珠洲たの通信・2021年9月号

 少しずつコロナが治まってきたようでうれしいです。石川県内でもいいから「ちょっとした旅をしたいなあ」と思っている今日この頃です。
 一方,珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭2020+には,毎日たくさんの方々が見に来ているようです。昨日(火曜日),能登学舎へ行って3時間ほど作業をしてきたのですが,お昼前,学校裏の旧小泊保育所にある展示を見るための駐車場に車が4台も止まっていました。あの雨ふりの中で…です。横浜や長野ナンバーの車もありました。わたしも2.5日ほど回りましたが,まだ全て見てはいません。あと1.5日はかかりそうです。どれもよくわからんから面白いです。前回以上に地元の人が作品制作に協力しているようです。まだご覧になっていない方は,是非,一度足を運んでみてください。
 さて,先月,この通信のまえがきで「8mmテープのダビングに移ります。ダビングするのは,家族の映像のみのつもりです」と書きました。ただ,手元には8mmテープを再生するためのカメラもプレイヤーも持っていなかったので,メルカリで1万数千円で購入しました。そして,1990年頃~2000年頃の画像(約25本)すべてをハードディスクにコピーしました。画像には,常に少しだけビヤビヤが入ってしまうのですが,これはテープに経年変化があるので仕方ないですね。貴重な映像が残せるだけで○としましょう。このあと,DVDかBDにしておこうと思います。ほかにも,テレビ映像などを録画したテープは100本以上もありますが,これらは,少しずつ見てから捨てようと思います。再生機がダメになったら,そこで全て廃棄ですね。そうそう,少しだけど仮説関係の映像もあります。新居先生の映像もあるので,うまくダビングができたら希望者にお分けしますね。以前録り溜めたテープには科学劇《もしも原子が見えたなら》をやったときの発表会の映像もありました。探しているときにはなかなか見つからないのにね(^^;;)
 8月のサークルで行った「授業プラン〈小数倍〉の感想」をプラン作成者の高橋さんに送ったところ,10月3日に御礼のメールが届きましたので,ここに転載しておきます。
感想文集ありがとうございました。
また感想文の中身がステキですぐにお返事をと思いつつ、
大変遅くなってしまいました。
9月の福井のサークルでも紹介させてもらいました。
事後承諾でスミマセン。
珠洲も若い人楽しみですね。
Sさんからは石川県の学力向上策の大変な話を先週聞かせてもらってとってもおもしろかったです。
 あとは,実際に学校での実践ですね。〈割合の勉強をたのしむ子どもたちの笑顔〉がたくさん見られるといいですね。また実践結果を持って来てください。

■9月の例会の参加者(5名)
 H.K   S.M   N.T   K.M   O.M  

資料の紹介

1 「たのしい報告なし!」 B5  4p  S.M
 「たのしい授業の会」に参加しているのに,「たのしい報告なし」というレポートなんて,どうなっているんだ!って怒らないでね~。たのしいことなんてなんにもない…というお話で盛り上がることも時には大切だと思っていますから。それくらい懐の深いサークルでありたいなと思います。
 さて,たのしくない話を紹介していきます。
 まずは,全国1位になった学テ結果に関する話題から。
 仮説実験授業研究会の御所湖大会のナイターで石川県の学テの取り組みを話したのをキッカケに,この9月中に,Zoom「語り場」で「教育正常化県石川の学テ対策」について話をすることになったそうです。もうすでにその会は終わっていますので,次回には,全国の先生方からどんな反応があったのか,まとめてきてくれると思います。楽しみだなあ。
 「150万か50万か」でSさんが話題にしているのは,8月の人間ドックの検査とその結果,そして精密検査を受けたこと,さらには新しいガン保険についてでした。数年前から,退職後や老後についての話題がときどき出てくるサークルですが,ついにガン保険の話まで出てきました。今後,サークルを続ければ続けるほど,ますますそういう話題も増えることでしょう。
 そういえば,わたしが所属している研究会内サークル「社会の科学ML」の資料として,K著『癌との闘い・闘病記』というガリ本が送られてきました。この本には,國友さんが癌と診断されてから今までの「研究会仲間とのメールのやり取り」なども収録されていて,こんな内容の本はほかにないと思います。この本の裏表紙には「癌とは闘わず,楽しいことだけを求めて」と言う言葉が書かれていて,わたしは「これはとてもステキな言葉だな~」と感心しました。
 「生老病死」とは仏教でいう「4つの苦(仏教では生きることも「苦」)」ですが,われわれが〈老〉と〈病〉と〈死〉に対し,どのようにつきあっていくのかは,「生」と向きあうことと同じくらい大切なことなんだと思います。「楽しいことはない」と言いながらも,病気の中にもたのしさを見出すことができれば,こんなステキな「生」はないよね。そういう意味では,Sさんの以下の文章は,病院も楽しんでいる姿が垣間見れてうれしくなります。
2リットルの下剤を飲むのではなく,鼻からのチューブで胃に流し込むというのを経験してみました。老人や入院患者が「胃瘻」という手段で栄養を確保するのと同じ方法です。私の母も最期は鼻からのチューブで栄養を取りました。それを一時的でも経験してみたかったのです(笑)…中略…どおりで若い看護婦さんがメモ帳片手にベテラン看護師さんにくっついてきていました。
 病院で,これまで体験したことのない処置方法を敢えて選び,はしゃぐSさん。看護婦さんたちの姿も冷静に見ていますね。面白いなあ。わたしがばね指の手術をしている時にも,若い子たちが数名見ていました。このときこそ,生きている勉強です。何せホンモノの人体実験(治療)ですからね。彼ら(若いお医者さんたち)にとっても貴重な体験に違いありません。
 「スキルタイムの見直し」というのは,今後,とても期待がもてる報告でした。
 全校で,子どもたちの休憩時間を削ってまで設けている「スキルタイム」(Sさんは「我が校の一番いやらしい時間」と呼ぶ)という「帯タイム」に対し,ものを申したSさん。その結果が少しずついい方(子どもたちにとってプラスの方)に現れてきているようです。
 「どうでもいいことは改善せず」「旗幟鮮明にして昼寝する」などという言葉がありますが,こと,この問題に関しては「少しずつでも力を加えていくこと(言っていくこと)で大きな変化を起こすようになる」と思いたいです。黙っていては変わりませんからね。

2 「珠洲たのレポート・8月号/9月号」 B5 12p   H.K
 2ヶ月分の読書レポートを持ってきてくれました。紹介してくれた本は,以下の通りです。2ヶ月分,簡単に分類して紹介します。分類の視点はわたしの独断です。
【仮説関係の本】
○小原茂巳著『教師が崩壊しないために』(ガリ本)
○斎藤裕子著『I君日記』(ガリ本)
○齋藤裕子著『ちっちゃい花束』(ガリ本)
 子どもの見方・捉え方・つきあい方,そして教師自身が自分らしく生きる方法について書かれています。「私はこのままでいい」「あの子もこのままでいい」と思うことでしょう。
【生き方を考える本・姜尚中編】
○姜尚中著『心』(集英社文庫)  ○姜尚中著『心の力』(集英社文庫)
○姜尚中著『悩む力』(集英社新書) ○姜尚中著『続・悩む力』(集英社新書)
 ずいぶんとたくさん読んでいますね。わたしも姜尚中さんは好きなので,彼の本はよく手に取ります。在日としての生き方に「少数派としての生き方」のヒントを得ることができます。
【生き方を考える本】
○森村誠一著『老いる意味』(中公新書ラクレ)
○上野千鶴子著『女の子はどう生きるか』(岩波ジュニア新書)
○NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班・築山卓観著『吉永小百合 私の生き方』(講談社)
○鎌田實著『鎌田式健康手抜きご飯』(集英社)
○鎌田實著『がんばらない』(集英社文庫)
 女とは,老いるとはて,プロとは…。わたしたちの人生も〈様々な切り口〉で表現することができます。これらの本に出てきた切り口と自分の生き方を比べながら,「オレの生き方もまんざらではないわい」と思えればいいですね。こういう本は,落ち込むために読んではいけませんぞ。
【社会を捉え直す本】
○ドリアン助川著『プチ革命 言葉の森を育てよう』(岩波ジュニア新書)
○フレディみかこ著『ボクはイエローでホワイトで,ちょっとブルー』(新潮文庫)
○ヨシタケシンスケ著『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)
 普段,なにげなく見ている社会。多様性があるからこそ,楽しい。しかし,その多様性が争いをもたらすこともある。自分のまわりの豊かさに気づかせてくれる本たち。
【趣味の本】
○『こんどこそスマホ』(NHK出版)
○NHK「ブラタモリ」制作班『ブラタモリ・金沢編』(角川書店)
 好きこそものの上手なれ。いろんなことが気になって,楽器を手にしたり,映画を見たり,旅に出たり,野菜を栽培したり…。しかし,今じゃあ,これらから得たことを仕事に活かそうとしても活かせない立場ですが,好奇心だけは失いたくない…というか,失うはずないなあ。 

3 「喃々レポ 2021年9月号」 A5  8p     O.M
 今月は,「夏休み!わくわく科学教室の感想」「海岸で見つけたozという単位」についてまとめてきました。特に,オンス(oz)という単位に絡んで,外国在住経験のある教え子とSNSでやり取りしたことも報告につけ加えました。わたし自身,FBを通してこういう展開になったことが,大変意外でおもしろかったです。
 本レポートを書きながら「一つの国の文化(例えば単位)」を残すことと「国際共通単位」を広げることとは矛盾するなあという思いがふつふつと沸いてきて,自分の中でもどう折り合いをつければいいのか,よく分からなくなってしまいました。〈「寸や升」を大切にしたい気持ち〉と〈世界共通単位をしっかり教えたいという気持ち〉とはどのように両立させていけばいいのでしょうか。これは文化論としてもなかなか面白い課題です。だれか,この辺りのことについて書いてないかなあ。アンテナはあげておこう。

 昨日,寒冷前線が近づくに連れ,だんだんと風が強くなりました。そして前線が通過した途端,気温が下がり,最高気温も20度くらいです。朝夕の犬の散歩は長袖2枚です。「あ~,学校にいたら,寒冷前線の話ができるな」なんて思いながら天気予報を見ている今日この頃です。

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