珠洲原発反対運動の歴史

反対運動の看板さいはての街・珠洲

さいはての街だからこそ持ち上がった原子力発電所誘致問題。この問題は「能登は優しや土までも」と言われていた住民たちを混乱の渦に巻き込みました。そして珠洲市の住民たちは,およそ四半世紀にもわたって,誘致賛成・反対に分かれ,牽制しあってきました。地区内はもちろんのこと,親子,親戚関係でさえもズタズタになったこともありました。定例のお祭りもできない地区までありました。これらの歴史は,もう忘れてしまいたいことではありますが,やはり,忘れてはいけないことでもあります。
さいはての地で地域活性化を願った大人たちが,どのように行動し,どのようにいがみ合ったのか。この問題がどのように終焉していったのか。社会的な実験結果としての「原発誘致運動の歴史」を,学習教材用として残して置きたいと思います。わたしたちが目指す「持続可能な社会」に,原発は必要なのでしょうか。 

石川県会議員選挙の写真と,当時小学生だった娘たちが「ペイント」で描いた絵

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