも大切なことです。
  • 張衡の「候風地動儀」の写真…私立PDD図書館
  • 『鯰絵』の写真…埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵


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