《光と虫めがね》指導案

 本指導案は,1995年度,珠洲市の青年教職員研修会(30歳以下の教職員研修会)で公開授業をしたときのものです。若い先生方に《仮説実験授業》を知って欲しくて,この教材を選びました。


第5学年  理科(科学)学習指導案


1995.6.8(木) 5時間目
授業者 尾形正宏

1.教材 仮説実験授業《光と虫めがね》

2.目標

・明るいところにあるものは,太陽や電球やローソクと同じように光を出していることを知ること。
・虫めがねや凹面鏡の不思議な性質に親しむこと。

3.指導にあたって

<教材について>

 仮説実験授業の授業書《光と虫めがね》を授業にかけるのは,今回が4回である。今までに,5年生(片山津小),3年生(片山津小),5年生(蛸島小)の3回取り上げたことがある。その後,僕は中学に移ったので授業にかけずじまい。
 小学校に戻ってみると,「光」の単元が教科書から消えているではないか。今年になって,「もしかしたら虫めがねで新聞紙などを燃やせることさえも知らないかもしれない」と思って子どもたちに聞いてみたところ,ズバリ僕の予想どおり。10人中3人ほどが「家の人に教えてもらってやったことがある」といっているだけ。家から虫めがねをもって来れた人はなんと2人。
 一方,中学校の教科書を覗いて見ると,いきなり実験装置に電球と凸レンズとスクリーンを取り付けて,何やら焦点距離なぞを測ろうとしている様子。もちろん,紙を燃やして遊ぶなんてことは,全くないに違いない。これで,虫めがねと感激的な出会いなどできるはずがない。
 さて,我々の常識的な光に関する考え方というのはどんなものだろうか。
 そのまえに,自分たちの受けて来た理科の授業を思い出してみよう。教室での実験に使うときの「光」は,ビーム(あるいはスリットを通ってきた光)を使うもので屈折や反射の法則を教えるのには大変便利である。鏡の反射にしても,太陽光線がまさに光源(太陽)から直進して来たビームのように鏡に当たりはねかえっているようにも思える。
 しかし,我々が日ごろ目にする(目にしない?)光は,部屋の中になんとなく充満していて,直進や屈折や反射などしそうには見えないのではないだろうか? 日なたの光が太陽からのビームだとすると,日かげの光は一体なに?
 ある光源(太陽や電灯やロウソク)から出た光の性質はよくわかっても,それが,わたしたちの部屋に充満している光とどんな関係があるというのか。そのあたりをちゃんとやらないで,ビーム実験の結果を身の回りの光一般に広げて当たり前という姿勢は,悪質な押し付けであり,子どもたちを混乱させるだけである(ますます,理科嫌いが増える)。
 そこで,この授業書では,「ふつうのものから出ている光と,つよい光のビームとを結び付けないわけにはゆかないような,そういう感銘深い実験問題」(授業書の前書きより)を準備して,その関連がスムーズに理解できるようにしてある。
 この授業書は以下のように4部まであるが,このうち,今回は第1部,第2部,第3部の授業を考えている。
  第1部 虫めがねで光を集める
  第2部 望遠鏡と顕微鏡
  第3部 凹面鏡のはたらき
  第4部 光のいたずら

<児童について>

 今年4月に初めて受けもった子どもら10名(男5名,女5名)である。仮説実験授業は4月に《ものとその重さ》と《小数の乗法》の2つの授業書を経験している。もっとも,《小数の乗法》は,乗法の決まりを見つけるまでの方法が仮説実験的であるだけで,本格的な仮説実験授業というと《ものとその重さ》だけ,ということになる。
 しゃべるのが好きな子が何人かいるが,討論がかみ合うところまではいっていない。それに,まだまだ予想変更ができない。これは,仮説実験授業を初めて受けた子によくみられる傾向で,変更することを潔しとしない心がはたらくためである。自分が一生懸命考えて選んだ予想をそうやすやすと変えられないのは,大人でも同じだろう。
 また,理由のときに「なんとなくでもいいよ」といったら,わざわざ競って手を挙げて「なんとなく!」と言って座る,というパターンも時にはあった。しかし,これは「なんとなくでもいいのだ」という気軽さが今までの授業になかったためのはけ口的効果?の現れであろう。数回授業をやっていけば,解決する問題である。
 仮説実験授業の性格上,どんな子どもたちであっても,教材をこねくり回す必要がない。<授業研究を科学的にしよう>という発想で作られているのが仮説実験授業なのだから,少々のクラスの“色”は関係ないのである。しかも,日本全国何百回も授業にかけられてきているのだから,一人の教師が変な自主性を発揮しないのが身のためでもある(しかし,相当な研究のうえに立って,<光>の授業をどうするかという対案を出すのは大切である。ここでいっているのは,つまみ食いなんかしても子どもの認識は変わんないよってこと)。

4.指導計画(第1部のみ・12時間)

第1次 虫めがねで太陽の光を集める(3時間)
第2次 虫めがねで光を集める (2時間)(本時1/2)
第3次 カメラ作り (4時間・図工の時間)
第4次 目やプロジェクターのしくみ(1時間)

5.本時の学習(第2次の中の1時)

(1)本時のねらい
 ・太陽の光以外にも,虫めがねで集められる光があることに気づく。
 ・自分の予想を立て,人の意見をしっかり聞くことができる。
(2)成功と失敗の基準
 本時の学習が終わって,クラスのほとんどの子どもたちが,
「なるほど,虫めがねってのは不思議なもんだ」
「お月さんも虫めがねで光を集められるのだわ」
「おお~,虫めがねもなかなかやるわい」
「あの人は,いい意見をいってたなあ」
「よし,次の問題に挑戦するぞ」
などと,感じてくれたら成功である。これは,授業後の子どもたちの感想文から(毎時間書いてもらうとは限らない)判断することができるであろう。
 決して,授業の先生の態度がよかったとか,板書の色使いがきれいだったとか,よく発表していたとか発表していなかったとかで判断するものではない。授業は子どもが主人公である。教師がどんなにきれいな声で,きれいな板書でまとめ,子どもたち全員に発表させていようと,子どもたちが「今日はよく頭を使ったぞ」「またひとつ賢くなったぞ」「楽しかったぞ」「次が楽しみだ」と感じなければ,「その授業がよかった」というのは教師の自己満足でしかないのだ。
 自己満足で授業研究は進まない。研究は厳しいのである。かあちゃんも厳しいのである。おっとこれは関係ない。
(3) 準備するもの
  虫めがね(人数分10本),月を撮った写真(4種類)
  新聞紙,白い紙(人数分10枚)
(4)展開
 授業の展開の大まかな部分は「仮説実験授業の授業運営法」にしたがってやることになっている。授業では「一切の教師側からの押し付けはしない」というのが,その基本理念だ。これも,慣れるまでは,ついつい教師のペースに引っ張りこもうとするので注意!
 なお,討論のあるなしなどは,子ども任せなので,時間配分は特にしない(もちろんおおよそのプランは頭にある)。
                       この言葉は新学力観に合わないらしい↓

学習活動

◆授業書11ぺを配布する。
◆【問題1】の①を読む。

虫めがねで,夜の明るい月の光を集めて新聞紙を燃やすことができるでしょうか。

◇予想をたてる
 ア.月の光は集められない。
 イ.月の光も集められるが,新聞紙をもやすのはむり。
 ウ.新聞紙をもやすことができる。
◇予想を集計してクラスでの自分の位置を知る。
◇理由を聞く。
 ・月の光は弱すぎてだめ。
 ・月の光は太陽が当たっているのだからうまくいく。
 ・満月ならいけるのではないか。
◇討論する。

◆【問題1】②を読む。

白い紙の上に夜の明るい月の光を集めたら,太陽の光の時のように同じまるい形になるでしょうか。それとも,月の形になるでしょうか。

◇予想をたてる。
 ア.月の光は集められない。
 イ.小さい点のようなまるい形に集まる。
 ウ.小さい点のように集まるが,月の形になる。
 エ.その他。
◇予想を集計する。
◇理由を聞く。
 ・月は月の形になる。
 ・太陽の時,丸くなったのは虫めがねのせいである。
  だから月も丸くなる。
 ・月の光は弱すぎて集められない。
◇討論する。
◇予想の変更を聞く。
◇実験で決着をつける。
 ・写真を見せる。
◇実験結果を授業書に書き込む。


◆授業の感想を書く

指導上の留意点

・読みたい人に読んでもらう





・②も同じページに出ているが①の予想→理由→討論をしたあとで聞くことにする。

・予想分布を板書する
・理由は教師の指名で。討論はいたい人がいう
・恐らく「ウ」は少数派であろう。曇った日に新聞紙は燃ええなかったという経験をしているからである
・討論の無理強いはしない。





・問題の意味が分かっているか十分に注意する


・①のアと②のアの数が違うかも知れないが,それは,子どもの微妙な心理の現れであり, 追求しない。
・予想変更は,そのつど受け付けるが,最後にしっかり聞く

・この問題の実験は夜でないとできないので,写真で決着をつける

・だれかに発表させてもよい
・時間調整にもつかえる

☆以下,こういうようにして授業は進んでいく。討論等がなければ,問題数がおおくなるだけである。

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