「定置漁業免許願」(明治37年)

わが町,宝立

Eさん宅から見つかった大量の漁業に関する資料の中から,先の見附島の絵に関わっていると思われる資料を紹介する。
資料は全部で4ページ。それをすべてここに示そう。

実物写真

日々翻訳(「註」は編集子による)

1枚目

定置漁業免許願
一 漁場の位置及び区域 別紙漁場図(註:3枚目)の通り
一 漁業の種類及び名称 鰤台網
一 漁獲物の種類    鰤
一 免許期間 明治38年より仝(註:前と同じ)57年迄(註:赤二重線で訂正し) 二十カ年
前記の通り従来の慣行に依り漁業免許相受け度(註:たく)別紙関係書類相添え,比段(註:このだん)相願い候なり
  珠洲郡見付村字鵜飼三字十番甲地
明治37年10月12(註:「貳」と判断した)日   梶 寛次
  同郡同村同字三字十二番地
                       越後 藤蔵

2枚目

附属書類の表示
一 漁場図       1通 (註:3枚目)
一 漁場地形見取り図  1通 (註:4枚目)
一 免許願書      1通 (註:1枚目)

3枚目…漁場図

この「漁場図」の解読がなかなか大変なのだが,頑張ってみよう。別ページで紹介した絵地図に載っていた漁網と同じようものが,網の角度や長さをより詳細に示して描かれている。
まずは,上に書かれている文字を解読してみる。

漁場図
基点より甲の方位 150度 2684間6分(註:約4880m=約4.9㎞) … A
基点より戌の方位 158度 2298間 (註:約4178m=約4.2㎞)  … B
基点より巳の方位 143度 3918間3分(註:約7124m=約7.1㎞) … C
基点より鵜飼川上の端の方位 192度 260間3分(註:約473m) … D

鵜飼川上の端より戌の方位 154度 2084間3分(註:約3789m=約3.8㎞) … E
仝上(註:どうじょう)甲の方位 146度 2481間(註:約4511m=約4.5㎞) … F
仝上      巳の方位  140度 3751間(註:約6820m=約6.8㎞) … G

漁場図には続いて,網の種類とその長さが書かれている。

漁場区域
甲より乙まで50間(註:約90m) 敷網   … S1
甲より丙まで50間(註:約90m) 敷網   … S2

乙より戌まで400間(註:約727m)  垣網 … K1
丙より丁まで30間(註:約55m)   垣網 … K2
丁より巳まで1400間(註:約2545m) 垣網 … K3

乙と丙との距離25間(註:約36m)  … H

製図縮尺 3万分の1

以上の「基点からの角度や距離」「網の種類や長さ」などを「漁場図」に書き込んだのが次の図である。

4枚目…漁場地形見取り図

4枚目の「漁場地形見取り図」は,3枚目「漁業図」から,A~Gまでの方位の点線を省いて,陸地と敷網・垣網の部分だけを鳥瞰した物である。

コトバンクより

敷網…袋状の網を水中に沈め,魚群がその上に来たときに引き上げて捕る網。また,その漁法。浮き敷き網・底敷き網などがある。
垣網…定置網で,魚群を本網などに導くため,水中に垣のように張る網。袖網。

明治の終わり頃の見付村字鵜飼(現在の宝立町鵜飼)の漁師たちは,鵜飼川から谷崎川(現在の般若川)へと広がっている砂浜(約500m)の沖合4㎞~7㎞のところにある漁場で,定置網漁をしていたのです。

もう一度改めて,この文書といっしょに見つかった「絵地図(見付村海岸)」を見てみると,この絵地図に描かれている網は,本ページで紹介した定置網というよりも地引き網に近い気がします。
ですから,この「定置漁業免許願」と「絵地図」とは,あまり関係がないのかも知れません。

絵地図(見付村海岸)

見附島の絵

コメント

タイトルとURLをコピーしました