城雄二さんの言葉に触れる

 ここでは『現代教育実践文庫№14たのしい科学の授業Ⅱ』(国土社)より,城雄二さんの文章を追いかけてみます。城さんは広島大学の先生で《食べものとウンコ》《洗剤を洗う》《食べもの飲み物なんの色?》など,環境問題関係の授業書を多く作っていました。授業プランや授業書案もたくさん発表されています。

私たちが子どもを見るとき,あるいは,家族を見るとき,もしかすると,いつのまにか,その人に〈ない〉もの探し求め,〈ない〉〈ない〉ずくし(引用者註:「づくし」が正しい)の暮らしをしていないでしょうか。そのことがいつのまにか,〈ない〉ものねだりをする青年を育ててはいないでしょうか。そのような青年は〈ある〉ものと仲よくなれないので,孤独です。
 私たち一人一人が,もっといま〈ある〉ところに向きあい,子どもの中に〈ある〉能力をみつめ,自分のなかに〈ある〉人間のすばらしさに気づくとき,もっともっと楽しい人生が開けてくるのではないかと考えます。〈ある〉ものが見えるとき,自分と他とのつながりがみえ,仲よしの循環,よい循環が人間社会にもふえていくのかもしれません。

p.147 城雄二著「百年まえの自分と百年後の自分」

 霊魂や神など本来ない〈もの〉を探し求めて生きるのではなく,いまここに確かに〈ある〉ものに気づき,それを取り上げ,伸ばしていくことで,人はより幸せに生きていけるのではないか…この文章はそういう文脈で述べられています。
 教師や親として,子どもたちの姿から,まだでき〈ない〉ことを探すのではなく,できることが〈ある〉ことをまず認める。そのような対応をする中で,本人たちが自ら伸びようとするのを待つ。学力偏重のこんな時代だからこそ,これまで以上にこういう姿勢が大切な気がします。

 ぼくたちの身体も65%は水だといいます。60㎏の人だと40㎏が水で,そのうち25㎏が細胞のなかにあるそうです。水のもっている性質がそこでは十分にいかされています。水は味もにおいもしません。色もありません。これは人が水につかっているからでしょう。もし,アルコールにつかった生物がいたら,アルコールの味はしなくて,水の味やにおいがすることでしょう。

p.186 城雄二著「奇人・変人の電気磁石 水と人の生活」

 なるほどそうかも知れません。水の中にどっぷりつかっているからこそ,その当たり前のものには気づかないように体ができてしまっている。そうしないと気になってしかたないから。これを拡張して考えると,自分の身の回りの中で当たり前になっていることに人は気づきにくいということでしょう。今回のコロナ禍で,「日常のありがたさ」の再認識というような言葉が反乱していますが,その「ありがたさ」に気づかなかったのは仕方がないことなのでしょう。
 ふだんの生活の中において,この「当たり前のありがたさ」に気づくためには,それにみあった学習が必要なのだと思います。それは,ちょうど,わたしたちが「空気や水のありがたさ」に気づくためには学習することが不可欠であることと同じです。
 そして,空気や水のありがたさを教えるときに,たんに「きれいにしないとダメだよ」「ゴミで汚しちゃダメだよ」などと道徳的な心情に訴えるのではなく,科学的な事実を引用しながら「地球の大きさ」をイメージさせたり,食べものとウンコの関係から「空気と水の循環」について考えたりという,原子論的な見方・考え方を取り入れることで,当たり前に存在している「空気と水」に対する自分の認識ができていくのだと思います。そして,それによって,ひとつの〈行動基準〉のようなものができるのだと思います。
 一方,コロナ禍の中で感じた「日常のありがたさ」についても同じでしょう。家族の温かさ,会社へ行けることのありがたさ,外食できることの楽しさなどについても,「家族を大切に」「働けることに感謝しよう」とどれだけ言ったところで,日常に戻れば愚痴が多くなるのではないでしょうか。やはり,ここでも道徳的心情に訴えるのではなくて,経済のしくみ,家族の成立の歴史など,「何気ない自分の生活が世界の経済活動や人類が歩んできた歴史とつながっていること」を,なるべく社会科学的にとらえさせることが必要だと思います。このあたりの初等教育向けの教材は,日本にはまだあまりないのではないかと思います。
 仮説関係の授業プランでいうと城さんの作った〈親類〉〈ぼくらはニワトリ〉などがそうかな。授業づくりネットワークでは「一杯のかけそば」なんていうプランもありましたね。わたしが作った〈フードマイレージ〉のプランなども,そんなことを考えるきっかけになると思ってつくりました。また,仮説実験授業の授業書としては《お金と社会》《生類憐みの令》《ゴミと環境》などもありますが,ちょっとニュアンスがかわってくるかな。

 地球を循環する水は,動力と引力をうまく調節しながら太陽エネルギーと地球の引力を利用して,豊かな暮らしをしているのに,ひとにその調節ができないはずはありません。ひとは本来,行動する性質をもっており,もののしくみやホントのこと,美しいことに魅きつけられもします。おとなもこどもも原子と似ています。
 こどもがどうも活気がないというのは,おとなが魅力のないことにしばりつけようとしているからではないでしょうか。もっと引力のはたらくものを用意する,それが教師や親,リーダーのする仕事ではないでしょうか。まず,自分が生きがいを味わえる引力を,日々の仕事のなかにみつけていくことこそだいじです。いまの世の中はそれがわからなくなっているのではないでしょうか。

p.205 城雄二著「引く力と動く力であやつられる世の中」

 地球上の水の循環から,おとなの生き方にまで話が発展していきます。こういう論理の進め方は,とても城さんらしくて,わたしは好きなんです。
 「おとなが魅力のないことに(こどもたちを)しばりつけようとしている」という指摘にドキッとした人も多いことでしょう。
 わたしたち〈たのしい授業学派〉を自称する教師はまだいいです。いま学校現場でいろいろやられていることの中に「魅力的ではないこと」があることは充分わかっていますから。それでも,同僚や管理職の手前ついつい「その魅力のないことにしばりつけようとしているのではないか」と,時々立ち止まって自問自答してみる必要があるでしょう。わたしがそうでしたから。
 一方,問題なのは「魅力のないこと」だと感じていないおとなたたちです。さらに悪いのは「魅力がある」と思って子どもに対しているおとなたちです。こういう3様のメンバーが集まっているのがいまの学校現場ですね。この文章は1982年に書かれたものですが,いまの社会状況とまったく同じだ,むしろ悪くなっているのではないかと,苦笑してしまいます。
 「もっと引力のはたらくものを用意する」…これこそ,たのしい授業の出番です。わたしたちには,引力のはたらくものが数年分あります。いつやるか…ということだけです。

 世の中には相手を自分の思うままに束縛しようとする人が少なくありません。それは文部省や自民党にかぎりません。さまざまな組織(国,会社,組合,家)ができあがると,それをまとめようとする人が,とにかく均一化をめざし,そこにいる1人1人をいかしきらずに,ダメにするというのは,歴史の教えるところではないでしょうか。組織を自分のものであるかのように思う所有概念が大きな原因です。これは他人ごとではありません。自分のなかにそういうものはないでしょうか。均一志向,平均値志向があれば,いつのまにか,自分のなかの,そして,他人のぐず派や過激派を排除しているのかもしれません。命令調の統一を他人に要求している可能性が大きいはずです。

p.215

 もう,これは何も言うことがありませんね。そのままです。
 わたしも,何度か教職員組合の責任者を引き受けたり,原発反対運動団体の責任者をしたり,家長になったり…してきましたが,いつも気にかけていたのが,このことでした。特に組合では選挙になると「組合だから○○党を」ということを強く押しだすのは嫌いでした。日教組は,これを声高に言ってきたからこそ,いまの分裂があります。そして弱体化…。家だって同じでしょう。うちの家庭はこうだと決めつけたために出ていった子どもたちっていっぱいいるんじゃないかな。
 これはこの小さなサークルでも同じです。サークルのメンバーが仲よくなるのは仕方がありませんが,だからといって,必ず参加しろとか,レポートはもってこいとか,仮説実験授業をやれとかは言いたくないです。やりたい人,話したい人,聞きたい人,行動したい人,いろいろいていい。その中から新しい風も生まれるし,その風にあたることができたわたしも,まだまだ成長できそうな気になります。
 均一化のないところにこそエネルギーがある。そういうクラスこそ,楽しいですね。このクラスの目標はこれだ,だからこれに向かって突き進め。それができないやつはだめだ,引き上げてやれ。このような善意から生まれる〈いじめ〉のいかに多いことか。
 今月の最後の琴線です。

 みんな,だれにも負けたくないぐらいのあふれる善意でやったことなのです。しかし,その気持ちが強ければ強いほど,相手に対する押しつけになっていきます。あらゆる社会的な運動も,そして,家庭でもその例外ではなかそうです。
 そして相手にいくらほどこしても,その善意に応じてくれないとなると,くるりと向きをかえて,相手をバカあつかいして,とうとう争いにまで発展します。善意が大きいほど,自分のやることが“最上”となって,相手の理や価値観をきく余裕などなくなってしまいます。それでは自分の側に相手の心を引きこむことなどできようはすもありません。

p.237  城雄二著「科学と幸福」

コメント

  1. 城さん,なつかしいですね。
    何度か城さんに講演会や私のクラスで授業をやってもらったことを思いだしました。
    広島が近くだったからでしょう。

    • コメントありがとうございます。
      わたしは,城さんと直接話をしたことはありませんが,教師になる前から環境問題に興味を持っていたので,仮説実験授業研究会の中のメンバーでは,城さんと吉村さんに注目してきました。この本(実践文庫)は,教師担った際に姉に買ってもらったものです。今は,同じサークルの若い衆にプレゼントしました。

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