「研究紀要」を考える

尾形正宏
1990.1.30

補足(2022/04/08)
 以下の文章は,以前,珠洲市内の小中学校でまとめ,発行されていた学校別の『研究紀要』という冊子用に書いたものである。もちろん,この文章の他にも,ちゃんと実践記録は書いて,掲載してある。
 「研究」というものについて語った,若き日の想い出の文章。若干30歳。若気の至り(^^;)

 自分の思っていることを、率直に述べられる場があるとすれば、それは一応<研究の場>の第一条件を満たしていると言える。

 何でわざわざこんなことを言うかというと、どうも日本には、まだまだ力の論理で意見の違いの決着を図ることがいろいろな場所で多いと思われるからである。先の長崎市長の右翼による狙撃事件は、そのもっとも極端で象徴的な例であろう。今年度の珠洲における「私の主張コンクール」の内容規制(珠洲原発の歴史を見よ)とその後の混乱は、「自分の思っていることを率直に述べられる場」というものが、そこら中に転がっている石のように手に入り易いものではないということをボクに教えてくれたのである。

 こんなことを書くと、決まって「教育委員会へ出すんだからそんなことは書かないほうがいい」などと助言してくれる人もいるのだが、教育研究を進めるのを助ける(せめて邪魔しない)のが教育委員会の仕事なのだから心配ご無用なのである。「研究紀要」というものが<研究の場>の第一条件を満たしているのならば、どんな意見も公平に扱われるはずだからである(この文章が研究紀要作成の段階で削られたり添削されたりするならば、それは、研究紀要が研究の場に値しないことの証明でもある)。

1.研究とは

 なんて華々しく書き始めたのだが、さて<研究>とは一体どういうことなのだろうう。こんなときには、なぜか広辞苑で調べることが教育書と言われるものに多いので(大学の頃、レポートを書くときに、良くまねをして広辞苑から引用したものだ)、ここでもちょっと見てみることにしよう。

けんきゅう[研究] よく調べて考えて真理をきわめること。

 たったこんだけである。期待して調べたわりには、何とも素っ気ないじゃないか。しかし、<真理>と言う言葉が入っているのを見付けただけでも調べたかいがあったというものだ。

 「研究」には、2つの側面があると思う。一つは個人的なものであり、もう一つは社会的なものである。ボクたちは、教育研究をやっている訳だから、その2つをどんなふうに行っているかを見なければならない。

2.研究は社会的なものである

 さきに「『研究』には2つの側面がある」と言ったが、これは本当だろうか? 個人的なものと社会的なものには、それぞれどんな意味があるのだろうか? 

 例えば、次の場合のことを考えてみよう。

 ボクが、長年の研究の成果の末、ある授業内容・方法を開発してとてもうまくいったとする。自分の受け持ちの子供達に楽しくてよくわかると歓迎された授業内容・方法は、ボクのこれからの財産となっていくだろうと思う。そして、何度も何度も授業にかけていくことだろう。

 さて、ボクがこの授業内容・方法をどこにも発表しなかったとしよう(実際には、ほとんどの人がわざわざ発表なんかしていないだろう)。すると、その授業内容・方法の開発は、個人的なものでしかないと思われる。それでも、この「研究」が意味のないものだとは思わない。少なくとも、自分の受け持って来た子供達のため、そして何より自分が生き生きと生きる糧ともなってきたのだから。

 ところが、個人的な「研究」だと思っているこの授業内容・方法も、実は、だれかの先行経験や科学的な財産なくしてはありえなかったことは確かである。そう言った意味では、どこかに発表する・しないには関係なく、<研究>というのは「だれかのお世話にならなければならない」のである。ということは、<研究>は社会的なものでしかありえないということである。

3.発表の場を持つということ

 「自分の研究成果を発表することに、どんな意味があるのだろうか。」

 「いろんな人が研究交流することで、どんな利益があるというのだろうか。」

 科学研究の世界では、こういう質問自体が不必要である。なぜなら、<研究成果を発表し、それが真理だと万人が認めなければ、科学とは言わない>からだ。<私だけに通用する「真理」>というのは、哲学の世界のことでしかない。万有引力があるかないかということと、神様がいるかどうかを信じることとは、全く次元の違う問題なのである。だれもが認めざるを得ない確かなこと(これが真理)を一つ一つ積み重ねることを、科学研究はおこなって来たのだ。

 一方、教育研究の世界に目を向けるとどうだろうか。残念ながら、その研究財産は余りにも少ないと言わざるを得ない。いや、多いのかもしれないが「いつでもだれにでもつかえる教育方法」というかたちでまとめられているのを見るのは稀である。教育学は、いまだにカンと経験の世界から脱し切れてはいない。「教育の世界はそれで良い」となれば、何も問題はない。しかし、より良い教育内容・方法を開発し、それを積み重ねて研究財産を残そうというのであれば、研究交流の場が必要だということになろう。

4.魅力のない「研究紀要」

 研究交流の場として、日本には、世界に例を見ない組合の教育研究集会がある。そこでは、数々の教育実践が討議されてきたに違いない。各種の民間教育研究団体の成果の交流が行われている意味は大きいものがある。また、民間教育研究団体・サークル独自の研究会も、僕の出た限りでは、とても刺激的なものが多かった。

 ボクは、このような研究会で発表する時は「だれかの役に立てればな」「何か批判なり同意なりが聞ければな」と言う気持ちで臨んでいる。もちろん、「何か役に立つことはないか」「おもしろい意見が聞けるのではないか」という気持ちも合わせ持っているのは言うまでもない。 

 いずれにせよ、レポートが何人かの目にとまり、なんらかの反応がない限り、そのレポートは社会的に意味を持たないのである。今、ボクが書いているこのレポートも、だあ-れにも読まれないとすれば、朝4時に起きて書いた意味もないのである。

 それなのに、ああ、それなのに・・・。

 毎年1回出さなければいけない研究紀要。珠洲だけでさえ分厚い、あの研究物。だれに聞いても「読んだことない」という返事が返ってくる。ましてや、研究紀要に出ていたレポートについて何か意見を交わしあっているということは、皆無に等しいにちがいない。もしかすると、本当にもしかすると、教育委員会の先生方も中身を読んでいないのではないか(たとえ読んでいたとしても、現場の教師に読まれなければ意味は無いが)。それじゃあ、一体何のために、こんなものをつくらなきゃならないのか。「いままでやってきたから」というだけじゃ、「判断力の無さ」と批判されてもしかたあるまい。「上から言ってくるから」というのでは、もう言う言葉も無い。

それとも「研究紀要でもつくらないと教師は研究しない」とでも思っていらっしゃるのだろうか。まさか、そんな情けないことはあるまい。 こんな研究紀要だから、だれも魅力を感じないのは当たり前である。魅力を感じないから、余計いいかげんになる。いいかげんになるから、さらに魅力を感じなくなる。悪循環である。ああ、無情!!

5.最後に

 てなわけで、現在のような研究紀要のために新しくレポートを書く気はしない。でも、何か出さなければならないので、県教研に提出したものをそのまま載せておくことにしよう。

 「××しなければならない」という「研究」ほど、ためにならないものはない。<研究>には、自由と自主が必要不可欠である。

 研究紀要が生き残る道があるのなら、不定期刊にして、もっとうすくすること。自由な研究成果を掲載できるようにすることだろう。それでも原稿が集まらなければ仕方ない。ボクたちには、教研という場があるのだから・・・教師が、授業(もちろん教材研究も含む)以外の所で忙しくなるだけなら、子供達にいい影響を与えるはずがない。

 ありふれた言い方だけど、自主・民主・公開の原則に立った研究会の中で、少しずつ学んで行くのが民主教育を司るボクたち(文部省も組合も)の仕事だと思うのである。

 なお、この文章は、研究紀要以外に100人程の目にとまることが分かっているので、ムダにはならない。

補足(2022/04/08)
 ホント,実に過激なことを書いているなあ。今なら,必ずや校長の検閲が入るに違いない。考えてみると,当時の校長も教育委員会も,大変,堂々としていたということだろう。何も分かっていない若造が…と思いながら笑っていたのかもしれんなあ。まあ,若いわたしのような意見を検閲もせず,掲載してくれたことに感謝したいと思う。
 当時,たまたま銀行でお会いしたある学校の校長先生が「あれ読んだよ」と言ってくれたことを思い出す。「ちゃんと読んでいる人いるんですね」と御礼を言ったものだ。我ながら,まったく跳ねた若造だったなあ。
 後日談だが,この『研究紀要』はそのうち消滅した。これも,素敵な教育委員会の判断だったと思う。「作ることだけ」を目的にしていても,何にもならないのだから。

コメント

  1. 「研究」この言葉に悩まされそうな一年です。それでも、誰かのため、目の前の子どもたちのために、少しでも糧になるようがんばりたいと思いました。楽しみながらやりたいです。

タイトルとURLをコピーしました