まちがえていてもたのしいですなあ

仮説実験授業のミニ記録

5年生学級通信『ファイ10』(1995.05.20発行)より

仮説実験授業《ものとその重さ》を終えて

 理科の授業で,4月からやってきた《ものとその重さ》の授業が終わりました。
 科学の基本的な概念の一つに<重さ>の概念があります。「どんなに小さいものにも重さがある」「重さは形を変えても不変である」といったことは,言葉で言えば一言で終わって簡単なようですが,いざ具体的にいろいろな問題にぶち当たると,そうはいきません。
「入れ物ごとで1000gの水のなかに,50gの金魚を入れたら,全部で何gになるでしょう。もちろん金魚は入れ物の中で泳いでいます」
 しっかり重さの概念が身についていない者にとっては,上のような問題に正しく答えられません。すぐに直感的・常識的に考えてしまいます。もちろん,私たちがいろいろと考えてしまうのは,バカだからではなく,カシコイからであります。しかし,残念ながら,科学の世界は「バカの一つ覚え」が力を持つ世界なのです。
 今年,3年生か4年生のときに一度習ったはずの「重さ」の勉強を,もう一度しっかり授業にかけたのは,<重さ>の概念がこれからいろんな科学を勉強していくときの基礎となるもっとも大切な概念だと思っているからです。

>>授業の感想<<

◆U.T…けっこむずかしかったけど,せいかいしたりまちがったりした。
◆M.C…いままでやったことのない実験があったからびっくりした。
◆M.T…重さの単位がいっぱいあったので,わたしはとってもびっくりした。
◆M.Y…けっこうあっていた。よかった。みんなもけっこうあっていたので,ほんとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとすごいとおもった。
◆Y.R…いままでは(4年の時までは)理科がにがてではないがきらいだった。しかし,おがた先生のやり方(プリント)でやれば,おれは好きになった。しかも,理科の時間はいつも実験するからたのしかった。これからも,がんばる。

σ(^_^)
うれしーこと言ってくれるじゃありませんか。理科といえば実験。しかし,ただ先生の言うとおりに実験してもおもしろくないんだよね。実験する前にきちんと予想を立てると,結果がどうなるか気になってきます。「これからも,がんばる」ってのに期待します。そうそう,最後の問題のとき,自らが実験台となって,牛乳を1L(1kg)飲んでくれたのでした。Rは予想がちがっていたけど,みんなの役に立てて満足そうでした(と同時に大変くるしそうでもありましたが)。Yが,「授業で一番心に残っていることはRくんの牛乳」と書いてました。みんなの役にたつっていいでしょ。もちろん,牛乳を飲むだけで役だったわけでなく,堂々と自分の考えた理由も言ってくれました。

◆S.U…アルコールに水を入れたらへったってところでびっくりした。なぜなら,アルコールにすきまがないと思っていたからだ。ぼくは,はじめきえたのかなあと思っていたけど,すきまに入ったときいて,なるほどと思った。

σ(^_^)
Uは,よく一人で何人かに向かって討論をいどんでいました。しかも,その理由がけっこうあっていたのがすごかったです。アルコールの問題の時も,今までのように「2つのものが合わさったのだから足し算できるのだ」という意見でした。ところが結果はブー。そこで,それがなぜなのかが気になったわけですね。これからも自分のノーミソを使って,たくさんたくさん考えてください。

◆M.M…この<ものとその重さ>の勉強で,重さのこととかがよくわかったと思う。(人間は食べた分だけ体重がふえ,あせとかで体重がへり,次の朝になるともとの体重にもどる)-このことをおぼえておきたい。

σ(^_^)
Mはサントリオ=サントロさんの「お話」がおもしろかったようです。最後の問題(Rが牛乳を飲んだ)の実験は,「まさか」という結果だったので,「それなら,なぜ,毎日毎日どんどん太っていかないのだろうか」という疑問が出て来ます。それを解決してくれたのがこの「サントリオ=サントロ博士の実験」だったのです。Rと同じように自分がはかりに乗って実験台になった というのが何ともすごい話です。

◆H.N…知ってる問題もあったけど,ぜんぜん知らない問題もあったから。自分でもまあまあとおもっている。びっくりしたのは,アルコール50mLと水50mLまぜたのに,98mLになったのはびっくりした。
◆S.Y…ふつうだが,勉強になった。Rくんのぎゅうにゅうのみが一番たのしかったかもしれない。けど,ふつうだった。

 では最後にAの感想です。僕はこんな感想が出てくると,「ああ,やっぱりみんなで授業をやるって楽しいことなんだ」とつくづく思います。

◆S.A…一人になったとき考えたらまちがえていてもたのしいですなあハハハ。たのしかったわけは,だれかまちがえたり,わたしがまちがえたりしても,みんなが「まちがえた。やっぱりだめだなあ」とかいわなかっから。それに,みんなじしんがなくてもいっしょうけんめいがんばっていた人も,だめなときもわらっていたから,理科はたのしい。でも1人になったとき,まちがえたとき,あたまにガ~~~~ンときた。でもかなしくはないよ。

σ(^_^)
「まちがえてもたのしい」とか「じしんがなくてもがんばっている」とか「まちがえても笑っている(はずかしくない)」とか。…でも一人でまちがえると,やっぱりあたまにガ~~ンとくる。でも,すぐに次の問題にノーミソをフル回転させる。このあたりのびみょうな感じをちゃんと感想に書いてくれたのでうれしかったです。
 「まちがえていてもたのしい」のは,自分のノーミソを使ってしっかり考えているから。そして,まちがえる人がいつも決まっているとは限らないから。
 「まちがえた。やっぱりだめだなあ」などとだれも言わないのは,みんな自信を持っているようで持っていない。アを選んだのだけど,すこしはイかも知れないなどと思っていたりするから。だから,当たったときはうれしいけど,はずれた奴の気持ちも少しは分かる。だから,「だめなやつだなあ」などと思えるはずがない。
 「だめな(まちがえた)ときも,わらっていられる」のは,みんなの意見を聞くこと自体も楽しいし,「オレは言うだけ言った」という満足感もあるし,何よりもしかしたらまちがえてるかもしれないと思っているのだから。えらそうに意見を述べている子だって,完璧に自信があるというわけではないのですね。その証拠に,<いっしょうけんめい意見を言ってた人がさっさと違う予想に意見を変える>ことだってありましたから…。
 Aが言うように,この授業は「まちがえてもたのしい」,いや,実はもっと積極的に「まちがえるからたのしい」のです。

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