江戸時代の粋な文学の一つに「川柳・狂歌」があります。「俳句・短歌」と聞くと,「ちょとオレには関係ないね」と思う人もしばしつきあってくれ珠恵(いい変換だ)。
ここでは,数冊の本やネットから,気に入った狂歌――主に江戸狂歌――を集めてみました。
男女の恋心からちょっとエッチな歌,時の為政者を風刺する歌など,当時の市井の人々の〈生きる力〉を感じます。せめて学校教育にも,こういうエスプリを教えてほしいな。
追記:蔦屋重三郎を主人公にした,2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で,日本国民の中で,ひときわ江戸狂歌への興味が高まった感じがあります。というのも,本ページへのアクセス数が『べらぼう』の最終回が近づくにつれて増えてきたからです。年明けの今は,落ち着いている感じです。
これを機会に,これまで狂歌作品だけを集めていた本ページを,簡単な解説も入れながら,初心者でも分かりやすいように作り直して見たいと思います。2ヶ月ほどかけて作るつもりですので,ときどき見に来て下さい。(2026/01/25現在工事中)
人口に膾炙していると思われる江戸狂歌(学校で習ったかも)
- 浅間しや富士より高き米相場 火の降る江戸に砂の降るとは
- 年号は安く永くと変はれども 諸色高くて今に明和九
- 世の中に蚊ほどうるさきものはなし 文武(ぶんぶ)といふて夜も眠られず(蜀山人?)
- 白河の清きに魚(うお)もすみかねて もとの濁(にご)りの田沼恋しき
- 泰平の眠りをさますじょうきせん たった四はいで夜も眠れず
- 上からは明治だなどといふけれど 治明(おさまるめい)と下からは読む
1の歌は,田沼意次の時代に「目黒行人坂の大火,天明の飢饉,浅間山噴火といった天災が続いたことで経済も停滞し,幕府に対する人々の不安が高まった」(伊藤賀一著『これでわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』22ぺ)中で出てきた狂歌。2は田沼時代のはじまりである「明和九年」=「安永元年」であることを指している。年号が変わっても,相変わらず物価は高くてめいわく(明和九)だよ~。
3,4は,田沼の失脚後,寛政の改革に乗り出した松平定信の政策=文武両道に対する民衆からの皮肉。
5,6は江戸末期から明治初期にかけての狂歌。
ここに紹介した狂歌はいずれも落首(らくしゅ)と呼ばれている歌であり,これはら権力への批判や社会風潮への風刺を安全に行うために,作者を不明――匿名(落とし首)――として公開されたものです。だからこそ,教科書にも載るのでしょう。
入門編 興津要著『江戸の笑い』を読む
何事も,最初は,子ども向けの本を参照するのがいいでしょう
ここでは,講談社から発売されている「21世紀版少年少女古典文学館(全25巻)」シリーズの1冊,興津要著『江戸の笑い』(2010年,306ぺ,1400円)に掲載されている江戸狂歌を紹介します。
本書には,「江戸狂歌」の他に,「古典落語」「江戸小咄」「黄表紙」「川柳」なども収録されています。クスッと笑える物語本です。また,井上洋介さんのイラストも豊富で,いい味出しています。
狂歌の技術① 掛詞・ダジャレ
- くれ竹の世の人なみに松立てて やぶれ障子を春は来にけり
- 秋の夜の長きにはらのさびしさは ただくうくうと虫の音(ね)ぞする
- 世のなかはいつも月夜に米の飯 さてまた申し金のほしさよ
1では「はる」という言葉を「やぶれ障子をはる」と「春は来にけり」との両方にかけています。
2では,「はら」には原と腹を,「虫」には秋の虫と腹の虫をかけています。「くうくう」は「食う食う」と腹の虫が鳴いているようです。
3では,「申しかねる」は「いいにくい」という言葉ですが,この「かね」には「金」をかけて,もっとお金も欲しいということでしょうね。
このように,江戸狂歌には――狂歌でなくても――一つの言葉を二つ以上の言葉にかけて使う言葉=掛詞(かけことば)=ダジャレが出てきます。
上の3歌は,いずれも四方赤良(よものあから,1749-1823)という人の作品で,『万載狂歌集』に収録されていた狂歌です。四方赤良という人は,本名・太田直次郎という江戸幕府の家来=武士でした。太田南畝(なんぼ)・蜀山人(しょくさんじん)という別名ももっていました。四方赤良は,朱楽菅江(あけらかんこう),唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)とともに「江戸狂歌の三大家」と言われました。
- 里の子に追いかけられていが栗の 地を逃げまわる風のはげしさ(朱楽菅江) 『狂歌才藏集』
- あせ水をながしてならう剣術の 訳にも立たぬ御代ぞめでたき(元の木阿弥) 『徳和歌後万載集』
- 折りとるはにくさもにくし心根の かわゆくもある花の盗人(大家裏住) 『狂歌觿』
朱楽菅江(1740-1800)は,本名を山崎景貫(かげつら)という徳川幕府の家来=武士です。
元の木阿弥(もとのもくあみ,1724-1811)の本名は大野屋喜三郎といって銭湯の主人=庶民です。大家裏住(おおやのうらずみ=本名・白子屋孫左衛門,1734-1810)も庶民でした。このように江戸狂歌の作者には,武士もいれば庶民もいました。また彼らは,本名ではなく自分の芸名=狂名を持っていました。しかもその名前も,クスッと笑える名前でした。
- 三度たく米さえこわしやわらかし 思うままにはならぬ世の中(便々館湖鯉鮒) 『万代狂歌集』
- 貧乏のぼうがしだいに長くなり ふりまわされぬ年の暮れかな(詠み人知らず) 『万載狂歌集』
これらの狂歌の掛詞(ダジャレ)は分かりますか?
・「思うまま」は「思いどおりに」という意味ですが,先の17音で「三度た(炊)く米」とあるように,「まま」=「ご飯」という意味をかけてあるのです。「三度の飯さえ思い通り炊けないわたしたちなのに,世の中のことなんて思い通りになるはずがないではないか」という意味でしょう。おもしろいですね。
・「ぼう」は,ふりまわす「棒」と貧乏の「乏」。
昔は〈通い帳〉というのがあって,品物を買ってもその場では支払わずに帳面に付けておき,年に二度(盆と年末),まとめて払っていました――実際,わたしの実家(元小売店)でも,各家庭ごとに〈通い帳〉がありました。「ツケが膨大になってきてこのままじゃ年を越せないよう!」という悲鳴を表した狂歌ですね。
狂歌の技術② 本歌取り・パロディー
次に「掛詞(かけことば)」と並んで狂歌の面白み=粋(いき)を醸(かも)し出すテクニックを使った狂歌を紹介します。
- 歌読みは下手こそよけれ天地(あめつち)の うごき出してたまるものかは(宿屋飯盛) 『狂歌才藏集』
この狂歌は,あることを知っていないと何を言っているのかまったく分かりません。
実は,優秀な和歌を収録した『古今和歌集』(905年)という有名な書物の序文には〈和歌がいかによいものであるか〉を述べており,「和歌には,力を入れなくても天地(あめつち)を動かす力がある」と絶賛しているのです。
「うまい和歌=天地を動かす(天災が起きる)」のならば,「へたな和歌=天災が起きない」から,安全だというわけです。狂歌も和歌も「5/7/5/7/7」=31文字で詠む歌ですが,その優秀な和歌を茶化しているのです。
このように,狂歌には「元の有名な文章や歌=原歌=本歌」を引用したり変更したりして詠むこともあります。こういう作品を味わうためには,その「原歌」を知っていないと笑えないわけです。
例えば,志村けんの「カラスの勝手でしょ~」という言葉を笑うためには「カラス,なぜなくの,カラスは山に……」という〈原歌〉を知っている必要があるわけです。
では,〈本歌取り〉の作品を2つ紹介します(こちらの2歌は別の書からの引用)。あなたは〈本歌〉が何か分かりますか?
- ほゝとぎすなきつるあとにあきれたる 後徳大寺の有明の顔(四方赤良)
- 蛤(はまぐり)にはしをしっかとはさまれて 鴫(しぎ)たちかぬる秋の夕ぐれ(宿屋飯盛)
本歌は次の小倉百人一首でしょう。
・ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる(後徳大寺左大臣〔藤原実定〕)
四方赤良は,この歌の詠み人=作者名さえも登場させています。
宿屋飯盛の狂歌は,次が本歌でしょう。
・心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行) 『新古今和歌集』
本歌取りといっても,その〈取り方〉はさまざまなようです。
最後に,本書に掲載のそのほかの狂歌。
- 立てばつかえ立てばつかえて天に近き ふじのけぶりや立たずなりけん(鹿都部真顔) 『万才狂歌集』
- 寝ることのさてもきらいな君なれや ただ面影に立ってばっかり(鹿都部真顔) 『狂歌才藏集』
- ほととぎす自由自在にきく里は 酒屋へ三里とうふ屋へ二里(頭光) 『万代狂歌集』
- へへへへへへへへへへへへへへへへへ へへへへへへへ へへへへへ(加保茶元成) 『徳和歌後万載集』
- くれゆくといえばどうやらよけれども なんにもくれず逃げてゆく春(鶯摺江) 『徳和歌後万載集』
これまで解説していない狂名について,以下に書いておきます。
・便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりふ,1749-1818)…大久保正武という武士。
・宿屋飯盛(やどやのめしもり,1753-1830)…本名・石川雅望(まさもち)。国文学の学者,小説家。旅館の主人でもあったのでこの狂名がある。
・鹿都部真顔(しかつべのまがお,1753-1829)…本名・北川嘉兵衛。汁粉屋の主人=庶民。
・頭光(つむりのひかる,1754-1796)…本名・岸宇右衛門。町役人。彼は若ハゲだったらしい(^^;)
・加保茶元成(かぼちゃのもとなり,1754-1828)…本名・村田市兵衛。吉原の妓楼の主人=庶民。
・鶯摺江(うぐいすのすりえ,不明)
まとめ…江戸狂歌の特徴
①掛詞(ダジャレ)が豊富。オジャジギャグに近いが,けっこう高度な語彙を身につけていることが必要。
②本歌取り(パロディー)…元の和歌や諺,言い伝え,昔話などを茶化したパロディー。読み手側の教養が必要となる(→中級編)。
③狂名=ペンネームがユニーク。それなりに意味のある名前になっているのが面白い。
中級編 なだいなだ著『江戸狂歌』を読む
初級編では,子ども向けの本を紹介しました。
中級編では,精神科医のなだいなださんの著書『江戸狂歌』(岩波同時代ライブラリー299,1997年,194ぺ)に掲載されている江戸狂歌を紹介していきます。本書は,1986年3月に岩波書店から出版された単行本を文庫化したものです。
江戸狂歌に触れることの今日的な意味についても書かれていて,たいへん共感できます。
日本の中世にも、豪快な笑いを持った民話が、いくつもあった。また、狂言という舞台芸術もあった。そして江戸時代には、狂歌が、満開の花のように咲き狂っていたのである。
明治から現代にかけての、勤勉と生まじめさを売り物とする日本は、決して日本的な 日本ではなかった。上から見下ろすだけで、下から上を見あげる民衆の目を欠いた、一眼の日本に過ぎなかったのである。
(下線は引用者,本書「第1章 引用によって生きる」10ぺより)
酒飲みの狂歌
なだいなださんは,篠原文雄著『日本酒仙伝』(読売新聞社,1971)という本に出ていた「酒に関する狂歌」を紹介しています。
- わが禁酒破れ衣となりにけり さいてもらおうついでもらおう
- 世の中は色と酒とが敵なり どふぞ敵にめぐりあいたい
- 朝もよし昼もなほよし晩もよし その合ひ合ひにチョイチョイとよし
- 盃に飛び込むのみものみ仲間 酒のみなれば殺されもせず
- 飲みに来たおれをひねりて殺すなよ のみ逃げはせぬ晩に来てさす
- 口ゆゑに引き出されてひねられて 敷居まくらにのみつぶれけり
これらはいずれも,蜀山人(四方赤良)の作品で,とくに「のみ」に関する後ろの4つの狂歌は,蜀山人が十返舎一九に語ったと伝わっているそうです。
これらの狂歌が醸し出すユーモアに心を奪われたなださんは,さらに分厚い「狂歌集」類を手に入れて読み始めたのですが,「まとめられた狂歌集を読んでも,ぼくは少しも笑わなかった」(本書20ぺ)といいます。
それはなぜか。
なださんは〈現代に狂歌を生かすための方法〉について,次のように結論しています。
笑いは状況のなかで生きている存在なのだ。
だからこそ,狂歌は決して単独にとりあげられても笑えないのだ。もし狂歌を生かすのなら,引用によって行かされるべきである,それが,正当な現代への復活の仕方である。(本書,同上)
というわけで,わたしがこのあと「上級編」で紹介している何冊かの『狂歌集』からの「お気に入りの江戸狂歌一覧」は,決して〈現代に狂歌を生かすための方法〉とはなっていないことを了承願いたい。
ただ,自分の文章に江戸狂歌を引用するためには,〈作品そのもの〉を知っていることは大切なので,お気に入りをピックアップすることには意味があるだろと思っています。
『酒仙伝』に掲載されている酒に関する狂歌を続けます。
- われ死なば備前の土となしてたべ 徳利となりて永く栄えん(夫)
- 望みなら備前の土になしもせん もしすり鉢になつた時には(妻)
酒好きの夫が「死んだら備前に埋めてくれ。そうすれば備前焼の徳利となって毎日飲めるから」と読んだ狂歌に対して,奥さんが「埋めて上げましょう。でも備前焼のすり鉢になるかもね」と返す,面白さ。軍配は奥様に!
- われ死なば酒屋のかめの下にいけよ せめて滴のもりやせんもし(守屋仙庵)
- とかく世はよろこび烏(からす)酒のんで 夜が明けたかあ日がくれたかあ(唐衣橘洲)
- げに酒は愁(うれひ)をはらふはゝきとて たはこともはく青反吐もはく(宿屋飯盛)
初級編で「江戸狂歌三大家」の一人として名前だけ紹介した唐衣橘洲(からごろもきっしゅう,1744-1802)は,本名を小島源之助といい,江戸四谷忍原横町に住んだ幕臣=武士です。
辞世を狂歌で
自分の死を間近に控え,短歌や俳句を一句ひねる…という文化が,日本にはあるらしい。狂歌の作者たちは,自分の死を目前にしてなお「喜劇」をおこしたがっているようです。
- この世をばどりやお暇と線香の 煙りと共にはいさやうなら(十返舎一九)
- 死にとうて死ぬにはあらねど御年には 御不足なしと人の言ふらん(手柄岡持)
- 執着の心や娑婆にのこるらん よしのゝ桜更科の月(朱楽菅江)
- 今までは人のことだと思ひしに 俺が死ぬとはこいつは驚き(蜀山人) 本誌未掲載
十返舎一九(1765-1831)は江戸時代屈指の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』(1822)の作者です。本名は重田貞一。戯作(げさく)者。出自は不明。手柄岡持(てがらのおかもち,1735-1813)の本名は平沢常富といい,秋田藩の江戸屋敷につとめる定府(じょうふ)藩士=武士。朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)という筆名=戯作者名の方が有名かも知れません。蔦屋重三郎と共に黄表紙の発展に寄与した人です。
教養があるから笑える
初級編で「本歌取り」というテクニックを紹介しましたが,これは現代風にいうとパロディーです。本歌取り=パロディーで読者が笑うためには,読者自らが「元の歌」「元の言い伝え」を知っておく必要があります。読者の方にも教養が必要なのです。
よく知られた歌や故事や諺などを借りてきて,意味のすりかえをやり,ぼくたちをとまどわせ,ずっこけさせ,笑わせる。それがパロディーだ。――中略―― 作る側ばかりではなく味わう側も,その狂歌が何の歌をもじったものであるか,どのような故事をあてつけたものであるか,たちどころに分かるようでなければ,笑えないからである。いわば作者の教養と読者の教養とが木霊しあって,狂歌の笑いは生まれるからだ。(本書,79-80ペ)
江戸の庶民がパロディーで笑っていたということは,それだけ彼らに教養があったという証拠なのです。
- ひとつとりふたつとりては焼いて食ふ 鶉(うずら)なくなる深草の里(四方赤良)
- 高き名のひゞききは四方(よも)にわき出て 赤ら赤らと子どもまで知る(大島蓼太)
- 月見れば千々にものこそ食いたけれ 団子の数も秋ならねども(宿屋飯盛) 本書未掲載
1の本歌は「夕されば野辺の秋風身にしみて うずらなくなり深草の里」(藤原俊成)。
2は,四方赤良=蜀山人を慕って作った狂歌です。
3の本歌は「月見れば千々にものこそ悲しけれ わが身一つの秋ならねども」(在原業平)ですね。3は本書には載っていません。
〈月見〉ネタが出てきたので,本書に掲載されている〈月見〉を扱っている狂歌を3つ紹介します。
月見の狂歌
- 月をめづる夜のつもりて茶屋のかゝも つゐに高田のばゞとなるらん(蜀山人)
- おもしろや月の鏡を打ぬいて 樽もたちまちあきの酒盛(宿屋飯盛)
- 酒ならぬ薬をのみてみる月は 雲よりもうき風の神かな(唐衣橘洲)
蜀山人の歌は,これまで何度となく――〈かか〉が〈ばば〉になるくらい――通った高田馬場での酒盛りを指しているのでしょうね。また,飯盛の歌は,「空きと秋」「月の鏡と酒樽のかがみ」とかけています。橘洲の歌は,体調を壊して――かぜ(風)をひいて――月見に参加できなかった残念さを詠んだものでしょう。おもしろいですね。
せっかくなので,本書に載っていない「月見の歌」をいくつか紹介します。
- おもしろや雲に隠れて月もなし あらぬ方(かた)へと首をのばして(葛飾北斎)
- 月をこそながめあかして寝(ね)ぬべきに 秋の夜寒(よさむ)のはやく寝(ね)よとや(宿屋飯盛)
- わが物となれば月さえうとましい 質屋の窓にさしこむを見れば(蜀山人)
- 三日月になりしお酒の勢いに 満月(もちづき)までも酔いつぶれけり(蜀山人)
狂歌いろいろ
以上のほか,本書に収められていたお気に入りの狂歌を紹介します。江戸時代とは限りません。
- 女院の御まへのひろくなることは 暁月坊がしぢの入るゆえ(暁月坊)
- 餅つかずしめかざりせず松たてず かゝる家にも正月はきつ(一休宗純)
- 君がかほ千代に一たびあらふらし よごれよごれて苔のむすまで(雄長老)
- おうぢうばひうばひおうぢことごとく しなずに居ては何をくはせん(雄長老)
- 磨いたら磨いただけは光るなり 根性玉でも何の玉でも(一本亭芙蓉花)
- 親もなし妻なし子なし板木なし 金もなければ死にたくもなし(林子平)
- おいらんにさういひんすよ過ぎんすよ 酔なんしたらたゞおきんせん(早鞆和布刈)
- 春も立ちまた夏も立ち秋も立ち 冬も立つ間になえるむだまら(平賀源内)
- 今さらに雲の下帯ひきしめて 月のさはりの空ごとぞうき(小島謙之=唐衣橘洲)
・暁月坊(ぎょうげつぼう,1265-1328)は,藤原定家〔ふじわらのさだいえ,『新古今和歌集』の撰者〕の孫。この狂歌はちょっとエッチな歌である。
・一休宗純(いっきゅうそうじゅん,1394-1481),いわゆる一休さん!です。
・雄長老(ゆうちょうろう,1547-1602)…本名は英甫永雄(えいほ えいゆう)。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した臨済宗の禅僧で,京都の名刹・南禅寺や建仁寺の住持(住職)を勤めたほどの高僧でした。
・一本亭芙蓉花(いっぽんていふようか,1721-1783)…本名は平野屋清兵衛,大阪から江戸に下り活躍。
・林子平(はやししへい,1738-1793)…ロシア南下を警告し海防・蝦夷地開拓を説いた『海国兵談』を著して幕府の忌諱(きい)に触れ,1792年板木,製本は没収,在所蟄居を命じられ,翌年不遇のうちに病死した。蒲生君平,高山彦九郎とともに寛政の三奇人の一人。
・早鞆和布刈(はやとものめかり,1746-1822)…本名・塙保己一(はなわほきいち)。こちらの方が有名ですね。盲目の学者。この狂名は,北九州市門司東区にある和布刈神社(旧称、早鞆明神)で,大晦日から元日にかけて行なわれる神事に由来するそうです。
・平賀源内(ひらがげんない,1728-1780),江戸時代の「天才にして奇人」。エレキテルや土用の丑の日で有名。獄中死。
江戸狂歌の超簡単な歴史
本書「第7章」によると,江戸狂歌の流行には2回の流行がありました。
第1世代 武士と町人の混成――皮肉やパロディが強烈
いわゆる江戸狂歌の三大家――四方赤良(よものあから,=蜀山人=太田南畝),朱楽菅江(あけらかんこう),唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)が活躍した時代です。この3人は,いずれも武士でした。ほかにも手柄岡持,酒上不埒(さけのうえのふらち,1744-1789)など――いずれも武士――もいました。
彼らが作った寛政の改革を笑う狂歌が弾圧されて,その後,言論統制を受け,武士の狂歌師たちは狂歌から離れたり,処罰されたり,自殺したりしました。
・酒上不埒の本名は倉橋格(いたる)。小島藩松平家に仕えた武士で,鳥山石燕から絵を教わり挿絵を多く描きました。筆名を恋川春町といい,『金々先生栄花夢』(1775年,鶴鱗堂)で黄表紙のブームの火付け役となりました。その後も,蔦屋重三郎の下で黄表紙『猿蟹遠昔話』(1783年)『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』(1789年)なども出版。
・手柄岡持=朋誠堂喜三二も黄表紙『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくどおし,1788年,耕書堂)を出版。
これらが幕府のお咎め原因となりました。
- まがりても杓子は物をすくふなり すぐなよふでも潰すすりこぎ(落首)
- 孫の手のかゆひ所へとゞきすぎ 足のうらまでかきさがす也(落首)
孫というのは松平定信のことです。彼は,将軍徳川吉宗の孫だったのです。いわゆる純粋まっすぐ君を笑った狂歌です。そりゃあ,お上も怒りますわな。いちおう,作者不詳ですが,酒上不埒の作品ではないかと言われているようです。
大田南畝: 真面目な役人のフリをしながらも,密かに面白がる人生だったようです。
唐衣橘洲:ふざけた「狂歌」ではなく,真面目な「和歌」や古典の研究に没頭しました。
朱楽菅江: 狂歌界のトップでしたが,寛政10年(1798年),割腹自殺(自害)を遂げたと伝えられています。
手柄岡持: 筆を折って隠居しました。
酒上不埒: 弾圧を恐れ,「狂歌師としてのブランド」を捨てました。
- とれば又とるほど損の行く年を くるゝくるゝと思ふおろかさ(唐衣橘洲)
- 世にたつはくるしかりけり腰屏風 まがりなりには折かゞめども(唐衣橘洲)
- いつ見てもさてお若いと口々に ほめそやさるゝ年ぞくやしき(朱楽菅江)
- 生きながら死したる者と言はるるは ただこのころの心地なりけり(蜀山人) 本誌未掲載
- 蜀山は雲に隠れて跡もなし あとに残れる老いの身一つ(蜀山人) 本誌未掲載
第2世代 ほぼ町人中心――より芸術的・優雅な作風へ
武士でありながら狂歌師だった者たちが一線から退いたあとの時代に活躍したのが,馬場金埒(ばばきんらち=銭屋金埒,1751-1807),宿屋飯盛,鹿都部真顔,頭光で,彼らは天明狂歌四天王とも呼ばれました。
馬場金埒は,大坂屋という屋号の両替商でしたし,他の3人も――初級編で触れたとおり――宿屋飯盛は旅篭の主人であり学者,鹿都部真顔は汁粉屋の主人,頭光は町役人で,いずれも町民・庶民でした。
- 掛(かけ)こひの夜あけにをもき革財布 かつぎし肩もはるは来にけり(宿屋飯盛)
- かすていらかすむ夕べは杉折の 杉間の月もおぼろ饅頭(鹿都部真顔)
- 菓子壺に花も紅葉もなかりけり 口さびしさの秋の夕暮れ(鹿都部真顔)
- 雪ならばいくら酒手をねだられん 花のふゞくの志賀の山駕(馬場金埒) 他所では石川雅望〔宿屋飯盛〕説もある
- ほとゝぎす自由自在にきく里は 酒屋へ三里豆腐やへ二里(頭光)
- 月みてもさらにかなしくなかりけり 世界の人の秋と思へば(頭光)
- のがれても猶うき事はやま猿の ひとりこのみにあくばかりなり(宿屋飯盛)
3~7は本歌取りの狂歌。
3の本歌は「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」(藤原定家)。
4の本歌の「雪ならばいくたび袖を払いまし 花の吹雪の志賀の山越え」の作者は,なんと石川雅望(宿屋飯盛)本人です。自分の短歌をパロディーにしています。「桜散る春の山辺は雪だにて 降りまがふこそ怪しかりけれ」(紀貫之)に遡ることもできるようです。
5の本歌は「ほととぎす自由自在にきく里は 山のふもとの陰にありけり」(慈円)。6の本歌は「月見ればちぢに物こそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど」(在原業平)。
7の本歌は「のがれても猶うきことはありけりな 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」(在原業平)であると同時に,「このみ」=猿の好きな〈木の実〉と自分自身の〈この身〉を,「あく」=猿が口を〈開ける〉と〈飽きる〉をかけているとも読めます。
文化狂歌四天王には,宿屋飯盛・鹿都部真顔,柳文熈(やなぎのふみひろ,町人)・黄金穂積(こがねのほづみ,米屋)があげられるそうです。
さいごに
最後になりましたが,内田百閒(1889~1971)の玄関の呼び鈴の下には以下のような2つの狂歌が掲げられていたそうです。訪問客の顔が見たい!
世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし 蜀山人
世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし 亭主
上級編 『狂歌集』より
その1 『万載狂歌集』(1783年)を読む
『万載狂歌集』(まんざいきょうかしゅう)は,天明3年(1783年)正月刊行。故人を含めた232人の748首を集めています。全17巻。編集者は,四方赤良と朱楽菅江。刊行者は須原屋伊八。この書名は『千載和歌集』のもじりです。章立てまで『千載和歌集』にならっています。この狂歌集がそれ以後の江戸狂歌の隆盛をまねきました。
ここでは,宇田敏彦著『万載狂歌集(上下)』(現代教養文庫)を元に狂歌の数々を紹介していきます。
今なら,2024年発行の『万載狂歌集 江戸の機知とユーモア 』(角川ソフィア文庫)という本が手に入れやすいでしょう。
*狂歌の作者名は本書表示のとおりです。例:朱楽菅江→あけら菅江
*濁点などはありませんので,補って読んでみて下さい。特に,掛詞の場合には漢字ではなく,ひらがなで書かれていることが多いです。
例:やとかしてくれなゐ里の岩つゝし 火ともし頃の旅そ物うき→宿貸してくれない(「呉れない」と「紅」)里の岩躑躅 火点し頃の旅ぞ物憂き
巻第一 春歌(上)
- ことしより拍子なほらん天からの めくミをゑたる鍛冶か初夢 (隣鶴)
- はこの子のひとこにふたこ見わたせハ よめ御にいつかならん娘子 (四方赤良)
- けふハまた引手あまたの姫小松 たれとねの日の春ののへ紙 (あけら菅江)
- 紅梅と名によはれぬるおはしたの ほう先にこそかハしられけれ (布留田造)
- 目の前で手つからさくやこのはなに 匂ふうなきの梅かかはやき (あけら菅江)
- 我年も八々六十四方(よも)の春さかり 久しき梅花心易(ばいかしんえき) (杵菴〔しょあん〕)
5 難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花(「序」『古今集』)
巻第二 春歌(下)
- いく本もさくやうなきのかはさくら 匂ふはなにハたれもこかるゝ (もとのもくあみ)
- 吉原の夜見せをはるの夕くれハ 入相(いりあい)の鐘に花やさくらん (四方赤良)
- 咲花のかへる根付の琥珀にも なりて木かけの塵をすハはや (四方赤良)
- 盃のうかむ趣向にまかせたる 狂歌ハ何の曲水もなし (四方赤良)
- つはくらの軒端につちをくハへ来て うち見るたひに出る子宝 (とめ女)
- やとかしてくれなゐ里の岩つゝし 火ともし頃の旅そ物うき (山手白人〔やまてのしろひと〕)
- 七へ八へへをこき井手の山吹の ミのひとつたに出ぬそきよけれ (四方赤良)
2 山里の春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散るらむ(僧能因,『古今集』)
6 世の中をいとうまでこそかたからめかりの宿りを惜む君かな(西行,『新古今集』)
7 七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき(兼明親王,『後拾遺集』)
巻第三 夏歌
- ほとゝきすなきつる方をなかむれハ たゝあきれたるつらそのこれる (平郡実柿〔へぐりのさねがき〕)
- かまくらの頼朝殿にとこかにて かつほもよほと大あたまなり (卯雲〔ぼううん〕)
- またくらやいとゝぬまぬまぬまつかん ふけたの早苗とれる早乙女 (平郡実柿)
- 木ふりよくおひたち花の顔ミれハ さすかの雲井のおとしたねなり (好腹万図伎〔すきはらのまずき〕)
- 五月雨に黴(かび)てなりともところところ 兀(はげ)のひたひに毛かはえよかし (雄長老〔ゆうちょうろう〕)
- さかつきを月よりさきにかたふけて また酔なからあくる一樽 (山手白人)
- 今朝ミれはいつしかよへをひりおきて いとゝねくさき床夏の花 (四方赤良)
- なかれゆく蝋燭の金かほしいなあ 一夜三百両こくの舩 (へつゝ東作)
- たくハへもみな月はてゝ一文も けふハなこしのはらへたにせす(あけら菅江)
1 郭公鳴きつる方をながむればだた有明の月ぞ残れる(後徳大寺実定,『千載集』)
6 夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいずこに月宿るらむ(深養父,『古今集』),やどりぬる盃の影涼しさにまだよひながらあるく酒たる(風水軒白玉,『雅筵酔竹集』)の2首
7 ちりをだにすゑじとぞ思う咲きしより妹とわがぬる床夏の花(凡河内躬恒,『古今集』)
巻第四 秋歌(上)
- ほとゝきす八千八声(はっせんやこえ)あまりてや けふ文月(ふみつき)にふミかけて鳴 (大根太木〔おおねのふとき〕)
- 年に一度おあひなされてぬる数ハ いくつときかまほしの合(あい)の空 (藤本由己〔ゆうこ〕)
- 箱入りおり姫なれと此ゆふへ 天の川原へ下りそうめん (智恵内子〔ちえのないし〕)
- ぢり\/とこの身につまるひきかへる ぬり盆まへのあふらあせ哉 (峯松風〔みねのまつかぜ〕)
- 塩鮭のからき浮世のせめ太鼓 うつやてん\/舞の一さし (あけら菅江)
- はすはなる軒端の萩(おぎ)の秋風に 碁をうつ蟬の耳やかしまし (山手白人)
- 萩見んとむれつゝ来るに藍さひのかすりの衣着ぬ人ぞなき (四方赤良)
- 露よりも心を置て通るなり このひとむらハ皮はきの花 (山手白人)
- をミなへし口もさか野にたつた今 僧正さんが落(おち)なさんした (四方赤良)
- 秋の夜の長きにはらのさひしさハ たゝくう\/と虫のねそする (四方赤良)
- 見わたせハかねもおあしもなかりけり 米櫃(こめびつ)まてもあきの夕暮 (紀野暮輔〔きのやぼすけ〕)
2 年ごとに逢うとはすれど七夕のぬる夜のかずぞすくなかりける(凡河内躬恒,『古今集』)
6 『源氏物語』「空蝉」の巻,「空蝉が継娘・荻と碁に興じているのを,光源氏が垣間見る場面
7 花見にとむれつゝ人の来るのみぞあらた桜のかがにはありける(西行,『玉葉集』)
8 詞書(狂歌のまえがき)に「穢多村を過侍りしに萩のさかりなれハ」とある。
9 名にめでてをれるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな(僧正遍昭,『古今集』)
10 秋の夜の明くるも知らずなく虫はわがごと物や悲しかるらむ(藤原敏行,『古今集』)
11 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮(藤原定家,『新古今集』)
巻第五 秋歌(下)
- かくはかりめてたく見ゆる世の中を うらやましくやのそく月影 (四方赤良)
- ひとつ過ふたつ過たる生酔ハ 三ツはかりにや月も見るらん (卯雲)
- 月見酒下戸と上戸の顔ミれハ 青山もあり赤坂もあり (から衣橘洲)
- 月しろに雲のくろ石うちはれて 空一めんの盤のさやけさ (峯松風)
- 痔のことしなさけ所のいたミより はしりといへる舩のつきしハ (瑞雲)
- 菊水をくみし彭祖(ほうそ)か長いきも まことにハあらしうその八百 (平郡実柿)
- 袖垣を横にこえたるしら菊ハ 夜はひ星とそあやまたれぬる (臍穴主〔へそのあなぬし〕)
- おはしたの龍田か尻をもみち葉の うすくこくへにさらす赤八 (四方赤良)
- 秋もはやけふ一日にせんしつめ空も渋茶の色に寒けし (山手白人)
1 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(藤原高光,『拾遺集』)
4 秋風にたなびく雲の絶間よりもれいづる月の影のさやけさ(藤原顕輔,『新古今集』『百人一首』)
6 彭祖とは古代中国の仙人。菊水に入れた茶を服して七百余歳の長寿を全うしたと伝えられている。
7 久方の雲の上にて見る菊はあまつ星とぞあやまたれぬる(藤原敏行,『古今集』)
8 いかなれば同じ時雨に紅葉するははその杜のうすくこからむ(藤原頼宗,『後拾遺集』)

この「巻第五 秋歌(下)」には,月に関する狂歌がたくさん出てきます。夜の灯りがなかった当時の人々が,夜の月を心待ちにしていたのでしょう。
というわけで,月を扱った狂歌は,項目を改めて紹介します。なんと〈月蝕〉についても書かれていますよ。乞うご期待!!(工事中)
巻第六 冬歌
- いつハりのある世なりけり神無月貧乏神ハ身をもはなれぬ (雄長老)
- 山人ハ冬そひもしさまさりけん あえ物くさもかれぬとおもへは (未得〔みとく〕)
- じやうはりの鏡のやふな氷ミちすへると見るめはちをかくはな (一之〔いっし〕)
- なかめてハかよひくるハの雪の日も よしはら駕籠のよしや世の中 (王子詣〔おうじもうで〕のきつね)
- 鉢の木のその時よりも多からめ佐野の庵(いおり)につもるしら雪 (貸本人和流〔かしもとのひとわる〕)
- 命こそ鵞毛(がもう)に似たれなんのその いさ鰒(ふぐ)くひにゆきのふるまひ (から衣橘洲)
- 借金も今ハつゝむにつゝまれす やふれかふれのふんとしの暮 (あけら菅江)
- まつ春の宵一刻の千金を すこしかりたき年のくれ哉 (蛙面房〔あめんぼう〕)
- 願ひしちくとく御礼ハ申さねと ことしハ安楽こく町の暮 (平秩東作)
1 いつはりのなき世なりけり神無月誰がまことより時雨そめけむ(藤原定家,『続後拾遺集』)
2 山里は冬ぞ淋しさまさりけん人目も草もかれぬと思へば(源宗丁,『古今集』)
3 浄玻璃の鏡…地獄の閻魔庁にある鏡。亡者の生前の所業を映し出すという。
4 流れては妹背の山の中に落つる吉野の川のよしや世の中(よみ人知らず,『古今集』)
5 謡曲「鉢の木」4番目,最明寺物。世阿弥作。
6 雪ハ鵞毛ニ似テ飛ンデ散乱ス。人ハ鶴氅(かくしょう)ヲ被テ立ツテ徘徊ス(白居易,『和漢朗詠集』)
7 諺「褌をしめぬときんが大きくなる」
8 七言絶句「春夜」…春宵一刻直千金 花有清香月有陰
9 浄土(真)宗「帰三宝偈」…願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
以下,工事中
巻第七 離別歌
『日本古典文学大系57 川柳 狂歌集』
『日本古典文學大系57 川柳 狂歌集』(岩波書店,1958年,507ぺ)には,江戸時代の「川柳」と「狂歌」が約半分ずつ載っています。「川柳」は主に『誹風柳多留』から引用されています。「狂歌」は,これから取り上げるとおりです。
ページの下3分の2が川柳や狂歌の紹介で,上3分の1に解説(脚注も含めて)が載っており,あっちこっちとページをめくる必要がないのでとても便利です。
ここでは,本書収録の『徳和歌後萬載集(とくわかごまんざいしゅう)』『蜀山百首(しょくざんひゃくしゅ)』『吾妻曲狂歌文庫(あずまぶりきょうかぶんこ)』から取り上げてみます。

その2 『徳和歌後萬歳集』(1785年)を読む
四方赤良=蜀山人が編集。1785年(天明5)刊。
2年前の『万載狂歌集』出版により激増した同好者の作を収めるため,古人や地方人を減らし,また赤良門下の四方連の増加により,唐衣橘洲や元の木網の系統は減少している。他方,戯作者や女流を多く入れてはでな感じを出しているのは,一流の編集技術といえる。おのずから詠み口にも反映して,赤良の「千金の名高き月の雲間よりせめて一二分もれ出(いで)よかし」,頭光の「月みてもさらに悲しくなかりけり世界の人の秋と思へば」,朱楽菅江の「立て見し柱暦もねころんでよめるばかりに年はくれにき」など軽快自由な作が主流で,天明狂歌の基調がここに固まった感がある。すなわち「天明ぶり」を代表する撰集といってよいだろう。(『日本大百科全書(ニッポニカ)』より一部引用)

出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100410981
巻第一
- 又ひとつ年はよるとも玉手箱あけて うれしき今朝のはつ春(もとの木網)
- をそろしきとらの年の尾ふみこえて 光のどけき玉の卯の春(花道列禰)
- 蝶ととび千鳥とふれる淡雪の こよいはとまれ七くさの葉に(棟上高見)
- さく花を何にたとへん飛鳥山 きのふの雲はけふ雪とふる(逸咀英)
- つけば散るつかねばすまの山寺の さくらにめでゝおそき入相(竹杖爲輕)
- 相性は金生水と思はるゝ 水にうつりし山吹のいろ(子子孫彦)
巻第五
- 諸共にあはれと思へお月さま 國のなじみはおまえばかりじゃ(庭 桃丸)
巻第六 哀傷歌
- すかし屁の消易きこそあはれなれ はかなき物と思ひながらも(紀 定麿)
巻第八
- ちぎられぬ物とはいまぞしるこ餅 一本箸のかた思ひにて(手柄岡もち)
『天明新鐫五十人一首 吾妻曲狂歌文庫』(1786年)より
北尾政演(戯作者名は山東京伝)画/宿屋飯盛撰 の狂歌集です。発行は1786年(天明6)。江戸時代後期を代表する狂歌師50人の〈肖像画〉に本人の〈狂歌〉を添えて描いた彩色刷の絵本=狂歌絵本です。北尾政演は狂歌師たちを王朝歌人風に描いています。
本書の出版者は蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)でした。彼にとってもこの本の成功は,後に数多くのベストセラーを生み出す版元になるきっかけとなったそうです。
右の写真は,宿屋飯盛のページです。

出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100451180
- たのしみは春の櫻に秋の月 夫婦中よく三度くふめし(花道つらね)
上級編② ネットで見つけた狂歌(江戸狂歌とは限らない)
豊臣秀吉(1537-1598)の辞世の句「露とおち 露と消えにし わが身かな 浪速のことも 夢のまた夢」は,足軽から天下人まで登り詰めた、日本史上もっとも劇的な成功を収めた秀吉が,死の間際に「すべては一瞬の夢だった」と総括しているところに深い無常観が漂っています。が,狂歌にかかると…。
- 夢の世を夢のまた夢と見しほどに 現(うつつ)になりぬ徳川の風
- 露とおち露と消えにしわが身かな あとは淀(淀殿)ともなりぬべきかな
- 露とおち露と消えにしわが銭かな 飲んでしまえば夢のまた夢
そういえば,秀吉の時代に活躍した狂歌師兼禅僧に雄長老がいましたね。その方の作品を。
- よにふればまたも見るべき聚楽(じゅらく)かな むかしは花のあとにしありせば(雄長老)
- わが身には松の木もなき心地して しらみの数のよるよるぞ増す(雄長老)
二つ目の狂歌を解説してみます。
掛詞(ダジャレ)…「しらみ」を魚の「白身」やお祝い事に使われる「白身の魚」に掛けています。
本歌取り(パロディ): 「松の木」は長寿や繁栄の象徴。普通は「松に鶴が来ておめでたい」と詠むところを,「自分には松もない(=貧しくて何もない)のに,なぜかシラミだけは,夜ごとに子孫繁栄して数が増えていくよ」と自虐的に笑い飛ばしています。
- 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし(一休宗純)
- 人まねをせずして一世(いっせ)すぐすこそ 人の上なる人とはいうなり(平賀源内)
- 万病(まんびょう)を癒す薬はなきものか うなぎを食えば夏も恐れず(源内周辺か)
- この世をば取りつくしたり見つくしたり 今はもとの泥にかえる(平賀源内,辞世の歌)
- 源内は死んでもあえぬ地獄かな えれきてるにて鬼を驚かす(源内の死後,不明)
- 非常の人,非常の事をなし,非常の死を遂ぐ。ああ非常なり(杉田玄白,墓碑銘)
の本歌は,「石麻呂(いしまろ)に 吾(あれ)もの申す 夏痩せに よしというものぞ 鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ」(大伴家持,『万葉集』)です。






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