「へ~,今年は6連休だったんだ~」と思ったのが,連休を過ぎてから――というのが,わたしの生活。最近は「あれ,今日は何曜日だったっけ」なんてこともよくあるほど,カレンダーを見ない生活になっています。これがボケを誘発する生活なんでしょうね。しっかりせんといかんなあ。
さて,5月の例会の参加者は3名。こじんまりとしていましたが,なぜか終了時刻の5時を回っても話は尽きず。
6月の例会は,わたしの私生活(親戚の一周忌)+Sさんの学校運動会等の理由で,第2土曜日に開催することにしました。
サークルに来られる方はお間違えないように。
今月の参加者 N.T S.Mi O.M
今月の写真



今月の資料
1 サークル資料「わたしには無理な話かも」 B5 4ぺ S.M
「毎日学校帰り,解体されていく松波小学校を目にしています」とSさん。自分が卒業した校舎であり,勤務した校舎でもある建物がなくなっていくのを見せられると「心がざわざわしてきて,地震が起きたあの一瞬が,こんなにも自分に影響しているんだと思わずにいられない」と振り返ります。地震など起きなくても,自分の人生に深く関係する建物――自宅や校舎――が解体されるのを見るのはしんどいと思います。まして,〈こんなハズではなかった〉のなら,なおさらですね。
イラッとしない…なんて無理
担当しているS少年との数場面。障害の特性だと分かっているけれども,対応しているこちらも,おとなとはいえナマ身の人間。いちいちS少年の態度にイラッときてしまうことが多いそうです。
でも実は,イラッとする原因はS少年にあるのではなく,〈これまで以上〉を求めてしまうSさんにあるんですが,〈分かっちゃいるけど止められない〉。
イラッときながらも,一つ一つ,なんとか前に進まないかと創意工夫して指導にあたるSさんの姿は,計画的なようで行き当たりばったりのようで――わたしにはとても新鮮に映りました。
こういう話は「担任の児童が自分の思いどおりにならない」と悩んでいる若い教師たちに聞かせてやりたいなと思います。「そもそも他人を自分の思いどおりにしようということ自体,おこがましいんだよ」ってね。
クリエイティブな活動
来年は他校に合併されるので,最後の一年となったM中学校。にもかかわらず,4月には委員会組織の改編を呼びかけたそうです。「どうせあと1年だ」と考えるのではなく,「この貴重な1年を有意義に過ごさせてやりたい」という教師の強い思いがそうさせたのでしょう。
花壇の水やりを生徒主体にしたり,校内の掲示物にも工夫をしたりして,なかなか活発な委員会活動になってきたようです。これをクリエイティブと言えるかどうか――は,成果が見えてからですかね。
これまで無味乾燥だった掲示板に〈俳句コーナー〉を作って俳句を公募したというのは,おもしろい。集まってくればいいですね。集まらなかったら,有名人の俳句でも掲示しておけばいかがかな。
そのほか
若い教師たちが,なにかと「統一感≒足並みをそろえる」を求めることに違和感を感じるSさん。
別に教室ごとにバラバラでも,学校全体の統一感ってあると思うのですが――。来校者が「この学校は,生徒の自主性を大切にした学校だな」と感じるのは,〈教室内の掲示物の場所が統一されていること〉となんの関係もないと思います。
2 「『徹底検証 地震と防災 石川は安全か』を読んでみた」 B5 16ぺ O.M
本レポートのまえがきを転載します。
先日,市民図書館の郷土史コーナーを眺めていたら,上記タイトルの本が目に入ってきた。手に取って奥付を確認すると,発行年月日は1995年6月20日である。阪神淡路大震災が発生したのが1995年1月17日のことだから,発災から半年も経ずに発刊されたらしい。わたしは,これまで本書――北國新聞社出版局編『徹底検証 地震と防災 石川は安全か』(北國新聞社,158ぺ,1995,以下『本書』と略す)――の存在をまったく知らなかった。(本レポ1ペ)
本レポートをまとめたのは,「1995年時点で,2024年に起きたような能登半島地震のことを学者たちは心配していたのだろうか?」という問題意識がムクムクと湧いてきたからです。本書を読み始めてから,本レポートにまとめるまでに約10日間くらいかかった気がします。
レポートの内容は,再編集して〈珠洲たのサイト〉に掲載しましたので,興味のある方は是非お読み下さい(下記リンクより)。

なお,今回の能登半島地震の際に「体験談を残す運動」が起きなかったことに対してのわたしの違和感は,どこかでまとめようと思っています。
ここでは,とりあえず,阪神淡路大震災の時に神戸市教育研究会国語部がまとめた図書とブクログに記録したわたしの感想(2024.03.25記)を紹介しておきます。
阪神淡路大震災に遭遇した小学生たちが書いた作文や詩を集めた文集。
発行当時,神戸に住む姉からいただいたのだが,この正月の能登半島地震をきっかけに,今回改めてじっくり読んでみた。
小さい子から6年生くらいまでの子が,自分の気持ちをそのまま語ってくれている。拙い文章はそのままなのだが,それだけに子どもたちの本音が表れているような気がする。
一つだけ紹介しよう。
かみさまのいじわる しお田 えいじ
かみさまのいじわる
なんで えいじの家つぶしたんや
えいじの家 つくれ
つくられへんねんやったら
お金くれ
お金もくれへんねんやったら
こんなこわいじしんするな
おい かみさま
えいじの家 さがせ
さがしてくれへんかったら
かみさまの家もつぶしてやるからな
おぼえとけ
おぼえとけ!
今回の能登半島地震で,子どもたちはなにか文章を残しているのだろうか。もし残しているのなら,ぜひ,国語教育研究会のみなさんでまとめてほしいな。
つらいことは,吐き出すことも大事だよ。
紹介した本(地震関連本)
3 口頭で N.T
今回は,項目だけの提示で,あとは口頭でした。
1 異動はなかったが…モヤモヤ→Zoomの会への参加「知らない」という病
2 育休スタート! 代わりは…自分のペースで洗濯・食事・掃除
これだけだと,なんのことやらわかりませんね。
今年度は異動なしのNさん。3人目のお子さんが生まれて育休を取ることにしました。さすが時代です。
でもNさんの代替教員が,育休に入るギリギリまでNさんに知らされなかったそうです。おそらく,苦労して探していたのだろうとは思うのですが――引き継ぎなどもあるのにねえ。しかも,その代替教員は,Nさんが担当していた教科・校務分掌をそのまま担当するのではなく,その教員の希望を叶える形で時間割を大きく入れ替えたとか。なんだか,最近の教育界を象徴するようなバタバタさで,そうでもしないと代替教員が来てくれない学校現場を見た思いです。
わたしが20代~30代の頃の代替教員には,〈教師を目指している若い講師〉が来てくれました。休んだ教員が担任なら,そのまま担任を任されました。しかし,40代後半~50代前半のU小学校時代には,当時,教務主任だったわたしは,産休に入った6年担任の代わりに担任も引き受けて,時間割もいろいろと変えたような記憶があります。そのころから,1対1という交代劇はなくなっていたんですね。
しかしこれじゃあ,これからの若い教員は安心して産休・育休に入れないなあ。ますます教員志望が減っていくだろなあ。
最後にも書きましたが,現在のわたしの問題意識の一つは「2024年能登半島地震の体験談をまとめようという動きが学校にも自治体にもなかったのはなぜか」ということです。
わたしは,後世の人たちのためにも,できるなら自分でできる方法で体験談をまとめておいた方がいいと思っています。そんなつもりで,自分のnote(初期はアメーバブログ)を書いてきました。
このあたりのことも,また,話題にしたいと思います。






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