映像になった珠洲原発(報道特別番組)

珠洲原発反対運動の歴史

1975年に計画が浮上した「珠洲原発」は,住民に様々な影響を与えてきました。ここでは,この間,テレビで放映された「珠洲原発」に関する特別番組を紹介します(もちろん管理人が知り得る範囲で)
何らかの形で,これからの映像が見られるように珠洲市の図書館等に働きかけたいものです(これって著作権違反なの???)。

■『翻弄されて-珠洲原発凍結までの28年』(石川テレビ,48分,2004年5月30日放映)
 FNS第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品。
 原発に翻弄された人として,3組の方に焦点を合わせて番組が作られています。
 1組目が,高屋町で農業・漁業を営む丹保英一・敏子夫妻と,その息子の正広さん。両親は推進派として行動してきましたが,息子の正広さんは,珠洲の自然を生かした農業で,生きていこうとしています。
 2人目が,中部電力に土地をとられた神田栄助さん。反対派の急先鋒でありながら,中部電力に土地を売った後ろめたさで運動から距離を置くようになります。「凍結となったことでもう、昔のことは忘れたい」と神田さん。
 翻弄された3人目が,高屋町出身の神奈川県内の病院に務める一人の医師。高屋町に11万平方メートルの土地を持っていましたが,その土地の売買をめぐり,脱税事件に巻き込まれます。裁判の途中で助けてくれると思っていた電力にも裏切られます。
 番組では,高屋町の土地の取得をめぐって,清水建設や関西電力が背後でうごめいていた様子が明らかにされているのが目玉でしょう。
 さまざまな形で原発に翻弄され続けた人々。その人たちの証言を基に電源立地が過疎の地にもたらしたものを考えます。
 推進で頑張ってきた丹保さんの次の言葉が,印象的でした。
「人をあてにしとったら,人が帰ったら何にもならんがいね」
付け足し…1984年の3電力の申し入れに答えたときの,谷珠洲市長の映像はなかなか貴重です。
 この作品のFNSのHPはここです。

■『そして原発は消えた~珠洲・対立と混乱の29年~』(北陸朝日放送,53分,2004年4月29日放映)
 番組は,監視小屋の前に立つ塚本真如住職(高屋町)の話から始まります。推進派からは小泊辰男市議会議長(取材当時)の取材をしています。
 1975年の計画以来の29年間の珠洲原発計画の歴史がおおざっぱに紹介されます。1989年,反対派が市役所に座り込んだ様子,93年の珠洲市長選,そして開票作業の混乱から不正選挙裁判へ。高裁・最高裁での市長選挙無効判決に続く,96年のやり直し市長選挙に当選した貝蔵治市長。しかし,選挙違反で田畑助役の逮捕。それでも,お金を目当てに電源立地をすすめる市長。そして,原発「凍結」となってからも,電力のお金を当てにする市長の様子。
 途中,貝蔵市長が語る「調査の強行・Xデー」の計画があったという話は,当時うわさにはありましたが,はじめて語られたものです。中西知事の死去により,実現はしませんでしたが…。
 下に紹介した,3月14日放送のテレメンタリー2004『国策の顛末~珠洲原発29年目の破綻~』(北陸朝日放送,25分)の映像も交えながら,より深みのある番組に仕上がっています。
 小泊議長「馬鹿げたことをやってきたな~」
 塚本さん「これから,自分たちの知恵で何ができるか考えないとダメだなあ」
 テレビ朝日の本番組の紹介HPはこっち(リンク切れ)。 

■NNNドキュメント’04『勝者なき28年-原発で割れた町は…』(テレビ金沢,26分,2004年4月19日放映)
 珠洲市高屋町〔原発予定地〕の人間もようを軸として,番組は進みます。
 高屋でただ一軒小売店を営む反対派の井上伸造・明美さん夫妻,そして塚本真如住職さん。推進派からは,嶽健一さん,丹保英一さんが計画撤回後の気持ちを語ります。途中で運動から離れていった竹中さんの姿は,見ていてとても辛いです。
 映像には,高屋町に中西知事が来たときの様子,土地の先行取得のこと,2003年12月5日夜の蛸島での反対派の勝利集会などが紹介されています。
 最後に,15年前,珠洲市長に向かって「原発ができたら,珠洲に帰ってきません」と言った高校生の今をインタビューしています。
 中京テレビの本番組のHPはココ。ちょっとしかでていませんが…。(リンク切れ) 

■テレメンタリー2004『国策の顛末~珠洲原発29年目の破綻~』(北陸朝日放送,25分,2004年3月14日放映)
 電力3社の申し入れから1ヶ月後の正月,須々神社に参拝する貝蔵市長の姿から番組は始まります。
 高屋キリコ収納庫・農産物の保冷施設,須々神社の公衆トイレなど電力会社からいただいた建物や集会場の備品。立地対策費については明らかにしない電力の態度も出て来ます。
 原発推進も「国策」なら,電力の自由化も「国策」です。国策である原発にすべてをかけた珠洲市は電力会社に裏切られたと言います。その電力会社は,国がすすめる電力の自由化のために,珠洲原発計画を断念せざるを得ませんでした。しかも,このまま原発をすすめるためには,「さらに国がバックエンド費用を負担する必要もある」(関電社長)と言います。 
 これらの国策がもたらしたものは,無責任体質でした。珠洲原発計画が「凍結」になっても,誰も責任を取ろうとはしません。
 国策とは何かを鋭く問う番組に仕上がっています。

■NHK610スペシャル『原発が消えるとき~珠洲28年それぞれの思い』(NHK,25分,2003年12月25日放映)
 発電所計画予定地(寺家・高屋)を中心としてきた原発反対運動は,1989年(平成元年)の市長選とその後の関西電力の事前調査の強行により大きな曲がり角にたちます。番組では,平成元年当時,珠洲市議会議長だった北澤良雄さんと,その市長選から反原発運動に深く関わってきた理髪業を営む橋本弘明さんのインタビューを中心に,この28年が賛成反対両者にとって何であったのかを検証します。
 映像には昭和50年代頃の珠洲の様子も出て来ます。また,市内の中心の飯田町で橋本さんと共に反対運動に関わってきた矢鋪さんや推進派の先頭に立って活動してきた元教員の竹沢芳子さんも証言者として登場します。
・北澤さん「国や電力に振り回された28年だったとは言わんけども…人間てがね…」
・橋本さん「思いはかなったのかというと,何もかなわなかった。15年かけてもいいものが残らなかった」

珠洲原発計画「凍結」以前の番組

■『能登の海・風だより』(石川テレビ,1993年8月27日放映)
 第2回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品(1993年)。
 珠洲原発計画をめぐる奥能登・珠洲市の状況を,礒の漁師の高森元義さん,魚の行商をする定谷よしさん,助産婦である中田さつさんの目から見ています。登場人物たちに丁寧に寄り添った取材は,奥能登に生きる人間の強さを見せてくれます。大賞受賞作品というのも頷けます。
 放映当時,珠洲市では,大変話題になった番組です。珠洲原発「凍結」を受けて,再放送もありました。
 この作品を紹介しているFNSのHPはここ(リンク切れ)。ディレクターの赤井さんの言葉が素敵ですよ。

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