通信の発行が前後してしまいました。
現役時代とは違い,時間はたっぷりあるのですが,あるからこそ,ついつい後回しにしてしまい,いつの間にか,次のサークル例会が迫ってしまっている――という日常を過ごしています。反省m(_ _)m 今年は,是非,サークル後,速やかに――記憶の確かなうちに――通信を書きたいと思います。がどこまでできることやら――自信はない。
研究会のガリ本リストから,中一夫著『学校のブラック化をまねいたもの』を注文し,読みました。本書は,中さんが以前書かれた『学力低下の真相』『〈学力低下〉なんかこわくない』の続編ともいえるものです。そこに書かれていたことで,印象的な言葉があります。それは中さんの娘さんが発した次の一言です。
「〈自分じゃなくてもいい〉ってことなんだね」
この言葉は,次のような流れで出てきたそうです。
誰もが同じように教える「スタンダード授業」や「指導要領の完全実施」 などの要求は,次のようなことにつながります。
・みんな同じようにやることを求められる。
・それぞれの教師の個性を出せない。
・自分の好きなようにやれない。
私には,板前修業をする娘がいますが,娘にこの話をしたところ,短くこう言われました。
「〈自分じゃなくてもいい〉ってことなんだね」「第6章 教育改革の実験結果は?」89ぺより
中さんは娘さんにこう言われてハッとします。
言われてハッとしましたが,まさにそうだと思いました。ブラックな職場環境の中で苦労しながらも,自分の夢を目指して進んでいる彼女だからこそ,ひと言で言い当てたのかもしれません。
確かに,「自分じゃなくても、誰がやっても同じ」なら,「自分が教師をやっている意味」は,見い出しにくいでしょう。
そして,中さんは次のような結論にたどり着くのです。
現場の先生を苦しめているのは,
「やりたいこと」ができないという雰囲気――ではないでしょうか?
別な言い方をすれば,「やりがいの喪失」と言えるかもしれません。同上,90ぺより
わたしが今の現場からさっさと退いたのも,「やりたいことができない」「オレじゃなくてもいい」という雰囲気が余りにも強いからです。そして,そのことをガマンする若者たちの姿を見ているのがつらいからです。「今の教育現場には,わたしの居場所はない」――そう思うのに充分なブラックな場所だと思うからです。
でも,そんな場所でも,どうにか折り合いを付けて自分の個性を出す人,自分がやりたいことをやろうとする人がいるのも,また,確かです。是非,そういう人たちが増えて,学校から逃げる子どもたちが減ればいいと思います。
今のままでは,珠洲市から出て行かなくても,珠洲市の学校から出て行く――不登校を選ぶ――子がどんどん増えるだけでしょう。
今月の参加者 N.T S.Mi K.M O.M
今月の写真



今月の資料
1 「もう1年が終わる…」 B5 6ぺ S.M
ノートパソコンを買ったそうです。Windows10のサポートが切れるという脅しに負けたようです。
「ぼくらはスルーされているんです」
という言葉に強い衝撃を受けた出来事を紹介してくれました。
「授業で十分に関わってもらえていない」と感じている生徒と向き合い,昼休みを使った短時間の学習支援を続けた結果,点数は向上したものの,生徒自身は満足していなかったことが語られています。Sさんは,今後も受験に向けて支えていく約束をしたそうです。さらに,その取り組みに共感した他の生徒も加わり,小さな学習の輪が広がっていることから,個別に寄り添う支援の大切さを改めて実感しています。
Sさんは,〈現在の中学生が勉強を楽しめていない現状〉に強い問題意識を抱いています。宿題の提出率の低さや,解答を写すだけの学習実態,それを「出さないよりまし」と容認する教員側の姿勢に疑問を投げかけています。テスト期間中に行われる学習集会やデータ管理についても,それが本当に学習意欲の向上につながっているのか疑問だし,分からないことを分からないと言えず,理解されている実感を持てない状況では,勉強よりもSNSや動画に流れてしまうのは自然なことだと感じています。
そのためSさんは,
打開策は簡単には見つからないけれど,せめて一時間の授業で「はぁ~分かった」「今日の授業ちょっとだけだけやけど楽しかった」と感じてもらえることが大切なんだ
と言っています。教師がそういう授業をするためには,先行実践をしっかり学んで欲しいですね。
もう一つの平和学習「重光葵(しげみつまもる)」
このネタは面白いです。今後の発展にも期待です。
Sさんは,勤務校であるM中学校と重光葵との意外なつながりが明らかになったことを,もう一つの平和学習として紹介しています。
校長室に飾られていた掛け軸が,重光葵が降伏文書調印の日に詠んだ和歌――願わくば御国の末の栄え行き我が名さげすむ人の多きを――の直筆であることが分かり,その由来を辿る中で,過去の弁論大会や当時の生徒との関係が浮かび上がってきました。これまで学校の単なる調度品として扱われていた資料が,問題意識を持つことで貴重な地域教材へと変わったことに,大きな意義を感じています。また,大分県の記念館の学芸員が関心を示したことからも,この資料の価値が再確認されたと述べています。
教科書の中だけで学んできた歴史が,身近な学校や地域と結びついたことで,平和学習がより現実的で深みのあるものになったと実感しています。
映画でも平和学習?
Sさんは,今年は例年より多く映画を観た一年であり,特に戦争や平和に関する作品が印象に残ったそうです。『木の上の軍隊』では,過酷な状況でも人と人とのつながりが生き延びる力になることを感じ,『宝島』では,戦後の沖縄が抱えてきた歴史の重さを改めて認識しました。また,アニメーション作品『ペリリュー 楽園のゲルニカ』では,美しい自然と残酷な戦争描写の対比に強い衝撃を受け,現在も多くの遺骨が残されている現実に思いを寄せています。
*「ペリリュー」に関して,この日の新聞に遺骨発見の記事(下の写真)が出ていました。やはり,現在進行形なんですね。


2 「いっぱい いっぱい」 note記事 N.T
最近のNさんのレポートは限定版「note記事」として紹介されています。文字数にしてA4版2ページくらい。
自己紹介で「最近楽しかったこと」を聞かれ,迷うほど多く思い浮かんだこと自体が嬉しかったとそうです。
大きく分けると,一年生との毎日が楽しいことと,家のリフォームが進み,家族が戻ってきたことが心の支えになっているようです。よかったですね。
一年生との毎日
一年生担任としての生活は,二学期の慌ただしさの中でも比較的余裕があり,その分「楽しく学ぶための準備」に力を注げているといいます。音読や漢字など,繰り返しが必要な学習でも,読み聞かせや図書室利用,音読テストやごほうびなどを工夫し,楽しみながら続けられるようにしています。算数では,子ども一人ひとりの理解を丁寧に見取り,書いて説明する力を育てることを大切にしています。また,教科書を進めるだけでなく,学んだことを実際に使う活動も取り入れられるようになってきたと感じています。高学年の理科についても,Podcast「おしゃべりな理科」などを参考にしながら,教科書の意図をくみ取った授業づくりができるようになってきたそうです。「おしゃべりな理科」,一度見てみたいな。
スクラップ?ビルド&ビルド
一方で,今年度は行事や外部事業が増え,授業以外の負担が大きくなっています。学びの機会が広がること自体は良いものの,現場には依然として学力向上が求められ,オンライン授業や補充学習が重なり,教員も子どもも忙しさを抱えています。集合学習の方が学びは深いと感じつつも,現状ではオンラインと対面の両立が中途半端になっていることへの疑問もあるようです。
震災後,「スクラップされたはずのものが戻り,新しいものが積み重なるビルド&ビルド」の状況の中で,「珠洲市を選んでよかったと思われる教育とは何か」という問いが心に残っています。
最後に,AIを活用して文章を書く便利さと同時に,自分の考える力や書く力が弱まるのではないかという不安も率直に綴られていました。
3 「喃々レポ・2025年12月号」 A5 8ぺ O.M
今回のレポは,3ヶ月ぶりのサークル参加ということもあり,この間に見聞きし,考えてきたことを自分なりに整理する機会になりました。日々,みなさんの文章や投稿に触れているため,久しぶりという感覚は薄いものの,実際にまとめてみると,自分の関心が自然と「土地」と「記憶」,そして「時間」に向いていることを改めて感じました。
3種類の岩石の話
10月には,孫娘の運動会をきっかけに富士山を訪れ,山中湖で軽石を目にしました。自然の一部を持ち帰ってよいのかと調べる中で,守られるべき自然と,つい手を伸ばしたくなる人間の欲との間で揺れる自分がいました。小さな出来事ですが,自然との距離感を考えさせられました。
続く小豆島の旅では,島が花崗岩でできていること,そして長い採石の歴史を知りました。島のあちこちに残る石切り場の痕跡を見て,便利さや発展の裏で,島が傷ついてきたようにも感じました。瀬戸内国際芸術祭の作品さえ,「泣いている島」に見えてしまった自分の感覚は,おそらく能登での経験と無関係ではないと思います。
11月以降,自宅下の浜に打ち上がった軽石を見て,遠く小笠原の海底火山噴火とつながる時間と空間の広がりを想像しました。確かめる術はなくとも,「海からの贈り物」として受け止めるしかない現実もあります。
能登半島地震関連本(下に商品紹介リンク↓)
後半で紹介した能登半島地震関連の本や写真集,小説は,どれも外から能登を見る視点と,中で生きる人の声を行き来させてくれました。
真山仁著『ここにいるよ』の物語の中で,「おそすぎ」という言葉への違和感を語る少女の言葉には,強く胸を打たれました。比べる復興ではなく,能登は能登として進んでいるのだという当たり前の事実を,改めて突きつけられた気がします。
わたしのレポートを,AIは次のようにまとめています。
このレポート全体を通して,私は,土地に刻まれた時間と,人がそこに重ねてきた思いを,どう受け止め,どう語るのかを問い続けているのだと思います。随時随所無不楽,その言葉を,もう一度自分の足元から考えていきたいです。(ChatGPTより)
AIはスゴいねえ。
今月の本棚(能登半島地震関連)

左の写真集は,以下のサイトから注文できます。
ほかにも,「楽知んカレンダー」の販売などがありました。
サークル終了後,忘年会。どんな話をしたのか,まったく覚えていないのが,なあ。
ただ,後ほど,Sさんからメッセンジャーに以下のような〈情報〉が届いたので,話題に上ったに違いない。
昨日はどーもでした。 昨日,ちょっと触れた「カメジロー」さんのこと,Wikipediaにあったのを紹介します。
アマプラで,なんとか観ようと思えば観られます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/米軍が最も恐れた男_その名は、カメジロー






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