複式のカリキュラム作りを進めよう

レポート綴

-珠洲の複式研究会に期待する-

複式1年 尾形正宏
1997年

まずは,長~い引用を
 教育研究と実践の関係は,子供を中心とした有機的なサイクルとして密接に融合された形でそれぞれ影響し合い,共に価値あるものになっていくことが望まれる。-(中略)- 近年,へき地・小規模・複式教育においてそれが可能であると考えられるようになった。それは,へき地・小規模・複式教育が本来的に柔軟性を有しており,学校規模と学級編制の条件が適していること,並びに経営の近代化方策や教授・学習の新理論を受容する条件が存在することによる。つまり,法的な学級編制と教員配置基準や教育課程編成の基準等のわくにしばられることが比較的少ない条件を持つからである。したがって,今後は,教育内容と教育方法の両面でより自由で大胆な教育指導を充実させていく努力を傾注しなければならない。
 例えば,都市型多級校において,学習指導の面で一斉指導の打破という根本的な発想と全面的な実践の転換を図ったとしても,それを果たすまでには至っていない。もちろんへき地・小規模・複式学校といえども同様であるが,前述の条件と要素によって,「主体的創造的に生きる子供一人一人に即応する教育」への最短距離にあることはまちがいない。少人数指導と協力教授の組織化,暦年齢編成の学年制の打破,無学年制指導内容の計画化,合同授業,近隣小規模校間の集合指導等を可能にしたり,比較的容易にそれらの原型を構造化し,典型を作ったりすることのできる要素を内包している。
全国へき地教育研究連盟編『へき地教育双書2 へき地・小規模・複式学校の特性を生かした学習指導(指導計画)』(1988 サンアイ企画) 7ぺより,下線は引用者

はじめに


 わたしは,採用以来,今年度(1997年度)が初めての複式学級担任である。今までにも,横目で複式の授業を見てきた。そのときから気になっていたこと,新しく考えたことなどについて,すこし問題提起をしたい。
 わたしたちの学校では,来年度から完全複式となる。それを見込んで,今年度より,一部の教科でAB年度方式を取り入れた。隣り合った学年が同じ内容を勉強するということは,「無条件で歓迎される」というものではないだろう。しかし,複式指導のマイナス面を解消するために,これまでも日本全国の複式学級でAB年度方式を採用し,成果を上げてきていることも,また事実のようだ。ただ,わたしは最近の複式授業研究の全国的な状況がどんなものなのか,ほとんど知らない。全国大会に出席した人からの話を聞いても,今までとあまり変わりばえはしないような気がする。複式について参考になる本も少なく,金沢の本屋で「複式なんとか」という題の本を見つけたことは,いまだかって一度もない。 
 というわけで,わたしは,ほとんど手探り状態で複式に取り組んでいるのである。そんなわたしの複式に対する以下の問題意識が,全くの的外れなのかもしれないし,もしかしたら,既に解決済みの事柄なのかも知れない。もしそうであれば,率直にご指摘していただき,複式を効果的に進める方法を,ご教示願いたい。

間接指導の限界(たった半年で弱音を吐いた!!)

 複式で間接指導をうまくやるためには,相当量の授業研究が必要である。「複式である=2学年分の内容がある」というだけで,日頃の授業研究は2倍となる。しかも,さらに「わたり・ずらし」などを考えなければならないのだ。「複式は少人数なので,大規模校と比べて丸つけなどが少ない」ということを差し引いたとしても,一人の教師の限界というものが見えてくる。はっきり言ってしまおう。
 すべての教科を「わたり・ずらし」で行うことは無理である。少なくともわたしは降参する。一方で,4月当初よりも気楽に複式授業をしている自分も存在する。が,これは慣れ。その代わり,学級通信を例年の半分しか出せていないというのも,これまた事実なのだ。毎日,毎日,2学年分の教科書やそれにかかわる参考書を見ているだけで時間は流れてしまう。1時間だけの「見せる授業」に,力を傾ける事はできるかもしれないが,今,ここにいる子どもたちにとっては,たった一度の学年なのだ。少人数になればなるほど,授業は塾化・家庭教師化していきそうで,むなしい。しかし,各学年1,2人となれば,これは,もう家庭教師化するしかないであろうが…。1時間1時間の授業の「わたり・ずらし」の研究も大切かも知れないが,そのためには,もっともっと日常的に自由な研究時間が必要だ。今のままでは一人ひとりの教師の力量に任されすぎている。教育研究が科学的なもの(本来の研究)になるためには,何人もの教師が共同で研究し,少しでもまねのできる形として残していかねばなるまい。

AB年度(同内容)の問題とは

 一方,「複数学年を同内容で一斉に教える」というのも,結構抵抗がある。特に,教科書の教材を利用するときに,余計にそのことを感じる。到達目標をどうするのかなど,まだまだ考えなければならない問題もある。
 だが,書店で一般に売られている本に,3年生向きの本と4年生向きの本があるとも思えない(あるとすれば,教科書準拠の参考書だ)し,うまく興味付けさえすれば,一斉授業も可能なように思う。
 問題は「各学年(特に上位学年)の教科書の内容を,下位学年へ興味付けする形で準備できるか」「カリキュラムそのものを組み直すことはできるか」ということにありそうだ。

年齢と教える内容はどれくらい関係あるか-教科書を離れてみると

 個人差が学年差を越えるとき,あるいは,学年差が気にならないときってどんなときだろうか。大人になってしまえば,知識・理解・興味に関しての年齢差なんてほとんど関係ない。しかし,義務教育段階では確固とした年齢差があると思われてきた。しかし,これが本当かどうか,一度疑ってみる必要がある。ここでいう年齢差とは,教材との関係としてとらえてほしい。いくつかの実験結果から,教科書を離れればいろいろなことが可能であることを紹介しよう。

[実験結果]
その1…ひらがなの知らない子が漢字を読めないかといえば,ノーである。3歳の子でも,方法さえ考えれば,身近なもののなまえではあるが,漢字を読めるようになる。これは,わたしの3歳の子に実験したから確かである。当時小学生だった姉よりも早く,漢字のカルタをとっていた(その漢字とは蜜柑とか大根とか林檎といったものである)。これは,漢字が読めるというより,形として漢字をとらえていたと思われるが,それでも,意味のないひらがなを並べたことばより,漢字の方がとららえやすいという面は確かにあるのである。

その2…ここ数年,教室の外に出て,科学の授業をする機会が何度かあった。例えば,金工大のサマー・サイエンス・スクールというところでの授業では,小学校3年生から中学校1年生まで,30人ほどを集めて仮説実験授業の授業書《ものとその重さ》をつかった授業を計7時間ほどやったが,どの子も「楽しく,ためになった」と感想を書いていた。今年も金工大で,3・4年生35人を対象に《光と虫めがね》という授業を行った。授業をしているわたしは,だれが3年生で,だれが4年生なのか,全く分からなかった。それほど対等に討論していたのだ。しかし,これらの事例は,科学が好きで,夏休み中にもかかわらず集まってきた子らのことなので,学校現場と同一視するわけにはいかないだろう。その分は差し引いて考えなくっちゃね。

その3…この小泊小でのこと。複式を持って初めての一斉授業で《空気と水》という教材をぶつけてみた。現4年生は3年生のときに,空気について教科書で少し勉強をしている。だから「こんなん簡単!!」と言われるかと思いきや,問題や実験が教科書とは違うので,3年生と一緒になって考え,3年生が正解して4年生が間違えるってことも,珍しくなかった。

その4…原子なんて中学2年生で教えることになっているが,教材を工夫すると,小学校低学年でも理解でき,しかも楽しめることがわかっている。活字にもなってるよ。東京のメグちゃんの授業。

 こんなことは,数え上げればきりがないので,ここらでやめておく。ここで確認しておきたいのは,教育内容そのものに「<年齢差があるから教えられない>と決まったものなど,そんなに多くはないのではないか」ということである。

年齢と教育内容-教科書の場合

 そんなことを言っても,各学年の教科書に載っている教材には,しっかりした順序があるように思える。しかし,それは,順序があるように作ったのだから,順序があるのである。当たり前である。順序があるように作った内容をそのまま小さい子に与えたって,そりゃあ,あんた,無理が多いのも無理がない。一例をあげると,先の3歳の子が「蜜柑」や「林檎」という漢字を読めるからといって,この子が「1年生で習う漢字を楽しく学べるか」というとそんなことはないのである。ただ,そんな教育内容でも,与え方,教材の切り方次第では,もっと気楽に考えられる「差(順序)」なのかもしれない。少しでもこういう柔軟な考え方を持っていたほうが,複式の教材研究も進むのではないだろうか。
複数学年が一斉に授業をするとき,単に,上の学年の教材をそのまま与えればよいという簡単なものではないだろう。しかし「だから複式は複式で」というのも,どうかと思う。
 先日,「学習指導要領を2年度の幅を持たせて決めるという案が出されている」というニュースを見た。「2年間で教えたい内容を決めておくが,その扱いは,ある程度自由度のあるものにする」ということである。これが,次回の学習指導要領に反映されるのかどうか,わたしには分からないが,現場の方も,もっと柔軟にカリキュラムについて考えていってはどうだろうか。

算数の一斉授業

 そこで,算数で一斉授業が組めないかと考えてみた。1年の学年差を考えずに,しかも下の学年が興味を持ってついてこれる教材はないか。
今までに,「大きな数」の授業を一斉授業でやってみた。タイルを作る作業も一緒にしたし,3年生にも,億・兆・京まで教えた(これをやってる人も多いだろうね)。万進法をとらえるためには,これくらいが必要だ。しかし,来年度の3年生にもこの単元を教えなくちゃいかん(億・兆くらいは,3年生で知っていてほしい)ので,AB年度扱いというわけにはいかない。だからむずかしいんだよなあ~。で,今回,《広さと面積》という授業を一斉授業で取り上げることにした。詳細は指導案の方に譲るが,当初は「面積という定義と陣取り合戦(指導計画の第1部)までで3年生は終わろう」と思っていた。今でも少しはそう思っている。しかし,せっかくなので,現3年生がどれくらいこの教材についてこれるかということも調べてみたい。いつでも退却できる態勢を取っておいて…。

第3・4学年算数科学習指導案

1996年10月23日(木) 5時限
指導者  尾形正宏


1.単元 広さと面積

2.目標
・<広さ>と<面積>の概念を知り,その違いに気づく。
・面積の普遍単位を知り,面積の公式を用いて長方形の面積を求めることができる。
・目の錯覚や日常にある広さと面積について関心を持つ。

3.指導にあたって
[教材について]
 この教材<広さと面積>は,仮説実験授業の「授業書」である。「面積」という教科書の単元を拡充するために用意をした。わざわざ<広さと面積>という授業書を準備したのには,それなりの訳がある。何点かにわたって,現在使用している教科書とこの授業書<広さと面積>との違いを明らかにしてみよう。なお,「面積」の扱い方について,教科書会社によってたいした違いはなかったので,わたしたちの使っている東京書籍を元に比較してみる。
① <面積>と<広さ>という言葉
 教科書では,<面積>の定義を「広さのことを面積といいます」といって終わってしまっている(資料1)。しかし,<広さ>と<面積>が全く同じ概念を指すものならば,このような2種類の言葉は必要ではない。そこで,<広さ>と<面積>との違いについて書いてある本はないかと探したが,なかなか見当たらなかった。が,やっとひとつ「うつのみや」で見つけた。2860円も出して,次の文章を引用するために買ってきた。片桐重男(奥付によると,都立教育研究所指導主事,文部省初中局小学校課教科調査官,横浜国立大学教育学部教授を経て,文教大学教育学部教授)という人の書いた文章である。算数・数学関係の本をたくさん書いているということが奥付からも読み取れる。そんな人である。さすが,「広さを面積といいます」と言い換えてすますわけにはいかないと気づいておられる。
(3)「面積」と「広さ」
「面積」という語に対して,「広さ」のことを「面積」といおうという押さえ方と,広さを普遍単位で表したとき,これを「面積」といおうといったいい方がある。「広さ」は日常語なので,いつかはこれを数学用語にいい直さなくてはならない。「広さ」のことを「面積」というというだけでは,そのようにいい直す必要がほとんどでない。一方,「広さ」を普遍単位で表したとき,これを「面積」というのは,その必要性がでるのでよい。しかし,任意単位を用いて数化したときは,「面積」ではないのかというと,そうもいい切れないので,ここにも問題が残る。

「広さ=面積」ではないのだが,かといって「じゃあ何処が違うの」といわれれば,「広さを数値化(数化ともいうの?)したときに面積になる」という定義はどうかというのだが…「これにも問題が残る」らしい。で,彼は,次のように結論づけるのだ。
このような考察を含めて,適当と考えられる時期に,面積にいい換えていくことになろう。[片桐重男著『数学的な考え方を育てる「量と測定」の指導』(明治図書,1995) 58ぺ]
 おいおい,そりゃあないだろう。ここまで読んできたわたしは,一体なんだったのだ。ここまで読んできたあなたも,そのときのわたしの気持ちを追体験していることであろう。そんなわけで,「広さと面積」については,なかなかいい本がないのである。
 算数から離れて,日常的に使っている<広さ>について考えてみよう。ちょっと考えれば思いつくように,<広さ>には「あの人は心の広い人だ」というように,「広さ=面積」と言い換えられないものが日本語にはあるのだ。あえて言い換えてみようか-「あの人は心の面積が大きい人だ」-お~,今にもかわいいあの子から肘鉄をくらいそうではないか。しかし,一方でこれは「慣用句だから」という気もする。慣用句を例に出して「概念が違う」などと言い始めると,「首を長くして待つ,目からうろこが落ちる,喉から手が出る,という言葉があるから,<首>や<目>や<喉>や<手>の代わりに本当の<首そのもの><目そのもの><喉そのもの><手そのもの>を表す言葉が必要だ」ってなことにもなりかねない(でも考えてみれば,そういう言葉もちゃんとあるなあ)。
 ちょっと話を戻します。
 ともあれ,<広さ>というのは,<面積>にはない部分をその概念の中に持っているのだ。先程の慣用句以外にも「この道は広い」「この広い宇宙の何処かに宇宙人がいる」などと平気で使われている。これらも「広さ=面積」と言い換えられないものであろう。これらが広さの使い方として間違っている訳でもない。先の例では「広さ=幅」であり,後の例では「広さ=体積」である。 このように「広さ=面積」ではないのに,「広さのことを面積といいます」といって「面積の概念」を導入するのは,いかがなものか。このあたりの疑問にしっかり答えながら,無理なく<面積>という概念を獲得させていくためには,まずは,常識的に使われている<広さ>の概念の有用性を確認することが必要である。そして,そのあとで<広さ>との違いを浮き出させながら数学の言葉としての<面積>の定義を与えるべきであろう。 そこで,この授業書では,面積のことを以下のように定義している。
「そこで何かをする」という目的によって「広い」とか「せまい」という<広さ>に対して,目的に関係しない面の広さ(大きさ)のことを<面積>といいます。また,面積とはその字のとおり,「その面(平面や曲面)に,ものがどれほど積もるか」で比べられる量をいうのです。授業書<広さと面積>6ぺより
 実は,あとで気が付いたことであるが,<広さ>と<面積>について,こんな文章を見つけることができた。
児童は日常生活において,「広さ」ということばをよく用いる。しかし,広さという言葉は,「広い道」と幅や長さを表したり,「広い空」と空間を表したりしていて,必ずしも面積を指してはいない。[『教師用指導書 新編新しい算数4下 指導編』(東京書籍)32ぺより] [広さと面積]児童の日常用語のうち,「面積」にいちばん近い言葉は「広さ」であるが,「広さ」=「面積」ではない。「空が広い」というときは,空間的な広がりだし,「幅が広い」といえば,「2直線間の距離が長い」ことを表してしまう。面積を平らな広がりとした認識にするための(にの間違い?)も,4段階指導など,適切な指導が求められる。(同上書35ぺより)
 なんと,ちゃんと「赤本」に出ているではないか。「赤本」なんて,あまり見たことがないのだが,これからは少し見直さねばなるまい。「赤本」と言えども第1流の研究者が作っていることには変わりないのだなあ,と改めて思った。 しかし,である。教科書の指導には,全くそれが反映されていないのがとても残念である。<広さ>と<面積>の違いを言うのなら,それなりの教材を準備すべきであろう。指導書では「4段階指導」などをすればいいことになってしまっている。
② 一般と特殊
 一般と特殊ということについても,古くて新しい問題である。計算を例にとろう。 最近の教科書はだいぶん改善されたとは言え,暗算先行がまだまだ残っている。例えば,23×12の前に,23×10を教えたりするのだ。そして,23×100,23×1000なんてのも先に教えてしまう。ついでに23×20,23×300なんてのも教えちゃうのである。特殊な形,0がつく場合を先に教えてしまうのだ。なぜなら,0がつくのは暗算でできるからである。 別の例では,小数×小数(分数×分数)の前に小数×整数(分数×整数)を教えてしまうというのもある。これでは,小数×整数の計算規則があり,次に小数×小数の計算規則があると思ってしまう。何より,2度手間である。小数×整数は,小数×小数よりも簡単である。それは,整数が小数(分数)より特殊な場合だからである。しかし,「簡単だから先に教えるべきだ」とは限らない。子どもにとってどちらがいいのかは,授業を重ねてみなければ分からないことだ。
 暗算先習がたくさんの算数嫌いを作ったのは有名なことだが,「単純から複雑へ」と進むことが,必ずしも子ども達の興味を引き出すとは限らないのである。 子どもの興味はどんなところにあるのか,ということを明らかにすることが大切なことであり,「今日の勉強は,まあ分かったけど楽しくなかった」というのでは,なんにもなるまい。「興味・関心・態度」が大切だと言われるゆえんである。 このようなものさしで教科書を見てみると,あらふしぎ,面積の指導に関してはどれもが「特殊な形=正方形や長方形」から導入しているのである(資料1)。ほかの量の導入のときには,一般的なものから入っていることが多いのに…。数教協編集の『わかるさんすう4』でさえ,「長四角のものどうしを比べる」という導入をしている(資料3)。こういうパターンで<面積>を受け入れた子どもらは,「一般的な変な形には<面積>はない」と考えてもおかしくはない。教科書では,一般的な形の面積の求め方がでてくるのは,5年生の図形の単元である(資料2)。
 しかし,面積を比較するときには,ぜひ一般的な形から導入したい。子どもたちにとっては,そのほうが難しいので,より興味を持ち,正解を知りたくなるはずである。どちらが大きいか気になるはずである。そのためには「一般的な形の面積を比べる方法」を考えなければいけない。そこで授業書<広さと面積>では,「面積を重さで比べる」という方法で,間接比較をしながら個別単位へとたどっていく方法をとっている。
「面積を重さで比べる」ことについて,授業書作成者の松崎・板倉の両氏は以下のように述べている。
実際,地形の面積を測定するときには,昔から「紙にその地形の形を写し取って,その紙の重さを計り,その面積を計算する」という方法があって,他のどの方法よりも正確だったりします。そういうことを考えると,「面積というのは<たて×よこ>のことだ,と教える前に,もっと柔軟に面積の計り方を教えておいたほうがいいのではないか。そうしたほうが子どもたちの創造性を養うことができるのではないか」と考えられます。そこで,伝統的な教え方とは全く違った面積の教え方が浮かびあがってくることになりました。松崎重弘・板倉聖宣「授業書<広さと面積>とその解説」『第3期仮説実験授業研究第4集』(1994 仮説社) 121ぺより
③ 日常との結び付き
 中学年,高学年になるについれて,算数でやっていることが,だんだん日常生活から遠のいてくるように感じることがある。生活の中から見つけだした法則で,算数・数学体系ができあがっているのだとしたら,逆にその算数・数学は,生活の中に息づいているはずである。それを見つけだし,子どもたちに還元してやることは,算数・数学の有用性を知らせることであり,算数・数学嫌いを減らすことにもつながるだろう。
 《広さと面積》には,「何帖」「何坪」という言い方や「トイレットぺーパー」のこと,「A判・B判の紙」のことなど,子どもたちの興味にそったお話も用意されている。お菓子のカンの中にはいている<透明なプチプチ>をすぐつぶしたがるように,掛け算さえ見れば計算したくなる人もいるそうだが,
・トイレットペーパーに書いてある 14ミリメートル×5メートル や
・アルミホイルに書いてある 28センチメートル×8メートル
は 決して計算してはいけないのである。
[児童について](省略)

5.本時の学習(省略)

6.参考・引用文献
 直接《広さと面積》について知りたい人は,次の文献が役に立つ。

1.授業書《広さと面積》(1991.7月版 仮説実験授業研究会)
2.『第Ⅲ期仮説実験授業研究第4集』(1994 仮説社)

 1は,仮説社に直接注文する。2は,行きつけの本屋さんか仮説社かAmazonに注文すればすぐに手に入る。そのほか,わたしがとても参考にした資料は,
3.板倉聖宣他「演習・授業書の作り方-授業書<広さと面積>のできるまで」 『仮説実験授業研究第11集』(1977,仮説社)
である。これは「新しい授業プランができていく過程」をかいま見ることができて,なかなかおもしろい。実際,3の時には取り上げられていたのに,1では削られた問題もいくつかある。その逆もあるし。これこそ実験授業の成果,研究の成果である。「授業書研究の過程」のことは2にも少し出てくる。算数・数学の授業書は,そんなに多くはないが,
4.出口陽正著『実験できる算数・数学』(仮説社 1997)
が,興味をかき立ててくれるだろう。ここには,今回取り上げた「面積を重さで比べる」という方法を「拡大・縮小」の単元に利用した実践も載っている。また,「仮説実験授業を少し詳しく知りたい」という人には,
5.板倉聖宣著『科学と仮説-仮説実験授業への道』(季節社 1971)
6.板倉聖宣著『科学と方法-科学的認識の成立条件』(季節社 1969)
7.板倉聖宣著『仮説実験授業のABC』(仮説社 1987[最新版も出ているだろう])

が,お薦めである。5・6は「仮説実験授業の原点」を知るうえでも,刺激的な論文集である。7は入門書である。しかし,入門書といってもバカにはできない。「目からうろこ」の教育観・授業観が随所にある。仮説実験授業をやってみようという人は,必ず7を読んでからにしてほしい。 さらに,いろいろな授業記録や新しい授業プランを知りたい,一緒に研究したいという人は,次の月刊誌を読んでみてはどうだろうか。
8.『月刊・たのしい授業』(仮説社 毎月3日発行)
 その他,仮説社から多数の文献が出ているので,参考にしてほしい。最後に,わたしの愛読書を紹介して終わる。この本は,麻薬である。気を付けて手に取るように。
9.新居信正著『あとにムナシサだけが残る実践からの訣別』(1993 キリン館)
 次に,仮説関係図書以外で参考・引用した文献を上げておく。たかが授業研究に,参考文献など書いておくのはおおげさだと感じられるかも知れないが,「著作権を軽んじる教師が多すぎる」という現状(かつて法則化運動が盗作化運動とよばれたこともあった)にあっては,あえて,こういう習慣をつけたいと思うのだ。
〇全国へき地教育研究連盟編『へき地教育双書2 へき地・小規模・複式学校の特性を生かした学習指導(指導計画)』(1988 サンアイ企画)
〇『教師用指導書 新編新しい算数4下 指導編』(東京書籍)
〇文部省検定教科書『新編 新しい算数』(東京書籍 1996)
〇片桐重男著『数学的な考え方を育てる「量と測定」の指導』(明治図書 1995)
○遠山啓監修『わかるさんすう4』(むぎ書房 1980)
〇銀林浩・遠山啓編『わかるさんすうの教え方4』(むぎ書房 1983)
〇小泉袈裟勝著『数と量のこぼれ話』(日本規格協会 1993)

コメント

タイトルとURLをコピーしました