『統計でウソをつく方』(ダレル・ハフ著)

「グラフ化するときには,よほど注意をしないとウソの情報・極端な情報を伝えてしまうことがある」
-ということは,仮説実験授業研究会の仲間でもよく話題になってきました。
 そこで,自分なりの方法で「グラフを書き直す」ということは,いろいろな情報を読みとったり,未来を予想したりするときには大切です。実際,自分らで書き直した独特のグラフが,『たのしい授業』紙上でも毎月紹介されていますよね。わかりやすいグラフが書かれていて,いつも感心します。 

 さて,今回,ご紹介する本は『統計でウソをつく方-数式を使わない統計学入門』(講談社ブルーバックス)という本です。この本は,題名にもあるように「ウソをつく方法」を教えながら,「一方的な統計結果にだまされない方法」を学ぶように論が進められています。
「だまされないために勉強するのだ」というのがボクの持論(板倉さんからの受け売り)ですが,この本は,まさにそれにうってつけの本なのです。
 ここでは,永六輔「無名人語録」風に,本のエキスを紹介しようと思います。

■ サンプリングをしたときに,それが元のデータ(全体)のサンプルとして偏りがないかを確認しなければ,そのサンプリングによるデータは,意味がない。
■ アンケートをした場合,回答者が本当のことを言うとは限らない。たとえば,「主に読んでいる本」を調査しようと思ったら,「何を読んでいますか」と質問などするより「訪問して,古雑誌を買いたい」と言った方が,ずっと多くのことがわかるということ。ただし,これでも本当のことはわからない。これでわかるのは,読んでいる本ではなく買った本であるからだ。ナルホド。
■ サンプリング調査の結果が,もとになるサンプリングより正しくないことも事実なのであるが,データが何回も統計的操作で濾過され,小数点のついた平均値に姿を変える頃には,その結果はもとのデータとは似ても似つかないような確信の臭気を身につけ始めるのである。
■ サンプルの基礎は「ランダム」という性質がなければならない。つまり,サンプルは「母集団」からまったく偶然に選ばなければならない。ランダム・サンプルであるかどうかの判定は次のようになされる。「母集団の中のすべての人あるいはものは,等しくサンプルに選ばれるチャンスがあるか?」
■ よっぽどのお人好しか楽天家でもないかぎり,経験から考えても,ある社のねり歯磨きが他社のより断然よいことなどありっこないのである。
■ その最高の切り札は不十分な-時計的に不十分なサンプルである。つまりこれがA会社の目的には都合がよいのだ。小さい活字を読めばわかるが,この場合のテスト・グループはたった12人からなっていたのである。
■ 遅かれ早かれ,偶然のおかげで,大見出しや大がかりなキャンペーンをする値打ちのあるほどよい結果が出てくるに違いない。こんな結果は,A社のを使おうが,ふくらし粉を使おうが,今までのと同じ歯磨き粉を使っていようが起こってくるだろう。
■ さて,少人数のグループを使うことが意味があるのはこうだからだ。つまり,大きなグループを使ったのでは,偶然による差がどうしても小さくなってしまうし,それでは,大見出しが使えるような結果はえられないからである。
■ 試行回数が十分に多い場合に限って,平均の法則は説明や予測の役に立つのだ。
■ 何も知らないことの方が,不正確なことを知っているより健全である場合が多いのであって,少しばかり勉強するというのは,かえって危険なことなのかもしれない。
■ 常識というものは,もっともらしく正確で,厳然としている3.6などという数字の前では,どうも弱いのであって,この場合は,調査から誰にもわかるようなこと,すなわち,多くの家庭は小家族で,大家族はほんのわずかであるという事実も常識にはかなわなかったのである。
■ 誤りが起こるのは,結果が研究者から煽動的あるいは情報不足の記者を通して読者に届くまでの情報の濾過過程にある。そして読者というものは,その過程で姿を消してしまった数字には気がつかないのである。誤解の多くは,「標準」や平均に分布幅についての注があれば避けることができる。
■ プラス・マイナスの誤差ということは,いつも心にとめておかなければならないことで,誤差が書いてないときでも,あるいは書いてなければなおさらのこと,注意しなければいけない。ときには,数学的には実在し,しかも証明できても,現実には意味がないほど小さい差をめぐって,大騒ぎされることがある。-要するに「目くそ鼻くそを笑う」である。
■ グラフの目盛りを拡大してみせるものに対して曰く-これは「国民所得10%の増加」というのを「…10%の飛躍的伸び」とする編集方法と同じようなものである。しかし,それより断然効果的である。なぜならグラフには形容詞や副詞がないので,客観性という幻影がこわされることがないからである。ここには誰からも,突っつかれるようなものは何もないのである。
■ 米海軍の死亡率はニューヨーク市民より低いということについて曰く-この2つの死亡率はそもそも,比較できるようなものではないのである。というのは,海軍は大部分が太鼓判つの健康な青年たちから成っているのに,ニューヨーク市民の中には,赤ん坊もいれば,年寄りや病人もいるのであって,どこにいようと当然死亡率は高いのである。
■ 使用前使用後の写真について曰く-きれいになったのはむしろ写真家の腕による。
■ 50%の賃金引き下げを相殺するためには,100%の賃上げを獲得しなければならないのである。
■ 実際は,もしこの本を出版する費用の項目がどれも,それぞれ10%前後上昇しているとしたら,その総費用もまた,同じ率だけ上がっているのでなければおかしい。(中略)これは,ウサギの肉ダンゴをどうしてこんなに安く売れるんですかとたずねられた例の商人の話によく似ている。その商人の答えは,「そうですねえ。馬肉もいれているんですよ。しかし,五分五分に混ぜているんです。つまり,馬1頭に,ウサギ1匹です。」
■ 1952年に,カリフォルニアのセントラル・バレーで報告された脳炎患者は,最悪といわれたその前年の3倍にも達した。びっくりした住民たちは,子供を別の土地に疎開させた。ところが,実際に患者を数えてみると,その嗜眠性脳炎による死亡はたいしてふえていなかったのであった。そして,ことのおこりというのはこうだったのである。長年の懸案と取り組むために,州と連邦保険局の役人たちが大勢動員された。その努力の結果,以前なら見過ごされ,おそらくその病気と認められないような軽い症状のものまでたくさん記録されたのである。
■ つまり現在までのトレンドは事実であるかもしれないが,将来にわたるトレンドは推測以外の何物でもないのである。そして,そこには「他のすべてのことは変わっていず」,また「現在までのトレンドが継続する」ということが暗黙のうちに認められているのである。しかるに,他のすべてのことはというのは,とかく変わりがちであるし,また,それでなければ人生は退屈至極なものとなってしまうであろう。

 いかがですか。おもしろそうな本でしょ。初版が1968年で,ボクのは1998年で,なんと60刷です。今まで,この本がボクのアンテナに引っかからなかったことがすごく不思議です。だって,ブルーバックスも40冊以上も持っていますからねえ。
 ボクは,原発に関する本もよく読みます。賛成派の本(ほとんどが学校に来る無料の資料)の中にも,反対派の本の中にも様々な統計資料やグラフが提示されています。そのグラフや統計の資料の一つ一つは,ウソなどついていないかも知れません。しかし,要注意です。ボクは賛成派にも反対派にもだまされたくはありません。自分たちの陣営にとって都合のいいような「解釈」やグラフの拡大。あるいは,意識したすり替えなどをしているとも限りません。
 今は情報化時代と言われています。なるほどインターネットでも,簡単にいろいろな情報が手に入ります(しかし,これらネット上の情報は,30年前にダレル・ハフが書いたような「ウソ」に(情報発信者にとって,意識的にしろ無意識的にしろ)満ちていることを忘れてはなりません。情報を自分で選ぶ時代だからこそ,なおさら,それにだまされないことが大切になります。このあたりの教育・授業も大切だなあと思います。『社会を見直すメガネ』(国土社)に示されている「量率グラフ」が,まずはその手始めかな?

1998.12.18 記

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