紹介 尾形正宏
はじめに
令和6年能登半島地震の被害の備忘録として,また学校教育の教材用写真として,本ページをまとめてみようと思います。
仮に,
東京からのお客さんと「のと里山空港」(午前10時前着)で合流し,珠洲市宝立町の拙宅から出発する
という2日間の模擬tourを考えてみました。
1日目は珠洲市内,2日目は輪島市(と志賀町)をめぐります。
以下に紹介する珠洲市内の道路は,2024年9月21日~22日の集中豪雨による土砂災害で通行止めになっている可能性があります。実際に回られる方は,道路の現状を石川県HPなどで確認の上,運転してください。(2024/09/30)
1日目 珠洲市内一周
1日目は,宝立町拙宅を出発し,珠洲市の海岸線沿いをぐるりと一周します。
海岸沿いの道路を回ると珠洲市内の10地区,全てを回ることになります。その道路沿いには,珠洲市内すべての小学校9校(小中学校含む)の校舎があります。
宝立地区(拙宅発)~上戸地区~飯田地区~直地区~正院地区~蛸島地区(昼食休憩)~三崎地区~日置地区~大谷地区(ここまでが海岸線)~若山地区~飯田地区(夕食)~宝立地区(宿泊)
内浦地区:宝立(見学)~飯田(見学)~直・正院・蛸島(車窓)
0 鵜島地区(旧R249沿い)
わたしの自宅は能登町と珠洲市の境から約1.5㎞珠洲市寄りにあります。
そこで,まず,市境から,①の見付海岸までの地震被害の様子を紹介します。
家屋の倒壊・液状化
今回の地震による家屋の倒壊は,本当にひどいものでした。特に舟橋川よりも北側(白山・八幡地区)の倒壊被害が大きかったです。被害に違いの出た理由の一つが〈地盤の違い〉だと思われます(これについては「地震の被害と地質(ご近所の話)」にまとめてあります)。また,舟橋川以南(宗玄・中鵜島・稲荷地区)の家屋も,建っているものの,半壊以上判定の家が大部分でした。ですから,ほとんどの家は解体される予定です。
また,液状化現象により,電信柱が傾いたり,浄化槽が持ち上がって下水がつかえなくなった家も多数ありました。
写真はいずれも,2024年1月2日に撮影したものです。
津波被害のようす
左の写真が上稲荷地区,中央の写真が下稲荷地区の津波被害のようすです。
下稲荷地区は,2級河川舟橋川の近くであり,ここでは,旧国道を越えるあたりまで津波が来たようです。
宝立町鵜島(宗玄~八幡)地区には,海岸に堤防がありました。そのため,津波も2m~3mくらいで収まったようです。
右の写真を見ると,堤防の内側が大きくえぐられています。波が引いていくときに,ここの砂も掬っていったものなのでしょうか。
後ほど,この穴には,袋に石を積めたものが埋められていました。海側が削れたところにも,同じようなものが延々と並んでいました。
1 見附島~見付地区
わたしの自宅を出発し,まずは,珠洲の観光名所(能登の観光名所)の見附島と見付地区へ。
ここはちゃんと車から降りて見学です。
以前の見附島の姿を知らない方のために,往事の姿を紹介しておきましょう。右の写真は,昭和40年頃の見附島です。観光PR用に作られたと思われるポスターが,能登町の書店から出てきました。
見附島の鼻先は鋭く,左側にある通称「小島」もまだ目立ちます。
見附島
左の写真は,2023年5月5日(撮影:2023年5月11日)の地震で一部が崩れた見附島です。まだ,軍艦島と呼べなくもない姿をしています。
中央の写真は,2024年能登半島地震後の見附島。この姿では,とても軍艦島とは呼べませんね。
右の写真では,絵馬をつるすひもに津波によって運ばれた海藻(ホンダワラ類)が引っかかっています。
「その姿から通称”軍艦島”とよばれています。波浪の浸食によってとりのこされてできた傑作ともいえましょう。見付島は,全体が珪藻泥岩でできており,しだいに浸食されてゆくことが心配されています。」(絈野義夫編著『日曜の地学6 北陸の地質をめぐって』[築地書館,1979],146ぺ)
見付地区
見付地区の被害はたいへん大きなものでした。家屋の倒壊,そして津波にも巻き込まれました。港に停泊中の船もそのほとんどが転覆してしまいました。わたしの近所のおやじさんの舟は,見つからないままです。毎日毎日,港に見に行っていました。写真は,いずれも2024年4月7日のもの。
2 鵜飼(宝立中学校前道路)
その後,車に乗って鵜飼の商店街へと向かいます。
地震前は,鵜飼大橋という橋を通ってすぐに行けたのですが,今,この橋は通行禁止です(写真参照)。
ですから,一度山側を走るバイパス(現R249)を通って大回りして行かなければなりません。先日の「意見交換会」によると,この鵜飼大橋が通れるようになるのは5年後だそうです。それまでの臨時の橋もいつ架かるのかわかりません。「今は回り道してでも通れる道があるから,後に回していいだろう」というような雰囲気です。
とにかく大回りして,宝立小中避難所前(2024年9月閉鎖)の道路を通り,鵜飼地区へと向かいます。
この道路の両側の家屋も,ほとんどが倒壊してしまっています。今はどんどん空き地が増えています。
鵜飼大橋(2024/07/11撮影)
宝立小中学校前~商店街
3 鵜飼川~春日野方面
まっすぐ海の方へ行き,鵜飼川をはさんで鵜飼港が見えるところにある海岸沿いの道に向かいます。この港橋もまだ通れません。
キリコ倉庫のあたりで車から降りて,津波被害の状況を見ながら,春日野へ歩いていきます。今回の地震で,一番大きな被害を受けたのが,この地域だと思います。
4 谷崎の道
鵜飼地区と上戸地区の間には,岩盤が固いところがあって緩やかな坂になっています。
この場所には,民宿があったのですが倒壊ました。そしてその家屋の上には崩れ落ちてきた土砂が積もっています。ここは基幹道路でもあるので,その崩れたままの状態で舗装道路ができています(2024/08/31現在)。
5 上戸~飯田港
上戸地区(家屋倒壊の被害は少ない)を抜け,飯田港の方へ向かいます。
ここは埋め立て地。飯田港の岸壁は大きく崩落しており,波が寄せるたびに陸に上がってきます。というか,そもそも海と陸との境目がはっきりしていません。
横にあるのは「さいはてのキャバレー」というレストラン兼奥能登国際芸術祭作品会場だった場所です。
この港では,むかしむか~し(1975年から数年),珠洲飯田と佐渡小木を往復するフェリーが出入りしていましたが,大赤字で廃止に。
地震発生時,珠洲市唯一の総合ショッピングセンターである「シーサイド」はお客さんで賑わっていました。ここにも津波が押し寄せてきましたが,みんな避難して無事でした。
写真はいずれも,2024年6月15日撮影。
6 直~正院~蛸島(昼食)
直~正院~蛸島地区は家屋倒壊の被害が大きかった場所です。地震発生当時からしばらくの間は,液状化現象により道の真ん中のマンホールが飛び出ていて,たいへん運転がしにくかったです。
また,この地域は2023年5月5日の地震でも大きな被害を受けており,復旧途上だった家屋がまた倒壊するということもありました。
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