宝立町の祭礼

わが町,宝立

鵜島地区(秋祭)

 鵜島地区で行われている曳山祭り。以前は9月15/16日の両日が祭礼だったが,祝日が移動したため,第2土日になっている。小さな地区だが,5台の山車が出る。最近は,山車の数が減ってきている。

鵜島地区(デカ山祭)

2008年10月,鵜島地区を中心に珠洲の有志が集まって往年のデカ山の姿を再現することに成功した。
 以前は,このようなデカ曳山が3基出て砂浜を曳いていた。

鵜飼・春日野地区(七夕祭)

 7月の最終土曜日に行われる七夕祭り(以前は8月7日だった)。キリコと呼ばれる奉灯を担いで海岸道路を練り歩く。
 午後10時過ぎになると,一斉に海の中に担ぎ出し,同時に花火が上がる姿は勇壮的・幻想的だ。 

鵜島地区の祭礼とその歴史

 毎年9月15日と16日の両日,行われている鵜島地区の祭礼についてご紹介します。鵜島地区は,観光地である恋路海岸と見附海岸に挟まれた約2.5キロの国道249号線沿いの地区です。5つの神社にちなんだ5つの山車を,それぞれ揃いの法被を着た若い衆たちが勇壮に引っ張ります。山車の上には,人形や館を飾り,上を大きな岩山と呼ばれる5枚の布で覆います。
 この鵜島の曳山祭りについて,宇野通著『加越能の曳山祭』では,次のように紹介されています。
「鵜島の曳山祭には,5輌の七尾型曳山が出る。かつては3輌の巨大な曳山が,塩田の浜を曳かれていたが,塩田が無くなり,浜が浸食された結果,昭和30年代に曳山は小さなものに造り直されて,国道を曳かれるようになった。この祭礼も,17世紀後半に編集された「能登名跡志」に記述があり,江戸中期から行われていたことが確認できる。
鵜島の曳山は,七尾とも宇出津とも少し形が異なる(上戸,正院川尻なども,鵜島と同型)。異なるのは,曳山の舞台の背後に大きな舌状のもの(竹で造り,布で覆っている)が5枚,端を重ねて取り付けられる点である。これが,舞台に覆い被さっており,舞台は洞穴の中にあるように見える。この舌状のものは「岩山」と呼ばれている。(p.246~p.247)」

 このほか,鵜島の祭で特徴的なものに「キャラゲ」があります。小学校の男子が化粧をし,着物を着て,曳山の前に乗り,曳山の誘導をします。さらに,山車の曳き初めや終わり,戻りや各神社の前などで「曳山唄」を歌います。たとえば山車の引き出しの時には次のような歌詞を歌います。

 アーヤー 若い衆や
 過ちするなよ けがするな
 人はめんどと 云うばかり
 若い衆 若い衆
 みなそろたかや
 まだもそろたか 四綱までも
 怪我のないよに そろそろと

デカ山(1960年代か)

 そして15日の夜には,この「キャラゲ」が若い衆におんぶされて,自分たちの地区の家を一軒一軒まわり,各家の人やお祭りに来ているお客さんに「唄」を聞かせ,「花代」をいただきます。以前は,16日にも他の4地区を一軒一軒まわっていました。
 しかし残念ながら最近は少子化の影響で,山車の数も減り,唄を聞かせることも少なくなりました。

家の中で,キャラゲを披露
   アーヤー 高砂の 高砂踊りの習いがけ 
   後ろへ二足 前三足(あ~よいとこさのさ) 
   ここに見えるは 見附の島か
   根から生えたか つき島か

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